
親が苦労して大きくした家を一代で駄目にした無能戦国大名四天王といえば龍造寺重家、今川氏真、大友義統
1:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 13:53:00.30 ID:0.net
あと1人は?
2:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 13:55:27.87 ID:0.net
無能オブ無能こと豊臣秀頼
3:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 13:55:56.48 ID:0.net
丹羽さんは親が苦労したことになりますか?
4:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 13:56:41.12 ID:0.net
秀頼は血縁ないからセーフ
6:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 13:58:16.21 ID:0.net
あほいえ
7:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:02:32.78 ID:0.net
勝頼さんは父親がアホなだけで無能じゃないからね
8:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:03:16.39 ID:0.net
豊臣秀頼
武田勝頼
武田勝頼
9:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:03:25.17 ID:0.net
毛利
10:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:04:13.31 ID:0.net
織田信雄
11:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:04:51.63 ID:0.net
血縁ないのは秀次だろ
いや秀次も血縁ないまで言うとおかしいか
いや秀次も血縁ないまで言うとおかしいか
12:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:05:20.19 ID:0.net
五大老の1人宇喜多秀家だな
13:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:05:27.60 ID:0.net
勝頼って無駄に再評価されてるけど無能だろ
14:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:05:46.56 ID:0.net
養子だが小早川秀秋
15:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:06:05.90 ID:0.net
武田家の滅亡はどう考えても信玄が悪い
16:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:07:00.74 ID:0.net
家は残したけど毛利輝元
でも考えてみたら輝元は孫だな
でも考えてみたら輝元は孫だな
17:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:08:18.36 ID:0.net
黒田家や山内家は戦国から幕末までよく続いたよな
もっと古いのは室町から続く細川家もやな
もっと古いのは室町から続く細川家もやな
18:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:11:36.14 ID:0.net
斎藤道三が一代で築いた美濃を潰した斎藤竜興
33:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 15:41:19.49 ID:0.net
>>18
3代目だろ
3代目だろ
36:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:22:30.66 ID:0.net
>>18
斎藤龍興は桶狭間後の織田信長相手に6年間も戦い続けた
滅亡後も各地を転戦し信長と戦い続けた生粋の武将という見方も出来る
斎藤龍興は桶狭間後の織田信長相手に6年間も戦い続けた
滅亡後も各地を転戦し信長と戦い続けた生粋の武将という見方も出来る
19:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:12:31.02 ID:0.net
朝倉義景
20:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:15:11.28 ID:0.net
加藤清正が一代で築いた肥後熊本藩を潰した(改易された)二代目当主の加藤忠広
22:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:21:42.24 ID:0.net
長宗我部盛親
25:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:26:23.79 ID:0.net
三好義継
26:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:27:51.50 ID:0.net
大内義隆
27:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:28:41.94 ID:0.net
北条氏政は?
28:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:37:51.85 ID:0.net
織田信忠といってはいけない風潮
29:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:47:48.58 ID:0.net
勝頼は逆張りしてるやつが多いけどやっぱ無能
高天神城?知らんわ
高天神城?知らんわ
31:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:50:10.36 ID:0.net
確かに信忠な
最後の判断が悪かったな
あれじゃ無能のそしりは免れんわ
最後の判断が悪かったな
あれじゃ無能のそしりは免れんわ
32:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 14:51:02.10 ID:0.net
無理するな
見当違いだ
見当違いだ
34:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:12:50.18 ID:0.net
秀頼はふつうの大名じゃないし23くらいで死んでるから無能とはいえないだろう
36:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:22:30.66 ID:0.net
>>34
豊臣秀頼の本格的外交は1611年徳川家康との二条城の会見が初
実戦は1614年大坂冬の陣が初
晩年夏の陣のその年齢もあるし
戦略や陰謀無関係の時代に平和の世のため教育された不幸もある
武田信玄・勝頼、織田信長、豊臣秀吉、真田昌幸、石田三成といったバケモン相手に
戦ったり関わったりして成長した家康と比べるのはかわいそうだ
豊臣秀頼の本格的外交は1611年徳川家康との二条城の会見が初
実戦は1614年大坂冬の陣が初
晩年夏の陣のその年齢もあるし
戦略や陰謀無関係の時代に平和の世のため教育された不幸もある
武田信玄・勝頼、織田信長、豊臣秀吉、真田昌幸、石田三成といったバケモン相手に
戦ったり関わったりして成長した家康と比べるのはかわいそうだ
35:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:21:48.43 ID:0.net
秀頼に発言権がないから
ヒステリーのおばちゃんとその愛人一族でみんな決めてたし
ヒステリーのおばちゃんとその愛人一族でみんな決めてたし
37:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:29:30.76 ID:O.net
氏真たんは自己保身能力だけは異常に高い子
結局それが一族再興に繋がったという皮肉
結局それが一族再興に繋がったという皮肉
38:名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:34:10.93 ID:0.net
蜀滅亡の後、魏に投降していた劉禅はその身柄を洛陽へと移されました。
彼を宴会に招いた魏の将軍、司馬昭が「蜀が懐かしくはないですか?」と尋ねると、
「ここは楽しい。蜀のことなど思い出しもしない」と笑って答え、
周囲を唖然とさせたと言われています。
見かねた劉禅の家臣が
「あのような質問には『先祖の墳墓もある西の国(注:蜀は洛陽から見て西にあります)を
思い悲しまない日はありません』とお答えください」
と諌めると、司馬昭は同じ質問を繰り返しました。
劉禅は家臣に言われた通りの答えを返し、周囲はその発言に大笑いをしたということです。
司馬昭はそんな劉禅の様子を見て、
「こんな愚鈍な男が君主だったのでは、たとえ孔明が存命していたとしても、
蜀は滅亡を免れ得なかっただろう」と言う感想を残しています。
関連記事織田家衰退戦犯といえば?武田家滅亡の戦犯が勝頼という風潮彼を宴会に招いた魏の将軍、司馬昭が「蜀が懐かしくはないですか?」と尋ねると、
「ここは楽しい。蜀のことなど思い出しもしない」と笑って答え、
周囲を唖然とさせたと言われています。
見かねた劉禅の家臣が
「あのような質問には『先祖の墳墓もある西の国(注:蜀は洛陽から見て西にあります)を
思い悲しまない日はありません』とお答えください」
と諌めると、司馬昭は同じ質問を繰り返しました。
劉禅は家臣に言われた通りの答えを返し、周囲はその発言に大笑いをしたということです。
司馬昭はそんな劉禅の様子を見て、
「こんな愚鈍な男が君主だったのでは、たとえ孔明が存命していたとしても、
蜀は滅亡を免れ得なかっただろう」と言う感想を残しています。
コメント一覧
こうやって答えるんやでって言われてその通りに答えたなら阿呆なりの進歩やんか。笑わんでもいいやん。
同じ質問をその場で繰り返すとかふざけとんのか。
というわけで秀家を推す
って、それだけで無能じゃないですかー
無能っていうと語弊あるけど
望郷の念はないとして反抗しない意思表示
馬鹿の振りして危険視されない
そもそも劉禅さんが何かできたわけでもないしな
商業地区抑えてるとはいえ親父が大事な時期に死んで周り敵だらけから無双した信長、みたいなケースもあるし何とも言えんな
殺されたのが25歳なんで情状酌量の余地はあるけど
やってることが政治力のない伊達政宗
スーパーDQN
父が残した阿波三好家を潰した大戦犯
クッソ生意気なこと言った孫皓も普通に生かされてるし馬鹿に見られて良いことある時代じゃないで
あれを処世術と見るのは時代背景理解できてないわ
孫皓がイキった相手は司馬炎で
司馬炎は批判とか言論に対して比較的自由だったけど
劉禅が相手にしたのは司馬昭やで
司馬昭は兄貴と一緒で色んな陰謀・政変に関わってるから陰謀家扱い受けるぐらい恐れられてたって相手の違いも考慮しようね
外交は裏目しか引いてない
鄧艾が独立企てたり、姜維が鍾会を抱き込んで大反乱(未遂)起こしたりしてるから、
迂闊なこと喋ったら殺さることは無いとしても、終生監禁状態に置かれる可能性大だぞ。
改易組なら加藤明成とか加藤忠広、前田茂勝、坂崎直盛あたり
劉禅に入れ知恵してる郤正も殺されてるだろ
織田・徳川に敵わなかったとはいえ。
何で処世術とか言い出すのが出て来るのか不思議
奸臣を重用し酒色に耽って政治を乱して他国から暗君認定され滅ぼされるのも
弱小国主ならではの処世術だったのかな
だとしたらそれを未然に防いでいた諸葛亮は無能になるな
あと滅んだ側は基本悪く書かれるし人気も出にくいから再研究進みにくいよね
秀頼はー、荒れる話題だとは思うけれど正直自爆だしなぁ・・・、最期の大野に腹切らせるから助けてってのは正直大名どころか一手の大将としてどうなのってレベルだと思うし・・・
あの若さで崩壊の原因ともいえる片桐且元が出ていかないように派閥が分かれている家中まとめるのは至難の技、しかしこれを出来てこその有能であるというのも当然なのでやっぱり無能と言われれば否定できない。
あと10年早く生まれていればねほんと
鍾会の乱に重臣の姜維や張翼らだけでなく、長男で蜀漢皇太子の劉センが関わって死んだんだから馬鹿のふりしなきゃ危ないんだよなぁ・・
司馬炎だけじゃなくて曹奐や献帝の処遇を見ても魏晋は寛大アピール大好きでしょ
劉禅の態度が演技だったら郤正を評価することが遅かったとか言わないだろうし、
そもそも宴会のたった一言で殺すか殺さないかを決めるとか司馬昭馬鹿にしすぎだろ
そらそうよ
元敵の妾腹の子が兄が死んだことでいきなり大名だからな
昔ながらの親族としては穏やかじゃなかったろうな
長篠でも親類衆が妙な動きしてるし
まあしゃーない
禅譲した先帝と僭称扱いの劉禅を同列に語るとかさすがにねーわ
家の凋落そのものに本人の非はないけど、
最後のトドメを刺したのは本人の不手際
劉禅有能論者なんて所詮逆張り君ですよ
相手にするだけ無駄
あと宗麟の悪行エピソードもどうも嘘が多いとか、家臣の女寝取ったとか猿けしかけて遊んだとかのやつですね
ほいで島津の猛攻で大友家もうアカンかもってところで、家臣に乞われてピンチヒッター的に復帰して秀吉にナシつけて復興の目途までつけてるから普通に最後まで有能だったっぽい 親として教育失敗してるやろと言われるとぐうの音も出ないけど
それにつけてもここまでお膳立てしたのを全部ぶち壊した義統くんのすごさよ
こいつだけあんまり誇張じゃないんだろうなあ感がダンチ
浅井長政も有能なんだろうが、最終判断のマズさが…
あと、長宗我部の盛ちゃんが抜けているような気がする…
大阪の陣の時の対応がダメすぎる。
最初から籠城ってのがまずダメ、大阪城に籠っておまえら助けてくれじゃ、誰も動かない、大暴れしてお前ら俺についてこいじゃないと
冬の陣での講和もダメ、そのまま籠城しとけばよかった、力押しで攻めさせてもって被害ださせてもいいし、
相手が根を上げるまで籠ってもよかった、流通の中心である大阪に籠っているわけでその間経済が止まるので日本全体に絶大な影響があったのにね。また当時の大砲なんて100発も撃たないうちに壊れるものだし、おまけに当時の大砲じゃ城どころか船も沈められない性能なんだし。
夏の陣でも城に籠って終わりとかね。確かに戦場で雑兵に首とられるのは武士としては恥であるが、七手組率いて打って出るくらいやれば家康の首くらいならとれただろうに。
あの逸話はどうしようもない君主として笑いものになったという話なのに
処世術なら郤正の入れ知恵を用いることもないだろうし、郤正にそう諭すだろう
呉の使者にもすぐに暗愚と見抜かれ、孫皓とは違い機知を示す逸話なんてひとつも残ってないのが劉禅だぞ
せいぜい凡庸というべきだ
しかしこのエピソードに限っては結構異彩を放っている
入れ知恵されるまでこういうことに気付かなかったとすれば笑い者以前にさすがに異常で現在でいう発達障害を疑うほどだ
ところがそうなるとえらく長いこと安定して皇帝をやっていたっていう点が異様になる
やはり処世術で馬鹿のフリをしただけでそこまで馬鹿ではない(べつに特別賢くもないが)とするのが一番自然に感じる
上杉…景勝…
大友義統に並べる器じゃない。あれの評価できる事績は没落しきった後に文書録まとめた事くらい
あと誰も突っ込んで無いけど龍造寺重家って誰だよ
これだと上杉憲政がまさしく神余親綱との仲介に奔走してたのにそのメンツを景勝につぶされてブチギレながら景虎を当主に立てようとした乱の張本人の一人になってるみたいで、これまでのなんかしらんけど巻き込まれて死んだとは人物像とは違った見方されてますね
にしてもこれが本当だとその後の新発田重家への扱いも含めて景勝ちょっとマッチポンプすぎる・・・
ていうか景勝ってただの人質でしょ。養子になった記述すら怪しい
それはどの研究家の説?
逆に何も考えてないから家臣に全てを任せられたんじゃね
姜維に黄皓を殺すよう忠言されたらそのことを教えて黄皓に謝らせに行かせるとか
知能というか察する能力に乏しい感じするし
司馬昭との問答の劉禅も素で言ってる感じある
尼子晴久は一門が力持ちすぎてやばかったり、おじいちゃんが幾ら何でもやり過ぎてたってのは見たけど
氏直は一時期やらかしたのはほぼ全部氏直本人って風潮いちじきあったけど、あれからどうなったのか
無理じゃね?
本当に徳川、根をあげるほど困っていたかどうか
あのまま豊臣が開城しなくて食糧足りるか?
徳川は運べばいい気がするんだが
そりゃ高値かかる無理は承知でね
なぜかムキになって否定されるが
実際発言筒抜けなのに危ないやろ
まあ家滅ぼしてるから結局※53かな
ああ演義以外のことは俺にはわからん
包囲している側が食糧危機になっていたのが大阪の陣だからね
秀吉の所の奉行連中のような天才集団は江戸幕府にはいなかったし
尼子晴久と北条氏直が同列になる意味がわからんのだが
氏直は滅亡時の主君だが晴久は勢力拡大時の尼子の主君で急死しただけだろ
晴久が死ななかったら尼子と毛利の勢力は拮抗していたはず
逆に豊臣は今までそのノウハウを持ってた京都所司代と片桐且元と手切れしてしまっているので、果たしてその辺りうまく機能しているかどうか
>>長いこと安定して皇帝をやっていた
費褘が亡くなる253年までは父の遺言に従い諸葛亮に、諸葛亮の遺言に従い、蒋琬・費褘に全権委任しただけで
それからすぐに黄皓を重用して国政を乱したとあり、魏内でも慎重論が多かった遠征であっけなく国を滅ぼしてる
もっと酷いのがっていっても暗愚、暴君と言われる人間でも君主以外の面では能力を示してる人間が多かったりする
劉禅は全く能力を示す逸話はなく、後主伝は統治の下での事実の列挙状態
他の暗君、暴君と同じようなことしているのは各伝に分散して記録されてる
呉の使者にも一度の面会で暗愚と見抜かれてるあたり、発達生涯のほうがよっぽど可能性がある
想像だけを働かせて、記録を曲げてまで実は馬鹿な振りだなんてありえないよ
あれもなかなかだろう
信雄ねじ込まれ後の北畠嫡流ってマジでどうしようもない立場だったんじゃないかね
木造とかの裏切った一族や家来がいっぱい生き残ってるし何にも出来ないまま死んじゃった後に好き勝手書かれたんじゃないか?
まあ乗っ取られ前も特に功績は残してないし乗っ取られ後でも具教は粛清される程度に警戒されてるからやっぱりガチ無能だったって見るのも一理あるけど
大友義統はまぁちょっとさすがにね
鄧艾も劉禅を厚遇して呉の降伏を誘えって言ってるし劉禅は一応生かしておいて意味のある人物でしょ
わざわざ殺して呉の抵抗を強める必要はないし暗殺もされないんじゃないの
暗愚という評価は君主としてのものだから君主以外の面で能力を示しているから暗愚じゃないというのはおかしい
蜀は国の規模からも人材の層の厚さからも滅ぼされるのが順当なわけで劉禅はそのわりにはよくやったと褒めていいぐらいだ
叛乱を疑われて粛清された人が言うと説得力が違うな
そう、だから鄧艾のように才も兵も土地も野心もない劉禅をわざわざ殺すなんて意味がないということだな
こういうことを言う奴は当時の状況を全く分かってない
蜀の国力は魏に簡単に滅ぼせるほど低くはないし、人材もしかり
西晋代の史書魏晋世語には時の蜀の官属は皆な天下の英俊であったとかかれてるし
李驤、杜軫の2人が論議すると、西晋朝廷には付いていける者はいなかったなんて記録も晋書にはある
霍弋や羅憲は魏に降伏後そのまま呉との最前線に配置され、そこで功績を挙げてる
劉禅はこの2人をしっかりと用いることすらできてない
劉禅の降伏から約40年後蜀の地で西晋から独立した李特は
劉禅はこのような地にありながら、降伏したというのか。何という愚かなことかと嘆息してる
この成漢も暗君が即位するまで滅ぼされることはなかった
劉禅が実は賢かったとか、よくやったなんて史料を全く見ずなんとなくの印象で語ってる
どっちにしろ第6次くらいの北伐で経験豊富な将も兵もほぼ死んどるから無理す
逆に滅亡したのに有能な奴なんておらんやんけ。
有能やったら滅亡してないもんな。
むしろ生き残りチケットほぼ確定してたのに家潰した義統とかの戦国時代後半の連中とかが余計にやばいんすよ
幕府高家の今川家として再興したという希少過ぎる経歴と才能持ちな人物
劉禅の価値はさておき、
40年昔を同列に語るその人の言葉がどうかとは思う
それにその人本人が成功したから言いたい放題ってのはある
親のやらかしで苦労させられた感じが凄いな
一応旗本とか高家として大友家を存続させることはできてたけど
李特が言ったのは土地の険しさのことで実際蜀は険しいし別に言ってもいいんじゃないかな
さらにそのすぐ後ろに蜀有倉儲,人復豐稔,宜令就食。て書いてたり
後漢書にも蜀は庶民でも莫大な貯蓄があるくらい豊かな土地だと書かれてる。
蜀ってのは剣閣の険阻とその先を越えると広がる肥沃な大地を併せ持ってる
なんとなくイメージの山に囲まれた辺鄙な枯れた土地だと思ってる人が多いから劉禅はこんなに弁護されるんだろうな
益州だけで中原の四分の一の人口があるんだけどなあ
鄧艾の迂回作戦も蜀側には把握されてるし、鄧艾対策に起用した諸葛瞻が敵前で撤退しなければ…
霍弋の援軍を断らなければ…、張翼らを早期に漢中に送っていれば…
普通にあの時点でもいくらでも蜀存続ルートは存在しただろう、後の李特、李雄がそれを証明してる
織田信雄は清州会議後、親の財産から100万石を相続したのに転封拒んで没収
各地を流浪したのち、大坂の陣では徳川の間者として働いて5万石の大名として再興したという希少すぎる経歴と才能の持ち主
そう考えると人物はともかく、今川氏真も織田信雄も大名としては同程度の能力で、しょせん家柄で生き残っただけとも言えると思う
代々の名門を文弱化させて、クーデターであぼーんさせたんだからよ。
諏訪家「武田のモンが偉そうに」
信玄「お前武田菱持つなよ」
勝頼「」
ぐうかわいそう
どこが?ってなるわな
あと「どうすれば滅びなかったか」の答えが大名やめるとかそういうのしか出てこないし
負けたけど。
おまけにその後甲斐の山猿が襲ってきてそれどころじゃなくなるけど
徳川に移った時も駿河を治める武田には行かなかったあたり相当武田に対しては恨みあるんだろうな
勝頼に対して優しく接したのが兄の義信だけという時点でもうね・・・
結局,駿河の交易で勝頼時代まで武田は支えられた。
当時の武田に今川攻め以外の選択はなかった。義信が反対するなら粛清もやむ無し。
氏康みたく生前に息子への引き継ぎを行わんと。
只でさえ養子からの出戻りで舐められやすい境遇なんやから。
助けるという名目で乗っ取ればよかった
そのつもりだったなら露骨すぎたな
それ巻き込まれて死んだだけ…
巻き込まれる時点で身の振り方がおかしかった
どうしようもなかったとしても
子供がそんな死に方したら劉禅としては「だけ」で済ましてる場合じゃない
あれは兵士の暴動だから、身の振り方うんぬんの問題じゃない
成都は略奪にあい、宮城が焼け落ちるという惨状、怪しまれたからとかそういう理由で殺されたわけではない
劉禅は司馬昭にあの答えで人とはここまで無情になれるのかと、呆れられ
その後に郤正の言葉を鸚鵡返しにして笑いものになってる、馬鹿の振りだったら郤正の助言なんて受け付けないよ
弁護のしようがない