1: 人間七七四年 2012/03/29(木) 10:04:00.94 ID:PtmCKu8A.net
本能寺で信長親子が殺されると
織田家が皆好き勝手に行動し、二度と織田家として機能せず一気に瓦解する
畿内で勢力を広げた織田家がなぜここまで没落・実質滅亡してしまったか論じよう


・・・・というifスレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1331542607/73
no title


4: 人間七七四年 2012/03/30(金) 08:33:12.53 ID:WbYbFBu/.net
信長の負の遺産のせいで信忠も孫も滅亡そして信成も転倒

5: 人間七七四年 2012/03/31(土) 04:13:13.90 ID:EJLU6R0Q.net
まあ実質的当主と跡継ぎの現当主尚且つ中枢の側近が一度にやられたら
どんなお家でもボロボロだろ。
徳川家なら家康と秀忠、土井利勝等の側近がやられたようなもんだし。

勿論それだけではなく信長の負の遺産というのもあるけどさ。

6: 人間七七四年 2012/03/31(土) 15:09:48.95 ID:KbUmUigW.net
信長というキツいタガが外れたんだから織田家という桶がバラバラになって当たり前

7: 人間七七四年 2012/03/31(土) 16:30:56.20 ID:ZSJSEEQd.net
滅んでなくないか
家としては信雄がしぶとく残したぞ

11: 人間七七四年 2012/04/01(日) 13:59:07.69 ID:oSEv2uDc.net
>>7
秀吉に改易されて秋田県の北方へ流罪にされて断絶してる。
その後、さらに四国へ島流し同然にされてる信雄さんw

8: 人間七七四年 2012/03/31(土) 21:22:54.75 ID:EJLU6R0Q.net
まあ滅んでいないけど結局嫡流は途絶えて織田政権は呆気なく滅んだ。

9: 人間七七四年 2012/03/31(土) 21:33:03.71 ID:T5inP4eL.net
そもそも織田家ってまとまり良かったのか?
あんまりそんな印象ないんだが

12: 人間七七四年 2012/04/03(火) 22:51:05.03 ID:Aa27p+Ak.net
そら秀吉からすれば一度刃向った信雄よりも従順で慕ってくれる秀信の方がいいもんな。
それが仇になって秀信は関ヶ原後に改易されたけど。

13: 人間七七四年 2012/04/03(火) 23:16:12.49 ID:tf0l6zmX.net
織田家が雑魚すぎたから滅んだだけ
圧倒的国力の弾正忠家を継ぎながら連戦連敗、
ついには丹波一国人の赤井に大敗するような戦下手の光秀に奇襲されて滅んだカス

15: 人間七七四年 2012/04/12(木) 21:55:59.05 ID:necFyMDc.net
まあでも最終的に家康が信雄に五万石をやってお家を存続させている。
秀吉は織田家を簒奪した上に事実上織田家を崩壊させているけど
今度は家康に同様の事をやられて滅亡させられているからなあ。。。
因果応報という言葉がこれ程しっくりくる例もめずらしい。

22: 人間七七四年 2012/04/28(土) 03:29:39.88 ID:jCnCkb3f.net
家康はその後250年の天下泰平の世を築いているから、変な言い方だけど
滅亡させてもお釣りが来るというか。
家康は豊臣家滅亡させた時「主家(織田家)を蔑ろにしたむくいだ」と言っていた
という史料が幾つも残ってるけど「お前が言うかなあ」だよね。

23: 人間七七四年 2012/04/28(土) 06:31:45.69 ID:dyMsrFBh.net
まぁ、家康は秀信というか、織田嫡流を取潰しているしな。
高家みたく残しておくことすらしなかったし、
お前も織田を蔑ろにしてるじゃんと、思う。

24: 人間七七四年 2012/04/28(土) 11:48:50.44 ID:3JHs0yy+.net
秀信は秀吉に洗脳されて頭がおかしくなっていた
家康は秀信の洗脳を解くために一時的に高野山で修行をさせていただけ
残念ながら修行途中に病死してしまったがきちんと洗脳解除に成功すれば復帰させていただろう

25: 人間七七四年 2012/04/28(土) 13:24:40.85 ID:jCnCkb3f.net
秀信君は仕方ないだろう。
明確に西軍の将として戦いに参戦しているのだから処罰しない
わけにはいかない。
長生きしていたら何らかの形では取り立てて貰えたと思うけどね。
一説には秀信は自殺じゃないかと言われているんだよな。

26: 人間七七四年 2012/05/11(金) 22:12:45.24 ID:FkN/g6Pj.net
織田と豊臣は残しておくのは危険と判断したんじゃね?

28: 人間七七四年 2012/07/11(水) 09:51:59.79 ID:EVr5BNDw.net
人望がゼロだから

29: 人間七七四年 2012/07/11(水) 12:17:59.79 ID:QHRXlnNv.net
信雄が勝手に戦線離脱したから

終了

30: 人間七七四年 2012/07/16(月) 04:41:23.73 ID:NvXHDQC7.net
滅亡? 傍流が小藩としてのこらなかった?

31: 人間七七四年 2012/08/23(木) 17:37:22.27 ID:4cgiEJma.net
織田嫡流家滅亡

35: 人間七七四年 2012/08/28(火) 10:47:34.10 ID:hnff96gp.net
そもそも伊賀を攻めて大敗した北畠信雄は信長から
親子の旧離許容すべからず候
と信長から親子の縁を切る宣言まで出されているしな。

36: 人間七七四年 2012/08/28(火) 15:01:42.25 ID:+GqSO7mE.net
秀吉という獅子身中の虫(簒奪者)が居た為だよ。

奴が妙な野心を起こさず、信孝を主に据えて家臣一同が合力出来ていればな。

37: 人間七七四年 2012/08/31(金) 11:43:52.26 ID:FewJxgdL.net
人心が離れていたから。
安国寺がすでに天正元年末の時点で
織田は一気にひっくり返り転落すると喝破してたじゃん。

43: 人間七七四年 2012/09/05(水) 18:07:50.42 ID:gsAywUoD.net
しっかり天下を統一し、しっかり後継者もいたのに影も形も無く滅んでしまった豊臣家よりはマシ

44: 人間七七四年 2012/09/06(木) 16:42:10.42 ID:K3fOx+iA.net
>>43
言われてみればそうだわ。。。。

45: 人間七七四年 2012/09/08(土) 12:09:26.29 ID:BqRfVJvJ.net
>>43
統治をひっくり返されるような爆弾抱えたまま放置しといてしっかり天下統一もクソもないがな
形だけ首輪つけた虎を放し飼いにしてる状態だし
唐入りで絶好の戦力を削ぐ機会があったのにわざわざ宿敵の主力を温存させ
味方になりそうな配下の戦力を悪戯にそぎおとす不手際もいただけない
とりあえずポーズでも臣従してくればいいよ~なんて生易しい判断でなく全力で徳川は潰すべきだった
死ぬ間際の三成はそう思っただろうよ

80: 人間七七四年 2012/09/21(金) 00:26:01.02 ID:Hs0xZBEZ.net
>>45
それは失敗した結果論ジャン
秀吉としては朝鮮支配は成功するつもりだっただろ
子飼いの武将に手柄をたてさせ、それら武将の領地を増やすつもりだったんだろ
一方、家康は国内に置いて手柄をたてさせず領地も増やさない

81: 人間七七四年 2012/09/26(水) 09:23:36.60 ID:fmy+3rkw.net
>>80
秀吉が海外領土拡張が無理だと気がついた時には、家康は国内安定のためにもはや不可欠な存在になっていたからな。
秀吉が唐入りの泥沼にハマればハマるほど、家康の立場は強化されていった。

54: 人間七七四年 2012/09/10(月) 09:38:47.03 ID:57g/VNdo.net
>>43
確か豊臣家滅亡した日が信孝の命日なんだよね。
家康が側近にそういう話をして豊臣滅亡は主家を蔑ろにした報いを受けたのだ
と語っている話が幾つかの資料にあるけど(お前が言うなだけど。。)
単なる偶然ではあるが非常に意味深。
織田信孝 命日は4月29日(西暦6月19日)と5月2日(6月21日)の二説がある。 辞世の句は「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」(昔から主を討つといわれる内海の浦。そこで自刃する私の恨みは深い。報いを待っていろ、秀吉よ) 信孝の秀吉への激しい怒りが感じられる句である。これは、尾張国野間(愛知県知多郡美浜町)の内海で家臣・長田忠致に討たれた源義朝にかけたといわれる。 
 豊臣 国松(とよとみ くにまつ、慶長13年(1608年) - 慶長20年5月23日(1615年6月19日))は、江戸時代前期の人物で、豊臣秀頼の庶子。

46: 人間七七四年 2012/09/08(土) 21:49:19.39 ID:sl/mhg1R.net
家康と利家は明攻め用に温存していただけだけどな。
まあ利家は南部らを引き連れて秀次らと渡海する計画があったが、
実行されなかった。
これは秀次が死ぬ原因になった。

48: 人間七七四年 2012/09/09(日) 01:56:18.07 ID:/TKVNgFD.net
なんで秀吉はそんなに唐入りに絶対の自信を持ってたんだ?
フロイスも無謀だと書いているし、どっかの坊さんは稀代の不思議
と日記に書かれているのに。

49: 人間七七四年 2012/09/09(日) 09:55:35.61 ID:dTcnBZrx.net
>>48
看羊録によれば
統一されたとは言っても大名達はまだ戦国時代の気風が冷めやまず
隙があれば乱を起こす気満々だったし、
刀狩りしたところで、元国人達も猛々しさが残っていて
隙を見せれば加賀が一揆の国になった前例もあるので警戒が必要だったため
朝鮮出兵は国内で変事を起こさせないように
外征させ兵を消耗させる意図があったと書いてある。
絶対権力で不穏分子を海外へ出しているわけだ。
伊達も朝鮮出兵に行ってる間に
豊臣政権によって伊達領国の検地を強制的に施行されてるように
出兵中に検地などを施行して国内統治体制を強化し
在地と武士を切り離し、転封を通じて上下の離間を図っていた。
家康は明攻めに使う予定で温存してただけだし。
中央集権化のために朝鮮出兵を利用していたわけだ。
大坂陣の頃になると、戦国時代を知る下克上的気風のある大名は
老衰または死去しており乱の発生要因が大幅に消えており
刀狩の効果も十分に現れてきており国人の帰農も安定期を迎えていたため
江戸幕府は時の経過が多くの問題を解決させ安定を望む方向に向かっていた。大名たちも一発御家改易の危険性が生じる博打打ちのような選択ができるほどな戦国の豪胆なものはおらず
今で言う祖父や父は豪腕だったが今では
孫社長や3世議員のような京や江戸に在住し
遊びで酒をかっくらう世代に移り変わっていた。

50: 人間七七四年 2012/09/09(日) 10:13:56.55 ID:D1CVi5qE.net
>>49
家康は明攻めに使う予定で温存してたって、何を根拠にそう言える訳?
文禄・慶長の役で家康は一度も渡海していない史実が全てを物語ってるのだが。
朝鮮を支配できないのでは明攻めどころではない。

51: 人間七七四年 2012/09/09(日) 13:42:30.43 ID:/TKVNgFD.net
>>49
なるほど、ありがとう。
こういう記述を読んだら唐入りも仕方なかったのかなと思う部分もある。
結果論にはなるけど失敗したから「何故?唐入りを?」と思っちまうけど
それなりに理由はあったんだな。

58: 人間七七四年 2012/09/11(火) 14:07:24.08 ID:cl7YPNjp.net
独裁者が統治体制とまともな後継者を残さなかったからだな。

信長はどっちもなかった。秀吉は体制はつくったが後継者は残さなかった。
家康は体制と後継者が落ち着くまでしっかり生きてた。

59: 人間七七四年 2012/09/11(火) 15:24:29.10 ID:Fj7whMON.net
足利尊氏がさんざんトラブルの種蒔いて後始末せずに無責任に死んでも、なんだかんだで15代続いちゃったから、一番大事なのはまともな後継者だろうな。

62: 人間七七四年 2012/09/11(火) 18:51:54.20 ID:f3l0iDxr.net
>>59
まともな後継者もそうだけど一番は野心のある有能な家臣がいない事が大前提だと思う。
秀吉や家康のように。

60: 人間七七四年 2012/09/11(火) 15:54:37.90 ID:fseZpXNs.net
当主と後継者が同日に討たれる事例なんて前代未聞だからなぁ。
それに羽柴が忠義の士だったならばああまで瓦解しなかっただろう。

61: 人間七七四年 2012/09/11(火) 17:47:49.14 ID:vZFCpGG+.net
秀吉が織田に義理立てしてたら勝家とともにのぶおよりまだマシな方の信孝を立てていただろうから
筆頭の勝家と対立せずに形の上では瓦解せずにすむ…はず
勝家がヤダヤダ秀吉なんか嫌だいと仕方なくのぶおと組んだ場合は知らん
主筋を立てるなら信雄→信孝→三法師の順に継承していけばいいんだが
二男三男がそれぞれに「俺が織田家の棟梁だ、あいつは家臣だ」と変な自負心持ってると家中が割れる

62: 人間七七四年 2012/09/11(火) 18:51:54.20 ID:f3l0iDxr.net
>>60、61
まあ秀吉は思いっきり報いを受けて、自分の死後だけど家は滅亡、跡継ぎ死亡だからね。
豊臣滅亡は悲劇だけど因果応報という感じの終わりで個人的にはすっきり感はある。

63: 人間七七四年 2012/09/12(水) 01:33:40.23 ID:gQk/IlZ6.net
信雄はともかく信孝が野心ムキムキだったからな

64: 人間七七四年 2012/09/12(水) 04:20:21.87 ID:PZHjs4xH.net
信雄と信孝、どちらが先に生まれたかが問題になるほど年が近接、兄の方が「凡庸」と言われるなど不仲、対立要因満載で、それが秀吉などに利用されている。
ところで、この二人の次の弟、秀勝(秀吉養子)と信房(勝長ー元武田家人質)は10歳ほど離れていて、やはりどちらが先に生まれたのかが両論ある。
まさか信長が趣味でやったことではないだろうが、変な符合だ。

65: 人間七七四年 2012/09/12(水) 06:33:52.39 ID:gYFBikzQ.net
戦国は実力あるものが統率するのが当たり前。
嫡男相続なわけが無かろう。

68: 人間七七四年 2012/09/13(木) 14:11:07.75 ID:/s+TvHgl.net
信長・信忠だけでなく、内政・軍事の奉行衆もまとめて死亡したからな。
織田家の中枢がそっくり無くなったんだから。

ところで織田家の中枢がまとめて京にいて何をするつもりだったのかと。
もしかして・・・やはり・・・

69: 人間七七四年 2012/09/13(木) 17:14:21.33 ID:qNsdwmg2.net
色んな意味で最悪の状況が出来上がったという事か。
徳川家で言うのなら家康、秀忠と土井利勝等の側近がまとめて死亡したような
もんだから揺らぐわな。

70: 人間七七四年 2012/09/13(木) 21:40:31.53 ID:FO73lA51.net
織田重臣や家老は健在だったじゃねぇか

77: 人間七七四年 2012/09/20(木) 21:15:50.35 ID:kaJcqpzI.net
>>70
その重臣たちは信長に抑圧されてたから信長いなくなった途端、勝手なこと
やりだした。

71: 人間七七四年 2012/09/13(木) 22:16:33.98 ID:9tLeosSR.net
現代は総理と官房長官ほか長官クラスが軒並み死んでもとりあえず国は回るけど
この時代いっきに瓦解してもおかしくないな

72: 人間七七四年 2012/09/13(木) 22:19:50.10 ID:jOt7JT8I.net
織田家総帥、織田家当主、中央勤務の重臣達が一気に死んだのに
織田家が大名家として残ったのは奇跡中の奇跡

73: 人間七七四年 2012/09/19(水) 01:40:49.27 ID:Uc4q0vpz.net
ゲームの信長は人間が出来すぎている。

突然、プレイヤーに殴りかかってきたり
何年も前のことを言い出して、役目御免になったり
そんなリアルな信長ゲームがしたい。

82: 人間七七四年 2012/11/03(土) 19:12:49.50 ID:fTPHEJyW.net
>>73
おいおいw

74: 人間七七四年 2012/09/19(水) 05:33:57.56 ID:3Iam2c72.net
成人した息子がおったのにあっけなく歴史舞台から消えたな

75: 人間七七四年 2012/09/19(水) 09:08:32.32 ID:yhU9Q6dJ.net
社長と専務ほか役員陣が突然いなくなって
課長がドラ息子と組んでゴタゴタすればそりゃあ基盤も弱くなるわ

76: 人間七七四年 2012/09/20(木) 00:57:58.91 ID:3jW7kzq3.net
武田滅ぼした手腕とか、後継者として問題ない能力だったのにな

78: 人間七七四年 2012/09/20(木) 21:17:22.42 ID:kaJcqpzI.net
>>76
一種の出来レースだろあれは。
武田が自滅崩壊したに乗じただけ。

79: 人間七七四年 2012/09/20(木) 23:02:58.49 ID:00GcMZhs.net
勝手なことやりだした重臣は野心を現した秀吉だけ。

85: 人間七七四年 2012/11/09(金) 07:14:01.41 ID:WiWpe2xV.net
>>79
秀吉以上に信孝の自滅が酷い
何がやりたいのかわからんまま死んだ
秀吉どころか他の織田一門にも嫌われとる

88: 人間七七四年 2012/11/12(月) 22:12:01.12 ID:e57b+Mj/.net
>>85
>他の織田一門にも嫌われとる

誰に何と言われて嫌われていた記録があるの?

90: 人間七七四年 2012/11/25(日) 23:35:40.98 ID:2XwBvwz2.net
>>88
織田有楽斎と織田信包、あとは藤左衛門家の織田信張などは皆信雄の味方
織田家一門で信孝に味方した人間はほとんどいない

83: 人間七七四年 2012/11/08(木) 23:07:51.12 ID:RaJAkLSP.net
信忠が生き延びたとしても明智から逃げただけじゃやはり立場は弱くなる。
それじゃ信孝信雄と変わらない。

97: 人間七七四年 2012/12/01(土) 19:10:04.87 ID:T5N+Lmzo.net
>>83
兵力差は明らかなのだから、一旦逃げるのは恥でも何でもない。
もし信長が明智軍の包囲を破る術があったら、120%一時的に逃げ延びている。
実際、家康は堺から領国へと逃げているのだから、何ら問題ない。

86: 人間七七四年 2012/11/09(金) 09:19:29.37 ID:mAf/WuhP.net
辞世の句もえらい下品な怒り方だし
その辞世の句ですら捏造説があるし

87: 人間七七四年 2012/11/09(金) 12:16:16.90 ID:IPkXZ/QA.net
報いを待てや羽柴筑前!
こんなことしたからにはお前もろくなことにならんぞ

89: 人間七七四年 2012/11/14(水) 00:11:25.44 ID:YgLqz89Q.net
信忠が後継に指定されていたのも、おそらく一番マシだったからなんだろうなあ
後々の状況からするとどうも信雄も信孝もダメだったろうし

本能寺本戦よりも二条城での損害が酷いから、おそらくそこまで考えた上での襲撃だったんだろう

90: 人間七七四年 2012/11/25(日) 23:35:40.98 ID:2XwBvwz2.net
>>89
信孝はともかく信雄は余裕で行ける
元々立ち位置わきまえてたし
信孝は武田勝頼の二の舞になって家滅ぼすだろうな

91: 人間七七四年 2012/11/27(火) 21:49:10.16 ID:B3gekdQj.net
信孝は嫌われていたのか

92: 人間七七四年 2012/11/27(火) 21:51:42.28 ID:/gAGb3HT.net
>>91
嫌われていたというより、家康の結城秀康なんかと一緒で、母親の身分が低く、そのため最初から庶流としての
扱いだったようだ。なので信孝がおだけを次ぐなんて、常識的に考えて全くありえない話だった。

93: 人間七七四年 2012/11/27(火) 22:10:36.65 ID:CCwSDPR3.net
確かに織田一門の席次の中で、信孝は明らかに一歩下の扱いだったようだね
信長の弟を挟んで常に四番手として置かれるってことはそうなんだろう

94: 人間七七四年 2012/11/28(水) 13:33:27.73 ID:nst73xd7.net
清州会議後なら信雄・秀吉に勢いがあるのは明らかで、機を見るに敏な保身の巧い者ほどそちらに付く。
信孝・勝家が「嫌われていた」などという好悪の話ではない。

95: 人間七七四年 2012/11/28(水) 13:34:55.76 ID:m8rfHk5/.net
秀吉はともかく信雄なんて完全に忘れ去られていたじゃないか
領地問題で弟にいちゃもんつけられるし完全に舐められてる

96: 人間七七四年 2012/11/28(水) 14:33:25.23 ID:2owKRwHq.net
勝家が明智を伐ってればこんなややこしい事態にはならなかった

98: 人間七七四年 2012/12/01(土) 20:13:03.77 ID:OQM83l9Q.net
真面目な二代目イメージではあるな
確かに逃げる最中に土民に殺されたら恥だけど、そういう事を考える段階で若いというか治世の武士の発想
メンツもあってここで死ぬって言いはる殿を強制的に連行する部下に恵まれなかったのかな

104: 人間七七四年 2013/06/11(火) 20:50:40.42 ID:Jxxl/jMj.net
>>98
信忠が自身の能力をわきまえすぎていた

これだとなんか贔屓の引き倒しだなあ

99: 人間七七四年 2012/12/01(土) 23:48:23.40 ID:yksj0suH.net
明智が事を起こしたのだから逃げ場はない
ならばここで華々しく切り死にする!→死亡

なお包囲は本能寺だけで二条城は割りと手薄で逃げようと思えば逃げられた模様
死因、信忠の思い込み

102: 人間七七四年 2012/12/12(水) 08:00:43.30 ID:PZaT3svq.net
>>99
包囲がしょぼくてもまわりみんな明智領じゃあな
もともと京は北側全て山で南から軍勢来られるとほぼ逃げ場なくなるし
数少ない西側は明智領丹波、東側は明智領近江坂本

100: 人間七七四年 2012/12/02(日) 18:01:54.22 ID:sAKS4Vze.net
急速すぎた膨張が招いた結果だろう

103: 人間七七四年 2013/02/22(金) 01:50:38.48 ID:c+Cbvnm2.net
信孝の母の出自は、商人出の上の兄たちよりずっといいよ
伊勢鹿伏兎氏の庶流坂氏
信雄生母より出自のいい母から生まれた自分が格下扱いされるのが嫌だった可能性もある

105: 人間七七四年 2013/06/25(火) 11:36:48.67 ID:Kz28lOZH.net
概算で600万石以上も持ってた家が10年後にはただの一大名っていくら何でもどうなのよ
しかも豊臣みたいに明確な意思で潰されたわけでもなく建前上は家臣に尊重されてたわけだろ

106: 人間七七四年 2013/06/25(火) 13:40:55.91 ID:OSymjV9p.net
その600万石の代表であって所有者ではないから

110: 人間七七四年 2013/12/08(日) 17:21:22.26 ID:dVoVpmBD.net
織田秀信の場合、
岐阜城が落され捕縛された時に
福島正則が死一等を免じるように嘆願して命拾いしたが、
高野山に幽閉され、5年満ずに22歳で夭折してんだから
家康が死に追いやっているのは明らかだろ。
武徳編年集成に至っては高野山に憂死スとまで書いてるし。

111: 人間七七四年 2013/12/10(火) 00:11:44.82 ID:cnXWiFxC.net
三谷幸喜の『清洲会議』見てきたが、なんだかなぁ~って感じの駄作。
まず、基本的な時代考証が全然なってない。
信長の敬称は『上様』なのに『お屋形様』って・・・。バカか。

秀吉と勝家が集団で砂浜で駆けっこやってるのも意味不明。無駄なシーンだ。

秀吉が利家に天下狙いの心中を打ち明けるのも有りえない。三谷レベルの小物ならではの発想か。
狡猾な秀吉がそんなに迂闊かよ。

信雄役が妻夫木聡って、ミスキャストも甚だしい。
信雄はデブでだらしない顔だったのだから、伊集院光以外には有り得んだろ。

112: 人間七七四年 2013/12/10(火) 03:54:05.10 ID:07CgtR8+.net
叔母を秀吉に嫁がせて、自らも嬉々として「羽柴中納言秀信」と名乗って、
西軍の主力級の人間だったんだから家康からすれば当然邪魔な存在。
三成や毛利ら西軍主力がポカやらかさなければ一致団結して家康を攻撃していた

113: 人間七七四年 2013/12/10(火) 22:04:44.04 ID:zqrfVU9p.net
Wikipediaの織田秀信の記述詳しすぎだろw
信忠より充実してるw

引用元: なぜ織田家はあっけなく滅びてしまったのか