
秀吉「息子の事頼む…ガク」家康「お任せください!!」秀吉家臣「家康さん凄い!」
1:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:19:38 0xS
家康「よっしゃ!!秀吉の息子!秀頼死ね!!!!!!!!!!!!」
ドガーンドガーン!!!!!!!!!!
秀頼「うわああああああああああ」
秀吉家臣「うおおおおお!!家康さん凄い!!!!!」
この流れ凄くない?
ドガーンドガーン!!!!!!!!!!
秀頼「うわああああああああああ」
秀吉家臣「うおおおおお!!家康さん凄い!!!!!」
この流れ凄くない?
2:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:20:27 J9X
ちょっと何言ってるかわからないです
3:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:20:36 2h8
それまでの流れからすりゃ普通やろ
やらん理由が無いわ
やらん理由が無いわ
4:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:20:38 Ikj
畜生にも劣る外道家康
5:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:21:26 2h8
秀吉のワンマンチームだったから秀吉居なくなったら滅びるよそら
7:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:23:03 zYH
あんだけ家康に力もたせたら今後は家康主導で政権が動くんやろなって誰でも思うよ
8:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:24:20 SQ6
家康よりも秀吉に世話になってたのに一緒になって息子討伐に来る腰巾着の方がムカつく
こいつら家康が衰えたら絶対裏切るやろ
こいつら家康が衰えたら絶対裏切るやろ
15:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:31:34 zYH
>>8
100万石増加してもらって内大臣の位をもらった家康が豊臣潰すんやからみんな俺が裏切ってもしゃーないってなるやろ
100万石増加してもらって内大臣の位をもらった家康が豊臣潰すんやからみんな俺が裏切ってもしゃーないってなるやろ
9:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:25:26 OVs
畜生は秀吉なんだよなぁ
10:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:25:32 Hgr
ノブシゲ「秀頼様~!ワシはついて行きますぞー!」トツゲキー
11:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:26:28 Ikj
表裏卑怯の者とはこいつの事や
13:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:30:58 FfL
何十年ぐらい間を挟んだと思っとるんや?
むしろ家康は猶予を与えてるんだよなあ
むしろ家康は猶予を与えてるんだよなあ
14:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:31:09 OVs
秀吉と信長の畜生度に比べたら家康なんて神様みたいなもんやろ
16:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:31:43 k2h
家康は譲歩して豊臣家残そうとしてたやろ
一応摂関家と同格扱いしてたんやろ
一応摂関家と同格扱いしてたんやろ
18:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:34:02 UlW
秀吉「養子、取る!w」
秀次「はっ(関白)」小早川秀秋「はっ(中納言)」
秀頼「おんぎゃー!」
秀吉「秀次邪魔やからなんもしてないけど殺すわ!w」
秀次「ぐえー」
秀吉「いさめる家臣と一族も殺すわ!wたのしーww」
秀次妻「」
小早川秀秋「兄さん・・・」
秀吉「お前もどっかいけ」(コバヤカワオクリー)
小早川秀秋「ふぁ!?親父・・・」
秀次「はっ(関白)」小早川秀秋「はっ(中納言)」
秀頼「おんぎゃー!」
秀吉「秀次邪魔やからなんもしてないけど殺すわ!w」
秀次「ぐえー」
秀吉「いさめる家臣と一族も殺すわ!wたのしーww」
秀次妻「」
小早川秀秋「兄さん・・・」
秀吉「お前もどっかいけ」(コバヤカワオクリー)
小早川秀秋「ふぁ!?親父・・・」
20:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:36:06 k2h
秀吉は信長の三男をノッブの死後僅か一年で元上司もろともぶっ殺したと言う事実
22:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:40:10 NpL
もし石川数正が存命やったら関ヶ原で徳川に帰ったんやろか
30:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:50:13 yal
>>22
あいつ徳川裏切った後何してたん?
あいつ徳川裏切った後何してたん?
46:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)13:14:04 NpL
>>30
信州かどこかに何万石の領地をもらってたから秀吉の下でも有能やったみたい
そもそも家康からの離反も信康の件で不仲になった説から秀吉に警戒されんための共謀説まであってようわからん人やな
信州かどこかに何万石の領地をもらってたから秀吉の下でも有能やったみたい
そもそも家康からの離反も信康の件で不仲になった説から秀吉に警戒されんための共謀説まであってようわからん人やな
23:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:43:55 Ikj
勝てば官軍、歴史は勝者に都合よく作られる物なのにこれだけ物議を醸すって相当なアレやで家康は
24:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:44:02 SQ6
秀吉子飼いの7本槍やったっけ
大坂の陣でこいつら何してたん
大坂の陣でこいつら何してたん
26:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:44:52 Hgr
>>24
ほとんど東軍やろ
ほとんど東軍やろ
27:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:46:39 jrq
三成「秀秋さん味方してくれたら秀頼様が成人するまで関白の座を譲りますよ」
秀秋「(ほんで秀頼が成人したら秀次兄さんと同じように切腹か)」
秀秋「ワイは家康様に味方するでー。この為に無駄に1万5千も連れてきてたんやからな!!」
(尚、これより多い兵を持っていたのは家康本人と宇喜多だけ。秀秋本気すぎ)
家康「とりあえず豊臣がやろうとしていたのと違い領地の世襲は認めるで。ただし世継いなかったら廃藩な。それもお前らの仕事やから」
からの
秀秋、世継誕生前に死去、廃藩第一号となり、世間から裏切り者には当然など色々言われる結果となる
秀秋「(ほんで秀頼が成人したら秀次兄さんと同じように切腹か)」
秀秋「ワイは家康様に味方するでー。この為に無駄に1万5千も連れてきてたんやからな!!」
(尚、これより多い兵を持っていたのは家康本人と宇喜多だけ。秀秋本気すぎ)
家康「とりあえず豊臣がやろうとしていたのと違い領地の世襲は認めるで。ただし世継いなかったら廃藩な。それもお前らの仕事やから」
からの
秀秋、世継誕生前に死去、廃藩第一号となり、世間から裏切り者には当然など色々言われる結果となる
34:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:51:24 SQ6
>>27
関白の座とか三成が決めてええんか
関白の座とか三成が決めてええんか
37:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:53:20 jrq
>>34
事実上の管理人だからね、
一応淀様と秀頼様に報告して反対されなければそれでOKだし
成人するまでと期限きってあるし妥当な判断だから反対される要素はまずないし
そのぐらい説得できるぐらいの自信があったからこそ色々やらかしてたのが三成だし
事実上の管理人だからね、
一応淀様と秀頼様に報告して反対されなければそれでOKだし
成人するまでと期限きってあるし妥当な判断だから反対される要素はまずないし
そのぐらい説得できるぐらいの自信があったからこそ色々やらかしてたのが三成だし
29:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:49:58 zYH
秀秋の兵力が15000もあったってのは怪しいけどな
32:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:50:43 UlW
>>29
名門小早川家かつ秀吉の養子やからな
名門小早川家かつ秀吉の養子やからな
44:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)13:03:56 zYH
>>32
石高と領地の位置考えると上杉征伐にそんな大兵力持って言ったとは思えない
石高と領地の位置考えると上杉征伐にそんな大兵力持って言ったとは思えない
31:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:50:17 DQT
豊臣が滅んだのも因果応報やね
やっぱり信孝様の言う通りですわ
やっぱり信孝様の言う通りですわ
33:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:50:45 jrq
家康「流石にあかんこれ」
家康「ちょっときついかもだから幕府が許可したら養子後継は認めるで」
家康「これでええやろ、すまんな秀秋」
家康「ちょっときついかもだから幕府が許可したら養子後継は認めるで」
家康「これでええやろ、すまんな秀秋」
35:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:52:25 Esd
家康「関ヶ原で豊臣政権内ナンバー2の座を確固たるものにするでー!」
家康「ファッ!?勝ちすぎてしまったンゴ」
正信「天下狙えんじゃね?」
家康「いや・・、でも自信ないンゴ」
家康「ファッ!?勝ちすぎてしまったンゴ」
正信「天下狙えんじゃね?」
家康「いや・・、でも自信ないンゴ」
36:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:53:12 U0W
金吾秀秋は聖母寧々ですら見放すレベルのバカで
ハゲネズミが手紙で「秀秋は数少ない縁者だから見放さないで」って懇願するほど
ハゲネズミが手紙で「秀秋は数少ない縁者だから見放さないで」って懇願するほど
38:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:53:51 Esd
>>36
戦闘狂やからしゃーない
戦闘狂やからしゃーない
39:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:54:21 Hgr
征夷大将軍に任命されたンゴ
41:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:57:08 mGZ
鳥居元忠 「ワイ生きてたら江戸幕府でいいポストつけたよな?」
42:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:58:42 Hen
能力の無い者が上に立つべきではないという
応仁の乱以降の下剋上の原理の上に成立しているのが豊臣家だろう
その決勝戦なんだから当然の帰結
応仁の乱以降の下剋上の原理の上に成立しているのが豊臣家だろう
その決勝戦なんだから当然の帰結
43:名無しさん@おーぷん:2017/11/07(火)12:58:42 F1X
三成って会社で言うなら社長秘書みたいなもんなんかな
それが人事や経営の実験を握って好き放題やってたら
そら叩き上げの要職者は面白くないやろな
関連記事ワイ小早川、ガチで裏切るか悩み中小早川秀秋の死に方で打線組んだそれが人事や経営の実験を握って好き放題やってたら
そら叩き上げの要職者は面白くないやろな
コメント一覧
豊臣家が風下に立つことには変わらないと思うの
そらもう無茶苦茶よな
徳川も関ヶ原敗退で消滅する訳でもなし
二代、三代将軍が、意味不明な小さな大阪のお寺にお参りに行っている・・・「家康のお墓がある」っていう。
それが事実ならば、「家康のいない徳川軍」だから「秀頼のことなんて知らね!」「憎っき豊臣!」で太閤の頼みが反故にされたかもしれない。
関が原後の大津城にて縛られた石田三成
藤堂高虎は三成を見るとすぐに馬を下りて、敗戦前の三成に接すると変わらず
「このたびの戦において貴公の部隊の戦い振りは、敵ながら誠に見事でござった。もし貴公の目から見て我が部隊の至らぬ点があれば、ぜひ御教授願いたい。」
と、慇懃に語り掛けた。すると三成は少し黙した後に
「されば貴公の部隊には鉄砲隊に高い身分の指揮者がいなかったように思えた。改善すれば鉄砲隊の威力も大きく変わってこよう。」
と答えた。高虎は三成の助言に感謝し、それから藤堂家の先手の鉄砲頭には千石以上の家臣を配するのをしきたりとした。
この逸話は良いよな
黒田長政の羽織をかける話と福島正則が罵倒して三成が言い返す話とセットで読むとさらに良い
細川家記には逆に「黒田長政は三成を嘲笑した」
と書かれてるらしい。
まあ細川は黒田と仲悪かったしどっちが本当か分からんが。
尚この校合雑記には「石田三成は大谷と男色の契盟ありし人也」とかも書かれてるそうな。
毛利が勝てば多くの大名は恭順するから毛利幕府かそれに近い体制になって安定するだろう。
豊臣公儀を乗っ取れるのだから、誰がやっても徳川と同じ事が出来る。
ま、宇喜多や上杉などと争う可能性はあるけどね
豊臣の時にすでに天下統一してるので、徳川は余計な事して戦乱を二度おこしただけだぞ
もっといえば明智が余計な事さえしなければ、豊臣が出る幕もなく織田があれから数年もたたず統一して終わってる
ああそういう話じゃなくってあの餅つき的な話で
織田が乱世の覇者になって豊臣が乱世を終わらせて徳川が最終的にまとめあげる、国内の独自で権力持った大名の力が削がれていく流れが時代の変化を感じて好きなんだよ。
徳川がまた乱したのは事実だけどあれが無ければ250年も戦争の起こらない国になるのは難しかっただろうし
タヌキのせい
信長のままだったらいずれ光秀以外の別の誰かに謀反されてたんじゃね?って思うわ
俗説で言われる程冷酷非道で容赦のない覇王ではなかろうけども、ついていけないと思う部分はあるし
秀吉は秀吉で結局自分から政権の屋台骨壊しちゃったからな…
家康が色気出さなくても内乱に突入していたと思う
>ハゲネズミが手紙で「秀秋は数少ない縁者だから見放さないで」って懇願するほど
これ逆に一番溺愛してたって話も聞いたことあるがどっちやねん
自分の子飼いに与えてる模様。
それまで忠義者で通ってたんだから
元々与えられる予定だったならともかく
誰に何処の領地を与えるため、家康の独断で切り刻んだという明確なソースを明示頂きたい
秀頼と千姫の子供が頂点に立てば外戚として乗っ取り成功するからなあ。色々理由はあるだけど豊臣をそのまま吸収する方向にはいかなかったなあ
江戸幕府出来た後は後で、秀頼くんが全力で自爆しただけだし
ていうか秀頼が成人した後政権を返す事を条件に後見人になってるのに、後見人がぶっ殺すとかないわあ
だから家康もこの件奉行衆に話つけてやったのに問題にするならこっちにも考えがあるつって周り黙らせてるし
奉行衆が隠すメリットがない
武断派と無断婚姻するのを隠して奉行衆になんのメリットがあるんだ?
徳川はめて政務の実権握りたがりマンだからね?
関ヶ原かて忠義とかじゃなく自分が政務握りたいっていう野心だし、お話だと美しいから忠義にされるけど
家康:御理の通り、承り届け候
利家:御理申入候処、早速御同心畏れ入り候
だから家康が利家三成の言い分を認める形で決着してる。
多分ホントに家康が強引だったってのが真相じゃないかな?
家康自身も強引だったと反省したのか
以降の七将事件も加賀征伐も会津征伐も
奉行衆や他大老と連携する形を取ってる。
(あくまで形式は。忖度とか有ったろうし、毛利前田奉行も逆らえなかったろうし)
家康が不手際を認める形にする代わりに、
婚姻自体は有効とする
のバーター取引だった可能性も有るか。
この騒動自体あっと言う間に決着したらしいし
あたかも確定事項のように言ってるがそれも推論でしかないからな
なんたって明との交渉中独断で自分たちを秀次や秀頼より上の立場に置こうとしてんだから
それを慌てて秀吉が直して単独ナンバー2に家康据えてるから
秀吉の家康への厚遇と上の連中が暴走してるのがわかるよ
それを考えても任せられたんだから秀吉死後の結果はやっぱり家康の不義理だなあ
とても神君とは言えない
みたいなんは結果から見すぎというか
下手したらむしろ追い落とされてたわな
それも全て陰謀だ計算付くだ!ってのは
小説ネタとしては面白いけどもなあ
まぁ本能寺も全て秀吉の小賢しい陰謀だなんて漫画まで作らせて大声あげる人もいるくらいだし
この国には判官びいきと言う言葉があってな
不都合だから勝者が隠蔽した!だからこうだったはず!
と言いたい放題だからなぁ
そんなもん誰も証明できませんて
武断派に襲撃された被害者なのに、なぜか石田が辞職に追い込まれるという謎調停を行った家康に、
石田が復権をかけて立ち上がるのは野心とか以前に当然だと思うけど
しかもその武断派と事前に無断で婚姻外交してるし
やっぱり石高が大きすぎるし家康死後には確実に潰しに来るだろうとは予想してたと思うよ
それこそ敗者の徳川家を正当化する資料は葬られた事になる
その辺りは非常に解釈難しいけど、そもそも武断派が襲撃するに至った理由が石田三成が行った前線で戦っていた武将たちへの評価が不当だった、からなわけで
ついでに言えば伏見城に兵隊持って籠っちゃってるしね、石田三成 どうしても処罰は避けられないと考えるよ
むしろ石田三成が辞職程度で済んだの問題の大きさに対して軽すぎるレベルかな
あと、仲裁に関しては北政所も噛んでるのでこれは豊臣家の総意と考えるべきじゃないかな
家康と北政所は増田たちは不問、三成と軍目付を失脚だけで済ませており相当に甘い裁定になっている。三成の息子重家は家康への人質となるもすぐ大坂城へ送られ秀頼付きに栄転するなど人質の意味がない扱い
この裁定に不服を抱き清正たちが反家康で策動していたとする説や、裁定後の三成と家康の友好関係の指摘など、通説の家康による陰謀とするのは厳しい。
実際家康は清正たちの動きに警戒し奉行たちと歩調を合わせているし、家康と加藤・福島との距離はありそう
慶長の役では石田は渡海していないので軍目付なんてやっていない
文禄の役の後福島は尾張半国と加増されている、浅野は父とともに甲斐一国与えられている
細川池田は慶長の役では渡海していない。ついでに福島も渡海していない
加藤嘉明は文禄慶長どちらでも武功が認められ加増されている
そして七将に襲われているのだからどこかに籠って防戦しないと殺されるぞ。
伏見城の自分の屋敷に籠って防戦して何が悪いのか?襲っている七将にほうがはるかに悪いでしょ。
①三成は利長秀家のいた大坂から、家康がいた伏見に向かって逃げてる。
②三成が救援を要請したのは在坂していた利長秀家では無く、遠く本国にいた輝元。
③増田大谷が調停を依頼したのは家康と遠く本国にいた景勝。
④一時避難で頼るほど懇意な秀家には救援も調停も依頼せず。
⑤秀家も追い出すように見送った後は、利長と揃って静観したまま。
こう並べると成る程と思うところは有る。
今の北朝鮮との交渉みりゃわかるけど、北朝鮮と交渉する場合は北朝鮮と同盟を結び影響力をもつ中国を通さないと意味がない
武断派と調停するなら武断派と婚姻を結び同盟関係にある家康を通す必要がある
※45
景勝こそ最大の被害者、何もしてないのに
国を移ったのなら領内整備をするのは当然であるし、土豪連中は移動するくらいなら武士やめて農民になると言い出したので越後から会津と倍増したのに家臣は逆に大幅に減ってしまう、浪人を大量に召し抱えて家臣を増やさないと軍役などに答えられなくなってしまう。浪人雇ったら戦争準備とか因縁つけられたからな。家康だって関東移った時には北条家臣団大量に召し抱えただろうに
石田は実際には軍目付やってないね、ただ軍目付の福原たちの派閥の親玉として石田が狙われたんじゃないかな
実際に七将襲撃の後、蔚山城の戦いの処分は不当だったとして名誉回復されてるからね
あと後出し情報になっちゃうんだけどたしか光成準治先生の関ケ原前夜で引用された書状だと、七将襲撃の際三成が毛利輝元にこのタイミングで兵動かそうぜなんて言ってるから、純粋に被害者ってわけでもなく政争の結果なんだと思うよ
ほいで七将側を処罰するとなると関係者数十人に及ぶ大規模処罰になってとてもじゃないけどそれを裁ける豊臣家の人間なんていない、だから三成失脚で幕引きしようとしたんでしょ
この時代の法ってさ、本人がやったとか正当防衛だったとか関係なくてこっちの派閥が損したからメンツにかけて向こうの派閥も損させる、とか公儀の城をどんな理由があっても私的に盾にしちゃいけない、とかレベルなんで その辺りはあの当時の法の在り方で見るべきなんじゃねーかな
地方軍閥の長が大老は畿内にいろという遺言無視して領内に帰国、更に兵力と城増強してるって十分裁かれるに値すると思うよ
そんで豊臣公儀からの召喚命令も完全に拒否してるし
そんなことやられたら公儀としては兵出さざるを得なくなる
そんな濡れ衣で失職させらたら石田が家康許すマジになるのは当然だと思うけど
※48
秀吉が死ぬ前から景勝は両国に帰っている、転封直後であるので領国の整備が優先されるから。
これは秀吉の許可も得ている事。
秀吉から許可を得ている事に対して、同格の大老から召還命令がでてそれに従うというのはないだろう
重複しちゃうけど、あの時代は濡れ衣とかじゃなくそれが普通なんだよ だから民間でも解死人なんてものがあるわけで
三成側も毛利と結んで七将相手に兵隊上げようとしてるからほんとガチの戦争手前だったしね
ぶっちゃけた話奉行として力不足でかなりの数の武将たちと犬猿になってしまったこと自体が悪いと言ってしまっていいんじゃないかな
ああそうか、勝手に帰ったのは前田だっけか、ごっちゃになってて申し訳ない
ただまぁ、公儀として通達したものを拒否ったわけなのでこれは同格だからでは済まないよ、実際家康はその後豊臣家に従わない上杉を討つという名目で動いて 豊臣家もそれを許可してるしね
・細川忠興(嫡男の正室が利長の妹)
・浅野幸長(過去に利長の妹と婚約。加賀征伐に連座するくらいに親前田)
・加藤清正(加賀征伐時に牽制の軍が送られるくらいに親前田)
こいつらは家康より利長の方が影響力ある。というか前田と同盟関係。
清正なんて縁辺問題でも庄内の乱でも家康の動向なんて殆ど気にしてないぞ?
許すマジとかいう言葉使われてもわけがわからんが
その一件だけなら
石田三成は徳川家康に対して感謝の念抱くはずだろう
場が収まったんだ
「七将を裁いてくれないから悪い」なんて考え抱くべきか?
いや当時でも正当防衛や喧嘩両成敗の概念はあった
平時なら御成敗式目の慣例が通用するし、大名間にも総無事令が適用され
だから北条は沼田問題で征伐され、最上は庄内を大宝寺へと返還させられ(実質大宝寺のバックにいる上杉にすでに取り返されていたが)伊達は芦名領土を失った。
大名間の争いに限らず、喧嘩停止令というものもあり、農民同士の争いも起こした場合は村ごと成敗される。
秀吉の時代に大阪城や伏見であんなことしでかしたら、七将といえど謀反として裁かれて磔刑にされかねない
ちなみに前田が勝手に帰ったという根拠はない、前田の文書にはむしろ家康の勧めで帰国したとある、同時期に多くの大名が帰郷させられており、前田も当然帰郷させられたと思われる。
結果大阪城には家康のみが残り、豊臣公儀を乗っ取る事に成功して前田征伐(未遂)上杉征伐を行った
前田がグルなら引き渡せばいいじゃん、ていうか絶大な影響力をもつ利家が死去してから動くのはおかしい
※52
襲撃した人が無罪放免で、自分だけが首にされて家康に感謝しろと?
家康はその点晩年に駿府で大御所政治やってたけど本多親子ら直臣と藤堂以外の大名には駿府での屋敷を作らせずあくまで政権の中心は徳川の江戸城と定めてたのは太閤秀吉と比較される
七将事件は前田派vs奉行衆派の対立を第三者の徳川が仲裁したって形だって話なんだが。
縁辺問題の対応でも分かるように、利家は協調主義、悪く言うなら事なかれ主義。
元々、強硬姿勢の細川浅野加藤とは路線が違う。目的は同じでもね。
派閥内で協調路線を主導してた利家が死んだからこその方針変換(襲撃事件)なんだろ。
毛利が援軍を出そうと動き始めた時点で前田派と奉行衆だけの問題では無くなってる。
で、調停の結果が、北政所の仲裁の元、五大老連名での三成更迭。
四奉行も賛同はず。だって七将の標的は奉行衆全員だったけど矛先が三成だけに向いてくれたから。
三成がスケープゴートにされたのは間違いないけど
恨むなら北政所と五大老と四奉行の全員だよなぁ。家康だけ恨むなら筋違い。
・増田長盛が利長謀反疑惑を家康に通報
・石田三成が越前に利長牽制として自家の軍を派遣
・大谷吉継が清正牽制の軍を派遣
と家康以上に前田潰しに積極だったのが奉行衆派。
七将事件の恨みがあったのは想像に難くないな。
河合氏とかも指摘してるね。
逆に前田とは疎遠になっていったとか。
襲撃事件の後に増田が「亡き殿下の遺言」と称して
徳川と上杉の縁組みを仲介しようとしたり、
上杉側は乗り気だったけど毛利が反発してたりしてて
この頃は離合集散が激しくて誰が味方かワケワカラメ
ただ大谷の立ち位置は加賀征伐では仲介役だったり、七将襲撃では増田・石田を見捨てたりと一貫した奉行派とは言えない気がする
大谷は確かに微妙。表向きは輝元に家康と対峙し続けて欲しいと言いつつ、
三成への荷担は「無益」という内意を伝えていたり、早々に三成を切り捨ててるっぽいしな
毛利元康宛毛利輝元書状
一、大刑少より申さる事ニ、下やしき罷り下るの由、然るべからず候。
内府むかいつらに成候様ニ候との事ニ候。
冶少へも此中秀元に人数三千副え遣したると沙汰申し候。大刑よく存じ候間。
一円左様にてハなく候と申すべく候。ただ引取りて荷担無益にて候。辻合計り然るべくとの内意ニ候。
一、増右申される事ニ、とかく冶少より身を引き候ハでハ済み候ましく候と申されたる由ニ候。
と、増田も「三成が引退すれば事態解決ができる」と考えてた模様。
基本的に奉行衆って俺ら前線で頑張ってたけど領土ほぼ増えなくて、あいつら後方にいただけなのになんで加増されてんだよって恨みの対象な感じがする
当時は家康位のもんでしょ?
あれが上手く行ったから次の天下人だと目する人も出たんだろうし
利家の早死で前田家屈服、関が原で家康の敵対勢力全滅できて
一気に天下に傾いてきたんだから、ある意味三成が名アシストだよ
三成の息子助命したのも、三成への感謝があったんじゃないか
家康の前の天下人たちも別段天下人になりたいどころか押し付けたいけどいつの間にかやらんと死ぬからなってるしで
ある意味足利将軍家があそこまでダラダラ長引いたのも、誰も足利倒してまで天下人なりたくないって気持ち故やと思うんすよね
実際信長がそうだったし、現代の金かからない内閣ですら全部の責任おっかぶせられる総理大臣は押し付け合ってるところがあるんで
相手より強い立場にいないと潰されるかも知れん
の積極的自己防衛の延長だと思うわ。
信長、秀吉、家康や輝元みたいに元戦国大名に近い思考だと特に。
逆に三成とか長盛は「中央政府で采配したい」欲が強そう。
筑前加増を固辞した話から察するに
まさにそんな感じかなって思いますね
奉行衆の場合、国力が大諸侯よりもない分を中央政府での政治参加という優越で補いたいという感じなんでしょうかね
そもそも奉行が前田派なんで、利家の時代においては奉行は伏見ではなくて、利家のいる大阪において奉行を率いて国政を担っていた。
利長が強硬派だったということもないでしょ。そこまで強硬派なら家康の勧めに従って安易に帰国などしない。
そのまま家康を追い落とすだろう。派閥としては当時は前田派のほうがでかかったのだから
秀吉死後の情勢は 徳川派vs前田派vs奉行衆(+毛利)派 の三つ巴だった
ってのが光成氏、水野氏、中井氏らの見解。
この派閥間は常に対立状態では無く流動的。
縁辺問題の頃は、徳川派 vs 前田派+奉行衆
七将襲撃事件は、前田派 vs 奉行衆 (徳川派はやや前田よりの中立)
加賀征伐の時は、徳川派+奉行衆 vs 前田派
利長の帰国を「家康の勧め」と記述しているのは江戸中期に作成された三壷記が初出。
それ以前の史料では一切確認できない。細川家記なんかは「奉行衆の勧め」になってる。
三壷記自体、前田家版甲陽軍鑑みたいな内容で、これが初出って時点で大分眉唾。
代替わり以降、加賀国内の動揺が続いていて、帰国の前には家臣の粛清すら行っている。
それでも動揺が治まっていないから、もはや利長自身が帰国して
直接家中を引き締めなければならない状況ではあった。
家康の勧めとか強硬派云々とか関係無しにね。前田家の基盤そのものの危機だから。
結果的に利長の帰国は政治的には判断ミスだったけど、
じゃあ帰国しなければ良かったかと言われるとそれも難しい。
領国の動揺を放置したまま在坂を続けた場合の末路は、宇喜多秀家が体現してるしね。
前田派や徳川派とされる面子は史料によって違うので、事件や時期によって移動があるんだろうな。利長と交流がある若手の武将たちが家康を押してる様子みても利家時代と利長時代では方針転換がありそう
豊臣を殺したのも秀吉
三成やらなんやらは所詮秀吉に寄生してるだけのおまけ
秀吉が死んだら豊臣が終わるのは必定
強引に括ると無理が出てくるし
少なくとも家康派閥VS反家康派閥みたいな単純な括り方では必ず見落としが出る
無断婚姻事件と関ヶ原だけに注視すると
色々と誤解しやすい。
アンチ家康だからこっちにつく、とかだけじゃなく、善政敷いてるしこっち付こうみたいなのも当然あってしかるべきかと思うんですけど
豊臣家の蔵入地を削って、大名に分け与える盗賊(司馬遼太郎談)の類。盗賊の仲間だけがこっち付こうとなる。
その前からやってるんだ、その盗賊は。諸将の評判?盗賊の仲間なら上々だろ。
その盗賊のやったことを具体的に
加増を受けた大名、領地、石高を教えてくれませんかね?
もちろん出典つきでね
反対していた史料とその上で徳川が強引に切り取った史料も有るんやろうなぁ
えーとね、森忠政。細川忠興。これって、教科書的な話なんですが。教科書的な話をソース示せって。自分で調べなよ。
「盗賊」って誰が言ってるの?
森忠政のWIKIみたら、三奉行も認めてたから、豊臣公議も公認!って書いてあった。それをいうなら、上杉征伐も三奉行はみとめているから豊臣家公認!って話になるわな。その後、内府違いの条々で三奉行の真意は現代の我々にも明白に分かるわけだが。こうやって盗賊は三奉行を脅迫して屈服させているから、最終的に本人達にぶち切られる。屈辱だよなあ。普通に判る話だよなあ。こんなゴミクズ支持たくなるか?
司馬遼太郎って書いているんだが。
君、家康が悪事を働いたってバイアスかけすぎてててんで話にならないよ
だからさあ、軍事力にも何にもない三奉行が盗賊に屈服されて、自分の意に合わない事を唯々諾々をせざるを得ないのが、どれだけ人間にとって屈辱なのかって話なんだわなあ。盗賊とそのお仲間は他人の気持ちが分からない人間な訳だ。まあ、普通の人間なら分かるだろ?
ええ、なんで三奉行は内府違いの条々出したの?ちょっとさあ、短期間の時系列ぐらい理解しようよ。
つまり根拠は小説ってことねw
何か新史料でも紹介してくれるのかと期待して損した。
まぁ森の加増についてすら今の今まで「徳川の独断」と
信じてたレベルなら期待するだけ無駄だったなw
ありゃクーデター側の弾劾文、対立した証拠であって脅迫されて屈服した証拠でもなんでもないでしょ
あんさん図書館でまともな本何冊か借りて読んできなよ
ロスチャイルドの陰謀ガーとか言ってる人と変わらんで
関ヶ原以降ならしってるが
秀吉没直後ではしらんから、調べるために出典を聞いてるわけで
自分で調べろいうても取っ掛かりくらい教えてくださいよ
むしろ神君として批判が難しくなった江戸時代で書かれているのだから信憑性は高いだろう。
何より前田に帰国を勧められるほどの立場の人間は当時は徳川しかいない。
勝手に帰ったとかいうのはほぼありえない。
※69
粛清した家臣というのは徳川派なんですよ。利家の遺言で必ず裏切るからと言われていたとも言われていますがね。
三奉行が認めていたから豊臣公認というのは意味が分からない。
豊臣家の倉入り地を家康が勝手に分け与えた事実は変わらんだろう。
奉行は家康の命令に従っただけ。そしてその横領行為にきれてのちに挙兵へとつながる。
家康の非道に激怒して挙兵したんですよ。
家康が何もしていないなら、彼らは挙兵などしないわけで。
島津が抜けているな。
薩摩の倉入り地を勝手に分け与えている。
おまけに家康は悪久が伊隼院を暗殺してその領地を摂取するのを黙認しており、伊隼院家が抗議しても無視している。
決して理由もなく分与してはいない
無敵の論理すぎてその想像力で小説一本書けそうやね
論功行賞などは秀頼が成人するまでするなというのが遺言ですよ
※98
共同歩調をとっていた事などない。
奉行がのちに弾劾文を書いているように、奉行は家康にいやいや命令されてやらされていただけ
どの遺言の話?
ソースは?
むしろ石田なんか徳川から領地もらっているから森に調略かけても無駄みたいなこと言っていたはずだけど?
ねつ造?
※83でいうところの教科書をつくった会社くらい言ってほしいもんだけどね
まるで客観性がないよね
秀吉の遺言、
また秀吉は倉入り地の管理は奉行にまかせ、秀頼が成人するまでは家康と利家がその使い道を確認する事
依怙贔屓の禁止、徒党を組むこと、誰かが法度に違反しても大老や奉行の一人が勝手に処罰するのではなく、
双方読んできくこと、また成敗する場合は他の大老奉行の同意も得てから行う事を指示している
だから内府ちかいうんぬんで勝手に倉入り地を分配して、取り込もうとするな。
勝手に景勝討伐してんじゃねーよと書かれたんだよ
そんな遺言ないよ
一体どこ読んできたのだか
元敵である大老と 奉行を同列に置かないといけなかったのが仇になったが
反対した形跡もないし、
前田も反対出来るはずもないし。
加えて前田たと毛利は会津に派兵予定だったみたいだしね。
反対しなかったのかできなかったのかは分からないけど、
形式上は四大老の総意、反対ゼロという形での上杉征伐だったはず
浅野のほうに伝わるほうに書かれているよ
※110
もしそうだったとしても普通に法度違反だよね?
※111※112
同意してなかったから西軍決起となったんですよ、つか前田上杉とくれば毛利と宇喜多がヤバいと思うのは当然でしょ?
またこの文章における年寄という言葉への認識が全く出来ていないのも致命的です
周囲からどういわれようとも秀頼担ぎだすべきだったな
豊臣は西軍を正当と認めてない
年寄りを奉行と解釈するのかい?
なら奉行衆は法度に違反したものを咎めただす立場であり、倉入り地など政権の収支を管理する立場であることになるな
全く問題ないね。倉入り地を横領し法度に違反した家康を告発して挙兵するのは当然の行動となる
特に石田とかは上でも書かれてるけど秀吉生前から秀頼秀次をないがしろにした講和条件出そうとしてるのに
なんでそうなるんだよ
そんなこと太閤様御覚書には書いてないだろ
「秀吉の意図は徳川前田二頭体制だったが、秀吉の没後、三成が主導で十人衆合議体制に変質させた」
白峰旬先生は
「集団指導体制を取るよう計ったのは死去直前の秀吉であった」
この辺も2018年現在、まだ通説は定まってないレベルなん?
毛利も宇喜多も前田と同時期に徳川に頭を下げてるんだよ。
会津征伐の時点で、徳川を上位者と認めてなかったのは上杉だけ。
会津征伐を見て今更前田が「次は俺が滅ぼされる」とは思わないでしょ?毛利宇喜多も一緒。
ただし石田の企みに乗れば、徳川の風下という不愉快な現状を打破出来る。
そういう野心。
寧ろ家康を中央から出す為に会津征伐に積極的に賛成したと思うね。
石田と一緒に決起する為には家康が不在になる必要があるから。
家康という奸臣に比べたら忠臣になるでしょ。
誓紙についてもあれ問題にならんよ。秀吉は大老と奉行は仲良くしろと言ってるし、
世の中に騒乱があったら秀頼を奉じるものを集めて秀頼の元にかけ参じようって話でしょ。
秀頼に対する忠誠を誓った誓紙だと思うのだが?これで忠臣にならんのか?
※121
七番目と八番目に書かれているよ
二巨頭説は浅野のほうを根拠にしたんだろうけど、それを替える力が三成にあるわけないだろう
大老奉行10人での誓紙を石田が書かせたと?
※125
人質を江戸に送られた前田は思わないかもしれないが、毛利宇喜多はそうではない
また前田にしてもその後難癖をつけられないとは限らない、だから前田家でも意見は割れた
10人での誓紙に違反する事を家康がしたのだから、当然彼らも動くだろう
奉行と大老の間で結ばれた誓紙でも大老と奉行以外と勝手に誓紙を結ぶのが禁止であって、大老間奉行間で結ぶのが禁止なのではないからね。
というか秀吉は晩年では大老や奉行同士の婚姻などを積極的に進めており、大老奉行が協力して秀吉死後に備えている
だからこれをもって毛利と奉行の野心とかいうのは曲解でしょう。
実際輝元と奉行は家康が上杉征伐をおこしたので、秀頼のもとに集っている。
誓紙にも秀頼の忠義にも違反する行動は起こしていないと思うけど?
8番目は所謂財務諸表の取り扱いについてのものでこちらから奉行が政権の収支する立場と読むことも乱暴過ぎますしそもそもそ続く文章でその上位者に家康と利家が置かれています。
七番目は法度に違反するものが出た場合、「年寄り」がどう動くかを記したもので、法度に背いた「年寄り」への記述ではありません明らかな誤読です
つか誰ですかそんな誤読してるのは
八番目は財務の取り扱いを「年寄り」がやる事
また家康と利家は秀頼が成人したときに質問された時には請取をそえて出すこと、つまり家康と利家がハンコを押すことが求められていた事を示すものです
というか内容も命令ではなく懇願に近い
毛利ー四奉行の誓紙が示すように
「石田の主導」で毛利と四奉行が連携して変質させたって形だろうね。
宇喜多や上杉も賛同したかも知れん。二頭体制なら彼らも立場ないし。
晩年秀吉が進めた大老や奉行同士の婚姻や誓紙交換と、
毛利ー奉行衆のそれを同列に語るのはどうだろう。
前者は、秀頼への忠誠と豊臣政権維持を謳ったものだが、
後者は、「四奉行と意見が異なる者がいた場合は奉行側に荷担する」と
前者の枠内での政局・派閥抗争を意図したものに過ぎない。
「法度」や「殿下」、「秀頼様」では無く「四奉行と意見」の時点で秀頼への忠義と別ベクトルなのは明確。
端的に言えば十人合議の名分で政権を恣にしたい野心の発露。
それを「曲解」と断ずる方が恣意的。
そりゃ秀吉は自分の死をしばらく隠す事を指示しているのだから公布するわけがない
御掟になるが、それに明確に違反しいてるのはやはり家康だろうに
※133
奉行と輝元の誓紙は有事があった場合秀頼のもとへと馳せ参じて忠義を尽くすというもの
それでどうやって家康利家の両巨頭体制を崩せるというんだい?
そもそもすぐに表面化した対立は徳川前田ですよ、両屋敷に双方が支持者集めてね
>「法度」や「殿下」、「秀頼様」では無く「四奉行と意見」の時点で秀頼への忠義と別ベクトルなのは明確。
いやいやきちんと秀頼様の奉公の為に書かれているでしょ?それこそが秀頼様への奉公となると判断している。
そもそも10人合議体制にして政権を好き勝手したい野心の発露とか日本語になってないでしょ。
独裁体制にして政権を恣意的に動かしたいならわかるけど、10人の合議体制にしてどうやって好き勝手にできるんですか、
10人合議体制ってのはあの10人での誓紙を意味しているんでしょうけど、これってお互いのわだかまりをしてて秀頼様に忠義を尽くそう、外部からの讒言は無視しましょう、勝手に外部(大老奉行以外)と結ぶな、依怙贔屓で取り立てするな、秀頼に反逆者がでても独断で勝手に成敗するなというものですよ、これでどうしろと?
内容見る限り、大老奉行で仲良く秀頼様支えましょう、外部の連中とは結ばないようにしましょう、独断で勝手な事するなものですよ
それに内藤家の文書によると、輝元は奉行と家康の仲介をむしろ斡旋して中立的な立場であるみたいな事書かれてなかったっけ?
死後しばらく(大阪城の工事や渡海している連中が帰国するまで?)は発表は禁止ですよ
大老のみなさんは秀頼をよろしくねとしていたのに、ね
まとめて読みたいなら谷のにいろいろ乗っていた気がするが
もちろんそのエキスパート選別眼はいるけども
ほとんどの学者は自説に都合のいいように解釈するし、都合のいい史料を持ち込み、また都合の悪い史料は批判して使わないものなんだけど、こんなの多少学者の本読んだことあるならわかるでしょ?
大抵ひとつの本で一巻した主張が貫かれるように書かれている、けど諸説入り乱れ百花繚乱な最前線の研究みていればそれはありえないとわかる
つまり誰かの本ではなくて、多くの本かもしくは引用元である原文を極力を読むことが大事だとわかる
あとワイはここで喧々諤々してる双方の根拠としてる学者の本聞いてるんで、それは多角的な見方にはならんかね?
誰かと比較するなら、
秀吉も三法師を洗脳して城一つで満足させている
自分から後見役になったのに上の立場とっちゃうのって家康と同じ位の奸臣じゃね?
政宗なんて家康に、秀頼を手元においてきちんと教育して天下を受け継ぐ人材に養育しないといけないのに、何やってんのアンタ?
と詰問されてますよね。それで立派になったら天下を返し、天下を担えないならその時はどこか数か国でも与えて太閤様の御恩に報いないといけない、でないと申し訳ないと手紙送ってます。
秀信をきちんと育てて美濃を任せられるように育てた秀吉と比べるとほんと家康はダメです
甘やかしすぎた
伊達政宗は最終的に東軍つく人間だし
家康がそんな意見をしたら周囲がどう反応するか
できるわけがない
しかも家康はダメですと結論ありき
その比較したいなら豊臣秀次を死なせた秀吉はダメですになるぞ
松平信康のことなら徳川家康も教育失敗にはなってるが今川の血の人間だったから立ち回りが悪い時点で見捨てるつもりだったかもしれない
大阪城で教育すりゃいいじゃん。守役や後見人ってのはそういうもんだぞ、利家はずっと大阪城にいただろ、
そして利家死後大阪城に入場したのは家康
※146
件の手紙は関ケ原後ですよ
そして秀次ってあちこちに養子たらいまわしにされた人物で秀吉が養育したわけじゃないし、そもそも今川の血とかいうなら秀次は秀吉の血すら入ってないじゃん
江戸で秀頼養育うんぬんは関ヶ原のあと、家康が諸大名の首根っこを自力で掴んで統制始めてからの話やろ?
関ヶ原前と後は方針変わってるんやからそら養育する場所も変えなきゃいかんのとちゃう?
取返しつかないことになってたが
※147
訂正 伊達政宗は東軍じゃなくて徳川を支持した そう読み替えていただきたい
そういった人間の説教だから、その時点ではどうかわからんが
豊臣秀頼のことを心から心配したかは謎
天下の趨勢決まってて仕方なく徳川を支持したととれるが
丸島先生だか平山先生だかが似たようなこと言ってたけど