no title
1: 人間七七四年 2007/02/18(日) 00:52:49 ID:dxPoiF1R.net BE:274453474-2BP(22)
豊臣政権末期に政権の実務を担い
五奉行と呼ばれた五人の吏僚について語りましょう。

* 浅野長政(甲斐甲府22万石)
* 増田長盛(大和郡山22万石)
* 石田三成(近江佐和山19万石)
* 前田玄以(丹波亀岡5万石)
* 長束正家(近江水口5万石)

石田三成は単独のスレッドがあります
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150512127/

2: 人間七七四年 2007/02/18(日) 01:05:17 ID:Ns+JJk0c.net
>>1

スレ立て乙


ところで前田玄以と増田長盛は家康に内通していたが
長盛は改易され、対照的に玄以は所領を安堵された。
この二人の処遇の違いには何の思惑があるのだろうか?

5: 人間七七四年 2007/02/18(日) 04:30:28 ID:zgNWr4HN.net
>>2
玄以は公卿や僧侶に独自の人脈を持っていたからでは?

4: 人間七七四年 2007/02/18(日) 04:05:30 ID:Lla0lUGp.net
みんな仲悪すぎ

7: 人間七七四年 2007/02/18(日) 21:07:26 ID:AXktzvJz.net
西軍の中心人物であるにもかかわらず助命されたのは、前田玄以もそうだが、
伏見城や関ヶ原に出兵せず、自らの手を汚さなかったためと思われる。
ただ、家康は長盛を仇敵と憎んでいたらしく、大阪落城の直後に自殺させている。
前田玄以の孫3人も同じ頃自殺させられており、家康の執念深さはすさまじい。

8: 人間七七四年 2007/02/19(月) 15:42:18 ID:Kyed5sTd.net
基本的に各分野のエキスパートの能吏集団。
浅野長政はまとめ役だったのだろうが
執行官としての威厳をもっと持たせるために
みんなもう少し禄高を上げてやって欲しかったね。

9: 人間七七四年 2007/02/19(月) 15:46:49 ID:NO8hR+zn.net
いや、奉行衆の石高は妥当なところだと思うぞ
ただでさえ君主の側近に侍り大きな権限を持ってるのに、
大封まで与えてしまえば増長してしまうでしょ

10: 人間七七四年 2007/02/19(月) 16:15:54 ID:WaE+hLi+.net
>>1
末席の長束カワイソス。

11: 人間七七四年 2007/02/19(月) 18:53:02 ID:XoZHkt38.net
>>10
長束は新参で一番若かったからね。
但し、実質15万石程度の実収があったとか

13: 人間七七四年 2007/02/19(月) 21:02:44 ID:WaE+hLi+.net
>>11
長束殿が一番若輩だったんですな。勉強になりました。

90: 人間七七四年 2007/12/22(土) 18:25:45 ID:VAxvVwN+.net
>>11
関ヶ原直前には12万石に加増されてる。
石高以外では細川と縁が深かったようだ。正室は本多忠勝の妹だった。

12: 人間七七四年 2007/02/19(月) 21:01:03 ID:Hm5rmZaT.net
長束、前田、増田の三奉行は石田三成が謀反をおこしたと本気で
思っていた。だから西軍の動向を家康に通報していた。

14: 人間七七四年 2007/02/19(月) 21:06:31 ID:JluL+MCR.net
浅野家が一番生き残ったわけだが、
太閤の義弟でありながらも実は、
一番の親家康派だったからか?

16: 人間七七四年 2007/02/19(月) 23:41:06 ID:XwmrQxjH.net
>>14
北政所様系だからじゃね?

15: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/19(月) 21:33:47 ID:M0+uGTfs.net
家康自体が秀吉の舎弟分だと考えれば回り義兄弟だし。

17: 人間七七四年 2007/02/23(金) 00:33:41 ID:VfjGe/cB.net
長束正家
同じ奉行として、関係深かったが戦意はなかったようだ。

前田玄以・増田長盛
長束同様の関係だが自分が惜しかったか裏で三成を裏切った。

21: 人間七七四年 2007/02/27(火) 07:50:56 ID:/5i3iC2A.net
長束だけが、他家から移籍してきた外様か。

22: 人間七七四年 2007/03/20(火) 21:22:40 ID:rgHhVQ+H.net
五人の担当分野はどうなってたの?

27: 人間七七四年 2007/04/29(日) 03:06:16 ID:aMz/PRbV.net
>>22
長束は、財政経理担当、今風に言えば財務経理部長。
増田は、名判官と呼ばれてたらしいから、庶政庶務担当かな…。総務部長。
石田は、太閤の側近で、天下の枢機担当って感じ…。天下の検知から、大名の配置、太閤の遺命にまで参画した。社長室長兼秘書室長。
前田は、公家寺社担当で京都奉行。
浅野は、太閤の最古参の家臣の一人で、奉行の中で、唯一尾張出身で、太閤の縁者。人事部長。
以上、関ヶ原400年記念に、岐阜県が発売したDVDから(監修は、堺屋太一)

23: にんにん丸 2007/03/20(火) 21:41:46 ID:/+0nuvx2.net
三成の執権政治

29: 人間七七四年 2007/05/09(水) 23:51:47 ID:0pD4UdNG.net
増田って土木じゃなかった?

浅野が司法,石田が行政,前田が宗教,長束が財政

ちがふ?

30: 人間七七四年 2007/05/10(木) 00:11:35 ID:H/ZogEnC.net
>>29
そんな機能的に分かれてるわけが無いだろ。
とりあえず何でも「手の空いたのがやる」体制だろ。

33: 人間七七四年 2007/05/10(木) 15:22:12 ID:OX5A9jm9.net
浅野とか石田、増田は状況次第で検地も取次もこなすけど
前田(京都所司代)と長束(勘定奉行)は割とはっきり職務分かれてないか

35: 人間七七四年 2007/05/11(金) 20:06:10 ID:7P0NnxbW.net
さらに娘を妾に迎えたものだから代々津軽藩主の血脈に
石田三成の血が・・・

36: 人間七七四年 2007/05/17(木) 13:14:35 ID:jIvPtUxh.net
>>1
>五奉行と呼ばれた五人の吏僚について語りましょう。

当時の五奉行=現在の五大老だったと聞いたことが。

37: 人間七七四年 2007/05/24(木) 07:47:01 ID:OF5IWG77.net
五大老は五人の奉行とよばれていた。

五奉行は五人の年寄り(大老)とよばれていた。

38: 人間七七四年 2007/05/24(木) 13:33:20 ID:ecXlbJZJ.net
>>37
豊臣家の三中老は、三成らより格下になるのかな?
それならば、存在感の薄さも理解できるけど。

今までは五大老の下に、三中老がいたと思ってた。

39: 人間七七四年 2007/05/24(木) 20:25:32 ID:YL7anDFX.net
>>38
こんな感じでしょ

五大老=閣僚

三中老=副大臣

五奉行=各省事務次官

40: 人間七七四年 2007/05/24(木) 20:42:59 ID:ecXlbJZJ.net
>>39
例えは分かるけど、実権はどうなんだろ?
三中老に確固たる役目や権限とかはなくて、名誉職というオチは無し?

43: 人間七七四年 2007/06/12(火) 02:01:01 ID:2KrO610e.net
浅野と石田が消えた時点で機能不全だな。

44: 人間七七四年 2007/06/12(火) 02:11:40 ID:CT2xKfwe.net
>>43
むしろ秀吉が消えた時点で機能不全起こしているような。

45: 人間七七四年 2007/06/12(火) 03:36:33 ID:lxNUsc0s.net
今までの独裁者秀吉の個人秘書、所謂出頭人的存在から、
秀吉が死亡しても機能不全を起こさないように改めて政権内での位置づけを明確にしたのが五奉行なんだけどね
実際に秀吉死後には大老連中と協議してスムーズに諸将の朝鮮からの撤兵を成功させてる
家康が豊臣恩顧の連中の対立を煽らず、むしろ秀吉に頼まれたように
彼らを押さえつけてくれたら問題なかったんだろうけど、それは仕方ないな

46: 人間七七四年 2007/06/12(火) 19:04:56 ID:spMtdMuV.net
そもそも、五奉行って何か無茶な事やったっけ?

47: 人間七七四年 2007/07/23(月) 01:05:24 ID:dh9YZeus.net
三成に島左近あり。
長盛に渡辺了あり。
では正家には?有名な家臣はいたのかね?

まあ、いなくとも、関が原で島津と石田の間にでも布陣していれば、
戦局も多少は違っていたかもね。
島津の1,500に参戦の要請をするほど、兵数を三成が欲していたからね。
それか、崩れかけた小西勢を横から助勢するとかしてもいいよな。

三成は、せめて正家くらいは関が原に引っ張っていくべきだったな。

49: 人間七七四年 2007/07/23(月) 22:22:49 ID:Tz7TJlQX.net
家康や秀忠がしっかりしてたからな>初期江戸幕府
それに江戸時代初期はまだまだ豊臣家とか朝廷とか
戦国生き残りの有力外様大名みたいな紛争の火種が山積み状態
そういう不安定な状況ではかっちりした官僚行政機構組み立てるよりも、
ある程度将軍の独裁が発揮できて変事に臨機応変に対応できる制度の方が理にかなってた

50: 人間七七四年 2007/07/24(火) 11:13:25 ID:AnnHOF3H.net
豊臣家の場合せっかく育ち始めてた官僚機構を、秀次成敗の時に秀次と一緒に自分で殺しちゃったのが大きい。

51: 人間七七四年 2007/07/24(火) 12:00:44 ID:AjMpkpGz.net
秀吉が五奉行みたいな制度を整えたのは秀次粛正後だが
何か勘違いしてね

54: 人間七七四年 2007/08/25(土) 23:03:01 ID:ffpYFn6s.net
長束は経理関連の能力がずば抜けてたみたいな説明をよく見るが
実際どうすごかったのかよくわからん
石高も前田以外の3人と比べて低いな

55: 中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 2007/08/25(土) 23:10:01 ID:C8iwnV10.net
天下無双の算術使いカコイイ

56: 人間七七四年 2007/08/27(月) 02:57:53 ID:5U6SbxxU.net
九九を12×12とかまで暗記してそう>長束

57: 人間七七四年 2007/08/27(月) 03:34:23 ID:HkttdeVv.net
>>56
そのぐらいなら小学生高学年の半数でもできるw

58: 人間七七四年 2007/08/27(月) 03:40:37 ID:6Lqq0nmO.net
今の小学生は絶対無理だ…

62: 人間七七四年 2007/09/02(日) 00:45:35 ID:Ik7Mc18q.net
五奉行に名目上の序列は存在しないだろうが
一応、政治担当で公家にも顔のきく前田玄以がやや抜きん出てて
それに次いで石田三成、浅野長政だったんじゃないかね。
経理実務の最高執政官は長束正家だったはず。

64: 人間七七四年 2007/09/02(日) 02:39:08 ID:fCmi6ekb.net
>>62
確か前田、浅野、増田、石田、長束の順だった気がする。
秀吉の葬儀の時もその順番じゃなかったかな。かなり危うい記憶だが。

66: 人間七七四年 2007/09/02(日) 05:30:03 ID:Ik7Mc18q.net
>>64
なるほど。それで序列が下位の三成が「合議制」なのをよいことにして増田、長束を味方に引き入れて
自分の意思を「五奉行の多数決による総意」という形で引っ張りまわしてたわけか。

67: 人間七七四年 2007/09/02(日) 11:42:07 ID:DIHZm4oy.net
いちおう筆頭というか代表は浅野じゃなかったの?

68: 人間七七四年 2007/09/04(火) 06:04:37 ID:nr4jcjBJ.net
そう
五奉行首座は浅野長政

69: 人間七七四年 2007/09/04(火) 21:43:09 ID:8ed/16zM.net
五奉行という言葉に惑わされれはいけません。
豊臣家の組織は全くの未整備状態。
さまざまな案件に対して、
秀吉が適当な家臣に処理を命じる。
その取り纏め役になることが多かったのが
浅野、石田、前田、増田、長束。
役職としての五奉行なんてものは存在しなっかのでは。

70: 人間七七四年 2007/09/04(火) 22:00:39 ID:vM5W8KOF.net
いや、たしかに政権運営はそんな感じでやってたけど、死ぬ直前に
ちゃんと名指しで五奉行制を定めてる

71: 人間七七四年 2007/09/26(水) 20:56:16 ID:TzqV0ahw.net
秀次事件で浅野が蟄居してた時は、宮部継潤と富田一白がメンバーに加わってたんだな。

73: 人間七七四年 2007/10/26(金) 05:00:36 ID:wOqwDUft.net
五人の能力もさることながら、性格も相互補完する関係にあったのだろうかな?
浅野と石田は不仲のようだが。

80: 人間七七四年 2007/11/25(日) 13:19:20 ID:CvSVJtF/.net
>>73
石田と浅野長政の不和はどうなんだろう?って話があるな
仲が良かったという確証もないみたいだが…


浅野は根っからの親家康に見えるけどそれはあくまで後世から見ての話で
見方によっては長政は秀吉の死の前も後も豊臣政権寄りだったと見ることが
できるって説を見たことあるが……なにで見たんだっけな。

81: 人間七七四年 2007/11/25(日) 14:25:48 ID:+DwoYZe/.net
>>80
豊臣政権よりでも石田路線支持とは限らんわな。

83: 人間七七四年 2007/11/27(火) 12:34:21 ID:A9M780cI.net
>>80
江戸時代も大名として残ったから、親徳川って見られてるんだろうな。
でも、家康暗殺計画の謀議に加わったとして、蟄居されてる。
家康と組んで行った出来レースと言われてしまえば、仕方ないけど。

74: 人間七七四年 2007/11/13(火) 21:36:59 ID:O+C5scpH.net
てっきり三成が五奉行首座だと思ってた。
秀吉にも気に入られてたし、関ヶ原起こしたのも彼だし。

75: 人間七七四年 2007/11/14(水) 06:30:26 ID:WUX0FD78.net
>>74
実力者だけど、席次は下位。
関東軍じゃないが、司令官より参謀が権勢を振るって感じw

82: 人間七七四年 2007/11/25(日) 15:38:22 ID:gfxGNUuD.net
石田路線ってどんなの?
とにかく家康排除みたいな?

84: 人間七七四年 2007/11/27(火) 16:14:04 ID:c8Sj+2CG.net
>>82
結局は家康を体制の中に置くか外に叩き出すか、って路線じゃね?
家康と決戦して勝てばいいけど、負ければその覇権を確立させるだけだし(実際そうなったし)

85: 人間七七四年 2007/12/01(土) 01:03:30 ID:XqA+cQJW.net
浅野は余裕で生き残り
石田と長束は一応子孫がいるが
前田と増田はどうなったんだ?

86: 人間七七四年 2007/12/16(日) 17:58:49 ID:oFwj4Ilu.net
>>85
浅野は息子の長晟が家康の娘(蒲生の中古)を孕ませた功績で生き残った。
高齢出産で出産後すぐに家康の娘が亡くなり、母のいない光晟を家康や秀忠が
不憫に思っての家康の外孫としての御家存続らしい。

88: 人間七七四年 2007/12/16(日) 18:25:42 ID:cr1kRGAH.net
長束や増田は関ヶ原で評価を落としてるよな
秀吉が奉行に任ずるだけあって素晴らしい政治家なんだろうけど

92: 人間七七四年 2008/01/28(月) 11:34:12 ID:vn5TDXL0.net
>>88
政治家ではなく官僚だな

89: 人間七七四年 2007/12/16(日) 18:29:40 ID:FWrwbIuS.net
浅野は所領が西日本にあったらな~

93: 人間七七四年 2008/02/01(金) 17:15:38 ID:8uoEaftS.net
大谷刑部が病さえなければ五奉行入りしていたという話は

94: 人間七七四年 2008/02/01(金) 18:52:04 ID:GL7NetgB.net
>>93
五奉行ってそんな固定化された組織じゃ無いだろ。
たまたま5人が指導的地位にいたから五奉行って呼ばれただけで。
6人いりゃあ6奉行になってたさ。

95: 人間七七四年 2008/02/02(土) 01:43:01 ID:KBsupToY.net
七人いれば7奉行か。竹下派の7奉行って誰々だったっけ。

96: ◆QqQquqqauQ 2008/02/02(土) 07:13:41 ID:IvPDSCGB.net
橋本龍太郎 小渕恵三 梶山静六
小沢一郎 羽田孜 奥田敬和 渡部恒三

97: 人間七七四年 2008/03/06(木) 20:46:14 ID:wr0VSZFJ.net
>>96
勉強になりました。

99: 人間七七四年 2008/03/07(金) 08:15:33 ID:TeM248Zy.net
実は、五奉行が大老(年寄)

実は、五大老が奉行

100: 人間七七四年 2008/03/14(金) 05:57:07 ID:GpPU97x3.net
>>99
学校のテストで書くと×にされるけどねw

103: 人間七七四年 2008/03/15(土) 05:54:37 ID:iWiPITWB.net
各人の地方大名とのパイプはどんな感じだろ?
詳しく知らないから、分かる人が是非教えて欲しい。

石田:佐竹・津軽
浅野:
増田:長宗我部
長束:
前田:

105: 人間七七四年 2008/03/15(土) 08:24:01 ID:IhwcF1x0.net
>>103
増田は里見

107: 人間七七四年 2008/03/15(土) 11:06:42 ID:YbCY7GXb.net
>>103
石田のところに真田を追加

108: 人間七七四年 2008/03/15(土) 13:17:53 ID:ZG2jz6Iu.net
 長宗我部元親は、信親の死語、盛親を跡継ぎにするに際し、増田長盛を烏帽子親とした。
 盛親を後継にきめたことは、後世、作家などが、いろいろ書いているが、実際は、
 信親  ←信長が烏帽子親
 香川親和 香川信景養子
 津野親忠 津野氏は土佐七雄の名門で一条家重臣
 
 と、それぞれ引きずるものがあったので、新たに豊臣政権下での外交力を高めるために、とくに考えて増田に近づいたと思われる。

 元親が増田のことを高く買った理由は、単純である。
 彼が非常に才能あふれた人物だったからだ。
 増田は微禄から秀吉に仕えて、もとは槍働きで名をあげた。
 小牧・長久手では先鋒をつとめて徳川軍と戦い、敵将の首二つをあげる殊勲をたてて二万石に増封されている。
 その後も、九州征伐、肥後一揆鎮圧、小田原の役、朝鮮出兵、
 とほとんどすべて秀吉の戦さにかかわった。
 朝鮮の役では兵を率いて渡海して、実際に現地で戦いながら、兵站を調整する任務にあたった。
 そのあたりは三成とは大きく違う点で、現場たたきあげの実務家であった。
 もともとは勇武の人だったが、逆をいうと、そういう男は秀吉政権にはゴロゴロしていた。
 途秀吉も増田の才能に気づき、途中からはもっぱら内政家として重用した。
 増田の算学、経理の才は傑出していて、太閤検地は彼がいなければ成功しなかったといわれている。
外交官としても優れており、元親のほか、上杉景勝などを担当した。
 また、小牧長久手で戦った家康からは、その武勇をほめられて、以後、昵懇となり、このことが関ヶ原の増田の動きに関係してくる。
 いかに秀吉が増田を買っていたかは、大納言秀長の死後、
 その領国の大和郡山に増田を入れたことからもわかる。
 この時点での禄高は浅野長政とならぶ二十二万石であり、石田三成より上であった。浅野は豊臣家に親類ということを考えれば、別格扱いである。

 ちなみに先の長宗我部との関係だが、サン・フェリペ号が土佐に漂着したさい、
 秀吉は増田を土佐に派遣している。
 元親と増田が仲がよかったことを知ってのことかもしれない。増田は土佐に一月ほど滞在して、この事件を調べた。これが後に、秀吉によるキリシタン追放につながる。
 関ヶ原での増田の行動は、いいろいろといわれている。しかし、彼の行動が豊臣家を滅ぼし、徳川の天下に大いに益があったことは間違いない。
 増田は功績は残るが、逸話が少ない人物で、性格もはっきりしない。
 彼は主君の下で与えられた仕事には十分に力を発揮する。しかし、混迷した世を自らの才気で渡ることは苦手でたったのかもしれない。
 素が槍働きで成り上がった武将であり、世の動きはさほど見えていなかったからかもしれない。そのあたり、福島正則とにている。
 晩年は、家康にいいように使われて、豊臣家からも恨まれて自身も大いに悔いが残ったとおもわれる。
 関ヶ原の後、領国を失った彼は、高野山に隠棲した。
 子の増田盛次が大阪の陣で旧知の長宗我部隊に属して、藤堂家と戦った。
 藤堂隊はこのたたかいで壊滅的な打撃をうけ、長盛はその責任をとらされて切腹させられた。長盛はこの時、怒りもみせず従容として腹を切ったという。

110: 人間七七四年 2008/03/24(月) 11:01:45 ID:TH5lqETk.net
石田はなぜか島津を異常に気に入って
石高が減って困窮する島津に貨幣経済について教えて
助けちゃったことがあるので仲がよかったらしい

112: 人間七七四年 2008/03/24(月) 11:32:30 ID:jLFxtozI.net
>>110
義弘? 義久?

111: 人間七七四年 2008/03/24(月) 11:27:17 ID:D1lN3RN1.net
その島津が後に憎き徳川幕府を倒してくれるわけか

113: 人間七七四年 2008/03/24(月) 13:51:03 ID:xRvNmTjZ.net
義弘だと思う

114: 人間七七四年 2008/04/17(木) 20:46:30 ID:DNXP+q0j.net
義久は家康贔屓だっけな。

115: 人間七七四年 2008/04/18(金) 01:17:34 ID:rp4bMQ/y.net
義久と家康があったのは実は太閤死んでから。
まあ、死んでからソッコー会いにいったわけで息子を笑えない可愛い性格だとおもた。

116: 人間七七四年 2008/04/18(金) 01:18:42 ID:QKv3Tt95.net
中老って実質働いていたの
中村一氏以外誰がいたのですか。

117: 人間七七四年 2008/04/18(金) 01:38:00 ID:QClUMXqj.net
堀尾吉晴 生駒親正
あまり機能してない
とくに堀尾は親家康でいろいろと策動してる

118: 人間七七四年 2008/04/18(金) 11:49:48 ID:lwRYWCAe.net
実は、五奉行が五大老(年寄り)

実は、五大老が五奉行

秀吉の死の直前から、三成らは、家康らを「御奉行衆」、自分たちを「年寄共」とした文書を多数発給している。この中には家康ら「五人之御奉行衆」に宛てた起請文も含まれている。毛利輝元や宇喜多秀家の文書にも、自分たちを「御奉行衆」とする文言がある。この用法には、「御奉行衆」を「秀頼の命を奉じて執行する代行者もしくは補佐役」とする意味合いが含まれているとされる。もとより家康にとっては不本意な呼称であり、その発給文書で自身を「奉行」と呼んだのは一例かぎりである。
一方、島津義久の書状では「御老中衆・御奉行衆」と、加藤清正の書状では「日本御年寄衆・御奉行衆」と、それぞれ家康らと三成らを呼び分けているが、これらが従前からの呼称とみられる。また、輝元家臣の内藤隆春は三成らを「五人之奉行」とし、醍醐寺座主・義演も三成らを「五人御奉行衆」としており、それぞれの状況・立場に応じて呼称していたことが伺える。
関ヶ原の戦いの折、前田玄以・増田長盛・長束正家の三人は、家康弾劾状「内府ちかひの条々」を諸大名に発したが、その文中でも家康らを「御奉行衆」、自分たちを「年寄共」としている。だが家康に与した大名や徳川家臣団は、玄以らを「奉行」と呼び、けっして彼らを「豊臣家年寄」とみなしてはいなかった。
なお、家康らを「老中」「年寄」と呼んだ例は上記の通りあるが、「大老」と呼んだ例は同時代の史料にはない。この呼称は、江戸期に入ってから江戸幕府大老になぞらえて作られた造語であるとされる。「五大老」の呼称は山鹿素行『武家事紀』に、「五奉行」は小瀬甫庵『太閤記』などに見られ、のち「五大老・五奉行」という呼び分けが定着するに至った。

119: 人間七七四年 2008/04/18(金) 15:18:58 ID:z33tMSQO.net
↑それは関が原の折に奉行側が主張してた事な

120: 人間七七四年 2008/04/24(木) 16:29:25 ID:+oDuDNaW.net
五奉行同士は仲良かったのだろうか・・
前述の増田とか経歴みるかぎりでは、三成と仲悪そうだが・・・
そのあたり書いている本とか、ほとんどみたことないけど

121: 人間七七四年 2008/04/24(木) 16:32:34 ID:AC4t7AaM.net
>>120
仲が良い悪い以前に、立場や利害がバラバラ。

122: 人間七七四年 2008/04/24(木) 16:50:59 ID:+oDuDNaW.net
五奉行内で派閥があったと?

123: 人間七七四年 2008/04/24(木) 17:02:10 ID:EMvr+m0w.net
そもそも五奉行って「五奉行"内"」といえるほどその中でミーティングしたり調整したりしてたのか?
人事の部長や経理の部長をまとめて「五部長」て呼んでるようなもんだと思ってたんだが。

124: 人間七七四年 2008/04/24(木) 22:51:33 ID:lo7grrhU.net
寺社対応の前田以外の四人の仕事って、秀吉の死の直前まで
けっして分化されていたものじゃないんだよね。
堺屋はビジネス小説としておもしろいように
石田社長室長、長束経理部長、増田総務部長etcって感じに書いているけど、
すくなくとも東北の縄張りとかの当りまで、
三成と浅野が組んで検地とか、日常茶飯事。

全員総務、全員庶務、全員経理。
ミーティングや調整はその時一緒に仕事する相手としょっちゅう。
ちなみにその時の奉行は五奉行だけじゃなく、大谷、木村、富田などの面子も
五奉行と同格で入っている。
そいつらの中で最後に政争で秀吉側近に残れた5人(4人?)が五奉行と言われるだけであって。

146: 人間七七四年 2008/05/03(土) 12:46:09 ID:7ftq6jU8.net
宮部や富田は初期の奉行と呼べるのでは?
彼らの引退後に浅野と長束が代わった。

147: 人間七七四年 2008/05/03(土) 21:05:31 ID:+YykrdgA.net
浅野は初期の奉行でねーの?
浅野が秀次事件で一時失脚してその二人が代理みたいにしてたような

148: 人間七七四年 2008/05/03(土) 21:58:52 ID:ElLeUr1F.net
宮部継潤は世代的にも随身時期的にも、蜂須賀や前野の次にいた人間。
浅野の一時失脚時というよりはむしろ秀次に連座して切腹した
前野の穴を埋めるショートリリーフとして引っ張り出された感が強い。
奉行としての実務と言うよりは、格的に、
秀次派を粛清しても豊臣を支える古老はまだまだいるよ、と内外に示す感じで。
保守穏健派の長老の一人で、万時そつのない継潤はそういう役にはうってつけだろうね。

149: 人間七七四年 2008/05/05(月) 01:55:20 ID:srFrfVH8.net
めちゃめちゃ古参なのに秀次事件なんかで切腹させられちゃった前野カワイソス

150: 人間七七四年 2008/05/07(水) 17:40:04 ID:hdvoXY4T.net
秀吉はそう言う、昔を知っている古参を処分したかったんだろ。

151: 人間七七四年 2008/05/07(水) 22:23:24 ID:EafbulEm.net
そう考えると蜂須賀彦衛門の方はいい時期に亡くなったのかもな

153: 人間七七四年 2008/07/21(月) 23:04:05 ID:5vcWzvk4.net
そういや、5人の官位は全部同格なのかい?

154: 人間七七四年 2008/07/22(火) 00:02:09 ID:MKtq69Fr.net
みっちゃんと正家だけ従四位下あとは従五位

155: 人間七七四年 2008/07/22(火) 07:30:11 ID:e5NolHJo.net
一部の連中は、歴史群像の秀長の話にあったカネの問題に深く首を突っ込んでたんじゃないかな?とくに古くからの連中は成り上がりものだから金に執着しそうだし
だから前野とかは消えた気がする

156: 人間七七四年 2008/07/23(水) 11:38:06 ID:B+psD/qs.net
古参の連中というと、御子田正治や尾藤知宣なども粛清されているよな。

161: 人間七七四年 2008/07/23(水) 23:59:49 ID:Go6QW1zi.net
尾藤が九州征伐でとんちんかんなことやってたからってなにも処刑しなくても…
秀吉酷過ぎるよ…

162: 人間七七四年 2008/07/24(木) 00:04:27 ID:tQ1RZCOW.net
>>161
秀吉は処刑大好きだからねえ。
人が苦しんで死んでいくのを見るのが大好きだった節がある。

163: 人間七七四年 2008/07/24(木) 02:38:08 ID:FxcDY2uV.net
小田原攻めの際に許しをこうべく参じた尾藤を処刑しているし、
神子田もにたような感じだったはず。その一方で仙石さんは
あれだけの失敗をしてもあっさり復帰していたりするし、
秀吉ってかなり恣意的な処断を下す傾向があるような。

165: 人間七七四年 2008/07/24(木) 09:24:16 ID:z4YT8Ue3.net
信長のほうが甘いこともあるんだよな
使えると思ってる時期は反乱すら許すし(後で復讐するけど。
ただし佐久間や林も問答無用で追放したのではなく隠居しろとか妥協策は提示している)
身内にもとことん甘いし(弟除く。捕虜になったり逆らった兄すら許す。子供にも甘い)

178: 人間七七四年 2009/01/17(土) 16:55:23 ID:s9cyRCOf.net
江戸時代まで残ったのは浅野だけ?

179: 人間七七四年 2009/01/18(日) 04:51:48 ID:Q2WEiDH5.net
浅野に変わって 五奉行になった 富田信孝は江戸時代に入って津藩で残り 伊予転封後 大久保長安事件に絡み改易だよ

181: 人間七七四年 2009/04/15(水) 17:35:41 ID:L3WO1HgR.net
勝ち組は浅野長政と前田玄以だけだな

182: 人間七七四年 2009/04/15(水) 19:26:56 ID:XB4PxH6R.net
前田は息子の代で改易

183: 人間七七四年 2009/04/15(水) 19:34:53 ID:N7PIbVCe.net
親父もずっと心配してる馬鹿息子だったからな

188: 人間七七四年 2009/09/24(木) 20:50:08 ID:Iw3VU0yk.net
浅野と三成以外はとんだヘタレ
何だったんだろうなこの集団は

189: 人間七七四年 2009/09/25(金) 20:36:16 ID:KOAhpwmd.net
>>188
増田の最期は結構印象的。

190: 人間七七四年 2009/09/25(金) 21:00:30 ID:HwqPzVjp.net
>>188
増田・長束・前田に何を求めるんだ?
逆に自身の力量を勘違いした石田三成の方が何だったんだろう?

205: 人間七七四年 2009/11/11(水) 06:25:50 ID:Ltf1mSfY.net
そういや、増田に関しては家康にいち早く三成達が挙兵した事を知らせたりと
確実に内通してたみたいだが、同じく内通してたと言われる前田の方はどうなんだ?
何か内通の根拠でもあるの?

206: 人間七七四年 2009/11/11(水) 19:45:03 ID:XuDPPsrW.net
>>205
増田長盛については、「挙兵の二段階論」をどう考えるかによって
変わってくると思う。三成・吉継が謀議していると垂れ込んだのは
三奉行だったはずだけど、増田長盛ってこの後具体的な行動をとってたっけ?

三成と長政を除いた連中を三奉行といったりするけど、こいつらの間にも
かなり行動に温度差があるので、一概には言えないし難しい所だ

207: 人間七七四年 2009/11/11(水) 19:56:40 ID:zUg4q+ZV.net
長政に奉行を務めるほどの頭脳があったのかな?

208: 人間七七四年 2009/11/11(水) 20:43:39 ID:rvejS339.net
>>207
年長者で、太閤の縁者ってことだけ。

216: 2010/05/26(水) 17:38:53 ID:rBAakTK8.net
三成かっこいじゃん
福島とか黒田はタヌキにしょんべんチビって逃げ出したヘタレ
正面から向かって行ったのは三成だけだよ

217: 人間七七四年 2010/05/26(水) 20:06:48 ID:5BPzrD+7.net
三成「家康なんてぶっ殺せ!…って毛利輝元さんが言ってるぞ!」
輝元「ええ!?俺!?」

236: 人間七七四年 2011/08/24(水) 06:58:51.44 ID:IBn4qEBc.net
五奉行の次点以下は誰だろう?
大谷や寺沢?

237: 人間七七四年 2011/08/25(木) 19:16:39.22 ID:nKFk2AIQ.net
富田一白とか宮部とかじゃない

238: 人間七七四年 2011/09/01(木) 23:00:26.80 ID:0KREKSDW.net
蒲生氏郷、細川幽斎、堀秀政あたりは外様でもあるが、
秀吉政権においては重きをなしているイメージがあるなあ

下手すると後の五大老の上杉なぞより食い込んでいる感じがする

239: 人間七七四年 2011/09/02(金) 02:41:43.05 ID:DmRk64gg.net
それは彼らが秀吉政権の前身である織田政権の勢力だから。
政権確立後の秀吉の課題は、絶対性の確立のためそういう織田勢力からも距離を取ること。

240: 人間七七四年 2011/09/03(土) 21:38:41.19 ID:8oUFCX3c.net
>>239

なるほどね。そういう意味では蒲生と細川は
明暗を分けたというと言い過ぎかもしれんが
幽斎のつかず離れずの政治感覚はたいしたもんやね

273: 人間七七四年 2011/10/30(日) 18:36:41.02 ID:n7diOj+p.net
長束は天才的な理系なんだけど
某映画で一人悪役にされて割食ってたな

278: 人間七七四年 2011/10/31(月) 01:22:19.10 ID:mWmpg3h/.net
増田長盛は家康に情報流して生き残ったのに、
息子が大坂の陣で豊臣方に走った責めを受けて切腹だっけ?

279: 人間七七四年 2011/10/31(月) 01:56:27.99 ID:edKVHtMz.net
増田盛次の大坂参加は、徳川幕府に対する反逆で、逆賊朝敵の汚名により増田右衛門尉長森は切腹。

280: 人間七七四年 2011/10/31(月) 10:28:27.02 ID:3okR8Tjd.net
増田が流したのはフェイク情報
信じた家康は見事に騙された。

281: 人間七七四年 2011/10/31(月) 17:19:42.95 ID:npjyO3qz.net
それでも勝てない三成の無能さに驚愕

282: 人間七七四年 2011/10/31(月) 20:39:41.33 ID:778XWlH6.net
輝元率いる毛利が糞過ぎただけ

283: 人間七七四年 2011/10/31(月) 20:46:12.24 ID:npjyO3qz.net
そんな人間を総大将に据えた三成の無能さに驚愕。

284: 人間七七四年 2011/10/31(月) 21:26:08.40 ID:778XWlH6.net
20万石にも満たない三成が単独で徳川250万石と戦えるわけが無いだろ馬鹿か

285: 人間七七四年 2011/10/31(月) 23:11:46.08 ID:DkKrtbWU.net
大垣城で迎え撃ったらだめだったのかな?


287: 人間七七四年 2011/10/31(月) 23:30:42.85 ID:gStDyt9/.net
三成が忠臣だったとは限らん 西軍大勝利で一気に発言権と所領が増えた後、
どんどん独裁化していって秀吉が織田家を下克上したように秀頼を乗り越えたかもしれん

290: 人間七七四年 2011/11/11(金) 06:32:01.63 ID:HG68HD45.net
>>287
それよりさらに力をつけた毛利と上杉が豊臣家をないがしろにするかもしれんよ

304: 人間七七四年 2012/01/06(金) 16:29:18.30 ID:VCytQFDz.net
>>290
毛利上杉の二巨頭状態なら豊臣スルーはするかもしれんが潰される事は暫らくないんじゃね?
豊臣潰したら二巨頭同士でぶつかり合う事になるから緩衝材的な意味で。
史実では残念ながら徳川がでかすぎた。

315: 人間七七四年 2013/02/22(金) 00:55:32.28 ID:7tHeoKuS.net
>>304
室町幕府みたいな感じか

引用元: 豊臣政権の五奉行を語れ