1: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 17:52:10 ID:WZArfc7R
戦国時代の始期と終期について議論しましょう

始期
1)享徳の乱(1455年)
2)応仁の乱(1467年)
3)長享の乱(1487年)
4)明応の政変(1493年)

終期
A)室町幕府崩壊(1573年)
B)小田原の役(1590年)
C)関が原の戦い(1600年)
D)大阪の陣(1615年)
no title


3: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 18:38:56 ID:lt/E3j6B
戦国時代てのは、鎌倉時代や室町時代みたいな政権による時代区分ではなくて、
長い戦乱の時代をさしている、雰囲気的な呼び方なんだよね

開始はよくわからんが、終わりのほうは、
義昭追放は、あくまで室町の終了であって戦国の終わりではない
個人的には、秀吉の統一までが戦国という感じ

6: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 20:04:44 ID:7WfdS4hm
>>1
九州征伐までが戦国

7: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 20:09:16 ID:VTQmEZdE
秀吉の統一まで。

8: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 20:21:37 ID:kt8WrWWI
切りがいいので関ヶ原まで

9: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 20:34:22 ID:xajQCAlt
当時の人間の意識からすると、「戦国の世」と言うのは元亀天正年間の事だったようだ。
元亀(げんき)は、日本の元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。

天正(てんしょう)は、日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。

10: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 21:02:24 ID:X27wzf/x
当時、戦国の世なんて言葉が一般化されていましたか

12: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 21:05:19 ID:xajQCAlt
>>10
日葡辞典にも「戦国」って言葉は収録されてるぞ。

13: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 21:06:01 ID:8cShARFA
島原の乱まで

14: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 21:10:31 ID:xajQCAlt
「戦国の風」がほぼ消滅したとされるのは、五代将軍綱吉の頃。
これより後の日本人は、士農工商ひっくるめてものすごく文化的になる。

92: 人間七七四年 投稿日:2010/04/13(火) 06:00:08 ID:DObfkkTS
>>14
文化的って言ったら、戦国時代も安土桃山時代も江戸時代初期も、庶民も十分文化的だけどな。
まあ言いたい事は分からないでも無いけど。

15: 人間七七四年 投稿日:2008/07/19(土) 21:36:22 ID:Hv9yNpms
個人的な考えとしては
足利将軍家の実権が無くなった明応の政変から
秀吉による天下統一が成し遂げられた小田原までだと思うな

21: 人間七七四年 投稿日:2008/07/20(日) 11:45:19 ID:vfObDhbA
教科書とか学術的な取り決めはわからないが
一般には
応仁の乱から大阪の陣ぐらいじゃないか?
戦国好きが興味示すのは
北条早雲ぐらいから島原の乱あたりだよな

22: 人間七七四年 投稿日:2008/07/20(日) 21:50:20 ID:e2s4QqvH
戦国時代の終わりを、
国内の戦闘が終結したと見るなら島原、
徳川家の天下統一と見るなら大坂の陣、
戦国大名の終焉と見るなら小田原の役、
室町幕府の滅亡と見るなら義昭の都落ち。

それぞれがそれぞれに一定の根拠と欠点があるのでどれが正解とはいえない。
個人的には小田原の役で戦国時代終了と見るけどね。

24: 人間七七四年 投稿日:2008/07/20(日) 22:14:50 ID:VwQRMG8h
しかし秀吉の統一後、国内が平和に統治された時期が10年程あるわけで、
そのころを戦国時代と呼ぶのは違和感があるなぁ

と個人的には思う

32: 人間七七四年 投稿日:2008/07/21(月) 12:33:47 ID:jXl2pIw+
教科書的には、あくまで、
室町時代→安土桃山時代→江戸時代、であって

室町幕府衰退後の群雄割拠の長い戦乱状態の時期のことを、
中国の戦国時代になぞらえて、後世のひとが「戦国時代」と称したわけなんだろ?

群雄割拠の戦乱期、という意味からすると、
明応の政変から、秀吉が天下統一するまで、って感じがするんだがなぁ

34: 人間七七四年 投稿日:2009/01/01(木) 11:52:41 ID:75dBz+oJ
世間的には、応仁の乱から大坂の陣まで、だろうね。

44: 人間七七四年 投稿日:2009/02/03(火) 19:30:41 ID:3EgBMRae
 学校の教室の後ろに貼ってある年表の記憶では、「戦国時代」とは
応仁の乱~安土桃山時代の中・末期だ。

 具体的な終わりは、家康が秀吉に大阪城で挨拶(臣下・屈伏)するまで。

 1590年代だろうが、そこまで知らない。

45: 人間七七四年 投稿日:2009/02/04(水) 01:04:42 ID:M7tLJolk
節子、それ1590年代ちゃうで

46: 人間七七四年 投稿日:2009/02/04(水) 02:53:11 ID:JVeUeH/P
学生時代に習った時は、1467~1573だったけど…

始まりはともかくとして、
形式上の終わりは1611年の二条城の会見…秀頼が
家康に会いに行った時。これによって、豊臣家が
徳川家の下に付いた形。実質的な終わりは1615年
の豊臣家滅亡…元和偃武の到来か。コレで下克上
の時代が一旦終了した。

47: 人間七七四年 投稿日:2009/02/04(水) 10:39:26 ID:tfWp4tOk
下克上の停止をもって戦国の終了、という考え方は正しいと思う。

49: 人間七七四年 投稿日:2009/02/04(水) 17:56:06 ID:M7tLJolk
>>47
同意
明応の政変から大坂の陣までが戦国だろう

48: 人間七七四年 投稿日:2009/02/04(水) 12:01:21 ID:JVeUeH/P
1605年の家康→秀忠への将軍職世襲で、将軍への
下克上が終わった…と言えない事もない。けど、
秀忠の娘婿でもある秀頼が健在である限り、徳川
での世襲と決まったわけではないからなぁ…


やはり、豊臣家滅亡を以て戦国の終焉と…(私見)

50: 人間七七四年 投稿日:2009/02/04(水) 20:45:58 ID:aZbRdPHb
そもそも戦国時代なんて言葉が適当でないんでない。
本当の意味合いでの室町幕府終了は義昭が将軍職を降りた時だし。
家康が征夷大将軍になった時点で江戸時代の始まりだしね。

戦国期といわれる時代は日本史において重要なターニングポイント
だけど、逆に正式な日時を定められないから、戦国期なんじゃないかな。

55: 人間七七四年 投稿日:2009/04/28(火) 00:55:06 ID:Pzv7Waoz
1573年の室町幕府事実上滅亡もこじつけ臭い話だよな。
実際それまでにも追放されることもあったし、重要な領地を失うこともあった。
組織の人間が逃げ散ることもあったわけで、
山科の御領所を失ったからという理由で滅亡というのは根拠が弱い。
ぶっちゃけ、既存説を維持するための便宜上の説としか思えないんだが。

62: 人間七七四年 投稿日:2009/06/08(月) 22:33:50 ID:KL0xxXjL
個人的には嘉吉の変から島原の乱までだな、戦国って言うのは。
嘉吉の乱(かきつのらん)は、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。嘉吉の変(かきつのへん)とも呼ばれる。

63: 人間七七四年 投稿日:2009/06/19(金) 09:21:36 ID:VbZwyI0n
室町生まれの真田信幸が死んだ1658年で

64: 小泉純一郎 投稿日:2009/06/19(金) 13:22:26 ID:30MiVSrC
戦国武将が生きていた時代、そこが戦国時代なんです。

65: 人間七七四年 投稿日:2009/06/19(金) 18:13:08 ID:SaPmmA8I
戦国時代ってなんとなく室町幕府体制から外れた
諸大名の直接的武力権力闘争時代って感じがする。

始まりはよくわからないけど
終わりは大阪夏の陣までかなと思う。

その後の島原の乱は一揆食が強いし・・・・

とたいして歴史に強くない俺がいってみる

66: 人間七七四年 投稿日:2009/06/20(土) 06:46:24 ID:DlUFsjfp
戦国の気風は江戸前期まで残ってたけど、戦国の世が終わるのは元和偃武が成ったときと考えて1615年かねぇ

教科書だと室町時代の終わりだけど。
元和偃武(げんなえんぶ)とは、慶長20年(元和元年・1615年)5月の大坂夏の陣において江戸幕府が大坂城主の羽柴家(豊臣宗家)を攻め滅ぼしたことにより、応仁の乱(東国においてはそれ以前の享徳の乱)以来150年近くにわたって断続的に続いた大規模な軍事衝突が終了した事を指す。江戸幕府は同年7月に元号を元和と改めて、天下の平定が完了した事を内外に宣した。

67: 人間七七四年 投稿日:2009/06/20(土) 07:29:39 ID:r3xbQIll
桃山は認めてもいいけど、安土は納得いかんなー

68: 人間七七四年 投稿日:2009/06/20(土) 23:58:52 ID:YYYv4NlW
最長 応仁の乱勃発~大坂夏の陣
最短 応仁の乱終結~秀吉の奥州仕置
ってとこか?

70: 人間七七四年 投稿日:2009/06/21(日) 19:43:50 ID:h9xTquRU
関東管領山内上杉に謀反した長尾景春の乱からだな

72: 人間七七四年 投稿日:2009/07/06(月) 22:03:18 ID:qH6+m4hO
>>70 戦国時代の始まりについては、
1476(文明8)年の「長尾景春の乱」も有力ですね!
ただ、長尾景春の場合は、北条早雲の場合と異なり、乱が成功していません。
太田道灌らに鎮圧されていますから、
やっぱり通説の北条早雲の伊豆討入り(1493)からを支持したいです。

73: 人間七七四年 投稿日:2009/07/06(月) 22:13:27 ID:f64YCn8L
関東に関しては、鎌倉公方の古河移座があった、享徳の乱からってのが、
ほぼ定説になっているでしょ?>戦国の始まり

74: 人間七七四年 投稿日:2009/07/07(火) 02:40:14 ID:wqM4bhVM
そもそも景春の乱自体が享徳の乱の1エピソードじゃないか
享徳の乱(きょうとくのらん、享徳3年12月27日(1455年1月15日) - 文明14年11月27日(1483年1月6日)は、室町幕府8代将軍足利義政の時に起こった室町時代の関東地方における内乱。第5代鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺した事に端を発し、幕府方、山内・扇谷両上杉方、鎌倉公方(古河公方)方が争い、関東地方一円に拡大し、関東地方における戦国時代の遠因となった。

75: 莫邪 ◆Bakuya.ugA 投稿日:2009/07/20(月) 22:30:00 ID:pBpkjebG
終了は「戦国の長老」真田信之の死去で(1658年)

78: 人間七七四年 投稿日:2009/10/31(土) 08:45:58 ID:2Fg0k2iy
未だに続いています

79: 人間七七四年 投稿日:2009/12/16(水) 15:23:36 ID:IoZ66wKQ
戦国時代の始まりは明応の政変からでしょうね。
で、終焉は年号が元和に改元され“元和偃武”宣言をした時ですね。(この日の50年後、100年後にそれを祝う催しを幕府が開いています)
歴史は中央政庁の歴史なので、これが一番の正論でしょうね。

82: 仙台藩百姓 投稿日:2009/12/27(日) 10:33:55 ID:htwPYb2e
室町幕府って初めから戦乱続いてるおね( ^ω^)

84: 人間七七四年 投稿日:2009/12/29(火) 14:56:47 ID:4ZFjokV+
>>82
個人的には戦乱って言うより、ごたつきっぱなしって言う印象が強いかな。

83: 人間七七四年 投稿日:2009/12/27(日) 14:19:44 ID:+MQzUgek
室町期の文献を見ると、足利義満の時代から応仁の乱までの100年間ほどは、たしかに
平和な時代だと認識されている。実際にこの間日本の軍制や軍事技術はむしろ停滞している。

96: 人間七七四年 投稿日:2010/12/09(木) 07:32:06 ID:M/GPscy2
戦国時代の定義を
「中央政権の弱体化で社会秩序が乱れ戦乱が各地で起きている状態で、
 新秩序や支配体制が全国に普及するまでの間」
と捉えるなら
応仁の乱~秀吉天下統一達成まで

と言いたいところだが
それだと豊臣政権時代が短すぎてアレなので
終わりは家康天下統一達成(大坂夏の陣)まで
とするのが妥当だな

室町時代は義昭京追放まで
江戸時代は家康征夷大将軍就任から

97: 人間七七四年 投稿日:2010/12/11(土) 09:37:51 ID:7Aq3ov0S
室町幕府は中央権力が弱すぎて統制が効かなくなったのがハッキリしないから揉めているのだが。
少なくても応仁の乱は決定的要因じゃない。

98: 人間七七四年 投稿日:2010/12/12(日) 02:21:02 ID:oqQqk+j+
戦国始期は応仁の乱でいいと思う。

幕府権力の失墜に関しては決定的じゃないけど、
足軽の活躍や、全国規模での合戦の常態化、
あってはならない首都での大規模長期間戦闘、
守護大名の疲弊による守護代や国人勢力の台頭など、
転機とするには十分な要素が揃ってると思う。

幕府権力の「決定的な」失墜を条件に持ち出すと、
義昭追放まで戦国時代は訪れないことになるから変だ。
応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した内乱。8代将軍足利義政の継嗣争い等複数の要因によって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が争い、九州など一部の地方を除く全国に拡大した。乱の影響で幕府や守護大名の衰退が加速化し、戦国時代に突入するきっかけとなった。

99: 人間七七四年 投稿日:2010/12/13(月) 22:04:29 ID:XDzY7obJ
それだったら、享徳の乱の開始時が始期じゃないとおかしい。
朝敵に指定された足利成氏が結果的にもともと影響力が及んでいなかった伊豆一国の喪失だけで安堵されて、足利幕府の軍事力を退けたのだから。
応仁の乱は単に京都で発生したというだけで、名だたる武将が死んだわけでもなかったし、被害だって後の天文法華の乱の際の類焼の方が大きかったという説もある位だ。

100: 人間七七四年 投稿日:2010/12/14(火) 00:23:04 ID:E/5ppm+p
享徳の乱と応仁の乱の大きな違い

享徳の乱…地方の戦乱。幕府が積極的に介入
応仁の乱…中央二分の戦乱。幕府機能せず

101: 人間七七四年 投稿日:2010/12/21(火) 23:32:34 ID:T7cn+ws4
応仁の乱の後は京の間近の近江ですら六角氏が戦国大名らしい振る舞いをして楯突くからな

102: 人間七七四年 投稿日:2010/12/23(木) 07:49:56 ID:2h42FUk/
いや、守護が反抗的なのは応仁の乱以前からだし
応仁の乱の原因の1つとされる斯波氏の内紛だって、斯波義敏が享徳の乱鎮圧のために出兵を命じられたのに抗命したために義政に守護を放逐されたのが原因。

107: 人間七七四年 投稿日:2011/07/11(月) 00:39:54.60 ID:qzILMOIL
秀吉天下統一か大阪の陣終結が戦国終期と言うのなら
安土桃山時代とはいったい何だったのか

109: 人間七七四年 投稿日:2011/07/11(月) 00:46:55.82 ID:6mFvO5r/
>>107
戦国期の中のカテゴリでいいんじゃね?

111: 人間七七四年 投稿日:2011/07/16(土) 00:11:36.63 ID:iX/IUgFx
戦国時代の定義は、勢力乱立による司法制度の崩壊だと思う。(NHK高校講座でいう自力救済の時代)
そして東日本のほうが早く戦国時代に突入したはず。

個人的には、
関東、享徳の乱1454年、独立勢力である古河公方の誕生
関西、応仁の乱1471年、朝倉氏の戦国大名化
だと思う。

112: 人間七七四年 投稿日:2011/08/14(日) 12:28:16.65 ID:fzRh0Sw9
当事者たちの認識はどうだったのだろうか

116: 人間七七四年 投稿日:2014/03/28(金) 19:17:14.55 ID:l87umxsz
>>112
すごいぶっちゃけると秀吉の政権が成立するまで室町時代という意識

114: 人間七七四年 投稿日:2014/01/25(土) 15:18:38.90 ID:3IDerC3G
嘉吉の乱で将軍が殺されるという異常事態が発生した時点で乱世の様相を呈している

引用元: 戦国時代っていつからいつまでなの?