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戦国時代の到来を防ぐにはどうすればよかったのか
1:日本@名無史さん:2016/06/13(月) 05:19:29.35 ID:.net
戦国時代という現在のソマリアのごとき
群雄割拠状態による戦乱時代を防ぐにはどうすればよかったのか


引用元
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1465762769


2:日本@名無史さん:2016/06/13(月) 11:26:47.35 ID:.net
応仁の乱が早期決着の場合
・応仁の乱で西軍が勝ち西陣南帝が王政復古の大号令。

応仁の乱が史実通りの場合
・細川政元が子沢山で、足利幕府から半将軍細川幕府にマイナーチェンジ

細川政権も史実通り混乱の場合
・天文法華一揆で大軍を擁した比叡山が、朝倉などの周辺大名を従え叡王政権。
細川・三好政権より強靭なので戦国時代とならない
16:日本@名無史さん:2016/06/16(木) 00:47:59.58 ID:.net
>>2
応仁の乱より前にとっくに戦国時代やっちゃってる関東の情勢が考慮されてない
やりなおし

てか南北朝から検証しないと駄目なんじゃない?
123:日本@名無史さん:2016/07/24(日) 22:50:51.85 ID:.net
>>16
BSプレミアムの英雄たちの選択で、足利 義教がテーマの回が放送されたが
関東公方の足利 持氏を征伐したせいで関東が大混乱したと言ってたね。
足利 持氏(あしかが もちうじ)は、室町時代の武将。第4代鎌倉公方(在職:1409年 - 1439年)。第3代鎌倉公方・足利満兼の子。

永享の乱(えいきょうのらん)は、室町時代の永享10年(1438年)に関東地方で発生した戦乱。鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発する、室町幕府6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた事件、戦いである。

3:日本@名無史さん:2016/06/13(月) 15:30:18.95 ID:.net
足利の世継ぎにこだわらないこと
将軍の性質は連合体の長みたいなもんだったから
三管四職ではないが色々な大名家で回せば良かった
7:日本@名無史さん:2016/06/13(月) 21:42:33.08 ID:.net
義教暗殺を防ぐ
永享の乱で足利持氏を討伐し嘉吉の乱で赤松満祐に殺害された室町幕府の第6代将軍。第3代将軍・足利義満の五男。籤引き将軍のあだ名で有名

8:日本@名無史さん:2016/06/14(火) 18:40:29.41 ID:.net
朝鮮征伐だったら鎮西武士はヤル気満々だ

足利義満の息子のモミアゲ野郎が適任じゃないかな?
9:日本@名無史さん:2016/06/14(火) 20:56:41.55 ID:.net
それよりも樺太まで攻め込めよ
というか北海道より寒い朝鮮半島は
防寒対策がないと攻めとるのは無理
10:日本@名無史さん:2016/06/14(火) 21:45:13.52 ID:.net
有力守護はもとより国人衆まで統制するためには恩賞が必要

樺太まで攻め込んでもサケかカニくらい
アイヌから略奪してもアザラシの毛皮くらい
12:日本@名無史さん:2016/06/15(水) 00:00:34.91 ID:.net
防ぐ必要があまりなかったともいえる
おかげで聖域化して圧倒的な軍事経済力持っていた寺社勢力を
去勢させることができたし
13:日本@名無史さん:2016/06/15(水) 05:44:53.90 ID:.net
無縁・公界は時代の要請じゃないのか?
14:日本@名無史さん:2016/06/15(水) 09:34:10.36 ID:.net
いわゆる戦国時代は足利義稙と細川政元の争いに始まるけど

政元の孫にあたる細川晴元、コイツが一番ダメ

一向一揆というパンドラの箱を開けたもんだから三好長慶のような怪物が飛び出して来て

松永久秀みたいなのが跳梁跋扈する魑魅魍魎の世界に突入した
15:日本@名無史さん:2016/06/15(水) 10:00:32.55 ID:.net
家来(細川家)の家来(守護代・三好家)の家来(三好三人衆)の家来(松永久秀)の家来某に殺害された足利義輝 可哀想ス(´・ω・`)
19:日本@名無史さん:2016/06/17(金) 11:44:06.26 ID:.net
足利幕府が大名の寄せ集まりで将軍の力が弱い
遅かれ早かれ戦国時代にはなった
歴史の必然だな。
20:日本@名無史さん:2016/06/17(金) 12:16:36.89 ID:.net
実権もサバイバル力も
細川 > 足利
21:日本@名無史さん:2016/06/17(金) 20:38:21.45 ID:.net
細川政元がホモにならなければ戦国の世は来なかった
細川氏の第12代当主で応仁の乱で有名な細川勝元の子。
魔法使いになる為に生涯独身を貫いた。
そのせいで実子はおらず養子を三人取るも
その家督争いに巻き込まれ、魔法の修行中に殺害される

23:日本@名無史さん:2016/06/17(金) 22:55:49.78 ID:.net
室町幕府の支配が強い時期ってあったか?
39:日本@名無史さん:2016/06/20(月) 15:41:39.42 ID:.net
>>23
なかったよな
24:日本@名無史さん:2016/06/18(土) 01:30:01.52 ID:.net
憲法九条さえあれば!
42:日本@名無史さん:2016/06/21(火) 01:33:15.53 ID:.net
>>24
九条摂家将軍さえあれば



執権政治で安定
25:日本@名無史さん:2016/06/18(土) 07:10:16.28 ID:.net
守護大名の権力の源泉は守護本来の軍事警察権と合わせて下地進止権と上分知行からなる一円知行である
守護領国制では全国各地に事実上のミニ幕府を誕生させる結果となった

守護領国制を確立させた応安の半済令は足利義満が幼少の頃、管領細川頼之によって発布され、明徳の乱の遠因ともなった
室町将軍は足利義満の後半生以降、このミニ幕府化した守護大名の統制に費やされたと言っても過言ではない
26:日本@名無史さん:2016/06/18(土) 08:50:42.86 ID:.net
惣領制の変質と守護大名の既得権益拡大は守護大名家の家督相続争いの熾烈化を招き
庶家が宗家を簒奪し、家臣が主家を下克上する風潮の火種となったと言える

その火種を掻き回して煽ったのが室町将軍本人であったことは何という皮肉であろうことか
34:日本@名無史さん:2016/06/20(月) 09:03:28.52 ID:.net
>>26
足利義満以降の将軍は歴代火遊び将軍だよな

足利義政は火遊びが過ぎて大火事を起こして火だるま将軍になりましたとさ
27:日本@名無史さん:2016/06/18(土) 11:17:59.16 ID:.net
なるほど
室町将軍のゾンビ化と引き換えに日本全国が戦国時代になったわけか
31:日本@名無史さん:2016/06/19(日) 19:56:09.92 ID:.net
南北朝統一時点で義満が幕府を鎌倉に移していればあるいは
32:日本@名無史さん:2016/06/19(日) 22:02:58.65 ID:.net
室町なんていう京都市民以外には何処に在るのか分からないような名前をつけるから
過小評価されてるんだよ
33:日本@名無史さん:2016/06/20(月) 01:21:49.16 ID:.net
室町幕府のクソ統率のせいで
戦乱がおこりどれほどの人命が失われたことか
35:日本@名無史さん:2016/06/20(月) 09:26:26.11 ID:.net
大内義興が上洛の褒美にもらった堺を寺社に返上せずに
信長と同じことしてたら60年早く戦国終わってた
43:日本@名無史さん:2016/06/21(火) 07:38:23.07 ID:.net
前の時代では足利は御家人の同輩だからな(´・ω・`)
45:日本@名無史さん:2016/06/21(火) 21:53:41.81 ID:.net
>>43
鎌倉時代、疑いをかけられ、足利当主で切腹したのもいる。狂ったように見せかけ余生を過ごした者も。
47:日本@名無史さん:2016/07/05(火) 22:35:25.92 ID:.net
みんなが大内義興にひれ伏して
大内幕府が開かれれば
戦乱の時代はそれで終わった
49:日本@名無史さん:2016/07/06(水) 18:06:42.19 ID:.net
>>47 尼子経久がひれ伏さない。
52:日本@名無史さん:2016/07/08(金) 18:21:14.18 ID:.net
足利義教は結局のところ改革が挫折して恐怖政治に走っただけ
しかも恐怖と言われるほど残酷なことは一切していない
ただ掲げた理想は時代を考えればこの上なく素晴らしかった
56:日本@名無史さん:2016/07/17(日) 17:59:23.72 ID:.net
建武の新政が成功していれば
建武の新政(けんむのしんせい)は、鎌倉幕府滅亡後の1333年(元弘3年/正慶2年)6月に後醍醐天皇が「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始した事により成立した政権及びその新政策(「新政」)である。

57:日本@名無史さん:2016/07/17(日) 22:29:08.70 ID:.net
建武の新政が成功していたとしたら、それは朝廷が常備戦力を持った事を意味する。
後醍醐天皇が失敗したのは、あくまで軍事力は汚れだから嫌がったってからだ。
しかし成功したということは恐らく、護良親王が即位なり何なりして朝廷を一新したのだろう。
そして日本は奈良時代の頃のものに先祖返りする訳だが、これまた余った大量の兵士の対策に苦慮することだろう。
そして大陸へ活路を、なんてこともあるかもしれない。
ひょっとしたら英仏百年戦争ならぬ日明百年戦争になるかもな。
護良親王(もりよししんのう / もりながしんのう)、延慶元年(1308年) - 建武2年7月23日(1335年8月12日)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物。後醍醐天皇の皇子、母は源師親の娘親子。妃は北畠親房の娘。または藤原保藤の娘である南方(みなみのかた)。興良親王の父。大塔宮(だいとうのみや / おおとうのみや)と呼ばれた。天台座主。

61:日本@名無史さん:2016/07/18(月) 01:27:14.35 ID:.net
日野富子が親バカじゃなく
京で戦争が起こらなくても
いずれは各地で力付けた大名達が畿内の命令を聞かなくなって
戦国時代になってたのかねえ
62:日本@名無史さん:2016/07/18(月) 09:36:31.48 ID:.net
じゃあ、政元が子沢山で子供はそこそこ優秀だったら?
全国の統制は取れただろうか?
63:日本@名無史さん:2016/07/18(月) 11:36:56.83 ID:.net
実際、戦国時代の戦は経済的理由・目的がほとんどだね

領土獲得よりも流通利権争いや奴隷狩り目的が多い
72:日本@名無史さん:2016/07/19(火) 21:00:54.79 ID:.net
尊氏の優柔不断すぎるところからやり直すべき

マジレスすると朝倉を守護と認めたところから。
75:日本@名無史さん:2016/07/20(水) 02:16:48.65 ID:.net
>>72
優柔不断じゃない
決断がことごとく空振りになってるだけだ
78:日本@名無史さん:2016/07/20(水) 06:08:00.25 ID:.net
足利義満の次の代が重要だった

足利 義持(あしかが よしもち)は、室町幕府第4代将軍(在任:応永元年(1394年) - 応永30年(1423年))。父は3代将軍・足利義満。母は安芸法眼の娘で側室の藤原慶子。父の死後、勢力を盛り返す守護大名の中にあって調整役として機敏に立ち回った将軍で、室町幕府の歴代将軍の中で比較的安定した政権を築き上げた。なお、義持の将軍在職28年は歴代室町将軍中最長の在任期間である。


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