e51cd2cdc4f3ffbb0116050e13d6a03b
北畠顕家、楠木正成、新田義貞を抱えていたのに敗北した後醍醐帝って無能すぎるだろ…
1::2019/08/17(土) 15:51:11.77 ID:yApmfJag0.net BE:711292139-PLT(13121)

“最古の日の丸”に新たな謎 室町~江戸期の旗と判明 奈良・五條

https://mainichi.jp/articles/20190817/k00/00m/040/044000c


引用元
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1566024671


2::2019/08/17(土) 15:51:48.52 ID:Nn7av7eC0.net
坊門清忠が悪い
坊門 清忠(ぼうもん きよただ)は、鎌倉時代から南北朝時代初期にかけての公卿。従三位坊門基輔の孫、左中将坊門俊輔の子。後醍醐天皇の古参の側近として建武政権下で活躍し、南北朝分立後は南朝に仕えた。建武政権・南朝を文書行政面から支え、重臣吉田定房との相次ぐ死は後醍醐帝に深く悼まれた。『太平記』流布本巻16「正成兵庫に下向の事」[10]では、建武の乱中、延元元年/建武3年(1336年)5月、九州より東上した尊氏を迎え討つ際に、天皇の比叡山臨幸を献策した楠木正成に対し、清忠は「義貞が一戦も交えぬまま、帝が年に二度まで京を捨てるとは、帝位を軽んじ官軍の面目を失わせるもの」との大義名分論を振りかざして反対し、義貞とともに迎え撃つべきだと主張した。その結果、正成は湊川の戦いで戦死し、後醍醐は比叡山遷幸を余儀なくされた。

上記は有名な逸話ではあるが、『太平記』は軍記物であって、他の史料による裏付けがない場合には、史料的価値はきわめて低い点に注意する必要がある。しかも、『太平記』古態本(より原本に近いとされる写本)の一つである西源院本では、この逸話に坊門清忠の名は一切登場しない[11]。そのため、原本にはないはずの正成と清忠の確執を、誰かが後で勝手に清忠の名前を付け加えた可能性もある。

21世紀現在の研究では、坊門清忠ら建武政権・南朝の蔵人(秘書官)は、不安定な南朝を文書行政の実務面で支えて安定させた裏方として、一定の高評価を受けている[13]。

かつては後醍醐天皇が理想論を追求した急進的に過ぎる人物だという誤解があったが、史料によって前後の時代との人材・政策を比較した結果、21世紀現在は、むしろ多くの面で後醍醐天皇は実務・安定志向だったという説が主流になっている[14]。

3::2019/08/17(土) 15:51:54.58 ID:mFXNduBx0.net
劉備「せやな」
5::2019/08/17(土) 15:52:45.56 ID:y57b4iru0.net
むしろそいつらしかいなかった
6::2019/08/17(土) 15:53:44.54 ID:1lU5acqD0.net
尊氏陣営に比べて層が薄すぎる
あとから焦って北条時行に恩赦だしたりとか見苦しい
7::2019/08/17(土) 15:53:55.05 ID:RcR32yRR0.net
北畠顕家の行軍速度は異常
秀吉の中国大返しより早いとか嘘くさいわ
57::2019/08/17(土) 16:28:51.41 ID:w+pY1k/i0.net
>>7
秀吉軍は糧食や物資を代金を支払って調達し行軍していたのに対して
顕家の奥州軍は補給は用意せず糧食は道々で略奪しての行軍だからスピードが違うんよ
奥州軍が通った後は略奪の限りを尽くされた民衆の餓死者の山だったそうな
171::2019/08/18(日) 01:22:35.44 ID:f/KQrWtT0.net
>>57
間抜け。
略奪は1時間とかでは終わらない。
掠奪を許可したら、その日は軍は動かない。

そんなことで行軍速度が出せるか間抜け。
177::2019/08/18(日) 01:30:06.83 ID:UGeuJyUC0.net
>>171

実際そう書いてあるんだからさ
まずは自分の想像力の貧困さを疑えよ

むしろ荷駄隊なんて悠長に引っ張ってる訳がないだろ
179::2019/08/18(日) 01:33:20.49 ID:f/KQrWtT0.net
>>177
想像力がないのはお前だろ?

現実にそんなことで進軍が可能かどうか考えてみればわかる、
8::2019/08/17(土) 15:54:03.95 ID:faF3dsx40.net
新田義貞がクソ過ぎたのでしゃーない。
172::2019/08/18(日) 01:23:27.39 ID:f/KQrWtT0.net
>>8
勝負すべき時であろうと、いい女とのsexには変えられない。
我が人生に悔いなし。
12::2019/08/17(土) 15:55:21.14 ID:kdYhzT9B0.net
佐々木道誉は裏切りまくりに見えて、ず~っと尊氏のために動いてた所を見ると、
コイツが結局一番の忠義者なんじゃないのかと思う
その後の部下親類のグダグダは見るに耐えん
173::2019/08/18(日) 01:24:15.45 ID:f/KQrWtT0.net
>>12
そういう意味では高師直だって、切羽詰まった局面でしか露骨な裏切りはしていない。
14::2019/08/17(土) 15:55:42.50 ID:m7dgA2oG0.net
1463年から1634年の間に作られたって、随分アバウトだな
田宮にでも鑑定してもらったんか?
15::2019/08/17(土) 15:56:01.57 ID:n7DQLtkT0.net
くそつまんねーオリンピック大河やめてこの辺の年代やろうや
33::2019/08/17(土) 16:03:43.38 ID:3T1BHjlb0.net
>>15
真田広之
武田鉄矢
萩原健一→根津甚八
片岡仁左衛門
片岡鶴太郎
175::2019/08/18(日) 01:26:24.85 ID:zaqQmTK90.net
>>15
家康の長男の一生を描いた大河とか見たい。暗そうだけど
180::2019/08/18(日) 01:36:17.18 ID:UGeuJyUC0.net
>>15

無理やり女を主人公にしようとするから詰まらんだけだよ
19::2019/08/17(土) 15:57:47.00 ID:VHvZDMs40.net
>>15
前にやってたよ。真田弘之が足利尊氏役だった。ミスターオクレが小男。
24::2019/08/17(土) 15:59:16.38 ID:x7ncJbFu0.net
>>19
あれのせいで真田太平記とごっちゃになる
34::2019/08/17(土) 16:04:45.43 ID:3T1BHjlb0.net
>>19
ルー大柴が骨皮道賢


325::2019/08/19(月) 02:10:23.19 ID:jc2/jvOh0.net
>>19
後醍醐天皇役で片岡孝夫。
立ち姿やセリフの発声など、全身から高貴さが溢れていて、まさにこれぞ帝と見まごうほどの好演だった。
72::2019/08/17(土) 16:50:25.02 ID:3JJCJuIC0.net
>>19
陣内孝則の佐々木道誉はくっそ胡散臭くて良かった
今なら誰が演じるんだろうな?
グループ魂以外なら誰でもいいけど
240::2019/08/18(日) 10:05:00.31 ID:FQ3MbSnZ0.net
>>19
未だに大河で一番好きだわ
キャストがめちゃくちゃよかった

特にフランキー堺と片岡鶴太郎
16::2019/08/17(土) 15:56:34.27 ID:yyWcE2SN0.net
足利という武家(マフィア化した開墾地主が地方を治める)社会を保守する勢力と、皇族貴族による律令制に戻そうとする超反動保守との対立だったわけで
割と救いが無い
皆はそらマシな方を選ぶわな
27::2019/08/17(土) 15:59:53.95 ID:f/8kIlDs0.net
>>16
それな。世の中の経済実態の変化に対応出来ない非現実主義だから大勢はついてこなかったんやな。
45::2019/08/17(土) 16:14:57.53 ID:BLh7NDAx0.net
>>16
そもそもあそこまで冷遇されてもなお楠木公は忠義を尽くしたのか理解できん
50::2019/08/17(土) 16:22:07.78 ID:kSnTEA0s0.net
>>45
冷遇されればされるほど忠義を尽くし忠義の大切さを示す
忠義の士とはそういうものだ

一種の宗教だからな、基本的に冷遇とか厚遇とか関係ない
53::2019/08/17(土) 16:24:56.94 ID:HM/STfke0.net
>>45
忠臣二君に仕えず、少数による山岳戦で大軍に勝ったりと判官贔屓の日本人が好む要素たっぷりだ。
21::2019/08/17(土) 15:58:20.45 ID:WjWCIFwu0.net
大河ドラマ 太平記での鶴太郎の演技は、最高だった
94::2019/08/17(土) 17:41:02.93 ID:z4/ahR0M0.net
>>21
あれ上手いよな。
軍師官兵衛の御着殿も上手かった、
坂の上の雲の海軍さんも上手かった。
あれはもっと評価されていい
23::2019/08/17(土) 15:58:55.91 ID:iXneDjBM0.net
足利尊氏、足利直義、高師直、
あと色々
25::2019/08/17(土) 15:59:26.49 ID:snE5RDCZ0.net
院宣ばかりでご褒美がないんだもん。
28::2019/08/17(土) 16:00:23.80 ID:RPUyBV0Q0.net
高師直が有能すぎてね
南北朝時代の武将。室町幕府初代執事。師重の子。元弘の乱に続く内乱期に,足利尊氏に従い北条氏を滅ぼし,建武中興政府の雑訴決断所衆となる。建武2 (1335) 年,尊氏が関東で中興政府に反旗を翻すと,軍を指揮して後醍醐天皇軍と戦い,幕府が開設されると将軍家の執事となった。しかしやがて尊氏の同母弟直義と対立し,正平4=貞和5 (49) 年,尊氏に迫って直義を政務から退けた。直義は師直の専横を快しとしない諸将の応援を得て翌年挙兵し,尊氏,師直を破った (→観応の擾乱 ) 。尊氏は師直を出家させる条件で直義と和睦,師直は帰京の途上,武庫川付近で上杉能憲に殺された。戦乱の時代にふさわしい伝統破壊者的性格,行動,特に塩冶判官高貞の妻に横恋慕した件は『太平記』に詳述され,『仮名手本忠臣蔵』など後代の文学にも取上げられた。https://kotobank.jp/word/高師直-63019

174::2019/08/18(日) 01:25:05.69 ID:f/KQrWtT0.net
>>28
これな。
35::2019/08/17(土) 16:05:13.68 ID:RmrIqlTwO.net
北畠顕家と楠木正成は良い
新田義貞は戦下手だし、性格もクソじゃないか?
178::2019/08/18(日) 01:32:25.02 ID:f/KQrWtT0.net
>>35
この時代、みんな性格がクソなのはしょうがない。

少なくとも動員兵力のこともあって、南朝での主要な戦闘では新田がエースなのは事実。

鎌倉幕府軍の殲滅は水際だった勝利と言えるし、足利尊氏との鎌倉攻防戦はそもそも公家社会の軍団を率いていた以上、武士の軍団を率いている足利一族とは戦闘力が違うのはやむを得ない部分がある。

それでも、どうしても正当化が無理なのは、播磨。
でも勾当内侍はいい女だったらしいから、しょうがないね。
38::2019/08/17(土) 16:07:29.24 ID:yApmfJag0.net
あれだけ負けても必ず復活してくる足利尊氏は、後醍醐帝からしたらゾンビそのものだったろうな。
40::2019/08/17(土) 16:09:40.56 ID:Nn7av7eC0.net
>>38
ナポレオンに負け続けたブリュッヒャーもそうだけど諦めないことが大事だわ
41::2019/08/17(土) 16:10:23.11 ID:OG7n+DWW0.net
ゴダイゴ天皇が無駄にエネルギーありすぎて、時代をかき回してる
44::2019/08/17(土) 16:13:20.18 ID:y3zkL5Rk0.net
北畠顕家は後藤久美子が演じてたな。
61::2019/08/17(土) 16:40:07.45 ID:y2EwJ+R20.net
護良親王を誅殺した段階で詰んでた。
護良親王(もりよししんのう)、延慶元年(1308年) - 建武2年7月23日(1335年8月12日)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物。後醍醐天皇の皇子、母は源師親の娘親子。妃は北畠親房の娘。または藤原保藤の娘である南方(みなみのかた)。興良親王の父。大塔宮(正式には「おおとうのみや」/俗に「だいとうのみや」[1])と呼ばれた。天台座主。征夷大将軍。中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。

70::2019/08/17(土) 16:47:10.60 ID:uw+JqZ7i0.net
>>61
いっぽう、懐良親王は九州で無双していた
懐良親王(かねよししんのう、かねながしんのう[1]、元徳元年(1329年)? - 弘和3年/永徳3年3月27日(1383年4月30日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の皇子。官位は一品・式部卿。征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれる。南朝の征西大将軍として、肥後国隈府(熊本県菊池市)を拠点に征西府の勢力を広げ、九州における南朝方の全盛期を築いた。

64::2019/08/17(土) 16:42:59.82 ID:F6nKsP320.net
全ては新田を大将にしたのが敗因
尊氏の首取ってもおかしくない戦が2回ぐらいあったが全て台無しにしてるこれが致命的
新田全盛期は対北条の時で終わってる
232::2019/08/18(日) 06:27:00.85 ID:ArijLHpq0.net
>>64

新田義貞が無能だったけど不運もあったよな。公家大将が「佐々木道誉を戦線に配置しろ」の義貞に命令したらしいけど、義貞は「道誉は裏切るから駄目」と断ったのに、公家が強引に道誉を戦線に配置。案の定裏切っているしな。
78::2019/08/17(土) 17:01:55.69 ID:aXqsGK9I0.net
女性陣の美しさは
相当、凄かった大河太平記
82::2019/08/17(土) 17:17:44.62 ID:CRtXjEQ40.net
新田はただの脳筋バカ
楠木は籠城戦だけが強い局地戦闘指揮官
北畠は足利絶対殺すマンだけど兵站ガン無視ダメ
いくら足利討伐の為でも通過する村々からことごとく略奪して民衆を苦しめちゃダメ絶対
108::2019/08/17(土) 18:33:21.09 ID:W1Y6ionL0.net
>>82
そもそも北畠顕家を鎮守府将軍にした後醍醐が悪いんや
東北から畿内まで数万の大軍を何往復もさせるにはどれだけ兵站が必要になるのか
なのに顕家が畿内鎮めて東北に帰るとすぐまたやらかして
早く来い早く来いと綸旨連発
90::2019/08/17(土) 17:36:59.64 ID:z4/ahR0M0.net
北畠顕家の陸奥軍勢は、
相馬、伊達、佐竹、大崎、最上等の、
鎌倉御家人を始祖とする坂東武者の後裔で、勇猛な騎馬武者を揃える軍勢だったのに、使い方間違ったよな。