no title
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:03:36.39 ID:68yUmpN40.net
なぜか負けてる感じがして悔しい

2: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:03:51.17 ID:T0z1EX8t0.net
北条ワイ歓喜

3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:04:16.07 ID:CvHM56Ja0.net
>>2
関東だからな
多いだろう

4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:04:39.44 ID:DzXIvw03a.net
三好になるんやろか

5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:05:08.16 ID:tUMxiBW70.net
北海道ンゴwwwwwwwwww

6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:05:24.06 ID:RshL0kdq0.net
地元ってどの範囲までええんや
都道府県か

301: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:44:56.73 ID:yljCPup9M.net
>>6
甘過ぎやろ
おらが街で祭りやるレベルにせな
特定不可避

7: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:05:24.14 ID:68yUmpN40.net
尼子経久も有能やけど有名かって言われるとね…

19: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:07:48.83 ID:32xVhxmK0.net
>>7
十分大物ちゃうか

8: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:05:26.33 ID:XqDS+YDF0.net
島津ワイ高みの見物

13: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:06:29.40 ID:lEYuy4Efa.net
>>8
ワイ宮崎県民、島津分家を主張

伊東?知らん

21: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:08:31.90 ID:gaS33HAQ0.net
>>13
あの始まった瞬間下手すりゃ真っ先に消える伊東って何者なんや

31: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:10:09.24 ID:68yUmpN40.net
>>21
列伝見たら山越えとかすごい苦労してて可哀そうだった(小並感)
自業自得な部分あったけど

55: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:12:27.16 ID:lEYuy4Efa.net
>>21
田舎でオラついてて島津義弘に喧嘩売った結果たった180の兵にボコボコにされた雑魚
木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)は、元亀3年(1572年)、日向国真幸院木崎原(現宮崎県えびの市)において伊東義祐と島津義弘の間でおこなわれた合戦である。大軍(3,000人という説が有力)を擁していた伊東側が、少数の兵力(300人)しか持っていなかった島津側に敗北したことから、「九州の桶狭間」とも呼ばれる。ただし実際の桶狭間の戦いとは違い、島津軍は将兵の85%以上が討死したという全滅と言うべき大損害を被っている。なお、この戦いには相良義陽も伊東軍と連合する予定で出陣したが、義弘の計略により撤退している。 この戦いをきっかけとして伊東氏は衰退し始め、後の「高城川の戦い(耳川の戦い)」の遠因ともなった。

57: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:13:21.41 ID:32xVhxmK0.net
>>55
たった180でボコれる方がおかしいんだよなあ

68: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:15:08.86 ID:Rk4J/kEu0.net
>>57
損耗率80%だから壊滅はしてるけど薩摩隼人のキチガイさにビビって退いたんだよ

70: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:15:17.96 ID:lEYuy4Efa.net
>>57
その180を更に60ずつに分けてはさみ打ちにし2000の兵をボコったんやぞ

78: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:16:57.73 ID:68yUmpN40.net
>>70
頭おかC

81: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:17:52.34 ID:jDYnHP3c0.net
>>70
九州ってたまに数の概念が狂うよな

62: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:14:11.07 ID:LCTPmxba0.net
>>21
島津に攻められて大友に援軍呼んだのが耳川の戦いだからある意味歴史を動かした大人物やで
豊後に到着した義祐は大友宗麟と会見し、日向攻めの助力を請うた。宗麟はその願いを受け、また自身も日向をキリスト教国にする野望を抱き、天正6年(1578年)に門川の土持氏を攻め滅ぼし、耳川以南で島津氏と激突(耳川の戦い)。しかし大友氏は島津氏に大敗を喫してしまう。大友氏の大敗は、居候同然の義祐一行への風当たりに繋がり、また宗麟の息子義統が祐兵夫人・阿虎の方を奪おうとしているとの噂があったため、義祐は子の祐兵ら20余人を連れ(義賢は大友に残される)伊予国に渡って河野氏を頼り、河野通直の一族・大内栄運の知行地に匿われた。

104: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:22:35.11 ID:0P5WC1Bn0.net
>>21
史実を太閤立志伝で再現できたらすごいキャラやん
薩摩大隅日向は伊東のもんやでーって将軍様に認められたり
島津より上やでーって戦うもぼろ負けして領土なくなったり
大友さんちを頼り、河野さんちを頼り、流れ流れて織田さんちを頼り
織田さんちでは羽柴とかいう草履取りの下に置かれ
気がついたら大名に復帰とか
大河ドラマなるやん

114: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:23:46.44 ID:68yUmpN40.net
>>104
中盤の鬱展開で脱落者多そう

124: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:25:03.82 ID:XqDS+YDF0.net
>>104
大名から半乞食とか中々おらんな
大名復帰は息子がまともだったおかげやけど

131: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:25:32.46 ID:nZkCyKvud.net
>>104
伊東が薩隅日太守を認められた文書は偽文書というのが定説なんだよなあ

214: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:36:13.46 ID:0P5WC1Bn0.net
地元の武将の名前知らんわ
海賊衆だったらしいがな
なお、大内様について今項羽追い出すんごとかやってたら
今項羽が北の方で初陣した学問馬鹿に討ち取られてた

>>131
騙された奴が悪いんやでニッコリ
なお、その後…

287: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:43:53.10 ID:nZkCyKvud.net
>>214
文書形式が他の御教書と比べてもガバガバやし、騙されたというより和平優先しただけじゃないですかね…

448: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 02:01:09.26 ID:0P5WC1Bn0.net
>>287
どっちでもええねん
わいは意味不明な新キャラで大河作るなら伊東家作って欲しいだけやねん
島津とも絡め、大友とも絡め、河野とも絡め、織田信長羽柴秀吉とも絡める
しかもパッパは秀吉を馬鹿にして謁見しないという不手際を交わす
でも中国大返しにもからんだり、九州攻めで大名復帰したり、
しかも北条攻めでは伊豆の親族と戦うことにという厚い展開もある
関ヶ原では病を押して、黒田を通じて徳川に付き、西軍の宮崎城落とす活躍をみせる
こんなんこそ大河じゃないですか

460: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 02:04:11.86 ID:68yUmpN40.net
>>448
砂浜に捨てられるENDはちょっと…
伊東 義祐(いとう よしすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、日向国の戦国大名。日向伊東氏11代(伊東氏16代)当主。 その後、天正10年(1582年)に義祐らは伊予から播磨国に渡る。そこで祐兵は織田信長の家臣・羽柴秀吉に仕えていた同族の伊東長実の縁を得て、その斡旋で秀吉の扶持を受けるようになった。この時、義祐は秀吉への謁見を勧められたが「流浪の身たりとも、藤原三位入道が何ぞ羽柴氏に追従せむ」と答え、頑なに謁見を固辞したという。 祐兵の仕官を見届けた義祐は暫く播磨に留まっていたが、天正12年(1584年)祐兵の付けた供の黒木宗右衛門尉と共に中国地方を気儘に流浪し、やがて周防国山口に至って旧臣宅に滞在した。 その後は黒木を撒いて独りで旅をしていたが、病に侵され祐兵の屋敷のある堺へ向かった。しかし便船の中で病衰し、面倒を嫌った船頭に砂浜に捨て置かれた。偶然にもそれを知った祐兵の従者(祐兵夫人らとの説も)に発見され、堺の屋敷で7日余り看病を受けたものの、甲斐無く死去した。享年73。

472: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 02:05:40.25 ID:QSXQlAhf0.net
>>460
親の無念を子、孫が晴らすって素敵じゃん?
伊東 祐兵(いとう すけたか/すけたけ)は、安土桃山時代の武将、大名。日向伊東氏12代(伊東氏18代)当主。日向国飫肥藩初代藩主。『南家伊東氏藤原姓系図(通称「伊東氏大系図」)』や『伊東氏系図』では伊東氏中興の祖と書かれている。 遠祖を同じくする同族である尾張伊東氏の紹介により、祐兵主従は織田氏に仕官することとなり、与力として羽柴秀吉の付属となった。 本能寺の変による信長死後はそのまま秀吉の家臣団に組み込まれ、天正10年(1582年)の山崎の戦いで活躍し、恩賞として「くりから竜の槍」と河内500石を領地として宛てがわれた。天正15年(1587年)の豊臣秀吉の九州平定の際に九州平定軍の先導役を務め上げた功績により、旧領のうち清武・曾井に2万8,000石を与えられ、大名として復権した。翌16年(1588年)にはかつての本拠地である飫肥も取り戻し、3万6000石に加増された。その後、朝鮮出兵にも参陣した。慶長4年(1599年)、豊臣姓を下賜されている。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、伊東氏は西軍に与した。しかし重病の床に伏していたために祐兵は出陣せず、密かに嫡男・祐慶を領国に派遣し軍備を整え、さらに黒田孝高を頼って徳川家康に通じた。領国では家老・稲津重政らが陣頭指揮を執り、西軍の高橋元種の属城である宮崎城を攻撃した。実はこの時点で高橋氏は東軍に寝返っていたため、戦後に宮崎城は返還させられたが、東軍としての参加と貢献は認められ、戦後、徳川家康から所領を安堵された。

532: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 02:14:14.14 ID:0P5WC1Bn0.net
>>460
俺の屍を越えていけエンド好き
伊東氏なんだかんだで代替わり激しいし99

9: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:05:42.53 ID:mFBdmubHa.net
北条なのか扇谷上杉なのか

11: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:06:05.39 ID:k730aXVU0.net
東海とかいう大正義

14: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:06:47.92 ID:t8zhvMj60.net
道の糞やぞ

15: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:06:53.51 ID:lDEYosaJa.net
ワイ愛知、遥か高みからの、見物

48: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:12:04.63 ID:Z0SgiWbx0.net
>>15
ワイ東三河劣等感を感じる
旧今川領は地味だわ

16: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:07:26.98 ID:eKH8I4dF0.net
槍の又左やぞ

679: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 02:37:36.77 ID:RcZm1Zsv0.net
>>16
名古屋の中川か加賀か

18: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:07:33.10 ID:cO6eDJCu0.net
大内やで陶ちゃうで

20: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:08:11.44 ID:9/Qm7DTip.net
里見…

23: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:08:38.67 ID:jDYnHP3c0.net
多分この手ので一番困るのは京都人

引用元: ・ http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1460390616/