1: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:37:08.86 ID:vZ4Ccmmd0.net
40歳代で全盛期の武田家の軍師に就職って勇気が湧いてくるな
俺らも頑張ろうぜ
no title

2: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:38:46.04 ID:GSSZz2lr0.net
負け組の軍師になってもね…

3: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:39:34.56 ID:lQTIzFfR0.net
当時の人生としては晩年じゃね

5: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:40:13.33 ID:vZ4Ccmmd0.net
島津義久ってのもスゲーぞ
鹿児島から1歩も出たことないのに九州を掌握した

6: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:40:47.61 ID:ZQM8dvpH0.net
范増は七十から
范 増(はん ぞう、生年不詳 - 紀元前204年)は、秦末期の楚の軍師。項羽からは亜父(あふ または あほ、父に亜ぐの意)と呼ばれ敬愛された。居巣(現安徽省巣湖市)の人。
奇策を立てることを好んだ。若い頃から誰にも仕えずに暮らしていた。陳勝・呉広の乱で項梁が挙兵した時、既に70歳前後になっていたが、彼の元を訪れて「かつての楚の懐王の子孫を楚王として立てるべきだ」と進言した。項梁はこれを採用して心(後の義帝)を探し出し、祖父と同じ懐王を名乗らせて擁立した。

7: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:42:01.25 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>6
その歳で就職できても嬉しくない

8: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:43:54.22 ID:j7P8+Xx+0.net
島津って
朝鮮からの数万の兵を2000くらいで追っ払ったの無かったっけ
秀吉もあんまり触りたくなかったろうな

10: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:50:30.61 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>8
朝鮮での活躍は11万vs1万2千人程度。
秀吉の天下統一後の話だから秀吉は島津にビビってなんかないよ。
九州掌握後に何度か戦ったが速攻で島津は負けた。

9: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:46:35.37 ID:MJ9KrVnQ0.net
藤堂高虎は当時の価値観からみるとクッソ有能だと思う
二君に仕えずみたいなのも格好いいけど時勢を読んで主君を変えるのは判断力がある

10: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:50:30.61 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>9
こいつもスゲーよな
何回転職してんだよ。
高虎は何人も主君を変えたことから、変節漢あるいは走狗といわれ、歴史小説などでは否定的に描かれる傾向が多い。しかし、江戸時代に儒教の教えが武士に浸透する以前の日本では、家臣は自分の働きに見合った恩賞を与え、かつ将来性のある主君を自ら選ぶのが当たり前であり、何度も主君を変えるのは不忠でも卑しい事でもなかった。高虎は、取り立てて血筋がよかったわけでもないにも関わらず、彼は己の実力だけで生き抜いてきた。織田信澄に仕えていたときにも大いに功績を挙げたが、信澄は高虎を嫌って加増しようとしなかった。そのため、高虎は知行を捨てて浪人し、羽柴秀長のもとで仕えたと言われている。

高虎は豊臣秀長に仕えていた時分には忠実な家臣であり、四国攻めの時には秀長に従って多大な功績を立てている。また秀長が亡くなるまで忠節を尽くしている。幕末の鳥羽・伏見の戦いで、藤堂氏の津藩は彦根藩と共に官軍を迎え撃ったが、幕府軍の劣勢を察すると真っ先に官軍に寝返り、幕府側に砲撃を開始した。そのため幕府軍側から「さすが藩祖の薫陶著しいことじゃ」と、藩祖高虎の処世に仮託して皮肉られたという。だが一方、寝返った藤堂家は官軍の日光東照宮に対する攻撃命令は「藩祖が賜った大恩がある」として拒否している。

11: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:52:10.09 ID:tWutaDu70.net
>>9
維新のときにも裏切ったし、この家系は生まれ持った何かがあるんだろ
幕末に鳥羽・伏見の戦いが起こった際、俗説では、当主藤堂高猷は真っ先に幕府方から官軍に寝返って幕府方に砲撃を加え、「津藩は藩祖の教えがよく受け継がれている」と称されたという。

14: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:54:05.98 ID:GCqI9KY60.net
>>9
それ江戸時代以降の思想だから

12: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:52:36.53 ID:F2t7IJEw0.net
実在しなかった説ってなんなん

16: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:55:58.19 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>12
実在してるでしょ 子孫も確認されてるし

13: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:53:52.04 ID:Wtb8JJeC0.net
就職ってより、野球とかの移籍に近いんじゃね?

15: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:54:46.25 ID:vZ4Ccmmd0.net
そうそう藤堂もそうだけど真田も神のように拝まれる風潮も解らん

韓国みたいな事大主義、コウモリ外交やってた連中なのに
日本人はこう言うの嫌うはずなのにな

22: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:01:05.67 ID:MJ9KrVnQ0.net
>>15
現代寄りの発想を持ってるからじゃないかな
潰れかけの企業で運命を共にしますっていう人間よりさっさと別の大企業に移った方が賢いみたいな
仕えている間はきっちり忠義立てしてるし俺は嫌いじゃないよ

18: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:57:28.57 ID:2EtRvYOH0.net
戦場で傷一つ負わず死ぬまで味噌野郎への忠節を守った忠勝とか言う武将

23: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:01:12.36 ID:Wtb8JJeC0.net
>>18
6メートルの槍を馬上で振り回したんだっけ、化け物すぎ

25: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:04:22.14 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>22
なのに韓国外交は叩くのな

>>23
敵がいないところなら誰だってできるよ 傷1つ負わない

27: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:05:26.57 ID:Wtb8JJeC0.net
>>25
忠勝後ろにいたんか?

31: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:15:42.45 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>27
後ろにいた 普通は前に行かない

34: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:17:09.43 ID:Wtb8JJeC0.net
>>31
まじで?じゃあ井伊直政がすげーじゃん

51: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:46:21.69 ID:0VGqsJiGi.net
>>34
伊井直正は功に逸るただの猪武者
それも脳筋福島正則以上の
関ヶ原では元々先陣の約束があった福島正則を騙して一番槍横取りして
島津の中央突破からの退き口に対して福島は死兵に逆らうは愚として追わなかったが手柄一杯たてて俺スゲーしたい伊井直正は追っかけて深手を負いそのまま早死にした
大坂の陣では伊井勢を見た家康から、あの赤備えは見た目だけと言われ、時代が下っての長州征伐では農民上がりの軍勢に蹴散らされた

55: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:52:44.40 ID:Wtb8JJeC0.net
>>51
井伊直正が必死に追ったのは家康の陣に突っ込んできた島津を逃すわけいかなかったからじゃね?

17: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:57:09.92 ID:jmDAePwK0.net
天文12年(1543)正月3日、武田家の家老衆が集まり、その年の武田晴信(信玄)公の軍備について
会議が行われた。

そこで話し合われたことに、諏訪、佐久、小縣という敵味方の境に城を構える場合、
その構え方さえ良ければ千人の敵兵に対して味方300で持ちこたえることが出来る。
これには城の縄張りが重要である。

このような城の縄張りについて良く知っている剛の者が、駿河の今川義元の家来である庵原安房守の
身内に居る。彼は義元に奉公したいと望んでいるが、義元の方では召抱えようとしない。
この者は三河牛久保の侍であるが、四国、九州、中国、関東までも巡り歩いた。

この大剛の武士の名は、山本勘助という。

板垣信方はこの勘助を呼び寄せ、お召し抱えに成るよう晴信公に提言した。それにより
その年の3月、知行100貫という約束で駿河から勘助を呼び出した。

勘助からお礼の挨拶を受けられた晴信公は、即座にこう仰られた

「勘助は片目であり、数カ所の負傷で手足も少々不自由のように見え、しかも色は黒い。
これほどの醜男でありながら、高い名声を持っているのじは、よくよく能力に優れた誉れ高い武士であると
思われる。そのような武士に100貫では少ない!」

そうして勘助に、倍の200貫をくだされた。

その年の暮れ、11月中旬に晴信公は信濃に出陣された。
11月の下旬から12月15日までに、9つの城を陥とし晴信公が手に入れられたが、これは全て
山本勘助の武略によるものであった。
時に晴信公、22歳の頃である。

(甲陽軍鑑)

18: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:57:28.57 ID:2EtRvYOH0.net
戦場で傷一つ負わず死ぬまで味噌野郎への忠節を守った忠勝とか言う武将

23: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:01:12.36 ID:Wtb8JJeC0.net
>>18
6メートルの槍を馬上で振り回したんだっけ、化け物すぎ

19: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:57:44.62 ID:jmDAePwK0.net
駿河での今川義元公の時代に、山本勘介が三河国、牛窪(愛知県豊川市)より、今川殿への
奉公を望んで参上したのであるが、この山本勘介は散々な醜男で、その上に隻眼であり、
指も足も不自由であった。しかし彼は大剛の者であったので、義元公が召し抱えられるように、
勘介の知己であった朝比奈兵衛尉が彼のことを

「この山本勘介という者は、大剛であり、特に城取り、陣取りといった軍法は良く鍛錬されています。
剣術も京流の上手であり、軍配も良く知っています」

と申し上げたが、義元公がお抱えになることはなかった。
駿河の人々の噂では、あの山本勘介は第一片輪者であり、それに城取り陣取りの軍法を鍛錬したと
いうが、自分の城を持ったこともなく、兵を持ったこともない者が、どうしてそのような事を
知れるものだろうか。彼は今川殿に奉公したいがために虚言を言っているのだ、と言い合った。

それから勘介は9年も駿河にいたけれど、今川殿が召し抱えることはなかった。
この9年のうちに剣術のことで2,3度手柄があったが、この当時は新当流(塚原卜伝の流派)
の兵法こそ本物であり、勘介の京流はそれに劣るものだと、人々は噂した。

加えて、勘介は牢人の身であったため、草履取りすら一人もつれておらず、彼について
非難するものこそ多かったが、良く言うものなど一人もいなかった。

しかし、この事は実は、今川殿の御家が万事にわたって活力を失い、御家が末に傾き、
武士の道の見極めが浅く無案内であったために、山本勘介の身の上のことにまで、
悪い評判が及んだのであろう。
(甲陽軍鑑)

20: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:58:56.54 ID:jmDAePwK0.net
大永7年(1527)、毛利元就31際の時、厳島参拝の折に棚守房顕の屋敷に立ち寄ったが、そこで初めて
山本勘助に出会った。

元就は勘助の容貌を奇として、どこから来たのかを尋ね、さらにをの所志を質問し、しばらく考えた後
帰城したが、5,7日ほど後、使者を遣わして棚守にこう伝えた

『先日一見した所の京都牢人(勘助)は、早くこの地から去らせるのだ。そして日本国中を遍歴させるべし。』

棚守はこの意を受けて、勘助に他所の土地へ興味を向けようと考え、関東の諸将の威烈を語った。
山本勘助はこれを聞くやいなや、棚守に暇を告げて立ち出ようとした。

棚守は勘助があまりに早く暇を告げたことを怪しみ、止めてそのわけを聞いた。
勘助曰く

「私はこの国に仕官を求めるために来ました。貴方もまた、私を推挙してくれたではありませんか。
ところが今、関東の諸将の威烈を語られました。これは貴方の御心が、既に変わったことを表しています!」

「な、何故そう思ったのだ!?」

「関東とは”還当”、すなわち”還る当し(かえるべし)”と読めます。これが私が暇を乞うた理由です!」

棚守は勘助のあまりの明敏さに、感嘆したとの事である。
(軍人頓智叢談)

21: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 11:59:31.25 ID:pM8cEXtI0.net
塚原朴伝のドラマ見てると
終盤に若い頃の山本かんすけがでてくる

33: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:16:06.56 ID:pM8cEXtI0.net
勘助と同じような浪人です。
仕官先を求めて今川・北条・武田のあたりをウロついている所も同じです。

確か勘助が今川から北条へ行く時に出会っています。
この青木大膳からもらった情報で、勘助は北条に取り入ろうとしますが失敗してました。
前回信虎を迎えに行く時も、自ら供に加わっていましたね。
何とか今川に取り入ろうとしたのでしょう。

当時あちらこちらに、勘助と同じように仕官先を求める浪人がいたと
いう事を表現するために創作された人物と考えると合点がいきます。


かんすけは仕官する際に友人の青木大全を不意打ちで殺し
その首をもって自分がカタ輪だが腕の立つ物であるとアピールした
かんすけはおそらく武士ですらない浪人で
こんな人間を召抱えた事はあり得ないことだった

35: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:17:51.32 ID:vZ4Ccmmd0.net
傷1つ負わない事が凄いなら島津の殿様なんて1つも負わずに九州掌握、幕末には天下統一までやってるわな

36: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:20:31.53 ID:E33cgCS+0.net
やまもとかんすけっていう人物は確かに存在したがただの使い走りで軍師でも何でもないって
話じゃなかったっけ?

37: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:21:02.28 ID:vZ4Ccmmd0.net
つーか 無駄に前に行く大将って怒られるからな。信長、秀吉、家康って前に行きまくる大将をめっちゃ嫌うから。

有名な小早川は軟弱ものに書かれるが前に行きまくって怒られたらしいぞ。

38: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:21:29.80 ID:koEaqPGf0.net
何故か知らんが徳川秀忠の骨に銃弾めり込んだ跡があったんだっけか
そんな前線に出るイメージ無いのに

40: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:28:39.12 ID:VH6Hq7lGO.net
>>38
追撃戦で功を焦ったり、攻城戦で攻め倦ねたときに焦って指揮をしようと前に出て怪我をするパターンが多い
関ヶ原で島津を追撃した武将が捨てがまりで大怪我してる

39: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:25:08.49 ID:LuEyMOg40.net
何十万ていう大軍ばっかりを指揮するだけじゃないからね
数千単位だったらすぐ目の前が敵兵なんてことはざらにありそう
数百同士の小競り合いだったらそのへんの運動場にすっぽり入る量だし

41: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:30:52.13 ID:vZ4Ccmmd0.net
家康が島津にビビってた理由

徳川家康「いやいや 島津殿の九州統一の戦歴は凄かった 是非に武勇伝をお聞かせ願いたい」

島津義久「あれは家臣がやったこと。私は戦はやっておりませぬ。薩摩から出たことがありませぬ。」


何度も死にかけた事がある家康は大将とはこうあるべきだと大絶賛だったらしいよ。

42: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:31:40.65 ID:koEaqPGf0.net
秀忠は真田に足止め食ってた時に傷負ったのかねえ
関ヶ原で島津に重傷負わされたのって井伊だっけ

44: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:36:40.95 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>42
家康にさっさと関ヶ原にこんか!と怒られてビビって真田の城を速攻で落とそうと前に出たんだと

確か家康の子供で島津の捨てがまりを食らって死んだ奴がいたよな

45: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:37:11.38 ID:VH6Hq7lGO.net
>>42
井伊:重傷、二年後それが一端にもなり死亡
鳥居:怪我を負う
本田:捨てがまりに撃たれ落馬、でも無傷

50: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:45:35.46 ID:MJ9KrVnQ0.net
>>45
鳥居って前哨戦の伏見城で死んでるじゃん
4万の軍勢を1800の寡兵で篭城して長期間持ちこたえたやつ

52: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:47:58.14 ID:VH6Hq7lGO.net
>>50
ごめん松平だ

43: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:32:39.86 ID:i1/ZhSHW0.net
近くにこの人のお墓あるんだけどそんな凄い人だったのか

46: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:38:34.35 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>43
上杉謙信に策を見破られて信玄が死にかけたんだよ。それで責任を感じて戦国無双やって死んじゃった。

48: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:41:34.97 ID:vZ4Ccmmd0.net
でも島津家って今で言えばワタミだよなw 超ブラック企業過ぎるw

49: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:44:18.94 ID:VH6Hq7lGO.net
>>48
まあ関ヶ原の退き口で1500人が最終的に80人くらいになるからな
全員捨てがまりしたわけじゃあないが、島津からしても退き口が如何に大変だったかが分かるな

53: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 12:49:48.25 ID:vZ4Ccmmd0.net
凄いとは思うがクソ過ぎるだろ
島津義弘がこれで絶賛される意味が解らん 頑張ったのは島津の末端だし

旧日本軍でもここまでやらせないぞ....

59: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:01:10.51 ID:dALdActyi.net
>>53
兵達と常に寝食を共にして、義弘は家臣にかなり慕われてたからな
朝鮮出兵でも高齢で従軍が許されなかった新納だのから一緒に行きたいと懇願されたり、あと家族思いでもあるな
死んだときも、義弘は殉死を禁じていたにも関わらず大勢の家臣が追い腹切った

ま、息子への教育は糞だが

62: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:06:36.97 ID:Wtb8JJeC0.net
そういえば島津義弘が敵中突破したときの兵士って義弘の部下で命令で集まったんじゃなくて
勝手に集まった島津義弘のファンの連中だろ

63: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:12:05.97 ID:0RWEsmXIi.net
>>62
たしかそう
義久は兵を出さなかった
勝手に着いてきた連中が2千人
それでも義久は東軍に着けよと言ってたが現場の一悶着で西軍に与して負けた
薩摩に帰った義弘は怒髪天の義久に土下座で許しをこいた

65: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:17:27.72 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>63
義久も息子の家久も関ヶ原から帰ってきた義弘に向かって

「どーして生きって帰ってきたんだよ 死ねば良かったのに どーすんだよ」

だもんなwww

66: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:20:45.99 ID:VH6Hq7lGO.net
>>65
ちなみにもし討ち死にしてたり捕まっていた場合、島津取り潰しの可能性が出来てしまうおそれがあった

72: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:24:40.07 ID:MJ9KrVnQ0.net
>>63
家康「元忠を助けてやってや」
義弘「ええで」
~~~
義弘「助けにきたで」
元忠「ハァ?敵か?帰れ帰れ」

85: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:37:34.00 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>72
これ真相はどっちなの?
ただに伝達ミス?

90: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:40:57.96 ID:VH6Hq7lGO.net
>>85
鳥居さんが最初から討ち死にムードであまりにも融通が利かなくなっていた説
そんだけ警戒していたってのもあるんだろうけど

67: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:21:40.29 ID:iGwFe+Ft0.net
島津は義弘がいなかったら大友か龍造寺に潰されてたんだろうな

70: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:23:39.27 ID:D6rlAhhA0.net
>>67
耳川も沖田畷も家久じゃなかったっけ?

75: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:28:05.37 ID:j0yZb3YD0.net
>>70
その前に木崎原があるし
耳川は家久は籠城で踏ん張ってただけで実際に大友蹴散らしたのは義弘の部隊
感状の多さが半端ないことが示してる

78: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:30:40.55 ID:vZ4Ccmmd0.net
>>75
そうだっけか
立花が「島津と戦うのはまだ早い」って言ってるのに無視したバカ宗麟が部下を川に突っ込ませ、渡りきったへいしを家久が討ち取りまくって勝利じゃなかったか

80: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:33:34.88 ID:EokgES//0.net
>>78
家久が踏ん張る→島津本隊到着→チェストー!→大友大敗

止めてたのは角隅な

77: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:30:15.14 ID:rDGP2vEL0.net
合戦は義弘と家久がチートすぎる

79: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:32:19.57 ID:VH6Hq7lGO.net
結論:島津は全員チート

83: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:35:14.90 ID:vZ4Ccmmd0.net
家久の何が凄いって大抵の合戦の勝利は敵を退けるか?大将のクビをとるか?この2つしかないんだがな

家久の場合は大将クビをとった挙げ句に、有力家臣や足軽大将も全員を撃ち取ってるからな。


何でこうなった?
龍造寺軍は大将が死んだせいでヤケクソにでもなったんかな

84: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:37:07.73 ID:D6rlAhhA0.net
>>83
釣り野伏で一網打尽
急ぎ後ろに引こうとする程混乱する

87: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:39:46.51 ID:VH6Hq7lGO.net
>>83
釣り野伏せのせいだな
ノリノリで攻め込んでいたらいつの間にか包囲殲滅食らっていたでござるという難易度がクッソ高い代わりに滅茶苦茶効果的な戦法のせいで、食らった側が混乱して何も出来なくなる

88: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:39:55.65 ID:bl13tjoZ0.net
>>83
沖田綴は有馬が持ってた南蛮並記もでかい
さらに跡を継いだ鍋島直茂の軍勢を秀吉は見て「軍として機能してない」と苦言を言ったらしく
鍋島の軍は弱いというのが諸侯から言われるほど龍造寺の軍は下地が弱かった
そんなのとキチガイ島津がぶつかればそりゃね
豊臣撃退の時は大将が仙石とかいうくそ無能だから
仙石は四国攻めで唯一長宗我部に負けたゴミ

86: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:38:30.47 ID:ZrfajvGS0.net
風林火山って小説読んだけど面白かった

95: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:43:26.86 ID:oXxljyN+0.net
ちなみに当時軍師なんて言葉無かったんだぜ
なんて言うのかは忘れたがな!!

99: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:46:47.63 ID:vZ4Ccmmd0.net
で秀吉軍団には釣りはきかなかったのかね?

103: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:49:49.90 ID:D6rlAhhA0.net
>>99
誘い込めるって数じゃなかったんじゃね?
あと島津は九州統一はしてないから
迎撃体制がとれなかった
そして一番大きいのが
そもそも戦うかどうか意見が割れたこと

104: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:50:00.33 ID:YxUDMF6W0.net
>>99
釣り野伏も万能ではない
種明かしされてりゃ成功率は下がるし、圧倒的多数にジリジリされたらもう無理
秀吉はそういうの大好きな指揮官

105: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:50:52.29 ID:9tu19kPkI.net
勘助が居たかいなかったかスレかと思ったら
島津スレだった

106: 以下、でVIPがお送りします 2014/04/11(金) 13:51:13.15 ID:VH6Hq7lGO.net
>>105
仕方ないね、島津だし

引用元: 武田家軍師の山本勘助ってすげえええ