加藤嘉明
1:人間七七四年:2008/11/14(金) 22:06:22 ID:b/kJXMxg.net
地味だけど40万石の大名
2:人間七七四年:2008/11/14(金) 22:12:06 ID:RYYZqBY3.net
家光の鎧着初めをまかされたりしてるな。幕府から信頼が厚かった。
3:人間七七四年:2008/11/15(土) 00:00:01 ID:vJic+AGC.net
そして改易処分
5:人間七七四年:2008/11/15(土) 03:45:06 ID:JUL2/4z8.net
>>3
改易は息子の代だし、加藤家は大名家として残ってるし。
改易は息子の代だし、加藤家は大名家として残ってるし。
6:人間七七四年:2008/11/15(土) 15:00:47 ID:7vpt5EpV.net
何げに部下思いで好きだ。
7:人間七七四年:2008/11/15(土) 17:33:21 ID:1Y8uKZSw.net
戦国一地味な武将で伸びるかが狙いです
8:人間七七四年:2008/11/15(土) 20:18:29 ID:JrFBWbtv.net
嘉明本人は秀吉の子飼いだったけど、何気に豊臣家見限ったのも早かったよな。
清正たちが家康と秀頼の会見を必死で取り持った時にはもう、豊臣家?ナニソレ、おいしいの?って感じだし。
そのわりには(地味なせいか)福島みたいに批判させることも、無様をさらすこともなかったな。
大坂の陣ではいつのまにか黒田長政と一緒に歴戦の老将みたいになってるし、
水軍任されてもそれなりにこなしてるし、地味は地味なりに転身ぶりが見事だよな。
清正たちが家康と秀頼の会見を必死で取り持った時にはもう、豊臣家?ナニソレ、おいしいの?って感じだし。
そのわりには(地味なせいか)福島みたいに批判させることも、無様をさらすこともなかったな。
大坂の陣ではいつのまにか黒田長政と一緒に歴戦の老将みたいになってるし、
水軍任されてもそれなりにこなしてるし、地味は地味なりに転身ぶりが見事だよな。
9:人間七七四年:2008/11/15(土) 20:49:49 ID:1I6R/g73.net
豊臣家見限るの早過ぎ。
豊臣家子飼いの彼らが、味方しないのに、どうして減封された上杉や佐竹が味方できようか?
豊臣家子飼いの彼らが、味方しないのに、どうして減封された上杉や佐竹が味方できようか?
10:人間七七四年:2008/11/16(日) 00:09:26 ID:aF3VljF6.net
子飼いの中でもドライだよな
脇坂みたいに中立に徹した訳でもないし
七将の中でも黒田に次いで早く見限ったな
脇坂みたいに中立に徹した訳でもないし
七将の中でも黒田に次いで早く見限ったな
12:人間七七四年:2008/11/17(月) 14:58:04 ID:EwqcUGxk.net
優良武将ですな
13:人間七七四年:2008/11/18(火) 02:38:33 ID:iPJydwk1.net
けど親父は三河を出奔してるし、嘉明自身は秀吉に10万石の大名までとりたてられているんだから
豊臣家にこだわる理由もある。
ま、江戸時代以前の武士なんてそんなもんだけどね。
ただ嘉明の場合七本槍っていうステージデビューが絡んじゃってるから
加藤・福島や脇坂・平野なんかとの違いが目立っちゃうのも仕方ない。
ただこの人、虎とか火鉢の逸話とか、なんか何考えてるのかわからないイメージがある。
武功も多いから鈍いってわけでもないだろうし。
豊臣家にこだわる理由もある。
ま、江戸時代以前の武士なんてそんなもんだけどね。
ただ嘉明の場合七本槍っていうステージデビューが絡んじゃってるから
加藤・福島や脇坂・平野なんかとの違いが目立っちゃうのも仕方ない。
ただこの人、虎とか火鉢の逸話とか、なんか何考えてるのかわからないイメージがある。
武功も多いから鈍いってわけでもないだろうし。
あるとき、嘉明の小姓達が、焼けた火箸を火鉢に差して、知らずに触れた者が驚く様を面白がっていました。そこにやって来た嘉明は、いきなり火箸を握ると、掌から煙がでるほど焼けているにも構わず、平然と灰を掻きならし、一文字を書いて火箸を灰に差し込むと、何食わぬ顔で去っていきました。これを見ていた小姓達は、慄然として震え上がったそうです。http://d.hatena.ne.jp/aya_natu/20081229/1230535807
14:人間七七四年:2008/11/18(火) 03:53:18 ID:MbsMYBvz.net
息子には器量がないから領地は返上する、ってのも凄いな。
それを聞いた細川忠利は感心し、親父の忠興は逆に呆れたようだがw
それを聞いた細川忠利は感心し、親父の忠興は逆に呆れたようだがw
15:人間七七四年:2008/11/18(火) 09:07:52 ID:FNYvkLdq.net
戦国一の不思議ちゃん
19:人間七七四年:2008/11/27(木) 21:58:42 ID:KlC+SqFo.net
つーか、他の豊臣家子飼いとはかなり雰囲気が違うね。
藤堂高虎もそうだけど、嘉明も技術者として、秀吉に育ててもらったと言うより
水軍運営の能力を買われたに過ぎない、って感じがする。
藤堂高虎もそうだけど、嘉明も技術者として、秀吉に育ててもらったと言うより
水軍運営の能力を買われたに過ぎない、って感じがする。
21:人間七七四年:2008/12/03(水) 23:41:55 ID:qMuWW9PF.net
この人大好きだよ
「豪傑より凡人信頼しろ」とか最高ですよ
その言葉だけじゃなくて藤堂高虎とも
同じような趣旨の話してるからたぶん本音だろう
本人は同姓のせいで清正に隠れてるけど実はすごいし
あと創作ものだと司馬だが平野長泰主人公の小説の孫六すげぇいい人だったw
大河葵三代の時の「生き残りはわしだけか・・・」ってのも好きでした
「豪傑より凡人信頼しろ」とか最高ですよ
その言葉だけじゃなくて藤堂高虎とも
同じような趣旨の話してるからたぶん本音だろう
本人は同姓のせいで清正に隠れてるけど実はすごいし
あと創作ものだと司馬だが平野長泰主人公の小説の孫六すげぇいい人だったw
大河葵三代の時の「生き残りはわしだけか・・・」ってのも好きでした
22:人間七七四年:2008/12/03(水) 23:46:59 ID:qMuWW9PF.net
>>13
虎って暴れるとらの前で居眠りしてたあれですか?
虎って暴れるとらの前で居眠りしてたあれですか?
23:人間七七四年:2008/12/04(木) 01:21:31 ID:gGQf/sd/.net
この人って
「私は勇猛な家来は要らない。
運の良い家来が欲しい」
ってあのナポレオンと同じ事言った人だっけか?
「私は勇猛な家来は要らない。
運の良い家来が欲しい」
ってあのナポレオンと同じ事言った人だっけか?
24:人間七七四年:2008/12/04(木) 02:09:31 ID:LwJkJRrp.net
>>23
塙団右衛門に対する皮肉だなw
塙団右衛門に対する皮肉だなw
25:人間七七四年:2008/12/04(木) 02:24:42 ID:n3rMeVW0.net
「豪傑は好調な時は調子いいが
旗色が悪くなると己の武名を守るために他人を簡単に見捨てる
だからいらない。逆に凡庸なものでも誠実な者は
個々は弱くとも強力に団結してくれる。彼らこそが真の勇者。おれはこっちが欲しい」
というような事を言ったらしい
あと渡辺了を2万石で召し抱えた藤堂高虎に
「一人にそれだけ出すぐらいなら100石のものを200人雇えばよいものを・・」と
苦言を呈したことも。
まぁこっちは高虎が「お前はものがわかってない。無名の人間がいても脅威ではないが
天下の渡辺勘兵衛が守る陣としれば敵もなかなか手が出せぬ。
100石を200人より渡辺一人のほうが必要なのだ」と答えたと続くのだが。
まぁこういうの見ると嘉明と塙はうまが合うとはとても思えないよなぁ
ちなみに勘兵衛さんは高虎の命令無視して勝手にろいろ動き過ぎて最終的に
ケンカ別れみたいな形で藤堂家を出奔したはず
とりあえずどっちも正しい意見なのだろう
あと奥さんが松山城の普請場で自らおにぎり握って配ってたらしい
旗色が悪くなると己の武名を守るために他人を簡単に見捨てる
だからいらない。逆に凡庸なものでも誠実な者は
個々は弱くとも強力に団結してくれる。彼らこそが真の勇者。おれはこっちが欲しい」
というような事を言ったらしい
あと渡辺了を2万石で召し抱えた藤堂高虎に
「一人にそれだけ出すぐらいなら100石のものを200人雇えばよいものを・・」と
苦言を呈したことも。
まぁこっちは高虎が「お前はものがわかってない。無名の人間がいても脅威ではないが
天下の渡辺勘兵衛が守る陣としれば敵もなかなか手が出せぬ。
100石を200人より渡辺一人のほうが必要なのだ」と答えたと続くのだが。
まぁこういうの見ると嘉明と塙はうまが合うとはとても思えないよなぁ
ちなみに勘兵衛さんは高虎の命令無視して勝手にろいろ動き過ぎて最終的に
ケンカ別れみたいな形で藤堂家を出奔したはず
とりあえずどっちも正しい意見なのだろう
あと奥さんが松山城の普請場で自らおにぎり握って配ってたらしい
26:人間七七四年:2008/12/04(木) 09:11:42 ID:m7AxZ+ra.net
藤堂はやっぱハッタリ野郎だな 信用ならねぇ
28:人間七七四年:2008/12/05(金) 07:08:58 ID:3GxZuXbk.net
認知度では加藤福島の次は片桐。
30:人間七七四年:2008/12/05(金) 15:36:34 ID:yE32A9xV.net
しかし考えてみたら40万石も晩年
福島ともう一人の加藤が42万と56万になったのと
同時期にはせいぜい20万石の男としてしか評価されてなかったわけだ
お隣の高虎はその後老いる前に立身したが
40万という数字も他の大大名と比べるといまいち感があるし
まぁ福島加藤(清)とちがって近江2万で家は残ったけどさ
7本槍の末路
加藤(清)・・・肥後半国25万石→肥後一国52万石→改易
福島・・・・・・・尾張清州20万石→安芸広島49万石→信濃川中島4万5千石→改易
この人・・・・・伊予正木6万石→10万石に加増→伊予松山20万石→会津若松40万石→近江水口2万石
このまま明治維新。ただし数代後に血統は松平。子爵
脇坂・・・・・・・摂津能勢1万石→大和高取2万石→淡路洲本3万石→伊予大洲5万3千石→
信州飯田5万5千石→播磨龍野5万石ただし3代目以降は堀田。おかげで譜代扱いで明治に至る。子爵
片桐・・・・・・・摂津茨城1万石→播磨竜田加増で4万石→急死→数代後に無嗣改易且元系断絶
弟の家系が大和小泉1万石として維新まで残る。子爵
平野・・・・・・・大和田原本5千石→慶応4年7月9代長裕の時に高直しで1万石立藩。男爵
糟谷・・・・・・・播磨加古川1万2千石→7本槍唯一の西軍で改易→500石の旗本になるが息子が大阪入城。夏の陣でで討ち死に。断絶
まぁ見てみたら勝ち組みなほうなのではあるのだろうが・・・
ひそかに平野が最強な気がする
福島ともう一人の加藤が42万と56万になったのと
同時期にはせいぜい20万石の男としてしか評価されてなかったわけだ
お隣の高虎はその後老いる前に立身したが
40万という数字も他の大大名と比べるといまいち感があるし
まぁ福島加藤(清)とちがって近江2万で家は残ったけどさ
7本槍の末路
加藤(清)・・・肥後半国25万石→肥後一国52万石→改易
福島・・・・・・・尾張清州20万石→安芸広島49万石→信濃川中島4万5千石→改易
この人・・・・・伊予正木6万石→10万石に加増→伊予松山20万石→会津若松40万石→近江水口2万石
このまま明治維新。ただし数代後に血統は松平。子爵
脇坂・・・・・・・摂津能勢1万石→大和高取2万石→淡路洲本3万石→伊予大洲5万3千石→
信州飯田5万5千石→播磨龍野5万石ただし3代目以降は堀田。おかげで譜代扱いで明治に至る。子爵
片桐・・・・・・・摂津茨城1万石→播磨竜田加増で4万石→急死→数代後に無嗣改易且元系断絶
弟の家系が大和小泉1万石として維新まで残る。子爵
平野・・・・・・・大和田原本5千石→慶応4年7月9代長裕の時に高直しで1万石立藩。男爵
糟谷・・・・・・・播磨加古川1万2千石→7本槍唯一の西軍で改易→500石の旗本になるが息子が大阪入城。夏の陣でで討ち死に。断絶
まぁ見てみたら勝ち組みなほうなのではあるのだろうが・・・
ひそかに平野が最強な気がする
31:人間七七四年:2008/12/05(金) 23:24:54 ID:mSDNb0NT.net
加藤(清)家改易だったのか、、
32:人間七七四年:2008/12/05(金) 23:32:53 ID:3GxZuXbk.net
加藤忠広の改易は有名だと思うよ。教科書にも載ってるくらい。
34:人間七七四年:2008/12/06(土) 02:09:26 ID:Gm31i4EM.net
通説だと
福島正則→お城勝手に直す→怒られるが「直した部分壊したら許してやる」といわれる→拒否
→川中島に左遷→家臣に検視前に死体焼けと遺言→それもとがめられて川中島4万石も没収
加藤忠広→本人も芳しくない評判だったが息子光広が花押偽造して幕府への謀反状をつくって遊ぶ
→ばれる→改易→光広は1年後に配流先の飛騨で死去→忠広は出羽丸岡で堪忍料1万石をもらい
→書道や和歌とかに没頭し1653年死去→子孫は庄屋さん
加藤明成→暗愚で統率力がなく家中混乱→堀主水出奔→追っかけて殺害→幕府にばれる→改易
→祖父嘉明の功を考慮し庶子明友が石見吉永1万石に→1682年近江水口2万石へ明治に至る
片桐且元→大坂落城20日後にストレスで死去→子の孝利も38歳で嗣子なく死去→弟為元に1万石のみ相続を許される
→為元の子為次も15歳で死去→無嗣改易
【加藤明成と堀主水】
加藤明成はお金大好きで圧政を敷き一分金を収集しまくったので加藤一分とあだ名されるほど。
嘉明に采配を任されていた筆頭家老堀はそんな明成が大嫌い
明成は堀に嫌がらせ。堀も切れて「このバカ息子め」と面罵し一族郎党300人ひきつれ出奔
その時に若松城へ射撃し橋を焼き払い関所を破壊、家族を鎌倉東慶寺8幕府公認の寺)に預け本人は高野へ
明成、幕府へ「会津40万石に替えても堀の首をとることを許せ」と嘆願
堀はいろいろあって明成によって切腹、明成は東慶寺を軍事攻撃し堀の一族をとらえ全員処刑
幕府はこの幕府公認の寺への軍事行動を非難し加藤家一時終了
ちなみにこのとき東慶寺代表として加藤明成のことを幕府へ糾弾して
堀の家族を弁護し結果加藤家改易へのきっかけを作った天秀尼(俗名奈阿姫)は
何を隠そうかの豊臣秀頼の実の娘である(千姫の娘ではないが仲は非常によかったという)
福島正則→お城勝手に直す→怒られるが「直した部分壊したら許してやる」といわれる→拒否
→川中島に左遷→家臣に検視前に死体焼けと遺言→それもとがめられて川中島4万石も没収
加藤忠広→本人も芳しくない評判だったが息子光広が花押偽造して幕府への謀反状をつくって遊ぶ
→ばれる→改易→光広は1年後に配流先の飛騨で死去→忠広は出羽丸岡で堪忍料1万石をもらい
→書道や和歌とかに没頭し1653年死去→子孫は庄屋さん
加藤明成→暗愚で統率力がなく家中混乱→堀主水出奔→追っかけて殺害→幕府にばれる→改易
→祖父嘉明の功を考慮し庶子明友が石見吉永1万石に→1682年近江水口2万石へ明治に至る
片桐且元→大坂落城20日後にストレスで死去→子の孝利も38歳で嗣子なく死去→弟為元に1万石のみ相続を許される
→為元の子為次も15歳で死去→無嗣改易
【加藤明成と堀主水】
加藤明成はお金大好きで圧政を敷き一分金を収集しまくったので加藤一分とあだ名されるほど。
嘉明に采配を任されていた筆頭家老堀はそんな明成が大嫌い
明成は堀に嫌がらせ。堀も切れて「このバカ息子め」と面罵し一族郎党300人ひきつれ出奔
その時に若松城へ射撃し橋を焼き払い関所を破壊、家族を鎌倉東慶寺8幕府公認の寺)に預け本人は高野へ
明成、幕府へ「会津40万石に替えても堀の首をとることを許せ」と嘆願
堀はいろいろあって明成によって切腹、明成は東慶寺を軍事攻撃し堀の一族をとらえ全員処刑
幕府はこの幕府公認の寺への軍事行動を非難し加藤家一時終了
ちなみにこのとき東慶寺代表として加藤明成のことを幕府へ糾弾して
堀の家族を弁護し結果加藤家改易へのきっかけを作った天秀尼(俗名奈阿姫)は
何を隠そうかの豊臣秀頼の実の娘である(千姫の娘ではないが仲は非常によかったという)
71:人間七七四年:2010/01/01(金) 17:12:25 ID:NSNFExtD.net
「よしあき」でも「よしあきら」でも合っていると思う。
>>34の加藤明成と堀主水の話は
漫画「Y十M~柳生忍法帳~」で結構尺を取って描かれていたな。
この漫画自体は堀一族の女達の復讐を援ける柳生十兵衛のお話。
>>34の加藤明成と堀主水の話は
漫画「Y十M~柳生忍法帳~」で結構尺を取って描かれていたな。
この漫画自体は堀一族の女達の復讐を援ける柳生十兵衛のお話。
40:人間七七四年:2008/12/07(日) 01:41:46 ID:QfjbaFhy.net
明成はほんと暗愚だよなあ
堀主水憎しで全てがパー
東慶寺でも旧主の末裔と口論
自爆に近い結末だよ
堀主水憎しで全てがパー
東慶寺でも旧主の末裔と口論
自爆に近い結末だよ
43:人間七七四年:2009/03/07(土) 15:09:53 ID:KfWoBT6I.net
水軍の将というイメージ
48:人間七七四年:2009/04/08(水) 03:07:06 ID:I53Te73z.net
何気に講談の主人公になっていたりする
51:人間七七四年:2009/07/14(火) 13:06:50 ID:2Giyw64u.net
加藤家の通字は「明」で良いんだよね?
あと「嘉」の字は誰からもらったんだろ? 九鬼だったら、笑うけど。
あと「嘉」の字は誰からもらったんだろ? 九鬼だったら、笑うけど。
53:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/15(水) 07:41:17 ID:PSChHRPG.net
>>51
分部のほうがしっくりくる。
分部のほうがしっくりくる。
54:人間七七四年:2009/07/15(水) 13:15:12 ID:9q4qBK2c.net
>>53
分部光嘉ですかw
やっぱり、嘉の字は自分で付けたのかな?
おめでたい字だし。
分部光嘉ですかw
やっぱり、嘉の字は自分で付けたのかな?
おめでたい字だし。
52:人間七七四年:2009/07/14(火) 13:44:47 ID:JP8MfxDO.net
子飼い武将のなかで一番若いというイメージがあるな
54:人間七七四年:2009/07/15(水) 13:15:12 ID:9q4qBK2c.net
>>52
確かに。
福島正則(1561年 - 1624年)
加藤清正(1562年 - 1611年)
加藤嘉明(1563年 - 1631年)
脇坂安治(1554年 - 1626年)
平野長泰(1559年 - 1628年)
糟屋武則(1562年 - 1607年)
片桐且元(1556年 - 1615年)
確かに。
福島正則(1561年 - 1624年)
加藤清正(1562年 - 1611年)
加藤嘉明(1563年 - 1631年)
脇坂安治(1554年 - 1626年)
平野長泰(1559年 - 1628年)
糟屋武則(1562年 - 1607年)
片桐且元(1556年 - 1615年)
61:人間七七四年:2009/08/10(月) 21:13:01 ID:cHf3QtaV.net
半兵衛とか地味の中に派手さがあるけど
嘉明は本当に地味だから困る
嘉明は本当に地味だから困る
70:人間七七四年:2009/12/25(金) 00:13:33 ID:WsvJ1Dhv.net
よしあきら、って読むんだっけ?
72:人間七七四年:2010/02/21(日) 15:42:57 ID:BEX0vsyq.net
黒田長政、加藤嘉明、藤堂鷹虎
ムカつく家臣に奉公構をした大名はカスと認識している
ムカつく家臣に奉公構をした大名はカスと認識している
75:人間七七四年:2010/03/03(水) 22:15:41 ID:ZpDzpZmw.net
>>72
この三人の場合、とうとう堪忍袋の緒が切れちゃった
という感じの奉公構なんだけどな
この三人の場合、とうとう堪忍袋の緒が切れちゃった
という感じの奉公構なんだけどな
77:す@死:2010/03/26(金) 04:17:01 ID:84v7zpxu.net
>>72
器が小さいよな
戦国時代ってなんでもありの時代なのにさ
器が小さいよな
戦国時代ってなんでもありの時代なのにさ
80:人間七七四年:2010/11/23(火) 14:15:18 ID:bXOEg4rX.net
>>72
鬼庭や成実らのように結局、見限って出奔した伊達に戻って土下座し
再度伊達に仕えるしか道が残されてない状況にまで外堀を埋めて追い詰める政宗こそ最強鬼畜。
他にも追放されたが伊達領から出れずに白石に匿われた片倉の姉や
政宗の怒りを買い青葉城から投身自殺した家臣や
嫉妬した政宗に浮気を疑われて腕に短剣を突き立てて身の潔白を晴らす努力したり
家臣らの前でキスを強要された片倉息子とか。
伊達家に仕えたら再就職も厳しく地獄よりも辛い。
鬼庭や成実らのように結局、見限って出奔した伊達に戻って土下座し
再度伊達に仕えるしか道が残されてない状況にまで外堀を埋めて追い詰める政宗こそ最強鬼畜。
他にも追放されたが伊達領から出れずに白石に匿われた片倉の姉や
政宗の怒りを買い青葉城から投身自殺した家臣や
嫉妬した政宗に浮気を疑われて腕に短剣を突き立てて身の潔白を晴らす努力したり
家臣らの前でキスを強要された片倉息子とか。
伊達家に仕えたら再就職も厳しく地獄よりも辛い。
85:人間七七四年:2011/02/16(水) 21:00:06 ID:MUMZ2MHy.net
なんでそこまで息子の教育に壮絶に失敗したのか
86:人間七七四年:2011/02/16(水) 22:11:49 ID:MHp7+ufZ.net
塙団右衛門みたいな侍大将に逃げられてる程度の器量だから仕方無い。
107:人間七七四年:2014/08/09(土) 23:15:07.16 ID:wB5EaoFP.net
>>72>>77>>86
こういう奴って奉行構される武将が家臣として無能だったとは思わないのか?
こういう奴って奉行構される武将が家臣として無能だったとは思わないのか?
87:人間七七四年:2011/02/16(水) 22:42:54 ID:445JfZjQ.net
しょうがない。嘉明は藤堂高虎に
「2万石で名将を一人召し抱えるより、200石の侍を100人召し抱えた方がいいじゃないか」って言った男だ。
団右衛門のような個性派とは肌が合わなかったんだろう。
「2万石で名将を一人召し抱えるより、200石の侍を100人召し抱えた方がいいじゃないか」って言った男だ。
団右衛門のような個性派とは肌が合わなかったんだろう。
92:人間七七四年:2011/11/27(日) 18:25:43.59 ID:c3ITKaVT.net
水軍としての活躍が実は一番?
115:人間七七四年:2017/04/26(水) 01:43:51.65 ID:vkN5wdCA.net
同じ加藤でも清正に比べると地味だよねw
関連記事加藤清正って秀吉子飼いなのに何で熊本みたいな僻地に飛ばされたの?武断派七将にひとりだけ無能混じってるよな
コメント一覧
どっちかっていうと温情采配だと思う
こう言っては何だが、関ヶ原以降の豊臣に本領安堵・新恩給与の能力は無い。
御恩が期待できない以上、奉公の義務も無い。
当時も「旧恩に報いる」は美談ではあるが、
飽くまで家臣側の自発的行動によるものであって、主君側が求めるもんじゃ無いし、
やらなくて非難されるものでもないな。
藤堂高虎、加藤嘉明、立花宗茂の3人なんだっけか
高虎や嘉明の死後は立花宗茂と丹羽長重、毛利秀元等がよく呼ばれてるけど
そもそも世代が違うんやで…
税収ちょろまかして改易になり、小田原でがんばって甲斐24万石もらっているから、
生前では有名なほうの加藤よりも普通に大身なんだけどな。
家康も検地失敗した甲斐の検地を成功させ、本来東国の連中は志願しないと渡海する事はない朝鮮征伐で渡海し、
途中で病死したが息子がまだ幼いってんで領地返上を願い出ている。
山崎の戦いで名前見たような見なかったような
ちな久留米民
加藤光泰は志願して朝鮮出兵に参加したのに碧蹄館の戦いの前に
前野長康と偵察に行って明軍の偵察隊に負けたりしてるから、
何しに朝鮮に行ったんだろうって印象が強いな
偵察任務に勝敗なんてあるのか?
偵察中に敵の偵察隊と遭遇戦になったって意味じゃないの?
あと各家のその後を語ってるやつは現代まで調べてほしかった
脇坂さんはよく展示の協力で名前見るぞ。
偵察部隊の仕事は無事情報を持ち帰る事
彼らにとって敗北とは全滅して情報を失う事だけ
松山城のゆるキャラは「よしあきくん」だったな
まあ読めるんだしどっちでもいんじゃね
火鉢の件も上手く注意できないから小姓たちが自分を犠牲にしながらも驚くようなことをして、ダメだと諭しつつ火鉢に戒めの文字を書いたんじゃないかと想像してしまうわ