no title
1: 人間七七四年 2011/10/21(金) 04:59:55.08 ID:9c+7Ql6f.net
【2代目】父親が優秀だったのに子供が異常に無能な戦国大名の1番は誰だと思う?【無脳】


俺は徳川秀忠に一票!!

まともに戦すら出来ない最弱馬鹿!関ヶ原の遅参や鎖国をしたり日本経済の遅れは秀忠にあり
普通は勝ったものが歴史を書き換えていいふうに評価されるものだが

身内すらもかばいきれない失態のかずかす
関ヶ原などの失態はほんの氷山の一角で歴史には目を見ない失態も絶対あるはずw


千奈美に評価の低い武田勝頼は武田信玄以上の優秀な武将だったと思う
敗者は悪く書かれるもんなんだよw

2: 人間七七四年 2011/10/21(金) 05:17:51.65 ID:7yi/30P0.net
今川氏真一択

3: 人間七七四年 2011/10/21(金) 05:25:30.15 ID:9c+7Ql6f.net
>>2
氏真はそれほど無能だとは思わない
信玄相手に頑張って戦ったよ

8: 人間七七四年 2011/10/21(金) 06:14:01.72 ID:ykFU8/fJ.net
秀忠は平時の将軍としてよくやったろ。それなりの功罪があるにしろ評価される点は多い。
廻りの家臣が優秀者揃いだったのもあるがそれを統べる秀忠も当然評価されていい。

勝頼
無能じゃないにしても結局最期まで状況を全く打開できなかったから凡夫以外の評価意外しようがない。
まぁ初っ端から親父の負債の織田相手は可哀想だがな。
しかし織田側からの和平を蹴り滅びの道を突っ走りほぼ全方面敵にして裏切られまくった末路はどうみても凡夫。


>>2
それは酷。もうちょっと氏真の事を知ってやってくれ。


っか
北畠具房、大友義統、肝付兼亮とか居るのにわざわざ秀忠選ぶとかなんか恨みでもあんのか?w

179: 人間七七四年 2014/01/27(月) 19:41:18.01 ID:HuF4Pc98.net
>>2
最後まで高待遇で生き残った時点で有能だろ
子孫は華族だし
戦国三大大器晩成傑 秀吉、家康、氏真

4: 人間七七四年 2011/10/21(金) 05:38:38.04 ID:UvLb4YJP.net
タイトルに一番が無ければもっと使いやすかったのに……
とりあえず大友義統を推挙

9: 人間七七四年 2011/10/21(金) 06:15:24.88 ID:r7txd6tf.net
ただ統治も政治も非凡だからな、秀忠は。
戦下手ではあっても無能ではないよ

というわけで>>4に一票
あの落差は凄い

7: 人間七七四年 2011/10/21(金) 05:50:27.30 ID:9c+7Ql6f.net
秀忠は戦すら出来ないんだよw

10: 人間七七四年 2011/10/21(金) 06:27:05.04 ID:9c+7Ql6f.net
俺は鬼っ子の松平忠輝が将軍になった方が良かったと思ってるんだがお前らどうよ

120: 人間七七四年 2011/12/07(水) 22:45:07.32 ID:oVkKYUzp.net
>>10
日本がキリシタンだらけになって日本文化滅亡
大和民族終わりだろ

11: 人間七七四年 2011/10/21(金) 06:32:23.80 ID:9c+7Ql6f.net
簡単に書きますと…いくさの面では
秀忠と昌幸では大将の器が違います。秀忠付きの家臣団は上田を攻めるか関が原へ進むかで意見もわかれ秀忠がコントロールできる状態ではありませんでした。
それに対して昌幸は家臣団含め上田の農民までが協力するというものでした。結束力が違いすぎたということです。
そのため秀忠の軍事力は低いという評価になります。

政治力ですが、これも高いとは言えません。確かに江戸幕府の組織強化をはかった面はありますが、あくまで家康が残した仕事を処理したという程度でしょう。
実際に家康は大御所として駿府で死ぬまで政治をとっていますし、家康のブレーン達もいたので能力があったというよりも従順なタイプだったと見るべきではないでしょうか?

12: 人間七七四年 2011/10/21(金) 06:37:47.49 ID:9c+7Ql6f.net
徳川 秀忠 統率21 武勇18 知略73 政治84 義理29  相性78


家康の三男。関ヶ原合戦の際、中山道からの進軍を真田昌幸に阻まれ、父の不興を買う。しかし、凡庸篤実な人柄を父に見込まれ、江戸幕府2代将軍となった。

13: 人間七七四年 2011/10/21(金) 06:41:52.66 ID:r7txd6tf.net
実績のないやつは論じられない >忠輝
あと家臣を使いこなせるのも才能

23: 名無し募集中。。。 2011/10/21(金) 12:30:07.22 ID:Ew9G1M34.net
>>13
忠輝は人気もあるし才能もかなりあったらしい
秀忠は忠輝の人気と才能に嫉妬したんだねw
性格もねくらで嫉妬深い
そのせいかくがん日本を鎖国へキリスト教を禁止にしたんだねw
鎖国こそ日本経済の遅れをとった糞政策

日本の経済の不況の原因は秀忠にあり

41: 人間七七四年 2011/10/22(土) 05:36:28.13 ID:ob5EY5ue.net
>>23
秀忠が「親父に比べて暗愚な息子」なら忠輝だってそのお仲間だろうw
なんでろくに戦もしてない20代で表舞台から消えた忠輝をそこまで持ち上げるのかわからん
小説の読みすぎ

16: 人間七七四年 2011/10/21(金) 07:02:02.84 ID:9c+7Ql6f.net
関が原の遅参ばかりででてくるが
大坂の役で急ぎすぎて兵を疲弊されて怒られたのもかなりアレだろ
同じレベルの大チョンボだし二度も繰り返してることから
俺はこういうのが秀忠の気質からでてるものだとおもうわ

19: 人間七七四年 2011/10/21(金) 09:27:43.20 ID:zks9i0B3.net
関が原が遅参っていわれてるけど決戦の日時が決まってたわけではない
後方を撹乱される恐れのある真田を放置して西上を急ぐのが正しいのか

21: 人間七七四年 2011/10/21(金) 11:22:41.59 ID:9c+7Ql6f.net
>>19
あれだけの兵力差で散々うち任されてかなりの犠牲も出したから負けだろw

25: 人間七七四年 2011/10/21(金) 14:21:49.22 ID:hTyxhfG0.net
>>21
秀忠軍は何人死んだの?

20: 人間七七四年 2011/10/21(金) 11:12:17.43 ID:grL4i3b9.net
勝頼は情勢嫁菜差杉 戦略的にダメ

24: 人間七七四年 2011/10/21(金) 12:44:15.32 ID:GFZ8wAtx.net
織田信忠
北条氏政
毛利輝元

25: 人間七七四年 2011/10/21(金) 14:21:49.22 ID:hTyxhfG0.net
>>24
信忠は電光石火の如く武田を滅ぼしたから
信長も手放しでほめたほどの優秀よ

26: 人間七七四年 2011/10/21(金) 15:02:36.37 ID:+JIaBId2.net
氏政はなあ…
なんて言うか惜しいな

27: 人間七七四年 2011/10/21(金) 16:40:32.30 ID:mVZWhXz3.net
織田信忠は超優秀

29: 人間七七四年 2011/10/21(金) 19:03:12.27 ID:v5Q+2RLG.net
ここまで龍造寺政家なし。

30: 人間七七四年 2011/10/21(金) 19:22:06.10 ID:N4oX6ZOy.net
宮部か大友のどっちかじゃねーの
七本槍の地味な方の加藤さんとこも有力候補かな
加藤明成
天正20年(1592年)、加藤嘉明の長男として生まれる。寛永8年(1631年)の父の死後、家督と会津藩40万石の所領を相続した。慶長16年(1611年)の会津地震で倒壊し、傾いたままだった蒲生時代の七層の若松城天守閣を、幕末まで威容を誇った五層に改め、城下町の整備を図って近世会津の基礎を築く。
堀主水を始めとする反明成派の家臣たちが出奔すると、これを追跡して殺害させるという事件(会津騒動)を起こし、そのことを幕府に咎められて改易された。

31: 人間七七四年 2011/10/21(金) 19:28:50.83 ID:bPJ4XykJ.net
明智に瞬殺された信忠が優秀とかありえんだろ
仁科盛信のほうが数段優秀だわな

32: 人間七七四年 2011/10/21(金) 19:47:38.05 ID:mVZWhXz3.net
>>31
信長の血の気の多い性格を受継いだんだろw

33: 人間七七四年 2011/10/21(金) 20:06:05.99 ID:xO1B58ek.net
信忠に瞬殺された仁科盛信が優秀とかありえんだろ
毛利輝元のほうが数段優秀だわな

46: 人間七七四年 2011/10/22(土) 09:24:05.85 ID:x85x08ek.net
>>33
一万三千vs二千 二条城
五万vs三千   高遠城

信忠のほうがどうみてもカスw

52: 人間七七四年 2011/10/23(日) 11:10:58.83 ID:CZVOfJwh.net
>>46
ただの寝所にすぎない二条城と天然の要害に築城された高遠城と比べるとは
アホやろコイツ

34: 人間七七四年 2011/10/21(金) 20:22:30.45 ID:mVZWhXz3.net
だなw

35: 人間七七四年 2011/10/21(金) 21:16:49.97 ID:PmnZpdqG.net
清正と嘉明の息子だな。改易のされ方があまりにも酷い。

それと宇喜多秀家もなかなか酷い。
加藤忠広
慶長16年(1611年)、父の清正が死去したため跡を継いだ。11歳の若年であったため、重臣による合議制となり、藤堂高虎が後見人を務めたと言われている。家臣団を完全に掌握することができず、牛方馬方騒動など重臣の対立が発生し、政治は混乱したと言われている。また、細川忠興は周辺大名の情報収集に努めていたが、忠広の行状を「狂気」と断じて警戒していた。
寛永9年(1632年)5月22日、江戸参府途上、品川宿で入府を止められ、池上本門寺にて上使稲葉正勝より改易の沙汰があり、出羽庄内藩主・酒井忠勝にお預けとなった。


嫡男・光広が諸大名の名前と花押を記した謀反の連判状の偽物を作って遊んだことが、改易の理由であるとされるが、他にも改易の理由には諸説ある。忠広が家臣団を統率できなかったためとも、法度違反のためとも、駿河大納言事件に連座したためとも言われている。
また、加藤氏が豊臣氏恩顧の有力大名、しかも豊臣氏と血縁関係にあったために幕府に警戒され、手頃な理由をつけられて取り潰されたという説もある。

36: 人間七七四年 2011/10/21(金) 22:47:40.20 ID:co1SkzkR.net
蒲生の息子もお家騒動起こしたな
蒲生騒動(がもうそうどう)は、文禄4年(1595年)から慶長3年(1598年)まで起こった会津若松92万石の領主・蒲生家の御家騒動。
なお、蒲生氏郷の孫蒲生忠知の死後、無嗣断絶に至った御家騒動もまた、蒲生騒動と呼ばれている。

文禄4年(1595年)2月、会津若松の城主・蒲生氏郷が40歳の若さで死去した。このため、氏郷の嫡男である秀行が家督を継いだが、まだ13歳の若年であった。このため、秀行に代わって蒲生家の政務を執行する補佐役が必要となった。このとき、その補佐役となったのが、蒲生郷安という人物である。
この郷安は、もとは六角氏の家臣であったが、六角氏が滅亡した後、氏郷の家臣となった人物である。氏郷は郷安を寵愛し、岩瀬郡の長沼城に3万5000石を与えて厚遇した。それほど有能な人物である。ところが郷安は氏郷存命中から豊臣秀吉の最側近である石田三成と誼を通じていた。(このため、一説に郷安が三成の意を受けて氏郷を毒殺したのではないかという説もなされている。ただ、毒殺説自体は現在ではほぼ否定されている)。
九戸の乱後に氏郷が加増された頃から、蒲生家における家老職にあたる仕置奉行の筆頭として政務を執っていた郷安であったが、文禄の役で氏郷が名護屋に出陣している際に、会津で重臣の蒲生郷可、蒲生郷成らと一触即発の事態を招くなど、家中では対立する人々が多かった。 氏郷の死後、政務を独占したため、蒲生郷可、蒲生郷成、それに小姓組の筆頭格であった亘理八右衛門らと完全に対立するに至った。
ところが郷安は事もあろうに、八右衛門を会津若松城(一説に、蒲生氏の京都屋敷)に誘き寄せて上意討ちとして斬殺してしまったのである。これに激怒した蒲生家譜代の家臣・町野繁仍らは郷安を暗殺すべく、軍勢を集め、両派は一触即発の事態となった。

このような一連の御家騒動が、慶長3年(1598年)に伏見にあった秀吉のもとに届いた。秀吉は直ちに蒲生郷安を召還して取り調べた。ところが、郷安は微罪であるとして加藤清正にその身柄を預けられるだけであった。逆に、蒲生秀行に対しては「御家の統率がよろしくない」として、会津若松92万石から下野宇都宮12万石に大減封されてしまったのである。
その後、会津には新たに越後春日山から上杉景勝が120万石で入った。

37: 人間七七四年 2011/10/21(金) 23:35:59.55 ID:u3W87Otz.net
秀頼はどうなの?
聡明だったという説もあるみたいだけど大阪の陣は何もやってないし

38: 人間七七四年 2011/10/22(土) 00:04:07.22 ID:HnmrBqXS.net
>>37
腹は切った

63: 人間七七四年 2011/10/25(火) 16:20:31.14 ID:31W1OGea.net
>>37
秀頼は無能だろ。
自分の親父が織田秀信に対してどの程度の扱いをしていたか考えるべきだったな。

40: 人間七七四年 2011/10/22(土) 03:13:22.89 ID:iJd+RmK+.net
秀頼は何もしない、出来ないで終わった暗愚の1人だろな。
北畠具房と同義だろうな。

43: 人間七七四年 2011/10/22(土) 07:09:58.06 ID:iDJ7+t3c.net
秀次みたいに内政の功績がはっきりしていたり、
秀秋みたいに武功を立てているのがわかったりするのならともかく、
忠輝の行跡って、家老の皆川広照と揉めたことと、追放されたことくらいだからね

44: 人間七七四年 2011/10/22(土) 08:59:19.69 ID:b4cQhdmT.net
上杉家、毛利家、北条家あたりか

45: 人間七七四年 2011/10/22(土) 09:12:31.10 ID:5+vNKTv4.net
擁護できる部分が一切皆無な大友義統

48: 人間七七四年 2011/10/22(土) 19:17:01.18 ID:2SR1RsEC.net
>>45と信雄で迷う

47: 人間七七四年 2011/10/22(土) 11:48:46.52 ID:X+SntAMs.net
毛利輝元とかカスじゃん。
持上げるやつの気がしれん

49: 人間七七四年 2011/10/22(土) 20:19:23.98 ID:owBKHPXA.net
そもそも宗麟自体がどうなのだろうか?
能力はあるけど人格に問題ありって感じなのかな
しかし父を初めとして弟、子供と悲惨な末路を辿ってるし
義統も大友一族の中だと普通のほうだったりして

51: 人間七七四年 2011/10/23(日) 05:10:37.74 ID:EdqBg3KP.net
武功で有能無能決めるやつ多いけど
秀忠は二代目として幕府の基礎を固めて三代目に繋げるのが役目だから結果を残したから優秀な方だと思う。
真田は徳川と相性悪すぎる

58: 人間七七四年 2011/10/23(日) 14:01:17.92 ID:oOoy4POK.net
小田政治・氏治親子

62: 人間七七四年 2011/10/23(日) 18:00:44.13 ID:ScE9+8Ad.net
>>58無能じゃない…無能じゃない…

ほら部下に慕われてたじゃん

61: 人間七七四年 2011/10/23(日) 14:29:12.66 ID:/hiyNdiB.net
長宗我部盛親

64: 人間七七四年 2011/10/25(火) 23:31:10.63 ID:Lry4TS1z.net
信忠は、弟共が無能すぎるからなあ。そりゃ信長も期待するよな。

65: 人間七七四年 2011/10/26(水) 00:11:26.51 ID:L4DlSTeN.net
信孝はそうでもないし他は早死にしたりとよくわからんし弟達が無能はいいすぎ

信雄はしらん

66: 人間七七四年 2011/10/26(水) 00:48:18.86 ID:VxwCEF74.net
森忠政の息子は、森さんとこの子らしくないよな。

70: 人間七七四年 2011/10/27(木) 17:13:12.76 ID:bi9TEPoM.net
父親だけじゃなく息子の優秀だとダメさが引き立つな。
松平広忠、浅井久政…。

ちなみに織田信忠が何度も出てくるけど、彼の息子の秀信のほうが
むしろ該当するような。
織田一族には信雄という反論の余地のない該当者もいるし。

72: 人間七七四年 2011/10/27(木) 17:41:36.17 ID:5Gvmf30A.net
直江なんかもそうだな

73: 人間七七四年 2011/10/27(木) 22:47:58.37 ID:RITclh1F.net
直江は主君巻き込んで謀反やってるのがなぁ
政務では優秀だし無能ではないんだろうけど

83: 人間七七四年 2011/10/30(日) 00:28:34.76 ID:Qa0EwR/v.net
真田家は関ケ原後加増されてる
信幸を徳川家に出仕させたのは昌幸である
信繁はともかく、武田配下の一国人から大名として存続させた昌幸は間違いなく名将

84: 人間七七四年 2011/10/30(日) 03:13:43.25 ID:+Sme72tS.net
あれだけ睨まれて生き延びた真田信之はさすがだが、ふと思ったんだが二代目と言うのは何処が基準?
独立大名としてなら信之が二代目だろうけど、藩としてなら初代藩主じゃね?

89: 人間七七四年 2011/10/30(日) 12:15:17.16 ID:bwtMc6Dt.net
信之の息子達は無能どころかそこそこの人物だったみたいだから
このスレでは該当しないな

90: 人間七七四年 2011/10/30(日) 13:11:40.57 ID:8K050tDq.net
秀家とかどうよ?こっちは家潰してるし御家騒動もちゃんとしてるし

91: 人間七七四年 2011/10/30(日) 14:20:35.15 ID:Qx+7ci55.net
宇喜多さん家は家臣の二世たちも結構アレだな

92: 人間七七四年 2011/10/30(日) 15:15:27.26 ID:+Sme72tS.net
直家さんの子供とは思えないほどいい子に育ちすぎた。

93: 人間七七四年 2011/10/30(日) 15:16:47.28 ID:Timm14k9.net
直家は狂ってるから

94: 人間七七四年 2011/10/30(日) 19:17:43.68 ID:8K050tDq.net
直家腹黒いけど狂ってたら毎回あんなに信用勝ち取れないだろ
従兄弟は馬鹿だったし


95: 人間七七四年 2011/10/31(月) 07:49:22.54 ID:99YWlwU9.net
敵には容赦ないけど味方には優しそうな雰囲気だよな

96: 人間七七四年 2011/10/31(月) 08:52:03.81 ID:ZmImM8Q7.net
実際、評判は悪くなかったらしい。
立ち回り上手かったと言うのか、天性のカリスマを持っていると言うか、不思議
な武将だ。

97: 人間七七四年 2011/11/02(水) 06:49:15.03 ID:UFTHJaKs.net
堀秀政

秀治、忠俊とじり貧

98: 人間七七四年 2011/11/02(水) 09:30:24.98 ID:P6YODm0C.net
子が無能っていうより
そういう大名家って発言権のめちゃくちゃでかい
態度もでかい重臣連中がうじゃうじゃいるような気がする。
無能なくせに声だけがでかく自己本位w
そんで重臣連中が喧嘩。
まとめ切れない大名が悪いと言えば悪いが
はっきりいって、そんなのまとめようがないだろ実際w

99: 人間七七四年 2011/11/02(水) 11:11:40.30 ID:RMiMJJOW.net
まあ、宇喜多家は当主が幼少だったのがでかいのかな。
畠山家はどうなんだろう。

100: 人間七七四年 2011/11/02(水) 13:37:35.65 ID:9idwuryP.net
宇喜多は親父の代が死んでからが馬鹿すぎる

104: 人間七七四年 2011/11/08(火) 17:47:07.67 ID:huSGsY1m.net
空気読まず調子に乗って母もろとも殺された信康

105: 人間七七四年 2011/11/10(木) 08:33:03.57 ID:ZVrJHl9m.net
逆に親父が無能だったのに息子が有能になったケースは?
信虎と信玄、は親父も無能なわけじゃないか

111: 人間七七四年 2011/11/20(日) 00:55:36.88 ID:8ldDKZFC.net
>>105
蒲生氏郷
いなければ蒲生家滅んでそう

112: 人間七七四年 2011/11/22(火) 23:10:22.88 ID:GjWv/wbR.net
>>111
蒲生家は確か六角家の双璧だったから優秀なハズ

112: 人間七七四年 2011/11/22(火) 23:10:22.88 ID:GjWv/wbR.net
>>105
むしろそれは親父の方が優秀だろう、寿命的な意味で
他も下手したら優秀かもしれんが、IFの連発になるからどうとも言えんね

106: 人間七七四年 2011/11/10(木) 12:00:42.54 ID:EZkobdIu.net
最上さんところ
最上騒動(もがみそうどう)は、江戸時代前期に起こった出羽山形藩の最上氏によるお家騒動である。

羽最上家の第11代当主にして、山形藩の初代藩主である最上義光の晩年頃から、最上家では後継者をめぐっての暗闘が繰り広げられるようになった。義光には長男に最上義康があり、本来なら彼が家督を継ぐのが筋であった。しかし義光がこの長男と不和になっていたこと、次男の最上家親が徳川家康・徳川秀忠らに近侍して江戸幕府と親しい関係にあったことから、御家存続のために義光は家親に家督を譲ろうと画策する。そして慶長16年(1611年)、義康が何者かによって暗殺されたのである(義光の謀殺ともされるが、家臣の単独犯行説もあり、真相は未だ不明)。ところが、後に義光は義康が和解を図っていたことを知って後悔するようになり、失意のうちに病に倒れた義光は慶長19年(1614年)に死去した。
義光の死後、最上家の家督は次男の家親が相続し、最上氏第12代当主・山形藩の第2代藩主となった。家親は江戸幕府との関係を強化するため、大坂冬の陣が始まると、家臣・一栗高春が担ぎ出す気配があり、さらには豊臣氏と親密な関係にあった弟・清水義親を誅殺する。そして大坂冬・夏の陣では江戸城留守居役を務めて徳川氏への忠誠を示した。ところが家親は元和3年(1617年)に急死する。37歳で江戸で急死した家親の死因には、「猿楽を見ながら頓死す。人みなこれをあやしむ」(徳川実紀)とあるように毒殺説も有力である。家親の死後、最上家の家督はその1人息子であった最上義俊が継いで最上家第13代当主・山形藩の第3代藩主となった。しかし義俊は若年であったために、重要な決定は幕府に裁断を求めることが取り決められた。
義俊は若年で指導力が発揮できず、さらに凡庸で文弱に溺れたとされている。このような藩主に不満を持った最上家臣団は、義俊を廃して義光の4男・山野辺義忠を擁立しようと画策する一派と、義俊をあくまで擁護しようという一派に分裂して激しい内紛を引き起こした。
元和8年(1622年)、義光の甥にあたる松根光広が老中酒井忠世に「家親の死は楯岡光直の犯行による毒殺である」と訴え出た。忠世は訴えに基づいて楯岡を調べたが証拠はなく、松根は立花氏にお預けとなった。
騒動を重く見た幕府は奉行の島田利正と米津田政を使者にして、一旦最上領を収公し義俊には新たに6万石を与え、義俊成長の後に本領に還すという決定を下した。しかし山野辺義忠と鮭延秀綱は納得せず、「松根のような家臣を重用する義俊をもり立てていくことは出来ない」と言上した。 しかし既に土井利勝は最上家改易の方針を抱いており、両者がこのことを南光坊天海に採決をあおいだところ、天海は改易を支持した。結果として山野辺派は敗北してしまった。[
このため幕府の態度は硬化し、元和8年(1622年)、山形藩最上家57万石は改易を命じられた。

107: 人間七七四年 2011/11/10(木) 13:18:05.58 ID:FhykLs2f.net
家康さんとか浅井長政さん、
父親をあまり良く知らないけど、鬼佐竹さんもそんなイメージ。

108: 人間七七四年 2011/11/10(木) 21:04:01.96 ID:0zOByzSz.net
浅井久政は結構優秀だと思うんだが、俺の気のせいかな。

112: 人間七七四年 2011/11/22(火) 23:10:22.88 ID:GjWv/wbR.net
>>108
気のせいじゃないと思う
それと佐竹も親父さんはそこそこ優秀だったはず

109: 人間七七四年 2011/11/11(金) 04:35:58.65 ID:3VJ0MsI5.net
義守は言われるほど無能じゃないんだがなあ
義光と比べれば見劣りするのは確かだけど

という訳で宇喜多興家・直家親子が父が無能で息子が有能というケースに推す

110: 人間七七四年 2011/11/20(日) 00:49:45.53 ID:8ldDKZFC.net
朝倉義景
一番とは言えないがここまでなし


113: 人間七七四年 2011/11/23(水) 02:15:44.25 ID:USIosNxf.net
謙信の先代は兄貴だっけ?親だっけ?
あんまり優秀じゃなかったような

114: 人間七七四年 2011/11/23(水) 05:22:12.19 ID:spEUmasq.net
>>113
長尾晴景は病弱って表現されることが多いな

つーか病弱ってすごく便利な表現だと思う

115: 人間七七四年 2011/11/23(水) 11:28:11.04 ID:0YXQnz3w.net
俺、病弱だからニートなんだ・・・

117: 人間七七四年 2011/12/07(水) 18:23:40.05 ID:rcDhd5oh.net
斎藤義龍―斎藤龍興の父子に一票。
義龍は、軍事でも内政でも相当力があったように見える。
義龍が早く病死しなければ、信長が美濃をとれたかどうか、また取ったにしても、より多く時間がかかった可能性が大きい。義龍病死は、戦国史でかなり重大事であったかもしれない。
龍興が無能であったかどうか、少し資料が少ないが(龍興から美濃を奪った織田家が、無能さを強調した余地もあるが)、相当無能ということになっているのでw

なお、反対例は、蒲生賢秀―氏郷父子。
本能寺の変に際して、安土城を焼かず、財物ものこして(つまり明智の財力・戦力に提供して)逃げ出したとしか思えない。これを美化するけんかいもあるけれども。

118: 人間七七四年 2011/12/07(水) 20:08:04.61 ID:olUYsjHJ.net
議論するまでもないな。
第1位は足利さん一族。
足利さん家は将軍家なのにも係わらず義満以降下り坂一直線。
斯波さんなんか知らんわ,レベル。

121: 2011/12/07(水) 23:12:54.71 ID:CsPfsNp8.net
秀忠は家康がいなけりゃ今川義元のように戦で大将首取られてたような間抜けな武将だと思うがな

122: 2011/12/07(水) 23:21:18.44 ID:CsPfsNp8.net
内政も土井利勝がいなかったら何も決められなかったと思う、戦と同じ
秀忠は評価しません

123: 人間七七四年 2011/12/07(水) 23:26:49.30 ID:YiR34w/S.net
有能な部下を使いこなすのも大将の器だと思うが

125: 人間七七四年 2011/12/07(水) 23:42:48.40 ID:c6Ei14Et.net
秀忠は優秀な父親と対立せず、
子供達も有能だから、理想的な2代目ではないだろうか。

129: 人間七七四年 2011/12/08(木) 16:26:02.77 ID:0mEZeDma.net
朝倉孝景、義景

134: 人間七七四年 2012/01/24(火) 05:51:06.90 ID:YkcE56vZ.net
武田勝頼
親父の好きな孫子の兵法で「敵を知り・・・」
まったく敵を知らなく滅びた
信長・・・孫子レベルの用兵の天才
家康・・・空城の計をした孔明レベルの策士
敵を知ってたら同盟か恭順してたと思う。

137: 人間七七四年 2012/01/25(水) 09:34:21.17 ID:GtNOJ80H.net
豊臣秀頼

1.幼少の頃から天下人の後継者として英才教育を習う。
(現存する書物から書体の見事さに驚かされる)
2.関ヶ原当時は、まだ7歳の子供で母子家庭。
(老獪な家康は、すべては秀頼様と豊臣家の為と詭弁をつかう)
3.大坂冬の陣は、秀頼主体で開戦。
(豊臣滅亡を企む徳川方の無理難題に対して浪人衆を集めて決別、
和議にも反対するが城内にいる千姫家臣団や織田の嘘や雑言に悩まされる)
4.大坂夏の陣で城内に居る徳川のスパイに天守閣に火を付けられ終戦、自害。

徳川幕府成立以降300年、秀頼は愚鈍にして軟弱な大将として流布されるが
16歳にして領内の水利問題の揉め事を双方納得の解決したように馬鹿な臆病者ではないが
関ヶ原以降、送り込まれた家老(片桐)、また客人の伯父(織田)、千姫の家臣の料理人など
家康に内通した者ばかりに囲まれ、滅亡される。大坂の陣の当時は水銀を飲まされ体調不良。
浪人衆が城内に入って空気が変わるが決戦を仕掛けるのに『5年早く、5年遅かった』

138: 人間七七四年 2012/01/31(火) 21:34:30.90 ID:42dcMk4d.net
伊達輝宗
種宗や晴宗と違って伊達家を停滞させた雑魚
相馬に敗北し土下座する凡庸さは伊達家の恥

139: 人間七七四年 2012/02/09(木) 04:45:58.18 ID:VpgG/gmE.net
輝宗がもっと有能なら伊達は天下狙えるくらい力があったのにな
相馬に敗戦したり御館の乱で敗戦したり南奥州連合の流れに取り残されて田村とともに
孤立路線行ったりただのボンクラ
伊達は他3人は優秀だと思うが輝宗は雑魚

143: 人間七七四年 2012/07/20(金) 01:19:38.58 ID:eXrouXCU.net
龍造寺隆信と政家かな?

逆だと伊東義祐・祐兵か?

秀吉と秀頼はどうだろ?

144: 人間七七四年 2012/07/21(土) 00:33:00.71 ID:f4/+Jsaq.net
大友義統
とは言ってみたがオヤジも晩年アレだったしな・・・



145: 人間七七四年 2012/07/25(水) 00:50:38.23 ID:JetuZ+/G.net
甲斐宗運と親英だろjk

147: 人間七七四年 2012/07/28(土) 02:29:23.16 ID:IpdmwBC8.net
宮部長房の無能っぷりは異常
宮部長房
父の隠居により家督を継ぎ、関ヶ原の戦いでは最初東軍に属して戦っており、このまま勝利者として歴史に名を残すかと思われたが、現在の視点から見れば「選択ミス」と言わざるを得ない「西軍への寝返り」行為を行ってしまい、伏見城や大津城の攻略戦に参加したものの、西軍が敗れてしまい、「うは俺、勝者から敗者の方選んじゃったよ」と気づいたのか石田三成の佐和山城を攻めて落城させたものの、居城の鳥取城が琉球スキーの亀井茲矩と、亀井茲矩の助言で西軍から東軍に寝返って点数稼ぎを始めた斎村政広の攻撃をうけてしまい城下を焼き払われてしまう。

※後に、城下を焼き払った罪で斎村政広は徳川家康から死を賜っている。(西軍から東軍への寝返り組だからと言うよりも斎村政広がもっていた銀山を手に入れる為といわれている。実際、斎村政広死後、その旧領は松平氏のものになっている)

挙句の果てには西軍に加担した罪で鳥取城を召し上げられて南部利直の元に預けられ、5万石から約450石まで年俸を下げられてしまう。なんという戦力外通告。

※吉川元春や島津家久に勝った父・宮部継潤は草葉の陰で泣いていたことであろう。

155: 人間七七四年 2012/08/09(木) 23:22:47.84 ID:0CtHVeSx.net
>>147
関ヶ原の時点で19だからなあ。
まともな判断が出来ないのも無理は無いかと

149: 人間七七四年 2012/07/28(土) 21:53:40.57 ID:cG54Cbg7.net
こんなスレ立てる>>1

150: 人間七七四年 2012/07/29(日) 01:01:32.49 ID:4vdp29PM.net
今川義元と氏真だろ


153: 人間七七四年 2012/08/01(水) 10:31:04.35 ID:hcYBjkfQ.net
最上義守

162: 人間七七四年 2012/08/10(金) 01:48:01.73 ID:Vdsa/vOY.net
朝倉孝景→義景ラインは?

164: 人間七七四年 2012/08/17(金) 20:06:54.98 ID:a8QmNk72.net
>>162
孝景は過大評価、義景は過小評価

165: 人間七七四年 2012/08/20(月) 01:59:33.26 ID:eI62Eure.net
>>164
結果的に滅亡させてるんだから妥当な評価。

166: 人間七七四年 2012/08/31(金) 01:04:31.20 ID:9zcz5NrR.net
宇喜多直家はあんなに真っ黒なマキャベリストなのに
息子はいい子に育ってしまった

167: 人間七七四年 2012/09/04(火) 22:17:48.23 ID:bggtWsLj.net
土岐政房と土岐頼芸かなぁ。
政房までは一応あちこちに影響力あったしなぁ。

169: 人間七七四年 2012/09/07(金) 13:25:33.67 ID:S8M22ZeJ.net
斎藤義龍→龍興

170: 人間七七四年 2012/09/11(火) 00:30:03.23 ID:PrrHO3g3.net
長尾為景→晴景

172: 人間七七四年 2013/12/28(土) 04:07:16.24 ID:j0WHqO5P.net
北条氏政は言うほど糞人材でもない

174: 人間七七四年 2014/01/20(月) 19:35:46.16 ID:DDsEu7j+.net
畠山義就か、ウーン。彼の場合は、父親が室町幕府の管領だろ。戦国大名と言えるのか、微妙だな。

176: 人間七七四年 2014/01/21(火) 16:05:19.74 ID:nxp1OfW8.net
秀頼

184: 人間七七四年 2014/10/05(日) 17:35:13.50 ID:jGKLundd.net
>>176
大野治長の息子だと考えれば、むしろ立派なぐらいじゃないか

177: 人間七七四年 2014/01/27(月) 11:34:41.38 ID:zQ1dUgiD.net
>>1を読まずに書くけどその代表が勝頼だろうな

181: 人間七七四年 2014/01/28(火) 05:57:45.23 ID:vj8rgPhv.net
宮部継潤→長房だろjk

182: 人間七七四年 2014/01/31(金) 21:48:00.13 ID:R2Diz0dc.net
人格的にはブッチで悪久

183: 人間七七四年 2014/10/05(日) 14:52:36.49 ID:lWJxChem.net
浅井亮政→久政

190: 人間七七四年 2014/11/10(月) 18:44:47.34 ID:DPhB00a8.net
松平広忠…

親父は傑物だったが、広忠は微妙

191: 人間七七四年 2014/11/10(月) 19:23:37.59 ID:+1Nm22Gm.net
広忠無能ってほどじゃないだろ。なんやかんや暗殺されるぐらいだし

192: 人間七七四年 2014/11/11(火) 16:03:43.94 ID:Lbw+QNSa.net
暗殺されたから無能じゃなかった?

193: 人間七七四年 2014/11/12(水) 06:21:52.26 ID:HKCeCOPZ.net
そもそも暗殺以前の問題だろう
逃げ回って今川に臣従しただけで終わってしまったし

194: 人間七七四年 2014/11/15(土) 20:49:05.26 ID:Qtv9/Ygv.net
松平広忠は父親や息子には遠く及ばんだけで
今川に誠意通して、そのお陰で家康保護してもらって
次世代に繋げた意味でもそんなに悪くないと思うけどね。

父の死後の混乱から
当主に復帰できただけでも、めっけもん

195: 人間七七四年 2015/01/06(火) 01:19:58.97 ID:riRBhryq.net
有名人物の親父ってことで年長者のイメージで見られがちだが、実際は死んだ時点で二十歳そこそこでの夭折だしな…
それまでに勝ち戦もあるが、結局の所、実力の有無を断ずるほどの年齢に達していない
家康にしたって同じ位の年じゃ、やはり一揆を切欠に家臣に背かれていつ命を落としてもおかしくない状況だったしな

196: 人間七七四年 2015/01/07(水) 04:32:33.51 ID:fcAOpmcf.net
でも叔父を粛清して権力を一本化させたのは家康にとってかなり助かっただろ
松平信孝存命のまま広忠死んでたら家康がどうなったことやら
松平 信孝(まつだいら のぶたか、? - 天文17年4月15日(1548年5月22日))は、戦国時代の武将。三河国松平氏6代当主松平信忠の子。兄に松平清康、弟に松平康孝。子に松平重忠。蔵人佐。通称は与十郎。械(合歓木)松平家初代当主。三木松平家初代として扱う文献も多い。
兄・清康が家臣に殺害された(森山崩れ)後にその子松平広忠が家督を継ぐも、大叔父(信孝にとっては叔父)の松平信定によって岡崎城から追放された。信孝は広忠を援助して帰城させ後見役となったが、次第に弟・康孝の旧領・三木を横領するなど権勢を振るうようになり、広忠や家臣達と対立して失脚。その後、広忠の代理で駿府の今川義元に年賀の祝い述べに行っている間に、広忠の軍勢に居城・三木城を攻め取られた。この事に不満を持ち今川義元に直訴したが退けられている。しかし、広忠との関係はきわめて友好で、確かに康孝の領地・三木城を横領したが広忠に対する二心などはなかったとみられ、阿部定吉をはじめとする年寄衆の合議で広忠も仕方なく信孝を追放したと見るべきである。
信孝は尾張国の織田氏に寝返って山崎城に拠り、同じく織田方に寝返っていた上和田城の松平忠倫や上野城の酒井忠尚らと共に広忠と対峙した。小豆坂の戦いの後、岡崎城を攻撃しようと出陣したが、耳取縄手で広忠軍の射た矢に当たって討ち死してしまった。
合戦後、叔父信孝の首を見た広忠は数少ない肉親を失った事に号泣し、広忠側の都合で敵にまわしたのに信孝の命まで奪った無慈悲を訴えた。これには報告に参上した家臣達も思わず道理と鎧の袖を涙で濡らしたという(『三河物語』)。

引用元: 父親が優秀だったのに子供が無能な戦国大名一番は?