賤ヶ岳の戦いって単なる織田家の派閥争いかと思われてるけど
1:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:03:31 mrb
天下分け目の大戦だよな?
家康にとっての関ヶ原 秀吉にとっての賤ヶ岳
家康にとっての関ヶ原 秀吉にとっての賤ヶ岳
2:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:04:27 DyB
関ヶ原以前の天下分け目は
小牧長久手やろ
小牧長久手やろ
4:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:05:04 mrb
>>2
家康が滅亡一歩手前なだけやん
家康が滅亡一歩手前なだけやん
5:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:05:04 AMW
>>2
小牧長久手は結果決まってる感がある
小牧長久手は結果決まってる感がある
14:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:12:43 fyP
>>5
かといって賤ヶ岳も天王山も結果決まってる感あってちょっとちゃうやろ
うーんこの感すごい
かといって賤ヶ岳も天王山も結果決まってる感あってちょっとちゃうやろ
うーんこの感すごい
3:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:04:59 UZU
天王山は?
8:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:06:55 mrb
>>3
当初明智軍は摂津国衆と合戦してるだけやと思うとったらしいから天王山は却下
当初明智軍は摂津国衆と合戦してるだけやと思うとったらしいから天王山は却下
6:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:05:23 mTv
ワイにはもう分け目がないぞ
7:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:06:14 AMW
>>6
かなC
かなC
9:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:09:41 yjs
天下分け目っていうのは「天下がふたつに別れた争った」って意味やで
だから実質天下分け目は関ケ原しかないんや
賤ヶ岳は日本の一地方でのただのお家騒動
そいつにとってのるかそるかの戦いやって言いたいならそれは「天王山」が使い方としたら正解や
歴史と共に国語も学ばんとあかんで
だから実質天下分け目は関ケ原しかないんや
賤ヶ岳は日本の一地方でのただのお家騒動
そいつにとってのるかそるかの戦いやって言いたいならそれは「天王山」が使い方としたら正解や
歴史と共に国語も学ばんとあかんで
11:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:10:45 mrb
>>9
天下の定義を勉強しようねー
天下の定義を勉強しようねー
16:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:23:12 4q6
>>11
てんか
【天下】
1.天が覆っている下の所。
全世界。
?「―晴れて」(世間をはばかる必要なく、公然と)
全国。
?「―をねらう」(全国の統治権を得ようとする)
てんか
【天下】
1.天が覆っている下の所。
全世界。
?「―晴れて」(世間をはばかる必要なく、公然と)
全国。
?「―をねらう」(全国の統治権を得ようとする)
17:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:23:50 mrb
>>16
賤ヶ岳で勝った秀吉は全国統一したぞ
賤ヶ岳で勝った秀吉は全国統一したぞ
22:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:29:26 fyP
>>17
【朗報】九戸政実の乱、天下分け目だった
【朗報】九戸政実の乱、天下分け目だった
10:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:09:54 mrb
小牧長久手の戦いは徳川実紀の記述で天下分け目だと思われてるだけやねマジレスすると
12:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:11:46 GNM
興亡をかけた一大決戦ではあるけど天下分け目ではなさそう
13:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:12:41 mrb
>>12
賤ヶ岳で柴田が勝ってたらどうなるやろうか
賤ヶ岳で柴田が勝ってたらどうなるやろうか
15:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:22:29 mrb
秀吉は賤ヶ岳で勝って畿内政権を全国政権にする突破口にしたし家康は関ヶ原で勝って江戸幕府を樹立したんだよな
24:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:31:14 Ik6
桶狭間の所為で戦国の静岡は名統治者がおらんかった…
27:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:34:03 mrb
>>24
今川義元
今川義元
30:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:37:24 Ik6
>>27
あれが死んで戦国時代幕開けとも言われる……
今川以降やと別勢力の家臣たちが収めてるやろ
よく県として残ったな……
あれが死んで戦国時代幕開けとも言われる……
今川以降やと別勢力の家臣たちが収めてるやろ
よく県として残ったな……
25:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:31:35 fyP
なんなら遠州で家康と小競り合いしてた勢力も天下分け目の戦いをしてたんやな
26:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:32:43 mrb
>>25
規模を考えろや
規模を考えろや
28:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:34:22 fyP
>>26
それなら滋賀北部でちょこまかやってただけやん賤ヶ岳
遠州一国の方がまだ規模大きいわ
それなら滋賀北部でちょこまかやってただけやん賤ヶ岳
遠州一国の方がまだ規模大きいわ
29:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:36:16 mrb
>>28
羽柴軍5万と柴田軍3万の大戦やぞ
羽柴軍5万と柴田軍3万の大戦やぞ
31:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:37:41 fyP
>>29
なお実質49000対10000にしてしまった残念な武将がいるもよう
なお実質49000対10000にしてしまった残念な武将がいるもよう
76:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:55:41 mrb
ていうか来年の大河ドラマの主人公は主君殺しの謀反人の逆賊やで爆死確定や
81:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:56:36 A4B
>>76
wikiすらなかった女が主人公になる時代やし知名度あるだけマシやと思う
wikiすらなかった女が主人公になる時代やし知名度あるだけマシやと思う
83:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:57:55 fyP
光秀見たいけどなあ
パワハラとか謀反の感じとか大河でどう描くか見たいし
パワハラとか謀反の感じとか大河でどう描くか見たいし
87:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)16:59:05 xtG
ぞ、賤ケ岳
104:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:05:22 Uw0
主君殺してない戦国大名なんておらんやん
主君殺し
将軍殺し
大仏殿放火
をやって1人前よ
主君殺し
将軍殺し
大仏殿放火
をやって1人前よ
141:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:27:46 mrb
岡田秀文の賤ヶ嶽という書籍読むと派閥争いの域を超えた合戦やで賤ヶ岳の合戦は
内容紹介戦国の覇者、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた。その光秀を討ち、信長の後継者に名乗りを上げたのは羽柴秀吉。そうはさせまいと奮闘するのは柴田勝家。二人の武将を中心に、「天下分け目」の賤ケ嶽の合戦を描く、歴史群像劇。読み応えあり。

144:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:29:40 F08
>>141
調べたけど小説?なんかな
内容はどない感じなんるや
調べたけど小説?なんかな
内容はどない感じなんるや
149:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:31:08 mrb
>>144
本能寺の変から物語は始まって滝川一益が落ちぶれて話が終わる
本能寺の変から物語は始まって滝川一益が落ちぶれて話が終わる
157:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:33:33 F08
>>149
さすがに草
ひたすら外交やっとるんか?
さすがに草
ひたすら外交やっとるんか?
159:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:34:21 mrb
>>157
外交やっとるで広い視野で賤ヶ岳を語っとる
外交やっとるで広い視野で賤ヶ岳を語っとる
163:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:37:36 F08
>>159
サンガツ
賤ヶ岳と外交がいまいち結びつかんから読みたくなったや
サンガツ
賤ヶ岳と外交がいまいち結びつかんから読みたくなったや
164:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:38:14 mrb
>>163
清洲会議の腹の探り合いもオモロかったで
清洲会議の腹の探り合いもオモロかったで
142:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:28:34 fyP
どう派閥争いを越えとるんや?
今のところ御館の乱くらいの印象なんやが
今のところ御館の乱くらいの印象なんやが
143:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:29:08 mrb
>>142
外交戦略が派閥争いを超えとるんや
外交戦略が派閥争いを超えとるんや
146:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:30:02 mrb
毛利や上杉・徳川・長曾我部などが絡んどるし
172:名無しさん@おーぷん:19/05/11(土)17:56:41 fyP
秀吉の領土って備中備前美作伯耆但馬丹波播磨摂津和泉河内大和山城伊賀と伊勢8割近江半分丹後やろ?
こんな大勢力とか外交せんでも勝てるやろ…
賤ヶ岳もなかなかの無理ゲーよあれは
関連記事柴田勝家が秀吉に勝つには…三国志 日本の郭嘉こと佐久間盛政って知ってる? 戦国武将賤ヶ岳の戦いの柴田軍の敗因wwwwwwwwwwwこんな大勢力とか外交せんでも勝てるやろ…
賤ヶ岳もなかなかの無理ゲーよあれは
コメント一覧
この二つの戦いは似てる気がする
この場合、もし柴田が勝ったらこいつの天下になっていた可能性があった、だからここで天下を分けたって表現になる。それくらい信長の勢力範囲はもはや決定的に大きく、彼以外に日本全土の統一なんか無理と思われていた状況だったわけだから。山崎の戦いで明智が勝ってたらどうか? その場合は天下再分裂時代になったと思うわ。天王山は戦術的意義での決定打とはなったが、天下分け目のっていう枕詞はふさわしくない
小牧長久手はまぁ、じっさい秀吉が戦術的敗北を喫したわけだけど秀吉の天下になったからな。ここで完勝してれば関ケ原は徳川以外のヤツが主役だっただろうね
そういう意味では、秀吉の天下は中国大返しの時点で天下は決まった感あるし、
秀吉の戦いはどれも戦う前から決まってた感あるし、秀吉の戦で天下分け目というのはない気がする。
「せん」とは読んでも「ぞ○」とは読まないよなあ
織田家は土木技術が高く、鉄砲保有率が高いので防衛側が圧倒的有利なので抜けないんだよ
特に秀吉の軍はその方向に特化してる
まともに正面から突破するのは非常に困難しかも柴田軍正面は堀
だから佐久間が後方を迂回奇襲せざるをえなかった
三好家が三好長慶亡き後振るわなかったように
秀吉が(勝家でもいいが)賤ケ岳で決定的な勝利を得られなかったら徳川やら毛利やら上杉やらが介入してきて旧織田領は浸食されていたかもしれない
だから天下分け目といって差し支えないと思う
勝家がやらなかっただけで、実際には分からない
それって歴史を題材にした創作物に毒されすぎ
抜けるなら佐久間は後方の中川の陣ではなくて堀の陣を抜いただろうさ
賤ヶ岳前は何をするにも羽柴丹羽池田連名って形で意思決定してるけど
賤ヶ岳後はほぼ明確に秀吉が単独の盟主として君臨してる。
中入りという言葉や奇襲のやり方ご存知?
関ヶ原を描いた「群雲関ヶ原へ」も名作だった
違うぞwそもそも中入りという奇襲作戦だから正面なんて後回しだぞ
盛政は迂回して後方の中川や高山などの摂津衆を攻撃しただけで、秀吉の毛利攻めに参加した築城経験ある部隊を撃破たり、構築された陣地を正面からは突破してはいないような。
何より、後方で戦闘はまだないと油断している部隊を迂回奇襲したからこその戦果であり、正面に布陣している勝家が迂回や、正面攻撃しても堀軍は臨戦態勢なので同じような戦果が上げられない。
また、地形の点では摂津衆の中川や高山は高台でも低いところに陣あるので、迂回して尾根伝いに接近する盛政の接近に気づくの遅れるし、標高差がそんなにないが、更に高台に大きな陣地を構築している堀や秀長の陣地だと丸見えだし、攻め落とすの困難。
秀吉は色々動いてたのに
その正面が抜けないんだよ
だから佐久間は後方を奇襲した
戦場でのみ輝く脳筋それがかかれ柴田
それにあの時期の秀吉は本当に日本史上でも類を見ないくらい神がかってる
ただでさえ化物なのに、それがゾーンに入ってる状態なんだから、そりゃ誰も勝てんわ
でも前田父子の敵前逃亡でようやく勝てたんですけどね
1は全国の意味ではない、って言いたかったんだろうけど通じてなくてわろた
上杉も越中を牽制してるものの景勝自身の出陣先は信濃のみ
毛利も北条も畿内も殆ど戦場になってない
東海&関東沼尻&雑賀が同時期に騒乱になった小牧長久手に比べるとショボい
それ否定されてる古い歴史やぞw恥ずかしいな
歴史は何も変わっていない
前田ガイジ乙
天下分け目では無いと思う
秀吉にとっての関ヶ原が賤ヶ岳という論法でいくなら、中国大返しから山崎の戦いは、秀吉にとっての小牧長久手(家康側)じゃないのか
家康は小牧長久手で局地戦では勝ったという実績を示したことで、豊臣政権の重鎮の地位を手に入れたようなもんだから
マジです。賤ヶ岳の戦い 敗因 で検索すればわかりますよ。
毛利軍の実情的にも秀吉側の備えて気にも。
なるべくしてなったっていうなら中国大返しも一緒。
じゃあ備中高松の水攻めで
賤ヶ岳は拮抗する両軍総大将が同じ戦場で雌雄を決したんだから、白熱度が全然違う
池田打ち取ったりした程度はしてるが、それは中川を打ち取った程度のものにすぎない
煽るにしてももうちょっと頑張って
羽柴の筆頭を打ち破ったことで秀吉の天下人たる格にも傷をつけた。
これによって「流石は家康、東海一の弓取り」「やはり秀吉を倒すのは家康」っていう空気が出来た。
だからこそ秀吉も力押しで家康を倒すよりも技で倒しにきたわけだし。
勝家さんももう少し、柴田勝家ここにあり、って戦いをすれば良かったのだろうけど…
2年後に監視担当の甲賀を改易してる
甲賀改易後はどこの忍者使ってたのだろう?
家康なんてもっとヤバい立場(秀吉と戦い、しかも羽柴重臣を多数撃破した反秀吉筆頭格)なのに普通に生き残って豊臣政権の重鎮の立場よ。
勝家さん腹切る必要あったのかね。
関白になった秀吉は家康などを赦す余裕が出来たけど、勝家の時はそんな余裕ないし、
勝家さんに限らず自害した奴はみんな降伏したくないというのが一番の理由でしょ
まぁ勝家だけじゃなく当時の武将からしたら何で信長の草履取りに頭下げなきゃならねーのよって感じだろうしなぁ。
そう考えると秀吉が家康を信頼したのも分かる気がするわ。
周り全部敵の中で草履取りに頭下げてくれたわけだからなぁ…
家康は秀吉が部将に出世するまでは会う機会なんてなかっただろうし、同僚ですらないから互いに競争意識も芽生えずに、もともとは良い関係を築いていたんじゃないのかな
あー確かに…
家康からすると秀吉って「織田さんちの昇り竜」って感じだったのかな。だから秀吉にもそこまで敵対心抱いてなかったとしても不思議じゃないか…
勝家さんはもう完全に秀吉のこと下に見てそう(偏見)だし、秀吉に頭下げるくらいなら腹切ってやるわ!って思っても仕方ないものだな…
滝川も佐々も許されてるけどね
勝家は本拠地が陥落し味方も居ない状況
家康と勝家を同列に見るべきでは無い
家康も本領自体は無事。
だから降伏が交渉材料になり得た。
勝家は主力が賤ヶ岳で全面敗走した為、寡兵。
北ノ庄城の戦いは午前4時に包囲開始で正午には天守以外が全制圧されるくらい。
降伏は交渉材料になりそうにないな。
単に羽柴方の城塞群奥深くへと迂回した佐久間盛政が
柴田勝家の命令無視して撤退しなかった為に
織田信孝攻めから反転した羽柴秀吉の本隊に強襲され
余呉湖の西の山道を羽柴本隊に追われながら戻って来たので
余呉湖北の神明山砦を攻めてる最中の前田利家も形勢不利を悟って撤退しただけ。
佐久間盛政隊は秀吉に追われたまま柴田勝家の所まで逃げ帰り
柴田勝家の本隊は逃げる佐久間隊と追う羽柴本隊に巻き込まれて大混乱し壊滅。
前田利家が撤退したから佐久間盛政が負けたみたいに言われるけど
余呉湖の南東から北まで逃げて来た佐久間盛政と
それを追いかける羽柴秀吉率いる大軍を見て
寡兵で蜂須賀家政と対峙する前田利家が
前後を敵に囲まれて踏みとどまるなんて不可能なのに。
結果前田父子の敵前逃亡で裏崩れだもんな仕方ないかもな...
結果的に前田父子の戦線離脱で裏崩れなだけですし前田利家を責めるのはお門違いだよな
発狂してて草生える
マジレスするとすぐに佐久間ガイジか?発言は頭悪そうだから辞めなw
根拠はw?
というか佐久間が負けて逃げ出した事で戦線が崩壊したことはほぼ全ての史料で一致しているので疑問の余地なんてないよ
虚説をさも当たり前のように恥ずかしみも無く書き込めるのw?
これを批判する奴は佐久間ガイジだけ
各個撃破される頼りない包囲網
続々と裏切る身内
相手は畿内の支配者とくれば
信長が包囲網の一角、名門朝倉家を一気に追いつめてあっさり滅ぼした時と似てるな
勝家は勝家で動けない中でも毛利や長宗我部、雑賀衆を引き込もうとか努力してるんだが
戦略、調略、下準備。すべてにおいて秀吉が遥か上を行った感
信長=秀吉
義景=勝家
くらいの能力差があったと思えば、どう足掻こうとどうしようもない
通説が定説で史実だとでもw?
勝家が負けた原因の一つに前田が秀吉の調略に乗ったってのがあるみたいだが…
まぁ戦国の世ではよくあることよ。
ただ後々、徳川に同じことされて小早川や毛利が豊臣を捨てることになることを考えるとなかなかに皮肉、戦国時代の常ってやつかもだが。
実際には逆だから佐久間の失敗の方が目立ってしまうのは仕方がないんじゃない。
前田隊が踏み止まっていれば挽回できたなんてifを言えばきりがないし。
反論者は殆ど自分の意見を書かないので、何で揉めてるのかよく分からんけど。
関ヶ原でいえば小早川脇坂らと、毛利島津増田らくらいことなる
前田は後者
戦国の世だし忠義だのなんだの言ってられんからね。
でも前田もよくやったほうじゃん。
柴田を売って加賀買って、豊臣捨てて百万石。
割りにはあってるんじゃないの?
柴田についてたら命は無かったし
豊臣についてたら一万石残ればいい方だろうし
主人公が勝家の参謀になって秀吉に勝利する柴田ifストーリーすごい好き
通説は今の日本において史実だなあ
佐久間隊敗走してないぜw前田父子が戦線離脱で裏崩れで敗走はしたが
通説と異なる話をすると時には、もっと詳しく説明しないと他の人には伝わらないよ
なぜ?
中川の砦を占領して、次に本隊との安全確保のための桑山の砦を占領するはずが、丹羽が駆けつけて佐久間隊を撃退したので、佐久間隊は占領した砦の中で袋のネズミ状態になっている。
前田、柴田本隊の救援待ち状態なのに、そのままボロボロの補修もままならない砦で、秀吉本隊と戦うのを続けても、敗走しだした軍では結果は同じような。援軍来ないとなると敗走が止まらないよ。
丹羽隊が撃退したのは柴田勝政隊だぜ
たまたまうまくいったんじゃなくて下地がある
賤ヶ岳の前田さんの砦はつるんとしてやる気が感じられないw
天下人秀吉に土をつけて、
かつ命拾いし、
その上領土も完全保全。
和睦の理由も信雄のせいで決着。
そこを蔑ろにして単純に表面でしか判断出来ないのは日本人の悪癖だな。
秀吉の戦争目標は信雄の屈伏と織田家中での派遣法確立。
家康の戦争目標は信雄の救援(屈伏阻止)
戦争目標を達成したのは秀吉。
家康は無形の勝利を手にした。
これが大きかった。
秀吉を倒した男、義理堅い男。
東海一の弓取り…
こうした「家康像」を獲得したのが小牧長久手の戦い。
そして、この家康像が後々家康の天下獲得を大いに助けることになる…と。
本当に歴史ってのはわからんものよ。
無形だろうが有形だろうが家康の勝利とは言えないんじゃね?
晩年家康が過去の敗北を上手く活用したって方がしっくりくるが。
ただそれは晩年家康の政治的な勝利であって
小牧の役とは別次元の話じゃないかな。
小牧長久手の戦いであれだけ戦ったからこそ、その後天下人への道が拓けた。
そう考えると全ては小牧長久手の戦いの勝利が家康の運命を決めたって言える。
面白いものよ。
実際に作戦目標を達成した秀吉も天下人になったが、その後のしくじりで全てを失い、
作戦目標こそ達成出来なかったが、名声を得た家康は天下を支配した。
人生の数奇なる運命かぁ。
一矢報いたという表現が一番正しいと思うわ
家康が成功した理由は信長と秀吉が強引に乱世を終わらせてたからというのが一番大きいからあまり優秀さで売り込みすぎるのも良くないと思うわ
結果論だけどね。
徳川の力を示し、かつ名声をも得た。
これが後々家康を大いに扶けたっていうのが歴史の面白いところ。
秀吉もやろうと思えば徳川を潰せたのだから結果論的にはここで雌雄を決しておけば良かったかもしれないけど…それすると秀吉も家康も倒れてたかもしれないからなぁ…
実質的な勝敗は兎も角、家康の天下人ロードの中で割と大きな戦いだったんじゃないかな。小牧長久手の戦いは。
これがなかったら秀吉とどんな関係になっていたかもわからんし。