戦国時代の日本の軍事力
1:人間七七四年:2013/05/27(月) 05:35:21.75 ID:w6CgFrwD.net
関ヶ原前後の日本軍の戦闘力は、世界で比べるとどれくらいの強さよ?
輸送抜きにして考えてみよう。
輸送抜きにして考えてみよう。
2:人間七七四年:2013/05/27(月) 05:45:24.34 ID:w6CgFrwD.net
先にインカ帝国見つければインカ帝国くらいのとこは制圧出来るよね?
3:人間七七四年:2013/05/27(月) 05:59:40.07 ID:PqjcO/n8.net
強さなんて、特にこの時代はどこで戦うかどう戦うか何を目的に戦うかで違う。
単純比較は全く意味が無い。
単純比較は全く意味が無い。
10:人間七七四年:2013/05/28(火) 06:48:23.31 ID:X23H1RAv.net
日本は弱かったと思う、明の方面軍にボロ負けしてるし
244:人間七七四年:2015/07/03(金) 00:24:40.38 ID:FWXW0TnQ.net
>>10
おいおい、文禄慶長の役で、朝鮮に送られた明軍は、
明全土から集められた精鋭だぞ。
日本軍対明軍は主な戦いで10戦あるが、
日本軍9勝
明軍 1勝
その1勝ちでさえ、明朝鮮連合軍61000人が1万人前後の小西行長軍を
和平と偽って騙し討ちにしたものだ。
それでも小西行長軍を殲滅できずに城を明け渡す方針に切り替えて城を奪還したんだよ。
明軍も大損害を出している。
おいおい、文禄慶長の役で、朝鮮に送られた明軍は、
明全土から集められた精鋭だぞ。
日本軍対明軍は主な戦いで10戦あるが、
日本軍9勝
明軍 1勝
その1勝ちでさえ、明朝鮮連合軍61000人が1万人前後の小西行長軍を
和平と偽って騙し討ちにしたものだ。
それでも小西行長軍を殲滅できずに城を明け渡す方針に切り替えて城を奪還したんだよ。
明軍も大損害を出している。
11:人間七七四年:2013/05/28(火) 07:08:57.41 ID:NL44dUxg.net
そのくせ中国側の正史である「明史」では
『明は手のうちようがなかった。秀吉が死んだおかげで撤退してくれた』とはっきり書かれているんですがこれは
『明は手のうちようがなかった。秀吉が死んだおかげで撤退してくれた』とはっきり書かれているんですがこれは
12:人間七七四年:2013/05/28(火) 14:45:22.68 ID:NyrxHQyP.net
日本がダメだったのは後方の文治官僚が前線の武将を非難して処罰を扇動したせいで
内紛状態に陥ったのが原因だからな
むしろその状態でも秀吉が死ぬまで持ったというのはすごいことだろう
内紛状態に陥ったのが原因だからな
むしろその状態でも秀吉が死ぬまで持ったというのはすごいことだろう
14:人間七七四年:2013/06/02(日) 20:59:53.48 ID:u8j7CiBZ.net
待てよ。当時の明は(少なくとも量は)世界最強と言っても過言じゃないだろ。
20万の大軍勢をボコれる欧州の騎士()がどこにおんねん。
その明を苦しめてその破綻の一因としたり朝鮮()をフルボッコにしたりしたんだからからその結果に満足しようぜ。
20万の大軍勢をボコれる欧州の騎士()がどこにおんねん。
その明を苦しめてその破綻の一因としたり朝鮮()をフルボッコにしたりしたんだからからその結果に満足しようぜ。
16:人間七七四年:2013/06/03(月) 05:28:26.06 ID:XRPHvPYZ.net
>>14
戦争は数じゃないって事は鳥羽伏見の戦いなど推挙を厭わない
戦争は数じゃないって事は鳥羽伏見の戦いなど推挙を厭わない
17:人間七七四年:2013/06/03(月) 10:18:24.77 ID:GXVVatW8.net
戦争は数で決まる
数を覆せるのは装備性能・会戦時の士気・地勢・指揮官の能力など覆せるだけの状況が整った時だけ。
戦争が物量や兵力で決定されるのは軍事学の基本で、孫子も言ってる
数を覆せるのは装備性能・会戦時の士気・地勢・指揮官の能力など覆せるだけの状況が整った時だけ。
戦争が物量や兵力で決定されるのは軍事学の基本で、孫子も言ってる
18:人間七七四年:2013/06/03(月) 10:43:39.39 ID:/PN1c+Y4.net
って事は数だけじゃないやん
19:人間七七四年:2013/06/03(月) 10:48:27.76 ID:ZG6sX/HA.net
だけではないというだけで数の占める割合が圧倒的に多いのは間違いない
これは軍事学の基本中の基本で、
ナポレオンの戦術も数的優位な状況を作り出すため、大軍を集中して敵戦力の弱点を個々に各個撃破するという
数の理論を生かした戦術だった。
これは軍事学の基本中の基本で、
ナポレオンの戦術も数的優位な状況を作り出すため、大軍を集中して敵戦力の弱点を個々に各個撃破するという
数の理論を生かした戦術だった。
20:人間七七四年:2013/06/03(月) 11:40:53.97 ID:8mohmn0C.net
戦力の質(装備、練度や統制など)が同等なら、数が多い方が勝つ
逆に言うと数で劣る方はそれを覆すだけのプラスアルファを用意する必要がある
数は絶対ではないが、重要なファクター
逆に言うと数で劣る方はそれを覆すだけのプラスアルファを用意する必要がある
数は絶対ではないが、重要なファクター
21:人間七七四年:2013/06/03(月) 11:55:01.31 ID:GXVVatW8.net
ナポレオンの戦術の基本原則を構成しているランチェスターの法則によると
各軍の実践での戦力比は兵力の2乗×武器性能比で表される。つまり武器性能が2倍程度劣っている程度なら、
兵力が2倍いれば覆せるという事だ。実際には指揮官の戦術能力や軍の統制度、偶発的条件や地勢なども加わってなかなか
原則通りにいかない事もあるが。
各軍の実践での戦力比は兵力の2乗×武器性能比で表される。つまり武器性能が2倍程度劣っている程度なら、
兵力が2倍いれば覆せるという事だ。実際には指揮官の戦術能力や軍の統制度、偶発的条件や地勢なども加わってなかなか
原則通りにいかない事もあるが。
24:人間七七四年:2013/06/03(月) 13:38:38.30 ID:PhvoHnfx.net
あげ足とるようで悪いんだけどランチェスターさんはナポレオンさんが生まれた100年後の人ですよ
ナポさんが言ったとされるのは「戦力=兵数*速度^2」の方
ナポさんが言ったとされるのは「戦力=兵数*速度^2」の方
25:人間七七四年:2013/06/03(月) 14:04:49.28 ID:GXVVatW8.net
26:人間七七四年:2013/06/10(月) 00:04:18.46 ID:hTRVJ6RE.net
いくら数多くても士気が低いと負けるのは必定
対馬に攻め込んだ朝鮮の大軍が少数の守備兵にボロ負けしてるの見ればこれは明らか
数なんて作戦や士気次第でいくらでも覆せる
対馬に攻め込んだ朝鮮の大軍が少数の守備兵にボロ負けしてるの見ればこれは明らか
数なんて作戦や士気次第でいくらでも覆せる
27:人間七七四年:2013/06/10(月) 01:25:58.37 ID:f6aJtU/i.net
そんなゲームみたいに簡単にいくわけないし
士気が下がりやすいのも寡兵の方
実際戦いを見ると寡兵の方が寝返り・抗戦せず降伏、逃亡など非常におきやすく勝っても領土広がらないから士気も上がらず
長期戦になったら糧道断たれたりして簡単に枯渇する
兵力差が覆ってるのは地形による補正が大きい・寄せての指揮官が馬鹿か間抜けで油断してる・寡兵側の戦術があざやか、装備性能に差がある、偶発的条件に見舞われるなど
特定の条件を満たした時だけ。普通にガチンコで正面から同じ条件の兵がぶつかりあえば100%大軍側が勝つのが戦闘
つうか普通に考えりゃわかるだろ。20人と10人に同じ条件で殴り合いさせて10人の方がかつなんてありえないんだし
20人側は10人分の攻撃を20人で分散して受ける事ができるが10人側は20人分の攻撃を集中して受ける事になるし
実践での戦力比は400対100の比になって現れるほど圧倒的に数の影響度は大きい
戦争は数で決まる
数を覆せるのは装備性能・会戦時の士気・地勢・指揮官の能力など覆せるだけの状況が整った時だけ。
戦争が物量や兵力で決定されるのは軍事学の基本で、孫子も言ってる
士気が下がりやすいのも寡兵の方
実際戦いを見ると寡兵の方が寝返り・抗戦せず降伏、逃亡など非常におきやすく勝っても領土広がらないから士気も上がらず
長期戦になったら糧道断たれたりして簡単に枯渇する
兵力差が覆ってるのは地形による補正が大きい・寄せての指揮官が馬鹿か間抜けで油断してる・寡兵側の戦術があざやか、装備性能に差がある、偶発的条件に見舞われるなど
特定の条件を満たした時だけ。普通にガチンコで正面から同じ条件の兵がぶつかりあえば100%大軍側が勝つのが戦闘
つうか普通に考えりゃわかるだろ。20人と10人に同じ条件で殴り合いさせて10人の方がかつなんてありえないんだし
20人側は10人分の攻撃を20人で分散して受ける事ができるが10人側は20人分の攻撃を集中して受ける事になるし
実践での戦力比は400対100の比になって現れるほど圧倒的に数の影響度は大きい
戦争は数で決まる
数を覆せるのは装備性能・会戦時の士気・地勢・指揮官の能力など覆せるだけの状況が整った時だけ。
戦争が物量や兵力で決定されるのは軍事学の基本で、孫子も言ってる
37:人間七七四年:2015/02/01(日) 20:46:38.36 ID:cVh8PurW.net
ぶっちゃけ硝石の自給ができない時点で問題外だよね
弾丸に使う鉛すら国内で完全に自給できない状態だったし
弾丸に使う鉛すら国内で完全に自給できない状態だったし
38:人間七七四年:2015/02/02(月) 00:38:12.37 ID:eDDD3+w8.net
硝石の自給出来る国が例外的だろ(笑)
39:人間七七四年:2015/02/02(月) 01:50:02.51 ID:ZLriS0A/.net
>>38
ヨーロッパのほとんどの国はもともと硝石が産出する土地ではなかったのに
13~14世紀に硝石醸造法を編み出したことで一気に火薬兵器の利用が広がりました
また、インドには天然の硝石が産出する場所があり、ヨーロッパが自給できるようになるまで輸出も行われていました
たしか同じような場所が東南アジアにもあったと記憶しています
当時火薬革命の進む中で硝石を自給できないのはむしろ珍しい出来事だったのではないでしょうか
ヨーロッパのほとんどの国はもともと硝石が産出する土地ではなかったのに
13~14世紀に硝石醸造法を編み出したことで一気に火薬兵器の利用が広がりました
また、インドには天然の硝石が産出する場所があり、ヨーロッパが自給できるようになるまで輸出も行われていました
たしか同じような場所が東南アジアにもあったと記憶しています
当時火薬革命の進む中で硝石を自給できないのはむしろ珍しい出来事だったのではないでしょうか
40:人間七七四年:2015/02/02(月) 04:37:15.96 ID:eDDD3+w8.net
インドやウクライナから大量の硝石輸入してたヨーロッパがなんだって?
41:人間七七四年:2015/02/04(水) 22:42:55.32 ID:UHF1PetF.net
産業革命以前の社会では硝石は自給が大原則ですが?
産業革命後、大量徴兵制度が確立してから硝石は自給できなくなりました。
自給で賄えるほど硝石を自国生産できなかったからです。
硝石が再度、自給できるようになるのはWW1の独以降です。
産業革命後、大量徴兵制度が確立してから硝石は自給できなくなりました。
自給で賄えるほど硝石を自国生産できなかったからです。
硝石が再度、自給できるようになるのはWW1の独以降です。
42:人間七七四年:2015/02/05(木) 01:28:04.50 ID:jw221U/q.net
入手方法はともかく硝石も鉛も必要なだけ有った訳で問題ないんじゃない
43:人間七七四年:2015/02/05(木) 15:07:01.77 ID:59BvyrhA.net
本当に必要なだけあったのか?
硝石や鉛が十分になかったせいで滅亡した大名とか居そうだが
硝石や鉛が十分になかったせいで滅亡した大名とか居そうだが
46:人間七七四年:2015/02/06(金) 12:02:19.09 ID:BRdKrcv7.net
>>43
そこで具体的な例が挙がらない時点でお察しという感じだな
そこで具体的な例が挙がらない時点でお察しという感じだな
44:人間七七四年:2015/02/05(木) 18:40:37.45 ID:j/AOo0Ld.net
火薬の欠乏で戦争の出来なかった大名ってたとえば誰になるのかな?
45:人間七七四年:2015/02/05(木) 19:34:10.58 ID:fmA7XNoB.net
>>44
毛利家ですら元就時代に既に硝石は自国生産で賄っているからな。
(古文書が遺っている)
とても思いつかない。
毛利家ですら元就時代に既に硝石は自国生産で賄っているからな。
(古文書が遺っている)
とても思いつかない。
47:人間七七四年:2015/02/06(金) 13:32:28.76 ID:sNUsOMrG.net
『検証・長篠合戦』だと武田方の敗因の一つに慢性的な弾薬の欠乏が挙げられてたけどな
50:人間七七四年:2015/02/06(金) 20:10:36.42 ID:ANvBtwVf.net
>>47
弾薬というか鉛の不足な。
弾薬というか鉛の不足な。
48:人間七七四年:2015/02/06(金) 16:44:02.58 ID:BiNTs3jR.net
>>47
それが史料に裏打ちされた説ならいいんだがね
それが史料に裏打ちされた説ならいいんだがね
53:人間七七四年:2015/02/06(金) 21:43:15.41 ID:sNUsOMrG.net
>>48
天正三年の軍役定書で火薬と弾丸300発分を用意するようにとあるけど
これはそれまでには見られなかった記述で武田氏が長篠合戦後に
弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたことを表してるとしてる
天正三年の軍役定書で火薬と弾丸300発分を用意するようにとあるけど
これはそれまでには見られなかった記述で武田氏が長篠合戦後に
弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたことを表してるとしてる
54:人間七七四年:2015/02/06(金) 21:56:54.54 ID:DVLco06/.net
>>53
宇田川武久氏は長篠の戦い以後は以前より弾丸・火薬というより鉄炮自体をより重視するようになったと指摘しているね
宇田川武久氏は長篠の戦い以後は以前より弾丸・火薬というより鉄炮自体をより重視するようになったと指摘しているね
55:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:00:42.49 ID:sNUsOMrG.net
>>54
それはそれでちょっと変だな
鉄砲の量を増やしたところで火薬がなければただの棍棒だし
それはそれでちょっと変だな
鉄砲の量を増やしたところで火薬がなければただの棍棒だし
56:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:02:11.04 ID:DVLco06/.net
>>55
ちょっと言い方がおかしかったか
弾丸・火薬もそうだが鉄炮も一層の増備を求めたという感じ
ちょっと言い方がおかしかったか
弾丸・火薬もそうだが鉄炮も一層の増備を求めたという感じ
57:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:21:19.38 ID:uyESoe16.net
長篠の戦い以後は鉄砲も弾薬も増やした。いわゆる火力を増強したってだけで、
弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたとは読み取れない。曲解だな。
弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたとは読み取れない。曲解だな。
59:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:38:09.87 ID:uyESoe16.net
欠乏してるならなら大金のかかる鉄砲は増やさないだろ。
かつかつならただの棍棒増やしてもしょうがないしね
かつかつならただの棍棒増やしてもしょうがないしね
60:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:41:13.74 ID:sNUsOMrG.net
>>59
だから同時に火薬の量も増やそうとしたんだろ
無理して二兎を追うのは良くあること
だから同時に火薬の量も増やそうとしたんだろ
無理して二兎を追うのは良くあること
63:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:48:41.15 ID:sNUsOMrG.net
>>60
だからそれまでとは違うのは明確に弾丸・火薬の数量を規定したことにあるんだよ
単に鉄砲を増やしてその分火薬・弾丸も増やすってだけじゃなく最低限これだけは無いとダメってことにしたわけ
だからそれまでとは違うのは明確に弾丸・火薬の数量を規定したことにあるんだよ
単に鉄砲を増やしてその分火薬・弾丸も増やすってだけじゃなく最低限これだけは無いとダメってことにしたわけ
62:人間七七四年:2015/02/06(金) 22:47:14.07 ID:ANvBtwVf.net
武田は長篠の後、鉄砲の弾薬を200発分準備しておくようにと軍役の内容を改定している。
長篠合戦の敗因を、戦闘中に弾薬が枯渇したことにあると武田が分析していたのではないか、と類推される内容と考えられている。
長篠合戦の敗因を、戦闘中に弾薬が枯渇したことにあると武田が分析していたのではないか、と類推される内容と考えられている。
64:人間七七四年:2015/02/06(金) 23:05:57.13 ID:uyESoe16.net
じゃあ別視点で、
一挺300発の玉薬は小田原の陣前の北条氏の規定や江戸時代の軍役よりも格段に多い
欠乏してるならこんな無茶な要求はしないはず。相手の火力を上回らんが為の増強が主眼と推測する
一挺300発の玉薬は小田原の陣前の北条氏の規定や江戸時代の軍役よりも格段に多い
欠乏してるならこんな無茶な要求はしないはず。相手の火力を上回らんが為の増強が主眼と推測する
65:人間七七四年:2015/02/07(土) 00:21:24.71 ID:vA1SS0WK.net
つかヨーロッパの弾薬定数の数倍か。
実は日本は玉薬天国だったのね。
実は日本は玉薬天国だったのね。
67:人間七七四年:2015/02/07(土) 05:59:30.11 ID:qVO/WtLe.net
>>65
火薬は戦国時代以前から交易品として輸出してたから
製造や運用自体はかなり古くから有った
戦国期に火縄銃が伝わると需要が増えて
どの大名でも武器としての火薬を製造、備蓄するのが普通になったんだろう
火薬は戦国時代以前から交易品として輸出してたから
製造や運用自体はかなり古くから有った
戦国期に火縄銃が伝わると需要が増えて
どの大名でも武器としての火薬を製造、備蓄するのが普通になったんだろう
68:人間七七四年:2015/02/07(土) 06:29:09.57 ID:DKtI3TKy.net
というか炸裂弾のたぐいは戦国以前から合戦に使われていた。
応仁の乱では火薬を詰めた壺に火縄を付けて投石機で打ち出す兵器のことが記録されている。
応仁の乱では火薬を詰めた壺に火縄を付けて投石機で打ち出す兵器のことが記録されている。
69:人間七七四年:2015/02/07(土) 08:49:27.78 ID:rzq+OVHV.net
長篠以後の天正四年の軍役状だけど弾薬の増強だけじゃなくて
「鉄砲上手歩兵の放手あるべし」ということをまず最初に書かれているんだよな
後は天正三年十二月の書状も
「向後長柄を略し、器量之足軽を撰び、鉄砲持参、併て忠節たるべし」
「弓・鉄砲鍛錬なき之族、一切持参せしむべからず之事」
とやはり鍛錬のいきとどいた放ち手とセットにして要求している
ただし弾薬の要求はない
少なくともここからは長篠の敗因が火薬の欠乏ってのは見出しにくい
それよりもまず鉄砲自体とそれを扱う熟練の放ち手を必要としていたのは伝わってくる
「鉄砲上手歩兵の放手あるべし」ということをまず最初に書かれているんだよな
後は天正三年十二月の書状も
「向後長柄を略し、器量之足軽を撰び、鉄砲持参、併て忠節たるべし」
「弓・鉄砲鍛錬なき之族、一切持参せしむべからず之事」
とやはり鍛錬のいきとどいた放ち手とセットにして要求している
ただし弾薬の要求はない
少なくともここからは長篠の敗因が火薬の欠乏ってのは見出しにくい
それよりもまず鉄砲自体とそれを扱う熟練の放ち手を必要としていたのは伝わってくる
70:人間七七四年:2015/02/07(土) 14:53:11.48 ID:BdPsJETA.net
火薬がなければ鉄砲の訓練もできないので火薬の欠乏は練度不足にもつながるがな
106:人間七七四年:2015/02/08(日) 11:18:51.00 ID:kpuIhMVb.net
そういや豊臣と対立した明と宣教師が硝石止めて日本をひやがらせてやるぜって
策謀したけど何ともなかったな
策謀したけど何ともなかったな
コメント一覧
精強さで連戦連勝しながら、
大陸の広大な領土に埋没するだろうなあ。
強さで見れば世界屈指でも、
治安維持や統治のために兵を割くには、
戦国時代の日本では人口が少なすぎ。
戦闘での強さと戦争での強さは異なる。
ま、モンゴルみたいに虐殺できればそりゃ強いだろうけどさ。
ヨーロッパはこの時代、情勢的に海軍力は高いけど、動員数考えたら一強状態のスペインはともかく他は微妙。
おそらく確実に陸戦であの時代の日本に勝てるのはオスマントルコな気がする。
もう少し後になれば、オランダとか戦術や戦略が洗練された国が出てくるけど。
あくまでも内戦で鍛えられた戦力だから
海軍力と兵站力はお世辞にも高くないし、
国外への投射戦力としては中の下くらいじゃない?
例えばインドに派遣出来る戦力比較とかなら
欧州に及ばないと思う
日本軍ってものをちゃんと認識するのは秀吉の唐入りだろうか
やってなかったらナメられてガンガン来てたのかな
ムガル帝国はアクバル大帝の治世でサファヴィー朝はアッバース大帝の治世
オスマン帝国も全盛期
たまには1650年頃鄭成功支援して中国攻め込む架空戦記くらいあっても とも思う
倭寇の流れで海上では日本刀大活躍してるぽいし 日本の長崎なのに鄭成功人気いまいち
… 島津経由で信繁の息子とか秀頼とか由井正雪とかロマン枠武将だらけにとか 義勇兵扱いで数千人おくりこむとか
300年後白軍で実現してるか 300年前は倭寇か
スペイン>>>オスマントルコ>ポーランド・リトアニア、ムガル、日本、後金>フランス、ロシア、明
とにかく銀の生産が目立つ100年だと思う
その後のオランダやらロシアやら三十年戦争で何もかも変わるんですけどね
ヌルハチ台頭の遠因に挙げられてたような記憶があるんだけど自信は無い
日本が江戸時代に突入してしばらく経った時期の30年戦争では、独立して活動するひとつの軍隊の規模が3万名を超えてくるようになり、ヴァレンシュタインが軍税制度を採用して一挙に十万単位の大軍団を動員できるようになった。欧州との比較で言えば、戦国時代真っただ中であれば人数的に(そしておそらく質的にも)日本が優位に立てただろうが、17世紀前半になってくるとトントンになってくると考えていいと思う
欧州はこの時期に人口が大きく増えていくということもあるけれど、それ以上に軍隊に支払う給与システムが確立されていったことが大きい。日本では16世紀後半に、織豊政権化における石高制に完成をみるようなカタチでの米を基軸とする経済システムが日本各地で浸透し、それを前提とした一種の傭兵システムがいち早く成立していたために、あっちこっちで数千数万の軍勢が動員されたり、最終的には日本の半分しか支配できてない秀吉の下で20万もの大軍団を関東へ派遣したりということが可能になっていた。けれどもそうした規模の動員は徳川幕府のもとで安定的な平和を享受する中で、言ってみれば100年以上も戦時体制を続けていたのがようやく平時の経済体制に移行したことで、すぐに不可能になっていく
干上がらせず冷やがらせてどうするw
枚挙に暇が無いの間違いかな?
渡海した面子見ただけで同時代のほとんどの軍隊に負けないの分かるだろ
欧州全土あわせてやっとオスマンと戦える程度当時の欧州はさほど強くない。
※8
満州族やモンゴル、ビルマなどと戦っていた最精鋭を集めたけどボロ負けだったな。中国は異民族との勝率は低い
朝鮮出兵で負けてないとか明軍は方面軍でなく精鋭とか、何十万もいて数では日本軍を圧倒してるとか、日本軍は少数で打ち破って何万も討ち取るとかさ。
明らかに方面軍だし、10万も動員してないんだよね、一合戦で何万も討ち取ったられたら、どう考えても軍として維持出来んよね?
日本軍の方が数としては多いし、朝鮮軍と合わせて良くてトントンだろ。
戦いの目的でも違うしさ、明らかに日本軍の負けだよ。
調べれば直ぐに分かることなのにね。
内戦は延々とやってたけど外征は朝鮮が初めてだしなぁ。
結局兵站で行き詰って終わりだろ?
総合力で考えれば軍事力の定義に収まる気がするが。
>日本軍の方が数としては多い
んー。慶長の役も終盤の時期、つまり明軍が大挙して日本側の拠点に攻勢をかけて島津とかが大活躍した一連の作戦に関して言えば、人数的には恐らく明軍は多かったと思うよ。
日本軍が大量に動員したのは文禄の役において15万名、これは秀吉のそれ以前の戦争見れば分かるけど明らかに人数が少なくて、おそらく秀吉自身が軍団率いて渡海してくる前の地ならしの意味を持たせた先遣部隊だったと考えられる。で、ご存知のように戦略目標見失ったまま兵站維持が困難になり、そこへ明軍の来援を受けて撤退。慶長の役ではもう初めだけ威勢よく騒ぎに言って、あとは半島最南端の倭城へ逼塞。当時の軍隊は進軍してる時はいいんだけど、停止するとあっという間に兵粮食い尽くすので、城へ引きこもってる時点で十万規模の軍勢なんか貼り付けていられない。物理的に無理。
そこへ、一応は真面目に日本軍ぶっ潰すつもりで大挙派遣されてきた明軍が攻撃をかけるわけだが、相手は当然、日本軍の規模の大きさを覚悟してやってきてるわけで。名護屋城まで下がっちゃえばともかく、拠点防衛に終始している時期の日本側がこのときの明軍を兵数で凌駕していたとは到底思えないな。そのうえで実際の戦闘・作戦面において、明軍は日本軍から明確な勝利判定を引き出すことに完全に失敗している
明軍の公称兵力を信じる必要が全然ないってのと、戦略的に日本側が失敗したってのは、心配しなくてもさすがにみんな分かってると思うよw まぁ後は勝利条件が何だったのかってのが議論になるところだ。何で朝鮮なんか攻めたの?ってのはさておけば、戦闘ではほとんど負けなかったってのもまた事実なわけで
堤防築いたらヌルゲーになったモンゴル帝国さんやんけ!
感覚おかしい九州系だし確かに面白いかもね
お前みたいな無知な奴がいるから困るんだよなあ。
李如松 ボハイの乱を鎮圧に参加
李如梅 名前からわかるとおり弟
麻貴 同じくボハイの乱鎮圧の指揮官
董一元 同じくボハイの乱に参加
劉綎 ビルマのバインナウン(タウングー朝を最盛期に導いた英雄、タイからインドの一部まで征服した)を追い返した
鄧子龍 同じくビルマを打ち破った
いわば当時の中国では貴重な実戦経験のある将軍と精鋭を全土からかき集めてそれでもボコボコにされてんだよ。
文禄では五万程度で同程度で大敗しただけだけど、
慶長の時になると日本軍は留守居以外の軍は本土にかえり、城には一万いるかいないか程度しかいないのに10万ぐらい率いて連戦連敗。最後には軍を維持できなくなっている。
明らかに日本軍の圧勝といっていい
少し調べればわかる事だぞ
そもそも加藤清正が本土攻めあぐねてるわけで。
実は元寇防塁では少なくとも史料上はロクに戦闘が起こってないって知ったときは驚いた
元軍が上陸した離島に日本軍のほうから上陸作戦かけたり防塁使わず攻勢に出まくってて草生える
外洋に出られない日本の船が、沖で明のジャンク船と撃ち合いになると厳しいはず。
モンゴルは防塁を見て、ない所に上陸して陣地を建設、日本が攻め落とし、船で別の所に逃げて陣地建設、日本が攻め落とすの繰り返し、最後は船が沈んで置き去りにされた軍に日本が突撃で終わった。
手間暇かけて防壁建設したが幸いなことに出番あまりなかったような。防御陣地を攻め落とすという不利な戦いでも、日本が圧倒出来た。
防壁あるのにいつまでも沖合でウロウロして上陸せず、嵐で壊滅だとモンゴルが馬鹿すぎる。子供時代はあり得んだろうと思っていた。
欧州組は海軍力が非常に高く大砲も優秀で門数も多いけど、兵力が圧倒的に少ない。
野戦でぶつかる場合、どこでも野戦築城する日本(堀や柵、土塁の本格土木だけでなく土を詰めた俵で即席防壁も作る)が優勢だけど、攻城戦や海戦では欧州組には勝てないね。
その代わり敵の銃砲火の中を突撃する時は生き生きとしてたので海外の従軍記者が驚いてる。
そのノリで太平洋戦争まで行ってしまったのが残念だけど。
その貧しい土地をめぐって隣国が大軍を送ってくるわ言葉の通じない現地民も労働者としての価値が低かった。
財宝もないし、衛生状況最悪で疫病の巣だし、寒いし。
最初はイケイケだったのに現実を知ってヤル気を失った。
なぜか最初からやる気が無く太閤のゴリ押しみたいに言われるけどね。
加藤清正は支配地域の咸鏡北道を攻撃してくる女真族ワルカ部を討伐するために満州に行っただけ
そもそも方向が明とは真逆の沿海州方面だから
やる気はないが奪う気はあるでは
勝てるわきゃないよ
わかっちゃいるけどやめられないあるだろ
当時の地図だと小さな半島(九州程度)に九州から出航、まさか米がとれるのは南部の一部のみの寒くて貧しい土地なんて想像しようがない。商人介して予め情報収集しても、正確でないだろうし。
金銀財宝食料に溢れる豊かな土地なら、大名たちも必死になって遠征して、太閤の意志や生死関係なく、遠征の継続を望んだろうけど。
外国から攻められても良いように、半島の歴代王朝は敢えて道路や橋、田畑を整備しないで、国土全体を難攻不落の要塞にしたという記事が昔あったが、ないよな。
半島の主食が1970年までアワヒエ、トウモロコシ(1900〜)ってあまり知られてないよな
北朝鮮なんて今でもトウモロコシ主食だし
江戸時代から国内鉱山開発でガッポリってのも皮肉
戦争目的を達成してないので戦略的には負けだと思うけどな
日本の戦争が失敗するときはだいたいこのパターンなんだよな
じゃあ明が勝ったかというと弱体化しちゃって滅んじゃうから…だが
まあ2回目は
秀吉もそれを理解して半島南部の確保という現実路線に転換して
その試みはおおむね成功したが
結局秀吉が死んでしまったので徒労に終わった
はいお子様確定
そのソースとなってる本の作者が歴史学者ではなくただのエッセイストってどこまで信用していいかわからんのよね
10人と20人で同じ条件だったらとか言ってなんになるんだよ
鍋島直茂は朝鮮に領地を欲しがってたらしいけどな
これに(銃以外の武器や兵種にも言えるけど)軍役に表れない武装や兵がどの程度プラスされるかって話やね
おおむね成功しているのかねえ。秀吉死んだら撤退は既定事項だし、秀吉が近く死ぬのが分かっているから追加の援軍も出す気実際なかっただろう。追加の援軍の投入次第で成功か失敗か決まるんだから、そもそも残存部隊が沿岸部の城守っているだけで「おおむね成功」と定義できる意味が分からない。
戦略的には全然勝ってないのに、緒戦で勝ちましたで、なんか戦略的に勝利した気分なのが軍事を知らない平和ボケしたお子様で、そのお子様が当時のお偉いさんだったら、この戦い確実に負けてたけど、当時の戦国武将達はそこまでバカはないので、不利を悟って、撤退は皆の既定事項だったと。
本当、当時はお子様いなくてまだマシだった訳だ。
そのうち半数が鉄砲装備してたとしても日本には遠く及ばないだろう
欧州の大国の兵力が10万規模になっていくのは30年戦争から
ただしトルコとムガルは日本より多い可能性はある
追加の援軍は決定済み
というか慶長の役は元々沿岸部に在番の兵を送るのが目的で他の兵は帰国した
そしてあらかじめその後の本格侵攻が予定されていた
そして明が総力を挙げた一大反攻作戦である三路の戦い全てが
その在番の兵に敗れて失敗し大きな打撃を受けた
秀吉が死ぬまで慶長の役自体はその目的を達成していたんだよ
もちろんその後の本格侵攻が成功するとは限らないが
連合軍が三路の戦いの打撃から立ち直れたかどうか…
追加の援軍って慶長4年だよ。あえて慶長3年を外している。(秀吉の死期が近いのが分かっているから。)秀吉以外に戦争継続する気がなくて、皆早く撤退したい状況で、どうやって勝てと。
再出兵の計画は秀吉が病に伏せる前の手紙に見えるし
そもそも計画していたのは秀吉だぞ
まだ本人すら死期を悟ってないでしょ
時系列がめちゃくちゃですわな
2、3年かけて人員を交代しながら遼東境目まで焼き働きに攻め込んでいくっていう方針を書いてて
終わりに、来年の派兵では朝鮮の都まで制圧すると書いてあるから
秀吉としては時間をかけて朝鮮全土を制圧する気だったようだね
同じ年の5月22日付に寺沢正成に送った書状にも
来年大人数を送るから、それまでいずれの城々も丈夫に在番に務めるのが肝要である
この事を、よくよく各々へ申し渡しておくようにって命じてるから
倒れる前まではやる気だったっぽいね
初戦で明朝鮮海軍を壊滅させ制海権を確保、朝鮮南部の明朝鮮軍を蹴散らし、その間に南部に築城する。
冬になる前に兵の大半は返し、留守居部隊だけが駐留する。城に籠った軍を撃破するために明朝鮮軍は何度も襲い掛かってくるが、悉く撃破され追撃で大損害を受けている。沿岸部の城に限定したことで補給も用意になり、日本の拠点を落とそうとやっきになってくるが、何度押し寄せても負けその間に城に弾薬や食糧が備蓄されていっている。
で、第三次征伐の軍が起こされる前に秀吉が死んでしまった。
最初から最後まで秀吉の手のひらの上で踊っていたのが明朝鮮軍
時系列が滅茶苦茶ってか、そもそも、なんで慶長3年に追加の援軍派遣しないの?結果(秀吉が生きていたとしても)1年何もしとらん事になるのよ。そりゃ命令は秀吉の文言になるでしょうや。しかし、実際秀吉自身の判断なのか、家臣の説得なのか。1年悠長に何もせず?常識的に考えて、意味不明だけど、秀吉の死期が近くて、秀吉が死去したら撤兵が諸将の共通理解なら、別に意味不明でもなんでもない。
いやさ、(勝っていた)で何を主張したいの?慶長4年出兵が秀吉の意思だったら、どうなの?それは実現性があったの?勝ち目があるんだったら、秀吉が死のうと継続しようとかいう声は出なかったの?
実際、戦争を継続する気なんて秀吉以外誰もいなくて、現場の士気はダダ下がりで、こんなんで「勝つ」余地なんてないでしょうがな。実際に勝つ展開なんて予想しえないのに、俺のシミュレーションなら勝ってたといわれても知らんがな、って感じ。いや、それとも現地軍は士気はうなぎのぼりで、あと一歩で成功していたのに、やむなく秀吉の死で撤退した、みたいなストーリーを考えているの?当時や当時に近い史料にもそんなこと言っている史料はないんだが。
1年何もしてないから→やる気がなかったはずだ(やる気があったことを示す秀吉の書状は無視)
秀吉亡き後やる気がないから→やる気がなかったはずだ
お前の勝手なシュミレーションだろ
実際倭城攻防戦で勝ちまくってんだし、
明も「秀吉の死がなければ終わってた」って言ってんだから諦めろアホ
大河や山脈や海の向こう側、つまり橋頭堡の確保は面積支配を大きく左右する。ただの点や線ではない。
だから明軍のプロフェッショナルたちも血眼になって取り返そうとしてきた。
病気にもなってもいない秀吉の死期をどうやって悟るんだよ
戦国武将は超能力者の集まりか何か?
遠征の準備で年をまたぐなんて普通の事だしな
秀吉が死なず予定通り本格侵攻があったとしても勝てるかどうかはわからない
だが少なくとも慶長の役はその作戦目的を達成し
向こうの認識は以下の通りだった
明史・朝鮮伝「戦争開始以来7年、十万の将兵を喪失し百万の兵糧を労費するも、明と朝鮮に勝算は無く、ただ関白の死によって戦争は終わった」
朝鮮王朝実録・宣祖実録「三路に分かれた明・朝鮮軍は溶けるように共に潰え、人心は恐々となり、逃避の準備をした」
まず、現地調達に頼らずに補給ができるように慶尚道に食料を備蓄することと、
明の援軍を慶尚道まで派兵させて、いたずらに食料を消耗させ朝鮮から明軍への食糧の拠出が不可能に
なるように、あえて時間をかける作戦をとったんじゃないかな
在番に残った武将の負担が半端ないけど、耐えきることができる武将達を慶尚道各地に置いた感じだし
追加の援軍派遣はする必要がないから、留守番組だけで十分城は守れると秀吉は判断した。その通り城はおちず取り返そうとしてきた明朝鮮軍は三路の戦いで大敗した。
守れるのに兵力を増やせばその分兵糧の消費量が増える。
慶長の役は第三次の大攻勢の為に食糧を備蓄しておくのが任務なので、相反する事はしない。
そして渡海していた連中は威勢いい事ずっと言っているんで、やる気ないってのは後世の創作
シミュレーションな
そしてひとさまをアホ呼ばわりするとはみっともないな
秀吉を崇める人間はみんなこうなのか
秀吉がかわいそうだ
ナチス研究してるやつはナチス好きみたいな小学生論理かまさず普通に議論しろやお互い
所詮和製英語なんだからどっちでもいいだろ
アホはただの事実だろメンタル豆腐かお前
で、内容には何にも反論できないんだな
やっぱアホだな
なにがどっちでもいいだよ 英語だぞ 和製英語じゃねー
高校生かよ
親の顔が見たいわ
このくにやべーわ、なんかしらんけどほとんどの一般人が兵士になるし
いつも戦争してるのに全然衰えねえむしろ栄えてる、あたまおかしい
みたいなこといってなかったっけ