1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:49:49.23 ID:980WweFs.net
あるんかな
2: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:50:31.10 ID:zg74UZEc.net
しょせん一代の成り上がりやしどうやろな
3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:50:47.46 ID:4vOA2COI.net
大名にあげる報償の領土がなくなったから
4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:51:59.86 ID:mBfvu+db.net
どっちにしろ息子アホやろ
5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:52:05.17 ID:gfzSRld7.net
茶茶が悪いよ茶茶がー
6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:52:31.92 ID:JYRwcvaH.net
どっちにしろ先はないだろ
7: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:52:40.02 ID:980WweFs.net
これで無駄に敵作ってるやん
8: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:53:19.25 ID:hX+tNmBc.net
世継ぎ問題と内政に集中してればなんとかなった説
10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:54:31.29 ID:rtWrTF8u.net
三成が悪いよ
11: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:55:34.04 ID:cOY70gur.net
パチンコしか打ったことないけど
天下人など退屈極まりないとか言って伊達政宗と戦争するぐらいだからな
天下人など退屈極まりないとか言って伊達政宗と戦争するぐらいだからな
12: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:55:42.87 ID:qcN1iJuo.net
プラス秀頼が産まれなかったら
13: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:56:07.52 ID:980WweFs.net
世継ぎなんて小早川で良かったんちゃう
14: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:56:46.67 ID:jkeZmcUU.net
産まれなかったら血筋が途切れて滅びるやん
15: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:56:51.55 ID:hkAH8huh.net
朝鮮より秀次やろ
豊臣 秀次 文禄2年(1593年)に秀吉に実子・秀頼が生まれると、秀吉から次第に疎まれるようになる。秀吉は前田利家を仲介人として秀頼と秀次の娘を婚約させ、日本を5つに分けてその4つを秀次に、1つを秀頼に与えると約束するなど互いに譲歩も試みられた。
文禄4年(1595年)7月8日、秀吉の命令で伏見城に登城するが、秀吉と面会できぬまま高野山に追放され、出家し道意と号した。以降、豊臣の姓から豊禅閤〈ほうぜんこう〉と呼ばれることもある。7月15日に切腹を命じられ青巌寺・柳の間にて死亡。享年28。辞世は、「磯かげの松のあらしや友ちどり いきてなくねのすみにしの浦」。
16: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:56:51.61 ID:aU2pXLAE.net
朝鮮征伐あんま関係ないだろ
17: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:57:30.14 ID:6dyfJekA.net
どっちにしろ家康が天下になっていそう
家康も信長並の年齢で死んでいたらまずかったけどな
家康も信長並の年齢で死んでいたらまずかったけどな
26: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:59:35.96 ID:qcN1iJuo.net
>>17
天下統一の時点で秀吉の義弟やし、官位、石高共にトップクラスやからな
しかも10年近く新領土の関東を固める時間を与えてしまったんや
天下統一の時点で秀吉の義弟やし、官位、石高共にトップクラスやからな
しかも10年近く新領土の関東を固める時間を与えてしまったんや
18: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:57:47.05 ID:kK0P7n+H.net
秀次コローの方が致命的やろ
19: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:58:00.60 ID:qP/bueLX.net
徳川ほどの長期政権は無理だろうな
20: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:58:04.70 ID:6BGwRSuL.net
子飼いの連中が無能すぎる
22: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:58:39.41 ID:yhSxeC14.net
秀長ぽっくり逝ったのがかわいそう
23: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:58:48.10 ID:o/h7JOpa.net
跡継ぎが秀頼じゃあ結局家康に滅ぼされてたわ
24: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:59:26.64 ID:E9HgUXYO.net
息子が産まれるの遅過ぎやで
27: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:59:48.72 ID:6dyfJekA.net
もし家康が天下取った直後らへんに死んでいたら大阪城夏の陣とかは起きなかったのか
35: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:02:45.29 ID:JLkBEnEl.net
>>27
江戸幕府組織は残るし、でも豊臣勢力を削れなかったろうから戦国時代長引くやろなぁ
江戸幕府組織は残るし、でも豊臣勢力を削れなかったろうから戦国時代長引くやろなぁ
28: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 19:59:58.56 ID:jQGughnE.net
朝鮮に行かなきゃ国内の武士抑えられなかったろ
人減らしと金減らして疲弊させる意味もあるからな
人減らしと金減らして疲弊させる意味もあるからな
30: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:01:14.06 ID:hkAH8huh.net
>>28
家康みたいに浪人を負け組に押し付ければよかったんや
家康みたいに浪人を負け組に押し付ければよかったんや
29: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:00:07.10 ID:suW8L2oR.net
家康を懐柔せずに滅ぼすべきだった
33: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:01:23.11 ID:jQGughnE.net
>>29
小牧長久手で負けてるからね、仕方ないね
小牧長久手で負けてるからね、仕方ないね
31: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:01:20.39 ID:HvA6uIOe.net
秀長が秀吉より長生きする
秀次が継いで、秀長が後見する←ここまではうまくいく
秀次が継いで、秀長が後見する←ここまではうまくいく
32: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:01:21.38 ID:llXyklsb.net
家康に朝鮮の先陣やらせとけば
36: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:02:49.90 ID:qcN1iJuo.net
>>32
遠征軍の司令官が付けられた将軍を子飼い化して中央に反逆なんて例はよくあるで
あと関東に国替えさせてしまったからあまり無茶な命令も出せん
遠征軍の司令官が付けられた将軍を子飼い化して中央に反逆なんて例はよくあるで
あと関東に国替えさせてしまったからあまり無茶な命令も出せん
34: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:02:24.30 ID:gfzSRld7.net
へうげもののねねすき
37: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:02:58.76 ID:dZf1u0nR.net
ないな
徳川を潰せなかった時点で結果は同じ
家康が優秀だったから戦国が終わったけど
家康が早死にしてたら戦国時代に戻ってた
徳川を潰せなかった時点で結果は同じ
家康が優秀だったから戦国が終わったけど
家康が早死にしてたら戦国時代に戻ってた
38: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:03:22.69 ID:I/iFcJkD.net
ろくな後継者いないから無理やろ
39: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:03:53.62 ID:6mTPKSk4.net
でも朝鮮出兵がなかったら三成とその他との軋轢もなかったんとちゃう
40: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:03:54.07 ID:0dfwe2/c.net
国内の武士の不満を抑えるためなら、外国と戦うくらいなら素直に家康と戦ってれば良かった
44: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:06:41.35 ID:JLkBEnEl.net
>>40
仮にも豊臣軍総司令官が家康だからなぁ
よほどの落ち度が無い限り家康と対決できないんじゃないかな
仮にも豊臣軍総司令官が家康だからなぁ
よほどの落ち度が無い限り家康と対決できないんじゃないかな
41: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:04:16.34 ID:6PTJVEtn.net
恩賞として分配する土地が日本に無くなったから朝鮮出兵を決意したって聞いた
ソースは花の慶次
ソースは花の慶次
42: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:05:19.84 ID:PVbQJveC.net
天下統一したといっても近畿周辺いがいはあくまでも大大名とは同盟関係に過ぎないから秀吉個人がいなくなれば争いになるのは決まってた
45: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:07:06.98 ID:0dfwe2/c.net
>>42
そんなの封建制じゃ当たり前だろ
あと同盟関係ってのも不適切だしさ
秀吉政権について言えるのは、天領が少なかったから政権の権力が弱かった
そんなの封建制じゃ当たり前だろ
あと同盟関係ってのも不適切だしさ
秀吉政権について言えるのは、天領が少なかったから政権の権力が弱かった
43: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/06/14(土) 20:05:38.94 ID:980WweFs.net
昔歴史の授業で尊敬する人を豊臣秀吉とは言うなって普通に言われてビビったわ
コメント一覧
秀頼が生まれたのが原因
秀次事件で処罰された大名はみな東軍になった
朝鮮なんて農作も工業も文化も乏しい荒地を獲るのに金使わずに
国内の離散田畑の復興や野武士駆逐、増え過ぎた武家の帰農を推し進めていれば
いや、やっぱり秀頼生まれて秀吉が発狂してしまえば一緒か
要は朝鮮に行かなかったとしてその間になにをしたのかなにをできたのかだな
内政に集中して後見人を家康含め複数立てたりでちゃんとした合議体制を用意できればあるいは秀頼成人までどうにかなった可能性もある
なんだかんだ言って関ヶ原で家康の天下が確定したわけだからそれを原因から潰せるから秀頼の器量才覚次第というところまではいけるかも
要は朝鮮に行かなかったとしてその間になにをしたのかなにをできたのかだな
内政に集中して後見人を家康含め複数立てたりでちゃんとした合議体制を用意できればあるいは秀頼成人までどうにかなった可能性もある
なんだかんだ言って関ヶ原で家康の天下が確定したわけだからそれを原因から潰せるから秀頼の器量才覚次第というところまではいけるかも
秀頼がまだ幼少だったし、繋ぎとして秀次をワンポイトで起用っていう、
そういうまともな判断がつかないほど頭逝ってたからね
内政に努めて組織力高めて、幕藩体制の確立っていう方向を目指してたら、
違う形になってたはず
もとより、豊臣家一家のみで、絶対君主として君臨・統治ってのはムリな話なんだよ
関白なんて天皇の補佐の地位でしかないし、太閤なんて正式役ですらないしね
いずれ、小田原征伐並みの悶着はあったろうが、関が原みたいにはなってないだろう
ましてや大阪の陣みたいな大規模クーデター起すには、もうちょい時間が要る
体制って一度確立させさえすれば、ひっくり返すのには結構時間がかかる
その数百年前に元の尖兵として日本に攻めてきてるんですが
数百年前のことを今でも我が事のように語れなんて、トンデモな想像力と粘着メンタルだねw
ぶっちゃけ、チョンへの雑魚散らしなんかなんの関係もない
うーんこの。
朝鮮が反日なのは、新羅が半島にあった親日国百済を滅ぼした7世紀から。
「え、だったら日本が反朝鮮になるのがフツーじゃね?」と思うでしょ、実際そうだったんだけど
天智-反新羅を 天武-親新羅 が打倒したときに日本でのカタは付いたんだ。
それなのにいつまで経ってもそのことを(オレ様たちに楯突いた)根に持って朝鮮は反日。ちょっと信じられないけどね。
長いけど。
秀吉は日本にいながら半島の武将たちの
書状を受けて、的確な指示を出してそれがほとんど的中してるよ。
例として朝鮮水軍を陸で迎え撃つ、船舶を集中させて
武器食料の大量輸送で物資充実、出過ぎた小西行長へ
下がって諸大名と合流しろとの指示(これは小西がいうことを聞かなかった)
慶長の役なんかは、文禄の経験を活かした作戦を指示したので
戦略・戦術ともに完全に日本の主導だった。
また1592-1598年の間は、南蛮船が多数、難破して日本に漂着しているが
秀吉は船員に食料を与えて船を修理させて帰国させて感謝されたりしているし、
文禄で捕虜になった朝鮮の役人の女と対面したが
深く嘆き悲しむので、不憫に思った秀吉が朝鮮に送り返した話も
フロイスの日本史に残っている。
キリシタン禁令だって、宣教師の記録を見れば
すべて宣教師側の脅し、侵略の手口を聞いたとかが引き金になっている。
これだって禁令を出したあとも、フランシスコ会に布教の許可を与えて
教会建設のための土地を与えている。
スペインのことだけど、ヴァリヤーニの書簡では
【日本やシナはポルトガルスペインの侵略やその手口を警戒している、
彼らもマニラなどを行き来し、それらを見聞しているからである】
秀吉もマニラのスペイン総督府に書簡を往来させているし、
先に上げたキリシタン禁令も、スペインの侵略の手口を聞いたことがきっかけだして
相当意識していたのは事実だよ。
これらの秀吉の行動を見れば、晩年の耄碌説は見直しが必要。