1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 05:31:39 ID:gUkdzmKN.net
語ろう
no title


2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 05:51:27 ID:02jk5nUj.net
わかんねーよ

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 06:52:12 ID:qwX/TMiy.net
語ろうってかお前が知りたいだけだろ>>1

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 13:07:13 ID:mH4fhvS0.net
1482
夷千島王、朝鮮へ使いを送る。

1499
浄願寺弘賢、1471年頃より蝦夷地で布教、浄願寺を建てる。

1512
アイヌ蜂起し、函館、志苔、与倉前の三館陥落、河野・小林両家没落。浄願寺、蜂起を避けて秋田に撤退。

1513
松前の大館陥落、但し蛎崎光広がアイヌに仕業に見せかけて攻めたとの説もある。

1514
花沢館(上ノ国)の蛎崎光広、松前に本拠を移転、徳山館を構築。

1515
道南の東部首長のショヤ(庶野)、コウシ(匐時)、道南で蜂起、徳山を攻める。
蛎崎光広、徳山館の和睦の席で両者を暗殺、現在、松前にある蝦夷塚はこの時の犠牲者の塚であると言われる。

1528
アイヌ蜂起、徳山館を襲撃、松前義広が撃退。

1529
道南の西部首長タナカサシ蜂起
瀬田内で工藤九衛門の軍を破り、勝山の和喜館を攻める、蛎崎義広、和睦を呼びかけ弓矢でタナカサシを暗殺。

1531
アイヌ蜂起、松前の大館を襲撃。

1536
タナカサシの女婿タリコナ蜂起、蛎崎義広、和睦と称し、酒宴の席で暗殺。
大谷派僧侶真徳・松前専念寺草創、以後専念寺は松前藩と何度も婚姻関係を結び、蝦夷地の仏教界で大きな力を持つ。

1550
松前の蛎崎李広、瀬田内の首長ハシタイン(道南西部の首長)、知内の首長チコモタイン(道南東部の首長)が会談、和人地を上ノ国から知内のラインより南として合意し和睦。
この和睦で確定された和人地は、コシャマイン戦争時の道南12館の占有地の約1/3に縮小。
この和睦により、アイヌ諸部族連合体は和人勢力を渡島半島の一角に追いやることに成功しており、コシャマインの蜂起以来の一世紀に渡るアイヌの戦いは、軍事的には成功したとも言える。
これより一世紀弱の間、平和な時代が訪れる。

1551
蛎崎李広、「夷狄の商舶往還の法度」を制定、アイヌに対する交易の優位を確立。

1565
ルイス・フロイスによりはじめてヨーロッパにアイヌの情報が伝わる、出羽国の秋田に、アイヌが多数交易にくる様子などを記録。

1591
東北の九戸政実の乱の際、篭城した兵士の中に夷人(アイヌ)が二人おり、酒を振舞ったところ、箸(パスイ?)のようなものを載せて酒を飲んだとの記録がある(氏郷記)。

1593
豊臣秀吉、蛎崎慶広(後に松前と改姓)に朱印状を与え、蝦夷島の支配権を公認。
これにより、秋田氏の代官から大名になる(松前藩成立)。慶広、この朱印状を道南地域東西のアイヌを集め、アイヌ語で読み聞かせる。

1599
蛎崎慶広、大阪城で徳川家康性に謁見、蝦夷地の地図を献上、性を松前に改める

1604
松前慶広が征夷大将軍・徳川家康から黒印状によりアイヌとの交易権独占を認められる
この黒印状により、和人の商船は全て松前藩を通してアイヌとの交易を行う事になり、アイヌの本州島の和人との直接交易は禁止された。

近江商人が松前に進出。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水) 14:58:32 ID:gIVFYen4.net
>>6
和睦と見せかけて暗殺のパターン多すぎワロタ
アイヌ人もお人好しなのかね。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/03(木) 00:32:24 ID:Jz6+EPL/.net
資料・記録がない(>>6が全て)
説話や伝承すらない
正直ネタ探してもないがなという感じ

戦国時代の括り外せば話せるネタはあるだろうけど…
それじゃ板違いなわけで

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 14:32:32 ID:3atUouFQ.net
大阪の陣の頃には津軽にもアイヌの部族が定住していたと聞いた。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 21:45:12 ID:GxWz0wTh.net
シャクシャイン
シャクシャイン(沙牟奢允、アイヌ語:サクサイヌ saksaynu または サムクサイヌ Samkusaynu、1606年(慶長11年)? - 1669年11月16日(寛文9年10月23日))は、江戸時代前期の北海道日高アイヌの首長。シャクシャインは蝦夷地全域のアイヌ民族へ松前藩への戦いを呼びかけた。1669年6月、シャクシャインの指導するアイヌ軍は松前藩へ蜂起を起こした。これがシャクシャインの戦いである。蜂起は各地で発生し砂金掘りや交易に訪れた船舶や鷹待を攻撃、和人を殺傷した。シャクシャインは松前を目指し進軍、7月末には現在の山越郡長万部町のクンヌイまで攻め進んだ。松前藩から急報を受けた徳川幕府は東北諸藩へ松前藩に対する援軍や鉄砲・兵糧の供与を命じ実行された。
クンヌイでの戦闘は8月上旬頃まで続くが、シャクシャイン勢が和人側の妨害により渡島半島のアイヌと連携できなかったのに対し、松前軍は幕府や東北諸藩の支援を受け、鉄砲を多数装備していた。これにより戦いはシャクシャイン側の劣勢となり、シャクシャイン軍はクンヌイからの敗退を余儀なくされた。シャクシャインは10月23日(11月16日)に現在の新冠町にあたるピポクの松前藩陣営で謀殺され、指導者を失った蜂起者たちは松前軍に降伏した。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火) 22:56:40 ID:+q0fICBb.net
蜂起→暗殺がいつものパターン

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水) 03:09:57 ID:LQSLCePQ.net
>>10
本当にそのとおりだから困る

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水) 21:29:30 ID:2FMgl9Ur.net
アイヌ交易ってどんぐらい儲かったんだろうか
何を扱ってたんだ
鮭とか?

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 20:51:34 ID:3SRv1jat.net
>>14
アイヌ交易はアイヌ側は鮭の干物や干し鮑などの海産物の干物、また毛皮等などを取引していたようです
儲けは都市で売りさばいた回船問屋はなかなかのものだったと考えられます
干し鮑なんかは中国にも輸出されてたようですし

アイヌの歴史は和人の資料を介してしか出てこないから、
アイヌの中で何があったかはほとんどわからないのがつらいですね

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 20:00:16 ID:018tXazw.net
某ナコルルが好きだったから、狂ったようにアイヌの事勉強したなぁ。十年前。

好んで読んでた萱野繁さんの本は、内容が民俗や食事、民話がほとんどだったから
このスレには期待。
no title

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 22:06:06 ID:018tXazw.net
アイヌ民族って、戦後マッカーサーに「自地区やるから独立しないか」と誘われて
「んなモンいらねーから日本かえせ」て返事したんだよね。
ゴタゴタはあったんだろうけど、同化政策は比較的うまくいってたのかな。

やっぱり文字文化がなかったのが悔やまれる。
まともに残ってる記述が反乱の事しか無いなんて、ちと寂しい。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 22:21:32 ID:3SRv1jat.net
>>20
うまくいったというよりは、完全にアイヌ社会が破壊されたため、その後の世代では混血が進むなどして、
民族意識が非常に弱くなってしまったりしたのではと思われます

また、同化政策によってアイヌ民族の人口が激減したことや
当時はアイヌ民族は社会的には被差別対象であったことも多少は影響しているかもしれません

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 17:07:03 ID:qszVeDPP.net
それでも>>21が言うように、文化的、社会的にズタズタだった当時のアイヌが
国を持ったとしても護持できなかっただろうし、自治区を貰ったところで
「先住民族の権利」なんて概念が皆無の当時の和人からは、
自分達はこんなに大変なのに何であいつらだけ、とか思われただろうな。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月) 00:19:50 ID:5d+Aywpw.net
だめだ、自分なりに調べてみたけど、こと歴史に関しては、このスレで書かれてる以上のものはみつかんないや。

詳しい人に質問。
変わり者のアイヌ人が、どこかの勢力に仕官してたとかはなかったの?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月) 01:29:48 ID:wGEncbLv.net
>>27
聞いたことはないです
ただ、九戸政実の乱では蛎崎氏がアイヌ部隊を率いていたことが記録に残っているようです

あともしかしたらですが、
交易の際には通訳を介していた(それくらいアイヌ語は日本語とは全く異なる)と思われますから
松前や函館などの北前船の寄港地で働くアイヌの人もいたのかもしれません
根拠はないですが

後、道外にもアイヌが居住していたのは地名の分布からほぼ間違いないようです
東北にもアイヌ語由来とみられる地名は多く残っています

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月) 10:24:37 ID:5d+Aywpw.net
>>28
なるほど。
居たかもしれないけど、記録に残ってないのは出世した人はいないからって事なのかもね。

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/09(土) 15:59:25 ID:pG12Uk4+.net
松前氏が実はアイヌだったって説もあるよね。あと、青森なんかには同化したアイヌがいっぱい住んでたとか。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/09(土) 18:37:03 ID:1n0o6FqB.net
>>44
蛎崎家は若狭武田家の流れを自称してますが、
激しく疑わしいのは事実ですね
若狭武田家の記録に蛎崎家の祖武田信広は存在しませんし、
南部家の記録では南部氏庶流の流れであると書かれているように、
そのルーツは謎という感じです

後、アイヌの居住圏や行動範囲は想像以上に広いとされ、
東北地方・北海道・樺太・千島にその分布は広がり、
交易圏も対本州のみならず、中国・朝鮮や沿海州一帯までをも含んでいたようです
それ故、東北地方にもアイヌ語由来の地名とされる地名が残っているそうです

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 22:16:20 ID:gRyPQRAK.net
>>45
他にカムチャッカ南部や沿海州にもアイヌがいたらしいね。

56: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/01(月) 01:51:43 ID:v1HlaR7b.net
新年の行事とかあったのかね?

57: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/01(月) 17:27:09 ID:4BoTKAO7.net
>>56
今のアイヌはアシリパノミ(アシリパエクカムイノミともいう)を行う。
祭壇にイナウ(木幣)を立て、料理と酒を供える。アペフチカムイ
(火の神)などの神々に「今年もつつがなく過ごせますように」と
祈り、イクパスイ(酒捧箆)で酒をイナウに振りかけて神に捧げる。
その後はたいてい宴会になる。
なお、正月にこのようなカムイノミ(祈願儀礼)を行う習慣が
いつ頃から出来上がったのかはよくわからない。戦国時代まで
遡るものではないかもしれない。

68: 人間七七四年 2007/02/23(金) 21:24:53 ID:YjyC9c4/.net
アイヌ民族自身は「ナコルル」を毛嫌いしている。

今までアイヌ民族に興味を持つ和人といえば、民族学者でなければ
朝鮮人や沖縄や部落と組ませて大和民族社会の破壊を企むブサヨか、
興味本位の観光客だった。
いずれにせよ、招かざるものどもだ。

そのうえそれに「キモオタデブ」が加わったんだからね。「ナコルル」のせいで。

69: 人間七七四年 2007/03/05(月) 18:42:12 ID:Uy/dKAn9.net
まあ、なんであれ興味持つ人が増えるのは良いことなんじゃないのかな。

と思う。

70: 人間七七四年 2007/03/18(日) 02:41:56 ID:V1flTZpo.net
「ナコルル」は知られていないだけ。

サムスピでのナコルルは、作を重ねるごとに設定やキャラクターの「精度」は改善されていったが、必殺技の名前がアイヌ語としてマトモになったころには人気も下火になっていて、ちょっと微妙。
サムスピが出始めた当初は、いろいろな情報が今ほどスムーズに流通していなかたので、これは仕方がないね。

「アイヌ民族」とは「日本人」と同じく、いろいろな人を含んでいる言葉。
その中には当然サムスピ好きもいる(キモオタデブもいる)。

75: 人間七七四年 2007/05/03(木) 17:51:36 ID:/msQN8B0.net
ナコヲタは侍魂ファンの間でもうざがられてるよ。



アイヌって、インディアンみたいにいろんな部族に分かれてたんでしょ?
たまにもし、織田信長レベルの統率者が現れてたら、って妄想してしまうw

80: 人間七七四年 2007/06/27(水) 16:19:16 ID:m6vbeXQb.net
東北の人ってアイヌっぽい顔立ちの人が多いよ
髪の毛がクルクル天然パーマな人もけっこういるし
この辺で出土する縄文人の人骨はアイヌそのものらしい
朝廷と戦っていた民族エミシは本州アイヌだそうだ

日本刀の起源はアイヌの湾刀だそうだが

81: 人間七七四年 2007/06/30(土) 08:28:39 ID:AyDb5ubv.net
アイヌというのは縄文人の一種。


91: 人間七七四年 2007/07/01(日) 02:05:19 ID:e+RKEL1n.net
能登半島はアイヌの子孫多いって聞いたことある

93: 人間七七四年 2007/07/04(水) 10:33:23 ID:KYiXzCnC.net
アイヌ勢力が天下撮りしたら面白いかも。

94: 人間七七四年 2007/07/13(金) 01:42:29 ID:SteXWgbU.net
>>93
アイヌを統一する勢力自体が生まれなかった。

95: 人間七七四年 2007/07/18(水) 02:35:07 ID:EDTjZf0/.net
本州も弥生人の侵入や中国文明の流入がなかったら
アイヌみたいな狩猟採集生活してたんだろうな

96: 人間七七四年 2007/07/18(水) 02:52:08 ID:FRhGKe59.net
>>95
弥生人は縄文人と渡来人の混血

縄文人は丸木舟を操って大陸と交易していたから、いずれ独力で稲作を導入していたと思う

97: 人間七七四年 2007/08/04(土) 10:44:15 ID:/0dgnXOe.net
一応アイヌも農耕してなかったか?
粟栽培とか

98: 人間七七四年 2007/08/14(火) 03:51:31 ID:P19Qg47d.net
天下人が見向きもしなかったから
平和だったろうね

99: 人間七七四年 2007/08/14(火) 05:01:53 ID:ndgwc3Na.net
東北も見向きもされてません^^

100: 人間七七四年 2007/08/15(水) 11:50:26 ID:IeXkGn8t.net
アイヌだって、戦争はしたし、
強盗団が横行して、必ずしも平和だったとはいえない。

戦争も、略奪が目的だろう。
北海道統一して独立国家建設が目的だったら、ずっとましだったのだが。

103: 人間七七四年 2007/09/10(月) 14:12:12 ID:ktNuQCAU.net
>>100
どちらかというと狩猟系だから

104: 人間七七四年 2007/09/16(日) 01:26:11 ID:fGWhJsuF.net
>>103
アイヌは一部農耕もしていたようだが、基本狩猟採集経済だからね。
まだ、国家を形成する段階ではなかった。
遊牧民も、部族ごとにまとまりはあるが、国家以前だね。
やはり、農耕をやって、田や畑を外部から守らねばならないてことから、
まとまって戦う→統率する人物が必要→身分階級が発生てことから、国家ができてきたのかな。

101: 人間七七四年 2007/08/16(木) 05:07:31 ID:PC9va7mf.net
へえーーアイヌ語わからないけど面白そうなー。アイヌの人たちと友達になってみたい。

105: 人間七七四年 2007/10/02(火) 16:02:03 ID:giOdKHRL.net
狩猟採集経済を主とする 国家の形成ってあったなかな?
遊牧系は心当たりがあるが

106: 人間七七四年 2007/10/04(木) 16:34:12 ID:GRJnLAGx.net
ツングース系が一番近いかなぁ。女真族とか
ツングース系民族(ロシア語:Тунгус;Tungus、英語:Tungusic peoples、中国語:通古斯;T?ngg?s?)は、満州からロシア領のシベリア・極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース諸語に属する言語を母語とする諸民族のこと。

女真(女眞、じょしん)は、女直(じょちょく)ともいい、満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州にかけて居住していた満州民族。10世紀ごろから記録に現れ、17世紀に「満洲」(「マンジュ」と発音)と改称した。

108: 人間七七四年 2007/10/11(木) 16:35:50 ID:5UjKnepV.net
>>106
女真か、なるほど、アイヌ国家も無きにしも非ず?

107: 人間七七四年 2007/10/10(水) 15:43:38 ID:oGz26LwK.net
良スレだからあげ

109: 小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI 2007/10/11(木) 18:02:57 ID:xJ9nJw6E.net
創価?
アイヌは地域間で特色あるから
一つにまとまるのは難しいと思われ

110: 人間七七四年 2007/10/30(火) 13:46:46 ID:H5hnoblB.net
アイヌって 八~十二世紀ぐらいは擦文文化といって 
鮭猟の他に大麦 蕎麦 粟 稗 蔬菜類の栽培を行っていた。
ところがこれ以後の古アイヌ文化に移行すると
農耕生活を希薄とし 猟漁撈民的色彩を強めたんだってさ。

111: 人間七七四年 2007/10/30(火) 15:38:48 ID:8Z6N3T6v.net
>>110
外から来たいわゆる和人との交流・交易の拡大が背景にあると言われてますな

おそらく、穀物類が交易で手に入るようになったので、それらを作る必要性が薄れ、
逆にアイヌ側が交易材料とする水産物等の狩猟・漁業的な部分に集中していったのでしょう

ただ、祭事のために酒を作っていたと言われてるから、
完全に作らなくなったというわけではないようですが

121: 人間七七四年 2008/02/29(金) 16:57:55 ID:TUOEtiRt.net
戦国期のアイヌ人口は2万人ぐらい?

122: 人間七七四年 2008/03/21(金) 16:32:08 ID:ayBKqUcg.net
1807年に26,256人。それから1931年の15,969人まで減っていく。(ちなみに1993年は23,830)
これをどう読むかだな。

134: 人間七七四年 2008/07/13(日) 03:45:47 ID:gaPDLxxo.net
北海道に点在していたんだろ?
人口密度やひとつひとつの集落の規模も小さかったんじゃない?
そんなアイヌ諸部族を統合するにはアイヌ自身が政治的にも未熟だし、
原始的な部族社会を継続する運命にあったんでは?

136: 人間七七四年 2008/08/04(月) 16:00:18 ID:/y+OQY7T.net
狩猟を生業とするとテリトリーは広いよね

152: 人間七七四年 2008/10/18(土) 14:17:31 ID:pJgkJfZ0.net
アイヌは国家とか考えなかったんだろうね。

161: 人間七七四年 2008/12/17(水) 02:09:17 ID:kV1QbaPZ.net
俺が松前藩主ならしっかり同盟結んで兵募って最北から天下狙う

165: 人間七七四年 2008/12/29(月) 15:25:19 ID:rUJdqvyX.net
>>161 強そうですね。

166: 人間七七四年 2009/01/05(月) 00:50:02 ID:nJ9yi+YJ.net
>>161
賢そうですね。

162: 人間七七四年 2008/12/17(水) 17:30:36 ID:NVFW9EUH.net
俺がシャクシャインなら飲み会や合コン、忘年会では
天井に岩が吊るされてないか確かめる。

163: 人間七七四年 2008/12/18(木) 09:26:01 ID:cZLa7YhD.net
>>162
その前に川を挟んだ対岸のアイヌと獲物の取り合いや縄張り争いをしなければ
倭人を襲って戦争にいたって最後に和睦を装った罠に死ぬこともなかったんだから
熊にしても魚にしてもカムイの主権争いからのアイヌどうしの殺し合いが間違いのはじまりだ
資源ナショナリズムの利己によって戦争をはじめたのはアイヌとアイヌなんだからね

167: 人間七七四年 2009/01/23(金) 14:54:46 ID:VLXF5gEA.net
兵募るほどの人口がいたかな

168: 人間七七四年 2009/02/06(金) 14:33:29 ID:WPaJpFE3.net
2万人ぐらいかな

169: 人間七七四年 2009/02/08(日) 07:07:22 ID:KqIi4XCm.net
コシャマインの時に1万人規模を動員したとあるな。
これが事実だとしても、まぁ総動員・短期間だから出来たんだろうけど。

185: 人間七七四年 2009/06/11(木) 21:26:51 ID:L127ZnZ1.net
このころのアイヌて人口3万とか50万とか言われてる
けどどっちが本当なの?

186: S.C.為作 ◆S.C.T/lLWs 2009/06/11(木) 22:02:03 ID:l8xlJHaF.net
アイヌは蝦夷や津軽だけでなく出羽や千島や北蝦夷にもいるぞ

187: 人間七七四年 2009/06/25(木) 15:43:24 ID:tZyHKSFC.net
北蝦夷とは?樺太か?

188: S.C.為作 ◆S.C.T/lLWs 2009/06/25(木) 16:38:54 ID:hinMZd6U.net
>>187
現在の樺太のこと

201: 人間七七四年 2009/10/09(金) 14:57:01 ID:tWGd3wYx.net
樺太には結構アイヌいたみたいね。

202: 人間七七四年 2009/10/19(月) 15:59:50 ID:WUJzUyW2.net
でも日本人が圧倒的に多かったんだしょ。樺太の人口構成。

203: S.C.為作 ◆S.C.T/lLWs 2009/10/20(火) 09:10:18 ID:KB4UXnz2.net
>>202
戦国時代の時点で既に樺太の人口は
日本人>アイヌだったのか?
安東氏の下でアイヌが自治していたと思ったが

205: S.C.為作 ◆S.C.T/lLWs 2009/11/03(火) 01:54:47 ID:MEmJLCLd.net
カムチャツカのアイヌや日本人は戦国時代に何やってたんだろうな

221: 人間七七四年 2010/08/21(土) 17:52:23 ID:C+Pm/Ucg.net
>>205
言うまでもないがカムチャッカに日本人はいなかったし、
アイヌ人も南端だけ。
普通に江戸時代末期までは日本人の居住地は牡鹿半島南端に限られてたし、
樺太、千島、カムチャッカに日本人はおろか日本支配すら及んでなかった。

明治以降に幾分、「日本人がいた」という捏造がされただけ。

227: 人間七七四年 2010/09/04(土) 22:02:27 ID:fQ1BZzIz.net
>>221
誰も突っ込まないから俺が突っ込んどくか。
牡鹿半島じゃなくて渡島半島だろ!
宮城と北海道の区別がつかないとか、どんだけ~。

207: 人間七七四年 2009/11/25(水) 15:20:08 ID:cHMk97PG.net
アイヌって平和好きだよね

209: 人間七七四年 2010/01/04(月) 12:15:57 ID:RervCUF0.net
そう好戦的ではない。

210: 人間七七四年 2010/02/21(日) 07:19:53 ID:ZgALtC0v.net
攻め入ったりしないからな

215: 人間七七四年 2010/06/07(月) 23:30:20 ID:S1i2H87T.net
アイヌは好戦的ではなく、
かなり平和主義だったみたいだな…

「近世蝦夷人物誌」

とか読んでて鬱になる…

216: 人間七七四年 2010/08/20(金) 11:23:56 ID:uV1YfWUI.net
戦国アイヌの武器を教えて下さい

217: 人間七七四年 2010/08/20(金) 11:44:41 ID:jIztnSAQ.net
弓矢の鏃の素材が気になるな。
刃物は交易で手に入れたにしても。

218: 人間七七四年 2010/08/20(金) 12:14:20 ID:uV1YfWUI.net
>>217
弓矢に関しては毒矢は間違い無いにして問題は石鏃の使用の有無ですよね
石鏃の使用も考えられますがこの時代まで石鏃作成技術を伝承してたか微妙なとこ
逆に和人の鉄鏃鋳造技術がキチンとアイヌに伝わってかも微妙なとこ


257: 人間七七四年 2013/11/01(金) 18:10:46.45 ID:QjQ2PZ9V.net
アイヌ勢力が天下撮りしたら面白いかも。

引用元: 戦国時代のアイヌ