
大坂の陣とかいう豊臣家中が一致団結してれば全然大逆転出来たであろう戦
1:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:42:44.63 ID:+500MJ7v0.net
マジで
2:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:43:23.00 ID:B5W7Il29d.net
家康に勝ってどうすんだよ
3:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:43:53.65 ID:+500MJ7v0.net
>>2
また戦乱ですねえ…
また戦乱ですねえ…
5:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:44:40.10 ID:tfJmicwx0.net
全軍で家康本陣に突入してれば勝てたやな
9:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:46:35.62 ID:IZ6/WAVB0.net
>>5
家康倒しても意味ないやろ
既に隠居して当主は秀忠に譲っとる
家康倒しても意味ないやろ
既に隠居して当主は秀忠に譲っとる
12:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:47:52.43 ID:+500MJ7v0.net
>>9
家康おらんくなった時点で指揮系統乱れるから秀忠も敗走させられる
打ち取れなくも良い講和条件突きつけることが出来る
家康おらんくなった時点で指揮系統乱れるから秀忠も敗走させられる
打ち取れなくも良い講和条件突きつけることが出来る
15:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:48:45.95 ID:tfJmicwx0.net
>>9
ま? でも東軍にとって家康は神みたいなもんやろ
ま? でも東軍にとって家康は神みたいなもんやろ
6:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:45:35.10 ID:+500MJ7v0.net
毛利と真田が突撃成功したあたりで秀頼本体含む各部隊が進撃してればいけた
44:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:56:23.60 ID:xMrrdNVUM.net
>>6
無線もない時代にどうやってそんな都合よく連携できんねん
真田隊の突撃で家康本陣の近くまで脅かしたなんて結果論やし
最初から作戦として決めてた訳でもないのに
無線もない時代にどうやってそんな都合よく連携できんねん
真田隊の突撃で家康本陣の近くまで脅かしたなんて結果論やし
最初から作戦として決めてた訳でもないのに
50:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:58:14.88 ID:XbcxwyJTd.net
>>44
決めてたやろ、敵をできる限り前線に引き付けて中央に集まったところで手薄の本陣狙う手はずやった
だけど本多がアホみたいに突っ込んできて作戦破綻した
決めてたやろ、敵をできる限り前線に引き付けて中央に集まったところで手薄の本陣狙う手はずやった
だけど本多がアホみたいに突っ込んできて作戦破綻した
本多忠朝天正10年(1582年)、徳川家康の重臣本多忠勝の次男として生まれる。父に劣らぬ勇将で、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに父と共に従軍して活躍した。戦後、その戦功により、父が伊勢桑名藩に移封されると、父の旧領・上総大多喜5万石を与えられた[1]。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣でも活躍したが、酒を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退した。それを家康に咎められた忠朝は、翌20年(1615年)の大坂夏の陣のとき、汚名を返上しようと天王寺・岡山の戦いで先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入し、奮戦したが戦死した。死の間際、忠朝は「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ、死後「酒封じの神」として崇められている。
7:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:45:43.83 ID:mXymYot6p.net
霧がね…
8:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:46:13.12 ID:+500MJ7v0.net
>>7
又兵衛あそこで死んだのは痛かったわ
又兵衛あそこで死んだのは痛かったわ
10:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:46:50.79 ID:+500MJ7v0.net
本田忠朝とかいう猪が毛利に突っ込んできたのもちょっと誤算だったけどそれでも押し返してるしほんまに行けたと思う
11:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:47:51.76 ID:BSJGlU4i0.net
淀君のいう事なんて誰が聞くねん
13:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:47:54.69 ID:MYGTKZxr0.net
冬の陣で掘り埋められたのがね
14:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:48:38.69 ID:MYGTKZxr0.net
家康が死ぬまで粘れば
18:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:49:00.19 ID:+500MJ7v0.net
>>14
家康自身もそれ分かってたから戦は避けられんかったやろなあ
家康自身もそれ分かってたから戦は避けられんかったやろなあ
16:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:48:47.64 ID:uoFHTNe/0.net
実際の戦いやったらやっぱ数の差なんやろなぁ・・・
19:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:49:27.05 ID:F/XeED510.net
慶長14年、関ヶ原の勝者家康は天下統一の仕上げとして豊臣に戦を仕掛ける
太閤秀吉がその力を全て込めた居城大坂城 そこにはかっての栄光を取り戻すため、豊臣のため多くの浪人、武将が集まっていた かっては土佐22万石の主 長曾我部盛親
秀忠3万を足止めした昌幸の子真田信繁
宇喜多家57万石の筆頭家老であった明石全登
黒田家では1万6千石を拝領した男後藤基次
豊臣へ為、1千石をなげうち馳せんじた毛利勝永
豊臣家臣筆頭大野治長の弟大野治房
秀頼の乳兄弟、弱冠22の美男子木村重成
かれら七将の他、薄田兼相、塙直之等の歴戦の強者達
しかし、大坂城の最高権力者は秀頼の母淀とその取り巻き達であり、 七将らの発言力は弱かった
又、この七将達も思惑はそれぞれ。 真に豊臣の為に戦うは毛利、木村、大野くらいか…
その時、浪人で溢れかえる大坂城の人だかりを掻き分けて 本丸に向かう男が一人 全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、 眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた
しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。
しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、 籠城と戦いの方針は決まっていた
「真田殿、後藤殿の策を取れば勝てようものを……」歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、 七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない
初めはそれを、秀吉の遺児、秀頼に期待したものだが、 もはや望むべくもない…そんな時だった
――バタン!! ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。 それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった
「何者ぞ!!」 叫んだのは若き秀頼の忠臣、木村重成
しかし、彼の後ろの淀殿や治長、 いや、彼らだけでなく後藤や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、 ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた
「殿……」 明石全登がようやくといった感じで放った言葉に、 重成を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた
「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より
泳 い で 参 っ た !!!」
秀吉に実の子、いやそれ以上の愛情を受け育ち、 豊臣政権の五大老であっ た男が再び豊臣の為に戦うため帰った来た…
太閤秀吉がその力を全て込めた居城大坂城 そこにはかっての栄光を取り戻すため、豊臣のため多くの浪人、武将が集まっていた かっては土佐22万石の主 長曾我部盛親
秀忠3万を足止めした昌幸の子真田信繁
宇喜多家57万石の筆頭家老であった明石全登
黒田家では1万6千石を拝領した男後藤基次
豊臣へ為、1千石をなげうち馳せんじた毛利勝永
豊臣家臣筆頭大野治長の弟大野治房
秀頼の乳兄弟、弱冠22の美男子木村重成
かれら七将の他、薄田兼相、塙直之等の歴戦の強者達
しかし、大坂城の最高権力者は秀頼の母淀とその取り巻き達であり、 七将らの発言力は弱かった
又、この七将達も思惑はそれぞれ。 真に豊臣の為に戦うは毛利、木村、大野くらいか…
その時、浪人で溢れかえる大坂城の人だかりを掻き分けて 本丸に向かう男が一人 全身に水を滴らせ、息も絶え絶えだが、 眼光鋭く人々は気押され、彼のために自然と道が出来ていた
しかし、一介の城兵を城内に入れるわけにはいかぬと彼を遮る門番。
しかし、そのずぶ濡れの男は一喝した その頃、殿中では真田、後藤らの野戦出兵策は退けられ、 籠城と戦いの方針は決まっていた
「真田殿、後藤殿の策を取れば勝てようものを……」歴戦の武将達はこの大坂城の首脳陣を嘆くと共に、彼等を押さえ、 七将すら束ねる強い指導力と実績を持つ男が居れば…と思わずにはいられない
初めはそれを、秀吉の遺児、秀頼に期待したものだが、 もはや望むべくもない…そんな時だった
――バタン!! ふすまを開き、ずんずんと上座に進む男。 それはさっき、大坂城に現れたずぶ濡れの男だった
「何者ぞ!!」 叫んだのは若き秀頼の忠臣、木村重成
しかし、彼の後ろの淀殿や治長、 いや、彼らだけでなく後藤や真田ですらその顔に驚きを浮かべ、 ただ呆然とその闖入者の顔を見ていた
「殿……」 明石全登がようやくといった感じで放った言葉に、 重成を初め、その場に居た武将達は皆、驚きの声をあげた
「宇喜多備前中納言八郎秀家、豊臣家の御危機を聞き、八丈島より
泳 い で 参 っ た !!!」
秀吉に実の子、いやそれ以上の愛情を受け育ち、 豊臣政権の五大老であっ た男が再び豊臣の為に戦うため帰った来た…
20:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:49:33.84 ID:f2qLuecb0.net
ワイが信繁やったら信幸説得に来た時点で寝返って信濃でゆっくり過ごすわ
21:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:49:53.06 ID:wC005Xgqd.net
政宗「なんや、前線の味方が崩されて邪魔やな、鉄砲で打ち払え」
22:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:50:21.89 ID:+500MJ7v0.net
>>21
割とマジで憂さ晴らしでやったんかもなこれ
割とマジで憂さ晴らしでやったんかもなこれ
24:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:50:57.67 ID:o5TRXlzL0.net
惣堀と外堀わざと聞き間違えるツンボが悪い
25:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:51:38.80 ID:DcOgM0f80.net
それを言うなら関ヶ原だよな
28:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:52:41.12 ID:qJu2qHWT0.net
>>25
北政所を直ぐに抑えた家康が流石や
北政所を直ぐに抑えた家康が流石や
26:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:51:50.39 ID:YjP9fsEBr.net
そもそも家中で一致団結出来なかったから関ヶ原が起きたんだよなぁ・・・
31:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:53:05.78 ID:+500MJ7v0.net
>>26
それは言わないでくれや
それは言わないでくれや
27:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:52:33.67 ID:slK/bMzQp.net
秀吉が家康を朝鮮に派遣してたら違った
35:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:53:45.14 ID:IZ6/WAVB0.net
>>27
そもそも朝鮮に出兵してなかったら豊臣家の分裂は避けられたんかねぇ?
そもそも朝鮮に出兵してなかったら豊臣家の分裂は避けられたんかねぇ?
29:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:52:54.24 ID:wC005Xgqd.net
徳川方は戦知らん雑魚ばっかりやったからな、それをわかってて家康直々に指揮とったんやろうけど
33:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:53:34.61 ID:Ie6qDJ7u0.net
たられば簡単に言うけど寄せ集めの大軍が一致団結とか一番難易度高い話だろ
36:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:53:55.76 ID:l0d3pzGzd.net
??「風俗最高やわ!」
??「すまん、風俗行ってる間に砦落とされたわ」
??「すまん、風俗行ってる間に砦落とされたわ」
39:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:55:31.00 ID:+500MJ7v0.net
>>36
ふぁっきゅー薄田
ふぁっきゅー薄田
41:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:55:38.65 ID:prQTWO480.net
>>36
おは橙
おは橙
40:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:55:37.47 ID:mXymYot6p.net
長曾我部盛親ってそんなに豊臣家に義理あったのか?
兄ちゃん九州で殺されて逆に恨んでてもおかしくないやろ
兄ちゃん九州で殺されて逆に恨んでてもおかしくないやろ
47:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:57:16.86 ID:Ie6qDJ7u0.net
>>40
徳川で改易されたから豊臣に付いて万一勝った時にワンチャンって話やろ
徳川で改易されたから豊臣に付いて万一勝った時にワンチャンって話やろ
51:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:58:25.50 ID:xMrrdNVUM.net
>>40
他にチャンスがないから
立花宗茂みたいに家康が手をさしのべてたら
喜んで徳川家の為に仕えてたやろ
他にチャンスがないから
立花宗茂みたいに家康が手をさしのべてたら
喜んで徳川家の為に仕えてたやろ
48:風吹けば名無し:2018/08/02(木) 10:57:31.38 ID:8ZhbCzZN0.net
大阪城が広大過ぎて それを包囲してる分本陣踏み込まれてもリカバーし難いからワンチャンはあった
そもそも豊臣方も兵力だけはあるし
関連記事徹底討論!真田昌幸がもし長生きして大阪城に入城していたら大坂夏の陣の時に秀頼が出馬すれば勝てたのかそもそも豊臣方も兵力だけはあるし
コメント一覧
幸村の人生最初で最後の大舞台だったのに
真田「和睦しましょう」
後藤「和睦しかないですわ」
秀頼「嫌や!城を枕に討ち死するんや!」
罪人扱いじゃないんだから徳川方に元家臣団連れて味方すれば大名復帰もあり得たろうに
江戸に行ってた宗茂と上方から動かなかった差かなぁ
盛親「しません 今回は徳川の為に戦いたいです」
からの大坂入城だから選択としては徳川で戦って
ちょっとだけ領地貰ってって選択もあったように思えるけど
降伏してきたのに処罰したら、残った大阪方の兵が死にもの狂いで抵抗するだろうし。
豊臣の求心力がその分復活するかっつうと無理があるだろうな。
大阪方の浪人たちが大名復帰できるだけの領地を獲得できるかも厳しい
それな
結局あの状態になってから逆転勝ちしても、徳川にとって致命傷ではない
逆に豊臣は勝たないと終わり、勝っても講和の条件が少し良くなる程度だと思う
大阪周辺の自治程度じゃないかな
何気に伊達は真田と長曽我部と明石の一族保護してるのが良いよね
明石については奥羽の大名の共同作業で匿ってたぽいし
夏の陣は戦ですらない
攻城戦を野戦にして家康に勝てるわけないやろ
ただでさえ自力で統治出来てないのに
後は出来レースの奈良判定
家康だけじゃなくて秀忠もかなり危うかった。もう少し兵力があれば両方とも討てただろう
秀頼が家康に騙されて、浪人追放してなければ余裕で勝ってたんだろうなあ。
冬の陣の半分から三分の一まで兵力がへってりゃそりゃ勝てない。
家康の本陣は真田隊が近づいたってだけで、秀忠の本陣と大野隊は戦闘したよね
って判断された程度の戦闘だったけどな
その最後のガチ勝負も、大義名分は家康の方にあるというのが悲しいところやね
三成は隙をついて挙兵しただけで、家康は豊臣家の命令で会津征伐に向かっていたわけだから
毛利勝永も土佐出る時は「徳川に味方する!」言うて大坂城に入ったんよな。
毛利勝永は徳川にお味方どころか
世話になってた山内氏の当主と衆道の関係で、是非力になりたいというから感動した留守居役が送り出したら大坂城に入ったはず
いまいち毛利勝永の前半生を知らないけれど、何が彼にここまでの事をさせたのか
大野の本陣突入に関しては
本陣にいた立花の記録で、本陣では戦闘がほとんどないし、下の者も無事だったとされてるようだ
どこまでほんとにピンチだったんだろ
65万石の石高じゃ二万の兵を雇うのがやっとじゃネ。
そもそも真田信繁が家康本陣へ突撃できたのは、毛利勝永が本陣までの間の有象無象の徳川勢を軒並み蹴散らしたからだしね。
真田隊はそこまで御膳立てしてもらったのにも関わらず戦果を挙げずに壊滅しちゃったから、毛利勝永も残余を蹴散らしながら大阪城に戻った訳で。
確か秀忠の本陣手前の左備えが立花宗茂で右備えが本多正純なんだけど
正純は常に秀忠の傍にいたんで正純隊の指揮も宗茂が任されてたって記述があるから
本陣前まで攻めて来れたのはほとんどいなかったんだろうな
秀頼も早々にコントロールを喪失してたぽいし
石高はそうだけど実高は100万以上と言われてるね、理由は薩摩と同じ
でも当時の人間は勿論、勝永を再発掘した翁草の作者ですら真田>>>>勝永と評価してるわけで
それを今の人間がどうこういうのはおかしいわ
よくある歴史知識かじり立てで仕入れた知識を語りたいってパターンやろ
真田幸村ってビックネームは大抵の人は知ってるが、勝永に関しては学校の成績以外で歴史に興味持たない人達からしたら無双にも出てこない無名の武将。だから「戦国知ってますよ」感出すには格好の話題のタネになってる
守将が遊郭いってる間に陥落したなんて話もあるし
神沢貞幹は第一功真田、第二功毛利勝、惜しいかな後世、真田を云て毛利を云わずと記してる。
戦績にこれだけ差があるのに、家康に近づいただけという今の評価のほうが正しいと思う
森一族とすら知られていないほうが悲しいぜ
だから一番真田二番毛利といってるのに何で毛利が上だとか言い切っちゃってるんだか
そんなに過去の人間の評価が信じられないならそれこそ過去の人間が残した史料を信じるのはおかしいわ
豊臣の世はないにしても、太閤時代の徳川くらいのポジにはなれたかもしれない
悪いけど江戸中期後期の随筆なんて参考程度だよ
まるまる信じるのはどうかと
さらに言うと翁草の作者の評価も理解してない人がどう考えてるか私には理解できないから
家康・秀忠の旗本衆の中に敵前逃亡者がいた話が、敵の突撃により旗本衆が離散したと
大坂の陣の伝承は時代を経るごとに敵は強かったってどんどん話が盛られていっている印象。
なんの理由もなしに一方的に真田の功績が持ち上げられ毛利が忘れられたとでも?
普通に当時の評価からして真田>毛利でそれが続いたという方が自然だろ
移動するだけで右往左往して、敵が目の前に迫ったら旗本が敵前逃亡とかそれ軍隊としてヤバいレベルだぞ
それができないのが「西軍」(もう関ケ原終わりましたよ)のしょっぱさやろ
※52
そりゃそうよ 数多いから慢心してたんだろ
無双1にはでたぞ
まああれ、大野治長と
武田勝頼と今川義元がひたすら無能なのだが
(義元は猛将伝なかったらどうしようもない奴)
上官である将たちも兵卒のほとんども合戦経験のないのばっかで、旗本がそうなるのもまぁあり得そう
大阪の陣でも西軍東軍という言い方をする、そう書かれている書物もある
ついでに慢心とか以前の問題て、軍隊として機能していないレベルだと思うぞそれ。
真田や毛利大野の特攻で崩されて崩壊した、ならまだ仕方ないかと思うが、
部隊の移動すらままならず、旗本が敵前逃亡とか酷すぎる。
冬の陣で野戦選んでいたら徳川軍は完全に崩壊してるぞそれ
そもそも当時の人間って言ってるのが当時の人間じゃないじゃない定期
だから冬の陣の豊臣方も守将が遊郭いってる間に砦を落とされるなんて腑抜けた事やってんだけど
なんか勘違いしてるのか知らんが翁草は真田は勝永よりすごいが主題じゃなくて真田ばかり言われて勝永が忘れられてるって話だからな
つまりその頃から真田は英雄視され、勝永は忘れられた存在だったわけで
それこそ勝永が真田よりすごいなんていい始めたの現代になってからだろ
あそこが幸村よりも家康と秀忠の見せ場になってたのに感動した。
敵前逃亡っていっても全体で30人程度らしいけどね、処罰を受けているから幕府記録が残ってる
逃亡者が出た青山の組でも先手衆の側で武功はあげているようなので崩壊はしないだろうな
夏の陣は全軍の集結と展開の途中に合戦が始まっているので、家康や秀忠は急遽進路の変更を取っている。その進路変更に追いつけない旗本たちがいたのが実情。
旗本衆の質の低下もあるだろうけど、無線の発達前での大軍勢運用の限界でもある。敵味方共に連携が取れてるとは言いづらい情けない合戦なんだよね
馬鹿に何説明しても無駄なんで無視したほうがいいですよ
幸村遺児を匿う代わりに家康を討ってもらうため伊達軍はさっさと引いたってやつか
デタラメなのは分かるけどロマンはあるよなぁ
関ケ原では伏見・丹後・大津あたりまでが東軍
佐和山は最初から囲まれている状態だから関ケ原・大垣城で負けるとすぐ落ちるわな
選べ
つき従う兵や元家来からの人望もないだろうけど、有楽斎や秀頼の代わりに、城から外に出て兵を鼓舞することで士気を高める効果はあるはず。
逆効果では
秀吉の猶子だったし、秀吉の養女を嫁に貰って実質一門衆だったから
少なくとも、淀は口を挟めなくなるし、秀頼も秀家のやり方をある程度尊重しなくてはならなくなるのでは?
※67も言ってるが鼓舞としては効果は大きいだろう
後は秀家の戦の手腕しだい、という感じだが、局地的には勝っても大局的には勝てないだろうな
仮に宇喜多がいてもあいつ指導力無いから変わらんけどね
そこまで含めてよく出来てるよ