
1: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:13:42 ID:pAF
よく百何十年も飽きずに続けたな
2: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:17:21 ID:qp8
応仁の乱ってのが無茶苦茶でなあ
それ以降は乱世よ
それ以降は乱世よ
8: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:20:57 ID:SKS
>>2
~応仁の乱末期~
大名A「俺なんで戦ってるんやっけ?」
大名B「知らん」
大名C「てゆっかお前ら敵?」
大名D「たぶんそうじゃね?」
大名ABC『!!!』
大名D「!?」
~応仁の乱末期~
大名A「俺なんで戦ってるんやっけ?」
大名B「知らん」
大名C「てゆっかお前ら敵?」
大名D「たぶんそうじゃね?」
大名ABC『!!!』
大名D「!?」
3: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:18:08 ID:Vci
そりゃ統一したいからやろ
4: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:19:05 ID:fY3
上へ上へ天下へ天下へとか全員がやってたらいつの間にか
5: 名無し 2015/10/03(土)18:19:30 ID:9SZ
いや~乱世乱世
6: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:20:10 ID:Hrh
簡単に言うと
政府が無能
政府が無能
13: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:25:14 ID:rbE
>>6
これだな 幕府今で言う内閣が力なさすぎ
これだな 幕府今で言う内閣が力なさすぎ
7: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:20:55 ID:bb4
戦国時代より前もほぼ絶え間なく戦争やってるからな
千年以上殺しあい続けてりゃもはや非常事態が日常です~だよ
千年以上殺しあい続けてりゃもはや非常事態が日常です~だよ
11: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:23:45 ID:pAF
>>7
平安時代とかは?
平安時代とかは?
18: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:27:25 ID:HvY
>>11
平安時代が荒れまくってたから
武士なんて階層が生まれてきたわけで
平安時代が荒れまくってたから
武士なんて階層が生まれてきたわけで
20: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:31:04 ID:bb4
でも足利一門ってなんか独特の魅力があるよね
政治面の未熟さや野蛮さが抜けきらないあたりがいかにも武家の棟梁って感じで好き
>>11
平安時代も字面に騙されがちだけど世紀末世界やで
お上品な武士が礼儀正しく戦ってるのは物語の中だけ
政治面の未熟さや野蛮さが抜けきらないあたりがいかにも武家の棟梁って感じで好き
>>11
平安時代も字面に騙されがちだけど世紀末世界やで
お上品な武士が礼儀正しく戦ってるのは物語の中だけ
24: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:35:30 ID:JDu
22: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:35:20 ID:pAF
>>18>>20
平安もヒャッハーなのか…貴族が歌読んでるイメージしかねえや
平安もヒャッハーなのか…貴族が歌読んでるイメージしかねえや
28: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:41:16 ID:bb4
>>20
それって大河清盛の為朝か!
為朝クラスのエリート戦士なら実際はガチガチの大鎧だったろうけど
郎党とかはマジでそんな感じだったんじゃね?
それって大河清盛の為朝か!
為朝クラスのエリート戦士なら実際はガチガチの大鎧だったろうけど
郎党とかはマジでそんな感じだったんじゃね?
25: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:39:18 ID:qp8
>>22
法治社会が始まって間もないからね
いきなりお行儀良くいくわけもなく北斗の拳状態よ
そこで現れたのが用心棒の侍、武闘派の公家が武家になったり傭兵集団が武家になったり
法治社会が始まって間もないからね
いきなりお行儀良くいくわけもなく北斗の拳状態よ
そこで現れたのが用心棒の侍、武闘派の公家が武家になったり傭兵集団が武家になったり
9: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:21:14 ID:JDu
小氷河期に突入しちゃって
不作続きになったから
食糧を得るために領地を得ようとしたわけで…
そこで貨幣経済の台頭が起こり
銭をめぐる縄張り争いも発生したわけで
不作続きになったから
食糧を得るために領地を得ようとしたわけで…
そこで貨幣経済の台頭が起こり
銭をめぐる縄張り争いも発生したわけで
10: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:21:40 ID:RWy
>>1
えっ、百何十年?
えっ、百何十年?
11: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:23:45 ID:pAF
>>10
応仁の乱から百年以上じゃね?
応仁の乱から百年以上じゃね?
12: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:24:42 ID:Hrh
室町幕府は秀吉みたいに武力統一したわけじゃないからなあ
14: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:25:46 ID:qp8
応仁の乱は当事者は振り返ってみて何をやってたのか何の意味があったのか分からない状況だからな
室町幕府のガバナンスがガバガバだったからそれぞれの領地の豪族が群雄割拠しちゃったにゃやろうな
守護代とか盟主のガバナンスもガバガバで同じ系列で戦を繰り返すとか
室町幕府のガバナンスがガバガバだったからそれぞれの領地の豪族が群雄割拠しちゃったにゃやろうな
守護代とか盟主のガバナンスもガバガバで同じ系列で戦を繰り返すとか
この乱が始まり、長期化した主な原因としては、
当事者が優柔不断
各勢力の内部の混乱
が挙げられる。将軍家の跡目争いの当事者たる、8代将軍足利義政、将軍後継候補の足利義視(弟)、足利義尚(息子)たちは、主導的に諸大名の争いを収めようとした形跡が殆ど見られず、逆に山名宗全に懐柔されて畠山の内紛を広げるなど、芯の通らない態度を足利将軍家がとり続けていた。
2つ目の「各勢力の内部の混乱」は凄まじいものがあり、数多くの諸大名が寝返り行為を行っていた。富樫政親、朝倉孝景などはその代表である。さらに両軍の人間関係は複雑で、西軍総大将の山名宗全の息子・山名是豊は東軍に所属し、父親の西軍と戦っていた。さらに途中からはトップの将軍家まで入れ替わってしまう。
こうして、応仁の乱は長期化し、京は焼け野原と化し、「将軍家の跡目の決定=権力の獲得」を一応の目的としていたはずの戦争によって、権力の象徴たる足利幕府は著しく弱体化していた。
最早、勝っても何も得られない。何のためにやっているのか…。
山名宗全が自殺しようとして家臣に止められる、という所業を行うくらいに厭戦気分が高まっていたのに、やめどきが分からない。そんな乱は、細川勝元、山名宗全の相次ぐ病死によって終息の兆しを見せ始め、勝元の息子・細川政元、宗全の孫・山名政豊によって和議が結ばれ、9代将軍に足利義尚が就任することで一応の終わりを見た。
当事者が優柔不断
各勢力の内部の混乱
が挙げられる。将軍家の跡目争いの当事者たる、8代将軍足利義政、将軍後継候補の足利義視(弟)、足利義尚(息子)たちは、主導的に諸大名の争いを収めようとした形跡が殆ど見られず、逆に山名宗全に懐柔されて畠山の内紛を広げるなど、芯の通らない態度を足利将軍家がとり続けていた。
2つ目の「各勢力の内部の混乱」は凄まじいものがあり、数多くの諸大名が寝返り行為を行っていた。富樫政親、朝倉孝景などはその代表である。さらに両軍の人間関係は複雑で、西軍総大将の山名宗全の息子・山名是豊は東軍に所属し、父親の西軍と戦っていた。さらに途中からはトップの将軍家まで入れ替わってしまう。
こうして、応仁の乱は長期化し、京は焼け野原と化し、「将軍家の跡目の決定=権力の獲得」を一応の目的としていたはずの戦争によって、権力の象徴たる足利幕府は著しく弱体化していた。
最早、勝っても何も得られない。何のためにやっているのか…。
山名宗全が自殺しようとして家臣に止められる、という所業を行うくらいに厭戦気分が高まっていたのに、やめどきが分からない。そんな乱は、細川勝元、山名宗全の相次ぐ病死によって終息の兆しを見せ始め、勝元の息子・細川政元、宗全の孫・山名政豊によって和議が結ばれ、9代将軍に足利義尚が就任することで一応の終わりを見た。
15: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:26:11 ID:ASe
まあまとまる要素無いもんな
地方なんかは特にほぼ無政府状態だし
地方なんかは特にほぼ無政府状態だし
19: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:29:04 ID:Hrh
くじ引きで将軍を決めるのが悪い
21: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:31:13 ID:34q
改易されずにずっと同じ所領を統治してた島津家しゅごい
23: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:35:22 ID:9Uh
薩摩芋が導入されるまでクソ貧しい土地だったうえに、住んでるヤツは上から下まで基本キチガイの薩摩
28: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:41:16 ID:bb4
>>23
大隅とかいう存在自体忘れられてるか良くて薩摩の付属品のイメージしかない不遇な国
肝付とか戦国島津家にとってはかなりの強敵だったはずなのに
大隅とかいう存在自体忘れられてるか良くて薩摩の付属品のイメージしかない不遇な国
肝付とか戦国島津家にとってはかなりの強敵だったはずなのに
26: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:40:32 ID:COc
別にいつも戦争してたわけではないけどな
31: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:44:28 ID:pAF
>>26
まあ、さすがに年中無休は無いか
まあ、さすがに年中無休は無いか
27: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:41:04 ID:Hrh
地方の独立国はそれなりに治安はよかったろ
それより悪党とか徒党を組んだやつらがが問題じゃね?
それより悪党とか徒党を組んだやつらがが問題じゃね?
29: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:42:17 ID:Cuv
無能な皇帝や支配者は◯しても良いってのが下剋上の底流にあったから仕方ないね
明智光秀だって善政敷いてたんやろ、確か
明智光秀だって善政敷いてたんやろ、確か
30: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:43:29 ID:HvY
>>29
三日天下(※誇張)に善政もクソもあるか
三日天下(※誇張)に善政もクソもあるか
《明智光秀が織田信長を倒して天下をとってから、わずか13日後に豊臣秀吉に滅ぼされたところから。「みっかでんか」とも》きわめて短い間だけ権力を握ること。
32: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:44:36 ID:Cuv
>>30
領地失念したが評判良かったらしいぞ
領地失念したが評判良かったらしいぞ
内政手腕に優れ、領民を愛して善政を布いたといわれ、現在も光秀の遺徳を偲ぶ地域が数多くある。
現代に至る亀岡市、福知山市の市街は、光秀が築城を行い城下町を整理したことに始まる。亀岡では、光秀を偲んで亀岡光秀まつりが行われている。福知山には、「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ」と光秀を偲ぶ福知山音頭が伝わっている。
現代に至る亀岡市、福知山市の市街は、光秀が築城を行い城下町を整理したことに始まる。亀岡では、光秀を偲んで亀岡光秀まつりが行われている。福知山には、「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ」と光秀を偲ぶ福知山音頭が伝わっている。
33: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:46:11 ID:HvY
>>32
摂政関白とかもそうだね
摂政関白とかもそうだね
34: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:49:38 ID:bb4
>>33
秀次事件は秀吉痛恨の暴挙だよね
最上義光とかそりゃ豊臣見限るわっていう目に合ってるし
秀次事件は秀吉痛恨の暴挙だよね
最上義光とかそりゃ豊臣見限るわっていう目に合ってるし
35: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:52:55 ID:HvY
>>34
誤字ったのに拾ってくれてありがとん
誤字ったのに拾ってくれてありがとん
36: 名無しさん@おーぷん 2015/10/03(土)18:55:29 ID:ASe
>>34
あれはとにかくタイミング最悪だったからなあ
秀次に譲ってすぐに秀頼が出来たし、事件の時もやっぱり命だけは助けたるかなーって時に毛利がとんでもない文書出してきて火に油どころか火に火薬状態だし…
あれはとにかくタイミング最悪だったからなあ
秀次に譲ってすぐに秀頼が出来たし、事件の時もやっぱり命だけは助けたるかなーって時に毛利がとんでもない文書出してきて火に油どころか火に火薬状態だし…
引用元: ・http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1443863621/
コメント一覧
既存の分配方式では末端まで食料が行き渡らないので、
・中央政府の没落 → 地方政権の割拠
・食糧の争奪戦 → 絶えざる小合戦
が常態化した。
そして16世紀後半、80年代ごろから気候が上昇し食糧生産が回復傾向に向かうと、統一政権ができてゆく。
これが織豊政権。
ハッキリ言ってしまえば、政府の政策だの英雄の野望だのといった人為の影響力はすごく小さい。
室町幕府が衰退し治安が悪化すると地方豪族たちは治安維持のために軍事力を強化し常設軍を設置する必要にせまられた。
鎧や軍馬を用意するには大きな財力を必要とし、剣術や馬術を習得するには長い時間がかかる。
治安が安定したとしても、膨大な資金を投入して鎧や軍馬を用意し戦闘技術しかもたない侍がおいそれと普通の仕事に戻れる筈がない。
また、刀鍛冶、甲冑師、馬の調教師なども職を失ってしまう。
従って、軍事力を縮小することができず他国へ侵略し略奪することでしか経済を維持できない「略奪経済」が形成されてしまった。
素人目だと室町時代前半から継続して人口や経済が伸びてることと矛盾してる気がするんだけど
戦争だらけなのはそれこそ古墳作ってた頃からだし
こいつはアホか
散々応仁の乱の話をしてるのに
桶狭間戦記の影響だろうなぁ
農耕用じゃなくて戦闘用に大量を馬を用いたりしてるのを見ると食料不足は感じられないな
そもそも最も冷え込んだ時期は江戸期でその影響で大飢饉が何度も起こってるけど別に戦乱の世には戻ってないしな
知ったか乙
20年くらい前からさんざん言われてるよ
それを最近漫画家が取り上げただけ
俺は結局室町幕府の脆弱な支配体制が長年続いたのが大方の原因だと思うなあ
地方群雄が地盤固めをする余地が有り過ぎた
秀吉や政宗嫌いな奴がやたら聖人扱いしてるな
東漢の崩壊から唐の統一もまんまそんな感じだな。
政治家の器量の問題じゃない。
産業革命も今は気候要因説が結構主流みたいね
最上がどうとか関係なく秀次事件はどうがんばっても擁護できないだろ
後継者争いを避けたいにしてもやり方アホすぎる
食料不足で政治混乱が起こったというのはあるかもしれないが、ここまでグダグダになったのは間違いなく幕府のせいでしょ
東漢の滅亡から唐の建国まで四百年近くあるから百年ちょっとの戦国時代と同じってのは流石に無理があるんじゃないかな?
たぶんそこまで行くと純然たるアカデミズムになっちゃって素人のだべる余地が残ってない、だからつまらないっていう反感なんだろうな
幕府の体制が、あの大名の行動が、ってことにしとけばあれこれ語って盛り上がれるしね
「正しい答えと皆が気に入る答えは違う」ってやつだ
食糧を奪えた地域が発展して奪われた地域が人間ごと消滅していったってことかね
そうなのかもしれんけど戦乱が絶えないのなんて戦国時代以外でも一緒、戦国時代の始まりがどこかすら曖昧なくらいなのに
15世紀後半~16世紀の戦争だけを食糧不足が招いた!って決めつけちゃうのになんか納得いかないんだよな
じゃあ弥生時代から室町前半までも村争いレベルから国レベルの土地・政権争いまで戦いが絶えなかったのはなんで?ってなっちゃう
詳しい人的にはそのへんどうなん?
そもそも人類の戦いなんてどの時代も食糧(近代なら資源物資とか)目あてなんだから、
「やっぱ戦国時代も食糧不足だったんだよ」位ならみんな納得するけど、戦国時代は食糧不足で起こったなんていうと、戦国に限らず全部そうじゃんと興ざめしちゃう
鎌倉も結果的にうまくいかなかったけど、後の徳川ほど力もなく、結局外戚の勢力を組み込みすぎて、内紛が絶えない室町の限界が諸々で現れていたから。だろう。
日本国内自体は南北朝の時から、一定期間ごとに戦乱が何度もあって、南朝が滅んでからも結局南朝についていた敵性勢力を削ぎきってなかったから、結局応仁の乱で二大勢力が立つことを招くことになるし。
だから、一応に突然戦国時代だけが戦乱やっていたわけではなくて、はっきり言って13世紀以前あたりから江戸幕府までずっと内部戦争していたのが日本で。
その長期に渡る戦乱で、戦いの暗黙の了解(ルール)や戦術や武器の成長が著しくなって、各勢力の競争による国力増強努力から、戦いが続いていても日本全体の国力は増えていくし、朝鮮出兵等でも、長期長距離出兵の兵站のノウハウは無いにしても、朝鮮軍や明軍は相手にならないほどの強兵を持っていたし、歴史的に日本の「闘争」の部分が凝縮されている時代でもある。
鎌倉も結果的にうまくいかなかったけど、後の徳川ほど力もなく、結局外戚の勢力を組み込みすぎて、内紛が絶えない室町の限界が諸々で現れていたから。だろう。
日本国内自体は南北朝の時から、一定期間ごとに戦乱が何度もあって、南朝が滅んでからも結局南朝についていた敵性勢力を削ぎきってなかったから、結局応仁の乱で二大勢力が立つことを招くことになるし。
だから、一応に突然戦国時代だけが戦乱やっていたわけではなくて、実際はっきり言って13世紀以前あたりから江戸幕府まで数百年もずっと内部戦争していたのが日本で。
その長期に渡る戦乱で、戦いの暗黙の了解(ルール)や戦術や武器の成長が著しくなって、各勢力の競争による国力増強努力から、戦いが続いていても日本全体の国力は増えていくし、朝鮮出兵等でも、長期長距離出兵の兵站のノウハウは無いにしても、朝鮮軍や明軍は相手にならないほどの強兵を持っていたし、歴史的に日本の「闘争」の部分が凝縮されている時代でもある。