sanadamaru134

織田信長の最大の誤算wwwwwwww

1:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:40:04 mmz
これは確実に嫡男信忠が自害してしまったことやろ
信長「ワイ死んでも家督は既に譲ってるし、織田家も安泰やろなぁ」くらいにしか思ってなかったやろ


引用元
織田信長の最大の誤算wwwwwwww
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1488282002
2:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:42:04 mmz
信忠有能そうだっただけにホント無念
3:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:48:21 mmz
次男がガイジで三男が凡才ってのがまた織田家の辛いとこ
7:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:53:48 slV
>>3
誕生日20日違いやけど
信雄「どっちが?」
信孝「どっちや?」
8:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:55:23 mmz
>>7
正室の息子だから一応信雄が次男で信孝は三男扱いやろ
10:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:58:17 Sj0
>>8
分かってたら信忠を京においとかんやろし…というか信忠が生きてたら生きてたで織田家が揉めそうだな
弟たちが…
17:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:06:09 slV
>>10
信忠さん既に家督継いどるから揉めようがないわ
アホな三介さんならなんかやらかしそうではある
12:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:00:36 mmz
>>10
羽柴の動向次第だろうけど、こいつの台頭を防ぐために柴田とかは黙って信忠に従うしかないからそんな揉めなくね?
甲信は史実通り無理やろうけど
15:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:04:16 Sj0
>>12
敵討ち!とか言って暴れて、そのうち弟たちで喧嘩したり兄ちゃんに楯突いたりしそうなイメージ
絶対的なパパがいきなりいなくなって、家庭内でもめてそう…
18:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:07:09 mmz
>>15
大儀名分もクソもないから即刻処刑されるやろ
信孝は出る幕ないし、あっても信雄やろな。身内に甘々な信長さえ「縁切るぞタコ」って言われたくらいだし
4:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:49:17 wxX
津田くんをほとぼり見て織田に戻せばよかったのでは
5:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:50:21 mmz
>>4
まさか信忠が逝っちゃうとは思わなかったんやろ
9:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:55:30 6IS
>>4
本能寺で同じく死んでるようなんですが…
11:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:58:49 slV
>>9
信孝「お?」
五郎左「せやな」メソラシー
13:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:01:25 6IS
>>11
なお信長五男の津田源三郎(織田勝長)のほうも討ち死にしてるとのこと
17:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:06:09 slV
>>13
織田一門も多いのに津田さんも多くてややこしいなあ…
23:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:12:28 8ow
>>17
津田と言えば噂だけで殺られた信澄が哀れすぎる
尾張の戦国大名・織田信秀の三男・織田信勝(信行)の嫡男として生まれる。享年に諸説あり、このために生年は確定することができないが、織田信長の甥にあたり、その嫡男である従兄弟の織田信忠とはほぼ同年代であったと考えられる。

6月2日、舅の光秀が京都の本能寺、妙覚寺にいた信長、信忠を襲撃した本能寺の変が起こった。四国遠征軍は翌3日が淡路渡海の予定であったが、急遽中止される。信澄が光秀の娘婿であった事が災いし、市中には謀反は信澄と光秀の共謀であるという事実とは異なる噂が流れており、疑心暗鬼に囚われた信孝と長秀は、5日、信澄を襲撃して大坂城千貫櫓を攻撃した。信澄は防戦したが、丹羽家家臣・上田重安によって討ち取られた。謀反人の汚名を着せられたまま、信孝の命令で、堺の町外れに梟首とされた。享年は25とも28とも言う。

信澄は信長の右腕的存在で、側近としての役割も果たし、安土城の造営においては総普請奉行である丹羽長秀と共に普請奉行として工事に携わるなど、織田一門の中では叔父の織田信包と共に信長から信任されていた。

織田家では、2度も背いた信長の弟の遺児であったという境遇はほとんど窺えず、その待遇は厚かった。一門衆の序列は第5位であり、信長の嫡子である信忠、信雄、信長の弟の信包、信長の庶子の信孝に次ぐ立場で、信澄の後ろに続くのは信長の弟の長益(有楽斎)、長利であって、破格の待遇であった。前述のように謀反に荷担したという噂が当時の市中に流れていたわけであるが、信長の厚遇に応えて信澄は忠義を尽くしており、謀反に荷担した様子はなく、光秀に助力しようとした素振りも窺えない。宣教師ルイス・フロイスは、信澄の死去にあたり「この若者は異常なほど残酷でいずれも彼を暴君と見なし、彼が死ぬ事を望んでいた」と評している。同じく『耶蘇会報』でも「甚だしく勇敢だが惨酷」と評し、信澄が2人の罪人を馬に踏み殺させた逸話を記している。奈良興福寺の多聞院英俊は「一段の逸物也」とその死を惜しんで高い評価を与えており、谷口克広は信長に似た行動力に富んだ人物だったのではないかとしている。
25:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:15:13 slV
>>23
>>4はこっちの津田さんだと勘違いした
かなり信長に可愛がられてたらしいし
35:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:24:18 8ow
>>25
信長→自分を殺ろうとした従兄弟の息子を重用する
信澄→父親を殺った叔父の下で働く
この感覚よ
38:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:29:12 slV
>>35
ノッブって虐殺とかのせいで酷薄そうな性格のイメージ持たれとるけどちょっぴり短気(?)なだけで身内や近臣にはめっちゃ優しいエピソード満載よな
40:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:32:05 Sj0
>>38
優しいエピに紛れ込むへし斬りやおつやの方のネタ
怒りに火がつくと止まらないタイプなんやろか
39:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:31:02 GTd
>>38
弟とか荒木の裏切りも最初は許そうとしてるからな
なお佐久間
41:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:37:25 slV
>>39
ノッブ「おう佐久間、命懸けでイチから出直すか引退するか好きな方選べや」
なおヘタレ佐久間さんは引退を選んだ模様
42:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:39:37 6IS
>>41
退き佐久間だからね、しかたないね
6:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:52:37 Sj0
そもそも本能寺で自分が死ぬと思ってなかったことでは…
8:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)20:55:23 mmz
>>6
いつ死んでもええように信忠に家督譲ってたわけだし、誤算ではあっただろうけど、最大ではないな
19:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:07:20 h7n
早死にしたから無能エピソードが残らなかっただけ説
20:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:10:31 slV
>>19
金吾「」
22:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:12:15 GTd
>>19
信忠といい長宗我部信親といい三好義興といい、早死にした跡継ぎ候補ってたいてい有能だったって逸話残るよな
29:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:18:16 mmz
>>22
一応信忠は武田攻めで功績だしてるし、信長からも評価されてるからなぁ
それに他の兄弟がダメダメ過ぎて・・・
それに比べて家康の嫡男、三男と安定してる
26:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:15:18 Sj0
>>22
隆元…
27:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:15:54 6IS
>>26
松平信康も蘆名盛興も泣いてるのでセーフ
31:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:18:34 Sj0
>>27
身内が冷たいのか…切ないな
28:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:17:05 slV
>>26
隆元さんは居なくなって親父や弟たちが狼狽えまくったから(震え)
30:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:18:23 6IS
>>28
そういう意味では具体的に有能エピソードある隆元すごいな
31:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:18:34 Sj0
>>28
そういえば金貸してもらえなかったんだっけ…
708 名前:人間七七四年 投稿日:2009/05/19 16:56:49 ID:iUFjJjsM
ただせさえ、影の薄いさえない長男坊こと毛利隆元の意外に偉大なお話

毛利元就には、ご存知の3兄弟がいる。オヤジの戦国謀略大王毛利元就の子は
次男:負け知らずの吉川元春、三男:調略王子の小早川隆景、そして・・・・・

影の薄さは日の本一の長男、毛利隆元

である。とにかくこの男は影が薄い。手柄は立てるもオヤジが偉大すぎる。
軍を指揮するにも元春の方が有名だ。調略やれば隆景の口には絶対に負ける。
さて、毛利の尼子攻めもついに佳境に入り、増援が必要になったので隆元が援兵を
率いて向かった途中で和智誠春の饗応を受けた後に

ぽっくり死んでしまった。(食中毒らしいが死因が未だはっきりとはわかっていない。)

本当に日の本一影の薄い男の最後はあっけなく「ぽっくり」である。
その死後に毛利家に大事が起きてしまった。
元就「尼子攻めを続行する。ついては、元春は徴兵を、隆景は調略を担当しろ。国人からの援軍は
  宍戸の婿殿に交渉を頼もう。謀略と兵糧と金子はワシが担当しよう。隆元が死んだからワシが行うよ。
  保証人の名義は全部ワシの名前で良い。隆元より信用はあると思う。隆元でも出来たんじゃ。
  お前達でも大丈夫だろう。」
元春「わかりました。」(今まで兄者がやっていたから簡単じゃろう。)
隆景「わかりました。」(調略の金子は兄者がやっていたがオヤジでも出来るだろう。)
宍戸の婿殿「わかりました。」(国人の交渉は隆元義兄上がやっていたが、私でも大丈夫だろう。)

その見込みが甘かった事を思い知るのはすぐであった。

続く

709 名前:人間七七四年 投稿日:2009/05/19 17:31:11 ID:iUFjJjsM
>>708続き
数日後
元就「あの頼んだ件はどうなった?うまくいったろう?」
元春「兵が思うように集まっていません。(大汗)」
隆景「調略は何とか進めておりますが、『保証交渉』で困難しています。(大汗)」
宍戸「国人の交渉が困難を極めております。出兵の出し惜しみが・・・(大汗)」
元就「なぜ?ワシの名を使ったろう?うまくいくはず・・・何じゃ?」
家臣「兵糧及び予算調達に関して商人から返答が来ました。」
つ『融資はご希望額の6割が限度です。兵糧は掛け売りではなく現金決済をお願いします。商人某より』

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元就「な!?何じゃこりゃー!ワシの名前はダメなのか?あそこは隆元の生きていた時は
   すぐに貸してくれたぞ!」
一同「実は・・・皆が言うのです。『隆元様が生きていたら何とかするのに。』と・・・・」
元就「ワシの方がネームバリューが上のはずではないか!?」
一同「あんたが三度のメシより謀略好きだから、一番信用無いっちゅうねん!」

『毛利隆元が死んだ』

たったこれだけの事なのに元就も生きているのに、世間では、思いも寄らない事が起こっていたのである

「毛利家に対する信用不安」 

財政を得意としている人ならわかるかも知れないが、『信用』が重要である。
財政基盤がしっかりしているから税金が入り、投資(戦国期は軍事)、
公共事業(石見銀山開発や中国との交易)が出来るのである。
そこに必要なのは財政を理解するトップとその信用である。
一気にそれが無くなった。そして毛利家には財政困難(信用崩壊)が来ていた。
金がなければ国人との交渉も戦費調達も調略も元就の老後の楽しみの謀略も何にも出来ない。
今までオヤジと他の兄弟が戦争を安心して出来たのも隆元のくれる「お金(予算)」の上で
やっていたのである。
武士の価値観では絶対にはかれなかった隆元の価値だが、世間一般の商人や国人は
隆元をこう見ていたのだ。

歩く信用手形(それもプラチナカード級の信用)=毛利隆元

その後毛利家は財政難に陥ったが、何とか立て直した。無理矢理でも何とかした。
よほど大変だったのだろう隆元死後に書かれた元就の手紙にはこう書いてあった。

「隆元が生きていた頃は心強かった(隆元候ツル時ハ世上ノオソレモスクナク候テ罷リ居リ候)」

ちなみにオヤジの元就は隆元が死んだとき三日三晩泣いたとか。
そりゃ泣くわな。
元就「隆元ぉぉぉぉぉぉ!誰がワシの隆元を殺したぁぁぁ!打ち出の小槌がいなくなったぁぁぁぁぁ!」毛利隆元の意外に偉大なお話 - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
32:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:19:19 6IS
>>31
蘆名側は死因は酒の飲みすぎらしいで(ニッコリ)
37:名無しさん@おーぷん:2017/02/28(火)21:25:54 qKd
単純に光秀が裏切ったことが最大の誤算なんじゃないですかねえ