秀吉が男色やらないのを家臣が心配して可愛い男を小姓に付けた「君に姉や妹はおるかね?」
1:名無しさん@涙目です。(秋田県)@\(^o^)/ [FR]:NG NG.net
信長・秀吉と伊勢神宮の関係、幕藩体制の盛衰など分析 三重県史・通史編「近世1」完成
http://www.sankei.com/west/news/170728/wst1707280032-n1.html


引用元
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1501478980


2:名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [SE]:2017/07/31(月) 14:31:39.44 ID:Z/n60X1t0.net
ウホッいい小姓とはいかないの
3:名無しさん@涙目です。(福岡県)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 14:34:35.97 ID:M2hr2JFC0.net
戦国時代ってどうやって腸内洗浄してたの?
43:名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 18:14:54.94 ID:9uLbf4kH0.net
>>3
たっぷりの葛湯を何杯も飲む
すると、厠でモリモリ出る

因みにこれ、切腹の作法な
葛湯(くずゆ)とは、葛粉から作ったとろみのある飲み物である。通常、葛粉を水で溶いて砂糖を加え、鍋等で緩やかに加熱しながら透明になるまで練って作る。とろみがあるために冷めにくく、体が温まり、消化にも良いため、昔から離乳食・流動食・介護食・病み上がりの食べ物として食べられてきた。

9:名無しさん@涙目です。(茨城県)@\(^o^)/ [SE]:2017/07/31(月) 14:47:06.19 ID:EYINOB5w0.net
>>3
戦国時代頃の食事内容は、現代よりも圧倒的に食物繊維が豊富だったので
いわゆる”糞切りが良い”状態で、極太の一本糞を排便する事で腸内もキレイキレイだった
81:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 23:14:48.73 ID:ViyvC8XD0.net
>>9
わかる
農業継いでから食生活ががらりと変わって毎日すっきりどっさり
肉なんて取れたての野菜に比べればただの付け合わせというこの世の真実に触れられて人生満喫してるわ
96:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 05:26:45.62 ID:4F4eA3dj0.net
>>3
戦場はともかくお相手する3日ぐらい前から芋や豆はご法度だったらしい
97:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 05:28:25.48 ID:Fw+aMDDK0.net
>>96
案外糞めんどいんだな
99:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 06:00:27.36 ID:ZJ5gIVOh0.net
>>3
そんなことよりローション代わりはなんなのよ
112:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 12:21:01.89 ID:1wSkMamQ0.net
>>99
4:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 14:36:00.61 ID:2nz1D8TH0.net
「え?、衆道しないとか変態かよ」
5:名無しさん@涙目です。(catv?)@\(^o^)/ [CN]:2017/07/31(月) 14:37:10.80 ID:l7Rk1OEp0.net
淀殿のえっちな画像ください
6:名無しさん@涙目です。(SB-iPhone)@\(^o^)/ [EU]:2017/07/31(月) 14:41:25.17 ID:7k1ZbIcJ0.net
うらやま
7:名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [SE]:2017/07/31(月) 14:44:08.92 ID:Z/n60X1t0.net
そういや徳川の将軍では聞かないね>ウホッ
8:名無しさん@涙目です。(やわらか銀行)@\(^o^)/ [CN]:2017/07/31(月) 14:47:00.15 ID:pfZ2fJdO0.net
>>7
おいおい
有名なウンコお土産に持たせるゲイがいるだろ
10:名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [ニダ]:2017/07/31(月) 14:47:19.16 ID:hjBDuZ1B0.net
>>7
家光がそうだったろうよ
50:名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [GB]:2017/07/31(月) 19:44:00.26 ID:6nRSvnRW0.net
>>7
家光なんて伊達政宗からプロポーズされてるレベルだよ
95:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 05:25:28.93 ID:hzJ06pWW0.net
>>7
家光
このままだと跡継ぎできないと危惧した周囲が尼さんとやらせて女とやれるようにした
98:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 05:29:08.41 ID:Fw+aMDDK0.net
>>95
大奥思い出したわ
瀬戸あさかが尼さんだったな
103:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 08:33:54.44 ID:nA1mQ3gw0.net
>>95
春日局が大根売りの娘とか、市井のボーイッシュな女を探して
家光にあてがった。

直江兼続も、上杉景勝が女に興味が無いので
ボーイッシュな娘に男装させて、殿に勧めた。
12:名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [DE]:2017/07/31(月) 14:48:39.02 ID:D2FUcxS60.net
小っさい男児の更に妹狙いとは
やはり天下人ともなれば俺ごときとはレベルが違うな
方向性は同じだが
13:名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 14:50:48.05 ID:5RopbJCk0.net
歴史上の武士の幼児愛とかホモと嘘だからな
調べると昭和にこんな話が一人歩きしだしたようだ
文献など読むと一行も同性愛の事など出てこない。歴史も政治も嘘だらけで驚くわ
36:名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [PL]:2017/07/31(月) 17:10:17.93 ID:ohQ45+vb0.net
>>13
武田信玄が高坂正信に浮気を謝罪する手紙を送ったものが残ってるぞ
56:名無しさん@涙目です。(やわらか銀行)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 20:03:35.29 ID:VolcWkh20.net
>>13
は?うそつくな
ホモだらけだったはずだ
75:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 22:02:51.75 ID:aDugoIAf0.net
>>13
宣教師がヨーロッパの教会の偉いさんに宛てた手紙で「日本人ホモばっかり」と書いてあってな
89:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 00:07:25.14 ID:IVCGb5p60.net
>>75
これにはワロタ
14:名無しさん@涙目です。(大阪府)@\(^o^)/ [GB]:2017/07/31(月) 14:53:32.63 ID:5mQFs7zb0.net
上杉謙信が女抱かずに跡取りが出来ないことを心配した家臣が小姓と称して少女を紛れ込ませたが
それを知った謙信にこっぴどく??られたという都市伝説なら知ってる
124:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 19:13:19.14 ID:caEmfPYt0.net
>>14
それ謙信じゃなく景勝だった気が
どのみちデマだけど
127:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 20:07:13.52 ID:q31Su9Xa0.net
>>124
景勝は一応一人だけだが子を残して子孫つないでるぞなんとか
景勝というと猿に大爆笑したエピソードのほうが
ある時、飼っている猿が自身の物真似をする姿に笑みを見せたが、これが生涯でただ一度だけ家臣たちの前で見せた笑顔だったとまでいわれている。

16:名無しさん@涙目です。(大阪府)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 14:55:55.24 ID:kHNnWbK60.net
秀吉は百姓上がりだから武家みたいに代々ホモで家臣とのつながりなんて興味無いんだろな
22:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)@\(^o^)/ [IT]:2017/07/31(月) 15:18:04.98 ID:gPATMGox0.net
甲斐姫って実物も勇猛すぎるわな。
それでも権力には敵わないか。
それとも権力者が好きなのか?
23:名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 15:19:27.00 ID:wq09Zowc0.net
秀頼って本当に秀吉の子だったんかな?
25:名無しさん@涙目です。(東日本)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 15:23:20.24 ID:8tX5PXo40.net
>>23
茶々が着床したときは秀吉は九州にいたんだよな
27:名無しさん@涙目です。(長屋)@\(^o^)/ [SI]:2017/07/31(月) 15:28:56.84 ID:XYfQZmIi0.net
>>25
絶対に秀吉気付いてたよね。

もしかして可愛がってた家臣に、種付けを命じたんだろうか?
30:名無しさん@涙目です。(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ [TW]:2017/07/31(月) 16:03:48.75 ID:+c2wyIMO0.net
>>27
秀吉は名護屋城に居たが、茶々も名護屋城に居たんやで。
すでに後継者を秀次にしていたので家臣に命じたってのは無いな。
わざわざ豊臣政権の屋台骨を自ら叩き折ってまで秀頼を後継者にして、
最も信頼できる(はずだった)友人、家康と利家を後見人にしたんだから。

秀吉が秀頼を自分の子だと思っていたのはほぼ確実。
31:名無しさん@涙目です。(SB-iPhone)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 16:05:33.76 ID:b00tsY170.net
そっちの刀狩りはしなかったのか
37:名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [GB]:2017/07/31(月) 17:15:09.50 ID:vNT5O0yH0.net
小姓に塩対応
41:名無しさん@涙目です。(大阪府)@\(^o^)/ [TH]:2017/07/31(月) 18:12:20.58 ID:8O4gK7ns0.net
秀吉「聴いて下さい・・・関白宣言」
45:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 18:51:44.03 ID:ankN6iJc0.net
1467 応仁の乱勃発。うわあ・・・これは戦乱の世の幕開けですね
1508頃 宇佐美定満、女を絶つ。主君謙信から女を勧められるまで以降40年近く続く
1527 高坂弾正誕生
1530 長尾景虎(後の上杉謙信)誕生
1540頃 高坂弾正、武田晴信(後の信玄)から「小姓やらないか」の誘い
1550頃 陶晴賢、主君・大内義隆から吉川元春と義兄弟の契りを結ぶよう勧められる
    那古野勝泰、簗田弥次右衛門とウホッの契りを結ぶ
1559 前田利家、織田信長オキニの小姓を斬って出奔
1560 桶狭間で今川義元討たれるも、息子氏真、男色含む酒色に溺れる
1565 森蘭丸誕生
1570頃 蒲生氏郷、人質に出された先の信長から「小姓やらないか」の誘い
    宇喜多直家、敵のガチホモ武将に男の刺客を送って寝首を掻く
1573 武田信玄死去。高坂弾正、葬儀を一手に取り仕切る
1575 浪人していた井伊直政、鷹狩り中の徳川家康から「小姓やらないか」の誘い
1575頃 直江兼続、上杉謙信から「小姓やらないか」の誘い
1578 上杉謙信死去。ただの一度も女ともしなかったガチホモ人生に幕
   同じ年、高坂弾正死去
1582 本能寺の変。過熱した本能寺は、遂に危険な領域へと突入する
1584 蘆名盛隆、アッー!してもらえないことを逆恨みした家臣に斬られる
1587 大崎義隆の小姓同士が主君の寵愛を巡って対立。内乱にまでハッテン
1599頃 美男子で知られた片倉重綱、欲情した小早川秀秋から激しいストーキングを受ける
1610頃 木村重成、豊臣秀頼から「小姓やらないか」の誘い
1615 豊臣家滅亡。なんだこの結末は・・・たまげたなぁ
47:名無しさん@涙目です。(香港)@\(^o^)/ [US]:2017/07/31(月) 19:30:55.05 ID:gukZWhOF0.net
58:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:09:16.84 ID:/N2jco8o0.net
昔のホモ事情にも詳しい皆さん素敵
60:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:11:23.64 ID:3VWVPsne0.net
でもいいよな
武家の女はともかく、百姓とか商家の女なら
街で見かけて呼びつけて、ちこう寄れなんつってセックスして、
それで褒美として晴れ着の一つでもあげときゃそれで相手も喜ぶんだもんな
どんだけやりたい放題だよ
62:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:20:53.96 ID:LYlegzC90.net
>>60
やり過ぎて梅毒で死ぬ武将も多かったみたいだな
64:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:30:41.68 ID:3VWVPsne0.net
>>62
でも梅毒は朝鮮侵攻以降だろ?
戦国の世も最末期、それまでやりたい放題だ
江戸時代に入ると大名でも
そうそう好き勝手はできないだろうし
やっぱなるなら戦国大名だぜ
66:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:33:36.07 ID://1CRkcO0.net
>>64
梅毒訪日は鉄砲伝来より前だよ
79:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 22:56:24.46 ID:GbklGREh0.net
>>66
梅毒伝来は1512年くらいだね
加藤清正
結城秀康
前田利長
浅野幸長
は梅毒で死亡
88:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 00:01:33.33 ID:45181Qme0.net
>>79
ウィキペディアからまんまじゃん
63:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:24:12.50 ID:KLdpdQZE0.net
早くから女が何人も充てがわれる名家の武将は男に走る
平民だった秀吉は女を手に入れるのに苦労してたからいつまでも女好きらしい
69:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:38:36.39 ID:GU3m9Lgq0.net
女は、顔真っ白で、麻呂眉毛で、歯が真っ黒だったから

ガチEDの人も多かった・・・・・とか聞いたわ
71:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 20:40:40.17 ID://1CRkcO0.net
>>69
お歯黒は既婚者だけだろ
76:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 22:29:08.75 ID:2duE8Z700.net
明治から昭和初期あたりまで、若者(男)の間では
ホモがムーヴメントだった。
77:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 22:33:58.64 ID:2YDGrENh0.net
チェストー!
83:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 23:34:24.56 ID:ODC6D+Y+0.net
戦国以前の女なんて土臭いのばっかだろうしな
そういう状況なら男に走るのも分からなくないというか
むしろそっちが自然だろうな
85:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 23:42:09.15 ID:U7Jn/KOcO.net
小姓って近習って役割もあったんだよな。
主君から政治やらなんやら学んで世継ぎが家督を継いだ時に補佐役として務めるためだったとか…
新しい主君が古株の家臣に気圧されないように先代の遺志やらなんやらを近習に仕込んでおくとか…
86:名無しさん@涙目です。:2017/07/31(月) 23:54:09.67 ID:Mlc5tgpo0.net
>>85
下克上の時代なんで文字通りの子飼いの武将は重要
91:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 00:17:46.46 ID:5LDcJMNG0.net
>>1
信長にいくら誘われても怯えて出仕しなかった半兵衛が
秀吉には安心して仕えてたのは笑った
92:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 00:23:52.58 ID:czflj5mu0.net
古代ローマだかギリシャでもホモるの当たり前と聞いたゾ
師匠へのお礼にしゃぶるの当たり前だとか

むしろ今が異常な時代なのかもしれない
159:名無しさん@涙目です。:2017/08/03(木) 14:16:40.47 ID:WcMZtVXd0.net
>>92
男色の歴史は面白いぞ
102:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 06:22:15.90 ID:XJAdMTCP0.net
この時代に、レズはいたのかな
106:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 08:46:55.20 ID:alDlAPKE0.net
なんで男色の方が良かったのかな
身体とか男の方がごつごつして抱き心地悪かったりとか思わないもんなのかね
120:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 17:02:17.98 ID:+E40cWOH0.net
>>106
戦場に女つれてくと風紀が乱れ戦に負ける。
男しかつれてけない。

年もいかないお稚児さんは、柔肌

女は産む道具、共に語り合える仲ではない

男をレイプすると、相手は恐ろしく従順になり忠誠心爆上げ
やられた方も、上司、殿様なら昇進確実。むしろ競った

いつも一緒にいて、戦場も共に戦えば友情以上のものが生じるのは自然
156:名無しさん@涙目です。:2017/08/03(木) 13:51:43.38 ID:4681IeDw0.net
>>106
殿様レベルだと女が常に体で取り入ろうと必死でつまんね
その気になればいつでもやれる
ようするに飽きてる
108:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 08:56:46.30 ID:R1xsvBOF0.net
>>106
戦の場に女は連れていけない
戦が長引くと性欲が我慢できなくなる者が続出→男同士で発散
大半は上記の理由からだろうが、中にはガチホモも割といる
殺生沙汰になった事もある
117:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 16:43:22.75 ID:x0rOdGVS0.net
>>108
そうでもない
それこど戦国時代の戦場には追軍売春婦がいたし
ただ戦争3日前以降は夫婦のいとなみは禁止だったらしい
だけど戦争が始まるとOKらしいので遊女が大活躍したり前々から狙ってた若武者を追い掛け回したりしたそうな
125:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 19:15:44.10 ID:Uxmwzcx7O.net
>>107-108
それ違うから
命懸けで守り守られする間柄になるために男色があるんだよ
信用の問題というかホモソーシャルの極致というか
元々坊主や貴族のお遊びだった衆道が武士に爆発的に広まった理由がそれ
126:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 19:55:37.28 ID:+aByqBRV0.net
>>125
スパルタ式かな
スパルタ(ドーリス語(英語版は、現在のペロポネソス半島南部スパルティにあった古代ギリシア時代のドーリス人による都市国家(ポリス)である。自らはラケダイモーンと称した。古代ギリシア世界で最強の重装歩兵軍を誇り、ペルシア戦争ではギリシア軍の主力であった。ペロポネソス同盟の盟主となり、アテナイを破って一時期はギリシア世界に覇を唱えた。他のギリシャ諸都市とは異なる国家制度を有しており、特に軍事的教育制度は「スパルタ教育」として知られる。

神聖隊(しんせいたい)ヒエロス・ロコスは、紀元前378年に将軍ゴルギダスが結成した古代ギリシア・テーバイ(テーベ)の、ギリシアで最強と謳われた精鋭歩兵部隊である。古代ギリシャにおいてテーバイはエリスとならび、男性の同性愛がもっとも行われた都市だった。テーバイが位置する中部ギリシャ・ボイオチア地方では、少年愛で知られたヘラクレス崇拝がさかんだった。アリストテレスの失われた著作には、ヘラクレスの甥であり、従者、愛人であったイオラウスの墓所に関する描写があるが、そこは古代テーバイの男性同性愛者のカップルが互いの愛を誓い合う場所として利用された。プルタルコスは「神聖隊」の呼称はこの風習に由来すると考えている。

スパルタを破ったレウクトラの戦い等で活躍し、紀元前4世紀のテーバイのギリシア覇権確立に大いに貢献したこの部隊は、150組300名の男性の恋人同士によって編成されていたという。なぜ男性同士のカップルから成っているかというと、愛する相手に惨めな姿を見せようとせず、かつ恋人を守って戦うだろうとの想定のもと設立されたためである

129:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 21:01:08.46 ID:itzaiTD40.net
>>125
古代中国の司馬穣苴とか呉起とか
兵士に命を捨てさせる人心掌握はちゃんとしたものが既にあるのに
何でわざわざホモに走るんですかねぇ…(困惑)
114:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 13:35:22.53 ID:c33RQw990.net
百姓だったというのも確証のある話じゃないし
115:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 14:21:27.98 ID:5Gpj94FE0.net
心中なんかも、男女より
男男のほうが清いとか何とか言われていたんだっけ?
戦国時代は違ってたかもしれんが

歴史上、洋の東西問わず、男色は普通にあったし
キリスト教が席巻してからか、異端になってきたのは?
130:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 21:12:54.44 ID:Bs4feTds0.net
戦場における女の代用品でしかないのに、女がそばにいるのにわざわざ男を抱くかよw
131:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 21:21:10.59 ID:jtMseSWa0.net
>>130
当時の文化人にとってはむしろ逆
政略結婚の時代女は産む機械でしかなく、非生産的な愛=男色こそ本能的行為や家督の責任を離れた文化的な真実の愛だった
132:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 21:22:49.87 ID:6o4QtbbYO.net
経験の無い奴は否定する資格は無い
経験者はみんな肯定的だ
135:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 21:37:41.64 ID:gpAqVicv0.net
真実の愛ってあーた正気ですのん?
141:名無しさん@涙目です。:2017/08/01(火) 22:00:44.20 ID:jtMseSWa0.net
>>135
思想の発祥が寺だから、大前提に女色という煩悩の元を嫌悪し否定することになる
じゃあ男色だって同じ…と思うかもしれないが男色は建前上仏教で尊ばれる師弟の教導という関係であり崇高なもの、利他行為として尊重された
当時の文学でも、男女の関係は煩悩哀苦の根源出離を阻む魔道かのように書かれたりするが、男色を詠む禅林文芸の歌などは逆にものすごく美化されて取り扱われている

他にも「女方の家の影響を排除した昇進が可能」という実利的な理由があるがこれは説明がめんどい
女は産む機械と書いたが、それでも実家の派閥力などを行使してかなり子供の人生に口出しする事があったようでしょっちゅうお家騒動の元になる
150:名無しさん@涙目です。:2017/08/03(木) 12:27:27.40 ID:ncI/iJ2n0.net
そこまでみんなやってる的なもんだったのかドン引きだわ
珍しくはない程度なのかと…
160:名無しさん@涙目です。:2017/08/03(木) 14:21:21.58 ID:GkgwouJp0.net
男色は上流の趣味で下流出身の秀吉にまったくそのケはなかった
男色は寺関係から広まったけど、当時の貴族、大名は
家を継がない子弟を寺に入れることが多かった
163:名無しさん@涙目です。:2017/08/03(木) 14:29:01.94 ID:mxHna7vc0.net
プラトンが著作で
可愛い男の子に、年長者が言い寄るのを
嫌がる親が居る。困ったもんだ。
と書いてる所を見ると、ギリシャ時代もホモを嫌がってる
層は、結構居たんじゃないかと。