
大坂夏の陣の時に秀頼が出馬すれば勝てたのか
1:人間七七四年:2018/02/08(木) 07:31:04.45 ID:XyLAmrOb.net
勝てるかは分からんけど引き分けにはいけるやろ
2:人間七七四年:2018/02/08(木) 12:49:20.01 ID:GHZIYAwV.net
戦前の秀頼の檄文に大名は誰も応じなかったから、秀頼自身が出馬しても大坂方の士気が多少上がるだけで戦局に影響はほとんど無いんじゃない?
24:人間七七四年:2018/02/09(金) 18:50:59.86 ID:8wBxeIWs.net
>>2
もうひと押しあれば大御所を討ち取れたってなら秀頼出陣はそのひと押しになるかも
もうひと押しあれば大御所を討ち取れたってなら秀頼出陣はそのひと押しになるかも
5:人間七七四年:2018/02/08(木) 14:35:00.93 ID:bG8ynnUm.net
大坂の陣はもう手遅れだけど、関ヶ原時点なら秀頼が出馬すれば勝てた
淀殿痛恨のミスだね
淀殿痛恨のミスだね
28:人間七七四年:2018/02/15(木) 01:39:33.31 ID:nuIa86Tf.net
>>5
関ヶ原は表向き家臣同士の戦いで中立だから出馬なんてしないんじゃ
関ヶ原は表向き家臣同士の戦いで中立だから出馬なんてしないんじゃ
29:人間七七四年:2018/02/15(木) 05:03:58.07 ID:TWnp4F8D.net
>>28
5大老の内3人が反家康で5奉行も連名で内府違いの条々出してる以上
傍目には家康側が反乱軍なのは間違いないけどね
関ヶ原で負けても大阪城に籠城してれば面白かっただろうね
ほぼ無傷の大津城攻撃してた部隊や関ヶ原から敗走してきた部隊に
元々大阪城にいる毛利の軍勢も合わせれば5万以上いるだろうし
秀頼が西軍側で籠城してるとなればうかつに手出しできない
問題は淀君だわな
こいつはどっちに転んでも何とでもなると思ってた節がある
大坂の陣でも発狂して堀埋められてるし
5大老の内3人が反家康で5奉行も連名で内府違いの条々出してる以上
傍目には家康側が反乱軍なのは間違いないけどね
関ヶ原で負けても大阪城に籠城してれば面白かっただろうね
ほぼ無傷の大津城攻撃してた部隊や関ヶ原から敗走してきた部隊に
元々大阪城にいる毛利の軍勢も合わせれば5万以上いるだろうし
秀頼が西軍側で籠城してるとなればうかつに手出しできない
問題は淀君だわな
こいつはどっちに転んでも何とでもなると思ってた節がある
大坂の陣でも発狂して堀埋められてるし
50:人間七七四年:2018/02/17(土) 18:39:28.90 ID:DlSPyWI5.net
>>28
本来はそこで裁定をしていないとダメな立場だから豊臣家。
オマエラ喧嘩するなよーとか言ってるだけでは上としてなんの価値もない
本来はそこで裁定をしていないとダメな立場だから豊臣家。
オマエラ喧嘩するなよーとか言ってるだけでは上としてなんの価値もない
7:人間七七四年:2018/02/08(木) 18:24:49.50 ID:rK3ZRMOg.net
例えば真田の突撃が限界に達しそうな時に
秀頼が七手組約7000で加勢すれば幕府軍が態勢立て直すのが遅れるだろうねぇ
でも結局は押しつぶされると思うけど
家康は平野まで逃げてるから捕捉困難
史実でも家康本陣が瓦解しても総大将は秀忠なので大勢には影響なかった
どっちかと言えば大野に加勢して秀忠本陣打ち破る方が重要かもね
これがもし成功すると南の家康本陣と東の秀忠本陣が後退することになるから
とりあえず一度は勝ったことになる
秀頼が七手組約7000で加勢すれば幕府軍が態勢立て直すのが遅れるだろうねぇ
でも結局は押しつぶされると思うけど
家康は平野まで逃げてるから捕捉困難
史実でも家康本陣が瓦解しても総大将は秀忠なので大勢には影響なかった
どっちかと言えば大野に加勢して秀忠本陣打ち破る方が重要かもね
これがもし成功すると南の家康本陣と東の秀忠本陣が後退することになるから
とりあえず一度は勝ったことになる
七手組は、秀吉の馬廻衆や近習衆などの中から組頭を7人を選抜したものである。『太閤記』によれば以下の7人。それぞれ3,000石から1万石程度の所領を持った武将で、主君の護衛にあたった騎馬武者である馬廻を7つの組に分けて配下とした。江戸幕府における小姓組に相当する組織であるが、秀吉の時代に兵員の配分や組に定数があったかなどは不明。
『小田原陣陣立』によれば、小田原征伐の際の秀吉の馬廻組は12組(7,050人)あり、うち4つが七手の堀田組(600人)・伊藤組(700人)・真野組(600人)・速水組(600人)であった。『松浦古事記』によれば、肥前名護屋城に秀吉が滞在していた間、その御馬廻衆は、御側衆6組(4,300人)、御小姓衆6組(3,500人)、室町殿[2](500人)、御伽衆(800人)、木下半介組[3](1,500人)、御使番衆(750人)、御詰衆(1,200人)、鷹匠衆(850人)、中間衆(1,500人)の合計14,900人で構成されており、名護屋城の三の丸に6組(うち2つが七手の中嶋組・堀田組)・本丸に6組(うち3つが七手の伊藤組・真野組・速水組)が警護にあてられていた。同記に各組の人数の表記はないが、500から700人程度だったようである。
また「大坂七手組」とも称されたように、七手組組頭たちは大坂城の詰衆でもあった。彼らはすべて豊臣家譜代の直参であり、秀吉死後は豊臣秀頼に仕えて、側近のような立場になり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでも概ね大坂城を警護した。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、冬の陣の後に使者として出て帰還しなかった青木一重と徳川氏に内通していた伊藤長次の2名を除く、ほぼ全員[4]が落城と共に討ち死を遂げた。
『小田原陣陣立』によれば、小田原征伐の際の秀吉の馬廻組は12組(7,050人)あり、うち4つが七手の堀田組(600人)・伊藤組(700人)・真野組(600人)・速水組(600人)であった。『松浦古事記』によれば、肥前名護屋城に秀吉が滞在していた間、その御馬廻衆は、御側衆6組(4,300人)、御小姓衆6組(3,500人)、室町殿[2](500人)、御伽衆(800人)、木下半介組[3](1,500人)、御使番衆(750人)、御詰衆(1,200人)、鷹匠衆(850人)、中間衆(1,500人)の合計14,900人で構成されており、名護屋城の三の丸に6組(うち2つが七手の中嶋組・堀田組)・本丸に6組(うち3つが七手の伊藤組・真野組・速水組)が警護にあてられていた。同記に各組の人数の表記はないが、500から700人程度だったようである。
また「大坂七手組」とも称されたように、七手組組頭たちは大坂城の詰衆でもあった。彼らはすべて豊臣家譜代の直参であり、秀吉死後は豊臣秀頼に仕えて、側近のような立場になり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでも概ね大坂城を警護した。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、冬の陣の後に使者として出て帰還しなかった青木一重と徳川氏に内通していた伊藤長次の2名を除く、ほぼ全員[4]が落城と共に討ち死を遂げた。
9:人間七七四年:2018/02/08(木) 19:12:12.93 ID:VGxZ3jW6.net
そもそも秀頼を殺す為にあれだけの軍勢が集まっているのに
その手柄首がのこのこ出て行ったら攻め手の士気を高めるだけだわ
よってたかって攻撃されてもっと早く壊滅していただろう
その手柄首がのこのこ出て行ったら攻め手の士気を高めるだけだわ
よってたかって攻撃されてもっと早く壊滅していただろう
10:人間七七四年:2018/02/08(木) 19:20:22.11 ID:rK3ZRMOg.net
むしろそうなると幕府軍の足並みが乱れるので好都合じゃね?
大坂方は戦の流れを見るに敏な前線指揮官が多いから
敵の配備のほころびを突いてくるでしょ
大坂方は戦の流れを見るに敏な前線指揮官が多いから
敵の配備のほころびを突いてくるでしょ
11:人間七七四年:2018/02/08(木) 19:30:17.89 ID:wUeLCEzs.net
秀頼よりも千姫を柱に縛りつけて突撃するほうがマシ
12:人間七七四年:2018/02/08(木) 19:36:39.68 ID:8l2OyyZS.net
>>11
それは武門の名折れってやつだな
武士のプライドが許さない
それは武門の名折れってやつだな
武士のプライドが許さない
15:人間七七四年:2018/02/09(金) 03:05:48.47 ID:nge1bHr2.net
そりゃ少しは可能性高くなるんでは
豊臣恩顧の大名はやはり躊躇するし
真田幸村もその狙いもあって
秀頼の出馬を最後まで強く望んだんでしょ
豊臣恩顧の大名はやはり躊躇するし
真田幸村もその狙いもあって
秀頼の出馬を最後まで強く望んだんでしょ
16:人間七七四年:2018/02/09(金) 05:35:11.25 ID:bWJeSk7a.net
躊躇する人達があんなに必死に大阪城に攻め掛かるかね
無惨に足軽に首を取られて晒されるハメになる可能性が出てくるだけだろう
無惨に足軽に首を取られて晒されるハメになる可能性が出てくるだけだろう
17:人間七七四年:2018/02/09(金) 08:42:58.96 ID:uC53jUYw.net
討ち取らずに生け捕りだろうなぁ
自決するならどうしようもないけど
将軍の娘の旦那なんで下手なことすると千姫も殺されかねないし
殺されたら秀頼を討った大名は秀忠から不興を買うからね
なんにせよ豊臣への恩義とかからためらうわけではないな
自決するならどうしようもないけど
将軍の娘の旦那なんで下手なことすると千姫も殺されかねないし
殺されたら秀頼を討った大名は秀忠から不興を買うからね
なんにせよ豊臣への恩義とかからためらうわけではないな
18:人間七七四年:2018/02/09(金) 09:02:48.73 ID:TG/HQxUr.net
その将軍が豊臣を滅ぼすために討伐軍を起こしているのに
むしろ捕虜になどしたら処遇に困って不興を買うわ
徳川にしてみれば豊臣系の大名が秀頼の首を挙げてくれる事が一番望ましいだろう
むしろ捕虜になどしたら処遇に困って不興を買うわ
徳川にしてみれば豊臣系の大名が秀頼の首を挙げてくれる事が一番望ましいだろう
19:人間七七四年:2018/02/09(金) 10:07:00.34 ID:uC53jUYw.net
処遇には困らんだろ
将軍として処刑するか八丈島に流すかの二択
将軍として処刑するか八丈島に流すかの二択
20:人間七七四年:2018/02/09(金) 10:14:45.58 ID:gFvvcZT3.net
総大将ともあろうものがおめおめと縄目の恥を受けるなんてもってのほか
この場合は秀頼にとっても相手にとっても武士として華々しく戦って死花を咲かせてやるのが一番だろ
この場合は秀頼にとっても相手にとっても武士として華々しく戦って死花を咲かせてやるのが一番だろ
21:人間七七四年:2018/02/09(金) 10:15:27.75 ID:CUNmWPMC.net
生かしておいたらわざわざ二回も攻めた意味がないし
殺すと世間からの印象が悪くなるし豊臣恩顧も快くは思わない
自決して綺麗さっぱり燃えてくれるのが一番後腐れがない
つまり史実通りの結末
殺すと世間からの印象が悪くなるし豊臣恩顧も快くは思わない
自決して綺麗さっぱり燃えてくれるのが一番後腐れがない
つまり史実通りの結末
22:人間七七四年:2018/02/09(金) 12:23:43.72 ID:uC53jUYw.net
もう豊臣恩顧なんて存在はこの時点では存在しないとなぜ理解できないんだろう
23:人間七七四年:2018/02/09(金) 12:47:14.39 ID:d3SJbnas.net
つまり秀頼は出陣しなかったのが正解という訳か
25:人間七七四年:2018/02/10(土) 13:30:09.35 ID:5Yc3IQEB.net
実際問題として家康が討ち取られても幕府軍が崩壊することはないし
結局進出しすぎた真田は撃破されてただろうし
そこに秀頼が加勢するならそれはそれで壊滅してただろうね
秀頼自身は毛利に守られて城内に撤退できたかもしれないけど
まぁ太閤秀吉の息子として意地を見せることができただろうけど
負けてから命乞いして拒否されて兵糧庫で焼け死ぬよりはよほどマシだろう
秀頼は馬に乗れないほど肥満だった説あるけど出馬するなら
今川義元みたいに輿に乗ったのかね?
結局進出しすぎた真田は撃破されてただろうし
そこに秀頼が加勢するならそれはそれで壊滅してただろうね
秀頼自身は毛利に守られて城内に撤退できたかもしれないけど
まぁ太閤秀吉の息子として意地を見せることができただろうけど
負けてから命乞いして拒否されて兵糧庫で焼け死ぬよりはよほどマシだろう
秀頼は馬に乗れないほど肥満だった説あるけど出馬するなら
今川義元みたいに輿に乗ったのかね?
26:人間七七四年:2018/02/10(土) 17:22:20.83 ID:EBqmOt3M.net
>>25
毛利が秀頼を守ってるようでは戦果は期待できないのと出陣したうえに敗走では城は裏切者に放火されて戻れるかどうか
毛利が秀頼を守ってるようでは戦果は期待できないのと出陣したうえに敗走では城は裏切者に放火されて戻れるかどうか
27:人間七七四年:2018/02/15(木) 01:37:00.36 ID:ltyw/KTm.net
平山優は勝てたという説みたいだね
真田が攻撃したタイミングで秀頼が出撃したら、という条件付きで、ならだけど
徳川軍が経験不足で混乱状態という誰も予測できなかった事態が起こってた
でも豊臣側も混乱していて総攻撃はできなかった
真田が攻撃したタイミングで秀頼が出撃したら、という条件付きで、ならだけど
徳川軍が経験不足で混乱状態という誰も予測できなかった事態が起こってた
でも豊臣側も混乱していて総攻撃はできなかった
30:人間七七四年:2018/02/15(木) 06:35:19.22 ID:Gvnt/nYp.net
前田勢+秀忠で20万近く結集してしまうんですが……
33:人間七七四年:2018/02/15(木) 16:06:59.95 ID:0tkaJ87w.net
冬の陣で堀埋められたから終わった
34:人間七七四年:2018/02/15(木) 16:37:31.00 ID:0SlcLALA.net
結局は淀が江戸に行けばとりあえず家康死ぬまでは粘れただろうし
公家大名として生き残れたかもしれない
秀忠にとっては娘婿だし
公家大名として生き残れたかもしれない
秀忠にとっては娘婿だし
35:人間七七四年:2018/02/15(木) 20:05:35.62 ID:iQ0pScnd.net
僕が秀頼なら家康に琉球への国替えを志願するな台湾を本拠地にして世界を目指す
36:人間七七四年:2018/02/15(木) 20:26:02.27 ID:Ff9ATCz2.net
天に二日無し土に二王無しだわ
豊臣は徳川を滅ぼさないと生き残れないし、徳川は豊臣を滅ぼさないと天下はない
豊臣は徳川を滅ぼさないと生き残れないし、徳川は豊臣を滅ぼさないと天下はない
51:人間七七四年:2018/02/17(土) 19:43:45.96 ID:24a/ETQj.net
>>36
豊臣家が全ツッパしなければ生き残れたとは思うよ
徳川の下風につけるだけの胆がなかったのが秀頼無能の証
豊臣家が全ツッパしなければ生き残れたとは思うよ
徳川の下風につけるだけの胆がなかったのが秀頼無能の証
37:人間七七四年:2018/02/16(金) 07:20:53.17 ID:1G/piL1N.net
豊臣が淀を江戸に人質に出せばもう終わる話だよ
38:人間七七四年:2018/02/16(金) 12:49:09.78 ID:4Dqz4CtJ.net
徳川にとっては秀頼を生かしておいても百害あって一理なしだし
淀を人質に取ったら国替えを迫って国力を削ってから殺しにかかるのは目に見えている
淀を人質に取ったら国替えを迫って国力を削ってから殺しにかかるのは目に見えている
39:人間七七四年:2018/02/16(金) 17:31:05.04 ID:ylwfQhOq.net
一部のアホは堀埋めて和議すれば終わる話だと思ってたのだろうなあ
40:人間七七四年:2018/02/16(金) 19:10:07.80 ID:37h5m20B.net
豊臣が公家大名として生き残れば幕末に担がれて死んでた気がするw
41:人間七七四年:2018/02/16(金) 19:37:10.68 ID:nnOFUqlF.net
新田の子孫ですら担ぎ出されたからなw
豊臣の子孫とか格好の神輿にされるだろう
豊臣の子孫とか格好の神輿にされるだろう
42:人間七七四年:2018/02/17(土) 04:41:22.31 ID:VV21pwA5.net
勝ってたろ そうでなくてもギリギリだったんだからよ
43:人間七七四年:2018/02/17(土) 10:17:17.33 ID:JziHBwxR.net
まぁ正直なところ七手組が出陣しても秀頼の周りにまともな武将がついてるわけでもなく
例えば真田が突撃してた時に戦機を看破して真田に加勢するという
臨機応変の対応ができるのか微妙だよな
秀頼に実戦経験ないし七手組もこの時期にはただの張子の虎だったし
例えば真田が突撃してた時に戦機を看破して真田に加勢するという
臨機応変の対応ができるのか微妙だよな
秀頼に実戦経験ないし七手組もこの時期にはただの張子の虎だったし
44:人間七七四年:2018/02/17(土) 10:47:36.67 ID:9hbNcEEl.net
親衛隊は入れ換えないと駄目だよな
身分を固定してしまうと見た目だけのお飾りになる
身分を固定してしまうと見た目だけのお飾りになる
45:人間七七四年:2018/02/17(土) 10:49:42.52 ID:Jt0WGuYX.net
七手組はただの秀頼親衛隊
しかも任命時の面子は殆ど世代交代済み
つまり七手組も殆どトウシロウ
しかも任命時の面子は殆ど世代交代済み
つまり七手組も殆どトウシロウ
46:人間七七四年:2018/02/17(土) 12:46:58.80 ID:JziHBwxR.net
結論から言うと七手組は真田や毛利に付けて少しでも前線の兵力を増やすべきだったんだろうな
47:人間七七四年:2018/02/17(土) 16:13:35.88 ID:Jt0WGuYX.net
>>46
七手組も間者だらけでgdgdなんだよなぁ
豊臣の旗本なんで兵も取り上げれません
七手組も間者だらけでgdgdなんだよなぁ
豊臣の旗本なんで兵も取り上げれません
48:人間七七四年:2018/02/17(土) 17:19:45.71 ID:8Ixwiu/J.net
徳川幕府もそうだけど譜代大名が政権を運営する形式だから本家直臣は出涸らしになるのよね
秀吉が見込みのある奴は全部大名にしちゃったから
秀吉が見込みのある奴は全部大名にしちゃったから
52:人間七七四年:2018/02/18(日) 03:53:08.51 ID:K2T7C7tP.net
家康=頼朝リスペクトとか言われてる
秀忠=割と現実主義
あきらめろ
秀忠=割と現実主義
あきらめろ
53:人間七七四年:2018/02/18(日) 10:37:28.19 ID:aVZyjI+m.net
豊臣が生き残るなんて夢物語
家康は死の目前でも兵を挙げるくらい豊臣を滅ぼす事に執着していたし
座して死を待つか死中に活を求めるかしか選択肢はない
家康は死の目前でも兵を挙げるくらい豊臣を滅ぼす事に執着していたし
座して死を待つか死中に活を求めるかしか選択肢はない
54:人間七七四年:2018/02/18(日) 10:42:21.86 ID:25IcO+IF.net
社会不安になりかねない関ヶ原浪人を一気に処分する戦いでもあるからなぁ
無駄だけどやらなきゃいけない戦いというか
戊辰戦争の江戸城開城以降の北陸東北戦争みたいなもん
無駄だけどやらなきゃいけない戦いというか
戊辰戦争の江戸城開城以降の北陸東北戦争みたいなもん
62:人間七七四年:2018/02/19(月) 17:50:45.57 ID:qW3bTQ2P.net
>>54
維新前後で例えるなら西南戦争かな
反政権では最大勢力の西郷や豊臣が挙兵して負けたことで武力蜂起と前時代は終焉した
勝つつもりなら立つのが遅かったというのも共通
維新前後で例えるなら西南戦争かな
反政権では最大勢力の西郷や豊臣が挙兵して負けたことで武力蜂起と前時代は終焉した
勝つつもりなら立つのが遅かったというのも共通
55:人間七七四年:2018/02/18(日) 12:49:15.36 ID:DSCNqGpV.net
確かに豊臣政権の最後と徳川政権の最後は似ているな
因果応報というやつか
関連記事大阪夏の陣で七手組が出撃していれば?因果応報というやつか
コメント一覧
しかしセンゴクの茶々はπ乙カイデーだった
秀頼が最後までこもるのは間違いじゃない。
実際、冬の陣をもっと長引かせれば十分その可能性があった。
けど、そんな条件は家康側だって重々承知だから、
本当はもっと外交で時間を稼ぐべきだったのに。
益田好次・天草四郎(島原の乱、37,000名)
由井正雪・丸橋忠弥(由比正雪の乱)
別木庄左衛門(承応の変)
北政所仲裁のもとで五大老連署で隠居した三成が
豊臣家に何にも諮らずにしれっと復帰してる時点で豊臣家の加勢は絶望的だわ。
せめて北政所の事後承諾くらい貰ってきてくれないと
「大坂城は占拠したので我々の指示に従って下さい^^」
って言われてもそら無理やわ。信用できんし
その青木は京に留め置かれて剃髪(正直かなり怪しいが)、養子の正重が変わりに指揮してて結局経験不足
唯一速水が天王寺で暴れてる。冬の鴫野でも戦ってるらしく大坂方ではかなりマシな方
あとあまり関係無いけど織田昌澄とか細川頼範、毛利勘兵衛あたりはもう少し知られててもいいと思うんだ
夏の陣なんて特に
孫子の兵法じゃないけど事前の段階で勝つ要素ないやん
援軍なしで兵、装備等全て徳川方に劣っている
交渉役の大野治長が秀頼の命令もなく襲われるって時点でもはや統率もへったくれもないよね
ここならまだ豊臣恩顧の武将の火は消えてないからチャンスあった
逆にそれができれば関東なんて守りにくい場所に入った徳川は恐ろしくない。
秀頼産んで讒言して秀次を殺させ
妹の嫁ぎ先の徳川家が天下とるように動き
最期は豊臣と名のつくものと共に心中
みたいな小説ないかな
ここがラストチャンスだろうね。西国の大名からの出奔や兵糧の運び入れは、個人が勝手にしたのでなく、藩主の密命だろうし。
豊臣恩顧の大名個人の忠誠心は不明だが、徳川の支配を快く思わないだろうし、狡兎死して走狗烹らるで豊臣が滅亡すれば、大名の粛正が始まるだろう。徒労に終わる外征は嫌だが、豊臣が生き残り将来戦乱起これば、領地拡大の希望もあるだろう。
徳川の天下決定なので真っ先に自分から豊臣の味方をする大名はいなくとも、大坂城が籠城で数年持ちこたえていくれれば、和平すすめられる。
※12
それに近いの昔なかったっけ。秀吉への復讐で、名もなき男の種をもらい、秀吉の死の間際に枕元で、「お前の子供でない」と呟く。男は始末。それらを落城の間際に浅井から江に仕える侍女に話すが、徳川の天下とらせる気はなかったような。
記憶曖昧だけど。
真田丸は奮戦したけど他の砦はことごとく落ちてるし、しかもその理由の一つが守備任された将が遊郭行ってたからなんて間抜けな理由だし、その将が処罰受けた雰囲気も見受けられないし
いざ開戦すると一気に存在感が無くなるんだよな。史料上からも。
唯一意思表示として残ってるのが和睦に反対したことくらい。
冬の陣の時点で殆どコントロール出来て無かったんじゃないかね。
夏の陣の段階では牢人召し放ちの意思表示も不可能なレベルにまで至ってるみたいだけど。
若いとはいえあの秀吉の息子なら夏の陣では自分が出ようがすでに手遅れな事を悟るべき
「大阪城」に篭る「豊臣」に対して戦をする、これを徳川家がするならそれ相応の勝算が有ると考えての事
大阪城とセットの真田丸と、前哨基地として点々と配置された各砦を一緒にしてもね。
各砦(といっても柵があるだけ)には数百ずつしか兵はいなかったが、
真田丸には真田・長宗我部両隊が入るなど戦力差も歴然としている。
真田丸ほどとはいかないが、もう少しちゃんとした砦は作れなかったのかな?
大阪城は淀川沿いから南に城や城下町、総構なので、北から大砲撃たれると本丸近すぎる。
また淀川に船を浮かべて、そこからも砲撃されている。
秀吉は北条滅ぼした後に北条式の空堀作ったりと、増築しているが、川の防御聞かない。
大和郡山城を無傷で手に入れながら撤退と、豊臣の作戦がよくわからない。
大和郡山城を攻めても、当時の規模なら簡単には落とせない。無駄に時間と兵糧を費やしただけに思える。
出来れば冬の陣で
1603年に征夷大将軍になって政治の主導権握る時点でなあ
だが徳川視点だとやらんとやられるしな 勢力大きすぎた
冬の陣だと既に豊臣は徳川にとってはっきり敵だ
それどころか朝廷も徳川の消極的にせよ味方だ 勝たない限り豊臣の味方ではない
豊臣の象徴出すなら関ケ原でそれをしなければならなかった
落とされる、遊ぶだと…なんのための前哨基地だったんだ…
①元天下人としての格、
②日本一の経済都市という立地
③秀吉の残した莫大な財産
これだけ揃ってれば家康はどうにかなっても
秀忠に潰されるよなぁ
せめて①以外を手放せたら織田秀信にはなれたかもしれんが
秀頼には我慢ならなかったんだろうな
秀頼の人望は、秀頼自身の性格より、「秀頼は秀吉の実の子ではない」という風聞の効果による低下の方が高かったと思われる。
人望さえあったら領地領民の安全保障投げ打って現役大名が大坂に加勢してきたとでも?
冬の陣の時点でも豊臣が徳川に勝つなんてあり得ない。
そんな豊臣に加勢しても自分も家族も打ち首必死。
だから大坂には加勢しない。
単純な損得計算だろ普通に考えて。
人望てのは、味方につくか、つかないかって意味。損得計算も含めての人望。
関ヶ原の時点で、多くの豊臣恩顧大名が秀頼についていない。
奉行衆が秀頼君を操っているから(だから秀頼自身に含むところはないと言いたいのだろう)と、後に江戸時代の東軍大名は言っているが、そいつら(西軍諸将)が排除された後でも、別に秀頼に忠誠を誓う訳でもない。大坂の陣で、こいつらの(関ヶ原当時からの)本音はダダ漏れ。つまりは、秀頼はもともと東軍大名達から支持されてない。
北政所は家康によって、大坂城から京都に追放された上、実家筋の浅野長政が家康に人質にとられている。
淀殿は、大野治長との不義密通の噂を流され、その治長は家康の命によって下総に配流となっている。当然、家康の監視下だろう。大野治長が、本当に淀殿の愛人なのかは確定しようがないが、事実ならば愛人の命を握られた淀殿に行動できることはほとんどない。
関ヶ原の時点で、人質を握られた北政所・淀殿が何か行動できる余地はないに等しい。実際できたことは、大津城の仲裁ぐらい。家康の用意周到な準備が功を奏した。
東軍への荷担もしくは中立を指示するはずだけど実際は
中立:家定
東軍:延俊
西軍:利房、俊定
西軍→東軍:秀秋
逃亡:勝俊
とてんでばらばら。それに対して特に制止もしていない。
つまり北政所は一切の政治判断をしていなかったと考えるのが自然じゃ無い?
多分浅野の存在は北政所の行動に殆ど影響を与えてないと思う。
両者が戦死するとなると幼い家光と忠長であり、お互い仲がいいとはいえない(のちに家光はただ一人の弟を殺している)
家康の他の子供もみな幼いか、仲悪かったりでわりともめる。
何より二人が戦死すると確実に日和見する大名や秀頼につく大名が出てくるだろう。
で、真田と入れ違いで迫った越前松平にチンチンにされてたのが豊臣本体
実際3時間で終わった戦いだし豊臣が壊滅した頃に家康秀忠戦死が伝わってそうではある
残ったのが堀のない大阪城本丸だけだと、なぁ
損得計算も含めての人望は無理があるようだが、それに、「秀頼は秀吉の実の子ではない」という風聞の効果と損得勘定は明らかに理由が違いすぎる。
単純に損得勘定で、不確かな風聞では大名は動かない。
戦争の理由とそのために掲げる大義は別。
大名も「徳川が怖いので支持します。徳川につけば褒美もらえるので支持します。」とは公言もしないし、記録も残さない。
別人だが無理なんてあるか?
微妙な人望なら損得が優先されるというのも自然だ
むしろ「含めなければならない」と思う
風聞があてにならんのは同意
実子であろうがなかろうが豊臣と徳川、どちらを敵にまわすと後が怖いかが大事
だが当初の計画通りに命令に従えば勝てたかは謎
交戦が始まってしまった以上
抵抗せずに後退しても得るものがあったのだろうか
>>別に秀頼に忠誠を誓う訳でもない
江戸開幕後も諸大名は秀頼に伺候の礼を取って忠誠を示しているし、
「秀頼が主君」なのは変わっていない。
そもそも家康の征夷大将軍就任自体が豊臣公儀を真っ向否定せず
別枠で諸大名と主従関係を明確化するのが目的だから。
じゃあどっちが上位かって話になるが、
諸大名は「豊臣か徳川か」の二者択一を出来るだけ避けていた節がある。
このタイミングで秀忠急死なんてことが起きたら又どう転ぶか分からんしね。
で、なあなあで済ますことが出来なくなったのが大坂冬の陣。
人徳のあるないは倫理道徳であり、他者の支持を得る者を人徳があるとはいわない。人徳や正義と勝敗の結果は別もの。
現代でいう所の、選挙に当選した政治家を人徳者とは呼ばないのと同じ。
自分も秀頼が秀吉の種とは信じられないが。
慮って東軍よりの行動をした訳ではなく、慮って中立的な行動をしたということ。大津城開城交渉は、西軍よりとみられても仕方ない行為だが、ぎりぎり中立的な言い訳が立つ(淀殿の妹、初姫のことを慮ってという言い訳がたった)行為といえる。
立たないから北政所が派遣した新庄東玉斎は所領没収されて、
孝蔵主も西軍荷担の嫌疑で槍玉に挙げられてる。
そもそも浅野を慮って中立に振る舞うなら、
態々、輝元の戦勝祈願に連れ添って豊国社に参拝したりしない。
そんなことしたら中立としてみられないのは分かりきっているから。
北政所の対応は消極的西軍荷担にしか見えないし、
少なくとも浅野を慮って中立に努めているようには到底思えない。
立花宗茂が秀忠に「ここで秀頼様が出馬していれば敵の勢いが増して
あぶのうございましたが、その心配はなさそうですね。
総大将の出馬がなければ敵の勢いは長くは続かないでしょう」って感じで
秀頼が出てこないことを読んでたって逸話があったな