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1: 人間七七四年 2009/05/26(火) 07:10:20 ID:DRc0B8H7.net
俺は小笠原信嶺だと思う
小笠原信嶺
天正10年(1582年)2月には織田信長による甲州征伐がはじまる。同年2月14日に織田方の主将・信忠が岩付城に入ると、松尾城主の信嶺は織田方に帰属し、仁科盛信の拠る高遠城攻めに参加した。信嶺の離反に対し勝頼は人質であった信嶺の母を処刑した(『開善寺過去帳』)。同年3月2日上諏訪で信長に拝謁し旧領を安堵された。

2: 人間七七四年 2009/05/26(火) 09:33:12 ID:zCdSTQsK.net
世間一般的には穴山信君といわれてはいるが…
穴山信君
天正10年(1582年)2月25日、織田信長の甲斐侵攻に際しては、2月25日に甲府にいた人質を逃亡させ、甲斐一国の信君への拝領と武田氏の名跡継承を条件に、2月末に徳川家康の誘いに乗り、信長に内応した。 その結果、信君は織田政権より甲斐河内領と駿河江尻領を安堵された織田氏の従属国衆となり、徳川家康の与力として位置づけられた。

26: 人間七七四年 2009/06/09(火) 06:35:55 ID:Kco8x600.net
>>2
穴山氏や小山田氏は譜代というより被官だろ

だったら盟主と心中するより主君を変えるのが普通。

4: 人間七七四年 2009/05/26(火) 10:54:54 ID:VEbCkaC0.net
義信

6: 人間七七四年 2009/05/27(水) 01:44:29 ID:3DgD5TMW.net
飯富兵部かな

7: 人間七七四年 2009/05/27(水) 01:49:21 ID:FS5ZDeD7.net
木曽義昌じゃないの?
木曽義昌
信玄の死後、凋落しはじめた武田家の行く末に不安を抱くと共に、義兄の武田勝頼による新府城造営の賦役増大と重税に不満を募らせた義昌は、天正10年(1582年)、遠山友忠を仲介役として織田信長と盟約を結んで勝頼に対し反旗を翻し、甲州征伐のきっかけを作った。勝頼は武田信豊を将とする討伐軍を木曽谷に向けて派遣するが、義昌は地の利を得た戦術と織田信忠の援軍を得て鳥居峠にてこれを撃退する。しかし、武田軍が新府城を出発する前の2月2日、人質として送られていた70歳の母、13歳の嫡男・千太郎、17歳の長女・岩姫が新府城にて処刑されるという悲劇に遭遇している。

8: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/05/27(水) 02:51:42 ID:Nv20r+Fx.net
ここまで油川信恵なし。

9: 人間七七四年 2009/05/27(水) 10:19:49 ID:lWXrKMzx.net
>>8
武田の甲斐支配がまだまだ確固としていなかった時期の、
一族である油川との戦いなんて、「裏切り」にはならないだろ。

油川氏の姫は側室として、盛信や松姫菊姫をもうけてもいるんだ。
武田にじゅうぶん貢献してる。

10: 人間七七四年 2009/05/27(水) 14:36:21 ID:ZoYzkGxi.net
信玄だろ。
親父を追放するとか最悪

12: 人間七七四年 2009/05/31(日) 20:18:25 ID:bNC5Pt2I.net
真田昌幸は勝頼が小山田ではなく自分を頼ってきたら裏切らずに最後まで支えたかな?

14: 人間七七四年 2009/05/31(日) 20:30:29 ID:xk7UEt8a.net
>>12
北条に「勝頼が来たら差し出します」な手紙を出していたような。
昌幸だけにどういう意図かはわからんけど。

13: 人間七七四年 2009/05/31(日) 20:23:47 ID:qqjKRCJE.net
差し出して「古今未曾有の卑怯者」と…

15: 人間七七四年 2009/05/31(日) 20:47:31 ID:NNWMfqxq.net
氏邦と手紙のやりとりしてただけじゃなかったっけ
東信濃-西上野で連携すればもうちょびっとくらいは持ちこたえたと思う

16: 人間七七四年 2009/05/31(日) 22:11:01 ID:iGuuywe2.net
滅亡の原因というなら木曾だろうな

17: 人間七七四年 2009/06/01(月) 00:01:45 ID:OcNwit4m.net
武田信玄
織田との対等同盟で満足しとけば良かった。漁夫の利を得ようとでしゃばった結果があれ。

19: 人間七七四年 2009/06/01(月) 06:38:15 ID:07gEz8Yj.net
一門で早々に裏切っているからな
やはし穴山だろうな

20: 人間七七四年 2009/06/01(月) 17:45:47 ID:C/0rRbyC.net
真田はどうだろうな。勝頼を受け入れる館を用意してたらしいし、
そもそも裏切り始めたのだって、武田がなくなったのが原因だし

21: 人間七七四年 2009/06/01(月) 18:09:02 ID:J7eaqd53.net
真田は信玄に厚遇されていたようだし、土壇場でも武田を裏切ることはなかったと信じたいです
個人的には奥平貞能・信昌親子かな
リスクの大きい裏切りで汚いかんじはあまりないけど、長篠の戦いのきっかけを作ったのは大きいと思う
奥平定能
家康は奥三河における武田の勢力を牽制するため有力な武士団・奥平を味方に引き入れることを考え、奥平に使者を送った。定能の答は「御厚意に感謝します」という程度のものだった。そこで家康は信長に相談した。信長は「家康の長女・亀姫を定能の長男・貞昌に与えるべし」との意見を伝えてきた。
家康は信長の意見を入れ、定能に
亀姫と貞昌の婚約
領地加増
定能の娘を本多重純(本多広孝の次男)に入嫁させること
を提示した。
元亀4年6月22日、定能は家康に
信玄の死は確実なこと
定能親子は徳川帰参の意向であること
を伝え、しばらくして再び徳川の家臣となった。
8月21日、一族郎党の大半を率いて亀山城を退去し、徳川方に走った。それに伴い、離反から5日後の8月26日には、次男・仙千代をはじめとした人質3人が処刑された(一説には串刺し刑であったともいわれるが、定かではない)。
天正元年(1573年)に長男・貞昌(のちの信昌)に家督を譲って隠居し、自身は家康の許にあって、奥三河の地勢や人物関係を教える助言役に徹していたと言われている。
天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで、酒井忠次に属して鳶ヶ巣山奇襲隊として参戦し、窮地に陥っていた長篠城救援に貢献した。戦後は、信長と家康の両将から見込まれた信昌を引き立たせるべく、表舞台から完全に退いている。

23: 人間七七四年 2009/06/04(木) 02:59:42 ID:LvnVnhu1.net
しかし領地が徳川や織田に近い木曽、穴山、奥平は当時の考えから行けば
力の強いものに飲まれて仕方がないかも
まあ穴山は武田一門だけに見方は厳しいところはあるな

25: 人間七七四年 2009/06/09(火) 06:13:21 ID:NSZFtJNA.net
義信事件をチクッた高坂昌信

178: 人間七七四年 2012/01/27(金) 09:42:18.63 ID:Jr+64r7l.net
>>25
マジレスするとチクったのは弟の昌景
ノブヤボのイベントで何度も見せられたから間違いはない

27: 人間七七四年 2009/06/09(火) 19:56:07 ID:EgGF1ZR6.net
長篠の撤退がどう言う意図であったのかで穴山は黒から真っ黒になるな
長篠は武田家没落の最大最悪の合戦だし
小山田は最後に下手こいたな
アレで最後は勝頼と岩殿で討ち死にしていたら
高橋招運もかくやと言う名将として武田四名臣以上の評価だったのにw
「武田家」を裏切った、と言うとやっぱり穴山だな

28: 人間七七四年 2009/06/09(火) 19:57:16 ID:EgGF1ZR6.net
あ、紹運の紹の字が違ってた失礼

31: 人間七七四年 2009/06/11(木) 07:29:04 ID:nDXzspJF.net
ってか、


武田裏切り者多すぎだろw

33: 仙台藩百姓 2009/06/11(木) 09:41:28 ID:s+2BBtfA.net
親族だろうと外様だろうと裏切りには違いないお( ^ω^)

でも一番は間違いなく信玄だお( ^ω^)
1、親父裏切って国を乗っ取る
2、今川、北条を裏切って駿河分捕る
3、織田、徳川裏切って攻め込む
4、中途半端な所で氏んでみんなの期待を裏切る←これ一番

45: 人間七七四年 2010/04/24(土) 05:43:41 ID:qSM1nXvN.net
織田に最後の決め手を与えたのは、木曽と穴山だろうな。
まあ、どちらかだけでも致命的で、仮に片方が寝返らなくても、どうしようもなかっただろうが。
木曽と穴山なら、やっぱり年月が深い分、穴山の裏切りの方が印象は強いね。
小山田は、最後の土壇場だっただけにイメージは悪い。
真田は、北条とやりとりしていようが、仮に岩櫃に迎えるなら、上杉だけじゃなく北条との交渉も必須だから何とも。

50: 人間七七四年 2010/06/30(水) 02:15:23 ID:fprNUYGv.net
武田信玄

強力な権力を持つ戦国大名を目指した父親を追放し、諸豪族連合政権のような
脆弱な組織にしてしまい、息子の義信を死なせて、その弱い結びつきの
家臣団の結束をさらに弱体化させた。

52: 人間七七四年 2010/06/30(水) 04:02:30 ID:htwfAnAI.net
案外、兵卒たちじゃねーの?
確か滅亡の数ヶ月前までは武田は二万の兵を出すほど協力だった。
二万の兵があれば峻険な甲斐・信濃の地形を利用すれば織田の大軍とて攻略は難しかった。
それなのに最後の瞬間に勝頼を見捨てて出仕しなかった兵卒たちが悪。

53: 人間七七四年 2010/06/30(水) 08:27:29 ID:kIoIRFKL.net
>>52
直接決戦より調略で寝返りが血を流さず尤も効果的
アホと違うか

54: 人間七七四年 2010/06/30(水) 09:43:53 ID:EwVLCLvm.net
駿河探題(江尻藩主)でありながら武田を裏切った穴山陸奥入道

55: 人間七七四年 2010/06/30(水) 10:26:15 ID:b2sPgGzS.net
木曽にしてみりゃ武田に恨みこそあれ恩なんかないし
織田がきたら真っ先にやられるだろうしあんまり責められないと思う。
そこへいくと穴山じゃないかな。

まともに戦えず負けたのは武田が
甲信の盟主としての信任を失ってたってのが大きいんだろうね。
豪族全体がもう武田とか嫌だと思ったんだろ。

56: 人間七七四年 2010/07/08(木) 06:55:10 ID:z+lh3dUW.net
正真正銘の源氏の武田に縁組してもらったおかげで
自称木曾義仲の子孫(しかもその可能性は相当に薄い)の木曾氏が
飛躍したんだと思うが。

59: 人間七七四年 2010/11/20(土) 14:04:09 ID:SUQ+wyCU.net
親族衆筆頭の穴山を挙げる者がいるがさにあらず。
穴山氏は、駿河今川と誼みを通じ、従って太郎義信謀叛の際も弟・彦五郎信邦が義信側についたが、その後も穴山氏立場はゆるぎなく、信玄は穴山を江尻に三ヶ月分の兵糧を運んで甲斐に一時撤退し、

60: 人間七七四年 2010/11/20(土) 14:21:38 ID:6jNzfLCh.net
小山田だろう
あそこで裏切るとか

62: 人間七七四年 2010/11/20(土) 16:46:59 ID:SUQ+wyCU.net
武田どのは、上杉に見切りをつけたもと越後國頸城郡箕冠城主大熊朝秀を厚遇してます

65: 人間七七四年 2010/12/05(日) 14:08:09 ID:BqoKbeCm.net
戦国時代でも滅亡間違いなしの主君と運命を共にした武将は数多い。
裏切られすぎの勝頼はやっぱり悪い主君だったのかな。

66: 人間七七四年 2010/12/06(月) 02:11:21 ID:iDkgAB2c.net
となると武田最大の裏切り者は勝頼か?
いったい、勝頼のせいで何人の武田武士が死んだんだか・・・

67: 人間七七四年 2010/12/06(月) 03:04:49 ID:xj+wy28r.net
信長が苦しい時期をわざわざ選んで攻撃してきた信玄が一番最悪。

68: 人間七七四年 2010/12/06(月) 22:44:50 ID:3d4Z5v45.net
父親を追放して、武田宗家の権力基盤を弱体化させた信玄が、最大の裏切り者

70: 人間七七四年 2010/12/11(土) 18:08:01 ID:bpLByAbU.net
>>68
信虎追放の首謀者=板垣信方

…かどうかはともかくとして、当時の晴信が担がれただけなのは明白。

69: 人間七七四年 2010/12/08(水) 22:19:42 ID:htwbHuEm.net
武田勝頼はある意味、期待を裏切ってないと思う。

71: 人間七七四年 2010/12/12(日) 17:20:05 ID:TaS8c8f2.net
板垣が首謀した場合、追放にどれだけのメリットあったんだろうか。

72: 人間七七四年 2010/12/12(日) 17:59:51 ID:oqQqk+j+.net
若い晴信の後見人として権力増大。
信虎がいる状態では、例え晴信に家督が譲られようとそうはいかない。

73: 月孔雀 2010/12/13(月) 17:25:13 ID:0maK9ntO.net
勝頼の自業自得。

74: 人間七七四年 2010/12/13(月) 22:26:49 ID:DD/NdWAT.net
今川侵攻に頑強に反対してそのまま死んじまった義信こそ最大の裏切り者

75: 人間七七四年 2010/12/14(火) 00:24:47 ID:N0qWfxNn.net
裏切り者じゃないけど川中島で死んだ信繁が滅亡の元凶

78: 人間七七四年 2010/12/16(木) 01:56:19 ID:ZNxSvY2s.net
信虎を追放したのって家臣達だよね?
追放後の晴信には家臣を従える威厳はなかったみたいだし。

その後に出家して信玄に名を変えて家臣達から認められたんだよね?

79: 人間七七四年 2010/12/16(木) 03:16:51 ID:Xvt2niCR.net
>>78
>その後に出家して信玄に名を変えて家臣達から認められたんだよね?

当時武田家を牛耳っていた最重臣で晴信の後見人でもあった板垣信方が
上田原の戦いで戦死したから、晴信の権力が増大したってだけ。

84: 人間七七四年 2011/07/03(日) 13:01:26.47 ID:OA8BGNus.net
>>79
ある意味あそこで甘利と板垣が戦死したのは晴信にとって光明だったな
その後の戦いでは別にその二人死んでも采配は冴えてるし武田軍の動きも悪くない

85: 人間七七四年 2011/07/04(月) 22:03:23.51 ID:QDsFM5vH.net
マジで裏切った 穴山 木曽
穴山の裏切りみて逃げた 多数
土壇場で裏切った 小山田
裏切った訳じゃないのになんか裏切ったみたいな扱い 武田信豊 武田信廉
なんか分からないけど忠臣扱い 真田

88: 人間七七四年 2011/07/05(火) 16:21:35.88 ID:r5UDFhkf.net
>>85
信廉は完全に敵前逃亡だから、裏切りといって差し支えない。
信豊も小諸から関東に逃れようとしていたと考えると、微妙なところ。

86: 人間七七四年 2011/07/04(月) 22:20:37.93 ID:RLT0dJ73.net
裏切りそこねたから千人道連れ 土屋

89: 人間七七四年 2011/09/16(金) 15:37:41.94 ID:axEfI9Sh.net
小山田頼らず真田頼ってたら昌幸親子も裏切ったんだろ?
えんがちょえんがちょ

103: 人間七七四年 2011/09/18(日) 18:31:30.62 ID:cnstVtI9.net
小山田も裏切る予定なら勝頼を城に呼ぶなよ、と。
昌幸の城に行ってたらどうなってただろう。

114: 2011/09/21(水) 06:55:18.42 ID:J/dWWioE.net
>>103
昌幸が簡単に勝頼差し出すとは思えないんだけどな
関ヶ原でも圧倒的に不利な西軍につく奴だし
織田相手にも戦ったと思うけどね

105: 人間七七四年 2011/09/18(日) 19:17:42.87 ID:wRfRn9Fl.net
敵らしい敵がもう織田にはいないのに
朝倉景鏡みたいなマネして助かると昌幸が思うとでも?

106: 人間七七四年 2011/09/18(日) 20:17:33.40 ID:2040RLd+.net
変な欲出さなきゃ大丈夫だろ
実際史実でもなんもしないまま織田に属した訳だし
勝頼の首の功績を求めるとかみたいな事しなけりゃ

111: 人間七七四年 2011/09/19(月) 13:37:09.21 ID:xdSYq6pW.net
保科正俊、保科正直も忠臣と言えそう?

124: 人間七七四年 2011/09/21(水) 21:29:36.69 ID:esE7b6kD.net
昌幸が勝頼を裏切ることはないと思う。

勝頼が昌幸のもとへ行き、昌幸が戦うとして、織田はどうするだろうか?

>>111
保科は信忠軍が高遠城に迫った時、織田に寝返ろうとしていたみたいだよ。
信長公記に「保科はここ(高遠城)で、城に火を放って織田方に転じようとし、この計画を小笠原信嶺のもとへ夜中に知らせてきたが、これを信忠に知らせる時間もなかった」
って書いてある。

122: 人間七七四年 2011/09/21(水) 18:30:56.08 ID:fIwh5U0i.net
勝頼政権崩壊については木曽の裏切りが全部悪い~~とか書いてた本を読んだことがある

126: 人間七七四年 2011/09/21(水) 23:43:32.10 ID:esE7b6kD.net
思ったんだが、武田を裏切らないで武田滅亡後に徳川に仕えた武田旧臣が木曽義昌を見た時はどういう気持ちになったんだろう?
井伊直政が秀吉の家来となった石川数正を見たときと似たような気持ちだろうか?

127: 人間七七四年 2011/09/21(水) 23:45:19.91 ID:JM2oV5Ba.net
>>126
その時二人はどんな会話したとかの史料はないの?

128: 人間七七四年 2011/09/22(木) 00:15:40.43 ID:DlNWIy+R.net
井伊と石川の話については、

秀吉が井伊を茶会に招待した。
そこには石川がいた。
そこで井伊は「主君に背いて殿下(秀吉)に従う臆病者との同席は断る」と言った。

145: 人間七七四年 2011/09/24(土) 12:08:23.38 ID:/rLuv8DD.net
>>128
ただ石川数正が秀吉に従ったのは餌に釣られたというより
信康と築山殿の一件が大きいと思うけどね。
あの事件は実際の所は家康と信康のお家騒動だったわけで、信康の
後見人であった数正には色々思う事があったんじゃない。

152: 2011/09/24(土) 20:54:17.79 ID:dBnyV3yA.net
武田が亡びなかったら本能寺の変は無かった

そう考えると勝頼の呪いが炸裂したのかな、本能寺の変は

宿敵武田を滅ぼした後に自分が亡びるとは信長も思ってなかったろうな

皮肉だな

引用元: 武田最大の裏切り者って誰だろうか