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1: 人間七七四年 2012/01/14(土) 14:54:53.30 ID:/sVoGeGc.net
戦国時代の宗教勢力といえば浄土真宗の本願寺や切支丹の天草一揆がまず思い浮かぶけど
(後者を宗教勢力と言っていい物かどうかという話は置いといて)
法華一揆を起こした日蓮宗
数万と言われる僧兵を擁した真義真言宗の根来衆
その他高野山、比叡山、諏訪大社を始めとする比較的大きな勢力から
紀州粉河寺の様な小さな勢力まで、戦国時代の寺社勢力は武装していたと言われる
戦国時代を時に戦い時に滅ぼされた宗教勢力
本願寺の様に歴史に大きく介入した訳ではないが確かにそこにあった宗教諸勢力を語ろうじゃないか


3: 人間七七四年 2012/01/14(土) 19:45:05.43 ID:3dsIZlwH.net
大原雪斎、安国寺恵珪、天海僧正など、
宗教勢力としてではなく、単身で世俗と渡り合う禅僧も興味深い

4: 人間七七四年 2012/01/14(土) 19:56:33.01 ID:4LFd4BvB.net
>>3
雪斎や安国寺は室町期に築かれた禅宗ネットワークを大いに利用していると考えられる。

5: 人間七七四年 2012/01/14(土) 20:08:53.18 ID:3dsIZlwH.net
禅宗ネットワークとは?
臨済宗、曹洞宗以外に室町時代に成立した禅宗集団があったの?

8: 人間七七四年 2012/01/15(日) 03:10:45.10 ID:JY0lFx2W.net
神仏習合の時代だから境界線も曖昧だけど、寺社勢力ということで「社」の話題も
盛り上がると嬉しいな

9: 人間七七四年 2012/01/15(日) 03:49:30.91 ID:Ie2ExAAo.net
>>8
明治維新前だから伊勢だけじゃなく出雲、諏訪。
その他マイナー地方神の信仰も生きてたんだろうな

11: 人間七七四年 2012/01/26(木) 20:54:25.49 ID:P+Rqj+S8.net
面白い主題なのに伸びないな

12: 人間七七四年 2012/01/26(木) 21:19:44.75 ID:7nIIJpyI.net
案外範囲が広いからな。
在地勢力としての宗門の部分と宗教勢力としての宗門の部分は
一緒に語るのは難しいし。

13: 人間七七四年 2012/01/28(土) 04:49:31.30 ID:ugL2VBfF.net
「南都北嶺」は比叡山&奈良の僧兵で解るが、
高野山に僧兵なんていたか?
根来衆徒との関係は?
延暦寺は、配下においていた祇園社が京の鴨川の東側に大きな境内(領地)を持っていたこと、興福寺は大和国一国の荘園のほとんどを領して中世を通してその経済力で京に大きな支配力を及ぼした。強大な寺社勢力である延暦寺と興福寺を合わせて「南都北嶺」(なんとほくれい)と称された。

14: 人間七七四年 2012/01/28(土) 06:59:26.07 ID:Jswoz5kT.net
高野山の僧兵は根来衆と考えてよい。
信長に協力的だったから目立ってないのかも。
根来衆(ねごろしゅう)は、戦国時代に紀伊国北部の根来寺を中心とする一帯(現在の岩出市)に居住した僧兵たちの集団である。雑賀衆と同様に鉄砲で武装しており、傭兵集団としても活躍した。
根来衆を構成した主な一族としては、根来寺の僧坊の一つである杉の坊を拠点とした津田監物をはじめとする津田氏や泉州熊取谷の豪士霜氏などが知られている。 織田信長を狙撃したことで有名な杉谷善住坊が門徒という説もあるが、根来衆は信長には好意的で、信長の紀州征伐にも加勢していた。

52: 人間七七四年 2012/04/30(月) 23:06:59.73 ID:oLJDnlgA.net
>>14
物凄く基本的な質問でゴメン。
興福寺は信長の時代はどうだったの?
源平時代は最強の武装寺院だったのに
戦国では影が薄いね。
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。

興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となった。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称された。寺の周辺には塔頭と称する多くの付属寺院が建てられ、最盛期には百か院以上を数えたが、中でも天禄元年(970年)定昭の創立した一乗院と寛治元年(1087年)隆禅の創立した大乗院は皇族・摂関家の子弟が入寺する門跡寺院として栄えた。

53: 人間七七四年 2012/04/30(月) 23:15:30.40 ID:aH3j7qPl.net
>>52
興福寺由来の筒井とか古市とか越智とかが戦国大名化して大暴れだったわけだが
筒井氏は大神神社の神官・大神氏の一族と言われている。筒井氏は大和国添下郡筒井の土豪として大和に勢力を持っていた。鎌倉時代以降、大和守護は興福寺が務めており、筒井氏もその衆徒として組み込まれるが、室町時代に大和永享の乱が発生、戦国時代に入ると興福寺の勢力が衰退し、大和四家と言われる筒井氏・越智氏・十市氏・箸尾氏の勢力が台頭してくる。応仁元年(1467年)の応仁の乱では、河内の守護大名である畠山氏の抗争に巻き込まれて、大和国内は混乱する。筒井順永は畠山政長に協力して畠山義就派の越智家栄らと戦ったが、息子の順尊は義就に敗れ没落した。
そのような中で筒井氏の当主となった筒井順興は英明で、大和国人衆の一人として興福寺に属しながら宿敵・越智氏を討ち滅ぼして勢力を拡大し、筒井氏を大和の戦国大名としてのし上げた。

15: 人間七七四年 2012/01/28(土) 23:40:09.93 ID:CkAtxD0r.net
『僧兵』は江戸時代の造語。

「一向一揆」もそうだが、同時代にそういう言葉はなく、
ただ単に「寺院の武装兵」「一揆」というだけの存在だった。

16: 人間七七四年 2012/01/29(日) 14:05:02.58 ID:0D+21/uW.net
かつての本能寺も、堀と土塁をめぐらせ硝煙蔵のあるようなところだったらしいね。
鉄砲の取引か何か、軍事的な理由でも信長が利用していたとか何とか。

神社といえば、鹿島神宮や富士浅間社、厳島神社も武門はお盛んだったらしい。

17: 人間七七四年 2012/01/29(日) 22:05:49.39 ID:+GnT+Jh2.net
>>16
神官と武道の関係が深いなんて話をどこかで読んだ記憶がある
塚原卜伝が神官出身だし、
他にも神官出身の剣豪いたような

22: 人間七七四年 2012/01/31(火) 07:36:52.06 ID:84uiMt1T.net
>>17
どっちかというと、仏教との関係の方が大きい。
元々武術って、仏教関係者(と言っても主に修験者だけど)の間で発達したのを、武士が習ったものだから。

26: 人間七七四年 2012/02/04(土) 22:55:10.47 ID:I9IMzuKL.net
>>17
塚原卜伝の師の一人、松本政信とか?

18: 人間七七四年 2012/01/30(月) 01:57:01.01 ID:OTScBgCW.net
徳川(松平)は
新田の子孫とも、賀茂系神官の子孫とも、聞いたが・・・

26: 人間七七四年 2012/02/04(土) 22:55:10.47 ID:I9IMzuKL.net
>>18
それなら織田家も越前の織田剣神社の神官の流れだよ

19: 人間七七四年 2012/01/30(月) 22:06:13.16 ID:GTPHhQfu.net
松平は南北朝の時、三河に流れていた関東で敗北した新田軍の残党、という線が濃い。

30: 人間七七四年 2012/02/05(日) 23:22:15.27 ID:gQu3pAeO.net
>>19
でも三河は鎌倉時代から足利の拠点の一つじゃね?

31: 人間七七四年 2012/02/06(月) 14:37:34.98 ID:SMDocuag.net
>>30
南北朝動乱の過程で足利の拠点だった三河からは、一門衆が配下と共に根こそぎ全国に派遣され、
皮肉なことに一種の権力の空白が生じた。そこに関東などからの南朝方敗残勢力がかなり入ってきたらしい。
三河本多氏などもこの頃三河に流入したとされている。

20: 人間七七四年 2012/01/30(月) 23:12:32.46 ID:eveKy4PE.net
出羽の辺りの連中も元気だよね

23: 人間七七四年 2012/01/31(火) 23:26:18.85 ID:wbGBPxP1.net
三島大社と箱根権現って地理的、交通経路的な近さから
お互いに影響し合ったりしてないんだろうか
三嶋大社(みしまたいしゃ)は、静岡県三島市大宮町にある神社。式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。
箱根権現(はこねごんげん)は、箱根山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、文殊菩薩・弥勒菩薩・観世音菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、箱根権現社・箱根山東福寺で祀られた。箱根大権現、箱根三所権現とも呼ばれた。

24: 人間七七四年 2012/02/02(木) 01:04:06.57 ID:1y8j49HQ.net
箱根権現て今は箱根神社だよね?
明治新政府は神宮寺や修験道を排除したけどもったいないことしたな

27: 人間七七四年 2012/02/04(土) 22:57:10.72 ID:qdrIJM1B.net
神社なら、阿蘇氏とか、鶴姫で有名な大祝氏とか

28: 人間七七四年 2012/02/05(日) 20:29:56.75 ID:Kde3qX/o.net
公家、神官、相撲、伝統芸人。
この人たちは現代でもなにか一般人(旧士農工商)と違う臭いがする。
古代貴族のオーラかなんなのかは知らんが・・・

29: 人間七七四年 2012/02/05(日) 23:18:54.86 ID:Tk6pW3cU.net
大和に守護大名がいない理由である興福寺もこのスレの範疇ですか?

32: 人間七七四年 2012/02/16(木) 22:53:44.91 ID:jqHf8l4c.net
近所のあの寺あの社は戦国期には今じゃ想像もつかないくらいブイブイ言わせてたぜ
的な話をもっと聞きたいぜ

33: 人間七七四年 2012/02/17(金) 18:56:22.84 ID:kaxF43qW.net
戦国期以来の由緒のある寺なら、ほとんどが現在よりブイブイ言わせているわな

37: 人間七七四年 2012/02/29(水) 23:39:10.49 ID:bQK+Ao4R.net
ふと思ったが寺に僧兵がいたのは皆知ってる。
なら神社はどうだったの?
伊勢神社のような大きいところはいなきゃヤバかっただろうし。
北面の武士や公家侍が守っていたのだろうか?
それとも神仏習合だったから神社を守る存在も僧兵と呼んでいたのかな

38: 人間七七四年 2012/03/01(木) 02:23:03.26 ID:/mdaut5l.net
神社の場合は地下人、神役人、神人、神木。呼ぶ立場によって呼称が異なる。
伊勢の場合は山田三方って自治組織があった。ちなみに伊勢商工会議所の前身。
山田三方(やまださんぽう)は室町時代に自治都市として発展した伊勢の山田の自治機関である。三方寄合(さんぽうよりあい)、三方老若(さんぽうろうにゃく)とも呼ばれた。
永享年間(15世紀前葉)、神役人達は伊勢大神宮の刀禰の勢力を駆逐して山田に自治組織を樹立して山田三方会合所(やまださんぽうえごうしょ)という役所を設け、伊勢神宮に対しては賦課を勤仕し、爾来幕末に至るまで、山田の町政を荷負ってきた。

39: 人間七七四年 2012/03/01(木) 03:15:15.69 ID:NgYO6Ax3.net
そもそも「僧兵」なんて存在が『発見』されたのは江戸時代だ

42: 人間七七四年 2012/03/04(日) 17:03:12.95 ID:p5UwQuWt.net
いや
牛若丸と弁慶の、弁慶は僧兵やでw

43: 人間七七四年 2012/03/08(木) 21:38:27.00 ID:vK9//Qjm.net
だから寺社の武力を「僧兵」と名付けたのは江戸時代。
弁慶を「僧兵」と言い出したのも江戸時代以降。

47: 人間七七四年 2012/03/29(木) 10:55:45.57 ID:c/uzP+DV.net
比叡山、高野山、社家、一向衆、法華衆、イエズス会、日本人キリシタン
皆強い

49: 人間七七四年 2012/03/29(木) 20:54:22.70 ID:topCPzXD.net
園城寺ってやっぱり大津や水運に影響力あったの?
園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。
開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。
なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

50: 人間七七四年 2012/03/31(土) 09:17:58.21 ID:/BGKpUzg.net
まあ寺社はたいてい何らかの形で流通、商業に関わっている

51: 人間七七四年 2012/04/25(水) 19:26:50.64 ID:Q3JQoHVv.net
三井寺っすね

54: 人間七七四年 2013/01/07(月) 02:15:41.25 ID:/uFUr8sX.net
寺社勢力 僧兵

55: 人間七七四年 2013/01/07(月) 06:12:09.53 ID:eUhicQen.net
僧兵なんて言葉は江戸時代になって作られた造語。
同時代的には「悪僧」とかだが、基本武士と同一のものと考えていい

57: 人間七七四年 2014/06/08(日) 17:38:51.95 ID:7JkYs6Kl.net
神社系の勢力って阿蘇とか?
阿蘇氏(あそうじ/あそし)は、「阿蘇」を氏の名とする氏族。
肥後国の氏族で、阿蘇神社大宮司家(だいぐうじけ)である。名の通り熊本の阿蘇を出自とするが、最盛期は阿蘇の南、矢部郷(やべごう、熊本県上益城郡山都町の一部)に南阿蘇から拠点を移転した後の「浜の館」時代であり、菊池氏や相良氏と並び熊本を代表する一大豪族であった。朝廷から度々高位の職階を叙し、内紛を繰り返しながらも長らく系譜が受け継がれてきた。

59: 人間七七四年 2014/06/08(日) 23:51:58.65 ID:7WmhUYbh.net
あんまり語られないけど
戦国時代に一番武家的色合いの強かった寺社勢力って
越前・平泉寺なのかな?
義景や信長なんかとの色々なエピソードもあるし

61: 人間七七四年 2014/08/02(土) 02:52:04.72 ID:YDVrAcGE.net
奈多八幡大宮司の姫を継室に迎えたのにその侍女に手を出してしまい
その侍女と一緒にキリシタンに改宗しました大友宗麟

引用元: ・http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1326520493/