nigaoe_akechi_mitsuhide
マイナー戦国大名
1:人間七七四年:2010/02/01(月) 07:25:22 ID:zlaqtJ5a.net
秋月・隠岐・浅利・岩城・姉小路・宗・相馬・伊東・田村・大宝寺

さらには和賀氏や稗貫氏なども。


引用元
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1264976722


2:人間七七四年:2010/02/01(月) 07:27:14 ID:zlaqtJ5a.net
「現在の秋田県仙北地域では、大曲に前田氏、六郷町に六郷氏、
千畑町に本堂氏がいました。前田氏は滅びましたが、江戸時代に本堂氏は常陸の大名、
六郷氏は本荘藩主になりました。」

「越後の阿賀野川(揚の川)の北のいわゆる揚北衆もマイナーな戦国大名
といえるかも知れません.新発田重家とか,村上にいた本庄繁長とかは,
上杉氏から独立,乃至は半独立していたようです.新発田重家は天正後期に
ようやく上杉氏に滅ぼされていますし,本庄繁長は後に上杉氏に従うようになります.」
3:人間七七四年:2010/02/01(月) 07:28:15 ID:zlaqtJ5a.net
関東だと真壁氏とか豊島氏とか・・・・
12:人間七七四年:2010/02/02(火) 11:04:25 ID:lK4COL1n.net
>>3
> 関東だと真壁氏とか豊島氏とか・・・・

真壁氏は形式的には佐竹の家臣だったが
実質的には独立勢力。

江戸氏も実質的には独立勢力だと思う。
4:人間七七四年:2010/02/01(月) 07:31:37 ID:zlaqtJ5a.net
二本松義綱

稗貫大和守義時

南条隆信
5:人間七七四年:2010/02/01(月) 08:06:32 ID:3y6aQv2z.net
肥後一揆で滅亡した国人全部。
すべて佐々成政のせい。
7:仙台藩百姓:2010/02/01(月) 10:37:58 ID:b5VFFqm2.net
マイナーというより自分が知らないだけじゃんお( ^ω^)
西国から見て関東東北の大名がみんなマイナーなように
東国から見れば九州四国中国の大名はみんなマイナーだお┐ (´ω`) ┌
8:人間七七四年:2010/02/01(月) 12:13:16 ID:zjVB0GQN.net
マイナーというのは知名度のことではなく
石高とか合戦歴のことではないか?
9:人間七七四年:2010/02/01(月) 13:25:59 ID:8hg2mn+2.net
じぁあどこまで「大名」の範疇かも決めないと。
江戸時代の一万石基準?
10:人間七七四年:2010/02/01(月) 13:31:02 ID:zjVB0GQN.net
太閤検地以前の戦国大名の石高はあてにならないのではないだろうか?
13:人間七七四年:2010/02/02(火) 13:27:36 ID:NENKHMvZ.net
真壁氏は佐竹洞中に属していただけで佐竹氏に臣従したのは天正18年以降だよ
もっとも洞の定義によって違ってくるけど…
江戸氏については佐竹義昭に敗北してからは佐竹と戦に及ぶことはなくなったが
領内統治は守護不入の特権を最後まで保持していたし、独自に外交や戦も行っていた
真壁氏よりは関係が近いが旗本には遠い
家臣か大名かと言われると断言はしにくい
14:人間七七四年:2010/02/02(火) 15:01:09 ID:0FyH8VvT.net
小田氏とか多気大掾氏もいるなあ。
16:人間七七四年:2010/02/03(水) 00:18:28 ID:vhMx+5J2.net
戦国時代なのにほとんど合戦しなかった大名というとどこがあるの?

やっぱり隠岐氏とか?

宗氏は少弐氏の配下だから、何度か九州に遠征しているが。
隠岐宗清
隠岐氏は隠岐の国人。京極氏の庶流・尼子高久の弟である秀重(宗清の祖父)が隠岐氏を称したとされる(諸説あり)。

隠岐清秀の子として誕生。父・清秀の死後、家督を継いで尼子氏の被官となる。

永正9年(1512年)、村上右京亮雅房に安堵状を送る[1]。永正11年(1514年)、村上清景らを奉行として国分寺を再興する。 大永3年(1523年)、甲尾城を築いて宮田城から居城を移した。

享禄3年(1530年)、水若酢神社との対立から隠岐の諸領主が反乱を起こすが、天文10年(1541年)には尼子氏の援軍を得て隠岐を統一する[2]。

天文13年(1544年)、死去。その後、家督を継いだ子・豊清が父を弔うために寺領を出雲清安寺に寄進したという。

17:人間七七四年:2010/02/03(水) 01:13:04 ID:5/vigasW.net
朽木とか相良とかは大名?それとも小名?
18:人間七七四年:2010/02/03(水) 02:54:22 ID:vhMx+5J2.net
朽木や相良は最下位ながらも大名でしょ。
19:人間七七四年:2010/02/03(水) 03:23:15 ID:JD2ySkDw.net
隠岐さんちは宗清の代で島内で起こった紛争を尼子の後援を受けて鎮圧したり、
宗清の孫・為清の代では尼子家再興運動に参加したり(その後恩賞関係かなんかで仲たがいして討たれたけど)ちゃんと戦に参加してるよ
20:人間七七四年:2010/02/03(水) 08:18:44 ID:8JPHXEWr.net
佐渡の本間氏とかは?
本間氏(ほんまし)は鎌倉時代から戦国時代まで佐渡国を支配した氏族。武蔵七党横山党海老名氏流。本間の名は相模国愛甲郡依知郷本間に由来。

鎌倉時代初期、佐渡国守護となった大佛氏(執権北条氏の支流)の守護代として佐渡に入った本間能久より始まる。雑太城さわだじょうを本拠として勢力を伸ばし、いくつかの分家に分かれた。

永正6年(1509年)、永正の乱では関東管領上杉顕定に敗れた越後守護代の長尾為景と守護上杉定実を匿い、翌永正7年(1510年)には羽茂本間家・雑太本間家が為景に援軍を出し寺泊から越後へ上陸、長森原の戦いで顕定を敗死させた。その功により為景から越後に領地を与えられている。

戦国時代になると分家の河原田本間家、羽茂本間家の力が強まり度々争うようになり、惣領家の雑太本間家は没落する。

為景の子長尾景虎(上杉謙信)の代に河原田、羽茂両家の争いはいったん収まるものの、天正6年(1578年)の謙信の死後に再燃する。後に上杉景勝の代になると、会津の蘆名氏、出羽国の最上義光と結び反上杉の姿勢を取るようになる。

豊臣秀吉から許しを得た景勝は、1589年、佐渡へ侵攻し本間氏を討伐。抵抗する佐渡側の本間氏と決別して上杉側に就いた一部の本間氏は、討伐後に佐渡を離れて上杉家と共に越後、会津、米沢へと移転した。

21:人間七七四年:2010/02/03(水) 10:12:39 ID:dtiGNgXs.net
佐渡の本間氏は本土に出兵したことあったっけ?
22:人間七七四年:2010/02/03(水) 19:21:34 ID:O50r+ZHB.net
備前の松田家の出番か
松田氏(まつだし)は、相模国足柄上郡松田郷に発祥した藤原秀郷流波多野氏一族の氏族と、丹後を拠点とする桓武平氏流の奉行衆一族が知られている。室町時代後期に備前国西部一帯に存在した家系、室町時代に幕臣として京都に存在した家系(近年、丹後守・若狭守・豊前守・対馬守流の奉行衆松田氏一族は平姓であり[1]奉公衆の波多野氏一族とは全く別の家系であることが判明している[2])、小田原後北条氏に仕えた後に加賀前田家に召抱えられた相模松田家本家、その分家は結城家、徳川将軍家旗本になった家系がある。

松田元陸の代には、足利義晴のもと大永2年(1522年)京の都で所司代に就任するなどしていたが、享禄4年(1531年)、天王寺合戦で味方の浦上村宗とともに討死。孫の松田元輝の代になると宇喜多直家の力が強大になり、子の松田元賢に直家の娘と婚姻させ、姻戚関係を結ぶ、さらには当時美作・備中への影響力が強かった尼子晴久が浦上氏を攻撃すべく備前へ侵攻してきた際には、尼子方に属するなどによって勢力の維持を図ろうとしたが、永禄11年(1568年)、宇喜多直家に主力の重臣である宇垣与右衛門を謀殺され、さらに直家の調略により虎倉城主の伊賀久隆に寝返られ、同永禄11年(1568年)7月、宇喜多勢に金川城を攻撃され元輝は伊賀久隆の鉄砲隊により討死。元賢も金川城落城により落ち延びる途中、伊賀勢の伏兵により討死。元賢の弟の松田元脩は備中に逃れ(一説には因幡の山名豊国に仕えたという)、備前松田氏の宗家流は滅亡した。

ただ、庶流家である西谷城主の新庄松田氏は浦上氏に従うことで宗家滅亡後も存続し、主に美作南部の戦線で功を挙げた。天正2年(1574年)から表面化した浦上宗景と宇喜多直家の抗争の際には新庄松田氏は宗景方について戦い、翌天正3年(1575年)に浦上宗景が追放され宇喜多直家が実権を握ると新庄松田氏は浦上方だったこともあって所領を削られたものの存続は許された。以後、宇喜多政権でも新庄松田氏は在地の土豪として小さいながら勢力を保っていたが、宇喜多氏の改易後は帰農を余儀なくされた。

23:人間七七四年:2010/02/04(木) 02:38:47 ID:KXqSxFOw.net
備前の松田家は大名だっけ?
25:人間七七四年:2010/02/04(木) 03:38:35 ID:KXqSxFOw.net
で、戦国大名なのに合戦をあまりしなかった大名はどこがあるかだが。
24:人間七七四年:2010/02/04(木) 02:42:54 ID:xtqu1lpI.net
守護権力から離反したのは比較的早い方だとは思う
26:人間七七四年:2010/02/04(木) 12:11:21 ID:5RhL3XQ1.net
戦争はしているが
房総半島の武田氏はマイナー戦国大名といえないだろうか?
28:人間七七四年:2010/02/05(金) 22:51:11 ID:GnDfxaMD.net
ちょっと前まで長宗我部なんてマイナー大名だったのに
某ゲームのせいで有名になっちゃったよな
知る人ぞ知る的な存在感が好きだったんだが・・・
29:人間七七四年:2010/02/06(土) 06:32:20 ID:9bVun2xL.net
長宗我部はマイナーじゃないでしょ。

マイナーなのは土佐一条氏とか。
216:人間七七四年:2011/10/14(金) 23:12:02.30 ID:Hh6nVPqe.net
>>29
> 長宗我部はマイナーじゃないでしょ。
>
> マイナーなのは土佐一条氏とか。
安芸氏はまちがいなくマイナー
安芸氏(あきし)は、土佐の国人領主。土佐国東部の安芸郡を支配したが、戦国時代に長宗我部元親によって滅ぼされた。安芸氏の出自は、通説では壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)に味方した結果、土佐に配流となった蘇我赤兄の子孫が土佐の東端である安芸郡などに拡大して台頭し、国人になったものと伝わる。ただし別説も多く[1]、詳細な出自に関しては不明である。

30:人間七七四年:2010/02/06(土) 08:16:05 ID:dPvcSpTD.net
野望に出てくる大名家はもはやマイナーではないのでは
31:人間七七四年:2010/02/06(土) 10:12:21 ID:O9UwHscA.net
紀伊の堀内とかはマイナーだと思うが。
32:人間七七四年:2010/02/06(土) 11:26:43 ID:tch76pOr.net
波多野氏とか・・・
34:人間七七四年:2010/02/06(土) 13:20:52 ID:1aZx73Ey.net
>>32
波多野氏よりも赤井氏(直正限定?)の方が戦国大名っぽい気がするw
まあ波多野氏も初期の戦国大名といえばそうなんだけど。
33:人間七七四年:2010/02/06(土) 11:37:59 ID:O9UwHscA.net
備前の三木とか赤松も?
37:人間七七四年:2010/02/06(土) 17:49:36 ID:92DFNEZg.net
>>33
そいつら備前じゃなくて播磨じゃね?


マイナーと言えば一向一揆に滅ぼされた加賀の富樫さんとかは?と思ったがあれは戦国時代のちょっと前ぐらいの守護大名か。

下野の那須とかはどうなんだろうか。
35:人間七七四年:2010/02/06(土) 13:31:40 ID:O9UwHscA.net
赤井英和の先祖ということだが
武勇にのみ長じていたとも。
36:人間七七四年:2010/02/06(土) 15:57:52 ID:dPTw1ai/.net
北伊勢の諸勢力はどうかな?
神戸や長野あたり
38:人間七七四年:2010/02/06(土) 18:38:12 ID:D3/60NKv.net
>>36
> 北伊勢の諸勢力はどうかな?
> 神戸や長野あたり


神戸はマイナー大名だと思う。長野はどうだろ?
39:人間七七四年:2010/02/06(土) 18:40:04 ID:D3/60NKv.net
下野の那須氏とか宇都宮氏もマイナー大名かもしれないが
宇都宮氏はけっこう戦争が強かった。

相馬氏もマイナー大名とはいえ騎馬部隊が強かった。
40:人間七七四年:2010/02/06(土) 18:46:59 ID:dPvcSpTD.net
下野那須は烏山で保つ

防戦での強さは倍以上の動員の佐竹を何度も追い払ってる
とにかく烏山の立地がいい
41:人間七七四年:2010/02/06(土) 20:02:14 ID:D3/60NKv.net
安房の里見は戦国大名といっても
地理的に北条以外とは戦争できないわけで。
43:人間七七四年:2010/02/06(土) 23:33:56 ID:LQU2L02m.net
立花宗茂の弟の高橋統増はマイナー大名に入るんだろうか?
44:仙台藩百姓:2010/02/07(日) 09:30:06 ID:IjT/RVKn.net
そもそも立花は戦国大名じゃないじゃんお( ^ω^)
45:人間七七四年:2010/02/07(日) 10:00:53 ID:/zpRU6Eb.net
まあそうだ。
46:人間七七四年:2010/02/07(日) 11:09:08 ID:KsQJxXPy.net
大和の越智とか
47:人間七七四年:2010/02/07(日) 11:22:00 ID:pk+ocpCk.net
大和の越智は「メジャーな土豪」という感じ?
49:人間七七四年:2010/02/23(火) 08:21:00 ID:oW0MVWqX.net
真壁氏は佐竹氏にくっついて秋田に引っ越したんだっけ?
55:人間七七四年:2010/03/18(木) 05:51:53 ID:krRZQRuE.net
マイナーつーと北郷氏、陸奥石川氏、南条氏、伊予宇都宮氏の事か?
禰寝氏、米良氏、美作三浦氏、伊地知氏、菱刈氏、土持氏、北原氏、
この辺になってくると豪族なのか小名なのか俺には区別がつかん。
61:人間七七四年:2010/03/18(木) 20:56:12 ID:/SjQ4MXB.net
日向の伊東氏はマイナーながらも鎌倉時代から明治維新まで完走しているな。
63:人間七七四年:2010/03/18(木) 22:59:09 ID:JGbLnxSx.net
秋月や姉小路や相馬がマイナー大名?
ノブヤボに出てくる武将ならマイナーではあるまい。

大笑いなのは「富樫」がマイナー大名とかいうレスがあったことだ。
確かにノブヤボには出てこないけど、メッチャ名族やん。
64:人間七七四年:2010/03/18(木) 23:19:31 ID:krRZQRuE.net
>>63
名族どうのとかじゃなくて一般的知名度がやっぱ
低いから名前があがったんだろ
69:人間七七四年:2010/03/19(金) 23:16:56 ID:D/cu6oVX.net
飛騨の江馬氏
73:人間七七四年:2010/03/20(土) 08:50:07 ID:IfHZlMlp.net
室賀氏はマイナーかな?
いや、それ以前に大名って呼べるかな?
75:人間七七四年:2010/03/20(土) 12:49:03 ID:uDoL3BTM.net
小野寺氏はどう?
76:人間七七四年:2010/03/20(土) 21:13:43 ID:FlZ6uu/p.net
まあまあ。
79:人間七七四年:2010/03/21(日) 21:08:03 ID:ODLCiXNv.net
まあ「ゲームから入った」のがいけないというか
「ゲーム基準でしか見ない」のがいけないって事ね。
80:人間七七四年:2010/03/21(日) 22:18:37 ID:guLQQv/b.net
戦国時代なのにほとんど戦争しなかった大名=日向の伊東氏はどうだっけ?
88:人間七七四年:2010/03/22(月) 15:35:53 ID:y6aWIiEn.net
>>80
戦争し続けたのが伊東の個性だというのに・・・。
81:人間七七四年:2010/03/21(日) 22:27:51 ID:KMf74JHs.net
伊東はしまくりだろ
82:人間七七四年:2010/03/22(月) 00:14:08 ID:K1nv5KmH.net
紀伊の雄、堀内氏善は?
83:人間七七四年:2010/03/22(月) 02:07:55 ID:viXS34tm.net
>>82
十分マイナー
85:人間七七四年:2010/03/22(月) 06:49:15 ID:aD3T+v9A.net
戦国時代なのにほとんど戦争しなかった大名をあげよ

        ↓
86:人間七七四年:2010/03/22(月) 08:06:39 ID:y6YxjarH.net
内ヶ島氏 大名かどうかは置いといて
87:人間七七四年:2010/03/22(月) 14:09:59 ID:DNDtcaU+.net
内ヶ島氏は戦争ではなく地震で滅んだのではなかったか?
89:人間七七四年:2010/03/22(月) 15:40:21 ID:DNDtcaU+.net
戦国時代なのにほとんど戦争しなかった大名ねえ。

ちょっとわからないな。
91:人間七七四年:2010/03/23(火) 00:04:01 ID:lE6jViBQ.net
隠岐氏はどうだっけ?
92:人間七七四年:2010/03/23(火) 00:46:34 ID:FgK1LRMO.net
>>91
なかなか良い着眼点ですなw
98:人間七七四年:2010/03/24(水) 23:42:04 ID:cFmjVx6X.net
謀殺を使った大名はたくさんいるけど、
戦をほとんどせず謀殺ばっかりで没落武家から数カ国に支配をのばした直家は異端中の異端
103:人間七七四年:2010/03/29(月) 17:12:03 ID:y2dz2ugO.net
大名扱いかわからんが宇久氏。
宇久氏(うくし)は、日本の氏族の一つ。上松浦党。肥前国松浦郡宇久島より起こる。 壇ノ浦の戦い後に伊勢平氏の一族で平清盛の弟家盛が宇久島へ上陸し、同島の領主となって宇久次郎と名乗り宇久氏を興したともいう。宇久氏は鎌倉時代から戦国時代にかけて宇久島から五島列島全域に支配を広げていった。玉之浦納の反乱により一時衰退するも、宇久盛定が松浦氏の援助により中興を果たす。盛定の跡は子の宇久純定が継いだが、純定は晩年にキリスト教への傾倒を強め、子の宇久純尭(五島純高)はキリシタン大名「ドン・ルイス」となる。純尭自身は熱心なキリシタンであったが、キリシタンへ反発する家臣との対立が次第に強まっていく。

純尭の子の宇久純玄(五島純玄)は一転してキリシタンに対する弾圧者に転じる。純玄が五島姓を名乗り、以後は五島氏()となった。純玄が急死した後は叔父の五島玄雅が継承し、五島氏は江戸時代を通じて明治維新まで福江五島藩主と分家の富江藩主として続いた。

109:人間七七四年:2010/04/15(木) 09:13:47 ID:8SA0ktQN.net
日向の三位様がアップを始めました
112:人間七七四年:2010/05/18(火) 09:04:34 ID:4H0yCeBc.net
あやや氏
松浦氏の系譜については諸説あるが、渡辺綱の子孫とするのが通説。中世には肥前・壱岐の水軍衆である松浦党をなした。 松浦党のうち下松浦党の本来の嫡流は松浦直の嫡男の松浦清の末裔(まつえい)の一族であるが、松浦氏の数多くの傍流のうち、松浦直の五男の峯披の子孫から平戸を本拠とする平戸松浦家(平戸氏)が興った。これが平戸氏から松浦氏に改名した。松浦弘定、松浦興信の時代には内紛もあったものの次第に惣領家や他の庶家をしのぐようになり、興信の子の松浦隆信の代には、惣領家や上松浦党をも従えて松浦半島を統一する戦国大名となった。隆信とその子の松浦鎮信は豊臣秀吉に従い豊臣政権の下で近世大名としての道を確立した。江戸時代には江戸幕府の下で平戸を城下町として平戸松浦氏の平戸藩6万3千石を構え、改易されることもなく、明治維新まで続いた。

118:人間七七四年:2010/05/25(火) 01:24:42 ID:FZj71QvQ.net
城井氏はマイナーですか?
119:人間七七四年:2010/05/25(火) 04:30:44 ID:0ith5R4m.net
マイナーだと思う。
121:人間七七四年:2010/05/25(火) 12:33:15 ID:CGOBZ+1p.net
摺上原合戦敗退、蘆名氏滅亡の一因をなした猪苗代盛国って最後はどうなった
のだろうか?

小田原参陣が遅れて他の陸奥大名同様取り潰された?
122:人間七七四年:2010/05/25(火) 13:40:32 ID:M6dsVRTp.net
猪苗代氏は大名じゃないよ
葦名氏の被官から伊達氏の被官へ乗り換えただけ
仙台藩では準一家として優遇された
124:人間七七四年:2010/05/25(火) 20:11:34 ID:CGOBZ+1p.net
>>122
ありがとう。

最上に滅ぼされた小国の細川氏意外な所では前田三代の陰で目立たない、
おまつさんと利家の次男利政はどうですか?

領国(伯耆・黒坂)もマイナーな関一政
123:人間七七四年:2010/05/25(火) 19:16:21 ID:TNtKj1we.net
「信長の野望・全国版」だけで有名な大名というと
紀伊の堀内氏?
125:人間七七四年:2010/05/25(火) 21:07:56 ID:TNtKj1we.net
関一政は川中島をおさめていたこともあったんだなあ。
127:人間七七四年:2010/06/20(日) 23:28:42 ID:NQQw+mV7.net
>>125
ソヤツは大名扱いでいいのが?
よくわからんが。
128:人間七七四年:2010/06/21(月) 00:46:52 ID:GK98L9UA.net
浪岡北畠氏ってのは大名なんかいな?
129:人間七七四年:2010/06/21(月) 08:11:07 ID:mZpwZU5m.net
>>128

微妙。
130:人間七七四年:2010/06/21(月) 22:38:24 ID:0hqnizAe.net
那須とかも大名とは呼べんかもしれん
131:人間七七四年:2010/06/21(月) 22:40:59 ID:7wtO2IlW.net
土豪かな?
132:人間七七四年:2010/06/22(火) 00:30:48 ID:w4zeKLfx.net
北信の笠原
南信の高遠・仁科
東土佐の安芸
羽後の浅利
あと奥州斯波
134:人間七七四年:2010/06/22(火) 09:24:06 ID:nRBaQEER.net
那須氏が大名じゃないなら上野、下野、常陸、下総あたりには大名がいない事になる
135:人間七七四年:2010/06/22(火) 09:50:08 ID:qugtexbF.net
安房の里見が大名なのに、那須や宇都宮が大名でないとはいえないだろ。
136:人間七七四年:2010/06/22(火) 16:52:38 ID:BMHgJMQu.net
遠山氏は取り潰しも移動もなく幕末まで続いた大名家だけど、有名な城主は織田と秋山だけだな。
同じ美濃の遠藤氏は、唯一のウリが「山内氏室・松の出身地という説がある」だけだな。
138:人間七七四年:2010/06/26(土) 17:44:13 ID:kOjxcEwH.net
伊東義祐
139:人間七七四年:2010/06/26(土) 18:04:26 ID:4UAiwVxV.net
伊東と島津はどちらも古い家なのに、どこで差がついたのか?
140:人間七七四年:2010/06/27(日) 09:44:23 ID:auYMYQ8s.net
鉄砲とか
141:人間七七四年:2010/07/18(日) 08:21:19 ID:kEBraGW8.net
隠岐氏あげ

関連記事
織田信長って弱小大名だったの?
織田信長の初期って言うほど弱小か?