上杉景勝ってなんで上杉憲政を殺害したの?
1:人間七七四年:2018/06/20(水) 11:59:21.44 ID:jKPsfTRP.net
わざわざ殺す必要なかったよね?


引用元
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1529463561


2:人間七七四年:2018/06/20(水) 12:00:16.28 ID:ID63OyNz.net
蝙蝠は始末するにかぎる
4:人間七七四年:2018/06/20(水) 12:24:48.38 ID:eBoetpTl.net
景虎に味方したから
5:人間七七四年:2018/06/20(水) 12:26:44.29 ID:klfrvtu5.net
最新説だと、最初は景勝の後継者継承でつつがなく進んでいた
御館の乱は神余親綱と景勝の対立が発端で、その仲をずっと取り持ってたのが上杉憲政
ところが景勝があまりに強硬に神余を処罰しようとするので仲介の面子潰された憲政がキレる、景勝の強硬さに反発してた上杉家臣団と合わさって景虎を擁立しようと景勝とバトル
ってことだったはず
神余実綱の子として誕生。親綱も父祖の跡を継ぎ、越後国主となった長尾景虎(後の上杉謙信)の下で重用された。代官として主に京都に駐在し、朝廷や幕府との折衝の傍ら、三条西家に接近して青苧などの越後の特産品の売買に関する奉行職も勤める。特に青苧による取引は上杉氏の重要な資金源となり、謙信の関東遠征を資金面で支えた。
天文21年(1552年)5月12日、謙信が従五位下・弾正少弼に叙任されたことに対する謝儀の使者となり入洛。将軍家へ御礼の品々を献上した返礼として、義藤印判の御内書並びに備前国宗の太刀を賜り、同年6月28日に京都より帰着する[1]。後の天文22年(1553年)秋に主君・謙信が初上洛した際には奔走の末、後奈良天皇への拝謁を成功させた。永禄元年(1558年)には帰京した室町幕府13代将軍・足利義輝を祝うための使者にもなっている。
天正5年(1577年)には、三条城主であった山吉豊守の死去に伴う山吉家減封・転封時に三条城主として取り立てられる。
主君・謙信の死後に起こった上杉氏のお家騒動である御館の乱においては、当初は木場城の山吉景長らと共に上杉景勝方に付く動きを見せたが、栃尾城主の本庄秀綱と共に上杉景虎方として参戦。その後も、景勝方の勧誘工作にも応じずに黒滝城を攻撃した。景虎が自刃した後も抵抗を続け、一旦は和議の調停を申し出るも決裂。天正8年(1580年)、景長が三条城内の旧臣に内応を誘い、それに応じた者により討たれた。

7:人間七七四年:2018/06/20(水) 14:53:11.54 ID:019S3LZW.net
のこのこ出てきたら殺すしかないやろ そういう外道なんや景勝は
8:人間七七四年:2018/06/20(水) 15:36:05.64 ID:M1F9LJHQ.net
まあ勢力弱体化してしまったし、今更もう関東には未練ないだろうなw
9:人間七七四年:2018/06/20(水) 15:44:53.54 ID:M1F9LJHQ.net
>>8
追記
だとすると景虎の件が無ければ北条と対立する事は無くなっていたのかな?
12:人間七七四年:2018/06/20(水) 23:32:23.76 ID:iKklYWmN.net
>>9
むしろ上杉憲政が付いてる景虎が上杉継いだ場合
北条との関係がどうなるのかが興味あるな
そもそも景虎は殺されても仕方ないような条件で上杉に人質で捨てられた身だし
23:人間七七四年:2018/06/22(金) 05:39:00.91 ID:pZNhfrVN.net
>>12
氏政としては弟が関東管領家を継ぐってのは政治的によろしくなかったろうね
乱のときの北条の動きの鈍さは氏政の無能さじゃなくて、そもそも積極的じゃない
27:人間七七四年:2018/06/22(金) 08:02:58.83 ID:ehJQvjrw.net
>>23
なんか北条も東上野確保すればそれでよしって感じで
そこから三国峠越えて景虎支援するわけでもなく
景虎と氏政に密接な連携があったとは全く思えず
実際後で厩橋城の北条高広が息子が景虎側で戦死して
氏政の裏切り行為に激怒して武田に寝返る訳だし
10:人間七七四年:2018/06/20(水) 18:53:49.51 ID:lbKqBTNk.net
甥にあたる幼い道満丸まで殺害したんだよな
13:人間七七四年:2018/06/21(木) 00:06:18.18 ID:PWh8rN2M.net
上杉憲政って父親を北条家に殺されてるのになんで氏政の弟の景虎方についたんだろうな この人に関しては良い評価を聞いたことない
285:人間七七四年:2018/08/12(日) 17:57:55.92 ID:vFHYM+PN.net
>>13
憲政は父は殺されてない。息子を殺されてる。
14:人間七七四年:2018/06/21(木) 00:07:11.07 ID:PWh8rN2M.net
あと景勝が憲政を嫌悪してたのもよくわからんよな
16:人間七七四年:2018/06/21(木) 02:29:15.75 ID:Zc79cJh9.net
>>14
神余だって最初から景勝と不仲だったわけじゃないんでしょ?
むしろ神余の領地を浸食しだして対立するように動いた気配があるとか
17:人間七七四年:2018/06/21(木) 07:34:05.35 ID:U7PUJSaP.net
御舘の乱に関しては謎の部分が多いんだよな いくら景勝が憲政憎しとも謙信の養父だった山内上杉家直径の憲政を殺すって何か裏があると思うんだよね
19:人間七七四年:2018/06/21(木) 07:56:08.66 ID:O87aLKJ4.net
御館の乱がおきて三国峠越えるような可能性がほぼ消えたから
上杉憲政は用無しになった
が一番シンプルだけどな
この頃には室町幕府も滅亡してるし関東管領なんてお飾りでしかない
20:人間七七四年:2018/06/21(木) 10:32:52.24 ID:U7PUJSaP.net
憲政の人望の無さが笑える
21:人間七七四年:2018/06/21(木) 19:49:52.61 ID:oPxxGMGx.net
憲政はやらかししかないからな 評価が低いのは仕方ない
22:人間七七四年:2018/06/21(木) 20:41:01.41 ID:nACEVhNz.net
上杉憲政みたいな大物を養うには金が掛かるから
謙信死んで関東管領も雲散霧消したらもうただの金食い虫だもんな
しかも北条系である景虎側に寝返った時点でもう助ける理由がない
24:人間七七四年:2018/06/22(金) 07:17:33.57 ID:sFY+DqxJ.net
関東管領になる事だけが大事なんじゃなく上杉姓をもらったのが重要
しかもわざわざ源氏の総本山の鎌倉鶴岡八幡宮で、平氏の長尾が藤原氏の上杉になる前代未聞のパフォーマンスを謙信は見事にやってのけた
民衆へのアピールは超抜群で正攻法をもって関東支配の大義名分を得た
しかもその前の段階で朝廷と室町将軍に直接会ってその事を認めてもらってる
そこが小田原北条氏とは違う
伊勢氏は関東管領になれなかったので勝手に昔の執権金沢北条氏になりすまし、北条姓を名乗り民衆を騙し関東の棟梁として認めてもらう事にした
そして足利公方を懐柔し関東管領山内上杉憲政を関東から追いやった
25:人間七七四年:2018/06/22(金) 07:19:56.55 ID:sFY+DqxJ.net
謙信がなぜ鎌倉鶴岡八幡宮にこだわったのかはもう1つ深い意味がある
謙信の先祖、長尾定景がまさにその場所で公暁を暗殺し源氏を滅亡に追い込んだ最悪の過去が、坂東八平末弟の長尾氏にはあったから
謙信は最悪の場所で堂々と長尾の姓を捨て上杉に乗り換えることに成功した

憲政が大事なのではなく上杉の姓が重要
坂東八平の下っ端の長尾より足利尊氏の実母の上杉姓の方が格上
武田信玄は謙信が上杉姓になっても嫉妬からずっと長尾と呼んでいたらしい
26:人間七七四年:2018/06/22(金) 07:21:14.15 ID:sFY+DqxJ.net
道満丸を抱え込んだ憲政を討つのは致し方なかったのかも?
本当は道満丸さえ殺せば良かったんだが・・・
憲政は超超ボンボン性質なので長野業正も必要以上に苦労したな
憲政の采配は謙信を頼ったこと以外は全て大ハズレだった
譜代の家臣団は大変だったろうな
憲政が残した最大の功績は現代まで名門上杉姓を残せたことかな
それ以外はなぁ~んもない!
殺す価値もなかったんだが.......超超ボンボン性質なのでついついいつもみたいにジョーカー役をやりたがるもんで・・・
景勝もゆとりがなかったので殺しちゃったな
32:人間七七四年:2018/06/22(金) 08:52:05.60 ID:NMc0uGOu.net
憲政みたいなのは自分の立場もわきまえずしゃしゃり出て来るタイプだから
景勝が謀殺したくなるのはよくわかるw
33:人間七七四年:2018/06/22(金) 13:10:10.23 ID:OqVI4hzx.net
>>32
憲政養うのにそんなに費用かかるのかな?
34:人間七七四年:2018/06/22(金) 13:58:42.89 ID:NF45k6ja.net
憲政の家臣はどれくらい
いたのだろうか
35:人間七七四年:2018/06/22(金) 14:11:32.54 ID:dA7D4GNt.net
憲政ってなんで越後にいたの?
自領に戻ればいいのに
36:人間七七四年:2018/06/22(金) 14:18:11.00 ID:NJtLWU1I.net
景勝が勝っても平井には戻れない、景虎に味方して勝てば北条が恩に感じて平井に戻れると思ったかもな
氏政は絶対に認めないと思うけど
38:人間七七四年:2018/06/22(金) 18:19:20.20 ID:ujx/AUfr.net
景虎が勝って織田と和睦して関東に攻め入ったら最高に面白かったな
44:人間七七四年:2018/06/23(土) 08:43:46.84 ID:ImTdHQ6z.net
謙信が後継者を明確に決めなかったことがなぁ たぶん景虎が後継者だったんだろうけど
49:人間七七四年:2018/06/23(土) 13:29:07.27 ID:pTpEt7Z5.net
>>44
いや景勝に上杉姓や官位を与えたりして謙信は明確に後継者を示している。あくまで道満丸の陣代だろうけど。
単に家督を継いだ景勝と重臣の間に亀裂が入り、重臣が景虎を擁立し跡目争いが始まった
52:人間七七四年:2018/06/23(土) 14:13:44.97 ID:TFdfByxh.net
>>49
北条氏が景虎を養子に出すときに上野支配権を上杉に譲ったことから、
景勝には越後国主、景虎には関東管領を継がせる構想があったのではという説もあったような。
北条氏政は景虎が滅ぼされたことを理由に上野の攻略を宣言している
45:人間七七四年:2018/06/23(土) 10:57:58.95 ID:Z+GHrS6D.net
景虎後継者説は景虎って名前が主たる要因になっているような
46:人間七七四年:2018/06/23(土) 11:50:27.45 ID:NE+s3jWP.net
案外勝頼がでしゃばらなければ、
北条に関東管領と上野の上杉領を譲渡してなんだかんだで収まってたりして?w
47:人間七七四年:2018/06/23(土) 11:56:55.79 ID:JFT14/Nk.net
勝頼が出しゃばらなかったらむしろ御舘の乱はもっと早く景勝の勝利で終ってた
勝頼は結果的には火事場泥棒しただけ
それは氏政もそうで東上野を制圧してる
景虎はピエロだったということ
さっさと関東に逃げればよかったのにね
帰れない事情があったんだろうけど
50:人間七七四年:2018/06/23(土) 13:45:37.30 ID:e6Si0ST0.net
後始末も大変で、毛利秀広、新発田重家、河田実親らの離反を招いた。
とくに毛利は、上杉家執務室に入ってきて直江信綱を殺害し、景勝の居間に近かったことから、以後、重臣と景勝の執務室は遠ざけられた
51:人間七七四年:2018/06/23(土) 14:07:07.85 ID:ImTdHQ6z.net
いくらなんでも憲政を殺す必要はなかったよなぁ
53:人間七七四年:2018/06/23(土) 16:08:05.83 ID:yyYj6OVy.net
氏政と景虎の仲ってどうだったの?あんまり仲が良いイメージないが
56:人間七七四年:2018/06/23(土) 16:16:59.49 ID:TFdfByxh.net
仲良いとか悪いとか、そういう現代的な感覚で当てはめてもな
本家嫡男と末弟ではまず境遇も立場も全然違うし、ずっと一緒にいたわけではないだろうし
ほぼ他人に近い感覚なんじゃないかと思うけどな
血縁関係であるから政治的に利用価値があるくらいなんじゃないかと
57:人間七七四年:2018/06/23(土) 17:39:19.44 ID:4BJaODWu.net
久々に良スレ、これほんと闇が深いよな

そもそも長尾家に「上杉」の看板くれた張本人
おまけに関東管領までくれた

上杉憲政は北条に追われて長尾に逃げ込んだのに
北条派殲滅させる景勝に巻き添えでころされちゃって
悲劇の人物すぎるだろ

謙信は上杉憲政を大事にしてたんだから
あの世で悲しんでると思うし
もちろん景虎が継ぐことによって
北条に上杉まるごととられるのも違うけど

何もころす事ないのだから
景勝が謙信を本当に尊敬してたかかなり怪しい
58:人間七七四年:2018/06/23(土) 18:10:45.32 ID:RNGq01UV.net
>>57
景勝は謙信を尊敬してたよ
謙信の最初の出家名の《宗心》を法名にしたしね

巨大な織田が怖くて余裕がなかったから道満丸を抱え込んでる憲政までも殺した
憲政はまさか自分が殺されるとは思ってなかったんじゃないかな
72:人間七七四年:2018/06/24(日) 15:41:17.48 ID:nvsWvWrJ.net
むしろ殺さざるをえないほど上杉家中での影響力が意外と強かったという事なのかな
91:人間七七四年:2018/06/25(月) 12:48:09.51 ID:aKzUebm/.net
どうだろうな北条の血統とはいえ上杉の当主になったら一線を引かないと家中に面倒くさいの多いし、周りと大した連携を取れないまま史実とそんな変わりなく行くかもな
94:人間七七四年:2018/06/25(月) 17:59:13.34 ID:DHi75r90.net
>>91
例えが北条高広なんかはどうなるんだろうね
厩橋城主だけど息子は景虎側で越後で戦ってる
御舘の乱の間は北条氏政が景虎を支援してるという構図だから
何の問題もなかったけど景虎が越後を掌握したら東上野は上杉のままなのか
それとも北条に割譲するのか?
上杉憲政が景虎側にいることでさらに複雑になりそう
まぁ結局景虎が勝っても憲政は謀殺されそうだなw
95:人間七七四年:2018/06/25(月) 18:45:21.54 ID:wadN5pZ0.net
上杉景勝はそもそもなんで名将扱いなのよって話
柴田勝家ごときに滅亡寸前にやられてるよね
勝家にしたって手取川や賤ケ岳の記録だけでもたいした武将じゃないんだが
97:人間七七四年:2018/06/25(月) 19:07:34.20 ID:5tg2f2Sy.net
>>95
運の良さと外交力かな
武田勝頼には決定的に欠けてた部分
109:人間七七四年:2018/06/26(火) 13:46:05.85 ID:IeXsGww7.net
景勝と新発田重家の関係も不思議だよな。
景勝はなんで新発田重家をあんなに冷遇したんだ?

114:人間七七四年:2018/06/26(火) 18:19:09.25 ID:85or7Ssd.net
>>109
おぉぉぉ、、、
これは怒るわ
115:人間七七四年:2018/06/26(火) 20:52:18.69 ID:+tXlGwhK.net
>>109
これ本当なら本能寺が起こらなかったら後世の景勝の評価どうなってたんだろ……
121:人間七七四年:2018/07/01(日) 12:58:34.31 ID:+Dw0ftbu.net
>>115
勝頼以上の愚将扱いされてただろうね
178:人間七七四年:2018/07/14(土) 08:38:42.28 ID:zJTmbso0.net
>>115
新発田の乱はもともと揚北衆同士の闘争に端を発しているというのが最近の研究結果
景勝が仲裁しようとして上手くいかなかったのは事実
揚北衆(あがきたしゅう)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて越後北部に割拠した国人豪族のこと。揚北とは阿賀野川(揚河)北岸地域のことであり、阿賀北衆ともいう。

137:人間七七四年:2018/07/08(日) 16:37:38.78 ID:rgTXckVF.net
上杉憲政が支援してる景虎が上杉継いだら
北条との関係上かなり微妙

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