1: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:17:50 ID:l2yW03mjN
1(中)伊東義祐
2(二)阿蘇惟光
3(右)伊達輝宗
4(一)内ヶ島氏理
5(三)松平信康
6(遊)津田信澄
7(左)豊臣秀次
8(捕)今川義元
9(投)二階堂盛義

控え 最上義光、小早川秀秋
no title

2: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:45:32 ID:5emnVEIDW
吉見広頼がいない
やり直し
吉見広頼
病弱で父ほどには信任を受けなかったが、毛利氏に忠実に仕え、天正14年(1586年)の九州征伐で吉川元春・小早川隆景らと共に九州に従軍、豊前香春岳城攻めで功績を上げ、豊臣秀吉から感状を受け取った。天正18年(1590年)の小田原征伐では毛利水軍に加わり三沢為虎・熊谷元直・益田元祥・山内広通らと共に伊豆下田城を落とした。文禄・慶長の役には病気で出陣出来ず、嫡男の元頼が代わりに朝鮮に渡ったが、文禄3年(1594年)に元頼が津和野で病死、翌年に後妻も亡くなった。慶長2年(1597年)に次男の広長を朝鮮に渡海させ、翌3年(1598年)に広長に家督を譲り隠居した。
しかし、広長は毛利氏に反抗的で、慶長4年(1599年)に出奔したため当主に復帰、広長の帰参に腐心することになる。広長は慶長5年(1600年)に復帰したが、同年の関ヶ原の戦いで輝元は周防・長門に減封、広頼も津和野を離れて萩に移り住んだ。慶長9年(1604年)に広長が再び出奔、娘達も先立つなど晩年は不遇であった。慶長17年(1612年)に吉川広家の次男を婿養子に迎え吉見政春と名乗らせ、翌18年(1613年)に死去。

3: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:47:01 ID:AUiD1oaoP
???「全盛期の後釜はみんな大変だな」

4: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:48:43 ID:93ubhfzzK
赤川元保おらんやんけ

10: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)03:27:06 ID:l2yW03mjN
>>4
元就が自害させて後悔した人か、すっかり忘れとったわ
赤川元保
毛利元就が家督相続した際に、起請文に署名した宿老15人の中の一人として、兄就秀とともに元就を支えた。天文19年(1550年)、五奉行制度が始まると、毛利隆元の直属奉行人筆頭に任命された。隆元側近の重臣として活躍するも、親隆元派として驕慢な振る舞いが多く、親元就派の重臣であった児玉就忠や桂元忠達としばしば対立した。
永禄6年(1563年)、毛利隆元が和智誠春の饗応を受けた直後、安芸国佐々部で急死する事件が起きた。隆元の死を元保の謀略と考えた毛利元就は、元保の責任を追及し、弟・元久、養子の又三郎共々、蟄居謹慎処分の後、4年後の永禄10年(1567年)に自刃に追い込まれた。
その死後に、元保は和智誠春の饗応を受ける事に反対していたことが判明し、その潔白が確認された。毛利元就は自身の行いを深く恥じ、元保の兄・赤川就秀の次男・赤川元通と甥の赤川元之に赤川家を再興させた。

5: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:53:43 ID:5emnVEIDW
そもそも今川義元は何が不運なんや
勝手に自爆しただけやろ
むしろ息子の方が不運や

10: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)03:27:06 ID:l2yW03mjN
>>5
1回の失敗で400年以上ボロクソに言われ続けたからいれたんやけど
さすがにスタメンまではアカンか

6: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:54:54 ID:DgixPzVyQ
尼子の方がヤバイやろ

7: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)01:57:20 ID:Q9mKf3kF5
>>6
尼子は御家再興の為に片っ端から担ぎ出した山中さんサイドに落ち度がある

8: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)02:02:04 ID:93ubhfzzK
少なくとも義元は消していい
あと4番はショートかキャッチャー守らせていい位の逸材やと思う

9: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)02:35:34 ID:LKvYzcTV0
島津歳久とかどうやろ?
島津四兄弟で一番陰薄いけど、結構悲しいけど美しい最期
島津氏の家臣・梅北国兼が秀吉に対して反乱(梅北一揆)を起こしたとき、その反乱軍に歳久の家臣が多く参加したことなどからも、秀吉の怒りを一手に買うことになり、兄・義久の追討を受けて自殺しようとしたが、追手が立ちはだかっていたため、竜ヶ水に上陸した。自害しようとしたものの、体が不自由なため、上手く自害できず、また追手も太守の実弟ということで手が出せずにいたところで「早う近づきて首を取れ」と歳久が言い暫くの後、原田甚次が首を取った。享年56。
亡骸を調べると義久に宛てた遺書と辞世の句が見つかり、そこには「私は病に侵され、太閤殿下の前に出ることが出来なかったのであって、何らやましいところはない。しかし謀反を疑われた以上、島津家安泰のために切腹しようと思う。家臣たちは承服しがたいらしいので武士の本分を貫くべくやむをえず交戦するが、これは兄に対して弓を引こうというものではない」という主旨の文がしたためられていたという。

11: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)03:32:50 ID:l2yW03mjN
1(中)伊東義祐
2(二)阿蘇惟光
3(右)伊達輝宗
4(捕)内ヶ島氏理
5(一)松平信康
6(指)赤川元保
7(遊)津田信澄
8(左)豊臣秀次
9(三)吉見広瀬
先発 最上義光
中継 島津歳久
抑え 二階堂盛義
控え 小早川秀秋、今川義元

意見取り入れたやで~

12: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)03:59:44 ID:B288CYRdB
伊東義祐もぶっちゃけ自業自得の類いやろ。悲惨な最期やけど

アホの仙石のおかげで無駄死にした長宗我部信親、十河存保の方がもっと不運や

13: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)04:37:23 ID:ISCDTVqPZ
小早川より大谷吉継のほうが可哀想だと思う

14: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)05:36:24 ID:uUtU0C3Us
義元の息子は家運傾かせたけど本人は生き残って天寿全うしてんだよなぁ
子孫も幕府高家になってるし めちゃめちゃ幸運よ

15: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)05:54:16 ID:SB997v7ej
帰雲城埋蔵金とかいうロマンとミステリー
すき

16: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)06:10:01 ID:sjxu3z99Z
御家の為に全力で尽くしたのにそれが仇になって殺された太田道灌を忘れてはいけない(戒め)

17: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)06:22:01 ID:jSqLCACiu
まあ四番は当然やな

18: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)06:47:59 ID:CLWZIkjLh
優勝請負人松野主馬、FA移籍

伊東さんとか輝宗さんは本当に不運なんですかね・・・
津田さんは本当に不運としかいいようがない かなり優れた人やったみたいやのに

19: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)13:58:12 ID:WsCrzHpji
4番は60本打てる(確信)

21: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)15:34:40 ID:i5PizVQbX
それぞれなんで不運なのか書いてって欲しい
わからん

23: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)16:05:24 ID:Lav1Wuppc
>>21
1.面倒事を嫌った船頭にポイーされて野垂れ死に
2.一揆との関与を疑われ斬首(享年12)
3.拉致されて息子に犯人ごと蜂の巣にされ死亡
4.宴会中に山体崩壊に巻き込まれ一族郎党全滅
5.自害させられなければ二代将軍当確
6.光秀の娘婿だからという理由で謀反と無関係なのに殺される
7.元就「息子死んだのはお前のせいンゴwww自害しろンゴwww」
8.秀頼が生まれたから邪魔になり関係者含めて処刑処刑アンド処刑
9.妻にも嫡子にも娘にも先立たれ、残ったDQN息子が勝手に家督を継いでお家断絶
先発.秀次事件に娘が連座し助命されるも命令が間に合わず処刑、正妻も後追い自殺
中継.病で動けない間に謀反に関与されたことにされ、兄に追討され自害(病で切腹はできず)
抑え.顔芸
控え.後世に不当な評価やイメージでボロクソに言われ続ける

24: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)16:35:43 ID:Q9mKf3kF5
>>21
1.一人旅の最中病気になった上砂浜に捨て置かれる
2.一揆への関与を疑われ斬首
3.自身を拉致しようとした犯人もろとも息子に撃ち殺される
4.祝いの最中に地震で城ごと生き埋め、犠牲者は一族全て
5.今川の血をひく母親と織田の血をひく嫁との嫁姑争いに巻き込まれ自刃、さらに介錯が遅れる
6.謀略で隆元を殺したと疑われ元就に自刃に追い込まれる、しかし完全に潔白だった
7.本能寺の変の後、光秀の娘婿という事情&父、信勝と信長の因縁から謀叛ほの関与を疑われ殺害
8.秀吉に実子が生まれたコトにより用済みに
9.妻に先立たれた上に、嫡男、後妻が病死、後継ぎの次男は反毛利な上出奔したので当主に復帰するはめに、帰参した次男が再び出奔した挙げ句娘も次々に死去

先発 娘駒姫が秀次事件(8番)の連座で処刑、妻が後追い説有り
中継 2番の一揆に家臣が関わり秀吉の怒りを買う、兄・義久の討伐を受け自刃を計るも体が不自由で失敗し討ち取られる
抑え 信長の野望での扱いか酷い

多分こんな感じ、義元と秀秋はまあ有名なんで

22: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)15:47:03 ID:P4fspivH3
鮭様(最上義光)はそんなに不幸かな?
駒姫や息子共なら文句無し不幸やけど

25: 名無しさん@おーぷん 2014/10/11(土)17:09:07 ID:93ubhfzzK
6番 赤川元保
主君の毛利隆元が饗応を受けた後に急死するが、隆元の父である毛利元就は謀略だと思い込み
かつ元保の関与を疑い兄、養子ともに無事死亡。
なお実際は関与どころか饗応を受けることに反対していたもよう。

引用元: 不運な戦国武将で打線組んだwww