81306024001403
応仁の乱で、守護大名の権威が落ち、守護代に国を乗っ取られたのが戦国時代の始まり
1:名無しさん@涙目です。:NG NG BE:194767121-PLT(13001).net
政経懇話会:応仁の乱とその時代―英雄なき時代を考える
http://www.sakigake.jp/news/article/20171014AK0019/


引用元
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1507965015


2:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:11:30.34 ID:7stxs2jH0.net
応仁の乱の頃、お前ら何してた?
7:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:22:20.07 ID:SZjPhNXz0.net
>>2
羅生門で奪衣婆してたw
17:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:38:52.89 ID:80dr3ON80.net
>>2
まだバッタだから何も出来んかった
28:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 17:22:34.02 ID:/fKW0GNP0.net
>>2
2ちゃんの高齢化ってマヂだったのか
37:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:30:30.70 ID:RtmEmye50.net
>>2
一休宗純禅師の所で居候していた。
71:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 07:27:36.17 ID:OIViYQ980.net
>>2
親父が応仁の乱おっぱじめたから家ん中ピリピリしてたわ
78:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:06:53.37 ID:IYckWPbc0.net
>>2
骨皮道賢と伏見に籠った
5:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:16:59.28 ID:mglLhORN0.net
権威はあったけど、実力がね
6:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:17:52.04 ID:fLbbLJgJ0.net
応仁の、乱から戦国時代ってだいたい夏休み後やな
2学期の一番盛り上がる時期
明治からわ面白くないな
8:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:22:45.67 ID:M2Cu+JR80.net
征夷大将軍の権威が落ちてたところに日野富子が火薬に火を付けたんだっけ
9:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:27:08.34 ID:rA9oBX9N0.net
守護斯波武衛家の内紛に乗じて清須織田氏(大和守家)が
実質的な支配を始めたのが尾張の始まり
10:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:28:16.78 ID:4Dy5auml0.net
洋の東西問わず、古代の中央集権的な安定国家
が継続せず中近世に混乱するのは、何か必然的なことなの?

古代ローマとかチート過ぎる。
44:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:48:50.11 ID:JCEI7LSZ0.net
>>10
ペストの流行
48:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 21:08:07.25 ID:Ogevp8qS0.net
>>10
洋の東西を問わずと書いているけど、中国では中世でも統一王朝が続いていたような
五代十国や南宋時代は別としてね
134:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 19:18:00.02 ID:y1sRkRCe0.net
>>10
中世の始まりから戦国時代までの数百年も幅あれば、世界中のどんな国だろうが栄枯盛衰で乱世やっててもおかしいことじゃないよ
145:名無しさん@涙目です。:2017/10/16(月) 01:23:02.94 ID:lf9ARH6c0.net
>>10
格差社会に対する謀反
19:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:39:52.46 ID:/gfe8mqs0.net
>>10
世界的な気候変動
現代でも氷河期が来たら世界的にヒャッハーになる
27:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:58:33.46 ID:rA9oBX9N0.net
>>19
天災もあるかも
応仁の乱の休戦のときに
日本史上最大級クラスの明応の大地震が来て
各地が寸断され復興する力が無く
互いに奪い殺し合う修羅の時代に突入したんだわ
33:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:08:21.33 ID:ZHyNIYQK0.net
>>19
中心都市周辺の資源もいずれ尽きるし貨幣システムでどうにかしようとするからなぁ
灌漑とかいう滅亡確定フラグ
91:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 09:59:38.49 ID:jF8Zv05O0.net
>>19
気候が温暖化した方が人口が増えて
余った人口により民族移動や戦乱が起きるんですが
悪天候で不作になると戦争どころじゃなくなる
114:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 12:37:34.71 ID:aL1d3Md80.net
>>91
こっちが正解だろな。
現代の企業でも、好景気には次々と独立・設立されて、不況になると吸収合併で寡占化が進む
独立した集団が他とまとまるのは、単独ではやっていけなくなるから
121:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 13:28:31.32 ID:X/bQmkRj0.net
>>114
どっちもやでー
騎馬民族とか寒冷化で降臨してきおるし
バイキングは人口圧力で侵略してくる
116:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 12:42:24.34 ID:IasyGnhZ0.net
>>91
>気候が温暖化した方が人口が増えて
>余った人口により民族移動や戦乱が起きるんですが

鎌倉ー室町ー応仁の乱のころは体格がすごくいい、っていう
発掘遺骨の研究とかあったような記憶あるけどちょっと不確か。

あと太平記のころの記述とか、ものすごい武士がやたらいるけど
誇張あれど、実際結構な、剛力の偉丈夫がたくさんいたという事実
がベースになってるという話とか。

気候が温暖で食いもんに不自由しなかったから、育ちもよくなり
で、食いもんはあるし暴れまくり。
127:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 17:28:59.81 ID:dAWyKewx0.net
>>116
完全に記憶違い
骨からの推定による平均は160cmにもみたないし、江戸時代とも変わらない
平均身長でいえば、むしろ古墳時代の方が体格がいい(サンプルが古墳に葬られるレベルの権力者層が多くなってるせいもある)
131:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 19:06:26.87 ID:vjrWi9Rj0.net
>>127
そいつの言ってる事には別に同意せんけど
骨考古学の研究で日本の全時代で江戸時代が一番平均身長低いのが判明しとるぞ


20:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:41:54.57 ID:O005O5Nt0.net
>>10
そもそも室町幕府はもとからまったく集権できてないような…
21:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:45:14.59 ID:4Dy5auml0.net
>>20
日本の場合は室町以前ということになるんだろうか。
古代律令国家から全国が荘園化していって平家で鎌倉で
いよいよ混乱開始。

中国は軍事強権なら昔から定期的に大国家がしばらく続く?かな。

欧州はもうローマ以降絶対王政期までグダグダ。
34:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:23:57.98 ID:ipMbFwFB0.net
>>10
応仁の乱より少し後だと思うが
16世紀は世界的に気温低下で、乱世なんだだけ?
38:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:31:10.33 ID:dVtB8Fy50.net
>>34
みたいね。火山の噴火とかで寒冷化で飢饉などが発生し政情もぐちゃぐちゃに
11:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:28:17.62 ID:mF4vUIR50.net
ボトムズの百年戦争みたいなもんだろ
14:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:34:34.96 ID:5tHiJCPo0.net
>>11
ほんこれだから困る
13:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:33:37.09 ID:OZjcN3gx0.net
日野富子の大河ドラマが有ったけどつまんなかったよねw
真田広之の足利尊氏は面白かったのにねえ
36:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:29:57.70 ID:Ch98hz/d0.net
>>13
俺はアレで尊氏のよくわからなかった部分が理解できたような気がする。
なんかね、三国志の劉備がもし中国統一したら、尊氏と同じ失策をするような気がする。
93:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 10:10:53.18 ID:j/AJc62A0.net
>>13
野村萬斎の細川勝元の喋り方が面白かった。それだけが印象に残ってるドラマ。
79:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:08:36.45 ID:IYckWPbc0.net
>>13
ストーリーは糞だった
OPは名曲
84:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:45:05.72 ID:sVMyOfl/0.net
>>79
OPが名曲はまったく同意だ
ストーリーはともかくよろきんにまんさい、様式美としては素晴らしかったと思う。
まんさいが石庭で舞うとことかさ。
日野富子をもっと別の人にしたほうがよかったんじゃないかな・・・
あれじゃ実際と同じだよねw三田佳子もドラ息子いるし。
16:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:38:48.04 ID:ji8Mq60U0.net
戦国時代を作った張本人はクジ引き将軍義教って英雄たちの選択で
磯田道史が言ってたわ
18:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:39:51.66 ID:1fnJRtYw0.net
日本の歴史ってめっちゃ面白いはずなのに
学校の教科書って、天才的なレベルで歴史をつまらなくするよね
22:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:46:42.68 ID:Xm/3VSme0.net
幕府制度は持って15代までしか続かない欠陥制度

ソースは江戸幕府
35:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:27:30.70 ID:Bj9tveEh0.net
>>22
15代260年続けば充分だろ
42:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:44:27.83 ID:vx7GaMSq0.net
>>22
執権が治めれば16代まで持ったんだがな
23:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:48:20.89 ID:+IYjmKMe0.net
ひろゆきが守護大名でJIMが守護代?
25:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 16:57:04.81 ID:3NeOFwTl0.net
オーディンが日本にちょっかい出してたんでしょ
32:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 18:32:50.77 ID:crs19mrF0.net
守護大名は基本的に在京を義務付けられていたが、中にはその義務がなかった守護大名もいる

鎌倉公方の監視役である今川氏や九州の監視役である大内氏などだ
結果的に滅んだとはいえ、領国にいたおかげで領国の一円支配が可能となった

また管領として牽制を振るった細川氏や領国がすぐ近くにあった六角氏もある程度力を保つことができた


一方で斯波、畠山、その他の有力守護は早い段階で実権を失っている
39:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:33:01.98 ID:16/mPkyE0.net
朝倉家ってもともと守護代の家格しかないのに名家扱いされてる
40:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:35:59.36 ID:oJtYprhX0.net
>>39
5代100年も守護大名やれば自ずと格は上がる
60:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:27:12.55 ID:lrUlY7uN0.net
>>40
吉良上野介の吉良家って、全然パッとしないのに江戸時代になると威張ってて腹が立つ
しかし繁殖力だけはすごい
80:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:17:00.78 ID:IYckWPbc0.net
>>60
吉良は室町時代のほうが羽振りが良かった
東条吉良と西条吉良にわかれ親戚同士で内戦するうち、実力を落とし松平家に領地をとられた
45:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 19:57:24.69 ID:7LcpTGtsO.net
守護大名は京都に居着いて公家化したところに、応仁の乱での京都壊滅で衰退
領国現地代表の守護代が領国を丸ごと頂いてしまう
その後は群雄割拠の戦国時代
47:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 21:03:56.25 ID:aZ8DZkJM0.net
応仁の乱って何?
50:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 21:45:59.30 ID:PI2ownCE0.net
>>47
細川が政権に口出しして日本を混乱させた

要するに今と同じ
今の日本が応仁の乱の当時と同じと思えばいい
53:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 22:13:54.64 ID:6vrUhzQP0.net
>>50
数年で東軍勝利で終わりそうだったのを大内が西軍で参戦し
わずか約1万の大内精鋭部隊で山城の国のほとんどを制圧、西軍復活
10年を超える長期大乱に発展

細川が火をつけて大内が油を注いだのが応仁の乱
49:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 21:13:01.46 ID:nniEL26l0.net
俺のご先祖様は何やってたんだろ
鎌倉幕府前までは金鉱掘ってたのは分かってる
51:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 21:47:57.38 ID:QiT9SNLS0.net
1467 応仁の乱勃発。うわあ・・・これは戦乱の世の幕開けですね
1508頃 宇佐美定満、女を絶つ。主君謙信から女を勧められるまで以降40年近く続く
1527 高坂弾正誕生
1530 長尾景虎(後の上杉謙信)誕生
1540頃 高坂弾正、武田晴信(後の信玄)から「小姓やらないか」の誘い
1550頃 陶晴賢、主君・大内義隆から吉川元春と義兄弟の契りを結ぶよう勧められる
    那古野勝泰、簗田弥次右衛門とウホッの契りを結ぶ
1559  前田利家、織田信長オキニの小姓を斬って出奔
1560  桶狭間で今川義元討たれるも、息子氏真、男色含む酒色に溺れる
1565  森蘭丸誕生
1570頃 蒲生氏郷、人質に出された先の信長から「小姓やらないか」の誘い
     宇喜多直家、敵のガチホモ武将に男の刺客を送って寝首を掻く
1573  武田信玄死去。高坂弾正、葬儀を一手に取り仕切る
1575  浪人していた井伊直政、鷹狩り中の徳川家康から「小姓やらないか」の誘い
1575頃 直江兼続、上杉謙信から「小姓やらないか」の誘い
1578  上杉謙信死去。ただの一度も女ともしなかったガチホモ人生に幕
     同じ年、高坂弾正死去
1582  本能寺の変。過熱した本能寺は、遂に危険な領域へと突入する
1584  蘆名盛隆、アッー!してもらえないことを逆恨みした家臣に斬られる
1587  大崎義隆の小姓同士が主君の寵愛を巡って対立。内乱にまでハッテン
1599頃 美男子で知られた片倉重綱、欲情した小早川秀秋から激しいストーキングを受ける
1610頃 木村重成、豊臣秀頼から「小姓やらないか」の誘い
1615  豊臣家滅亡。なんだこの結末は・・・たまげたなあ
65:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 01:00:11.19 ID:W0C8wQOT0.net
>>51
なるほど、ホモさえいなければ戦国乱世はなかったってことですね!
52:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 21:52:06.47 ID:/+vj5ulu0.net
56:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:00:30.23 ID:hz7+QUhB0.net
みんな北条早雲の真似しまくったからなあ
57:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:04:28.21 ID:16/mPkyE0.net
室町時代全体が戦国時代みたいなものだよなあ
いつも内乱状態
119:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 13:23:57.05 ID:AQ2Ylr5g0.net
>>57
義満が絶頂期
前半 南北朝
後半 応仁の乱
59:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:10:37.64 ID:E39N8qOB0.net
もとをたどると大和地方がいつもいつも揉め事ばかりでいがみ合ってたせいなんだよな
61:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:28:16.17 ID:KmdncKKV0.net
自分の地元では、京都から得体の知れない油売りが来てあれよあれよとのし上がって主君を追い出した。マムシとも呼ばれていたな。
63:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:41:24.32 ID:OZjcN3gx0.net
>>61
最近の説では斎藤道三は父が油売りで親子二代で成し遂げた下克上という話があるけど
一代でも二代目でもそう変わらんと言えば変わらんねw
62:名無しさん@涙目です。:2017/10/14(土) 23:37:53.70 ID:OVk7Q2L20.net
守護大名の権威が落ちたって言うより
問題は当時の大名は京都で活動してたわけよ
要は単身赴任
大名の代わりに国を仕切っていたのが守護代
んで、応仁の乱が起きて大名が自分の国に帰ったきたが
実際に仕切っていたのが守護代で家臣は普段いない大名より守護代の言うことを聞くと
つまり足利幕府の構造に問題があっただけ
66:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 03:39:17.07 ID:4meR8LQl0.net
北条早雲が一介の素浪人つうのももう100%否定されてるし戦国時代だからって成り上がりなんか無いんだよ
67:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 06:27:22.18 ID:4kXNlgKv0.net
>>66
お前は農民からじゃないと成り上がりと認めないのか?
早雲も今川の姻戚という立場があったものの伊勢氏の端くれでしかなかったぞ
68:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 06:50:53.86 ID:3PYt50Fw0.net
>>67
桓武平氏の流れを汲む伊勢氏
その庶流であっても名家(地方豪族)には変わらん
農民商人の出ではないし成り上がりとは違う
86:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 09:18:35.84 ID:LTMNFZjq0.net
>>67
伊勢市の端くれはないよ

早雲は総本家の京都伊勢氏直属の備中伊勢氏の生まれで
父と共に総本家がやってる幕府政所執事の仕事を補佐してた
優秀なので一時は本家の養子になってたという説もあるほど総本家に近い人間

端くれどころかほぼ総本家の人間だよ
89:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 09:51:03.59 ID:Szop1ZVu0.net
>>86
本家である従兄弟の庶子が南飛騨の大名三木氏になって
後の姉小路氏乗っ取ったりしてるね
92:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 10:01:58.12 ID:LTMNFZjq0.net
>>89
乗っ取りなのかな

断絶してた姉小路氏の名跡を継いだだけと聞いたが
100:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 11:46:39.83 ID:Szop1ZVu0.net
>>92
そもそも姉小路の分家三家滅ぼしたのが三木氏ですしおすし
74:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 07:41:17.64 ID:eFjFU8YY0.net
戦国時代って言うけど応仁の乱1467~関ヶ原の戦い1600とすれば約150年あるけど
全国規模での変動が起き始めるのは末期の1560年過ぎからだよ
それまでは守護地頭レベルの家督争いか隣同士の小競り合いレベルであって室町幕府は権威を維持し続けた
良くも悪くも全国をかき回し枠組みをブチ壊して統一方向へ向かわせたのは信長
あいつがいなければ相変わらず小競り合いの内戦が続いてイエズス会の宣教師たちに植民地化支配されただろうな
信長の登場はタイミング的にはスゲー歴史の転換点だった
76:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:01:34.33 ID:X/bQmkRj0.net
>>74
今川って上洛してどうするつもりだったの
81:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:24:06.73 ID:8oVPcHFC0.net
>>76
今川は尾張制圧が目的で上洛ではなかった。
いずれは上洛するつもりだったかも知れないけど、その場合は将軍になって天下に号令かな。
82:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 08:30:03.82 ID:apOAp/eX0.net
>>76
いつの今川?応仁の乱の始まったらへんの今川義忠の上洛なら 東軍へ参戦

そこに滞陣中、北条早雲の妹と結婚している
87:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 09:29:33.70 ID:eFjFU8YY0.net
>>76
上洛っての言うのは別に珍しい事じゃ無くて全国の守護職に任じられた大名たちが定期的に京都の朝廷や幕府に顔を出し
冠位を改めて授かる事で守護としての役割を果たしていると内外に知らしめる役割があった
戦国時代でも室町幕府や朝廷の与える冠位は大名として所領を統治することや周辺大名との外交に当たり有用であった
今川義元は今川の権勢を誇示する為にいずれ上洛を考えておりその道中邪魔であった織田を叩こうとしただけ
上洛しても今川新幕府までは考えてなかったと思われる
136:名無しさん@涙目です。:2017/10/15(日) 19:20:15.33 ID:QnqguEzI0.net
応仁の乱て、すげーグダグダな戦いだったらしいよね
泥沼化、とかじゃなく、しょぼい小競り合いや睨み合いを延々続けていただけのグダグダ戦
でもそのグダグダがやがて戦国時代を呼び込むのだから面白い

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