前田利家「前田の名は千年の時を超えて語り継がれるだろう」
1:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:27:59.58 ID:aY9PhMyj0.net
あと600年は無理やろ
2:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:28:25.50 ID:AcXZ58M2a.net
信長の野望が続く限りはいける
3:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:29:08.72 ID:aY9PhMyj0.net
>>2
信長の野望があと600年あるとおもうんか
信長の野望があと600年あるとおもうんか
4:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:29:17.62 ID:nSzis+5p0.net
日本史で一番人気の時代に生まれて良かったな
6:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:29:43.83 ID:a+TEc3pSd.net
千年前の武将とか有名どころの源氏しか語り継がれてないし無理やな
17:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:31:32.94 ID:AcXZ58M2a.net
>>6
比企とか畠山とか族滅した奴らも一応語り継がれてるから、加賀百万石もいけるんちゃうか?
比企とか畠山とか族滅した奴らも一応語り継がれてるから、加賀百万石もいけるんちゃうか?
7:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:30:00.76 ID:gJkgwjr10.net
嫁の写真が見てえ
どんなんやったんやろ
どんなんやったんやろ
16:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:31:20.81 ID:a+TEc3pSd.net
>>7
2男9女生ませたくなるくらいの美女だったことはたしか
2男9女生ませたくなるくらいの美女だったことはたしか
118:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:45:44.06 ID:gJkgwjr10.net
>>16
当時の衛生観念とか医療知識だと出産はかなりハイリスクなのに凄いことや
当時の衛生観念とか医療知識だと出産はかなりハイリスクなのに凄いことや
8:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:30:02.22 ID:fO8JEik60.net
ヤリの股左
9:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:30:10.33 ID:oSo+ikUma.net
特に実績や功績ないのに加賀大納言100万石は草生える
10:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:30:23.36 ID:g+bEuUcr0.net
小学生程の子供と結婚したおじさん
有罪
有罪
22:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:32:05.82 ID:CKetEe56a.net
いけるやろ
加賀百万石ってなんか耳に残るし
加賀百万石ってなんか耳に残るし
23:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:32:18.77 ID:7DxzDqQK0.net
戦いの最中に柴田勝家を裏切って撤退するとかいう小早川秀秋に近いことをやってるのに批判されない
85:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:41:15.87 ID:G98r3FFO0.net
>>23
戦国時代の俗説製造マシーンこと小瀬甫庵のパトロンやし
太閤記でもageageよ
戦国時代の俗説製造マシーンこと小瀬甫庵のパトロンやし
太閤記でもageageよ
34:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:33:48.35 ID:+n+9qDz2d.net
>>23
農民出のせいで身内がほとんどいない秀吉の数少ない親友だから
仕方ない
農民出のせいで身内がほとんどいない秀吉の数少ない親友だから
仕方ない
40:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:34:39.62 ID:CKetEe56a.net
>>34
まつとねねが仲いいのは聞くけど
秀吉と利家が仲いいエピソード聞いたことない
まつとねねが仲いいのは聞くけど
秀吉と利家が仲いいエピソード聞いたことない
42:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:35:08.84 ID:37sqgYJs0.net
>>40
仲悪かったら取り立てられてない
仲悪かったら取り立てられてない
68:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:39:00.70 ID:aY9PhMyj0.net
>>42
秀吉が死ぬ時になって、息子の事頼めたのが利家しかいなかった話すこ
秀吉が死ぬ時になって、息子の事頼めたのが利家しかいなかった話すこ
544:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 15:26:10.94 ID:GRnwpouHd.net
>>68
俺が見た大河では官兵衛に頼んでたぞ
俺が見た大河では官兵衛に頼んでたぞ
555:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 15:27:27.71 ID:tRLWVwjpa.net
>>544
大河の主人公に秀吉や家康が死ぬときにお願いするのはテンプレやな
大河の主人公に秀吉や家康が死ぬときにお願いするのはテンプレやな
27:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:32:42.41 ID:a+TEc3pSd.net
加賀一向一揆を殲滅した功績
36:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:33:51.13 ID:CKetEe56a.net
>>27
40年くらい抑えてた朝倉宗滴さんの功績…
40年くらい抑えてた朝倉宗滴さんの功績…
30:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:33:05.46 ID:FqARs6AGd.net
昔の文献とか火事とか洪水とかで死ぬ時代からネットに残る時代だからな。今ネット上にあるデータは簡単には消えんやろ
394:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 15:13:31.47 ID:B1YqKKFoH.net
>>30
逆や、ネット上のデータなんか意図して残そうとせんとどんどん消える、しかもデジタルデータって100年も保存媒体が持たん
逆や、ネット上のデータなんか意図して残そうとせんとどんどん消える、しかもデジタルデータって100年も保存媒体が持たん
436:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 15:17:08.74 ID:AcXTSKx3d.net
>>30
デコードする技術ないとね…
デコードする技術ないとね…
500:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 15:21:58.08 ID:gJkgwjr10.net
>>436
石版に掘るのが最強やな
石版に掘るのが最強やな
31:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:33:07.49 ID:FAKO0MkN0.net
石川では間違いなく残るぞ
なお加賀百万石時代村
なお加賀百万石時代村
55:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:37:04.07 ID:ykD2Q/aBa.net
秀頼を…秀頼をよろしく頼みますやで…
71:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:39:10.85 ID:wzhlfdHfd.net
>>55
タヌキ「わかったやで(ファーwwwwwwww)」
タヌキ「わかったやで(ファーwwwwwwww)」
78:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:40:23.23 ID:MrwcuAXCd.net
>>71
ほんまタヌキジジイタヌキ
まあ、畜生じゃないと国のトップには立てんのやろな
ほんまタヌキジジイタヌキ
まあ、畜生じゃないと国のトップには立てんのやろな
86:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:41:21.01 ID:FRmeNIIGM.net
>>78
まぁでも家康も今川とか織田は保護してたからな
豊臣は恩も無くて恨みしかなかったから叩き潰しただけで
まぁでも家康も今川とか織田は保護してたからな
豊臣は恩も無くて恨みしかなかったから叩き潰しただけで
97:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:43:06.20 ID:9IepPW16a.net
>>86
武家である事捨てて公家になってたら存続した可能性あるで
武家である事捨てて公家になってたら存続した可能性あるで
117:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:45:38.24 ID:g0XTDkewa.net
>>86
家康と朝日姫の結婚という誰も幸せになれない結婚
家康と朝日姫の結婚という誰も幸せになれない結婚
128:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:46:28.87 ID:sJDrGonxa.net
>>117
元夫死なされて草も生えない
元夫死なされて草も生えない
65:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:38:37.82 ID:7dlo1ffFd.net
めっちゃ強かった上杉抑えてたのは佐々成政やろ?
前田利家は槍奮った猛将ってイメージやけど最前線の司令官やらされてない辺り当時の評価が透けて見えそう
前田利家は槍奮った猛将ってイメージやけど最前線の司令官やらされてない辺り当時の評価が透けて見えそう
75:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:39:58.80 ID:9IepPW16a.net
>>65
その当時の上杉は新発田の反乱にすら手こずってる瀕死やぞ
その当時の上杉は新発田の反乱にすら手こずってる瀕死やぞ
67:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:38:57.28 ID:mwgTXZmh0.net
佐久間ガイジがこない
76:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:39:59.21 ID:qZt6vwiLa.net
加賀百万石って最高クラスだし後には親藩扱いで別格すぎるよ
家康と直接やらずとも冷戦みたいな状態だったのによくここまで厚遇されたな
家康と直接やらずとも冷戦みたいな状態だったのによくここまで厚遇されたな
92:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:42:19.92 ID:qzY4LnsMd.net
>>76
直接やらんかったことに意味があるからな
仮に関ヶ原より前のタイミングで徳川にブチ切れてたらそれこそマジモンの天下分け目の大戦始められる立ち位置におったし
直接やらんかったことに意味があるからな
仮に関ヶ原より前のタイミングで徳川にブチ切れてたらそれこそマジモンの天下分け目の大戦始められる立ち位置におったし
102:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:43:35.13 ID:se2qrm6A0.net
いわゆる天下人3人に次いで
立ち回りが上手かった人て事になるんかね
元はグレて出奔とかしとるアホやのに
立ち回りが上手かった人て事になるんかね
元はグレて出奔とかしとるアホやのに
103:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:43:40.77 ID:4N+cYffD0.net
ps4で創造PKが珍しくセールになってるから買おうかな
150:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:49:03.44 ID:HIjunW8sF.net
>>103
信長の野望最高傑作やから間違いなしやで
PKなら安心や
信長の野望最高傑作やから間違いなしやで
PKなら安心や
121:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:46:02.08 ID:xBFep5wjM.net
ワイ「前田って外様大名のくせにめちゃくちゃ高待遇やんけ!」
134:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:47:29.54 ID:CfgMX7BU0.net
花の慶次見たけど利家って卑怯で器小さくて嫉妬深いやつやん
どこが評価されてんだこんな奴
どこが評価されてんだこんな奴
142:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:48:19.62 ID:K47rDKyfM.net
>>134
花の慶次の利家は本当かわいそうやで
花の慶次の利家は本当かわいそうやで
152:風吹けば名無し:2019/02/06(水) 14:49:25.38 ID:4/SVwwtx0.net
前田利家「サンキュー武論尊フォーエバー原哲夫」
関連記事前田利家という稀代の律儀者柴田勝家は前田利家に「君は秀吉と友達だから、許してくれるだろう」と言っていたのに
コメント一覧
前田は不利になって逃げだしただけであって、それまでの味方に襲い掛かるようなことはしていない
1019年は藤原頼通が関白になった年らしい
そういえば先日は道長の「望月の かけたることも なしと思へば」で詠まれたときからちょうど千年目の満月だったとか、ちょっと話題になってたな。藤原の名は千年越えて語り継がれたわけだ
戦国時代の有名武将ならあと600年くらいわりと残るんじゃね
2000年後でも残りうると思うな。
それぐらい、関ケ原の戦いのきっかけになったのは大きい。
前田家があの位置にいれるのは関ヶ原で東軍に着いたからなのに
利長の功績吸ってると言うか
あれで裏崩れになったんで悪質度は同じやで
むしろ金吾は開戦前から西軍やめてた説もあるくらいだから……
即日はさすがに気が引けたにせよ
後日襲ってたのでは?
もちろん心情的にも揺れただろうけど勝ち馬に乗ってお家を残す
戦国時代に置いてこれ程の最良の手は無いでしょ
あそこで前田部隊が踏ん張ったところで勝家本隊全然動いてなかったし反撃とはいけなかったんじゃないかな
まあ勝者をくさすネットだとどうしても利家裏切り!って流れになっちゃうけど
さすがに功績も実績も何もないとかいうのは書く前にちょっとでも調べた方が良いかと
勝てそうに無いから無断撤退します⇒裏崩れで味方全滅
は戦犯呼ばわりも仕方ないわ
勝ち馬も戦国の倣いも否定しないけど
一方で裏切りの誹りと秀秋同列視も甘んじて受けるべきだと思う
秀吉政権でナンバー2にいるほどの何やったのかは
未だによくわからん
慕われてたらしいし何もやってないわけではないだろうし
秀吉がおお返し決めて、佐久間が敗退して戦線が崩壊した時点で負けてるんですよ
負け戦から撤退し敵が城に迫ったら降伏するのは、珍しくない。
少なくともそれまでの友軍に攻撃をしかけた秀秋とは異なる
もともと重鎮だったのは間違いないけど
No.2のポジションは秀吉が死ぬ直前に急造されたものだと思う
大坂近辺通る軍勢を囲んで引き留めて無理矢理有軍にする西の方針に問題がある
長宗我部や島津はもっと恨んで良い
小牧長久手、九州、小田原、朝鮮
で空気役をしてくれた
金沢市ってのも県庁所在地として認識できる
七尾とか輪島とか能登半島とか氷見とか蜃気楼も大丈夫
が、「石川県」だけがなぜか難産でしか出てこない
小牧長久手の派生で末森の戦いとか越中征伐とかやってるけど賤ヶ岳後の戦は「秀吉の戦」って括られちゃうから見えにくいんだよね
敗北濃厚からの撤退降伏を裏切りと呼ぶのはちょっと言い過ぎだと思う
戦線離脱しなければ負けなかったってのはこの戦が利家隊の動き如何で決まるって逆に評価してるようなもんだよね
永井豪の描いた「前田利家」だと、二人は若い頃仲が良かったとある
その辺どうなんだろうな
花の慶次の利家、人間臭くて俺は好きなんだよな
松が慶次と浮気するんじゃないかって後を付けたりw
官位的にも石高も秀吉死ぬ前でも五大老でNo.2じゃなかったけどね
そういうポジションがあった訳でなく秀吉との関係や周りの人望合わせて政権2番手として見られてたんでしょ
若い頃家は隣同士だし娘を秀吉に養子出してるし仲は良かったんじゃないかな
俺も花の慶次で利家を知ったんだけど調べると慶次の傾奇エピソードがまんま利家のだったりするんだよね
あるのは城址で、「完全な金沢城」は無いんだよな
能登空港を作る金があったなら金沢城を復元できたのに
まあ大河ドラマで戦国物なら1回は出してもらえるのが嬉しい
伏見時代は家康と秀吉のが一緒に行動している記録が多い位だし
前田家の史料を見ると親友ってのが強調されているけど、正直信用していいのか微妙
→3000年でも4000年でもいける(ファラオ
家が残る
→養子入れまくりだけど2000年いける(天皇家
血筋と家が残る
→1500年ならいける(千家
→700年ならいける(島津家、相馬家、相良家、伊東家
→400年でいいなら(徳川家
さすがに直接手を下すのと撤退を同列で語るのは無理があるわ。
前田はその撤退戦で羽柴方を相手に大きな損害を出してるし、その後府中城に籠って応戦の構えはとってる。
寝返るにしてもここまですれば世間は黙認する。
それに伏見攻めには参加しといて西軍じゃなかったってのも擁護がすぎる。
東軍参加を容認して貰ってるからなぁ。
というかずっと西軍の統制外だった秀秋に松尾山を制圧されてからようやく
「此時備前中納言殿・小西摂津守・石田治部少輔、大柿を出て関原へまいられ候由。
子細は筑前中納言殿むほんと風聞候。仕置いたすべきとて出られ候由」
って暢気過ぎね?え今更?
それは秀秋の裏切りが早かっただけであって、裏切ってもいない利家と秀秋のような外道を一緒にするなよ
利家も秀吉と勝家それぞれに関係が深いからどっちつかずになってもしょうがない部分もあるような
https://t.co/xdODovBAXR?amp=1
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/5303?p=2
甫庵太閤記の著者である小瀬甫庵と、現在の歴史の方向性を決める東京大学が
前田家の世話になっていたことは明確だろうね
利家は柴田を裏切ってるんだが
勝家が許したとか前田家の創作くさいし
それが事実でも他の兵が許したわけじゃない
いや他の兵って誰よ
それこそ君自身の創作に他ならないんだけど
利家の行動なんてこの時代当たり前のこと
秀秋は石田はともかく毛利には義理立てしてもいいような・・・
一作家の意見出されても…赤門云々とかそれこそ逆説なんじゃない
毛利一門の小早川は秀包で、秀秋は毛利からも一門とは認識されていないとか。毛利家の行事にも呼ばれてないって
関ヶ原でも秀秋と毛利・吉川ってそんな交流してないよね
当たり前の行動を裏切りと読んでるだけだろw
まぁ信じるか信じないかは個人に任せるわw
確かに小早川より酷いもんな!利敵行為の敵前逃亡して味方見捨てるなんてな!
一応、筑前にいたころは隆景ゆかりの家臣も残ってたし、
秀吉の命令も秀吉→輝元→秀秋って流れで出されてて
公的な扱いは毛利一門だったけどな。
越前転封で完全に切れたけど
敗軍から逃亡するのは裏切りとはいわんよ、臆病者とかはいわれるだろうが
味方に攻撃しかけたら裏切りだけど
誰って
柴田軍で前田利家を許すやつがいるか?
当時の常識で考えてもな
それな。
賤ヶ岳の戦いの論功行賞で「加増」されてるからな利家は。本領安堵じゃなくて。
ただの敵前逃亡や降伏なら加増なんて出来んよ。
他の味方が納得せんし、それを押さえ込める強権は当時の秀吉には無い。
要は味方が「加増に値する」と納得できるだけの抜群の功績を立てたってこと。
勿論、勝家側からすれば甚大な利敵行為になるわな。
佐久間がまけて戦線が崩壊していち早くトンずらしたのが前田、
当時の常識でいえば別に前田の行為は批判されることでもなんでもない
実際誰も批判していない
秀秋が当時からぼろくそに叩かれていたとの対照的にね、秀包など名前かえたり、秀秋に仕えていた重臣すら逃げ出すような事ではなかった、それどころはその後も信望がむりろあがっているほど
※53
トンずらしたあとで城に押し寄せられ囲まれ降伏してその後は、先陣として柴田領征服の先陣になったから
降伏したものが先陣を押し付けられることはよくあり、またその功績で加増されることもよくあること
ただ降伏した佐々や金森は本領安堵で、前田は加増なのはこの違い
>東軍参加を容認して貰ってるからなぁ。
だからそういういのが擁護がすぎるってんの。
敵方の容認を得れば裏切ってないなんて理屈はない。
ただし、裏切りは戦国の世の常だから別にそれ自体が悪いことじゃない。
問題は結局のところ、筋が通ってるかどうか、進退が潔いかどうか、武人として涼やかかどうかでしょ。
その点、直接に敵対行動をとったってのはどうしたって大きいし
なんだかんだ言って松尾山に陣取ってる間はどうとでも動けるわけで、敵味方にギリギリまで旗幟を鮮明してないのも卑怯。
小早川が大谷を攻めた時、家中の松野重元が無断で離脱してるでしょ
家来に見放されてる時点で少なくとも潔いとは思えない。
裏切りは戦国の常だが、
「裏切り」で戦場で旗色を替えてそれまでの仲間を攻撃してるのは秀秋くらいでしょ
裏切ったとか謀反したといわれてもたいていは自分の城に籠るのが普通
外交的に手切れとなり、敵対関係になった場合でも戦場でいきなりはまずない
松永だって自分の城に籠っているだけで、積極的に織田に攻撃しかけたりはしていない
明智や秀秋が昔から叩かれるのは当時としても異常な行為だから、他の「裏切り」と一緒にしてはならないレベルの行為
1人最近の研究動向おってないから話が噛み合ってない気がする
前田利家が撤退したのは総崩れ前なわかってないようだから教えとくね
松尾山に陣取った際に西軍と戦闘起こしてるよ小早川は。
それをもって「小早川離反」と判断して石田らが関ヶ原に急行してるんだから
「松尾山に陣取ってる間はどうとでも動ける」わけない。
裏切っていない人物と裏切り者を一緒にするな
確かに極悪非道な前田利家とたかが裏切り者と一緒にされたくないのは同意
新説はどこまでいっても新説であって、通説ではない。通説になれなかったものが新説なんだよ
太田の内府軍記でも戦闘中に小早川が戦闘中に裏切ったとはっきり書かれている
事情もよく知らん小大名が、合戦の直後に自分が見知ったものだけで書いたものなんてそれこそ信用性が低いんだよ
※58
佐久間軍が負けた時点で戦線は崩壊している
友軍に攻撃を仕掛けるようなことは前田は行っていない、
小早川はそれをやっている両者の行いは明確に異なる、、
小早川はその結果裏切りの代名詞になり、当時からぼろくそに書かれているが、前田を批判する奴はいなかった
※60
秀秋は俺が布陣するんだよとかいって伊藤を強引にどかしただけで、戦闘などしていないぞ
西軍の大大名がくれば小大名としては譲らねばならんからな
佐久間は前田の利敵行為までまけてなかったんだよな...
前田百万石を批判なんかできんやろ
本当に小早川が潰れる前から叩いてたかどうか疑わしい
潰れてから
「だから俺は昔から批判してたろ」と言い出すような後付け的なものを感じる
松尾山に陣取るときに戦闘は起こってないでしょ。
そもそも小早川が松尾山に陣取ったという記述すら二次資料にしかない。
ちなみに
一次資料の石川康通・彦坂元正連署書状にははっきりと「小早川秀秋・脇阪安治・小川祐忠父子が”うらきり”」とある。
100万石の礎きずいた前田利常さんならワンチャン。
秀吉の本体がきたら逃げ出して軍が崩壊してんじゃん
柴田には突出するなとあれだけいわれていたのに
※66
関ケ原で裏切った秀秋にはついてけないと出奔した松野重元は前田と同じで敵前逃亡でありながら、その行為が高く評価されて、加増されて一万石以上という小大名クラスの知行で田中家に雇われている
秀包は小早川の名字を恥じて改姓せざるをえなかった、
公家や僧侶の日記にも秀秋の裏切りを罵倒するものが多々ある、
舜旧記は金吾が反逆した、言経卿記は内府に羽柴中納言が同調して負けた、時慶記では金吾が手のひら返して天下がひっくりかえった、中臣祐範記では上方が勝っていたのに金吾が裏返りをしたことで上方軍が負けた、卑怯者でありみな嘲笑したと書かれている。ほぼ9月15日~17日の日記で書かれている事であり、当時の評価で間違いない
秀秋は当時から裏切り者であるとぼろくそに書かれている。
「譜録」にあるから公式見解
小早川を巡って秀元と輝元が争っているので、その兼ね合いがあったみたい
小早川は誰かが叩き出したから俺も俺もとなって
一方前田はギロリとにらみを聞かせ
叩き始めすらもさせなかったのだろうな
前田叩いても跡継ぎがいてどうにもならんが
小早川は跡継ぎなかったわけだ
潰れて喜ぶのは
逃げ出しないぞ佐久間隊はヒットアンドアウェイを繰り返して権現坂登っていざ決戦というとき前田隊が逃げ出したんだぞw
虚をつかれたのに戦力保ちながら退却なんて軍神過ぎるだろ
じゃ佐久間盛政は軍神なんじゃないか
負ける軍神は軍神じゃない
軍神言うなら謙信、義弘クラスの戦績、武功上げないと
というか、小規模戦闘の神がかった指揮官なら、どの大名家にもいたりするんだよな
いやそれ客観的に見て秀吉に負けてにげてるようにしかみえないから
退かすときに戦闘してるぞ。
その時点で西軍首脳に敵と認識されてる。
吉川も「小早川の寝返りが確定したから内通した」と証言している。
吉川が内通して徳川に人質を送ったのは本戦前日。
つまりその時点で西軍首脳にとっては小早川の裏切りは確定事項。
「戦場で突然裏切った」と認識しているのはそれ以外の末端か部外者くらいだろ
関ヶ原で大谷吉継は小早川秀秋が東軍なの前提で布陣してるようにしか見えない。
ただ小早川抑えるための四将が内通してたのはビックリだろうけど。
戦闘があったという記述のある文献はなに?
それ出所は胡散臭い吉川文書じゃねーのか?
あれは吉川と毛利は西軍ではありませんとかいって戦後に自己弁護で書かれたものにすぎんぞ
つかお前のいうことを100%信じたとしても、小早川が友軍として近づいた後いきなり裏切って伊藤を攻撃しただけだろうがw
明らかに戦場で裏切っているぞ
柴田勝家のめいれいがあったとも佐久間盛政が命令無視したとも一次史料には書いてない
「あと真田もワシの息子偽講和で騙したな」
織田秀信「その理屈はおかしい」
大阪城を毛利が占拠した時点で家康は賊軍で、西軍が官軍なんですよ
西軍には秀頼の馬廻りの連中も参加してたりするんで
>>調べると慶次の傾奇エピソードがまんま利家のだったりするんだよね
慶次の傾奇エピソードは、加賀藩等に伝わった史料を採用しているんだよ?
例えば、商人の足を買う(三壺聞書)、秀吉謁見(重輯雑談)等は、加賀藩特有の逸話で、慶次の逸話として伝わっているんだが? 参考:前田慶次 武家文人の謎と生涯
根拠となる史料を教えてくれるかな?
家康「脅迫されてたんだな、仕方ない」
こっちは、ソースを88で書いたけど
調べたんならソースと史料を教えてくれるよね?
エッセイからなんとなく感じられるけど基本は慶次郎のエピソードだね
因みに
慶次の皆朱槍は現存していないけど、皆朱の甲冑は、現存しているよ。所謂赤備えだね(菊粋工芸館所蔵)
甲冑武具の研究書で、「当時の慣習を考えたら、皆朱槍同様通常の武者では着用出来ない」と指摘されている。参考:上杉謙信・景勝と家中の武装
ちなみに原作だとまつと不倫関係に…
↑
以前から気になってたけど、これはどこ情報なのかな? 多分ネットだと思うけど誰が調べたのか教えてくれると助かる
皆朱の甲冑は、脛当の立挙(膝頭を守る部位)が長大な作りになっているから身長が高めな可能性もある。
宮坂考古館の甲冑は、脛当や佩楯も該当するか分からないから、あれで詳しい身長は分かんないと思うけどね
甲冑が特に大きいわけじゃなく一般的な大きさ→平均身長ぐらい
みたいな理由なんじゃないかと思う
よく知らないけど大柄な利家の鎧とかは大きいのかね
専門家が臑当の膝頭部位が長大な作りになっていると指摘してんのよ。つまり、足が長く身長が高めな可能性もある。まあ、遺骨でも見つからない限りハッキリと分からないと思うから断言は控えるけどね
出来れば、その特に大きいわけじゃないと指摘している専門家が知りたかったけどね
参考:上杉謙信・景勝と家中の武装
利家はちょっと分かんない悪いね
背が高いって伝わってる人は何らかの史料に記載があった人ばっかりな気がするから甲冑でわかるのかは怪しい気がする
慶次郎は殆ど資料が無いし慶次のモデルは若い頃の利家を使ったんだろうね
>>甲冑でわかるのかは怪しい気がする
だから断言は控えると書いたんだよね、手掛かりになるとは、思うけど
※99
前田家・上杉家に伝わった慶次の逸話・評価や連歌・源氏物語・和歌等の学問に精通している所を使って現代の慶次像は出来ていると思うよ。
武勇面は、慶次に従った部下からは、「心逞しく猛将」と評価されたり、赤備えの着用者で甲冑の専門家から武勇に優れないと着用できないと指摘されたり、教養に関しては、慶次は連歌会に主席した形跡があり、連歌の興行を開き細川幽斎を招いてたりしている。
あと、利家をモデル云々のソースも教えて
慶次が連歌会に出席をした形跡は、前田慶次 武家文人の謎と生涯を参考
そう思うんなら何か根拠でもあげたら
史料の出典とか研究本でもいいから出すべきじゃないの?一連の流れを見てると全く
根拠を出さない利家モデル説なんて信じられんくなったぞ 頼むからオメー等の妄想だけ
でなく何か出してくれ
逆に利家の鎧は大きくて180cm以上の身長とかそれに加えて派手なかっこで喧嘩早いかぶき者っていうとまんま花の慶次でしょ
それが事実かどうかはともかくかぶき者の利家っていうイメージは有るわけであって
逆に慶次郎が大きい身体だったとか若い頃には傾いた派手なかっこをしてたって残ってないんだから登場人物でもある利家の若い頃と花の慶次の符合を結んだっておかしくないでしょ?
>>慶次郎の残された資料から利家に依らず花の慶次
花の慶次に出てくる。加賀潘特有の逸話は、前田慶次の逸話として伝わっているよね?花の慶次に出てくるのでは、商人の足を買うやら秀吉謁見等
そして、教養に優れていたのは「前田慶次 武家文人の謎と生涯」と言う研究書で、慶次が連歌会に出席をし一流の文化人達と交流があり、細川幽斎を自身の連歌の興行に招いていたり等教養に優れていたのが分かる。花の慶次の慶次も教養に優れていたよね?
>>派手なかっこで喧嘩早いかぶき者
慶次の皆朱甲冑所謂赤備えは、かなり珍しい甲冑なのよ。しかも、室町末期から安土桃山にかけて大量の辰砂(朱色の元)が日本に輸入されたが、朱色の甲冑は極一部に限られたんだよ。だから慶次の格好とかも目立つと思うよ。
参考:すぐわかる日本の甲冑 武具
あまり知られてないけど、慶次も好戦的な性格なんだよね、慶次の部下が慶次の事を心逞しく猛将であまつさえ戦を好む人物だと評しているんだよ。
史料:前田慶次殿伝
モデルに利家を使ってたところでなんでそんなに怒るの
花の慶次の人物像は全て慶次郎資料から得た原作者の発想ってほうが難しくない?
訂正:朱色の甲冑は、極一部の武将に限られた
出してくれた一端からあの花の慶次像を作ったよりも
若い頃の利家との符合を考えるとモデルにしたって方が有り得るでしょ
朱鎗の逸話にしても最上との合戦で活躍した話が軍記物などにあるけど、同時代史料には確認できず一緒に戦った上杉家臣も確認できない。
甲冑研究家としては竹村雅夫氏は伊達上杉の甲冑刀の研究で名前は売れているけど、史料批判が出来る人ではない。
2次史料でもまともなのを信じるなら前田慶次は黒い具足を着ていたと「上杉将士書上」にある。つまり朱鎗や主鎧の逸話は江戸時代につくられ軍記物で広まり、その後に鎧などが製作されたことに、これは他の武将でもままあるケース
逸話として慶次伝説楽しめばいいと思うな、自分も漫画ではまった人間だし。あまり研究とかソース出せとか考えない方がいいんじゃないの
史学科出てますよ。その人 そして日本甲冑武具研究保存会の人
それと甲冑は、安土桃山時代特有な作りですよ。
おいおい、甲冑研究家なんだから甲冑については専門知識はあるだろうに「史料批判が出来る人ではない。」←これこそ根拠なく書いちゃダメだろう・・名誉毀損にならないか?
いや、里村紹巴・里村晶叱との交流や連歌会に出席をしている等は、今福氏が二次史料や連歌会の記録から実証しているんですが・・
二次史料鵜呑みに出来ないは賛同だけど、二次史料は、検証が必要で何かしらの事実を探れると言うものでしょ
事実ありきで結論に繋げたがるものはファンなら仕方ないかもしれないが
流石にドン引きしたぞ・・まさか・・114が挙げてる研究者も史料批判が出来ないとか言わんだろうな・・そもそも、武具の専門家と史学では、知識を共有する場面があるかもしれんがそれぞれ専門知識は別れるだろう。あんまそう言う事は言わんほうがいいぞ
信憑性が高い部分ですね ごめん
※主鎧の逸話は江戸時代につくられ軍記物で広まり、その後に鎧などが製作された←おまえ・・とんでもなく失礼な事書いているぞ・・慶次の朱の鎧は贋作と言いたいのかな?もし、そうだと言いたいならそれこそ根拠が必要だし、反証となりえる研究者の指摘などが必要だろうに・・それと朱鎧の逸話なんて聞いた事がないぞ?出典はあるかい?あったら悪いが
自分も109の人にはドン引きした
主鎧(多分朱の鎧)は、自分も聞いたことがないな
あと106氏ゴメンな
そこで大柄であることや朱槍を好むことと朱槍を持つのは力の証明である等が語られているのよ
なので一無庵風流記で慶次郎が大柄だったり普段から朱槍を持ってるみたいな設定は利家から持ってきたのかなと推測出来る
ただ知っている限りでは隆慶一郎自体はこの件に関して言及してなかったと思うので実際は不明
ありがとう。>>隆慶一郎自体はこの件に関して言及してなかった これが知れて助かったよ。
ただ、109みたいな人もいるからソースを求めるようにするのは分かって欲しいかな。
109みたいな人がいるからソースを求めたりすりするのは
当然だとは、自分も思うな~
専門家気取りで、史料批判ができないとか、甲冑の専門知識
がないにも関わらず、甲冑の製作時期を素人判定する人がいるから
ネット情報は、注意が必要だと再認識できるいい機会だった。
違うというのなら是非とも109さんには、反証をあげてほしい
と自分も思う。
息子さんの利長と仲がワルかったと慶次の部下が証言しているね
研究者の方々は、利家とも不仲だったと考えてるみたいだけど、どうなんだろう
こんな事書いといてソースを求めるなーと言われてもねぇ 悪いが、史学科出て甲冑の専門知識がある研究者を支持するわ。てか、史学科出てる時点で史料批判等は、教わってるだろうし、甲冑の専門家と史学では、専門知識は別れると思うしな
掬粋巧芸館の甲冑は、専門家↑で挙がってる方が分解をし、細かに調べている。
甲冑全体が宮坂の甲冑と比べ古式な作りになっており、伝統的な仕様となっていて、朱塗りが根来塗に近い手法で作られている。因みに、製作時期は、桃山末と推定
また、上杉の御具足台帳には、しっかりと前田慶次利貞の着領と記載されている。
109の人には、否定なされたいなら反証として甲冑の研究者の指摘などを教えて欲しいと思う。勿論109の人独自の持論とかは勘弁
↑
著者は、史学科を出ていて史学科では史料批判を教え込まれる。
②鎧を鑑定
↑
勿論109は、甲冑の専門家でもなんでもない、いや、脳内では専門家のつもりかもw
③朱の鎧の逸話
↑
捏造した疑いあり、史料の出典が求められる
④ 勝手に史料の信憑性を決める
↑
109が、史料批判が出来るか怪しい。研究者の今福匡氏が検証した結果、連歌会の記録から出席した跡や二次史料とは言え文化人達との交流を示す部分があるなど、信憑性が高い部分があるので、信憑性が高いのは、109があげた史料だけではない、そもそも、109は研究者でもなんでもないので、109があげた史料が信憑性が高いかは疑った方がいいと思う。
ネットでは、109みたいな専門知識をもたない人間が専門家をきどり、鎧の鑑定をしたり、あるはずもない逸話の捏造や専門知識を学んできた専門家を無根拠で、貶めたりする人間がウヨウヨいますが、、
それでも、貴方はネットの書き込みを信じますか?
この人の本慶次関連の歴史本には、必ずと言っていいほど参考文献
として出ているよね。
それ全部貴方の妄想ですよね?お前みたいなクズ素人が鎧についても史料についても分かるわけないやんw
①史料批判が出来ない
↑
著者は、史学科を出ていて史学科では史料批判を教え込まれる。それにその本は、史料方面では、歴史学者が協力している。
②鎧を鑑定(製作時期)
↑
勿論君は、甲冑の専門家でもなんでもないので、根拠をどうぞ
③朱の鎧の逸話
↑
捏造した疑いあり、史料の出典をどうぞ
④ 勝手に史料の信憑性を決める
↑
君が、史料批判が出来るか怪しい。研究者の今福匡氏が検証した結果、連歌会の記録から出席した跡や二次史料とは言え文化人達との交流を示す部分があるなど、信憑性が高い部分があるので、信憑性が高いのは、君があげた史料だけではない、そもそも、君は研究者でもなんでもないので、君が信憑性があると判断した部分は、誰(研究者等)が判断しているんだい?
まあ、君は何も答えられないんだろうけど
相手の嘘を即座に論破していて草
まあ、これで最後にするけど
あの本の甲冑の専門家は、教授さんや歴史学者(一人は、上杉を専門とする人勿論史学科出身者)等の協力を得ながら執筆してんだけどね・・
まあ、そもそも歴史学者と甲冑武具の研究者では、畑違いだと思うし、歴史学者が監修をする兜の本では、兜の解説・甲冑用語の執筆は、甲冑の専門家が殆ど行っていたよ。
史料批判がー!と109が無知晒してたけど、その史料批判が出来る歴史学者が甲冑については、分からないから甲冑武具研究者と協力して本を出してたと思うし、歴史学者が甲冑武具に詳しいのであれば、甲冑の専門家と協同して本を出す必要もないと思うしね。
109の馬鹿はなんでついたらバレるような嘘をつくかな。。馬鹿だから嘘がばれる事なんて考える事が出来んのか(笑)
結局この方逃げてしまいましたね。。反証となり得る根拠を
出せなかった時点で、この方の持論なんて誰も信じないと
思いますが。。
史料面と武具関係では、求められる専門知識が違ってくる事を
理解出来ていないから史料批判が出来ない!などの恥ずかしい
事を平気で書けるのでしょう。しかも、著者は史学科出身者な為
史料批判なども、教わっているはずです。
個人的に、132さんと一緒で、専門知識がない素人が専門家ヅラ
して、専門知識のある方の研究を否定して持論を展開するのには
ホントに呆れるし、馬鹿丸出しのようにも思う。それで、すぐにバレる
ような嘘をついてしまうとこをみると、こういう人はホント救いようがない
な~と思う。
専門用語を使ってマウントを取ろうとしたら、著者が専門的な勉強をしていた人間だったので、逆に109のアホっぷりが目立っちゃったよな(笑)史料批判なんて、専門的な勉強をしていないと無理だろ。すぐにバレるような嘘をつく109なんざ高校出てるのかさえも怪しいのに
多分そいつ去年の哲ニューの記事で、史料の内容を改変して
嘘ついては、嘘を見破られて発狂してた奴じゃないか?
そのスレッドで嘘をつくのが無理と判断したのか、過去の
スレッドに逃走しては嘘をついてた。
こんな嘘に引っ掛かるバカなネット住民も多いんだよな、、
少し、調べたら無形文化財に認定された甲冑師さんの展示会にも
慶次の皆朱の甲冑は、展示されてたみたいですね 2009年頃
しかも、著者の方と同じ組織の人間
まあいいさ
「真実を追求」という話で「逸話として楽しめ」は
アレだ twitterでの嘘でのやりとりと同じレベルだ
史料批判が出来ない!!と根拠なしで否定する109
しかも、否定している専門家は専門勉強をしてきた人間なので、
この時点で、109は、嘘をついてる。
嘘つきの109と専門家の見解を挙げている人とでは、見解を挙げている
人の方を信用するのは、当然だと思いますよ。
しかも、逸話まで捏造しちゃってます。
あと、調べたら無形文化財に認定された甲冑師さんの展示会にも
慶次の皆朱甲冑は、展示されてたみたいです。
私も見に行きたかった、、
信長の野望 創造 戦国立志伝 が最高だな
これは譲れない
マトモな人なら、反論となるソースを出せなかった時点で109の妄言を信じる人はいないから
誰が考えても109を信用する要素はゼロでしょ。。嘘を指摘されて逃走するような奴じゃあね。。怖いのは、109みたいなガイジが専門家を気取ってることかな。。
甲冑師って甲冑の修理やら復元を行ってたりするから。その甲冑がどの時代の甲冑かを理解していないとその甲冑の時代に合った復元や修理は無理だろうね。そう言った甲冑師がいる所の人なら、知識も共有してたりすると思う。
109が、妄想で否定した著書にはその無形文化財の甲冑師のお弟子さんも協力してたみたいね。外国人の甲冑師がいることに驚いた。しかしー・・・109みたいな捏造野郎って、捏造で研究者の研究を否定するってアホかよ。流石に屑すぎるわ
逸話を捏造するぐらいなら。「~と言う史料にあったよ~」みたいな嘘もつくと思う。デマに騙されないようにするためには、どこの情報かハッキリとさせる必要がある
あと、里村紹巴と九条種通と前田慶次は、源氏物語を通じて、交流があったようだ。ソースは既に挙がっているが今福さんの本ね
109の妄想より、遥かに信用出来るよ。だって、専門家気取りのガイジ109と違って、今福さんは。ちゃんとした研究家なんだもん。
そりゃ、結局109の人は、ソースを出せなかったり逸話を捏造するし、挙句の果てには著者の経歴無視して貶めたんだから109がボロクソに叩かれてもしゃーないよ。てか、何故に甲冑の話で史料批判がどうのこうのと言う的外れのコメをしたのか、ちょっと疑問だね。
赤かろうが黒かろうが甲冑は甲冑で、
実際に存在するならそれでいいのにねぇ
109みたいな、自分の持論がソースだと思ってる人多いですよ。
もしくは、慶次にとって+になるような情報は、信憑性がない!と
思いたい方なのかもねしれませんね。
だったら反証をあげろよと思いますが、、
※154
情報の発信元を調べるのって重要ですよね、今回109が、史学出身の著者に
対して、史料批判が~と書いていましたが、結局史料批判が出来ない!と言う
ソースを出せず逃走しました。そもそも史学と甲冑とでは求められる専門知識
は違ってくると思いますが
109は、自分の嘘がバレないように「ソースを求めるな! (研究者の指摘など)」
と書いていましたが、ハッキリ言って逆効果ですね
前田家の慶次に関する史料は相手にされないと書いているが、これも大嘘
何故なら、里村招巴との交流を示す、連歌が記されていたり、加賀の諸書には
慶次が連歌等の教養に優れたインテリ武士だったと記され慶次評には、信憑性
が高い部分が含まれている。
慶次がインテリだった事に関しては、散々紹介されているが、今福匡の著書を参考にしてくれ。
しかし、家康のスレでは、アマゾンで日本史カテゴリーになっている本をその本は小説カテゴリーだ!とか言っている人とか居てビックリした。
しかも、自分で赤ポチしてるだろ。
いいね機能なんかないぞ
ハートの事だよ。悪い間違えたわ
ハートなんてないぞ?
何のブラウザで見てるんだ?
pc版で見てない?スマホで見るとハートマークがあるよ
行けるんちゃう?