北畠顕家、楠木正成、新田義貞を抱えていたのに敗北した後醍醐帝って無能すぎるだろ…
1::2019/08/17(土) 15:51:11.77 ID:yApmfJag0.net BE:711292139-PLT(13121)
2::2019/08/17(土) 15:51:48.52 ID:Nn7av7eC0.net
坊門清忠が悪い
坊門 清忠(ぼうもん きよただ)は、鎌倉時代から南北朝時代初期にかけての公卿。従三位坊門基輔の孫、左中将坊門俊輔の子。後醍醐天皇の古参の側近として建武政権下で活躍し、南北朝分立後は南朝に仕えた。建武政権・南朝を文書行政面から支え、重臣吉田定房との相次ぐ死は後醍醐帝に深く悼まれた。『太平記』流布本巻16「正成兵庫に下向の事」[10]では、建武の乱中、延元元年/建武3年(1336年)5月、九州より東上した尊氏を迎え討つ際に、天皇の比叡山臨幸を献策した楠木正成に対し、清忠は「義貞が一戦も交えぬまま、帝が年に二度まで京を捨てるとは、帝位を軽んじ官軍の面目を失わせるもの」との大義名分論を振りかざして反対し、義貞とともに迎え撃つべきだと主張した。その結果、正成は湊川の戦いで戦死し、後醍醐は比叡山遷幸を余儀なくされた。上記は有名な逸話ではあるが、『太平記』は軍記物であって、他の史料による裏付けがない場合には、史料的価値はきわめて低い点に注意する必要がある。しかも、『太平記』古態本(より原本に近いとされる写本)の一つである西源院本では、この逸話に坊門清忠の名は一切登場しない[11]。そのため、原本にはないはずの正成と清忠の確執を、誰かが後で勝手に清忠の名前を付け加えた可能性もある。21世紀現在の研究では、坊門清忠ら建武政権・南朝の蔵人(秘書官)は、不安定な南朝を文書行政の実務面で支えて安定させた裏方として、一定の高評価を受けている[13]。かつては後醍醐天皇が理想論を追求した急進的に過ぎる人物だという誤解があったが、史料によって前後の時代との人材・政策を比較した結果、21世紀現在は、むしろ多くの面で後醍醐天皇は実務・安定志向だったという説が主流になっている[14]。
3::2019/08/17(土) 15:51:54.58 ID:mFXNduBx0.net
劉備「せやな」
5::2019/08/17(土) 15:52:45.56 ID:y57b4iru0.net
むしろそいつらしかいなかった
6::2019/08/17(土) 15:53:44.54 ID:1lU5acqD0.net
尊氏陣営に比べて層が薄すぎる
あとから焦って北条時行に恩赦だしたりとか見苦しい
あとから焦って北条時行に恩赦だしたりとか見苦しい
7::2019/08/17(土) 15:53:55.05 ID:RcR32yRR0.net
北畠顕家の行軍速度は異常
秀吉の中国大返しより早いとか嘘くさいわ
秀吉の中国大返しより早いとか嘘くさいわ
57::2019/08/17(土) 16:28:51.41 ID:w+pY1k/i0.net
>>7
秀吉軍は糧食や物資を代金を支払って調達し行軍していたのに対して
顕家の奥州軍は補給は用意せず糧食は道々で略奪しての行軍だからスピードが違うんよ
奥州軍が通った後は略奪の限りを尽くされた民衆の餓死者の山だったそうな
秀吉軍は糧食や物資を代金を支払って調達し行軍していたのに対して
顕家の奥州軍は補給は用意せず糧食は道々で略奪しての行軍だからスピードが違うんよ
奥州軍が通った後は略奪の限りを尽くされた民衆の餓死者の山だったそうな
171::2019/08/18(日) 01:22:35.44 ID:f/KQrWtT0.net
>>57
間抜け。
略奪は1時間とかでは終わらない。
掠奪を許可したら、その日は軍は動かない。
そんなことで行軍速度が出せるか間抜け。
間抜け。
略奪は1時間とかでは終わらない。
掠奪を許可したら、その日は軍は動かない。
そんなことで行軍速度が出せるか間抜け。
177::2019/08/18(日) 01:30:06.83 ID:UGeuJyUC0.net
>>171
実際そう書いてあるんだからさ
まずは自分の想像力の貧困さを疑えよ
むしろ荷駄隊なんて悠長に引っ張ってる訳がないだろ
実際そう書いてあるんだからさ
まずは自分の想像力の貧困さを疑えよ
むしろ荷駄隊なんて悠長に引っ張ってる訳がないだろ
179::2019/08/18(日) 01:33:20.49 ID:f/KQrWtT0.net
>>177
想像力がないのはお前だろ?
現実にそんなことで進軍が可能かどうか考えてみればわかる、
想像力がないのはお前だろ?
現実にそんなことで進軍が可能かどうか考えてみればわかる、
8::2019/08/17(土) 15:54:03.95 ID:faF3dsx40.net
新田義貞がクソ過ぎたのでしゃーない。
172::2019/08/18(日) 01:23:27.39 ID:f/KQrWtT0.net
>>8
勝負すべき時であろうと、いい女とのsexには変えられない。
我が人生に悔いなし。
勝負すべき時であろうと、いい女とのsexには変えられない。
我が人生に悔いなし。
12::2019/08/17(土) 15:55:21.14 ID:kdYhzT9B0.net
佐々木道誉は裏切りまくりに見えて、ず~っと尊氏のために動いてた所を見ると、
コイツが結局一番の忠義者なんじゃないのかと思う
その後の部下親類のグダグダは見るに耐えん
コイツが結局一番の忠義者なんじゃないのかと思う
その後の部下親類のグダグダは見るに耐えん
173::2019/08/18(日) 01:24:15.45 ID:f/KQrWtT0.net
>>12
そういう意味では高師直だって、切羽詰まった局面でしか露骨な裏切りはしていない。
そういう意味では高師直だって、切羽詰まった局面でしか露骨な裏切りはしていない。
14::2019/08/17(土) 15:55:42.50 ID:m7dgA2oG0.net
1463年から1634年の間に作られたって、随分アバウトだな
田宮にでも鑑定してもらったんか?
田宮にでも鑑定してもらったんか?
15::2019/08/17(土) 15:56:01.57 ID:n7DQLtkT0.net
くそつまんねーオリンピック大河やめてこの辺の年代やろうや
33::2019/08/17(土) 16:03:43.38 ID:3T1BHjlb0.net
>>15
真田広之
武田鉄矢
萩原健一→根津甚八
片岡仁左衛門
片岡鶴太郎
真田広之
武田鉄矢
萩原健一→根津甚八
片岡仁左衛門
片岡鶴太郎
175::2019/08/18(日) 01:26:24.85 ID:zaqQmTK90.net
>>15
家康の長男の一生を描いた大河とか見たい。暗そうだけど
家康の長男の一生を描いた大河とか見たい。暗そうだけど
180::2019/08/18(日) 01:36:17.18 ID:UGeuJyUC0.net
>>15
無理やり女を主人公にしようとするから詰まらんだけだよ
無理やり女を主人公にしようとするから詰まらんだけだよ
19::2019/08/17(土) 15:57:47.00 ID:VHvZDMs40.net
>>15
前にやってたよ。真田弘之が足利尊氏役だった。ミスターオクレが小男。
前にやってたよ。真田弘之が足利尊氏役だった。ミスターオクレが小男。
24::2019/08/17(土) 15:59:16.38 ID:x7ncJbFu0.net
>>19
あれのせいで真田太平記とごっちゃになる
あれのせいで真田太平記とごっちゃになる
34::2019/08/17(土) 16:04:45.43 ID:3T1BHjlb0.net
>>19
ルー大柴が骨皮道賢
ルー大柴が骨皮道賢
325::2019/08/19(月) 02:10:23.19 ID:jc2/jvOh0.net
>>19
後醍醐天皇役で片岡孝夫。
立ち姿やセリフの発声など、全身から高貴さが溢れていて、まさにこれぞ帝と見まごうほどの好演だった。
後醍醐天皇役で片岡孝夫。
立ち姿やセリフの発声など、全身から高貴さが溢れていて、まさにこれぞ帝と見まごうほどの好演だった。
72::2019/08/17(土) 16:50:25.02 ID:3JJCJuIC0.net
>>19
陣内孝則の佐々木道誉はくっそ胡散臭くて良かった
今なら誰が演じるんだろうな?
グループ魂以外なら誰でもいいけど
陣内孝則の佐々木道誉はくっそ胡散臭くて良かった
今なら誰が演じるんだろうな?
グループ魂以外なら誰でもいいけど
240::2019/08/18(日) 10:05:00.31 ID:FQ3MbSnZ0.net
>>19
未だに大河で一番好きだわ
キャストがめちゃくちゃよかった
特にフランキー堺と片岡鶴太郎
未だに大河で一番好きだわ
キャストがめちゃくちゃよかった
特にフランキー堺と片岡鶴太郎
16::2019/08/17(土) 15:56:34.27 ID:yyWcE2SN0.net
足利という武家(マフィア化した開墾地主が地方を治める)社会を保守する勢力と、皇族貴族による律令制に戻そうとする超反動保守との対立だったわけで
割と救いが無い
皆はそらマシな方を選ぶわな
割と救いが無い
皆はそらマシな方を選ぶわな
27::2019/08/17(土) 15:59:53.95 ID:f/8kIlDs0.net
>>16
それな。世の中の経済実態の変化に対応出来ない非現実主義だから大勢はついてこなかったんやな。
それな。世の中の経済実態の変化に対応出来ない非現実主義だから大勢はついてこなかったんやな。
45::2019/08/17(土) 16:14:57.53 ID:BLh7NDAx0.net
>>16
そもそもあそこまで冷遇されてもなお楠木公は忠義を尽くしたのか理解できん
そもそもあそこまで冷遇されてもなお楠木公は忠義を尽くしたのか理解できん
50::2019/08/17(土) 16:22:07.78 ID:kSnTEA0s0.net
>>45
冷遇されればされるほど忠義を尽くし忠義の大切さを示す
忠義の士とはそういうものだ
一種の宗教だからな、基本的に冷遇とか厚遇とか関係ない
冷遇されればされるほど忠義を尽くし忠義の大切さを示す
忠義の士とはそういうものだ
一種の宗教だからな、基本的に冷遇とか厚遇とか関係ない
53::2019/08/17(土) 16:24:56.94 ID:HM/STfke0.net
>>45
忠臣二君に仕えず、少数による山岳戦で大軍に勝ったりと判官贔屓の日本人が好む要素たっぷりだ。
忠臣二君に仕えず、少数による山岳戦で大軍に勝ったりと判官贔屓の日本人が好む要素たっぷりだ。
21::2019/08/17(土) 15:58:20.45 ID:WjWCIFwu0.net
大河ドラマ 太平記での鶴太郎の演技は、最高だった
94::2019/08/17(土) 17:41:02.93 ID:z4/ahR0M0.net
>>21
あれ上手いよな。
軍師官兵衛の御着殿も上手かった、
坂の上の雲の海軍さんも上手かった。
あれはもっと評価されていい
あれ上手いよな。
軍師官兵衛の御着殿も上手かった、
坂の上の雲の海軍さんも上手かった。
あれはもっと評価されていい
23::2019/08/17(土) 15:58:55.91 ID:iXneDjBM0.net
足利尊氏、足利直義、高師直、
あと色々
あと色々
25::2019/08/17(土) 15:59:26.49 ID:snE5RDCZ0.net
院宣ばかりでご褒美がないんだもん。
28::2019/08/17(土) 16:00:23.80 ID:RPUyBV0Q0.net
高師直が有能すぎてね
南北朝時代の武将。室町幕府初代執事。師重の子。元弘の乱に続く内乱期に,足利尊氏に従い北条氏を滅ぼし,建武中興政府の雑訴決断所衆となる。建武2 (1335) 年,尊氏が関東で中興政府に反旗を翻すと,軍を指揮して後醍醐天皇軍と戦い,幕府が開設されると将軍家の執事となった。しかしやがて尊氏の同母弟直義と対立し,正平4=貞和5 (49) 年,尊氏に迫って直義を政務から退けた。直義は師直の専横を快しとしない諸将の応援を得て翌年挙兵し,尊氏,師直を破った (→観応の擾乱 ) 。尊氏は師直を出家させる条件で直義と和睦,師直は帰京の途上,武庫川付近で上杉能憲に殺された。戦乱の時代にふさわしい伝統破壊者的性格,行動,特に塩冶判官高貞の妻に横恋慕した件は『太平記』に詳述され,『仮名手本忠臣蔵』など後代の文学にも取上げられた。https://kotobank.jp/word/高師直-63019
174::2019/08/18(日) 01:25:05.69 ID:f/KQrWtT0.net
>>28
これな。
これな。
35::2019/08/17(土) 16:05:13.68 ID:RmrIqlTwO.net
北畠顕家と楠木正成は良い
新田義貞は戦下手だし、性格もクソじゃないか?
新田義貞は戦下手だし、性格もクソじゃないか?
178::2019/08/18(日) 01:32:25.02 ID:f/KQrWtT0.net
>>35
この時代、みんな性格がクソなのはしょうがない。
少なくとも動員兵力のこともあって、南朝での主要な戦闘では新田がエースなのは事実。
鎌倉幕府軍の殲滅は水際だった勝利と言えるし、足利尊氏との鎌倉攻防戦はそもそも公家社会の軍団を率いていた以上、武士の軍団を率いている足利一族とは戦闘力が違うのはやむを得ない部分がある。
それでも、どうしても正当化が無理なのは、播磨。
でも勾当内侍はいい女だったらしいから、しょうがないね。
この時代、みんな性格がクソなのはしょうがない。
少なくとも動員兵力のこともあって、南朝での主要な戦闘では新田がエースなのは事実。
鎌倉幕府軍の殲滅は水際だった勝利と言えるし、足利尊氏との鎌倉攻防戦はそもそも公家社会の軍団を率いていた以上、武士の軍団を率いている足利一族とは戦闘力が違うのはやむを得ない部分がある。
それでも、どうしても正当化が無理なのは、播磨。
でも勾当内侍はいい女だったらしいから、しょうがないね。
38::2019/08/17(土) 16:07:29.24 ID:yApmfJag0.net
あれだけ負けても必ず復活してくる足利尊氏は、後醍醐帝からしたらゾンビそのものだったろうな。
40::2019/08/17(土) 16:09:40.56 ID:Nn7av7eC0.net
>>38
ナポレオンに負け続けたブリュッヒャーもそうだけど諦めないことが大事だわ
ナポレオンに負け続けたブリュッヒャーもそうだけど諦めないことが大事だわ
41::2019/08/17(土) 16:10:23.11 ID:OG7n+DWW0.net
ゴダイゴ天皇が無駄にエネルギーありすぎて、時代をかき回してる
44::2019/08/17(土) 16:13:20.18 ID:y3zkL5Rk0.net
北畠顕家は後藤久美子が演じてたな。
61::2019/08/17(土) 16:40:07.45 ID:y2EwJ+R20.net
護良親王を誅殺した段階で詰んでた。
護良親王(もりよししんのう)、延慶元年(1308年) - 建武2年7月23日(1335年8月12日)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物。後醍醐天皇の皇子、母は源師親の娘親子。妃は北畠親房の娘。または藤原保藤の娘である南方(みなみのかた)。興良親王の父。大塔宮(正式には「おおとうのみや」/俗に「だいとうのみや」[1])と呼ばれた。天台座主。征夷大将軍。中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。
70::2019/08/17(土) 16:47:10.60 ID:uw+JqZ7i0.net
>>61
いっぽう、懐良親王は九州で無双していた
いっぽう、懐良親王は九州で無双していた
懐良親王(かねよししんのう、かねながしんのう[1]、元徳元年(1329年)? - 弘和3年/永徳3年3月27日(1383年4月30日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の皇子。官位は一品・式部卿。征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれる。南朝の征西大将軍として、肥後国隈府(熊本県菊池市)を拠点に征西府の勢力を広げ、九州における南朝方の全盛期を築いた。
64::2019/08/17(土) 16:42:59.82 ID:F6nKsP320.net
全ては新田を大将にしたのが敗因
尊氏の首取ってもおかしくない戦が2回ぐらいあったが全て台無しにしてるこれが致命的
新田全盛期は対北条の時で終わってる
尊氏の首取ってもおかしくない戦が2回ぐらいあったが全て台無しにしてるこれが致命的
新田全盛期は対北条の時で終わってる
232::2019/08/18(日) 06:27:00.85 ID:ArijLHpq0.net
>>64
新田義貞が無能だったけど不運もあったよな。公家大将が「佐々木道誉を戦線に配置しろ」の義貞に命令したらしいけど、義貞は「道誉は裏切るから駄目」と断ったのに、公家が強引に道誉を戦線に配置。案の定裏切っているしな。
新田義貞が無能だったけど不運もあったよな。公家大将が「佐々木道誉を戦線に配置しろ」の義貞に命令したらしいけど、義貞は「道誉は裏切るから駄目」と断ったのに、公家が強引に道誉を戦線に配置。案の定裏切っているしな。
78::2019/08/17(土) 17:01:55.69 ID:aXqsGK9I0.net
女性陣の美しさは
相当、凄かった大河太平記
相当、凄かった大河太平記
82::2019/08/17(土) 17:17:44.62 ID:CRtXjEQ40.net
新田はただの脳筋バカ
楠木は籠城戦だけが強い局地戦闘指揮官
北畠は足利絶対殺すマンだけど兵站ガン無視ダメ
いくら足利討伐の為でも通過する村々からことごとく略奪して民衆を苦しめちゃダメ絶対
楠木は籠城戦だけが強い局地戦闘指揮官
北畠は足利絶対殺すマンだけど兵站ガン無視ダメ
いくら足利討伐の為でも通過する村々からことごとく略奪して民衆を苦しめちゃダメ絶対
108::2019/08/17(土) 18:33:21.09 ID:W1Y6ionL0.net
>>82
そもそも北畠顕家を鎮守府将軍にした後醍醐が悪いんや
東北から畿内まで数万の大軍を何往復もさせるにはどれだけ兵站が必要になるのか
なのに顕家が畿内鎮めて東北に帰るとすぐまたやらかして
早く来い早く来いと綸旨連発
そもそも北畠顕家を鎮守府将軍にした後醍醐が悪いんや
東北から畿内まで数万の大軍を何往復もさせるにはどれだけ兵站が必要になるのか
なのに顕家が畿内鎮めて東北に帰るとすぐまたやらかして
早く来い早く来いと綸旨連発
90::2019/08/17(土) 17:36:59.64 ID:z4/ahR0M0.net
北畠顕家の陸奥軍勢は、
相馬、伊達、佐竹、大崎、最上等の、
鎌倉御家人を始祖とする坂東武者の後裔で、勇猛な騎馬武者を揃える軍勢だったのに、使い方間違ったよな。
相馬、伊達、佐竹、大崎、最上等の、
鎌倉御家人を始祖とする坂東武者の後裔で、勇猛な騎馬武者を揃える軍勢だったのに、使い方間違ったよな。
コメント一覧
楽しみだな
水戸光圀「はい不敬罪」
見て黄門「猥褻罪」
村々で略奪してるのに軍が進んだら略奪品どうすんだよ!担いで追いかけるのか?
ただし先遣隊を作って村々焼き払って軍行休憩予定地点に運ぶとかすれば話は別だが
あの時代にそこまでの統率は可能かな?
率いる手勢が極端に少なかっただけや
新田義貞が部下の献策を容れる度量があったら
北畠顕家に高師直のような有能な文官がいたら
そのどれかで歴史が変わってたよな
まあ、後醍醐天皇が勝ったら後々えらいことになりそうだけど
ジャニーズ太平記
アイドル太平記
韓流太平記
になりそうだ。
基本的に現地徴発に頼るところが大きい方が軍隊は身軽になるでしょ
略奪って言っても金銀財宝を奪うんでなく、水や薪、その日の分(せいぜい多くて2~3日分)の食料を
現地で徴発するわけで、個々人単位ではそんな大荷物にはならない
単に物資を奪うだけで別にわざわざ焼き払う必要も無く、休止時や宿営時に近場から個々に
かっぱらって来るだけの話
また、行軍速度(軍行なるものはおそらく日本語で常用されず、外国語かと思う)は
先頭が出発してから最後尾が目的地に到着するまでをいうから、当然、輜重担当の
部隊が多く混じっていれば、それだけ列は伸びて遅くなる
近現代でもナポレオンとか現地で徴発させることで軍隊の機動力維持してたからね
戦略家・政略家としての能力が極めて低いことで池沼よわばりはないと思う。
クレフェルトの補給戦でも概ねそんな論調だね。
この時代、畿内は他国より商業とかが発展してたみたいだけど、田舎ではまだまだそんな感じはないだろうし、食料以外のもので略奪対象になるものがないだろうってのは同意だなあ。
どんな行軍したらそんなことできんだよ
政策的には武士と公家の間を取り持たないといけないのにそれが出来る人間がいなかった
本来は大塔宮あたりが繋ぐはずだったんだろうがなあ
北畠父子は後醍醐天皇とはちょっと思想がズレてるんだよな
光栄のゲームじゃあるまいし、全軍が足止めて略奪に時間かける必要はないからな。
略奪する部隊だけ現場に送って、物資を担がせて合流させる。
そもそも当時の軍は数千の武士とその一族郎党が寄り集まっただけなので
元から軍としての統一性は薄いし大勢になればなるほど行軍に支障が出る為
少しでも軍を分けて略奪に走らせて後で合流させた方が都合が良い。
現代の子孫も本来恥入ってて家名変えたいと思って然るべき
鎧を草木で覆って迷彩とかはいつの時代も発想変わらんなあって思った
共産主義者オッスオッス!
冗談は置いておくと武士ってのも元を辿ると公家だからなぁ。
ある意味でいうと人間社会の辿るべき姿だったのよ。
田圃で馬が脚取られて動けなくなったところを狙い撃ちされちゃったのは…
原作あるのを料理するのは得意なのにオリジナルになると全然ダメって脚本家も多いから過度な期待は禁物だぞ
もし北畠顕家が掠奪道中であの進軍速度ならそれはそれで凄い…けどあの辺は太平記の記述と公家の記録で日付のずれがヒドいからなぁ
あの時代に略奪をあてにしない軍人がいるとは思えないけど
こういうこと言うと小田原征伐での兵站はギリギリだったとか唐入りガーとか言われそうだけど
織田信長も着手はしていたけどね
それは後方集積地の輸送体制だけで兵站整備を論じる奴が悪い
倉庫に貯めるだけなら平安の蝦夷討伐やらナポのロシア遠征でもマンパワーごり押しで達成してるよ
※17
アカはどっか行ってください
「面倒事嫌だから差し出す」って素直に差し出す人間がどれだけいることか
もったいをつけたり隠したりするだろ
それを追求してる間に時間が過ぎていく
同意するが
武士も同じね
全部きっちり自分で決めようとした結果、恩賞宛行が遅れて武士の不満が爆発して崩壊したけど。
勝利した足利方が鎌倉旧来のどんぶり勘定で稚拙に恩賞ばらまいた結果が
脆弱な将軍権力と強大な守護大名だったのは皮肉だね。
室町幕府というか尊氏の特徴として有名なガバガバ恩賞は鎌倉以来の真面目なやり方を踏襲しようとした直義体制が崩壊した結果
恩賞や権限を要求しまくる俗物だらけで身を削って気前よくしないとそもそも政府設立自体が困難、中央集権なんて現実見えてない高望みっていう状況だったんだろう
それはむしろ尊氏やろ。
戦才だけは異能生物レベルの無能とか考えうる限り最悪やぞ。
女旅芸人が重要な役どころって話聞いてから嫌な予感しかない
あと鶴太郎演技が本当に好き。
それは木曽義仲では。
木曽は退却中泥にはまった時ふと殿の今井兼平気にして振り返ったら額にジャストミート
新田は城攻め中物見に出たら遭遇戦になって、突撃したら泥にはまって額にジャストミート
死ぬシーンはほぼ丸被りという稀有な例
歴史的な偉人がそんな…
徳川家康の逸話で、家康公自ら田圃に飛び込んでその危険性を示したって話があったけどやっぱ危ないんだな…
足利尊氏を100としたら3人足しても30くらい、その他勢力合わせて70くらいのもんでしょ
足利家
北条得宗家の親族であり
源家滅亡後の武家源氏の棟梁であり
正直、足利尊氏と後醍醐三英傑では質でも量でも
最初のスタート時から比べ物にならないくらいの圧倒的な差がある
楠木正成
戦が強くても血統的バックボーンのない地方ヤクザ
勢力的には極小
後醍醐天皇という後ろ盾がなければどうやっても尊氏に対抗しようがない
むしろよくやったと言える
新田義貞
最近の研究じゃ、当時の新田家は足利家配下の1武将にまで転落してたという
義貞は血統の良さと戦の強さで後醍醐天皇による大抜擢もあり
尊氏の対抗馬に祭り上げられたという話しだったと思う
本人の能力どうこう以前に荷が勝ちすぎた感がある
北畠顕家
うん、これは評価のしようがない
血統よし、家柄よし、戦強し、能力高し
例えるなら万年最下位のチームにいる化物エース
しかし敵にまわすと恐ろしいが、味方にすると意外とそうでもない
>>源家滅亡後の武家源氏の棟梁
これは天下を取った後で足利さんが言い出しただけで
鎌倉時代を通して北条縁戚の有力御家人以上の評価は受けてないぞ。
勿論、源家を継承したなんて微塵にも思われてない。
上にも書かれてるけどアジテーターとしては極めて優秀だったと思うぞ
如何せん、それ以外の能力は微妙だったとしか言いようがないが…
足利さんはそんなこと言ってないぞ。
言い出したのは今川さん。
鎌倉、南北朝、室町に至るまでそんな話は一切無いのに
戦国時代になって突然、今川家譜に現れた主張。
上手く踊らしておけば…
優柔不断で八方美人の投げ出し屋とか
完全に操れる人間なんておらんやろ。
天皇「関東にいくな!」
尊氏「嫌です弟を助けに行きます」
天皇「戻ってこい!」
尊氏「分かりました」
直義「戻ったら殺されるから止めとけ」
尊氏「やっぱり戻るのやめます」
天皇「足利討伐や!」
尊氏「仏門に入るので許して下さい」
直義「あかんやられそう」
尊氏「出家止めて弟助けます」
こんなんやし
横だが
そこまでなら単に弟の方が天皇より信頼できるってだけだな
その時点では
尊氏「将軍になります」
天皇「」
尊氏「帝が亡くなった。供養せな」
尊氏「なんかもう嫌になったので出家します」
直義「師直が嫌な奴なんで罷免してくれ」
尊氏「師直罷免」
師直「は?なんでや!武力決起や!」
尊氏「直義を隠居させるから和睦しよう」
直義「それならこっちは南朝と和睦して師直討伐や!」
尊氏「師直を出家させるから和睦しよう」
直義「でも師直は暗殺」グサー
尊氏「・・・まぁええわ。昔みたいに仲良くやってこう」
尊氏「考えたけどやっぱ直義討伐するわ」
直義「」
終始こんなんなんだよなぁ
足利幕府は御所巻とかで命の危険あったから生き延びるために意見変えて後で復讐してるのもある
奥州から京に上がるのでなく、関東の足利派を殲滅していれば良かったのでは?東国が完全に制圧されたとなると、足利やその分家の家来たちも、西国からとんで帰りそうだが。
尊氏と師直の共謀説も無くもないけど
実際のところ尊氏の優柔不断さが最悪の形で発露しただけだと思うわ。
それとも中間管理職に近い板挟み、綱渡りを見事にやってのけたか
はっきり言って状況は千変万化だし後者としか思えないけどね
信長はじめ戦国大名だって和睦・対立・ほぼ降参を繰り返すもんだ
そもそも直義による護良親王殺害が判明したら帰京方針は変更するしかない
そして上方からの討伐軍&北畠軍に挟撃されるようなら恭順姿勢は間違いじゃない
実際に九州まで追い詰められて絶体絶命になってる訳だから(奇跡的に挽回出来たものの)
幕府を形作った直義派VS戦功著しい師直派はどちらも有能
両派の間に立って妥協点を探るのは当然
打出浜で大敗したのでより困難になってしまったものの・・・
結局は将軍として生き残り、直義を打倒し、義詮へ繋げて思惑通りの継承
二代将軍の育成に失敗&大姫事件起こして死んだ頼朝や
謀反で世継ぎ共々殺された信長なんかよりも見事
直義派VS師直が悪化したのは尊氏が出家して政務を投げ出し気味だったのが原因だし
そもそも両者の間に立って積極的に妥協点探してた訳でもないしなぁ。
寧ろ壁にぶつかったら方向変える玩具の車みたいな行動にしか見えない。
生き残ったのは当代一の軍才で挽回出来ただけの結果論でしかないよ。
やり方そのものは優柔不断と断じられて然るべき。
でもやっぱりのし上がるのは本意じゃないからこの世は夢の如くに候の願文とか時々全部投げ出したような対応になったりする
周囲の人間は我々を導けるのはこいつだけ、トップに立って欲しいと期待しているし、本人にはそれに応えるだけの実力がある。
でも本音では一介の兵士として過ごしたい。実を言えば自分を導いてくれる対象を探している。
なんかそんな感じを受ける。尊氏の逸話を聞くと…
投げ出し気味も何も政務のトップは直義
横から中途半端に口出しせず政を極力一本化しようとしてたんだろ
直義は為政者としての姿勢や熱意、能力も理想的な人物だし実質幕府を形作った偉人だけど
世の急変に対応しきれない限界も多かった
だから武士達は直義に付いたり離れたり、そのうち大敗後の尊氏に数多くが従ってしまう
こういった現象は尊氏の軍才によるものでは無い
南朝との交渉でも正論を主張・強要する直義と、建前より実を取れば良いと妥協してしまう尊氏の柔軟さの違いがある
両者の性格から直義は足利党の中でますます見限られて尊氏が圧倒していく
これまた軍才以外の要素
北条滅亡~建武親政後の混乱は優柔不断で乗り切れるほど甘い時代じゃない
尊氏は自分が求められてる事への嗅覚に優れ、臨機応変で成功に繋げてる人物
直義の政務担当というのは概念的な話で完全に100%担ってた訳ではない。
師直が配下に恩賞給与出来ていたことからも分かる。
というか常識的に当時の機構で完全分担委任なんて達成出来るわけないし、
そこが師直が直義の対抗として頭角を表していった理由でもある。
両者の対立を仲裁するのはその上役で政権トップの尊氏の責務で
政務の実担当じゃないから放置してましたなんてのはただの怠慢。
性格的を考えれば放置したのではなくどっにもいい顔して裁定出来なかった八方美人の結果だろうけど。
気質、性質と能力は違うよ?
自身の優柔不断な気質のせいで状況を悪化さたけど、
類い希なるリカバリー能力で生き残ったってのが尊氏の足跡。
甘くないもなにも、それを乗り切れる能力は有ったが気質は優柔不断ってだけだ。
気質と能力をごちゃ混ぜにしたらいかん。
呉座氏の「南朝研究の最前線」でも「武士達に祭り上げられた」と論じらてるね。
案外シャアっぽいてのは的を射てるかもしれん。
というかこの著書でも尊氏の行動を
「清水克行は尊氏を『八方美人で投げ出し屋』と表しているが全くその通りである」
「支離滅裂である」
「深く考えずに行動し、深く考えずに周囲の意見に流されてる」
と結構ボロクソに論じてて笑える。才覚の方は割と褒めてるのに。
なんか尊氏自身がどんな事したかったのかもあんまわかんないからなぁ。
周りに頼られるままに戦ってるようにも…
大逆転して後醍醐天皇を駆逐できてしまったことで
かえって厭世感増した感じがあるよなあの願文。
本当にやりたくなくて嫌だったんだろうなぁとか
こんな心理状態ならそりゃ投げ出すわなぁってのがよく伝わる。
陽性ガイジが後醍醐天皇、陰性ガイジが大正天皇。KYバカが昭和天皇。とっつぁん坊やが令和天皇。
親は北畠親房
ある程度信任してる
後鳥羽上皇ですら当時は優秀すぎるといわれるほどだし
当時の高名な文化人である点も伊達政宗に似てなくもない。
軍税とか禁制とかご存じない?
「これを差し上げますから際限のない略奪と乱暴はご容赦を」って感じで
軍の大将に村や街の有力者等が掛け合うんだよ
莫大な金額や物品が必要だが暴行・虐殺の上すべて持っていかれるよりはるかにマシ
安全を金銭で買うんだよ
戦国時代やヨーロッパだと30年戦争でよくみられる話
ただし後醍醐天皇が行って、やっぱりダメだったと判った意義はあると思う。