dereke
広島 37人死亡 45人行方不明 ←これ
30:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:16:13.46 ID:8VN/TZSa0.net
岐阜とかはあんまり亡くなってないよな
41:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:17:35.54 ID:F3mMH2gg0.net
>>30
平地やし治水関係しっかりしとるし
サンキュー薩摩藩
86:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:23:07.74 ID:OPhKcWrma.net
>>41
なんで薩摩なんや?
118:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:25:40.89 ID:mIHaXhK90.net
>>86
島津藩の弱体化のために幕府が治水土木工事を命令したんやで
わざわざ遠くの岐阜の
129:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:26:29.24 ID:OPhKcWrma.net
>>118
土地勘ない知らん土地の治水工事とか死ぬやろ
147:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:27:53.56 ID:oadi5L6rE.net
>>129
死にまくりやで
やっとのことで工事終わった後は工事責任者が抗議の自殺や
158:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 18:28:31.83 ID:OPhKcWrma.net
>>147
ひえっ…

宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん、ほうりゃくちすいじけん)は、江戸時代中期に起きた事件。幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。

暦治水とは、江戸時代の宝暦年間(1754年(宝暦4年)2月から1755年(宝暦5年)5月)、幕命により薩摩藩が行った治水工事。濃尾平野の治水対策で、木曽川、長良川、揖斐川の分流工事。三川分流治水ともいう。

木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を貫流し、下流の川底が高いことに加え、三川が複雑に合流、分流を繰り返す地形であることや、小領の分立する美濃国では各領主の利害が対立し統一的な治水対策を採ることが難しかったことから、洪水が多発していた。また、美濃国側では尾張藩の御囲堤より3尺(91cm)以上低い堤しか作ってはいけなかったとする伝承もある。

時代が下るにつれて木曽三川流域は土砂の堆積や新田開発による遊水地の減少により洪水による被害がさらに激化していった。1753年(宝暦3年)12月28日、9代将軍・徳川家重は薩摩藩主・島津重年に手伝普請という形で正式に川普請工事を命じた。この普請は幕府の指揮監督の下、薩摩藩が資金を準備し人足の動員や資材の手配をする形態であった。また地元の村方を救済するため、町人請負を基本的に禁止して村請により地元に金が落ちる方針を取った。

当時すでに66万両もの借入金があり、財政が逼迫していた薩摩藩では、工事普請の知らせを受けて幕府のあからさまな嫌がらせに「一戦交えるべき」との強硬論が続出した。

1754年(宝暦4年)4月14日。薩摩藩士の永吉惣兵衛、音方貞淵の両名が自害した。両名が管理していた現場で3度にわたり堤が破壊され、その指揮を執っていたのが幕府の役人であることがわかり、その抗議の自害であった。

1754年(宝暦4年)8月、薩摩工事方に赤痢が流行した。粗末な食事と過酷な労働で体力が弱っていた者が多く、157名が病に倒れ32名が病死した。

1755年(宝暦5年)5月22日に工事が完了し、幕府の見方を終え、同年5月24日に総奉行平田靱負はその旨を書面にして国許に報告した。その翌日5月25日早朝、美濃大牧の本小屋で平田は割腹自殺した。辞世の句は「住み馴れし里も今更名残にて、立ちぞわずらう美濃の大牧」であった。

この工事は一定の成果を上げ、治水効果は木曽三川の下流地域300か村に及んだ。ただし長良川上流域においては逆に、洪水が増加するという問題を残した。これは完成した堤が長良川河床への土砂の堆積を促したためと指摘されている。薩摩藩では治水事業が終了したあとも管理のために現地に代官を派遣したが、後に彼らは尾張藩に組み込まれている。その後、近代土木技術を用いた本格的な治水工事は、明治初期に「お雇い外国人」ヨハニス・デ・レーケの指導による木曽三川分流工事によって初めて行われた。

1900年(明治33年)の分流工事完成時に、宝暦治水碑が千本松原南端に建てられている。1938年(昭和13年)には、平田靱負ら85名の薩摩藩士殉職者を、「祭神」として顕彰するために「治水神社」(所在地:岐阜県海津市海津町油島(旧海津郡海津町))が建立された。



引用元
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1531040867

   【悲報】大雨特別警報岐阜★51 完全峠を越える お疲れした!
43:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:30:39.40 ID:Hr7JWtIv0.net
岐阜は昔水害やばすぎて治水に力入れまくったんやっけ
95:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:34:42.53 ID:V35YoeDpa.net
>>43
あの薩摩義士の宝暦治水事件が岐阜や
50:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:31:11.25 ID:nbhrNKxy0.net
>>43
木曽三川のあたりやな
オランダ人に感謝や
96:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:34:43.83 ID:h6uJ8j/G0.net
>>50
計画を立てたのは内務省だぞ!そのことも忘れるなよ!
85:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:33:45.18 ID:pO1HDvkwa.net
>>43
江戸の頃からガチガチに固めてるからな
今回もその成果やで、いまだに輪中だらけだったら今回でまた何百人死んだやろなあ
88:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:34:16.97 ID:nbhrNKxy0.net
>>85
ヨハネス・デレーケさんのおかげや
ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke、1842年12月5日 - 1913年1月20日)は、オランダ人の土木技師。ヨハネス・デ・レーケ、ヨハネス・イ・デレーケとも。いわゆるお雇い外国人として日本に招聘され、砂防や治山の工事を体系づけたことから「砂防の父」と称される。日本の土木事業、特に河川改修や砂防における功績から、日本の農林水産省ウェブサイトに土木史の偉人の一人として取り上げられている。

1873年、明治政府による海外の学問や技術の国内導入制度によって、内務省土木局に招かれ、大学でもエリートだったG.A.エッセルらと共に来日した。エッセルは1等工師、デ・レーケは4等工師[2]として遇せられ、淀川の改修や三国港の改修などに関わり、エッセルは主に設計を、デ・レーケは施工や監理を中心に担当した。後に、ファン・ドールンやエッセルの後任として、内務省の土木技術の助言者や技術指導者として現場を指揮することになる。氾濫を繰り返す河川を治めるため、放水路や分流の工事を行うだけでなく、根本的な予防策として水源山地における砂防や治山の工事を体系づけ、また全国の港湾の建築計画を立てた。

特に木曽川の下流三川分流計画には10年にわたり心血を注ぎ成功させた。木曽三川分流計画に関して当初、二川分流しか考えていない、木曽川の土砂対策に重きを置いた木曽川と長良揖斐に分ければよいと考えていたが、片野萬右衛門(かたのばんえもん)という老人の三川分流案の進言に感動し、三川分流に踏み切ったという。 日本中の現場にも広く足を伸ばし技術指導や助言も行っている。これらの業績は高く評価され、1891年、現代の内務省事務次官に近い内務省勅任官技術顧問の扱いになる。これは「天皇から任命を受けた内務大臣の技術顧問・相談役」という立場である。建設事業の竣工において、事業関係者は招待されたり記念碑に連名されるのが慣例とされているが、デ・レーケは関連した全土木工事において一度も招待を受けたことがなく、連名の記念碑も無い。これは、お雇い外国人はあくまでも裏方であり、任務は調査と報告書提出のみであって、それを決定し遂行するのは日本側である、という事情の表れとされている。

204:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:44:42.05 ID:a33HAp880.net
今回の大雨でヨハネスデレーケって名前覚えたわ
何をしたか詳しくは知らんが岐阜県民が崇めとる偉い人らしい
215:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:45:45.13 ID:nbhrNKxy0.net
>>204
オランダ人技師や
治水工事してくれたんやで
253:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:50:08.41 ID:a33HAp880.net
>>215
そうだそんなこと言うとった岐阜では織田信長並の知名度誇っとるんだと
防災に尽力した人が一番有名ってなんかええよな
268:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 03:52:02.61 ID:nbhrNKxy0.net
>>253
知っとる人は知っとるレベルやが、社会の授業でやるから知っとる人は多いと思うで
362:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 04:03:23.01 ID:rirNJQaF0.net
>>268
確かにうちのバッバは薩摩の人間には頭が上がらんと良く言っとる。
江戸時代に護岸工事してくれたからと。
381:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 04:04:57.70 ID:92+whM++d.net
>>362
これやな
宝暦治水事件は、江戸時代中期に起きた事件や。幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害したんやで。
413:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 04:08:20.48 ID:rirNJQaF0.net
>>381
せや
バッバの家は木曽と長良に挟まれているからメチャクチャ心配なんや
このスレにいる皆には悪いけど上流で切れて欲しいんや
バッバが助かるなら他がどうなってもエエんやワイは…最低やでほんま
401:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 04:06:58.36 ID:DQIQacsm0.net
>>381
岐阜の小学校に鹿児島から先生きてたな
424:風吹けば名無し:2018/07/08(日) 04:09:28.92 ID:92+whM++d.net
>>401
岐阜県と旧薩摩藩の大部分を継承する鹿児島県は、これが縁で1971年(昭和46年)7月27日に姉妹県盟約を締結しており[2][3]、両県は、県教育委員会同士の交流研修として、お互いの県に小中高校教員を転任させているんや。
2007年(平成19年)より岐阜県では他県への教職員派遣を止めることにしたが、鹿児島県のみ継続しているやで~。


引用元
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1530988034