加藤清正、福島正則とかいう無能wwwwwwwwww
1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:36:15.16 ID:sFRyd5Pb0.net
石田三成が豊臣家に寄生する害悪で、徳川家康が忠義の志なんてほんとに信じてたんか?
加藤清正、和解を仲介したが豊臣家は潰された上に死後に改易
福島正則 豊臣家を潰すのを黙認した上に台風被害のため修復したら改易
加藤清正、和解を仲介したが豊臣家は潰された上に死後に改易
福島正則 豊臣家を潰すのを黙認した上に台風被害のため修復したら改易
2:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:37:18.27 ID:pHhKiP2Jd.net
たしかに
3:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:37:36.70 ID:MtO+fJrba.net
藤堂細川黒田は上手く立ち回ったのにな
4:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:39:44.98 ID:VnJdukp00.net
加藤はまだええやろ
ガチの無能は福島
ガチの無能は福島
5:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:40:59.79 ID:GG+LD2pMM.net
福島正則みたいな猪ガイジは
いいように使われてポイに決まっとるわ
いいように使われてポイに決まっとるわ
9:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:43:30.07 ID:GG+LD2pMM.net
あんなもん取り潰しと決まったらどう抗おうと取り潰しになる時代なんや
島津みたいに先手先手打てる胆力があればね
島津みたいに先手先手打てる胆力があればね
11:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:43:45.10 ID:0rGyQ+cq0.net
戦国無双のおねね様に三成福島小早川全員ボコられて土下座するENDくだらなくて好き
12:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:44:01.03 ID:PK8EtEZm0.net
黒田細川は有能やったな
速攻豊臣見限った
速攻豊臣見限った
14:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:45:35.26 ID:O/pJGuoH0.net
結局関ヶ原で西軍勝っても
大阪に居座った毛利をどかすことは出来ないし
豊臣滅ぼされて
首都が広島になってただけやろなぁ
大阪に居座った毛利をどかすことは出来ないし
豊臣滅ぼされて
首都が広島になってただけやろなぁ
15:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:45:39.85 ID:sFRyd5Pb0.net
池田は何気に生き残ったんだよなw
16:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:46:21.03 ID:ZRmtBk9D0.net
黒田細川とこの二人では立場が違いすぎるやろ
18:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:48:17.99 ID:lkglpaAJ0.net
久しぶりに戦国無双やったら福島正則が田舎のヤンキーで爆笑したわ
確かにぴったりのイメージ
確かにぴったりのイメージ
24:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:51:09.61 ID:LGr8YnuD0.net
加藤清正はむしろ有能な家臣やろ
28:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:52:35.10 ID:7ODhQ8130.net
なお福島正則の治政は尾張でも広島でも評価されている模様
30:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:53:37.05 ID:mKNKS1oE0.net
この二人が西軍についたからって西軍勝たんやろ
37:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:57:15.76 ID:ESQSxN8J0.net
でも加藤も福島も城造りは一流だよな
38:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:58:50.29 ID:Gd+NQUqd0.net
福島はほんま生きながら主家つぶれながら自分も落ちぶれていって何を思いながら死んだんやろな
43:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:00:09.09 ID:GG+LD2pMM.net
>>38
戦場で死ぬべきだった
戦場で死ぬべきだった
40:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:59:04.59 ID:cGY2JJ4v0.net
大坂の陣共々、後世の扱いは確かに裏切らなかった西軍組は扱いがいい
後、島津以外も立花は一応助かっとるやろ
後、島津以外も立花は一応助かっとるやろ
46:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:01:06.90 ID:O/pJGuoH0.net
>>40
立花は20万国ぐらいから
城なし
城なしから五万石ぐらいちゃったか 減らされてんじゃん
立花は20万国ぐらいから
城なし
城なしから五万石ぐらいちゃったか 減らされてんじゃん
42:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 04:59:43.18 ID:KJ5rTaMt0.net
ノブヤボではそいつら両方使える武将だけど何でだろうな
ちょっとでも武功があれば何でもいいのか
ちょっとでも武功があれば何でもいいのか
45:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:00:31.00 ID:XzKJACIV0.net
福島だけは草も生えん顛末やな
藤堂さんとか言う華麗なる転身を遂げた武将もおるのに
藤堂さんとか言う華麗なる転身を遂げた武将もおるのに
51:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:01:59.82 ID:cjh0nV1M0.net
アホって東軍ついた奴を裏切り者扱いするよな
52:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:02:01.59 ID:YG/grWYQ0.net
脇坂安治とか福島のことを「コイツアホちゃうか」みたいな醒めた目で見てたんやろか
61:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:05:05.96 ID:Msefp9Km0.net
加藤はまだわかる
福島は理解できない
福島は理解できない
70:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:07:53.54 ID:df1wvtVW0.net
真田とか鍋島とか島津は親族が勝手に西軍に付いた俺は知らないで乗り切ったからな
75:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:08:51.55 ID:YG/grWYQ0.net
>>70
長宗我部の無能さが際立ちますなぁ
長宗我部の無能さが際立ちますなぁ
79:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:10:06.79 ID:sFRyd5Pb0.net
>>70
親子で陣営分かれてば宇喜多も助かったんか?
親子で陣営分かれてば宇喜多も助かったんか?
82:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:10:45.07 ID:Msefp9Km0.net
>>79
普通に助かってるやん
普通に助かってるやん
111:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:17:39.72 ID:Gd+NQUqd0.net
>>79
宇喜多も東軍に別れて大名として関ヶ原を生き残ったやないか
宇喜多も東軍に別れて大名として関ヶ原を生き残ったやないか
92:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:12:43.99 ID:hEpI1WYd0.net
秀吉生きとるときの家康は屋台骨やし簡単には潰せんやろ
仮に潰せたとしても自殺行為だし
仮に潰せたとしても自殺行為だし
100:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:15:41.85 ID:AJWi2AMb0.net
最近の豊臣秀頼有能路線すこ
104:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:16:25.24 ID:+ay+3wZG0.net
>>100
無能やったら生かされとったろうな
無能やったら生かされとったろうな
102:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:15:59.85 ID:cGY2JJ4v0.net
ノブヤボ最新作で伊達が大坂の陣で徳川裏切るルートあって草
115:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:18:12.52 ID:hEpI1WYd0.net
>>102
革新の太閤の恩好きだわ 真田親子大阪入りで二条城潰しとか熱い
難易度もほどほどだからやりごたいあったし
革新の太閤の恩好きだわ 真田親子大阪入りで二条城潰しとか熱い
難易度もほどほどだからやりごたいあったし
106:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:16:55.85 ID:Rf2qr3ap0.net
>>102
史実でも味方の背中に鉄砲ぶっ放してるぞ
史実でも味方の背中に鉄砲ぶっ放してるぞ
109:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:17:24.25 ID:bc6F/Txc0.net
徳川に関東上げたのが失敗やったな
北条征伐でも苦労したのにアホや
北条征伐でも苦労したのにアホや
117:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:18:58.06 ID:Y6TSVm2Ld.net
唐入りまで再現したゲームやりたいンゴねぇ
121:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:20:13.87 ID:tGMdOcaD0.net
浅野幸長とか言う影薄いやつwwwwwwww
145:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:25:59.41 ID:2o8NRiiq0.net
福島正則は岐阜城一瞬で落としたのが謎すぎるんだけど
なんか資料とかある?
なんか資料とかある?
152:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:27:24.73 ID:cjh0nV1M0.net
>>145
攻め手に元城主が居ったんやろ確か
攻め手に元城主が居ったんやろ確か
154:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:28:23.68 ID:bk9FJi4G0.net
>>145
池田だけどな
池田が元岐阜城主でしかも岐阜城は水の手が確保しにくい城で更に秀信が籠城せずに打って出た
池田だけどな
池田が元岐阜城主でしかも岐阜城は水の手が確保しにくい城で更に秀信が籠城せずに打って出た
153:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:27:56.87 ID:x48AZTzb0.net
>>145
あほが劣勢なのに野戦挑んでボロ負けしたからやろ
あほが劣勢なのに野戦挑んでボロ負けしたからやろ
169:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:33:15.31 ID:ShksqEB30.net
>>153
織田秀信やな織田信長の格好で突撃したやつ
織田秀信やな織田信長の格好で突撃したやつ
149:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:26:34.48 ID:XzKJACIV0.net
岐阜って言うと織田のあいつか
159:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:29:35.47 ID:3dPD4kz/0.net
秀次と連座で処刑された美少女姫おったんやろ
164:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:31:40.01 ID:x48AZTzb0.net
>>159
せがまれて嫌々嫁に出して数日で処刑や
せがまれて嫌々嫁に出して数日で処刑や
170:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:33:37.71 ID:Msefp9Km0.net
前野長康が秀次事件で連座させられてるのが辛い
太閤立志伝ではほぼ最初から働いてくれる配下なのに
太閤立志伝ではほぼ最初から働いてくれる配下なのに
182:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:40:03.67 ID:bk9FJi4G0.net
>>170
義元に一番鑓をつけた服部小平太も秀次事件で連座させられたな
秀吉は初期の功臣に厳し過ぎるわ
神子田とか尾藤は確かに失態は犯したけどこれまでの功績を考慮すれば赦されても良かった
義元に一番鑓をつけた服部小平太も秀次事件で連座させられたな
秀吉は初期の功臣に厳し過ぎるわ
神子田とか尾藤は確かに失態は犯したけどこれまでの功績を考慮すれば赦されても良かった
192:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:43:58.76 ID:aVKIsQeh0.net
>>182
秀次自殺説も最近あるけど
功臣の粛清まで行くと完全に皇帝病やろなぁ
秀次自殺説も最近あるけど
功臣の粛清まで行くと完全に皇帝病やろなぁ
186:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:41:43.39 ID:CfLK2mj6d.net
>>182
尾藤の土下座→許さん!腹切れ!
ゴンカスの白装束に鈴チリンチリン→許す!
尾藤の土下座→許さん!腹切れ!
ゴンカスの白装束に鈴チリンチリン→許す!
201:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:53:26.60 ID:bk9FJi4G0.net
>>186
戸次川の後に秀吉が志賀親次宛に送った書状には「仙石が不届きにも勝手に戦始めたせいで大変なことになったけど何とか持ちこたえてくれ」って言っててどうみても赦される感じじゃないんだけどな
戸次川の後に秀吉が志賀親次宛に送った書状には「仙石が不届きにも勝手に戦始めたせいで大変なことになったけど何とか持ちこたえてくれ」って言っててどうみても赦される感じじゃないんだけどな
175:風吹けば名無し@\(^o^)/:2017/09/21(木) 05:37:09.98 ID:+g0LVEN/0.net
ちょっちゅね
関連記事【地域】「加藤清正を大河ドラマの主人公に」NHKに署名提出。熊本県福島正則「拙者は家康殿に味方するでござる(キリッ」
コメント一覧
正則は一般知名度が…(戦国好きは知ってて当然レベルではあるけど)
広島だって、毛利推しでしょ?
浅野も影が薄いけど
>徳川に関東上げたのが失敗やったな
今の大阪人も関東ナメてるからな、もうこれ性分かもしれん
気にくわない三成を殺った後、すぐに家康もタヒぬから後は俺ら武断派の春!
とか考えてたんじゃないかと
しかも対立の原因は豊臣政権の構造的な問題で本人達じゃどうしようもない
その上でマズかったのは徳川に完全に切り替えられなかった所で
黒田のようにもっとドライに豊臣を切り捨てればよかった
加藤「せめて秀頼様が元服してからの話やろ」
福島「融和一択やな。下手に排除して豊臣家に飛び火したらどーすんねん」
毛利「いけるってwwwワイらが付いとるしwww」
石田「せやなwww根回ししとらんけど豊臣家もきっと味方やwww」
まあ関ヶ原がなければ
豊臣政権は普通に続いてるだろうな
関ヶ原以前の家康には豊臣を潰す理由がないし
室町幕府のような弱体な政権にはなるだろうが
カンケーないけど甲鉄城のカバネリってアニメだと
関ヶ原で西軍が勝って、幕府が福岡あたりに開かれてた設定だったような
カバネリってそんなアニメだったのか。ゾンビが出てくる話ってのは知ってたけど。しかし西軍が勝ってたら幕府なんて出来ずそのまま関白の豊臣が大坂で栄えるだけな気がする。
正則は岐阜城早期陥落で東軍が勝つ立役者になったから慢心してたのかなぁ、公私混同絶対しないマンの秀忠が許さなかったって感じ
こんなにの早く豊臣家潰しにかかるとは思わないじゃないか
それに家康はもう当時だともう60歳の10年もしないうちに寿命と言えるぐらいの年齢だし
家も速攻で潰されて維新チャレンジもなしで擁護のしようもねえ。
立花くらいの節度を通してれば多少はね。
伊奈図書事件起こしたり名古屋城の手伝普請の加藤・池田とのやりとりとか
無断修繕の件も言われたこときちんとやらなかったり
加藤とはなんか違う
作品自体は産業革命以後だから、ホント設定だけだけどね
三成との対立も豊臣と一緒に命運尽きるのもしゃーない。
豊臣でも外様だろ?
秀忠のお気に入りになってた立花宗茂への配慮でお咎めなしだったんだけどな
秀忠が死んだら即座に改易されてたからなあ、まあ、忠広が駄目駄目だったんだろうな
立花は大阪の陣でモロ徳川軍参加してるじゃん
一度改易されて改めて徳川に領地貰った形だから豊臣に気を使う必要はなかったんだろうが
理屈上はそうでもどっちつかずで未練がましい福島の方が人間味があるし
福島は落ち度か難癖か諸説あるにせよ、改易されている、落ち度なら自業自得であるし、幕府がわざともみ消した取り次がなかったという説をとるにしても、外様である福島がそういう扱いをされるのは当然の事であるのに、徳川についたのだからやはり自業自得である。
最後に名より家を残す事を選び、どちらも残せなかった無能だ
正則って武断派なのに妙に地味だよな
完全に徳川に靡いてりゃよかったんだろうけどねぇ。
実際にこんな感じだったんだろうと思うほどのハマりっぷり
その後豊臣家へ殉じるでもなく完全に徳川家に付くでもなく豊臣が滅ぼされるのを見てるだけ、そしてその後結局改易だから後世から見れば印象最悪だよな
清正は豊臣家が滅びる前に死んだし唐入りでの武功もあって汚名よりも名声の方が高いって感じか
秀吉の最も近い親戚である浅野氏は生き残るどころか大発展してるから
やっぱり目立つ両者の脇の甘さ
結果的に家康が天下取ったわけだけれど、どの段階でその野心持ってたかなんていまでも揉めてる訳だしなぁ
奉行衆というか三成とかは唐入りのせいでめちゃくちゃ評判悪いし
子供のころから桶屋の修行時代にノミで大人を殺害。広島への国入りの際に海が荒れているとして、水主を殺害。
なんとかバランス取ろうと苦心してるように見える
江戸期の細川治世とは一体
清正は早く死んでよかったね。
グダグダ言っても、豊臣忘恩大名は豊臣家滅ぼしてんだよ。その事実から逃げ回っても仕方ない。
開き直るなら、自分で開き直っていろ。他人を巻き込むな。お前ら自身の問題だ。
と、豊臣忘恩大名達には言いたい。
福島だって秀頼の参陣要請を拒絶してるし、
黒田や立花も同じく。
そしてそれを後悔し続けたなんて史料も残ってない。
島津が秀頼に「豊臣家への奉公は一度済んだ」って返答したらしいが、
これが諸大名の共通認識だったんじゃね?
秀吉の織田家乗っ取りに付いていった連中だし
その辺割とドライなイメージ。
「加藤や福島は家康に荷担したことを後悔した」と考えたい
三成贔屓者の妄想に過ぎないんじゃなかろうか?
加藤や福島は後悔したと思うよ。他の大名は後悔しなかったはず。
後悔の内容は①秀吉、秀頼に対して申し訳ないと思う、②豊臣政権が続いていれば奉行に対しての不満はあるが徳川政権下より楽だったはすという自分の現状に対しての後悔、どちらが強いかはわからないですが。
豊臣の天下はなくても、領土縮小や流罪で済むかもという期待はあったはず。関ヶ原でも大大名は転封ですんでる。淀や秀頼自身も落城寸前までその期待あったので、前線に突撃や、本丸での白兵戦をしなかった思う。徳川が降伏や交渉も一切認めないとは普通は思わない。大名として消滅しても高野山に流罪とかなら、いつの日か再興の夢もある。
豊臣政権下だと武断派の中でも、加藤や福島は別格扱いなので、奉行に対して不満あってもそれなりの待遇はあった。徳川政権下だと、政治に参加できないのは同じで、大領でも普請でこき使われるし、武断派として名誉は徳川の譜代のもの。名古屋城での普請での福島の愚痴はそんな所かと。
名古屋城の逸話でも納得してるっぽいし
割と忠実に徳川に尽くしてるし。
豊臣滅亡を垣間見たら後悔したかもしれんけど
その前に死んでるから。
多分東軍荷担は後悔してないと思う。
まあ、日記でもない限りどんな感情抱いてたかなんてわかるはずもないんだけれども
(それもお家騒動後武将が揃って出奔して弱体化した宇喜多に負けてた体たらくだけど)
実際は参戦した戦は多いけど具体的には大した武功ないんだよな。
大名にとりたてられたりしてむっちゃ厚遇されとるやん、
だから織田家の連中みんな西軍に参加して狸に酷い目にあわされたし
それに家康にとって秀吉は恩人でもなんでもないが、秀吉からすると信長は恩人。
それなのに秀吉より家康が悪く言われるのは意味不明だし、家康に加担した大名がアホ扱いも意味不明。実力ある奴が天下を取る。同じことを秀吉も家康もした。これでええやん。
じゃあ家康ではなく三成に味方していたら
これまで通り優遇されたかというと、
襲撃されて命を狙われた奉行衆が襲撃犯を優遇する訳ないわけで。
徳川みたいに加増して貰えるかすら疑問。
正則が後悔するとしたら家康に荷担したことじゃなくて
襲撃の時にきっちり三成を始末しなかったことについてじゃなかろうか?
それに織田家は天下を取ってないし。
秀吉のやったことは筆頭家老を攻め殺して織田家の主権を握りつつ朝廷の力を借りて織田家よりも高い地位を得たことだな。
まあ家康もあんな因縁をつけて秀頼を攻め殺さなきゃここまで嫌われなかったんじゃねえの?
明治政府「諦めろ」
前提が間違ってる
当時の豊臣政権下で
親戚の加藤福島なら安泰なんて誰も思わなかっただろう
秀吉の晩年は秀次が殺され小早川秀秋ですら減封転封される状況であり
朝鮮出兵に参加した諸将も秀吉から次々処罰を受けている
石田三成との対立も抜き差しならないものになっていて
その状況で秀吉が死に三成が実権を握る可能性があったのは
豊臣子飼い大名達にとっては恐怖でしかなかった
そんな時に家康から手を差し伸べられたからこそ
子飼い大名の多くが家康派になった
「このままだと潰される」と思っていたから選択肢なんてない
確かにもし西軍蜂起がなかった場合の仮定は諸説あるだろうけど、
結果的に史実の西軍蜂起が豊臣弱体化の決定打になったのは事実なわけだし
「あの才槌頭が見切り発車で余計なことしくさったせいでこの様よ!」
くらいの恨み節くらいは言ってそう。如何にも正則っぽい。
家臣の何人かが改易後水戸藩に拾われたというのは聞いたことあるけど
西軍生き残り大名では、面白い事に外様大名が多くてね。彼らとしては。、「一度豊臣家のために御奉公してあげたんだけど、それを結果的に(俺たちを)見殺しにした豊臣家に再度ご奉公しても仕方ないだろ」という話になるわな。
これに対して、東軍豊臣忘恩大名の軍記とか家譜とか見ると「オレタチハ、豊臣奸臣大名と戦っただけー!」とかほざいているけど、実際それら奸臣のはずの奴らが排除された後でも、よってたかって奸臣家康に従って豊臣家を滅ぼしているしな。こいつらはゴミクズなんだけど、なまじ自分自身もゴミクズだという事を自覚しているからな。それで、西軍諸将を「奸臣だー!奸臣だー!」って叫びまくっているけど、仮に西軍諸将が奸臣であっても、お前らがゴミクズ奸臣である事実は変わらない訳で。
ゴミクズ奸臣共が他人を奸臣と言って、自分と同レベルに落とし込めようとするなと。本物のクズだ。最低だ。
結果論てのは、自然現象とか、その人物の意思的にそれはその頃から考えてもいなかっただろう、という史料がある場合にのみ当てはまるんでね。
人間てのは意思があるんだから、まあ、未来にその想定される通りの行動していたんだったら、当然当時からその人の意思通りの行動しているんだろう、って推定が強くはたらくって話。こういうのは結果論とは言わない。よほど、「その人物の意思的にそれはその頃から考えてもいなかっただろう」という史料が見つからない限りね。
しかし、これを「結果論、結果論」て言っちゃうケースが複数見られるのは、ちょっと日本の教育がまずいんじゃないかと思う。本当日本の歴史教育って何やっているんだ、て感じがする。学問の基本ができていない。
15年後に徳川が豊臣滅ぼしたんだから西軍は豊臣家のために動いた!なんて結果のためにその途中の行動を無理やり因縁付けただけ、ストーリーとしてしっくり来るからそうしただけですやろ
史料言うなら「家康が関ヶ原以前に豊臣を排除しようとしていた」
なんて史料からは全く読み取れないでしょ
家康の天下は「たまたま三成が蜂起して」「奇跡的に圧勝した」事によって可能になったもの
それでもなお豊臣を潰すまでになお15年の時が必要だったので
誰も想定できない事なんだから結果論なのは間違いない
だいたい「俺たちを潰そうとした豊臣家に再度ご奉公しても仕方ないだろ」は
豊臣子飼い大名にも当てはまるわけで
彼等としては徳川に臣従するのに何の抵抗もないわな
それでクズなら西軍だったのに最前線で豊臣滅ぼした立花宗茂なんかクズ中のクズになっちゃうじゃん
自然科学と違って、歴史科学というのは、「人間の意思」が混ざってくるわけですね。これが第一の前提。この前提が「そもそも除外される」前提の物は科学としての歴史学とはいえない。
更に、この「人間の意思」というものをはじめから除外することこそがまるで「科学」のように考えている・あるいはそのように教えられているとしたら、まさにそれこそ、そういった教育こそが3疑似科学も等しい訳ですよ。
本当に大学でそんな事を教えられているとしたら、まさに大学で疑似科学を教えているという話になる。
歴史学において「人間の意思」というものの分析しない非科学的な立場を取りながら、それこそが、「科学的な態度だ!」と錯誤しているのが、複数見られるとしたら、それこそが問題であってね。そういった教育を受けたのしたら、その教育自体に相当な問題があるので、よろしければ、そのような指導をした教官がいるならば具体名を挙げて教えてほしい。
3疑似科学も×→疑似科学にも〇
仮説の際に推論することはあるよ?それでもそれに史料的裏付けがなければただの妄想でしかない訳ですよ
分析というのは史料を元にするべきであって結果だけで推論するのは妄想も甚だしいよ
私が批判しているのはその人間の意思というものを君が勝手に忖度しているだけだよね、史料的に確証もないものを事実のように断定するのは学問としてあるべき姿ではないということ
ここが理解できないのならあなたと話すことは何もないです
結局あなたの言うところの史料ってのは、関ヶ原以前に「俺たち(家康方)は、豊臣を排除してやるぜ!」ということを明記した具体的な証拠がない、ってことでしょ?まあ、悪いんだけどさ、仮にそんな文書があったとしてもさ、さすがにそんな証拠資料を江戸時代・あるいは現代まで残す訳なじゃいないの。つまり、文書の証拠を隠滅したら、隠滅した物勝ちな訳だ。歴史学ってそういう学問なの?文書がない以上、そうした大名達の個別具体的な行動を見れば、その思考が分かるって話だ。。
いや、別に家康が豊臣家滅ぼしてなければ、別にいいんだよ?家康が豊臣家滅ぼしてなくて、秀忠が滅ぼしていれば、「ああ、家康は豊臣家を滅ぼす意思はなくて、でも秀忠的にはそれじゃ不安だから滅ぼしたんだなあ」て話になるけど、本人が滅ぼしているんだから、そういった意思じゃないってのは、やはり厳しいんじゃないの?
※「だいたい「俺たちを潰そうとした豊臣家に再度ご奉公しても仕方ないだろ」は
豊臣子飼い大名にも当てはまるわけで
彼等としては徳川に臣従するのに何の抵抗もないわな
それでクズなら西軍だったのに最前線で豊臣滅ぼした立花宗茂なんかクズ中のクズになっちゃうじゃん」
→いやいや、西軍外様大名は「豊臣家への報恩は関ヶ原で返した」で文書でも残している訳でね。奉公があって御恩があり、御恩があって奉公がある。西軍諸大名の奉公に対する御恩がなければ解消されても仕方ない。
豊臣忘恩大名は恩に対する奉公を(少なくとも関ヶ原時点では)一度も果たしていない訳でね。西軍大名とは全然違う。一緒にするなって話を前からしている。繰り返す、一緒にするな、東軍忘恩大名。一緒にしたいのが、お前ら(東軍忘恩大名)の望みなんだろうが、そうはさせない。
「主家を慮って都合よく書いた」
便利な言葉ですね
歴史上の人物の真意や意志を知りたいのなら日記や個人的な書状を発見しないといけない
念のため歴史学ってのは実際の史料から分析しそれを元に解釈をする事。警察検察が捜査する事件で証拠品(史料)から分析・推測することと同様。
証拠はないけどってあいつが犯人、犯人が証拠隠滅したから証拠が無いんだってもうおかしいって気づこうよ
これって呉座先生の『陰謀の日本中世史』を宣伝してるのかな?
「史料はあったけど抹消したんだ!」は
議論をする上で言ってはいけない事だし話にならない
家康が豊臣家を滅ぼそうと考えるなら
少なくとも関ヶ原に圧勝した後でしか無理と言ってるわけ
関ヶ原で大大名を一斉に減封改易出来たからね
毛利や宇喜多が西国に大領を構える中での豊臣攻めは不可能
そもそも「関ヶ原で決戦になる」なんて事は直前まで誰も知らないからね
「奸臣を討っただけ」を言い訳と捉えるなら
「豊臣家への報恩は関ヶ原で返した」も言い訳と捉えなきゃ偏った態度だし
恩に対する奉公を朝鮮出兵で果たして
その結果が処罰と粛清の嵐だったために東軍大名は家康派になったんだよ
その事は七将襲撃の後で家康が真っ先にやったのは
五大老連名で「蔚山城の戦いの諸将の名誉回復令」を出すだった事に明らか
少なくとも当時の豊臣家の構成員(北政所、淀、秀頼)の誰も報恩されたと思ってないし、
そういう形で報恩しろとも言ってない。
淀に至っては家康に救援要請してるしな。
自分達の為の野心を報恩って言葉でコーティングしてるだけ。
淀の救援要請に従ったって言い訳が立つ分、「奸臣を討っただけ」の方がよっぽど報恩。
実際家康は淀にそう戦勝報告してる。
秀吉にとって信長は恩人であるが信孝は恩人でもなんでもない、そもそも信孝は織田家の人間でもない。
あくまで神戸家の人間である、信長がお家騒動を避けるためにそうした。清州会議でも彼には一切発言権はなかっただろ?
※58
朝鮮出兵した結果処罰うけた東軍の武将って誰だ?
処罰された西軍の武将なら大友がいるが、福島や藤堂など加増された武将ばかりだぞ。
そもそもその前提が間違ってるだろ。
処罰を受けてないとか…そもそもなんで奉行衆と対立したと思ってんだ……
蔚山城の戦いで勝利した後、13将の連名で戦線縮小案が提出され
提出した武将達は叱責、黒田長政・蜂須賀家政は
蔚山城の戦いで積極的に追撃しなかったという不可解な理由で処罰
小早川秀秋も理由不明の処罰を受けている
勝った戦いで処分されるという理不尽
加藤清正と浅野幸長は蔚山で黒田や蜂須賀に救われた身であり
この蔚山城の戦いの参加武将の多くが東軍武将に重なる
一方で処分を主導した軍監ら加増された事で対立は深まった
だからこそ家康は蔚山諸将の名誉回復令を出したわけだ
これがこの戦いが関ヶ原の要因とも言われてる理由
清正にしろ、正則にしろ、立派な大名であり、自分の部下を食わせる責務がある
いくら身内で恩のある親会社だとはいえ
経営傾いて給料の保障も危うくなってきてる会社から転職
結果、親会社が潰れたからって責められるのも可哀想な気もする
別に豊臣が続かなければならなかった理由って一個もなくね?
豊臣に限らず身内、重臣が裏切った、敵に味方した
それが原因で潰れた戦国大名家、豪族なんてそれこそ腐るほどあるわけだし
しかも裏切ったくせに寝返り先で厚遇されてるわけでもない人もたくさんいる
それまでも繰り返されてきた戦国の弱肉強食の流れの一部でしかなくない?
むしろ勝ち馬家康に乗ったのは評価されるべきではなかろうか?
そのくせ結果自分の家まで潰されたのはまぁ弁護のしようもないが
家康に丸投げしてたのが元凶だと思うよ
関ヶ原の西軍は家康の運営に異議を唱えて発起して、
それに与した大名達が敗戦で逆賊として処分されたんだから
それ以降は、もう誰も徳川に異議を言えない状況になってるだろ
そんな実権が完全に徳川に移った後で徳川と豊臣が対立しても、
豊臣を助ける義理のある大名は豊臣の親族だけじゃないかな
立花宗茂なんかも浪人から二代将軍の秀忠に直接仕官して
半分旗本みたいな待遇だから豊臣を助ける理由がまるでない立場になってるし
秀吉死去から大坂の陣まで16年
25年前まで下剋上当たり前の戦国だったわけで
平和になってから
徳川は朱子学を導入して徹底した教育をしたけど
豊臣は何もしてない
だから25年の間に、豊臣家のために!
なんて道徳観念が生まれるわけない
その上、豊臣家は99%の家臣にとって代々の主家というわけでもないし
豊臣が徳川に代わっても困る人ほとんどいなかったんじゃ?
戦時中はそもそも対立してないでしょ、帰国してから主導権争いで対立した
蔚山城の戦いも事実と異なるな、
積極的に戦わなかったとして改易された早川長政は西軍に参加して改易され大阪の陣でも西軍として入城している。同じく処罰をうけ帰国蟄居させられた毛利高正、竹中隆重らも西軍として参加しその後東軍に寝返った人物
参加したものでも武功を上げたものは加増され、何もしなかったもの、消極的なものは叱責されただけ
その証拠に何もしなかった小早川秀秋は厳封されたが、逆に武功をたてた小早川の付け家老の山口は直臣大名へと取り立てられた。
参加したものがみな東軍になったというのも間違いだね、毛利秀元や毛利吉成勝永親子、長宗家部や秋月伊藤鍋島脇坂などもみな最初西軍として参加してる、
五大老と五奉行の合議でやれという遺言であって、家康に丸投げはしてないんだけどね。
七将襲撃で襲撃した連中を擁護して、石田を追い出し、利家が死んだ後は濡れ衣きせて前田と浅野を失脚させ、
上杉討伐までやらかした所で、残りの大老と奉行が危機感を感じて家康に対して挙兵した
※82
代々の主家というよりも恩を施されたどうかが問題なので、一代だけなら裏切っていいわけじゃなくて、
恩を受けたら返さないといけない、御恩と奉公が鎌倉時代からの武家の基本
秀頼によって領土を安堵されたのなら、秀頼に忠を尽くす必要があるってだけ。
家康は関ケ原の恩賞として豊臣家の領土を褒美としてばらまいたわけだが、この褒美を受けた以上尽くす義務が生じる。
むしろ代を重ねて既得権益とかしてくると、自分のものであり恩とは思わなくなるので忠を尽くさなくなる、幕末の幕府がまさにそれ。
だから言ってんじゃん、秀吉は簒奪してねーって。
2つ間違っているんだって。
1つ、秀吉は織田家から天下は取っていない。本能寺の変の時点で「織田家の天下」は死んでいる。
というより、「天下」という表現が誤解の元。「主権」と「領地」に分けて考えるといずれも秀吉は「奪った」とまではいえない。
「織田家の主権」は「本能寺で光秀が殺している」。「領地」に至ってはむしろ「秀吉のおかげでほとんどが保全されている」。
「主権」…国家の構成要素のうち、最高・独立・絶対の権力、または近代的な領域国家における意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権威を指す。国家主権のこと。具体的には以下の3つが基本的意義となる。
1、国家の統治権(国民および領土を統治する国家の権力
2、他国の支配に服さない最高独立性。対外主権。
3、国家の政治のあり方を最終的に決める権利のこと。(Wikipedia「主権」より)
つまり、大別して下克上は下記の2通りに分けられるが、明智光秀の本能寺の変はいずれにも属さない。
下剋上のパターン
1、「主家を傀儡化する」。
この場合、先代当主の扱いは下克上の実行者により「殺害」されることが多い。そして、幼君や下剋上実行者と血縁のある当主を新たに擁立、主家を傀儡化する。陶晴賢が大内義隆を殺し、大内義長を推戴した「大寧寺の変」が好例か。''暗愚な当主''の''暴政''を憂いた''忠臣''が涙ながらに当主を弑し、新当主を擁立。それもこれもすべては主家の御為、という建前なわけだ。
2、「主家に成り代わる」
この場合、先代当主の扱いは下克上の実行者により「追放」されることが多い。そして、大体は別の大名との外交条約締結をしたり、幕命を受けたり、朝廷からの官位を受けたりすることにより、追放された主家の上位者・同格者からの大名であるという承認を受ける。領国から''なぜか自主的に''亡命した旧主家に代わり、新たに我が家が領国の統治をします。これは第三者の承認もうけた正式なものです、という建前なわけだ。
そして、にもかかわらず織田家内で畿内の諸侯に陣触れなどの軍令を出していた織田家全体に極めて強い政治的影響力を持つ隠居・織田信長と織田弾正忠家の家督を持つ織田信忠の両名並びに彼らの側近団を殺害している。
つまり、他の下克上の形とは本能寺の変は根本的に違うわけだ。
当主追放ではなく、当主殺害、建前でさえ織田家を立てず本能寺時点での織田政権の形を継承する意志がない事を示す。
おそらく光秀が信長・信忠父子を追放にとどめなかったのは、彼らが追放先で再起を図った場合に他の方面軍や中立派の大名も信長方を支持する可能性が高いからだ。そして反明智派の神輿になれる資格の点では、信長・信忠父子でもほかの織田一族でも変わらない。結局、光秀がこの当主殺害に出た時点で織田一族に対しては、代わりの織田家当主を擁立するか、さもなくば皆殺し以外の方針はとれない。そして史実の光秀はついに織田家新当主の擁立行動はとらなかった。
本能寺の変は、明智光秀が武力攻撃で以って織田政権に成り代わり、恐らくは織田一族を鏖殺するつもりであろう事を強く予感させるテロであり、そしてそれに対し織田一族が何らの実効的な反撃行動も示せなかったという衝撃的な事件だったのだ、と思う。
襲撃事件で七将寄りに調停したのは確かだけど、
前田の件は奉行衆からの密告に対して大老として協力した立場だし、
上杉の件は大坂にいた毛利も宇喜多も反対せす静観してるし、
上杉書状に有る通り奉行衆も強硬姿勢で対応してるから
大老奉行協同の枠ははみ出してないよ。
徳川が主導したのは確かだろうけど
ゆえに、俺の米85のウィキの引用にある「2、他国の支配に服さない最高独立性。対外主権。」は織田家は明智によって侵されている。
信長は自身の代理人・後継者を信忠と決めてはいたようだけど、そのあとの序列はまるで明らかではない。織田家臣の序列がしばしば議論になるように、信雄以降の織田一族と家臣のいずれが序列が上かはいまひとつ分からない。(特に方面軍団長の柴田勝家・羽柴秀吉)
なので、※85の「主権=意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権威」、および「3、国家の政治のあり方を最終的に決める権利のこと。」もこれまた信長・信忠共々殺されてしまっている。誰が、もしくはどの機関・組織が信長・信忠父子に次ぐ織田家全体の最終意思決定者・最終意思決定組織なのか、明確なガイドラインがないからだ。せめて信長の長期計画を示す文書が存在し、かつ保存され、側近団と共に本能寺から逃れられていればまた違ったかもしれないが…
都合が悪いから君は無視してるけど
家康が「蔚山諸将の名誉回復令」を出したのは何のためか考えればわかるだろう
小西行長と加藤清正は戦時中に抜き差しならないレベルで対立してるし
黒田と石田の関係も悪化している
戦線縮小案をめぐっても福原長堯らと蜂須賀らの対立もある
その後の勢力争いで派閥の変化は当然あるだろうから全員がそのまま東軍になったわけじゃないが
処分された蜂須賀家政・黒田長政と救出された加藤清正・浅野幸長は反三成派の中核的人物になった
そして七将襲撃の後で蔚山の名誉回復がされた
これを無関係とするのは無理がある
さらに小早川秀秋は減転封の上に部下を引き抜かれて直臣化され
そのうえ元の領地は三成が代官になった
これが関ヶ原における去就に影響してないないと考えるのもまた無理があるだろう
「蔚山諸将の名誉回復令」って家康の難癖でしょ?
そうやって消極的だとして非難していた連中を失脚させ、その領地を分け与える事で忠誠を得る為にね。
小西と加藤って別に蔚山城とは別に関係ないし、小西がそれで加増されたりしたこともない、そもそも小西も加藤も戦線縮小派を批判している戦線維持派でしょ?
対立はもっと別の話。
黒田と石田になるともっとおかしい、だって慶長の役では石田は渡海して目付をやっていない、対立する要素などないよ。
蜂須賀になると関ケ原では領土を返還して私関係ありませんよ、ってスタンスでしょ?
そもそも縮小派で叱責された代表が毛利秀元と宇喜多秀家という西軍の最大の強硬派ですよ。
蔚山城の戦いの時の派閥を因果関係に入れるのは無理がありすぎる。
その後の行動が全部バラバラじゃないか。
本能寺の変の影響は京都周辺に留まらない。
実に、丹波(明智光秀所領)・山城(明智軍制圧地域)、近江(手紙をまわし本能寺2日後の6月4日には、蒲生領除く近江全域を掌握)、西美濃では追放された安藤守就が明智方につき、旧領回復の為に侵入。稲葉一鉄が撃退するも、一鉄も斎藤利堯を擁立し西美濃~岐阜地域を明智と織田信孝の間での中立地帯とする(つまり状況次第で明智に転ぶ可能性があり、織田政権の支配域とは必ずしも言い難い。)東濃も森長可が北信から帰還し旧領復帰のために斎藤利堯と交戦。美濃の勢力図は織田政権の決めた勢力図とは異なるものとなりつつあった。甲信地域は、武田旧臣の武装蜂起に加え北条・徳川・上杉が係争地とする天正壬午の乱が始まる。
上記の状況だけで、丹波・山城・近江・美濃・信濃・甲斐、の少なくとも6ヶ国が織田家の支配から離れていた。そこに加え、伊賀国人衆の明智への内応、大和国・筒井順慶の近江への派兵という消極的な明智方への協力、丹後国・北丹後の領主・一色義定の呼応、若狭国・丹羽長秀与力・武田元明による、若狭衆糾合による近江佐和山城占拠、長宗我部・毛利の織田領侵攻、足利義昭の蠢動など、多数のリスクを抱えていた。
本能寺の変は、この織田領の内陸地域が事実上支配から離れた事・信長らが討死した為に、「織田家の意思」を示せる機関が存在しなくなった事と併せ、織田家が徳川家・北陸方面軍・織田信雄軍・明智家・中国方面軍・その他日和見衆などに分裂してしまった事件だった、と言えるだろう。
何故家康に持ち出されたのが他でもない「蔚山」だったのかを考えなよ
蔚山の裁定に問題はないと襲撃者達が感じていたなら忠誠を得る事も出来ないし
「難癖」の大義名分としても機能し難い
朝鮮出兵における加藤小西の対立は有名で朝鮮の史書にすら現れる
それが戦後の争いに繋がらないと考えるのも苦しい
文禄の役で石田三成は渡海した総奉行だし慶長の役でも軍監の福原長堯の縁戚だっために
その元締めと見なされて恨まれ易い立場だった
蜂須賀は七将襲撃にも参加している典型的な反三成派
派閥争いというのは複雑で
朝鮮出兵の数々の問題で全員がはっきりと同じ立場で別れたわけではない
しかし朝鮮で対立があったのは事実で
その象徴的存在のひとつとして蔚山があった
でなければ三成を襲撃した連中の忠誠を獲得するために
蔚山が持ち出されるわけがないんだから
これを七将襲撃と無関係とするのは苦しい
蔚山は実はほとんど石田三成は関係ない。裁定の際にその場にいなかったし、事前の協議すらしていない。
関わったのは秀吉その人及び四奉行(前田玄以・浅野長政・増田長盛・長束正家)。
そして十三将連署状の筆頭・二番目で本来罪を問われても仕方ないのになぜか免罪されたのが、宇喜多秀家・毛利秀元。
つまり、毛利・宇喜多の二大老、四奉行が絡んでいる大事件な訳で、なぜか(軍目付の縁戚だったので)裁定の際にその場にいず、協議もしていなかった石田三成がトカゲの尻尾切り的に全責任を押し付けられたのが、この事件の真相。
まさしく毛利や宇喜多は切れないから秀吉は蜂須賀と黒田を生贄にした
裁定に関わっていない三成が恨まれたのは
三成が縁戚の福原を庇ったのか、あるいはすでに関係が悪化していたからだろう
それとは別件で三成には転封後の旧小早川領が与えられる予定だったが
結局本人が断ったのか代官として赴任する事になった
しかしこれは傍から見れば三成の陰謀と疑われてしまうような出来事だった
本人にその気がなさそうなのは気の毒だが
福原の縁戚で事態への関与を疑われてしまった事 小早川の旧領を賜った事
この様な事が重なって諸将が三成を憎悪し襲撃に向かう要因になったのだろう
まあ、三成はスケープゴート体質だったのかなあ、と。ちょっとかわいそう。
そういや西軍には石田と同じく処刑されてるのにあまり話題に挙がらない小西行長がいますよね、彼って確か石田と一緒に明との講話を担当し講話内容の偽証を行って秀吉から激怒されてますよね
このあたりなんか七将がキレた理由の一つとかありそうな気がする
その件で結局罰らしい罰は受けなかったから
それを不満に思った武将はいただろうね
位の低い亜都督には徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝その他を任じて欲しいと書かれてるみたいで
のちの西軍の毛利以外の主たる面々に権力握らせようとしてる感ありますよね
どっちかというと相手にされない影の薄さやろ
加えて当時ナンバー2の秀次を秀頼や自分たちより下位においてるんだよね。小西主導の講和を知った面々がどう思うかだよな
中央の争いから遠い松浦有馬が小西は秀吉の名誉欲に付け込んで勝手に交渉してるって書状かいてるし、七将以外からも恨まれてる様子が窺える
秀次や秀頼よりも自分たちを上に置いたんですか、そりゃ確かに周りも恨むというかザ・奸臣って行動ですよね
よくまぁこれで周りも死を命じる秀吉から小西行長をとりなしたなぁ
大都督に三成やらの名前が挙がってるのも小西の独断とはちょっと思い難いですし
なんか聞けば聞くほどそりゃ秀吉死後の周りも前田か徳川を頼るわって感じの印象になりますなぁ
お詳しい方とお見受けしたのでちょっとお聞きしたいんですけれど、たぶんこの小西案は却下されて秀吉から修正案出てると思うんですが、修正案の内容ってどんな感じなんですか?特に大都督や都督、亜都督などの位階にそれぞれ誰を入れるよう要請してるのか気になります
だから無理がありすぎるでしょう。
貴方の想定する通りに行動した人物がそれこそ黒田くらいしかいない。
蜂須賀は関ケ原傍観だし、福島は慶長はいってない。加藤は戦線縮小派ではない、宇喜多毛利は西軍、
小早川も最初西軍であるし、そもそも「讒言」されて改易にされ、その後名誉回復で大名に復帰させられた早川ですら西軍なのに。なんでそんな無茶な話を作れるのか。
一因になったくらいならわからんでもないけど、ほとんど関係ないよ。
東軍は上杉討伐に向って言ったら、気が付いたら東軍になってた連中で、
西軍は遅れていこうとしたら気が付いたら西軍になっていたって連中。
両者の区分けなんてそんなもん、のちに豊臣にたいして後ろめたいから三成がーとかいいだしただけ、慶長の役は三成は何も関係ないのに。
都督同知:前田・宇喜多・毛利・小早川・上杉・増田・羽柴秀保
修正案では家康がトップで大老衆+増田長盛・羽柴秀保が2番手
小西大谷石田たち奉行は格下の都督僉事、増田だけ上位の理由が分からん
五奉行の中での格上は前田玄以のはずなんだけど基準を説明した論文あるんですかね
本当に助かります、ありがとうございます
家康がトップに据えられてるんですね、よく秀吉の構想だと死後の政権は大老が上か奉行が上かみたいな話がよく上がりますが、この都督の扱いも考慮に入れて考えるべきなんでしょうね
確かに連署の書状の際一番最初に前田玄以が来るから前田玄以が筆頭なんだろうとは言われますがなぜ筆頭に選ばれたのかは語られること少ないですね、助力になれず申し訳ないです
関ヶ原の大きな原因が七将襲撃なのに
それを無関係とするほうが苦しいよ
関ヶ原自体は言うとおり
その場で周りが東軍or西軍だらけだったからという理由でつくほうを決めた例は多い
典型的なのが小早川だが実際には最初から家康寄りだったために裏切ったわけだね
蜂須賀も三成襲撃に参加している以上
本来は反三成の立場だが西国が西軍が多いという状況を見て
自己防衛のために中立を表明したわけだね
しかし関原の原因の七将襲撃に朝鮮出兵の影響が大きいのは明らかだ
何度も言うがそんなに大した事がないなら
蔚山の名誉回復なんて別に必要ないんだから
>一因になったくらいならわからんでもないけど
まさしく一因になったわけでそれを矮小化する必要はないのだよ
そう、偽装講和そのもので処罰をしないというのは、まあ、秀吉ぐるみということですわ。
それ以降、成案が変更されていて、しかもその変更交渉自体行長がやっている事を考えると、最初の交渉で自分の味方だと思っている人間の価値を釣り上げるために最初は大きくでたんじゃないのかな?
そこの変更過程には秀吉その人が関わっているんだと思うよ。
小西は処罰される寸前だったが、小西が武功で立てるから許してくれというので許されただけだぞ。
だから小西は慶長の役ではゴリゴリの主戦派になってる。
歴史好きから褒められる風評はごめんだよ
実際、この二人がいないと徳川は支持されなかったか?というと疑問が
だから負けた豊臣家は徳川に次々と切り崩され滅亡した敗北者にすぎない。
不安定な豊臣政権存続の方より江戸幕府が成立して良かったと思うよ。