1: 人間七七四年 2014/08/03(日) 17:41:21.13 ID:4qmYxFLX.net
現代の料理人がタイムスリップして、織田信長に仕えたという
「信長のシェフ」が大人気!!
これにちなんで、戦国時代の食文化を議論しよう!!
信長のシェフ
http://www.tv-asahi.co.jp/nobunaga/
「信長のシェフ」が大人気!!
これにちなんで、戦国時代の食文化を議論しよう!!
信長のシェフ
http://www.tv-asahi.co.jp/nobunaga/
2: 人間七七四年 2014/08/04(月) 01:25:04.49 ID:JNCCpEnp.net
醤油とか味噌汁とかの歴史とか結構わかってないから面白い
3: 人間七七四年 2014/08/04(月) 22:16:14.64 ID:GSIxqELX.net
鮑が贅沢品
4: 人間七七四年 2014/08/05(火) 02:16:59.22 ID:3nCAdOE4.net
酒は濁り酒だったは常識かな
5: 人間七七四年 2014/08/05(火) 17:59:29.09 ID:vO8lA4E0.net
家康は麦飯ばかり食べてた
6: 人間七七四年 2014/08/06(水) 00:18:38.84 ID:gTgXFLXO.net
http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/bunka31.html
日本人は日に三度の食事をする。毎回少ししか食べない。
肉はわずかしか食べない。但し鶏は食べない。
それは鶏は家に飼っているから食べないそうである。
日本人が食べるのは米と豆とムンゴ
(インド地方で木の実を言う)山芋と麦。
また麦をどろどろに煮て食べるようである。
日本人がパンを作るのを見なかった。
米から作る酒と身分の別なく飲む酒があり、
酩酎すると日本人はすぐに眠ってしまうので
酔っぱらいは見たことがない。
豆で作るチーズを食べる(豆腐)私は食べたことがないので
其の味はしらない。
日本人は日に三度の食事をする。毎回少ししか食べない。
肉はわずかしか食べない。但し鶏は食べない。
それは鶏は家に飼っているから食べないそうである。
日本人が食べるのは米と豆とムンゴ
(インド地方で木の実を言う)山芋と麦。
また麦をどろどろに煮て食べるようである。
日本人がパンを作るのを見なかった。
米から作る酒と身分の別なく飲む酒があり、
酩酎すると日本人はすぐに眠ってしまうので
酔っぱらいは見たことがない。
豆で作るチーズを食べる(豆腐)私は食べたことがないので
其の味はしらない。
7: 人間七七四年 2014/08/06(水) 00:21:35.14 ID:gTgXFLXO.net
http://blog.livedoor.jp/kenko856/archives/50642688.html
『戦争絶ゆることなきを以て、地は物を産せざれども、
本来甚だ豊沃(ほうよく)にして、僅かに耕作することにより、
多量の米を得、即ち当国の主要な食料なり。
また麦、粟、大麦、空豆(そらまめ)、
その他豆類数種、野菜は大根、蕪(かぶら)、茄子(なす)、
ちしゃの実。また果物は梨、石榴(ざくろ)、
栗などあれど甚だ少なし。
肉は甚だ少なく、全国民は肉より魚類を好み、
その量多く、また甚だ美味にして佳良なり。』
〔注.ちしゃ(原文は漢字)はサラダ菜類です〕
パードレ・ガスパル・ビレラはフランシスコ・ザビエルの後に
活躍したポルトガル人の宣教師です。
『戦争絶ゆることなきを以て、地は物を産せざれども、
本来甚だ豊沃(ほうよく)にして、僅かに耕作することにより、
多量の米を得、即ち当国の主要な食料なり。
また麦、粟、大麦、空豆(そらまめ)、
その他豆類数種、野菜は大根、蕪(かぶら)、茄子(なす)、
ちしゃの実。また果物は梨、石榴(ざくろ)、
栗などあれど甚だ少なし。
肉は甚だ少なく、全国民は肉より魚類を好み、
その量多く、また甚だ美味にして佳良なり。』
〔注.ちしゃ(原文は漢字)はサラダ菜類です〕
パードレ・ガスパル・ビレラはフランシスコ・ザビエルの後に
活躍したポルトガル人の宣教師です。
8: 人間七七四年 2014/08/06(水) 04:45:23.32 ID:AugAYfyf.net
この手のは宣教師の記録が大活躍だな
9: 人間七七四年 2014/08/06(水) 21:12:54.12 ID:StrAilZg.net
芋茎の縄みたいな携帯口糧には興味がある
芋がら縄(いもがらなわ)は、鎌倉時代から戦国時代末期にかけての野戦食(レーション)のひとつ。
芋の茎(芋茎、芋がら)を帯のように長く編み、味噌で煮しめて作る。芋がらも味噌も食材であるため、これ単体でも携帯食として運用が可能となる。
通常時は、荷物として兵士が腰に巻きつけて所持する。実際に喫食する場合、兵士はこれを必要な長さ分、ちぎって鍋(多くは逆さまに吊るした陣笠であったという)へ投入する。その後、鍋に水をたっぷり入れ、下から火で加熱する。これにより染み込んでいた味噌がとけ出し、煮込まれることで芋がらもやわらかくなり、味噌汁が完成する。
現代でも芋茎は味噌汁の具として用いられ、納豆汁に芋がらを入れることもある。
10: 人間七七四年 2014/08/07(木) 15:17:07.41 ID:RkzM1N5M.net
あれ、どこかで日に3食の風習は江戸時代に入ってからと聞いた覚えが。
戦国期は通常2食、戦争時3食+夜食ではなかったか。
どのみち油が貴重品だったので炒め物、揚げ物が出来ない。
この時点で現代人の口には合わないだろうね。
思いつきで書くと家康が中ったといわれる鯛のテンプラ
現代人は鯛の鮮度とか寄生虫に思考が行くけど、油が古かったのではと今思った。
戦国期は通常2食、戦争時3食+夜食ではなかったか。
どのみち油が貴重品だったので炒め物、揚げ物が出来ない。
この時点で現代人の口には合わないだろうね。
思いつきで書くと家康が中ったといわれる鯛のテンプラ
現代人は鯛の鮮度とか寄生虫に思考が行くけど、油が古かったのではと今思った。
11: 人間七七四年 2014/08/08(金) 13:41:23.07 ID:3+rQ6dya.net
1日3食は応仁の乱以降 定着したのは江戸時代
13: 人間七七四年 2014/08/09(土) 15:04:08.68 ID:nwfIH3Cr.net
しかし日本料理は中国韓国の料理と全然違うな
麻婆豆腐とかカニ玉とかエビチリとかビビンバとか北京ダックとか、
全然日本に輸入されなかった
麻婆豆腐とかカニ玉とかエビチリとかビビンバとか北京ダックとか、
全然日本に輸入されなかった
14: 人間七七四年 2014/08/09(土) 15:49:00.04 ID:VrpheoOQ.net
かなり入ってきてはいるのだが、そのままでは使わないからな
改良に改良を重ねて原型を留めなくなってくる
そして、新しいもの好きだから他の地域のものも取り入れて
戦国時代以降は欧米とその植民地の食文化も大量に入ってきた事で
益々中国料理とはかけ離れた
改良に改良を重ねて原型を留めなくなってくる
そして、新しいもの好きだから他の地域のものも取り入れて
戦国時代以降は欧米とその植民地の食文化も大量に入ってきた事で
益々中国料理とはかけ離れた
15: 人間七七四年 2014/08/10(日) 01:10:54.06 ID:hovubLBP.net
しかし仏教の戒めで4つ足は食べないというが、
中国じゃ豚肉や牛肉は食べられていたと言う
中国じゃ豚肉や牛肉は食べられていたと言う
25: 人間七七四年 2014/08/15(金) 02:14:30.95 ID:QUnhFur7.net
>>15
それでいう4つ足は牛と馬のことで豚は関係ない。
日本では古来から牛や馬は神聖な動物ともされていたことや
牛頭馬頭思想もあってそうなっていったんでは?とも言われている。
なんで牛や馬以外は案外と食べられていたらしいよ。
それでいう4つ足は牛と馬のことで豚は関係ない。
日本では古来から牛や馬は神聖な動物ともされていたことや
牛頭馬頭思想もあってそうなっていったんでは?とも言われている。
なんで牛や馬以外は案外と食べられていたらしいよ。
16: 人間七七四年 2014/08/10(日) 18:39:11.02 ID:rdUu05jc.net
伝来しても肉や魚料理を知ってたのはごく一部の上流階級だけで
庶民は仏僧等からの、布教から広まった精進料理が発展したのでは?
庶民は仏僧等からの、布教から広まった精進料理が発展したのでは?
17: 人間七七四年 2014/08/10(日) 21:51:53.06 ID:y0ator/U.net
長崎の郷土料理である卓袱料理に中華とオランダの影響が見られるんじゃなかったっけ?
卓袱料理(しっぽくりょうり)とは、中国料理や西欧料理が日本化した宴会料理の一種。長崎市を発祥の地とし、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで味わう形式をもつ。和食、中華、洋食(主に出島に商館を構えた阿蘭陀、すなわちオランダ)の要素が互いに交じり合っていることから、和華蘭料理(わからんりょうり)とも評される。
18: 人間七七四年 2014/08/11(月) 13:09:58.26 ID:ON1VFU+L.net
江戸時代の都市部では今と変わらないぐらい様々な料理が発展していたが
戦国時代はよく分からない
とりあえず、松茸とか鯛とかは昔から高級品であったようだが
戦国時代はよく分からない
とりあえず、松茸とか鯛とかは昔から高級品であったようだが
19: 人間七七四年 2014/08/13(水) 03:37:54.77 ID:OohdeqJC.net
>>18
鯛を珍重するようになったのは江戸時代だな。戦国期の高級魚は鯉
鯛を珍重するようになったのは江戸時代だな。戦国期の高級魚は鯉
20: 人間七七四年 2014/08/13(水) 11:01:51.71 ID:jq+KLVXr.net
大河ドラマが全然料理については詳しくやってくれない
みんな酒だけ飲んでる
みんな酒だけ飲んでる
22: 人間七七四年 2014/08/14(木) 13:14:57.01 ID:7lk8sBB+.net
本能寺の変の原因と言われる「ふな寿司」を忘れちゃいかん
寿司は江戸時代に普及したから、ふな寿司こそ寿司の古典かもしれん
寿司は江戸時代に普及したから、ふな寿司こそ寿司の古典かもしれん
23: 人間七七四年 2014/08/14(木) 17:27:03.90 ID:qd/I3Leq.net
南都諸白のような酒米と麹の両方に白米を使う酒が生まれたのもこの頃だよな
当時と同じ手法で作った「醍醐のしずく」という酒があるが飲んでみたいもんだ
当時と同じ手法で作った「醍醐のしずく」という酒があるが飲んでみたいもんだ
24: 名無し募集中。。。 2014/08/15(金) 00:51:04.29 ID:pCCa4wjB.net
信長のシェフ
三方が原で多くの家臣を失い意気消沈の家康
ここでシェフが「コンソメスープ」を家康に飲ませて、家康は元気100倍となった
三方が原で多くの家臣を失い意気消沈の家康
ここでシェフが「コンソメスープ」を家康に飲ませて、家康は元気100倍となった
26: 人間七七四年 2014/08/15(金) 09:52:28.78 ID:D+zxlL16.net
明治初期の日本中の村の記録を読むと
人口 世帯 石高 牛頭数 馬頭数
が記載されている。
牛、馬は農機として裕福な農家だけがもてる財産だったみたいだから食べてないと思うよ。
人口 世帯 石高 牛頭数 馬頭数
が記載されている。
牛、馬は農機として裕福な農家だけがもてる財産だったみたいだから食べてないと思うよ。
27: 人間七七四年 2014/08/16(土) 07:07:22.60 ID:/jfnI7nE.net
別に禁止されていた訳ではないが、やはり肉食はゲテモノ食いの様に見られて一般的ではなかったな
地方では肉食忌避の風習が昭和40年代ぐらいまで残っていたし
地方では肉食忌避の風習が昭和40年代ぐらいまで残っていたし
30: 人間七七四年 2014/08/16(土) 15:16:14.25 ID:kOVFLHqc.net
いろいろと戦国時代の小説を読んでいるが
どれもこれも食い物といったら湯漬けしか出てこない
あれでよく戦国武者はクソ重い甲冑背負って戦えたもんだ
それとも夜は獣肉喰いまくってたのかな?
どれもこれも食い物といったら湯漬けしか出てこない
あれでよく戦国武者はクソ重い甲冑背負って戦えたもんだ
それとも夜は獣肉喰いまくってたのかな?
31: 人間七七四年 2014/08/16(土) 17:50:07.51 ID:dYO4MtDk.net
>>30
魚や鴨や鶴とかは割と食べてたみたいだけど
ただ百姓や雑兵の類いは米に味噌や塩だけとか
行商から購入した僅かな干物や漬物位しか口には出来なかった様だ
魚や鴨や鶴とかは割と食べてたみたいだけど
ただ百姓や雑兵の類いは米に味噌や塩だけとか
行商から購入した僅かな干物や漬物位しか口には出来なかった様だ
33: 人間七七四年 2014/08/17(日) 04:14:53.41 ID:S+M53Loi.net
>>31
米や味噌だけど、
その量が半端じゃない。
もちろん長期戦で足りなくなって来る事もあるけど、
一日で玄米五合食うレベル。
大豆自体が貴重だから雑兵は戦さでもなければ味噌は食えない。
普段は塩汁、糠味噌汁。
戦場では塩分、ミネラル初め消費される大量のエネルギーを
大量の玄米と味噌で補給する。
ついでに言うと、大河の官兵衛でも中国大返しで
兵を走らせながら「味噌は必ず舐めよ」と絶叫してた。
経験上熱中症やエネルギー補給に関して何が必要か熟知してる。
すごーく大ざっぱに言うと、
ほぼ百姓の雑兵は米、味噌食えなきゃ戦さなんてしない。
米や味噌だけど、
その量が半端じゃない。
もちろん長期戦で足りなくなって来る事もあるけど、
一日で玄米五合食うレベル。
大豆自体が貴重だから雑兵は戦さでもなければ味噌は食えない。
普段は塩汁、糠味噌汁。
戦場では塩分、ミネラル初め消費される大量のエネルギーを
大量の玄米と味噌で補給する。
ついでに言うと、大河の官兵衛でも中国大返しで
兵を走らせながら「味噌は必ず舐めよ」と絶叫してた。
経験上熱中症やエネルギー補給に関して何が必要か熟知してる。
すごーく大ざっぱに言うと、
ほぼ百姓の雑兵は米、味噌食えなきゃ戦さなんてしない。
34: 人間七七四年 2014/08/17(日) 19:47:01.40 ID:9i3r8aw5.net
>>33
末端の兵達には一度に米を配給すると直ぐに酒(濁酒)にしてしまうから
面倒でも一食分ずつ小分けして配れって言われてたけどな
なので実際は米を大食い出来る機会は戦に勝った後だけだった
多少餓えてる方が略奪にも身が入るしな
末端の兵達には一度に米を配給すると直ぐに酒(濁酒)にしてしまうから
面倒でも一食分ずつ小分けして配れって言われてたけどな
なので実際は米を大食い出来る機会は戦に勝った後だけだった
多少餓えてる方が略奪にも身が入るしな
36: 人間七七四年 2014/08/17(日) 22:03:55.97 ID:TrSz7JO7.net
タイは身が締まって脂が少ないから
干物にすればカチカチになって日が経っても酸化する脂が少なく保存が利くんだよ
いま考えた説だけど
干物にすればカチカチになって日が経っても酸化する脂が少なく保存が利くんだよ
いま考えた説だけど
37: 人間七七四年 2014/08/18(月) 00:31:03.14 ID:kYV8dANv.net
>>36
それに近い事を海原雄山が言ってた。
もちろん美食対決だから
山岡さんがそれに近いの持って来て
だから食えたモンじゃないってな(実際は旨かった)
ついでに言うと、大久保彦左衛門が病床の井伊直政を見舞った時に
鰹節の欠片を持って行ったと言う逸話がある
鰹節は栄養価の高い機能的な戦場食だったから
実際に病気見舞いと
ともに鰹節をしゃぶって戦場を駆け回った仲の懐旧と
立身出世していいモン食い過ぎたんだろうと言う
彦佐らしい皮肉もあったのでは。
それに近い事を海原雄山が言ってた。
もちろん美食対決だから
山岡さんがそれに近いの持って来て
だから食えたモンじゃないってな(実際は旨かった)
ついでに言うと、大久保彦左衛門が病床の井伊直政を見舞った時に
鰹節の欠片を持って行ったと言う逸話がある
鰹節は栄養価の高い機能的な戦場食だったから
実際に病気見舞いと
ともに鰹節をしゃぶって戦場を駆け回った仲の懐旧と
立身出世していいモン食い過ぎたんだろうと言う
彦佐らしい皮肉もあったのでは。
38: 人間七七四年 2014/08/18(月) 07:25:35.39 ID:t1Fi46Di.net
例の大名の弁当の逸話を見るに
鯛より鮭の方が高級だったかもしれないな
鯛より鮭の方が高級だったかもしれないな
39: 人間七七四年 2014/08/18(月) 23:31:01.66 ID:kYV8dANv.net
産地が限定されてるって事もあるかな。
鎌倉殿の好物ってのでも有名だけど
豊臣秀吉が毛利輝元を歓待した時も
地理的に毛利には珍しい鮭を使ったのは
秀吉らしいやり方と言われてる
鎌倉殿の好物ってのでも有名だけど
豊臣秀吉が毛利輝元を歓待した時も
地理的に毛利には珍しい鮭を使ったのは
秀吉らしいやり方と言われてる
40: 人間七七四年 2014/08/19(火) 07:34:55.42 ID:pw91Mj0H.net
今も昔も鮭は人気なんだな
江戸中期には村上藩で放流が始まったし
戦国時代にも佐竹家中で鮭を巡って配下の額田氏と石神氏が戦になったという逸話もあるし
相当に高価のものであったようだ
江戸中期には村上藩で放流が始まったし
戦国時代にも佐竹家中で鮭を巡って配下の額田氏と石神氏が戦になったという逸話もあるし
相当に高価のものであったようだ
佐竹傘下の鮭騒動
久慈川には鮭が遡上し、石神領と額田領で秋月の半々を折半し、漁をする決まりが約定されていた
しかし天正4(1576)年の額田領ではほとんど鮭が獲れず、これをおかしいと感じた額田の民らが川を調べたところ、石上領側が川底に網を仕掛け、約定を無視し、鮭を獲りまくっていたことがわかった
額田領主・額田照通は石神領主・石神通長に文句を付けたが石神通長はのうのうと無視
さらに石神通長は「言い掛かりで武士の体面を汚された」と、額田氏にいやがらせを続けた
ある日額田照通が佐竹義重を饗応する際に、家の子二人に久慈湊に鮮魚を買出しに行かせたが、この二人が使いの帰りに石神領を通る際にいざこざに巻き込まれ、斬首にされた
額田城では、使いに出した者が帰って来ず、料理の準備が間に合わず、来訪していた佐竹義重を大いに怒らせてしまった
堪忍袋の緒が切れた額田照通は石神城を攻撃
燃え盛る城の中で石神通長は自害して果てた
『石神後鑑記』
41: 人間七七四年 2014/08/19(火) 12:43:34.63 ID:ja1NqZsR.net
>>40
内陸までやって来る海の魚だから各地で珍重された様だな
内陸に存在する鮭神社は昔はその地域まで鮭が遡上してきた証拠
内陸までやって来る海の魚だから各地で珍重された様だな
内陸に存在する鮭神社は昔はその地域まで鮭が遡上してきた証拠
42: 人間七七四年 2014/08/20(水) 15:57:12.12 ID:xfcQpAaF.net
官兵衛「吉川様のそのお命、この官兵衛にくだされえええ!!!」
↓
鮭弁当を差し出す官兵衛
↓
鮭弁当食べて体調悪化した吉川元春
ぜひ大河でこの流れを
↓
鮭弁当を差し出す官兵衛
↓
鮭弁当食べて体調悪化した吉川元春
ぜひ大河でこの流れを
43: 人間七七四年 2014/08/25(月) 22:45:01.49 ID:aZU5gYdW.net
結局鮭は出てこなかったな
44: 人間七七四年 2014/08/29(金) 17:01:26.57 ID:lKDFZpT0.net
信長のシェフで、義昭にすっぽん料理を食べさせたのは面白かった
義昭がこだわっていた年号の「元亀」へのあてつけだと思ってたのが
義昭がこだわっていた年号の「元亀」へのあてつけだと思ってたのが
45: 人間七七四年 2014/08/29(金) 19:40:33.93 ID:GbgsLNKG.net
大河の利家とまつで
浅野長政がそうめんを食べるシーンがあったな
当時のめんつゆとかどうだったんだろ
浅野長政がそうめんを食べるシーンがあったな
当時のめんつゆとかどうだったんだろ
47: 人間七七四年 2014/08/29(金) 22:27:10.12 ID:7t0m7ntB.net
>>45
酢と塩だろうね
酢と塩だろうね
46: 人間七七四年 2014/08/29(金) 21:11:56.44 ID:lKDFZpT0.net
ウィキペディア先生によると、
奈良時代の長屋王の屋敷から出土した木簡に、
そうめんの記載があるらしいが、
室町時代から今のそうめんになったらしい
結構歴史があるんですなあ
奈良時代の長屋王の屋敷から出土した木簡に、
そうめんの記載があるらしいが、
室町時代から今のそうめんになったらしい
結構歴史があるんですなあ
49: 人間七七四年 2014/08/31(日) 15:19:49.72 ID:AGA0WYgK.net
大河ドラマの時代考証は何をやってるんだ?
信長のシェフを見習って、当時の食事をちゃんと再現せい
信長のシェフを見習って、当時の食事をちゃんと再現せい
50: 人間七七四年 2014/08/31(日) 16:00:15.54 ID:o0XbFA8/.net
めんつゆ
こんぶだしや鰹だしはずっと後なのか
こんぶだしや鰹だしはずっと後なのか
54: 人間七七四年 2014/09/04(木) 10:33:46.66 ID:/IvtprRM.net
>>50
出汁はあった。
すでに鰹節の原型はあったよ。
ただ江戸時代の初めごろまでは、醤油よりも味噌のほうがよく使われていた。
そんなわけで水戸黄門が若いころ町の屋台でうどんを食べたり、後に自分で
打って家臣にふるまったときの汁は味噌ダレ。
出汁はあった。
すでに鰹節の原型はあったよ。
ただ江戸時代の初めごろまでは、醤油よりも味噌のほうがよく使われていた。
そんなわけで水戸黄門が若いころ町の屋台でうどんを食べたり、後に自分で
打って家臣にふるまったときの汁は味噌ダレ。
51: 人間七七四年 2014/09/01(月) 07:17:03.87 ID:8Raj6Hj0.net
少なくとも室町時代には確認されているようだから、戦国時代にはあったろうな
52: 人間七七四年 2014/09/03(水) 09:27:50.80 ID:tjRNVZyt.net
そもそも醤油が江戸時代中期からだろ
戦国時代はにゅうめんみたいに味噌汁に入れて食べるのは有ったかも
戦国時代はにゅうめんみたいに味噌汁に入れて食べるのは有ったかも
53: 人間七七四年 2014/09/03(水) 23:26:25.27 ID:+LSGJqJr.net
永正10年 1513 臥蛇島より種子島氏へカツオ節5連、カツオ煎汁の小桶、綿18把(実際は9把)を上納。
と言う記録が有るみたいだから、
カツオ煎汁=カツオだし
はあったんじゃないかな。
と言う記録が有るみたいだから、
カツオ煎汁=カツオだし
はあったんじゃないかな。
55: 人間七七四年 2014/09/04(木) 22:30:38.70 ID:Ou2Rj+7o.net
醤油は信長のシェフにも出てこないね
戦国時代にはなかったと説明していたはず
それにしても信長のシェフが最終回とは残念だ
面白かったのに
戦国時代にはなかったと説明していたはず
それにしても信長のシェフが最終回とは残念だ
面白かったのに
56: 人間七七四年 2014/09/05(金) 00:56:23.05 ID:ocTeY7Rt.net
戦国時代なんて味噌味噌アンド味噌の頃
とはいえ大豆の万能性には恐れ入る
とはいえ大豆の万能性には恐れ入る
57: 人間七七四年 2014/09/05(金) 07:19:06.32 ID:49Jtgl6I.net
現代でも大豆の万能性には驚くよ
最近は消滅に瀕しているけど、ご飯、味噌汁、納豆、焼き魚という定番朝食とか
味噌汁は味噌(大豆)、豆腐(大豆)、油揚げ(大豆)
納豆は納豆(大豆)、醤油(大豆)
とか大豆だらけ
大豆に大豆の具を入れて大豆の調味料で味付け
日本人と言えば米だけど、実際は米と大豆と言うべきだな
江戸時代には豆腐料理だけでも数百種類あったらしいが
戦国時代にもそれなりにあっただろうね
最近は消滅に瀕しているけど、ご飯、味噌汁、納豆、焼き魚という定番朝食とか
味噌汁は味噌(大豆)、豆腐(大豆)、油揚げ(大豆)
納豆は納豆(大豆)、醤油(大豆)
とか大豆だらけ
大豆に大豆の具を入れて大豆の調味料で味付け
日本人と言えば米だけど、実際は米と大豆と言うべきだな
江戸時代には豆腐料理だけでも数百種類あったらしいが
戦国時代にもそれなりにあっただろうね
63: 人間七七四年 2014/09/07(日) 04:34:40.74 ID:WH222Ntd.net
>>57
大豆を腐らせた=納豆
大豆を箱に納めて固めた=豆腐
なのだが、どこかで名前が逆になった説があるよね
大豆を腐らせた=納豆
大豆を箱に納めて固めた=豆腐
なのだが、どこかで名前が逆になった説があるよね
58: 人間七七四年 2014/09/05(金) 07:55:06.82 ID:7ox6pl5f.net
米と大豆製品があれば日本人は生きていけるな
65: 人間七七四年 2014/09/07(日) 10:20:00.11 ID:RySLBVEI.net
納豆は、戦国時代に行軍中とかで偶然出来てから広まったイメージがあるけど、豆腐はどうなんだろう、中国から入って来たのかな?
66: 人間七七四年 2014/09/07(日) 17:40:58.63 ID:FT6x63qp.net
確かに、中華料理ではぷるぷるした状態を「腐」という。
それでも中国の麻婆豆腐が存外カチッとしてるのは、ご存知の方も多いと思う。
それでも中国の麻婆豆腐が存外カチッとしてるのは、ご存知の方も多いと思う。
67: 人間七七四年 2014/09/07(日) 17:50:13.89 ID:FT6x63qp.net
中国では、「腐」という字は腐敗菌で分解された(つまり腐って危険な状態)ことを意味するんじゃなくて、
単に柔らかいことを言っていたのかも。都の肉だし。
「老」という字が、もともと年輪や経験を重ねて立派になったことを意味していたのが、
日本では、いつしか機能が低下してよれよれになったことを意味するようになったように。
単に柔らかいことを言っていたのかも。都の肉だし。
「老」という字が、もともと年輪や経験を重ねて立派になったことを意味していたのが、
日本では、いつしか機能が低下してよれよれになったことを意味するようになったように。
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コメント一覧
「醤油は無いんですか」「何贅沢言ってんだバカヤロー!」と叱られた話がある
ここで言う醤油=たまり醤油で、江戸以降の醤油とは別らしい
そして、糠味噌も糠漬けに使うアレではない! なぜなら、糠漬けも江戸時代になってから!
ここで言う糠味噌は、普通に大豆の味噌を作る時に米や麦の糠を混ぜ込んで増量したもの
最初にこの話を読んだときは糠味噌=糠漬けの糠味噌だと思ってたから、そりゃまずいだろ、イジメか? と思ったけど
糠味噌の正体を知ってからは、やっぱり井伊直政の方が贅沢を言ってたのかねえ、と思うようになった