毛利輝元って過小評価気味やないか
1:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:09:53 BF3
関ヶ原の罪を三成になすりつけてトンズラに成功し、内政で長州藩を豊かにした凡将やぞ
2:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:11:53 BF3
今のままじゃ三成に踊らされただけのアホみたいやん
3:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:13:07 MAD
彼の時点では領地を減らされてるからなぁ。
6:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:16:30 MO4
織田に領地を削られて徳川に領地をけずられた雑魚だし、大将として関ヶ原に参加した徳川家康と比べればその能力や気概は低いと言わざるを得ない
7:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:19:33 BF3
>>6
天下人に領地を削られたら雑魚ってのはちゃうやろ、島津とか強い強い言われても豊臣に負けたし
家康は名将中の名将やから家康に比べて能力が低いって言われてもなあ
天下人に領地を削られたら雑魚ってのはちゃうやろ、島津とか強い強い言われても豊臣に負けたし
家康は名将中の名将やから家康に比べて能力が低いって言われてもなあ
14:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:24:09 MO4
>>7
当主になった時から毛利家は縮小しかしてないやんけ
戦争での活躍も乏しいし両川に頼りっぱなし、内政で目立った功績もなくついには本貫も失う、どうやればこいつを評価できるのか
当主になった時から毛利家は縮小しかしてないやんけ
戦争での活躍も乏しいし両川に頼りっぱなし、内政で目立った功績もなくついには本貫も失う、どうやればこいつを評価できるのか
16:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:25:27 BF3
>>14
関ヶ原後はそこそこ内政うまいやろ
あと毛利元就の孫だけあって尻尾切りがうまい
関ヶ原後はそこそこ内政うまいやろ
あと毛利元就の孫だけあって尻尾切りがうまい
30:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:31:59 MO4
>>16
輝元って最初から大大名やから、武将としての評価は大大名としてのものとなるし比較対象も一定以上の大名となる
その観点に立てば、例えば上手く立ち回って領地を保った前田利長や関ヶ原で負けながら領地を保った島津義久には大きく劣ると思うで
関ヶ原後に活躍したといっても、そもそも内政がうまいなら関ヶ原前から発揮されてなければならんもんやろ
輝元って最初から大大名やから、武将としての評価は大大名としてのものとなるし比較対象も一定以上の大名となる
その観点に立てば、例えば上手く立ち回って領地を保った前田利長や関ヶ原で負けながら領地を保った島津義久には大きく劣ると思うで
関ヶ原後に活躍したといっても、そもそも内政がうまいなら関ヶ原前から発揮されてなければならんもんやろ
33:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:35:20 BF3
>>30
利長は領地を保てても政治的には立場を大きく失ったからなあ
原因不明の無断帰国で加賀征伐起こされそうになってるあたり輝元のことをとやかく言えたレベルではないと思う
輝元が太守に向いてないのは確かだけど
利長は領地を保てても政治的には立場を大きく失ったからなあ
原因不明の無断帰国で加賀征伐起こされそうになってるあたり輝元のことをとやかく言えたレベルではないと思う
輝元が太守に向いてないのは確かだけど
40:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:38:20 MO4
>>33
秀吉死後から関ヶ原までは天下人不在やからね、天下人が生まれればそれ以外の大名の地位が低下するのは仕方ない
むしろ圧倒的天下人が生まれても依然として勢力を保ち続けるって能力ないとできないわ、大好きな母ちゃんを人質にしてまでお家を保った気概はすごいと思う
秀吉死後から関ヶ原までは天下人不在やからね、天下人が生まれればそれ以外の大名の地位が低下するのは仕方ない
むしろ圧倒的天下人が生まれても依然として勢力を保ち続けるって能力ないとできないわ、大好きな母ちゃんを人質にしてまでお家を保った気概はすごいと思う
9:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:20:24 WIC
元就が有能すぎた反動やぞ
12:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:23:03 5gV
毛利家は領地没収、加増されて2カ国の太守になった吉川が毛利に割譲
17:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:26:15 HuM
本領発揮が戦争終わった後やし内政家としては有能
18:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:26:23 C1U
江戸時代に生まれてたら名君って呼ばれてそう(適当)
19:■忍法帖【Lv=14,うごくせきぞう,aw0】:2017/07/03(月)15:26:35 TyT
一時期博多まで持っていたのにな
20:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:26:47 cj0
最近再評価の向きもあるとか
25:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:29:15 BF3
>>20
再評価っていうか西軍の実質的な指導者については三成じゃなくて輝元なんじゃないかって意見が増えた気がする
再評価っていうか西軍の実質的な指導者については三成じゃなくて輝元なんじゃないかって意見が増えた気がする
22:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:27:38 cj0
江戸時代になってからは秀元の方がガイジ化
25:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:29:15 BF3
>>22
秀元は関ヶ原前から毛利家の悩みの種だったような
秀元は関ヶ原前から毛利家の悩みの種だったような
26:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:29:36 Rsb
最後が情けないと過小評価される
時代が違うが新田義貞など
時代が違うが新田義貞など
29:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:31:04 BF3
>>26
新田義貞はボロクソに言われてて可哀想やな
新田義貞はボロクソに言われてて可哀想やな
27:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:30:10 Vem
三成が勝ってたら当然総大将として天下人面してたはず
徳川を恨むのはおかしいわ
徳川を恨むのはおかしいわ
29:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:31:04 BF3
>>27
正月の小芝居とかまともな神経してたら恥ずかしくてやってられないと思う
正月の小芝居とかまともな神経してたら恥ずかしくてやってられないと思う
萩城では毎年正月になると、秘密の儀式が行われていたといいます。「殿、今年は関東を討ちますか?」「いや、まだその時期ではあるまい」元旦、大広間でお雑煮の式などがおわると、藩主と譜代の家臣21人が小座敷に入り、質素な膳を共にしました。服装は平服半袴で、「割雁の式(雁の包丁)」が執り行われました。毛利家創業の苦労を忘れないために続けられたようですが、上記のような会話が本当にあったのだとしたら、「いつの日か関が原の恨みを――」という毛利家主従の怨念がいかに強かったかという表れでしょう。http://shogiku.sakura.ne.jp/choreki4.htm
32:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:33:18 cj0
とは言えまあ家を残したんだから大したもんよ
どれだけの大名が潰されたか
どれだけの大名が潰されたか
34:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:35:51 9N4
戦後の吉川広家って毛利家中でどんな扱い受けたんやろ
やっぱり草履とか隠されたんかな
やっぱり草履とか隠されたんかな
36:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:36:35 Rsb
>>34
陰湿過ぎて草
陰湿過ぎて草
51:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:42:44 a6A
>>36
大将輝元は乗り気だが、吉川は全くの逆でやる気なし、小早川に至っては兄貴分の秀次がほぼ無実の罪で切腹
その実行者たる三成が勝ったら関白といってきたが、秀頼が成人したら自分も邪魔者扱いで切腹
間違いなしなので裏切る気満々、少数だと効果がないと家康・宇喜多につぐ1万5000とかいう大兵力
それでいて目の前に家康が居るのが確定して長宗我部がやる気満々で通せといってるのに
通さずそのまま負け確定になり、挙句に約束破られて毛利本家取り潰しになるところを吉川が譲っただけだからな
草履ぐらいじゃ甘いで
死ね無能といわれても全くおかしくないレベルのやらかし
大将輝元は乗り気だが、吉川は全くの逆でやる気なし、小早川に至っては兄貴分の秀次がほぼ無実の罪で切腹
その実行者たる三成が勝ったら関白といってきたが、秀頼が成人したら自分も邪魔者扱いで切腹
間違いなしなので裏切る気満々、少数だと効果がないと家康・宇喜多につぐ1万5000とかいう大兵力
それでいて目の前に家康が居るのが確定して長宗我部がやる気満々で通せといってるのに
通さずそのまま負け確定になり、挙句に約束破られて毛利本家取り潰しになるところを吉川が譲っただけだからな
草履ぐらいじゃ甘いで
死ね無能といわれても全くおかしくないレベルのやらかし
38:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:37:30 BF3
>>34
東軍との内通は輝元含む毛利家全体でやってたって説があるからそこまで孤立してないんやないかな
関ヶ原後も重臣として頑張ってたし
東軍との内通は輝元含む毛利家全体でやってたって説があるからそこまで孤立してないんやないかな
関ヶ原後も重臣として頑張ってたし
42:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:39:24 9N4
>>38
全体でやってたとしたら、広家はあくまで家康との折衝役みたいな感じになるわけか
全体でやってたとしたら、広家はあくまで家康との折衝役みたいな感じになるわけか
49:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:41:40 BF3
>>42
多分そうなる
まあその場合でも吉川のせいで大減封されたって話になるかもしれんが
毛利家の人たちが総大将やっておきながら減封されないと信じてたのは不思議な話や
多分そうなる
まあその場合でも吉川のせいで大減封されたって話になるかもしれんが
毛利家の人たちが総大将やっておきながら減封されないと信じてたのは不思議な話や
39:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:38:16 I10
祖父に比べるとボンクラ
41:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:38:56 Rsb
>>39
祖父に比べるとほとんどの武将が凡将になってしまうのでNG
祖父に比べるとほとんどの武将が凡将になってしまうのでNG
43:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:40:10 jvA
広島を作ったのはこの人なんよな
45:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:40:35 Udg
凡将は草生える
52:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:43:09 BF3
>>45
こいつを名将と主張する気は流石にないわ
三成にいいように使われてた無能じゃなくて、自分の意思で家康を排除しようとしや野心溢れる凡将だと思う
こいつを名将と主張する気は流石にないわ
三成にいいように使われてた無能じゃなくて、自分の意思で家康を排除しようとしや野心溢れる凡将だと思う
46:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:41:07 35g
毛利のあとにやって来た福島正則
かってに石垣直したせいでその後が悲惨
かってに石垣直したせいでその後が悲惨
47:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:41:17 MO4
広家が父ちゃんみたいな古今無双の名将なら関ヶ原で勝ったかもわからんしなあ、2代目両川のなんと小粒なことか、諸葛亮も呆れますわ
50:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:41:47 I10
>>47
小早川隆景に実子がおればなぁ
小早川隆景に実子がおればなぁ
64:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:49:09 Rrh
>>50
結局秀吉が秀家を押し付けたわけだから
西軍敗北→家康増長の流れはなんとなく遠回しの自業自得に見える
結局秀吉が秀家を押し付けたわけだから
西軍敗北→家康増長の流れはなんとなく遠回しの自業自得に見える
72:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:51:54 a6A
>>64
言っちゃ悪いが、嫁への言い回しとか扱い方と大内での衆道歴からすると
完全にアレでただの仮面夫婦だった可能性が微レ存www
言っちゃ悪いが、嫁への言い回しとか扱い方と大内での衆道歴からすると
完全にアレでただの仮面夫婦だった可能性が微レ存www
68:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:50:26 BF3
>>64
秀吉は何もかも自業自得だよなあ
上杉とか死ぬ直前に移封しなければ戦争起きんかったやろ
秀吉は何もかも自業自得だよなあ
上杉とか死ぬ直前に移封しなければ戦争起きんかったやろ
48:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:41:24 EIx
島津なんか潰したら由井小雪の乱が百年早まるだけやで
53:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:43:22 35g
しかし毛利家が山口にいったことで
200数十年後の維新に繋がるんやから
なんの因縁やら
200数十年後の維新に繋がるんやから
なんの因縁やら
59:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:45:54 MO4
維新で長州が主役になったのは毛利だからというより下関に位置していたからというのが大きいんじゃないかと思う
海峡は外国の圧迫を受けやすいし実際砲撃まで食らってるからいやでも維新を考えるだろうし
海峡は外国の圧迫を受けやすいし実際砲撃まで食らってるからいやでも維新を考えるだろうし
60:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:46:44 cj0
>>59
まあでも正月に小芝居続けるくらいの怨念はあったわけやから
まあでも正月に小芝居続けるくらいの怨念はあったわけやから
63:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:48:13 9N4
男津軽為信
三成の息子を匿うファインプレー
子孫も子孫で家老にした模様
東北大名男気ありすぎるんよ…
だからあんなにごちゃごちゃしてたんかな
三成の息子を匿うファインプレー
子孫も子孫で家老にした模様
東北大名男気ありすぎるんよ…
だからあんなにごちゃごちゃしてたんかな
71:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:51:07 cj0
それと毛利藩は外様では珍しく江戸時代初期から京屋敷を構えていたという話を聞いてほーんと思った
幕末に京都ででかい顔出来た下地がその頃からあったのかもしれんな
幕末に京都ででかい顔出来た下地がその頃からあったのかもしれんな
76:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:52:54 35g
>>71
ノッブに反抗してた本願寺の後援者やったわけやしな
事実本願寺門徒が多い地域であるし
ノッブに反抗してた本願寺の後援者やったわけやしな
事実本願寺門徒が多い地域であるし
77:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:53:59 9N4
>>76
関ヶ原ん時の本願寺の動きとか気になるな
教如あたり武装蜂起考えてそう
関ヶ原ん時の本願寺の動きとか気になるな
教如あたり武装蜂起考えてそう
79:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:54:43 35g
>>77
事実それで本願寺が西と東に別れるきっかけになったしね
事実それで本願寺が西と東に別れるきっかけになったしね
78:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:54:32 BF3
>>71
減封されても30万石はでかいからなあ
海に面した恵まれた領国だし
減封されても30万石はでかいからなあ
海に面した恵まれた領国だし
80:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:54:52 Rrh
>>78
下関は貿易で潤うからね
下関は貿易で潤うからね
85:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:56:24 cj0
>>78
実際検地したら五十万石以上
幕末には百万石近かったとか
実際検地したら五十万石以上
幕末には百万石近かったとか
89:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:57:06 9N4
>>85
幕府に何も言われんかったんか?
50万って伊達と同じぐらいやんな
幕府に何も言われんかったんか?
50万って伊達と同じぐらいやんな
90:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:57:57 EIx
>>89
いわれるわけないやん
いわれるわけないやん
93:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:58:47 cj0
>>89
江戸時代以前は防長二州で二十万石くらいやったと思う
検知して少なめに報告したんちゃうかな
江戸時代以前は防長二州で二十万石くらいやったと思う
検知して少なめに報告したんちゃうかな
96:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:00:00 9N4
>>90
>>93
サンガツやで
この頃から不正収入?はあるんやなって
>>93
サンガツやで
この頃から不正収入?はあるんやなって
97:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:01:29 BF3
>>96
石高計算は基本ガバガバやからあんまり信じたらあかんで
関ヶ原直前の毛利と上杉は石高で言えば同等やけど、国力はどう見ても上杉の方が下や
石高計算は基本ガバガバやからあんまり信じたらあかんで
関ヶ原直前の毛利と上杉は石高で言えば同等やけど、国力はどう見ても上杉の方が下や
101:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:02:48 cj0
>>97
見栄張って多めに報告して後で難儀する藩もあったそうやね
見栄張って多めに報告して後で難儀する藩もあったそうやね
106:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:03:35 BF3
>>101
真田信之の息子にそんなんいたな
90にもなって御家騒動を納める羽目になるという
真田信之の息子にそんなんいたな
90にもなって御家騒動を納める羽目になるという
114:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:06:12 MO4
>>106
間違いなく信之の寿命を削った事件やな、90で現場復帰って龍造寺のジジイくらいか?
間違いなく信之の寿命を削った事件やな、90で現場復帰って龍造寺のジジイくらいか?
81:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:55:09 jvA
こいつの親父が早死にせんかったら毛利が天下取れてたんか?
86:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:56:33 Rrh
>>81
それはないと思う
晩年の毛利元就は天下統一よりいかに安定して中国地方を治めるかを考えいていたから
多分それは隆元も踏襲するやろ
それはないと思う
晩年の毛利元就は天下統一よりいかに安定して中国地方を治めるかを考えいていたから
多分それは隆元も踏襲するやろ
87:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:56:37 BF3
>>81
あれだけでかい領国となると統治するだけでも苦労しそうやしな
近畿周辺から近畿統一できるような勢力じゃないと天下取りは厳しそう
あれだけでかい領国となると統治するだけでも苦労しそうやしな
近畿周辺から近畿統一できるような勢力じゃないと天下取りは厳しそう
88:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:56:39 EIx
>>81
大友に勝てるんか
大友に勝てるんか
95:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:59:40 a6A
>>81
かもな
こいつの親父が早死にして元就が自信なくして天下を目指すなっていう遺言残して
後に残った両川が律儀にそれを守ってその子孫もそれを実行しただけやからな
ただ弟達寿命で死んでるから関が原の頃にはもういなかっただろうな
いうても信長と同じ世代の人やから家康とかより大分上やしね
かもな
こいつの親父が早死にして元就が自信なくして天下を目指すなっていう遺言残して
後に残った両川が律儀にそれを守ってその子孫もそれを実行しただけやからな
ただ弟達寿命で死んでるから関が原の頃にはもういなかっただろうな
いうても信長と同じ世代の人やから家康とかより大分上やしね
92:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)15:58:44 MO4
毛利隆元はおそらく西国最強の経済感覚を持っているし、戦だって立花道雪と殴り合える能力持ってるしなあ
天下を取れたかはともかく秀吉に押し込まれることはなかったと思う
天下を取れたかはともかく秀吉に押し込まれることはなかったと思う
98:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:01:57 MO4
毛利隆元がいたころの毛利は隆元ありきの国だからな、戦費もこいつがひねり出してたし調略も隆元なら受け入れられると好調だった
こいつが早死にして二進も三進もいかなくなって拡大が止まってしまった
こいつが早死にして二進も三進もいかなくなって拡大が止まってしまった
131:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:11:04 I10
>>98
親父→陰険
息子→誠実
…黒田家と被るのは気のせいか?
親父→陰険
息子→誠実
…黒田家と被るのは気のせいか?
99:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:02:20 9N4
瀬戸内言うなら戦国時代の島々に興味あるンゴ
大体は海賊の拠点やろけど
淡路島とかすごい事になってそう
大体は海賊の拠点やろけど
淡路島とかすごい事になってそう
109:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:04:07 EIx
>>99
漁村やで
漁村やで
124:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:08:29 a6A
>>99
淡路は他よりでかいだけで他の島と同じく海岸線からいきなり山開始してて
農作物作れる土地がほとんどないから人が住むには向いてないで
だから石高も低くてそれほど重要視もされてない
大きめの川があって比較的農作しやすい洲本は大阪湾側だから瀬戸内ににらみきかせられない。
淡路は他よりでかいだけで他の島と同じく海岸線からいきなり山開始してて
農作物作れる土地がほとんどないから人が住むには向いてないで
だから石高も低くてそれほど重要視もされてない
大きめの川があって比較的農作しやすい洲本は大阪湾側だから瀬戸内ににらみきかせられない。
105:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:03:32 Vem
本願寺「毛利の援軍はまだかなあ」
荒木「毛利の援軍が来るはず…」
別所「毛利はまだ来ないの?助けてー」
宇喜多「毛利なんか来ねえよバァァァァカwwwww信長に降る」
吉川「援軍…めし…めし…」
清水「援軍が来るまで持ちこたえるのだ…」
荒木「毛利の援軍が来るはず…」
別所「毛利はまだ来ないの?助けてー」
宇喜多「毛利なんか来ねえよバァァァァカwwwww信長に降る」
吉川「援軍…めし…めし…」
清水「援軍が来るまで持ちこたえるのだ…」
113:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:05:13 9N4
>>105
やっぱ宇喜多は見抜く目があるんかなぁ
息子にもあるんやろなぁ
やっぱ宇喜多は見抜く目があるんかなぁ
息子にもあるんやろなぁ
116:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:06:37 Rrh
>>113
息子はいい意味でも悪い意味でも正反対で好き
息子はいい意味でも悪い意味でも正反対で好き
115:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:06:24 jvA
毛利幕府できてたたら首都はどこになってたんやろ
広島のままってことはなさそうやし
広島のままってことはなさそうやし
129:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:09:23 35g
>>115
最大勢力時は兵庫辺りまで食い込んでたんやっけ?
平野部が大きいところが選ばれてたかもなぁ
江戸は開拓に苦労してるけど平野があったのが
人工増加に対応できたわけやし
最大勢力時は兵庫辺りまで食い込んでたんやっけ?
平野部が大きいところが選ばれてたかもなぁ
江戸は開拓に苦労してるけど平野があったのが
人工増加に対応できたわけやし
121:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:08:02 BF3
>>115
普通に京か広島か、候補地は多そうやな
普通に京か広島か、候補地は多そうやな
126:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:08:53 9N4
>>121
神戸市「きっと戦国時代も神戸は大都会やろなぁ」
神戸市「きっと戦国時代も神戸は大都会やろなぁ」
125:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:08:45 jvA
>>121
広島は首都にするには狭すぎると思うんよ
水運の便は良さそうやけど
広島は首都にするには狭すぎると思うんよ
水運の便は良さそうやけど
128:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:09:19 GVP
テリーを過大評価して西軍の総大将にしたのが最大のミスやろ
金吾の裏切りで関ヶ原では負けてたけど大阪城で盛り返せたはずや
金吾の裏切りで関ヶ原では負けてたけど大阪城で盛り返せたはずや
132:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:11:18 BF3
>>128
輝元以外に総大将にできる格の人材おらんやろ
輝元は総大将じゃないとか言ったら拗ねて広島に変えるかもしれんし
輝元以外に総大将にできる格の人材おらんやろ
輝元は総大将じゃないとか言ったら拗ねて広島に変えるかもしれんし
144:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:14:47 Vem
残念やが家康以外なら幕府は京大阪やで
146:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:17:00 cj0
>>144
まあそうなるやろうな
毛利幕府なら京都あたりか
まあそうなるやろうな
毛利幕府なら京都あたりか
151:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:18:57 jvA
広島民やが
広島が現在あの地域で一番の大都市になってるのって
1に輝元の開発
2に明治期に陸海軍の拠点が置かれ、日清戦争時に臨時首都として整備されたこと
3に原爆で一度更地になって再開発しやすくなったこと
が原因なんやろなって
これらの偶然が無けりゃあんな狭い土地が大都市になるって不自然なんだよ
広島が現在あの地域で一番の大都市になってるのって
1に輝元の開発
2に明治期に陸海軍の拠点が置かれ、日清戦争時に臨時首都として整備されたこと
3に原爆で一度更地になって再開発しやすくなったこと
が原因なんやろなって
これらの偶然が無けりゃあんな狭い土地が大都市になるって不自然なんだよ
155:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:20:24 BF3
>>151
広島民的には戦国時代あたりで人気あるのは元就なん?
広島民的には戦国時代あたりで人気あるのは元就なん?
157:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:21:32 jvA
>>155
そらそうよ
福島とか浅野なんて知らんわ
そらそうよ
福島とか浅野なんて知らんわ
160:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:23:18 35g
あと広島に武田氏がからんでたことにびっくりするひとはおるね
164:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:24:34 cj0
>>160
その武田が若狭に行ってその一族が北海道まで流れてって蠣崎氏になるとか
その武田が若狭に行ってその一族が北海道まで流れてって蠣崎氏になるとか
162:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:23:35 jvA
>>160
うちの地元や
うちの地元や
165:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:25:10 BF3
>>160
福井にもおるよな
福井にもおるよな
168:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:26:37 7wX
陶晴賢とかいうなんかかっこええ名前の武将
171:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:27:11 zza
>>168
読み方がスエハルタカってのもええね
読み方がスエハルタカってのもええね
173:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:27:37 9N4
>>171
辞世もかっこいいんじゃ
辞世もかっこいいんじゃ
172:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:27:28 cj0
安芸武田氏ももともとは甲斐武田氏の中で安芸守護になった人の一族やっけ?
177:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:29:40 35g
>>172
そうらしい
仏護寺ていう寺を作るときにわざわざ甲斐から
呼び寄せたそうな
ちなみにそれが広島市内の寺町形成につながるそうな
そうらしい
仏護寺ていう寺を作るときにわざわざ甲斐から
呼び寄せたそうな
ちなみにそれが広島市内の寺町形成につながるそうな
174:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:27:44 YUi
具体的に何した人かよく知らんわ
関ヶ原で形式上の西軍総大将って事ぐらい
関ヶ原で形式上の西軍総大将って事ぐらい
181:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)16:30:46 BF3
>>174
最近は実質的にも総大将って説があるで
端的に紹介すれば西軍総大将だけど西軍を裏切って生き延びたあと内政に励んだ人や
最近は実質的にも総大将って説があるで
端的に紹介すれば西軍総大将だけど西軍を裏切って生き延びたあと内政に励んだ人や
248:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)19:07:11 hb6
毛利が譜代並みの所領で安堵してもらうためにはニ川も、配下の坊主どももみんな死んでる必要がある
251:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)19:15:55 I10
>>248
安国寺恵瓊がアカン
安国寺恵瓊がアカン
250:名無しさん@おーぷん:2017/07/03(月)19:15:10 7wX
そうせい侯とかいうなんかバカっぽいニックネームをつけられてしまった風評被害大名
コメント一覧
毛利も再び幕府から目をつけられるレベルには盛り返してるな
難癖つけられる前に、山陰の萩に転居して質素な暮らしで目をそらすのに成功したが
ソースは確か20年位前の新聞の正月の冊子
大減封喰らって、大勢の家臣が路頭に迷うか否かの瀬戸際になって、やっと自分の人生に目覚めた感がある。
早い内から自分で判断させ、良くも悪くも結果を出させておけば、血筋は優秀で晩年内政に才能を発揮したのだから、徳川との政治闘争にも勝ち抜けたかもね。
教育って大事やわ。
毛利の栄光は隆元が死んだ地点で終了しとったんや。
テルがもっと好きになった
何故か憎めないお人
再研究の第一人者にすらツッコミ入れられてるレベルでほんと畜生
でも瀬戸者か。
戦後、徳川、毛利は分かった上で混乱を避けるために安国寺をスケープゴートにした
もしガチでやる気で滅びてたとしても今よりは評判は高くなってただろうな
維新は毛利居なくても関ケ原で反徳川の誰かが毛利の代わり付いたポジションで動くだろうから変わらないだろうし
目立つ功績が転封されてからの領地開発だけではなんとも…
それ以外はやることなすこと裏目裏目では評価しようがない
天皇、秀頼のいる京や大坂から遠すぎるし
毛利家の方針的に、安芸から離れる気もないだろうし
仮に離れて京近くに行くと全国の諸大名から警戒&謀反の温床になるだろうし
戦国初期の大内と同じようなポジションに収まるんじゃねぇの?
小早川隆景に評価の点数いくらか吸われてるように思う
それと本スレで織田に領地削られたと言われているけど、豊臣政権下では、毛利一門や家臣団が九州や四国にもかなりの領地をもらっていて、こいつらが独立大名となるわけがない点を踏まえれば、中国大返しに協力したという点だけで毛利はかなりの加増を受けている。自力で切り開いた全盛期と比べて石高でどうだったかは知らんけどね
まぁ輝元自身の判断や功績とできるかどうかはともかく、輝元を戴いた毛利家中が頑張って働いていたのは事実。だからこそ関ケ原は、強力な指導力を発揮した家康との差がまざまざと浮き彫りになった感はあるが
途中で西軍の敗北を悟り撤収作業に入ったわけだが
関ヶ原で実は家康とやりあう気満々だったけど、岐阜城が落ちた時点で敗北を悟って、
保険としてあえて泳がしていた吉川広家を通して徳川との講話に方針転換。
そして三成を生贄に家名存続。
筆者自体、フィクションが混ざってることを認めてるから実際にそうなのかどうかはわからないけど。
吉川の件は元々知ってたかというと微妙なんだろうけどね 吉川個人がはじめは個人で進めてて、後に輝元も知りそれに乗ったというのが近いとは個人的には思ってる
元就、隆景、元春は隆元、輝元二代揃ってメンタル破壊していったってことになるね
凡将だけど積極的に動いて無理だと見るやさっさと引き上げるのは良い目を持ってるからかもしれん
当時の評価はどんな感じだったのだろう
小大名なら素早い損きりはいいことだと思うけど大大名しかも西軍の大将としてはどうかと思うなあ
ここまであっさり諦めるならそもそも挙兵するべきではなかった
あれはどちらかというと下げまくってる方だろ
朝鮮の役辺りから見ても無能エピソードばかり入れられてるぞ
それと岐阜城が落ちた時点で万に一つも勝ち目はないのだから保身を考えるのは当たり前の行動、やらない方がバカでしょ
まあ、関ヶ原で思いの外負けすぎたからいけない
西軍の諸大名からしたら
総大将が敵に内通なんてされたら溜まったもんじゃないけど
そんなの関係ねぇってことなんだろう
うまく行けば美味しいところを1番貰える
無理っぽくなったら誰かに責任を押し付けて逃亡
戦国大名としてはこの小賢さはむしろ良い
ただ総大将としては最悪も最悪
ここまで最悪な総大将は滅多にいないと思う
ほんとに輝元の才覚で発展したのか?という疑問符つくんだが
総大将が内通ておかしくない
普通に和平交渉してたでよくない
そもそも西軍の諸大名からしたらむりやり参加させられたのが
ほとんどだから和平してくた方が助かるんじゃね
秀吉が本願寺を大坂天満から京都堀川に移すまで京都では本願寺はかなり弱かったはず
信長は法華宗寄りの上、本願寺とは宿敵で信仰する機会がなかったのもあるかもしれない
それ言い張っているのは吉川だけだからな。
石田が嫌いで輝元を裏切って勝手に敵と内通していただけ。
輝元は当然そんなの知らない。勝きでやってるからね。
吉川小早川が裏切った事で負けた戦後で、実はやる気なかったんですう、と言い訳しているだけ。
和平交渉ってのはその国なり勢力なりを代表して行うもんでしょ?
輝元の真意はコメでも指摘されているとおりいろいろ考えられるけれど、仮に「西軍の敗北を悟って諦めた」説を取る場合、自分の下で勝利を目指して頑張ってくれている仲間たちを無視して勝手に一抜けたってやろうとしてるわけ
毛利の家臣ならそれでも当主のやることには従わなきゃいけないけれど、ふつうの大名たちにしてみればたまったもんじゃないよね。それなら総大将らしく最後まで堂々と居座って、自分の首を差し出す覚悟で家康に頭を下げに行かないと無責任。まぁ実際には関ケ原の一日でその状況に持ち込まれてしまったわけだけど、その当日の決戦に顔を出す気すら無かった時点でね。関ケ原には輝元のために城までつくってたのに
西軍の諸大名って無理やり参加させられたのも多いけど、日本を二分する大乱なんだから絶対に勝ち馬に乗っておきたいわけよ。この機に乗じて勢力拡大狙う大名もたくさんいた。まだ決着もついてないのに和平交渉なんかされたらそれこそ武家の棟梁としては何やってんのって言われるよ
関ヶ原の後に吉川が干されるのっておかしくないか?
そもそも干されてないのか
なんか冷遇されたみたいな話を聞いた記憶があるが忘れてしまった
関ヶ原後も吉川広家・毛利秀元が重臣として輝元側にいる
冷遇された逸話が出るのが、江戸中期に岩国藩吉川家の家格問題が出てから
家康『そろそろ許してください』の和睦交渉だったのが、
岐阜陥落を境に
毛利『許してください』の和睦交渉に変質してるからなぁ
政宗は名将扱いで輝元は凡将という評価なの、明暗は何が分けてるのか
立場の時点でどうしようもないやろ
この時点で毛利元就と入れ替わったら、豊臣、徳川という大勢力、薩摩に島津も健在の事態を解決できるか?というとな
その毛利元就が記憶継承か、記憶なし若造か いずれにしても
悲劇の武将になるようなネタは伊達政宗が濃い
毛利輝元は…俺が知らないんだ、一般人はもっと知らんだろう
そんな事実はねーよw
それは吉川の暴走であって、輝元は普通にやる気まんまん。
畿内をほぼ制圧しつつあった状況を考えれば岐阜が陥落しようが西軍の有利は揺るがん。
吉川、秀元は普通に仕事をしていた、徳川方の勢いがあるから寝返りもあり、調略があまり上手く行ってなかっただけの事
岐阜城が落ちた時点で西軍有利は有り得ない、どれだけ離反者が出ていると思う
岐阜が落ちても畿内を制圧している時点で西軍の勝利は揺るがんよ。
そのくらいの国力差があり、東軍の大半は本国から切り離された軍であり長期戦は不可能。
まける要素はないよ。
西軍の主力の大半は本国から切り離されているので兵站は不足しがちで寝返りは後をたたない、東軍は兵站に余裕はあり徳川に城を明け渡しているし、寝返りは難しい、岐阜城が落ちた時点で立て直す事は無理
西軍も東軍も旨味を求めて動いている、近くに優勢な大勢力が現れれば寝返るのは当たり前
畿内の東軍の城は次々におちたり、西軍に寝返ったりしており、西軍の圧倒的有利な状況なのに何を言っているんだ?
俺、政宗嫌いだけどさ
政宗は良くも悪くも俺様で、何をしようが主体は常に自分にある
テルは良くも悪くも盆暗で、何をしても主体性なく、責任は常にまわりのせいにする
その違いじゃね?
それは岐阜城が落ちた後の話なのか?それならばその勢力を教えてほしい
寝返られ戦力は分散され、指揮が下がりきっているのにどこら辺を見て有利なのか教えてほしい
あのまま戦い続けて史実以上に寝返りが出ないとでも?
普通に畿内の城は次々におちたり降伏して西軍に寝返っている。
だが小早川秀包や立花、それに細川攻めてた連中などの活躍によってね。
もっともそのおかげで西軍が集結する前に関ケ原でぶつかってしまい、彼らが到着する前に決まってしまっただけ。
士気が下がっている?むしろ次々に陥落させて圧勝モードじゃないか。
例に出したのは二つだけだな、大津は重要拠点だ、そこに寝返られたら輝元は関ヶ原に出る事はできないから元康、秀包の精鋭を派遣せざるを得なくなった
田辺城は1000にも満たない、いつまで時間を掛けている
ではその間に東軍にいくつ城を落とされている、岐阜城の援軍も間に合ってない、どこが圧勝なのか教えてほしい
田辺は細川が籠っており、朝廷がちょっとまった言っているから長期化しただけだが?
落ちたのは美濃の城だけ、その間に畿内の東軍の城は伏見を始め次々に陥落しており西軍圧勝の流なんだが?
何を言っているだお前は。
つまり朝廷が悪いと言いたいのだろうか?
それならば根回しが不十分なのが手落ちといえる
そんな記録あるか?
政宗が数々の疑惑(味方攻撃など)に自分で責任をとってたら生きてはおれまい
輝元といったら西軍大将を石田三成に押し付けたとかいうかもしれんが
それをよしとしたのは徳川だし 押し付けってそれくらいかね?
三つ目だな、まさか今更伏見城とは思わなかったわ、で、次々とは?安濃津?松坂?何?次々とかもったいぶらずに出してくれよ
あと美濃だけか、尾張、伊勢と圧迫して行っているが?寝返りが出ない根拠を教えてほしい
創作説もあるが佐野道可事件
政宗ってだいぶ責任を周りに転嫁していたような
それと輝元が主体性ないというのはどの点ででしょうか、私的には積極的にいらんことしてる印象が強いものでして
畿内の東軍の城、ってどこがあったかな。大津はもともと西軍だったのが東軍に寝返った例で、これをあわてて奪還からって西軍圧勝の根拠にはなり得ないよね。伏見はこの内乱の序盤も序盤、何も用意してなかった徳川方の寡兵を攻め落として景気付けただけで、むしろこんなトコで負けてたら恥というレベル。で、田辺も鳥羽も現在でこそ近畿っぽいけどあんなとこ畿内とはとても言えないトコにあるからね。伊勢方面は鍋島の若造が大軍で侵攻しておきながらたいした成果も挙げられずに、むしろ関ケ原本戦に間に合わない大失態
つか本来はこの伊勢方面から尾張を圧迫して東軍を抑え込まないとどうしようもなかったんだけどね。岐阜城がターニングポイントって言ってるのは、徳川一派を中央から締め出すのが目的なのに岐阜を取られたらいつでも京へ攻めのぼれる態勢を整えられてしまうから
畿内が国力高いからなんだというのか?西軍は豊臣家の兵力を借りられてないんだよ。畿内に領地持ってるのは近江だの大和だのに二十万国以下のしょぼいのがいくらかいるだけで、主力は中国や九州から連れてきてるんだから関東の徳川と兵站は大して変わらん。むしろ東海諸大名の領国を取り上げた徳川のほうが国力はずっと高いし
これが美濃まで西軍で固めてしまえば、あとは徳川がどんなに騒ごうとも戦線破られなければ西軍の勝ち。戦況が膠着すれば秀頼を手中にしている西軍のほうが政治的優位に立てるからね。だからこそ東軍は急いで美濃を取りに行った。濃尾平野でにらみ合うという西軍の戦略を完全に破綻させてしまったわけよ
西軍諸将「畿内を抑えてる以上まだまだやれる」
毛利一派「うーん岐阜城が落ちたらからもう無理」
その結果が関ヶ原における石田ら西軍の諸将の奮戦と
戦意喪失した毛利一派の日和見
三成らは直接家康をぶっ叩けばまだ挽回出来ると考えたが
毛利はそこまで危ない橋は渡りたくなかった
ここで無傷で降りれるって思うのが、輝元のヤバさじゃないかなあ。
家康はそんな甘くないってことだな
伊勢(古田や富田)と伊賀(筒井)だな。これで畿内をほぼ制圧した。
西軍だったのが寝返ったとかいうのなら、織田秀信などももともと東軍だったのが西軍に寝返っただけにすぎんよ。
そして美濃はターニングポイントではないよ。美濃が陥落してもその間に畿内を制しているなら西軍の勝利は揺るがん。
そのくらい国力差が存在している。ちなみに近江70万石大和50万石で三河遠江駿河合わせて70万石ほどでしかない。
どのくらいの差があるのか理解しているのかな?
濃尾平野みたいな広い所でにらみ合ってどうするよ、長期戦は西軍有利なんだから畿内に入れないように陣取るのが正しい。
兵站?畿内を制している西軍に兵站問題などないよ。現地でいくらでも調達可能だからね。
隆景が実子を廃嫡にしてまで、秀秋を受け入れるかがどうかかポイント
輝元と隆景両方子供作ってたらよかったってことだな
秀秋は上杉あたりにお針が回って秀元がでかい顔しなくなる
冗談はともかく、裏切り者が出たのは西軍だけで東軍は出てないというのにね
地方はぬきで関ケ原での話で
それは重臣なのに蚊帳の外に置かれてからの抗議だね
寝返って攻撃した訳ではないから違うと思う
東軍にいたけど西軍に付こうとして家来を置いて船探しにいったけど見つからなくて
帰って来たら誰もいなくて呆然としてたら捕縛されたアホウがいたような
宮部長房(長煕)の逸話だね、ただ大津城攻めに西軍方として宮部がいるので誤った話みたい
船の逸話以外に岐阜城に単身で駆け込んだ話などもあるけど、それも整合が取れない
家臣統制がとれずバラバラに合戦をしたことから生まれた逸話なのかも
ということは宮部は最初から西軍だったってことになるのか
それとも寝返りには成功したってことだろうか
うーんなんとも
三成はスケープゴートにされたからわかるが
何故同じ毛利の人間である安国寺恵瓊が処刑されたのか
一緒に処刑された小西行長はどういう扱いだったのか気になる
西軍諸将も大抵は改易で済んでる中で死罪って結構厳しいと思う
小西はともかく恵瓊は参戦すらしていないし
その小西も他の西軍諸将と同じく巻き込まれて参戦した存在だった聞いたことがあるが
この辺り毛利主導説ではどういった説明がされてるの?
三成主導説ならこの3人+宇喜多が中心となって毛利を担いだ
この3人は犯罪人として死罪&宇喜多はお情けで島流しって感じだから
確かに分かりやすいといえばわかりやすいよね
小西行長はたまたま捕まったんで首謀者リストを充実させるために処刑した
政宗はDQN、輝元はいいとこのお坊ちゃんなイメージ
DQNの方が恰好よく見えるだろ
毛利に目をつけられたのが運の尽きか
大谷とか戸田も生きてたら首謀者リストに載せられたのかな
当時の書状では増田、石田、長束の三奉行の首を切って収拾を付けようとする物が結構ある
増田はよく改易だけですんだという感じだ
いつの世も泣くのは中間管理職だな
役員まで昇りつめれば下に責任押しつけて逃げれるんだが
なんだかんだやらかしたけど政宗は勢力拡大したし、人取橋の戦いみたいな大一番で勝利した
輝元は相手が悪かったとはいえ勝った話聞かないからなあ
一応毛利家最大版図を築いたのって輝元なのですが、やはり勝った印象の薄い人物ってことなんですかねぇ
調子に乗り続け、拡張に伴う変革が追い付かなかった人物は、最大版図を限界点にそのまま転げ落ちるパターン。
大内義隆
尼子晴久
伊達政宗
北条氏政
武田勝頼
大友宗麟
竜造寺隆信
島津義久
長曾我部元親など、かき始めたらキリがない。
急死しただけであって晴久存命時には衰亡も滅亡もしてないが
そもそも西軍の大半は会津討伐の東軍に参加する予定だったのが、西軍に寝返ったものなんだが。
失礼。
ちと毛利家視点に毒されすぎてましたね。
最大版図をターニングポイントに弱化したと言う意味では、尼子晴久は該当します。
ただ最も勢いのあった郡山籠城戦での敗退をターニングポイントにしても、その後、彼が失陥したのは備後のみ。
確かに坂道を転げ落ちる如く、急速な弱体化はしていないので、衰亡という表現には該当しません。
一時、滅亡寸前の月山富田城防衛戦では、大内側に鞍替えしていた元支配の国人衆達を、再度、戦場で返り忠させ大内義隆を大破して勢力を盛り返し、
晩年も石見銀山攻防戦では、この頃になって大内家を飲み込みやっと尼子家と対等の勢力までに成長した毛利家に対しても、忍原崩れと言われる程大勝し、存命中は石見銀山を死守しています。
新宮党粛清などありましたが、これは大軍を動員できる大名は、特定の強力な武力集団に頼る必要が無い為、威を示す為に討ち果たし、中央集権を果たしたとも言えます。
さらに備前方面の対浦上家方面では攻勢にあり、この方面では活躍しています。
晴久健在なら元就の巨大化は無かったろう
国久は晴久とは世代が一つ違うから従う気にならなかったんだろうね
世代が違うと軋轢が出てしまうのが世の常だよね
「安国寺恵瓊は、元々その気はなかった輝元を、三成と謀り、輝元を騙して西軍の総大将に担ぎ上げた大悪人。」というのが、吉川広家の描いた虚構のストーリー。
こういう奴を総大将にしている時点で、西軍諸将は見る目がないということになるので、やはり彼らは無能だということだろう。
有能というのは難しいものだ
安国寺恵瓊の首と減封だけで済ましたというのは凄いことでは
人間のクズだけど、クズと有能は両立するし
出自から考えると五奉行と五大老どちらが信頼に値するかというならもちろん前者のはず
だが五奉行の数の多い西軍を支持するのがスジでは
(たしかそうだよね)
同意
部下に優しいならギリセーフ
輝元は……ダメだな
むしろ全員が平和に向かって行っていた時期の関ケ原なんぞより、元就全盛期のような群雄割拠時代の方が輝元に合っていたのかもしれない
その祖父全盛時代を共に駆け巡った叔父たちに、ダメだわコイツ扱いされてるから何とも……
叔父たち隆元のこと舐めてて死んでから凄さに気づくようなのだし、人を見る目なかったかもだから…
その父すらもあかんこいつって評価下してた記憶があるんですが
若い時はボンクラで成長すると共に有能になっていったわけじゃないからなあ輝元は
どの文献に載ってんの
おまえの妄想じゃね
働き盛りの当主が急死して残ったのが年老いた元就に子供の輝元、ついでに力持った親戚の元春隆景っていう状況は、当時追い詰められてた尼子家の政久死亡時のそれと重なって見えるから、そのせいで商人から警戒されたんじゃなかろうか。ましてや当時の毛利は急激に版図を拡げたばっかの勢力だったわけだし。
家の生命線である軍事機密などを平気で誰にでもペラペラ喋ってしまう輝元を見た祖父元就が他の人にあてた書状にある
輝元はなさけなく候=こいつダメだ
と混同してんじゃね?
まぁ元就は隆元の素質も見抜けて無かったし、まだワンチャンあるよ
もっとも、そんな状況見たら元就でなくてもそう思うだろうけど
毛利家は大江広元の子孫の為か、“軍学”を重視する家系だった為かも。
隆元のメイン才能は“政治”にあったから、これは山口の人質時代に大内家から吸収した才能っぽい。
隆景も同じ様に大内家から吸収した為、オールマイティーな才能を示している。
山口留学が無かった元春さんは、絵に描いたような軍人だし。
毛利に天下を取る気がなかったと言えばそれまでだけど