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中公新書「応仁の乱」何故か売れに売れて25刷、40万部達成wwwwwwww
1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:31:48.47 ID:ugJp9I0X0.net
著者の呉座勇一さん
「なんでこんなに売れてるのかわかんない。不親切な研究本なのに」


引用元
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1495503108


2:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:32:23.61 ID:qTDPdOoM0.net
コーエーもこの時代のゲーム作るんだよあくしろよ
3:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:32:24.89 ID:FnsY8+oYd.net
安いからやろな
5:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:32:53.05 ID:TOpOW52Wa.net
誰にもよくわからない戦いだったってマジ?
8:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:33:53.03 ID:5nc+I9GL0.net
>>5
しかも応仁の乱が直接戦国時代の引き金になったわけでもないってのが最近の説
15:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:35:10.97 ID:ugJp9I0X0.net
>>8
応仁の乱の主人公の一人が当時の最高の知識を持った高僧なのに
「この乱の原因がなんなのかなんぞ誰もわからんよ、ほんまに」と書き記してた模様
16:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:35:21.69 ID:TOpOW52Wa.net
>>8
ええ……
尋尊(じんそん、永享2年8月7日(1430年8月25日)- 永正5年5月2日(1508年5月31日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての奈良興福寺の僧。応仁の乱(1467年-1477年)では父兼良の日記『藤河ノ記』を兵火から守った(『群書類従』所収)。また、大乗院に伝わる日記類を編纂し、大乗院日記目録を作成した。また見聞したことを多くの記録に書き記したが、その日記「尋尊大僧正記」は興福寺に関することだけではなく、この時代を知る上での必須の資料である。

6:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:33:06.54 ID:yq8vl4JHd.net
新聞広告もなんかひどかったな。
9:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:34:00.77 ID:ugJp9I0X0.net
>>5
>>6
呉座勇一さん「応仁の乱題材にすると大抵売れない、冗談で1万部売れたらラッキーですねーw、って言ってた」
7:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:33:44.21 ID:j2MUhDwaa.net
北朝南朝北朝南朝北朝に寝返ったってマジ?
10:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:34:12.83 ID:kFxrcHgV0.net
最後ぐだぐだしながら終焉するのがなんかわだかまりが残る
→でキレのいい解釈が欲しくなる→本売れる
なのかね
11:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:34:20.77 ID:z5/ubycRM.net
この時期の関東混迷過ぎる
12:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:34:23.81 ID:kOtHkLFNp.net
こんなのより
中公なら大平正芳とかの戦後政治家の奴が面白いだろ
14:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:34:51.13 ID:OvIG2ULy0.net
分かりやすい応仁の乱の本を出せよ
20:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:36:15.01 ID:dVWeBsJeM.net
>>14
そもそもが分かりづらいのでダメです
19:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:36:11.98 ID:ugJp9I0X0.net
>>14
呉座勇一
「わかりやすくしたら逆にわかりにくいので、こうなったらとことん丁寧に登場人物も絞ることなく書いたんだぞ」
23:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:36:45.37 ID:OvIG2ULy0.net
>>19
なるほど
17:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:35:22.79 ID:xcQ2M9FGd.net
ある意味当然だけど本の中身はほんまグッダグダ
32:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:37:35.48 ID:ugJp9I0X0.net
>>17
なんでや?
畠山義就が無茶苦茶なのに最強やん!
あと大内政弘が来襲したときの義政・細川の絶望感最高やん
18:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:35:35.69 ID:+mRM5ZGl0.net
まじでなんで売れてるんだ
京都人が持ちネタ研究のために買ってるんか
21:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:36:36.77 ID:kFxrcHgV0.net
京都人「先の大戦に興味を持つのは当然」
なのかね
28:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:37:10.70 ID:Ll7d9AJL0.net
覚経押しだよなこの本
経覚(きょうかく/ぎょうかく、応永2年(1395年)- 文明5年8月27日(1473年9月19日))は、室町時代の法相宗の僧侶。父は関白九条経教、母は浄土真宗本願寺(後の大谷家)の出身。母方の縁で後に本願寺8世となる蓮如を弟子として預かり、宗派の違いを越えて生涯にわたり師弟の関係を結んだ。酒井紀美はライバルで『大乗院寺社雑事記』の著者でもある尋尊と経覚を比較し、尋尊は出来事に対し距離を置いて冷静かつ客観的な態度で執筆し、2つの対立する勢力に対して片方に加担することをしない人物であるのに対し、経覚は好奇心旺盛で行動的、求められない事に対しても自ら関わろうとする。2つの対立する勢力に対しては自らの判断で片方に加担して貫き通すが、信義には信義で応えようとする義侠心溢れる人物であると評価している[4]。また、尋尊の『大乗院寺社雑事記』応仁元年6月21日条によれば、この日に尋尊を経覚が訪れて見物のために上洛すると述べている。まさに京都で応仁の乱が勃発したことが奈良にも伝わった直後の出来事であり、経覚は応仁の乱の合戦を「見物」しに行ったことになる。尋尊は経覚の行動を「不可然次第(然るべからざる次第=不適切だ)」と評している[5]。

36:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:38:34.03 ID:ugJp9I0X0.net
>>28
尋尊さんが自分に敵対したやつの生き死にを「天罰や!!」とか言い出すからしゃーない
29:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:37:13.85 ID:IUBPcPwfM.net
足利義政の生き方はかっこいい
30:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:37:30.49 ID:Ej2rVncz0.net
京だけでなく関東にまで飛び火してんの草
31:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:37:33.80 ID:POiW90an0.net
ノブヤボ新作も便乗するやろなぁ
33:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:37:49.99 ID:ZZ6IDFrS0.net
最近応仁の乱が流行ってるって聞いたら思考停止して
すぐ飛びつくバカばっかりだからな
34:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:38:11.81 ID:yPWkUtXqd.net
応仁の乱って歴史家が
「なんでこんなことになったんやろなぁ」
って状態だったのに全部解明されたんか?
40:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:39:25.25 ID:j6YXSxEoM.net
>>34
未だになんでかしらんうちに始まってグダグダの中に終わったやで
41:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:39:56.65 ID:Y2cxG2y6a.net
>>34
わからんやろ
資料がちゃんと残るというのは基本栄えているときだけやし
それすら都合が悪ければそのあと潰されるし
37:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:38:40.72 ID:kFxrcHgV0.net
あと100年くらい待てば南北朝の本売れるようになるかね
38:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/05/23(火) 10:38:47.60 ID:FnsY8+oYd.net
この本が1200円だったら半分も売れてないよ
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応仁の乱のwikipediaパパッと読んだんやが…
戦国時代ってなんであんなグチャグチャの内戦状態になったの?