斎藤義龍が長生きしていたら信長は天下とれた?
1:人間七七四年:2018/04/06(金) 12:51:51.64 ID:1E8or0RR.net
信長の初期のライバル
個人的に義龍が生きていたら
大幅に遅れてたか不可能だったと思う
個人的に義龍が生きていたら
大幅に遅れてたか不可能だったと思う
2:人間七七四年:2018/04/06(金) 12:58:49.41 ID:riK4ljtJ.net
義龍が生きてたら無理だったとは確かに思う
でもスレたてが遅かったとも思う
でもスレたてが遅かったとも思う
3:人間七七四年:2018/04/06(金) 13:06:36.42 ID:AekgiYJe.net
それにしても義龍の肖像画はひどい
イノシシにしか見えない
それで身長も2m近いとなればまさに野獣のごとし
イノシシにしか見えない
それで身長も2m近いとなればまさに野獣のごとし
4:人間七七四年:2018/04/06(金) 13:13:37.88 ID:1E8or0RR.net
豊かな美濃が手に入らないのが、かなりキツイと思う
義龍は戦も強いし、美濃兵は精強
信長は最悪ずっと尾張から飛躍できないような気がする。
義龍は戦も強いし、美濃兵は精強
信長は最悪ずっと尾張から飛躍できないような気がする。
5:人間七七四年:2018/04/06(金) 19:26:51.53 ID:jWnAoXi8.net
一色名乗っても美濃衆はそんなに言う事聞かないし大勢に影響はないだろう
美濃伊勢侵攻に大きなずれは生じまいよ
美濃伊勢侵攻に大きなずれは生じまいよ
17:人間七七四年:2018/04/07(土) 23:56:44.62 ID:FeE8EZPP.net
>>5
義龍の頃は斉藤のほうが優勢だったんじゃないだろうか
信長は美濃侵攻できなかったから
もし義龍が長生きって言う前提だから
信長は普通に尾張で終りになった可能性が高いとおもう
義龍の頃は斉藤のほうが優勢だったんじゃないだろうか
信長は美濃侵攻できなかったから
もし義龍が長生きって言う前提だから
信長は普通に尾張で終りになった可能性が高いとおもう
38:人間七七四年:2018/04/10(火) 00:15:39.80 ID:BSdFSs4W.net
>>17
そりゃ義龍生きてる頃の信長って弟との家督争いに上司にあたる織田氏との戦いと尾張統一に忙殺されてそれが終わったら今度は今川と桶狭間だしでほとんど義龍と戦ってないし
優勢とか以前の問題だ
そりゃ義龍生きてる頃の信長って弟との家督争いに上司にあたる織田氏との戦いと尾張統一に忙殺されてそれが終わったら今度は今川と桶狭間だしでほとんど義龍と戦ってないし
優勢とか以前の問題だ
6:人間七七四年:2018/04/06(金) 22:02:19.29 ID:SnF8kibz.net
義龍が長命の場合って道三との親子対立起きるのかな?
なんか普通に義龍が後継になって斎藤と織田の同盟が継続しそうだけど。
ぶっちゃけそうなった方が織田にとって都合よい気がする。武田と国境接しなくなるし。
伊勢に全力侵攻して全土制圧した結果、伊勢長島が発生する余地もなくなるかもしれないし。
尾張→伊勢→南近江と進めば、京への道も確保出来るし。まあ、ご都合主義の妄想ではあるが。
なんか普通に義龍が後継になって斎藤と織田の同盟が継続しそうだけど。
ぶっちゃけそうなった方が織田にとって都合よい気がする。武田と国境接しなくなるし。
伊勢に全力侵攻して全土制圧した結果、伊勢長島が発生する余地もなくなるかもしれないし。
尾張→伊勢→南近江と進めば、京への道も確保出来るし。まあ、ご都合主義の妄想ではあるが。
9:人間七七四年:2018/04/07(土) 18:45:03.87 ID:9k31WPTD.net
>>6
義龍は29で道三を殺したんだが
道三を殺した後に長命で道三との親子対立が起きないとか
頭おかしいから静かにしろよ
義龍は29で道三を殺したんだが
道三を殺した後に長命で道三との親子対立が起きないとか
頭おかしいから静かにしろよ
10:人間七七四年:2018/04/07(土) 19:14:38.71 ID:zRts3W6S.net
>>9
道三が義龍を廃嫡しようとしたのって、義龍が病弱だったからじゃないの?
その場合義龍が長命、つまり健康体だったなら廃嫡理由がないじゃん。
道三が義龍を廃嫡しようとしたのって、義龍が病弱だったからじゃないの?
その場合義龍が長命、つまり健康体だったなら廃嫡理由がないじゃん。
11:人間七七四年:2018/04/07(土) 19:29:08.26 ID:P832MsQ9.net
>>10
斎藤義龍が道三に疎まれたのって、実の子じゃない説があったからじゃない?
斎藤義龍が道三に疎まれたのって、実の子じゃない説があったからじゃない?
15:人間七七四年:2018/04/07(土) 23:00:22.09 ID:2bfXLYgm.net
>>11
義龍出生にまつわる話はどこからが史実でどこからが創作なのかいまいちよく分からん
土岐頼芸の妾を払い下げられたとかは実際記録に残ってるの?
義龍出生にまつわる話はどこからが史実でどこからが創作なのかいまいちよく分からん
土岐頼芸の妾を払い下げられたとかは実際記録に残ってるの?
49:人間七七四年:2018/04/11(水) 06:23:14.45 ID:aHF69ZOk.net
>>15
解らんけど、一時一色姓を名乗ってたみたいだし?
母の実家ならそうなるよねえ?
解らんけど、一時一色姓を名乗ってたみたいだし?
母の実家ならそうなるよねえ?
7:人間七七四年:2018/04/06(金) 22:44:50.13 ID:LoNi6AIg.net
織田と斎藤の間での基本的な展開は変わらないけど、5~10年くらい時間がのびそう
8:人間七七四年:2018/04/07(土) 09:02:35.50 ID:P832MsQ9.net
亡くなったの35歳だもんな~。早いわ。確かに過小評価されてる人だとは思う。
12:人間七七四年:2018/04/07(土) 20:22:23.45 ID:yQtaIWyt.net
道三は信長と同盟結んでただけでなく、信長に援軍もマメにおくって支援してたんだよな
あのまま後継者にすえられてても、道三が長生きすれば
信長は多分美濃じゃなくて伊勢の制圧にむかうんじゃないかな、
その後大和あたりにてをのばすんじゃないかな
あのまま後継者にすえられてても、道三が長生きすれば
信長は多分美濃じゃなくて伊勢の制圧にむかうんじゃないかな、
その後大和あたりにてをのばすんじゃないかな
13:人間七七四年:2018/04/07(土) 20:50:03.25 ID:7SYiwFiS.net
別にどうでもいいが
この場合、今川義元が天下取るんじゃね?
この場合、今川義元が天下取るんじゃね?
14:人間七七四年:2018/04/07(土) 20:53:07.47 ID:wk1Ms1e/.net
信長は桶狭間の2年後くらいで、朝廷から上洛のお願いされたみたいだから
何がなんでも西を目指したろうね
何がなんでも西を目指したろうね
16:一色龍興:2018/04/07(土) 23:27:43.88 ID:QNKRoD/6.net
頼芸の正妻と側室が実の姉妹って真実か?
18:人間七七四年:2018/04/08(日) 00:14:19.66 ID:Wc4nT5h2.net
信長の美濃侵攻は実態がよくわからん
ちょうりゃく
ちょうりゃく
19:人間七七四年:2018/04/08(日) 00:16:12.70 ID:Wc4nT5h2.net
>>18
送信ミス失礼
信長は調略上手いイメージではないし
送信ミス失礼
信長は調略上手いイメージではないし
20:人間七七四年:2018/04/08(日) 00:16:14.19 ID:Axqi7a/2.net
優勢てか膠着状態という表現の方が正しいような
義龍も六角と組んで浅井殴ってたけど成果らしい成果挙げられてないしね
義龍も六角と組んで浅井殴ってたけど成果らしい成果挙げられてないしね
21:人間七七四年:2018/04/08(日) 00:24:37.72 ID:GEPV7Ut2.net
そもそもこのスレに信長と義龍の戦いをちゃんと調べている人っているの?
いままでレスを見る限り根拠がイメージばっかりに感じるんだが
いままでレスを見る限り根拠がイメージばっかりに感じるんだが
26:人間七七四年:2018/04/08(日) 13:28:28.22 ID:Wc4nT5h2.net
>>21
と言われても、入手しやすい谷口克広の本だと
美濃との戦は実態がよくわからん
みたいなまとめだし
と言われても、入手しやすい谷口克広の本だと
美濃との戦は実態がよくわからん
みたいなまとめだし
24:人間七七四年:2018/04/08(日) 12:23:36.27 ID:kTJSjRRG.net
肖像画を見たが、なんか木こりみたいな顔している
25:人間七七四年:2018/04/08(日) 12:50:37.59 ID:ReEuRSAn.net
ゲームのイメージで猛将だと思われてるからな義龍
少数の敵を自領内で十倍の兵数差で倒したことぐらいしか軍事実績ないのに
弱小だった頃の信長を潰さないで拡大を許したあたり戦略眼もあまりないのでは
少数の敵を自領内で十倍の兵数差で倒したことぐらいしか軍事実績ないのに
弱小だった頃の信長を潰さないで拡大を許したあたり戦略眼もあまりないのでは
28:人間七七四年:2018/04/08(日) 22:29:03.13 ID:yIxhOZ2N.net
美濃があっさり内部崩壊したのは義龍急死で中学生が当主になってしまったことが原因。
形式的な権力はあっても所詮は子供なので、おっさん連中が好き勝手に利権拡張闘争に走るのを止められない。
龍興がたとえ凡将だったとしても、せめて二十代後半で基本的な統治スキルを身につけた後の家督継承だったなら、そうそう簡単に崩壊したりはしなかっただろう。
形式的な権力はあっても所詮は子供なので、おっさん連中が好き勝手に利権拡張闘争に走るのを止められない。
龍興がたとえ凡将だったとしても、せめて二十代後半で基本的な統治スキルを身につけた後の家督継承だったなら、そうそう簡単に崩壊したりはしなかっただろう。
30:人間七七四年:2018/04/09(月) 02:58:50.83 ID:hEYeNSUC.net
>>28
そもそも義龍体制も晩年はかなり不穏だったという説があるから龍興はむしろ頑張ったと言ってもいいと思う
そもそも義龍体制も晩年はかなり不穏だったという説があるから龍興はむしろ頑張ったと言ってもいいと思う
29:人間七七四年:2018/04/08(日) 22:55:18.21 ID:Wc4nT5h2.net
織田が弱卒だったというのは個人の武勇どうこうじゃなくて
足軽の長槍に頼ってる部分が大きかったからなんだろうか
槍の長さを長くしたとか、そういうこだわりエピソードが残ってるくらいだし
足軽の長槍に頼ってる部分が大きかったからなんだろうか
槍の長さを長くしたとか、そういうこだわりエピソードが残ってるくらいだし
31:人間七七四年:2018/04/09(月) 03:17:30.92 ID:YogDUDkN.net
なんか宗教関係で揉めてたんだっけ
別伝の乱とかいうの
別伝の乱とかいうの
33:人間七七四年:2018/04/09(月) 07:01:39.84 ID:+l011euF.net
>>31
対立の深さはわからんが話し合い自体はかなり拗れたみたいだから、義龍は本当に病による急死なのか?という邪推をしてしまう
対立の深さはわからんが話し合い自体はかなり拗れたみたいだから、義龍は本当に病による急死なのか?という邪推をしてしまう
36:人間七七四年:2018/04/09(月) 19:38:49.57 ID:cfPsutjS.net
父親(義龍)が祖父と叔父たちを殺しちゃったから
頼るべき親族がいなかったというのも
大きいと思うよ
秀吉や頼朝もそうだけど親族を殺しすぎちゃ駄目だね
頼るべき親族がいなかったというのも
大きいと思うよ
秀吉や頼朝もそうだけど親族を殺しすぎちゃ駄目だね
42:人間七七四年:2018/04/10(火) 16:33:44.97 ID:mhhhnej0.net
義龍でも龍興でも結局信長は倒せんよ。
義龍はむしろ過大評価だと思うし
龍興は過小評価されてると思う、未知数の部分が多いが。
はっきり言って二人とも平凡な将だと思う。
道三と義龍の仲が良くて道三が生きていたなら
また色々変わってくると思うが。
義龍はむしろ過大評価だと思うし
龍興は過小評価されてると思う、未知数の部分が多いが。
はっきり言って二人とも平凡な将だと思う。
道三と義龍の仲が良くて道三が生きていたなら
また色々変わってくると思うが。
53:人間七七四年:2018/04/12(木) 18:10:06.02 ID:6Wffwzxg.net
>>42
別に信長を倒す必要など無い。
信長が畿内進出できたのは、たまたま三好政権の内乱期に濃尾二国を抑えて充分な兵力を準備できて、しかも将軍帰洛支援という名分が得られたからだ。
美濃崩壊があと10年遅れれば、畿内には別の秩序が構築されて信長が中央に進出する機会は失われ歴史が引っ繰り返る。
織田家自体は有力大名として生き残るかも知れないが、当然、秀吉や清正、正則みたいな人物は完全無名に終わる。
別に信長を倒す必要など無い。
信長が畿内進出できたのは、たまたま三好政権の内乱期に濃尾二国を抑えて充分な兵力を準備できて、しかも将軍帰洛支援という名分が得られたからだ。
美濃崩壊があと10年遅れれば、畿内には別の秩序が構築されて信長が中央に進出する機会は失われ歴史が引っ繰り返る。
織田家自体は有力大名として生き残るかも知れないが、当然、秀吉や清正、正則みたいな人物は完全無名に終わる。
54:人間七七四年:2018/04/12(木) 18:27:53.92 ID:yZzTruaH.net
実際のところ義龍ってどの程度の将なの?
このスレ頭から読んでもサッパリわからん
ゲームの影響からか自分も戦は強いってイメージあったけど
それも違うんでしょ?資料の少ない人物なのかな
このスレ頭から読んでもサッパリわからん
ゲームの影響からか自分も戦は強いってイメージあったけど
それも違うんでしょ?資料の少ない人物なのかな
57:人間七七四年:2018/04/12(木) 22:51:10.14 ID:vsgyK891.net
>>54
そもそも斎藤家自体の資料が圧倒的に少ない
義龍の晩年は家中が乱れてたことはわかるけど規模が全然わからないとか重臣が離反した時期が正確にわからないとかいろいろある
関連記事織田信長って最強のイメージ有るけど最初は斎藤義龍に連戦連敗してて岐阜落とせなかったんだぜもしも斉藤義龍や三好長慶が長生きしていたらそもそも斎藤家自体の資料が圧倒的に少ない
義龍の晩年は家中が乱れてたことはわかるけど規模が全然わからないとか重臣が離反した時期が正確にわからないとかいろいろある
コメント一覧
義龍が生きてたらってのは織田の近畿進出が遅れたらっていうのとイコールなんじゃないかななんて
でも信長にとっては狙うのは必然だから
意地ても殺そうとしたと思うねぇ。
寿命はともかく いろんな手で殺したんじゃないかな
最終的に滅ぼされようが斎藤が史実より粘るだけで全然話は変わってくる
義龍の求心力がどれ程かにもよるけど
遅らせることは出来ても押し止めることまではどうかな?ってイメージ
でも正直美濃攻めの基盤を整えてからの織田軍の動きの速さはマジでエグかったから義龍でもどうなったか
甲州征伐と同じくらい包囲されてたし大名の器関係なく国人が離れていくのは仕方ない気もする
それでこそ可能性としては六角と手を切って浅井と仲良くなる必要があるが義龍の時代で浅井と仲良くは不可能だし
龍興の場合、能力より年齢と家督相続の状況がネックな気が…。斎藤龍興って武田勝頼や真田昌幸より2~3歳年下だしなぁ。
1561年、斎藤義龍、逝去。享年33歳。斎藤龍興、13歳にして斎藤家家督を継ぐ。
1562年、織田信長、三河の松平元康と清州同盟を締結。織田家の東方を安定させる。
1563年、織田信長、小牧山城に本拠地を移転させる。家臣たちの屋敷を集住させた本格的な城砦。美濃攻め本格化の布石か。
1564年、織田信長、北近江の浅井家と同盟締結。前々年から叛いていた犬山城主の織田信清を降し、尾張を安定させる。
同年、2月から8月、竹中重治(20歳)と安藤守就(56~61歳?)が斎藤龍興(16歳)より稲葉山城奪取、半年間支配。後に龍興方が稲葉山城を奪還。
1565年、織田信長、中濃攻略を開始。東美濃と西美濃の分断が目的か。永禄の変。第13代将軍・足利義輝、弑逆される。享年29歳。
1566年、織田信長、中濃攻略を達成。美濃の東西分断作戦を成功させる。徳川家康、この頃には三河統一を達成。
1567年9月、織田信長、美濃攻略。濃尾二ヶ国の太守となる。斎藤龍興は国外へ逃亡。龍興、19歳。
暗愚と言われてる斎藤龍興ですら美濃三人衆やその親類が活躍してる間は負けなかった以上、織田が齋藤を潰すこともできない
そうなれば足利義昭がわざわざ越前から美濃に来る理由がなくなるし、信長は天下取りに行く時期も逃すことになる。
信長が優れた人物であることには変わりないですけれど、よほど運に恵まれて飛躍した人物でもあるんですよね
※9 の流れを見たら、斎藤家の当主の個人の能力以前に、周辺国との関係で不利すぎる。
美濃攻め最終段階時には織田は伊勢北半分も支配しているので、兵力も多いし、東も南の備えもいらない。
斎藤家と互角だった信秀の時とは、織田の力が数倍になっていそう。
越前近くで織田の次に手が空いた国ってどこやっけ?
武田晴信と信虎に似てるかな?
今川:総大将が強襲が届くような場所まで出張ってくる
徳川:狙いが被らなかった為、信長が死ぬまで同盟は堅持される。
齋藤:当主が病死した上に、後継ぎは佞臣を重用する暗愚
将軍:最初に駆け込んだ朝倉が容易に動けない家だったので、丁度美濃を平定した織田家に来る。
三好:な ぜ か 重臣や一族が相次いでご逝去した心労で当主も病がちになり重臣も離反
浅井:立地が重要だった状況で裏切った上に、やる事がことごとく裏目にでて滅亡
武田:いよいよ敵対&対面する直前に肺病でご逝去、後継ぎは立て直しに奔走するが右肩下がり
上杉:柴田勢をフルボッコにしたけどその後半年もしない内に寒ずりと酒の飲みすぎで病死
運が巡ってきたらが来たらサッと動けるように軍事と政治を整えた手腕もすごいけど、マジで巡り合わせがいいな…
それを考えると義龍健在時には一指たりとも美濃に手が出せなかったと言えるかもしれない
研究者の横山住雄氏は義龍健在なら稲羽山陥落は思いもよらないと評してるね
→その後若狭・越前を転々とするうちに信長が美濃制圧に成功したのでほぼ信長のみを頼りにしても十分な戦力を得られるようになり信長とともに上洛
ってのが史実の流れだから義龍が義昭が上洛を呼びかける時点まで美濃を保ったとして信長と協力して義昭を立てるのを受け入れるかどうかだよな
国力では美濃一国と尾張伊勢北半分で差はそこまでではないが敵を絞れる織田と四面楚歌の斎藤でやはり織田
時間をかければ結局織田が勝つだろうから小牧山時代が少し伸びたぐらいじゃねえの
現実に考えると武田は交通事情ハードすぎてほぼ来ないから浅井と織田が敵
六角と組んでればそんなに周り中敵ばかりってわけでもないんじゃない?
それ以前には美濃に侵入したことすらなく義龍というの存在の死がきっかけで美濃に侵入したと考えるのが自然
義龍は六角と同盟してて佐和山辺りまで近江侵攻を成功させてて浅井勢を破ってるんだよね
経済力も同等でしょう?
軍事力に至っては兵2万動員可能の斎藤に対し、尾張はどれだけ動員出来るだろうか
義龍を恐れて美濃侵攻をしていないとかじゃないっぽいけどなあ
一方斎藤は同盟は六角のみ、朝倉とは祖父の代から浅井は父の代から敵対してる関係な状況
正直義龍が存命してても織田浅井との同盟を止めれなかった時点で龍興と同じ未来歩んでたと思う
もっとやりあってるイメージだった
だとすると中濃・東濃の実力者長井道利が後見した龍興時代より家康と同盟した織田と戦うのは難しい可能性あるけど
だよなぁ。浅井は六角で相殺されてるし、
伊勢に戦線抱えてる分、信長の方が敵に囲まれてる感すらある
武田信玄同様、義龍は重臣たちが自分で担いだ神輿だし
斎藤家から美濃三人衆の離脱がないだけでも状況は全然違ってくると思うが
龍興が家督を継ぐタイミングで信長の美濃攻略に対する準備が整っていくんだよね
道三の敵討ちと言う御題目があったにせよ信長は義龍の時代に美濃攻略が出来なかったのではなく
当時の情勢では美濃に対して牽制しか出来なかったと言うのが実情だろうしね
当主が義龍であろうと龍興であろうと関係なく準備が整えば信長は美濃を攻略を始める為
美濃攻略のみで言えば何年早まるか何年遅くなるかと言う話だろうね
機内への進出時期に影響は出るだろうけど歴史の流れ自体はそこまで変わらないんじゃないかな?
随分と無理のある発想だ
今川をつぶした武田が徳川へ侵攻するのを、
5年、いや3年京への進出が遅れた信長が押しとどめることは難しい。
つまるところ、近畿地方の権威を足利義昭に頼らざるをえなくなると、
三好長慶のような形で天下を取るのではなく、
将軍を擁立する形でコントロールするんじゃないかと。
それまで一切美濃に手が出せてなかったのに
ただ、義龍が早死にしそうじゃなかったらそもそも道三との争い自体起きてない気がするなあ
だからこの場合道三と義龍が争いなかった場合、今川は斎藤の支援を含めた織田と戦うことになってきつくなる。攻め込むにはね。
この場合の織田も北より東との戦いが激化して、泥沼かもしれんな
戦国時代は長引きそう
百人程度ならともかく数千の人集めて兵糧集めて武具の用意してって大変よ
そもそも義龍の死とかその日のうちに信長が知っていたのかの方が疑問
戦争って兵糧やら、徴兵やら、装備やら本当に戦闘にいたるまでの準備が膨大で
ゲームみたいに今日から侵攻、なんていきなりできるものではない
なにより、臨戦態勢の軍を維持するためには膨大な費用がかかることからも
義龍の死は別にして、侵攻自体は計画通りだったのかも
ただ、だからって義龍が生きてても関係なく美濃が落ちたか?と言うと疑問符だが
義龍死ぬまで一切美濃に侵攻したことなかったのに
義龍の死を見て機を見るに敏な信長がすかさず行動したと考えるのがどう考えても自然だろうに
すごい発想するなぁ
武田と織田の手切は1571年
それまでは徳川は一応独力で北条やらと協調しつつ武田に当たってる
だから武田を押し止めるだのは関係ない
義龍の存在が障壁だったことは間違いないだろうね
賤ヶ岳七本槍の出自を考えたら必ずしも弱卒ではない
他にも初期の信長の馬廻とか
簡単に倒せないと思うけどな
それより急死2日でどうやって信長が情報仕入れたんだ?
普通伏せるよな、目の前に布陣してるのだから
いきなり動かないと逃げられると思ったのだろう
※53
美濃三人衆も裏切るし以前から織田から斎藤を乱す調略の者が入り込んでたのだろう
桶狭間後の6月2日に安八郡へ侵攻、さらに8月にも美濃攻めしてるんだからバチバチにやりあってただろ
天正に改元≠織田政権誕生
ここ勘違いする処
良質な史料では確認できないからね
※47
信長は馬廻り衆だけで出兵する事が何度もあったよ、桶狭間、義昭救出、刀根坂、天王寺などなど。
報告うけてすぐに集まれる親衛隊だけ率いて出陣する、他の連中は後からこい。
これが信長のスタンス
攻め込んでたとしても信長の侵攻を撃退しつつ近江侵攻を順調に成功させてるってことになるし
義龍が生きていようと意識混濁なら死んでいるのと同じ、無理して戦場に出てきて病状悪化しても寿命縮むだけ。
桶狭間、刀根坂は戦闘中で、臨戦態勢の全軍が後からついてこれる。
義昭救出、天王寺は、失うと困る人材救出で時間ないのもあるが、距離が数カ国をまたいでいるので、途中の国の兵が合流できる。
義龍の死を聞いてから出陣決定しても、後続の兵が集まれないし、当時は小牧山城が建設されていないので直属の兵も少ない。
美濃が友好国で、義龍の死を聞いて同盟破棄して急遽攻め込むなら、馬回り衆のみで十分だが、美濃とは敵対関係で相手も最低限の備えをしている。
相手当主の病気や死につけいって取るのが戦国時代の常
今川義元は松平広忠が死ぬまでは三河を取れなかったし
信秀が死ぬまでは尾張を取ろうと動かなかった
だから斎藤義龍が死ぬまでは信長も美濃を攻める事は出来ても取る事まではできなかったと思う。
コーエーのグラフィックイメージで龍興を見てたから無能だと思ってたんだ
放浪時代や宣教師から伝わる有能龍興の方が現実に近かったのかな?
ホント色んな意見を見れるのは面白いわ
徳川が遠江食って駿河に出てくるかもな。
落ち延びた後の龍興って信長相手に何度も戦ってるから再評価されてるけど
自分個人としてはあの話のお陰で余計に龍興の暗愚さが浮き彫りになったと思う。
尾張側の農繁期でも兵出してくる戦法で荒らされてるし、義龍の時代ですら
身内から離反者出してるし、時間の問題だったもの。
稲葉山城を落とさなくても美濃が手に入るのなら問題は無い
降伏したからと言って稲葉山城に斎藤氏が居続けられるわけでもないし
義龍は道三を討った後の領内の仕置きから領土拡大が出来なかったのがなぁ
信長の尾張統一も阻止できなかった、桶狭間の前後でなにかしていたっけ?
特に三人衆なんか土岐→道三→義龍とその場で都合のいい方についていたような連中だし、北と東の国が味方に付かず西と南の国から攻められ始めたってなると甲州征伐よろしくドンドン離反者は出てきそう
西から攻められるどころか浅井は義龍に劣勢だし
信長や秀吉が「鍛えなきゃ」って言ってたからってだけ
なんでそれで他の兵練すら考えなかった雑魚地方が
うちは強い強い言い張るのか分からん
リアル知らんかったし佐和山城や義龍関連でググっても同時期だと別伝の乱ぐらいしか引っかからなかったからソースあるなら戦いの名前だけでも教えて
特に合戦名が付いてないが浅井勢を破った家臣に義龍が労いの書状を出してる
っていう安易な結び付けをしたからじゃないかなぁ
最初に尾張兵は弱兵って言い出した本ってどれなんですかね
最初かは知らんが三河物語はそういう尾張弱兵で三河強兵みたいな記述があったのは覚えてるで
信秀時代から三河の武士団は織田と今川に挟まれて、両方の勢力に支配されていた。そもそも強ければ三河の石高と人口多いので、属国にはなっていない。
松平は2代続けて、家臣に殺されているし、忠義者か疑問。徳川が忠義者であって欲しいという願いも込めて公言したようにも思える。
徳川史観以上に信長革命児史観の犠牲者って感じよな
信長や配下の兵が普通に勝ってのし上がりましたじゃ物語的に面白くないから
弱兵だったからこそ革新的な工夫で勝ったキリッってふうにされちゃう
尾張兵というか少なくとも弾正忠家の兵は強兵だろう
→それに勝った武田兵は強兵
→それと戦ってた上杉兵は強兵
→それと戦ってた一向衆は強兵
→それと戦ってた尾張兵は強兵
以下無限ループにならんか?
※92
三河物語にそういう記述あったんですか、これはもう一度読み返してみないとなぁ 情報ありがとうございます
三河物語なんかでの徳川史観とその後に来た信長革命家史観の悪魔合体的な感じなんですかね
>徳川が忠義者であって欲しいという願いも込めて公言したようにも思える。
戦国時代では主君と家臣が折り合い悪く、話が纏まらずグダグダで有名な三河者ですから
織田信賢や織田信勝が反信長を掲げて斎藤義龍頼ったときもなんにも出来ていないまま2つとも信長に滅ぼされてる
桶狭間で義元が大敗して今川が衰退した時点で斎藤の命運など決まっていた
長井道利でググれ
外交努力は龍興の方が色々と頑張ってるのよね
先を越されたが浅井との関係修復に走ったり、武田と親善を図ったりと
その辺りの義輝は幕府の権威を取り戻そうとして50年後半〜60年前半までの間にかなり諸外国へ働きかけてたし
あの時の義輝は幕府復興の為かなり節操なく役職や偏諱与え回ってたんだし
ここの攻勢を義龍なら防げたかどうかってのが肝になるんじゃないのか?
桶狭間で義元を討って徳川と同盟してからになるわけで義龍の寿命はここまでに尽きている
義龍が強かったから攻め込めなかったのか、信長が本格的に攻めていなかったのか
人によって解釈が変わるから難しいんだよなぁ
なんでそこまで義龍の能力を信長以上に設定したがるんだ
仮に義龍が直率してたら新加納の戦いでボロ負けしてそのまま龍興のように雪崩を打って寝返りが起きていた可能性も当然あるわけで
・何度も挑発に乗らず慎重に戦ってきた義龍が何故か突然攻める
・超有利な地形を捨てて、少数にも関わらず不利な沼地へ進軍する
・そこで戦わず何もしない
って条件なんだけどマジ?
指揮官が違えばそもそも別の場所と状況で戦いになったかもしれんわけだし
そこまで義龍不利な状況を設定しないと勝てないとか無理がありすぎる
というか研究家が義龍健在なら信長は上洛はおろか稲葉山陥落も無理だろうと考察してるしね
問題は守就含む家臣の離反動機やと思う。佞臣寵愛酒と遊びに溺れるとか散々な書き方されてる龍興だが、一方で別伝の尻拭いを済ませたり美濃侵略を考える対織田に浅井武田との外交を進めたりと割と活発に動いてる。それに稲葉山乗っ取り時、守就に同調する家臣が少なかったのを見るに離反動機の龍興に原因があるとは思えないのよね
なぜそう言いきれるのか
守就謀反時点の龍興は局地戦で信長を何度も追い払っている以上美濃の国人からしたら「頼りがいのない幼君」やら「バカ殿」ではなかっただろうに
なぜここの※欄はここまで義龍を過大評価するのか
信玄が生きていれば上洛作戦成功して武田幕府になってたと主張してる研究者がいるから信玄が生きていれば天下取れたと言うようなもんだぞ
龍興の求心力が無くなっていたことは谷口克広氏も指摘してるな
北条や毛利、島津だけかな?離反ほぼ無かったのは
そりゃ主家が滅びそうだから保身のために離反するわけで
滅んでないのに離反する理由がない
大正義徳川
侵攻を防ぎ続けてた斎藤は滅びる予兆なんて無かったのに1565~1566に裏切りの連鎖で崩壊したぞ
なお上杉謙信
義()
上杉の主な離反って大熊朝秀と北条高広、本条繁長くらいかな。本条繁長は武田の調略に乗ったパターンで鎮圧されてるし、大熊朝秀は離反の理由に謙信個人はあまり関係ないし、北条高広は関東の国衆化が原因だしなぁ。
そもそも上杉は「義」なんて唱えてないし
「大大名から主家が滅びそうだから離反した」の反例としては十分では
龍興におべっか使って竹中半兵衛や安藤守就を蔑ろにしたり、書によっては半兵衛に小便をかけて
その仕返しに半兵衛の稲葉山城乗っ取りの際に殺されたなんて話もあるし
こいつを重用したせいで龍興が暗愚として見られた佞臣の代表として引き合いに出される。
でも主君と同じ苗字なのに悪い事以外の記録が全然わからん。
滅んだ家の滅んだ理由付けに近臣を佞臣であるとこじつけるのは良くありますよね、三好家に対する松永弾正しかり武田に対する長坂釣閑斎しかり豊臣に対する大野治長しかり
実際には運が悪いあるいは当主の選択ミスで滅ぶ場合が殆どなんだけど、それだと納得できないから当主以外の悪者が欲しいという感じで
というか守就が土岐→道三→義龍→龍興→信長→最期までの経緯を見るに相当野心のある人物だし、乗っ取り事件自体ガチで乗っ取るつもりだったんじゃね?としか思えんのよね
撃退しても織田に損害なく、何度も攻めてこられたら、国境の国人は田畑荒れるし、援軍に駆り出される他の地域の国人は出費が増えるだけ。得るものは何もない。逆に攻め込んでいけば、略奪できるだろうけど。
タダ働きを同然の戦を何年も続けるようでは、大名を国人は見放す。
信濃の村上も、武田に軍事的勝利を複数しても、配下の離反で国外逃亡を余技なくされた。斎藤の場合は、織田の有力家臣を討ち取ることも出来ていないので、更に不利なような。
合戦の結果だけで断言する人達との温度さよ
美濃を落す為に万全の準備をして攻め続ける信長に対して
有効な手を義龍&龍興が行えたか?と言う話になるんだと思う
後の上洛や近畿への進出等を交えずに美濃だけを考えるのなら
稲葉山城は落とされなくても信長にジリジリと追い詰められて
家臣団が瓦解し降伏か国外逃亡と言う路線が濃厚なんじゃないかと