
【歴史】新たな書状発見…豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」
1:ばーど ★:2019/08/19(月) 09:41:03.64 ID:f3h1AI9I9.net
豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3か月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかりました。秀吉は、実子の秀頼が生まれたことで秀次と不仲になったというのが通説ですが、調査にあたった専門家は「秀吉が簡単に秀次一家を潰そうとしていなかったことを示す意味のある発見だ」と指摘しています。
この書状は、東京大学史料編纂所に未調査のまま保管され、村井祐樹准教授が調査を進めました。
その結果、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状と判断され、この中に、豊臣秀次の息子を今の奈良県にあたる大和の国主にするという秀吉の発言が記されていたということです。
秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、妻や子どもも処刑されました。
村井准教授によりますと、秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに不仲になったというのが通説ですが、最近は、秀次の謹慎の直前まで関係が悪化していなかったとする研究もあるということです。
村井准教授は「豊臣家に人がいなくなってしまうと滅亡につながってしまうので、秀吉は簡単に秀次一家を潰そうとはしていなかったのではないか。京都に次いで大切な大和の地を豊臣家の一員に任せようと考えていたことも分かり、今回の書状はかなり重要な、意味のある発見だ」と指摘しています。
■書状に「母者」 関係の近さ うかがわせる
今回の調査では、秀吉が自分の母親のことを「母者」と記した珍しい書状も確認されました。
この書状は、花押や印はないものの、紙の質が当時のものと一致することなどから、天正13年、西暦の1585年に秀吉が弟の秀長に宛てたものと判断されました。
本能寺の変のあと、小牧・長久手の戦いの直後に書かれ、敵方だった織田信長の次男、信雄が夫人たちを大坂に連れてくると記したうえで、秀長に「お前の家を修築して滞在させておけ」と命じています。
そのうえで「もし調度品がそろっていなければ、一時的に『母者』のところに滞在させるように」とも記しています。
調査にあたった村井准教授によりますと、秀吉が母親のことを「母者」と表現している書状が見つかったのは今回が初めてで、母や弟との関係の近さがうかがえるとしています。
村井准教授は「秀吉が天下を取る前の、まだいろいろなことが官僚化されていないなかで、自分の手回りでやりくりしている様子がうかがえる。秀吉の私的な部分がうかがえる文書で、うちうちの書状はあまり残らないので、そういった意味でも珍しく貴重だ」と話しています。
この書状は、東京大学史料編纂所に未調査のまま保管され、村井祐樹准教授が調査を進めました。
その結果、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状と判断され、この中に、豊臣秀次の息子を今の奈良県にあたる大和の国主にするという秀吉の発言が記されていたということです。
秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、妻や子どもも処刑されました。
村井准教授によりますと、秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに不仲になったというのが通説ですが、最近は、秀次の謹慎の直前まで関係が悪化していなかったとする研究もあるということです。
村井准教授は「豊臣家に人がいなくなってしまうと滅亡につながってしまうので、秀吉は簡単に秀次一家を潰そうとはしていなかったのではないか。京都に次いで大切な大和の地を豊臣家の一員に任せようと考えていたことも分かり、今回の書状はかなり重要な、意味のある発見だ」と指摘しています。
■書状に「母者」 関係の近さ うかがわせる
今回の調査では、秀吉が自分の母親のことを「母者」と記した珍しい書状も確認されました。
この書状は、花押や印はないものの、紙の質が当時のものと一致することなどから、天正13年、西暦の1585年に秀吉が弟の秀長に宛てたものと判断されました。
本能寺の変のあと、小牧・長久手の戦いの直後に書かれ、敵方だった織田信長の次男、信雄が夫人たちを大坂に連れてくると記したうえで、秀長に「お前の家を修築して滞在させておけ」と命じています。
そのうえで「もし調度品がそろっていなければ、一時的に『母者』のところに滞在させるように」とも記しています。
調査にあたった村井准教授によりますと、秀吉が母親のことを「母者」と表現している書状が見つかったのは今回が初めてで、母や弟との関係の近さがうかがえるとしています。
村井准教授は「秀吉が天下を取る前の、まだいろいろなことが官僚化されていないなかで、自分の手回りでやりくりしている様子がうかがえる。秀吉の私的な部分がうかがえる文書で、うちうちの書状はあまり残らないので、そういった意味でも珍しく貴重だ」と話しています。
2019年8月19日 5時10分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/k10012040091000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002
3:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:43:27.48 ID:mrzj9pLH0.net
>>1
何で切腹させたの?妻子まで処刑したの?
カスで確定でしょ
何で切腹させたの?妻子まで処刑したの?
カスで確定でしょ
262:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 13:32:29.35 ID:J3USlUuP0.net
>>3
妻子まで処刑して復讐の芽を摘んでおくってのはわからんこともないが、
畜生塚がわからんな。
自分の身内が畜生ってことなら、自分も畜生だと世間は思うだろうにな。
妻子まで処刑して復讐の芽を摘んでおくってのはわからんこともないが、
畜生塚がわからんな。
自分の身内が畜生ってことなら、自分も畜生だと世間は思うだろうにな。
255:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 13:16:09.91 ID:/mkfo0nL0.net
>>3
利休の切腹でもわかるとおり、秀吉は晩年
感情的で支離滅裂な行動を取っている
一説には、秀吉は梅毒でまともな判断力が失われていたのではないか
との説もあるくらいだ
これはある程度、裏づけがあり
秀吉の血判状から梅毒スピロヘータの遺伝子が発見されているし
当時の記録にも梅毒を思わせる症状が秀吉に見られた記録もある
利休の切腹でもわかるとおり、秀吉は晩年
感情的で支離滅裂な行動を取っている
一説には、秀吉は梅毒でまともな判断力が失われていたのではないか
との説もあるくらいだ
これはある程度、裏づけがあり
秀吉の血判状から梅毒スピロヘータの遺伝子が発見されているし
当時の記録にも梅毒を思わせる症状が秀吉に見られた記録もある
271:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 14:04:45.95 ID:zxdfAIqG0.net
>>255
利休については
茶道を体系化させた人物ではなく
たんなる詐欺師、豊臣政権から多額の金を横領などしていたのではないかという点で
その責任で処断されたのではなかろうが
足利義秋のころには、
すでに茶道は体系化されている
利休については
茶道を体系化させた人物ではなく
たんなる詐欺師、豊臣政権から多額の金を横領などしていたのではないかという点で
その責任で処断されたのではなかろうが
足利義秋のころには、
すでに茶道は体系化されている
4:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:43:36.98 ID:yHrrGtNO0.net
なんで処刑したの?
6:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:44:31.56 ID:/Qm9w8gL0.net
本心じゃないだろ
10:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:49:28.22 ID:qqS5apFQ0.net
>>6
少なくとも秀次を引退させて秀頼を跡継ぎにする方針は明確に見えるな
少なくとも秀次を引退させて秀頼を跡継ぎにする方針は明確に見えるな
30:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:59:23.62 ID:/Qm9w8gL0.net
>>10
そうなんだよね
小早川みたいによそに養子にやればよかったのではないか
そうなんだよね
小早川みたいによそに養子にやればよかったのではないか
8:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:45:15.37 ID:CUaP126F0.net
歴史ファンタジーを信じ
新しい手紙を作成したのか?
新しい手紙を作成したのか?
9:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:49:10.58 ID:Lp1F1hpS0.net
兄者:秀吉
弟者:秀長
母者:なか
弟者:秀長
母者:なか
11:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:50:10.44 ID:aEfNKgwP0.net
一族の結束がないと滅ぶで~
て雄略と頼朝が言ってたとかなんとか
て雄略と頼朝が言ってたとかなんとか
328:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 17:05:13.93 ID:Pnaf78aE0.net
>>11
そして結束の強い北条に源氏はとってかわられたんだな
そして結束の強い北条に源氏はとってかわられたんだな
12:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:50:54.42 ID:8VAOeJ460.net
秀次は死人に口なしで後から悪口言われてるけど別に悪逆無道でもないし謀反なんか考えてもいなかったんだろ
数少ない身内なのに、ほんとにどうして殺したんだか
数少ない身内なのに、ほんとにどうして殺したんだか
13:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:52:17.21 ID:9bfQ21Ed0.net
>>12
秀次も かなり残虐超人だったらしいよ。
血が好きな人。だから自分で処刑執行するとか。
秀次も かなり残虐超人だったらしいよ。
血が好きな人。だから自分で処刑執行するとか。
492:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 21:34:19.09 ID:ugVnRenh0.net
>>13
だからそれ自体が処刑後に作られたエピソードってこと
だからそれ自体が処刑後に作られたエピソードってこと
494:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 21:35:12.91 ID:kx2mfz1G0.net
>>13
その説はかなり嘘臭い
バテレン宣教師フロイスは秀次のことを「快活で英明な君主」と高く評価しているし
その説はかなり嘘臭い
バテレン宣教師フロイスは秀次のことを「快活で英明な君主」と高く評価しているし
916:名無しさん@1周年:2019/08/23(金) 21:02:07.26 ID:0o7ETakd0.net
>>494
一方で、罪人を自らの手で処刑することが度々あったと記している
一方で、罪人を自らの手で処刑することが度々あったと記している
25:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:57:43.97 ID:QY6mV6fr0.net
>>19
それ、古代中国の歴史を引用した悪人に仕立てるための古くからのテンプレやで。
妊婦の腹を裂いて胎児を出したとか、悪人に仕立て上げられた人にだいたいつけられる悪行の見本
それ、古代中国の歴史を引用した悪人に仕立てるための古くからのテンプレやで。
妊婦の腹を裂いて胎児を出したとか、悪人に仕立て上げられた人にだいたいつけられる悪行の見本
33:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:59:44.25 ID:yqBULH1T0.net
>>19
>妊婦の胎を裂いて見たこともあったそう。
こんな暴君テンプレ書かれてもなw 中村彰彦、ワックなんかで仕事してんのかよ
>妊婦の胎を裂いて見たこともあったそう。
こんな暴君テンプレ書かれてもなw 中村彰彦、ワックなんかで仕事してんのかよ
14:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:52:28.39 ID:gqWJjN2G0.net
いつも思うが、この事に関しては、最上義光が1番可哀想だと思うんだわ
15:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:52:52.87 ID:QY6mV6fr0.net
歴史群像かなんかで秀次の高野山追放は自らの出奔、切腹は命令も無く自分で勝手にやったってことだったはず。
少なくとも秀頼が産まれて不仲になったという通説は軍記物レベル
少なくとも秀頼が産まれて不仲になったという通説は軍記物レベル
24:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:57:04.42 ID:yiTRB14A0.net
>>15
だったら秀次の一族皆殺しとかしないだろ
妻妾と子供全部殺す意味はなに?
だったら秀次の一族皆殺しとかしないだろ
妻妾と子供全部殺す意味はなに?
36:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:00:57.29 ID:QY6mV6fr0.net
>>24
謀反事件ってことにして厳罰にしないと収拾つかなかったんでしょう
謀反事件ってことにして厳罰にしないと収拾つかなかったんでしょう
18:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:54:27.06 ID:yqBULH1T0.net
いや、むしろ謀反なり権力奪取の企てないと殺さないだろ?
178:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 11:40:06.38 ID:peipwGK00.net
>>18
無くても殺したい状況だったわなw
無くても殺したい状況だったわなw
20:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:55:39.64 ID:B+EFOm9h0.net
全く読めん
解読できるのか
解読できるのか
75:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:31:50.04 ID:VLg9qqVx0.net
>>20
俺もまったく読めん
なんとなくどころかただのミミズにしか見えん
当時の人はこんなの読んでたのか?
俺もまったく読めん
なんとなくどころかただのミミズにしか見えん
当時の人はこんなの読んでたのか?
21:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:55:56.67 ID:o3LLpk8a0.net
まあ結果的に豊臣家滅ぼうにつながる事件でしたからね
生きていれば徳川家康も迂闊に動けなかったでしょうし
生きていれば徳川家康も迂闊に動けなかったでしょうし
23:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:56:52.34 ID:tGcYTro30.net
畜生塚
27:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:58:15.79 ID:kzioPeDn0.net
これが平安以来の公家の処世術さ。
29:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 09:59:18.38 ID:Fu77LZT40.net
秀次がゴネたか、側近が讒言したって事だな。
39:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:02:23.00 ID:kzioPeDn0.net
官僚主義が肥大化すると、どんどん残虐になっていったね。
559:名無しさん@1周年:2019/08/20(火) 00:25:07.23 ID:M09ktr480.net
>>39
旧ソ連や中国共産党もな
旧ソ連や中国共産党もな
41:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:02:55.32 ID:C/JYmGW40.net
>>1
落書きにしか見えない…
落書きにしか見えない…
43:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:02:57.96 ID:kzioPeDn0.net
これ、普通は高野山に蟄居なんだよ。
44::2019/08/19(月) 10:03:49.04 ID:Un6L/X6x0.net
秀長って空気読んで男子を側室に生ませなかったのかな。
夭折した男子はいたみたいだが。
夭折した男子はいたみたいだが。
45:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:04:15.28 ID:cpHRfBt+0.net
>母親のことを「母者」と表現している書状が見つかったのは今回が初めて
ニセモノの可能性が大きいとも言えるのでは?
贋作者が、秀吉は文書では「母者」を用いないと知らなかったからかも。
ニセモノの可能性が大きいとも言えるのでは?
贋作者が、秀吉は文書では「母者」を用いないと知らなかったからかも。
51:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:07:20.22 ID:sehMtkrHO.net
>>45
いい推察
悪魔の涙を思い出した
いい推察
悪魔の涙を思い出した
49:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:06:40.93 ID:eSgwkyW40.net
本人を切腹させてるんだから
今さらそんなことでイメージ変わるわけないだろ
何言ってるんだ
今さらそんなことでイメージ変わるわけないだろ
何言ってるんだ
54:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:08:45.07 ID:nrhyILO10.net
ワンポイントでも、秀吉が死んだあとは自由だからね
空気が読めない
空気が読めない
55:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:09:16.28 ID:otTZLcyq0.net
大河の軍師 官兵衛の時の描写がそんな感じだったな
秀頼が産まれたことで、秀次自身が疑心暗鬼に陥って、秀吉にそんな気は無かったのに齟齬が続いて修復不能になるみたいな
秀頼が産まれたことで、秀次自身が疑心暗鬼に陥って、秀吉にそんな気は無かったのに齟齬が続いて修復不能になるみたいな
336:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 17:09:42.56 ID:Pnaf78aE0.net
>>55
「真田丸」もその路線だね
あそこでの宇喜田秀家のキャラクターが好きw
「真田丸」もその路線だね
あそこでの宇喜田秀家のキャラクターが好きw
67:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:25:49.44 ID:tpp6312N0.net
数ヶ月前に要職に就けたから何だって言うの?
結果的にその数ヶ月後に皆殺しにしてるのに
主筋を処刑し、身内を処刑し、滅ぶべくして滅んだのが豊臣家という事実は変わらないぞ
結果的にその数ヶ月後に皆殺しにしてるのに
主筋を処刑し、身内を処刑し、滅ぶべくして滅んだのが豊臣家という事実は変わらないぞ
72:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:30:19.24 ID:TQszWQHR0.net
>>67
諫言した古参も粛清して関係ない外様を巻き込みまくったからな
おかげで秀次の配下だった東海道沿いの古参が関ヶ原で全員家康に付いた
諫言した古参も粛清して関係ない外様を巻き込みまくったからな
おかげで秀次の配下だった東海道沿いの古参が関ヶ原で全員家康に付いた
69:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:26:15.99 ID:RkPR+/nw0.net
石田三成がなんか進言したのかな
74:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:31:20.59 ID:TQszWQHR0.net
>>69
三成は秀次の粛清を止めようとした
三成は秀次の粛清を止めようとした
71:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:27:58.60 ID:nrhyILO10.net
いや、だから意思が変わったのがこの後の3か月間って絞り込める資料でしょ
76:名無しさん@1周年:2019/08/19(月) 10:32:28.06 ID:BEnID3xn0.net
これさっぱりわからん事件だ
身内お付も全滅させたのも謎だし
秀頼の事がなにか関係してるんだろうけど
身内お付も全滅させたのも謎だし
秀頼の事がなにか関係してるんだろうけど
コメント一覧
むしろ憎しみが生まれるのは一日でも
対応は全く変わる そんなもんだ
本当は秀頼の後見として秀次も信用してたけど、3か月で劇的に秀次の何かが秀吉の癪に触ったんだな
権力簒奪だの謀反だのって話も説得力出てくるな
「やっぱり秀次は秀頼の脅威になるわ」的思考になっても不思議ではない
関係する大名だって多いから、そう簡単には排除はできないだろうし
その子供を要職に(不本意ではあっても)つけるってのはわからなくはない
問題はこの3か月後に秀次が切腹し一族皆殺し、古参家臣や関係大名も巻き添えにしたこと
秀次が勝手に切腹したってならまだしも、秀吉が命じただと朝廷への働きかけがありそうなんだけど(勝手に処罰したら朝廷の面目が立たないだろうし)
そこを継がせることが良好な関係の証拠とは思えない
普通に考えれば関白を処罰することは朝廷の機構に影響与えるから、天皇に許可くらいは取らないとダメ、って気がする。
でも天皇に許可とったって話は聞かないな。
処刑された時に秀次の長男は5歳くらいの子供だったはずだから、そんな子供に大和の地を治めることが出来るとは思えんし、
そうなると当然誰かが補佐人になるわけで…
これが何らかの左遷だとすれば、秀次が秀吉に謀反を起こす(若しくは秀吉がそう疑心に陥る)可能性もあり…
うーん。
この件に関しては、秀吉個人の性格の善悪に問題を矮小化してる人が多くって議論にならん。
摂政関白がプロパガンダなら秀吉サイドも同じようにして見るべき。
プロパガンダとか同じようにとかなんの話かよくわからんが
秀吉個人が許したくても周囲の状況が許さないから泣く泣く処分した説?
それはそれで情けなくね?
もし秀吉がガチで秀次を処刑しようとしたら「秀吉暗殺未遂」とかでっち上げて処刑しそうだし、これをやらない理由は無いと思うんだ。
失政を咎めたって説もあるけど関白である秀次の失態を秀頼が産まれた事で罰するというのも欲心ミエミエだし…
って考えていくと、高野山に行った時点ではまだ秀吉は秀次をどうするか考えあぐねていた(なお、切腹の沙汰を出したという資料もある)けど、
秀次が絶望、悲憤、無実の証明等の理由で勝手に切腹してしまった。
秀吉の内心はどうあれ、これで秀吉が秀次を死に追いやったという構図が出来上がり
常識的に考えれば秀次派は反秀頼(反秀吉)感情を抱く訳で…
怖くなった秀吉は秀頼の敵となり得る秀次一族含め秀次派を粛清…
ってことも、ありえるのかなぁ、どうかなぁ…
でも、どのみち秀吉のこの行いが秀頼を破滅に向かわせたんだから歴史って何が起こるかわからんわ。
養子を跡継ぎにしといて実子が生まれる状況は他にもあるけど基本養子の跡継ぎを無かったことにするしね
その解釈も面白いね。
秀吉に「自分の後は秀頼に継がせたい。しかし秀次処断は流石に…」って迷いがあったとしたら、
その迷いが結局事態の悪化を招いたってことになるね。
秀次が死んだあとで「やばい!このままじゃ俺が秀次殺したと思われる!旧秀次派が暴発する!」
って恐慌して粛清したとなるとちょっと後手後手感あるけど
最初から「秀頼生まれたし秀次死ね」よりはなんかそっちの方が人間味があって好きだな。
勝手に切腹した説が厳しいのもその辺なのよね
秀吉が家康を見方につける時に、旦那のいる自分の妹をムリヤリ別れさせて家康の嫁にやり
自分の母親も家康の人質に送り、最終的に家康が折れて秀吉の傘下に入った状況と同じでは?
秀次との仲は拗れてたけど、関白を譲り、秀次の子を大和の国主にすることで
秀吉は最大限の配慮をし、秀次サイドから何らかの譲歩を引き出したかった。
でも秀次は折れなかった。
ついに堪忍袋の緒が切れた秀吉が大粛清。の流れでは?
利休と一緒で、秀吉のリップサービスを真に受けて、秀吉の怒りの臨界点を見誤った説
次の世継ぎがもし生まれたら即刻譲るとか宣言してるやん
それでもダメだったって
実に詰んでるよな
秀秋は処分とかされていないですよ。筑前・筑後領を小早川隆景の跡をついで所領することになっただけ。黒田基樹氏の『小早川秀秋』に詳細に書かれている。
「悪逆=謀反」と説明したのは、切腹後でした。切腹前は「謀反の噂」だった。
「秀吉は秀次の切腹を命じてないのに、秀次が勝手に切腹した」説は、矢部健太郎氏の説ですね。
ただ、それが真実だとすると間抜けな話だよな。
本来、主が切腹するのは部下や家族、主君を守るため。
自分の死によって憎悪の連鎖を止めるために腹を斬るものなのに。
この例は、むしろ憎悪を拡大させ豊臣家滅亡の要因を作ってしまった。
結局は百姓の小倅に過ぎなかったって事なんだろうが、
この場合のモノノフの覚悟を持てなかったのはどちらだったんだろうな。
短絡的に自棄になった秀次だったのか?
逆ギレしてあげく疑心暗鬼で暴走した秀吉だったのか??
それとも、この愚か者二人の共同作業だったのか???
朝廷に根回ししてないってことは計画的なことじゃなくて突発的なことだったのかな(秀吉が朝廷を軽視していたのなら別だけど)
秀吉も色々考えた末に、恐怖には勝てなかったのかもしれない。
物理的に接触してないはずの駒姫や、今まで秀吉のために尽力してきた菊亭なんかも処分しているところからして、秀次の死によってかなりの衝撃があったのは確かなはず。(そもそも最初から秀次を殺そうと思ってたらでっち上げて謀反人として処刑するだろうし)
ただ、秀次が突発的に死んだとは思えない軌跡があるのも確かだから難しい。
…もしかすると、秀次の切腹は秀次の攻撃だったのかもしれん。
新証拠の息子の大和送りや、家老の処断なんかでゆーっくりと外堀が埋まってきてると秀次は感じていたはず。
秀吉は、秀次が降参するかさもなくば兵を挙げると読んでいた。(降参が何を意味するかは思いつかんけど)
ところが秀次は先手を打って切腹した。
これで秀次は「謀反人」ではなくなった訳で、秀吉の目論見は全て外れることになる。
仮に秀次一族を皆殺しにすれば、それは豊臣を狙う者、つまり徳川に利する。
殺さなければ、秀次一族は秀吉への恨みを秀頼に返す…
…うーん。なんか小説みたいな話だなぁ…
その説の主張している人の根拠は京から高野山への秀吉の命令書が秀次切腹数日前には、世話をさせるための内容で行列なので何日もかかるはずなので、秀吉の処刑命令はなかったに違いないというものでしかない。
実際は秀吉からの使者である福島たちが到着した当日に秀次切腹、その日には首を切り取り、次の日には京に戻り秀吉が首実験をしている。片道何日もかかっていない。
秀次が勝手に切腹したのなら、その場で首を切り取るなど福島の一存で出来ないよ。ますは秀吉に報告して指示を仰いだりするはず。福島たちには秀次を切腹させて、首を持ち帰れと初めから命令が出ていたとみるべき。
秀次は秀吉からの単身出頭要求に対して殺されことを危惧して拒否していた。それを「殺す気がないので、単身出頭すべき、秀吉が殺す気なら、自分たちが兵をあげて守る」と使者たちに説得されたので、単身出頭した所を拘束されて、高野山に送られた。高野山への秀吉の世話をさせるという命令書も、秀次を油断させるための嘘だろう。
これが秀次の系統には宗家を継がせないという意思表示になって秀次が不満を感じたとも考えられる
それ隆景が死んだので召し上がられただけ
豊臣政権ではよくある話
まあねぇ、石田軍記なんかでも思いっきり秀吉の命令での切腹だったしなぁ。
戦国の世の習いとはいえ、結構えぐい話だけど…
マジに耄碌してて、秀次一族を殺すとどうなるかとか考えてなかったのかなぁ。
結果秀吉は疑いを強めて、罷免して高野山送りになり、その後の調査でも疑いが晴れなかったので謀反として処理された
それだけの話だろうに、秀次が切腹なのに一族が族滅にあっているのを考えると、途中で謀反を確信するものがあったとみるべき、一族まで酷い()とかいう奴いるけど、族滅されるケースは謀反など限られた場合のみであり、また後見人や家老クラスも処罰の対象になっていたことを考えれば、謀反と判断されたのは間違いない
もしくは謀反の噂により、追い込まれて決起するのを恐れた可能性もあるか、応仁の乱にしても本人たちはそこまでやる気はなかったが周りが盛り上がってああなった
太田の太閤うんたら、川角太閤記、当代記、御湯殿上日記、言経卿記これらすべてのおいて謀反の噂があり、秀次一派の粛清につながったと書かれている、これらは秀次の謀反は噂だけで証拠はなかったとするものばかりであるが、噂や讒言などで処刑されることは洋の東西問わず別に珍しくもない
秀次粛清の直後に御掟が発表されその時無断婚姻の禁止、同盟の禁止、誓紙のやりとりの禁止、讒言の禁止、口論は我慢したほうが正しいなど、どうみても秀次がやらかした事を禁止しているとしか思えず、謀反があったか謀反につながりかねないと判断されたとみるべきだろう
その小姓が溺死させたという史料は後世のもので胡散臭いし、それもそれ外道な秀保が小姓に崖から飛び降りろと無茶な事言われたので、激怒した小姓が秀保にとびかかって、その結果二人とも落ちて溺死したという話だぞ
自業自得にしかみえん
多聞院日記や駒井日記などで病気で体調を崩して病死したと一致したことが書かれており、
死因に不審な所はないんですよ
謀反の「噂」だけで「関白」が殺されるのは割と前代未聞だと思うんだが…
そしてそんな噂だけで殺された秀次一族はむちゃんこ可哀想だと思うのが一般人の感覚だと思う。
謀反の噂だけで宰相クラスが一族郎党親類縁者まで皆殺しになるなんて世界中でよくある話なんだが?
むしろ身分が高くて権力もってるほどヤバい、中国の歴史とかちょっと調べてみるといい、伍子胥文種呉記商鞅・・・
この時代実際に挙兵するまで確実な証拠なんてまずない、だが謀反していると密告讒言があっただけで謀反であるとして処罰される
おまけに秀次のやっていたことは江戸時代なら確実にアウト、無断婚姻したり誓紙やりとりしておまけに江戸への参勤交代拒絶したら、よくて改易、へたすりゃ謀反の疑いで族滅
最上が改易になった時は主家に反したとかいう理由で、主だった一族の人間もみな切腹となった
そして一般人の多くは秀次は権力握ったら好き勝手やってたサイコパスなんで可哀想とは全く思ってないだろ
27であげたものの多くは謀反の疑いだけで殺された秀次にはある程度は同情しているが、日ごろの行いが悪かったので自業自得だろうと突き放している。
親族に同情はするのでは
うーん、でもさ、日本だとそんなに無いんじゃないの?よー知らんけど。
どんな事件にも、でっち上げていたとしても謀反の証拠があるから処罰に持っていくわけで。
しかも秀次は関白、天下人なのだから「秀次が謀反を企んでいる」っていう噂だけじゃ処罰は出来ないでしょう。
しかも問題は「秀次謀反」の噂の火元がわからんところよ。
噂の発生は明らかに秀頼誕生をトリガーにしてるので、それ以前から秀次が謀反を企んでいたとは考え難い。
更に、秀次には秀吉に謀反する動機が無い。
どんな約束をしても老齢の秀吉が死ねば幾らでも反故に出来る訳でここで戦争する必要がない。
逆にこれが秀次が殺された理由と言われたら仕方がないが…
火事とおならは火元が騒ぐ、って言うけどおそらく噂の出元は秀吉のところな可能性は高そう。
とは言え、秀吉が秀次の謀反の証拠を見付けられず、謂わば詰め腹を切らせてしまい、その結果無茶苦茶な言い掛かり的状況で一族・縁者を粛清したことが豊臣政権を大幅に弱体化させ…
それによって最も得をしたのが、よりにもよって徳川家康とくれば、秀次も浮かばれない話だよなぁ…
最上騒動は義敏も山野辺義忠も松根光広も生き残ってるがな。楯岡や東根らも無事
死んだのは上野山義直と大山光隆くらいでどっちも自害。処刑じゃないぞ
適当すぎじゃないか?
文禄・慶長の役を参考にすると秀吉に嘘の報告ばかりされている状況になっている
秀次を失脚させたい側近が秀吉に讒言を続けて信じ込ませた可能性はありそう
奉行の石田三成からして秀吉に嘘ついて戦争終わらせようとかしてるからなあ…
ボケたボケたと揶揄される秀吉だけど、出されている命令自体は状況に適したものだと思うんだよね
ただ前提になる情報が嘘まみれという・・・
よー知らないのになんでそんなレスを書けるんだ?
前提条件が間違っているならそのあとはただの妄想になってしまうだろうに、
日本でも親子での家督争いや、重臣の粛清は別に珍しくもない、東北の伊達氏や最上の数代にもわたる親子での家督争いは有名だ、重臣の粛清にしても大内は陶に討たれたが、その祖父の時代はおいては大内が権力をもっていた陶を殺している
※33
だから主だったもの=義光の子供 が「切腹」となったと書いてるだろ
そりゃ庶民なら知ってるけどさ、
関白クラスでそんな話あるの?
天皇クラスでも「嵌められた」ってのはあっても「謀反の噂」で死刑とか聞いたことがないし。
道長だってよーく調べてから伊周を左遷しとるし…
やっぱ噂だけで処分ってのはかなりヤバイんでねーの?
しかも何処から出てきたのかもわからんし。
俗説通り石田三成が言った、とかならわかるけど。
そりゃ関白が長い事名ばかりになって実権をもってなかったから
実権ももってない相手なら恐れる必要もないから粛清されたりはしない
だが家老クラスの重臣や後継者との対立なんて別に珍しくもない
実際、秀次事件の一番大きな影響ってこれだよね。
関白が「何の実権もないお飾り」だとバレた。
秀吉が関白就任して以来、何となく貴いものだと思われていたのに、ご丁寧に秀吉がそれを否定しちゃった。
そのせいで秀頼の時代になると豊臣家の影響力が皆無になった。
関白なんてお飾りにしかなれない一族?みたいな扱いされて、
歴史ある征夷大将軍、徳川に負ける羽目に…
何度殺され、何度京都から追放された事か
山野辺義忠は義光の実子ですが何か?
鎌倉以来、征夷大将軍が武家の頭領となることが先例となってた。
更に付け加えると「源氏長者」が征夷大将軍になることには大きな意味がある。
源氏というのは元を辿ると皇族なんだけど、源氏はその中でもトップの格式を持つ。
源氏長者は代々天皇の別荘管理人と貴族の大学の学長を務めていて、故に朝廷内でも大きな影響力を有している。
つまり将軍になれば、武家と公家、両方に影響力を持てる。
室町以降、戦国時代の下克上の世の中になって将軍の権威は低下したが、鎌倉の威光がまだ活きていた。
家康が関白を蹴ってでも将軍を求めたのには実はここら辺に理由があるらしい。
徳川家康「せやで 築山はマジで怪しい」
築山って関白なの?
君の言う征夷大将軍についた源氏は、清和源氏だから源氏の中でもクソ雑魚中のクソ雑魚やぞ?
とりあえず久我家と村上源氏調べてみ?
源氏長者を始めて名乗れた清和源氏は足利義満。足利家はその後は確実に源氏長者になれたわけではない。源氏が臣籍降下した準皇族筆頭なのは間違いないが、対外的に日本国王に就任するためには源氏長者の地位が必須でその時だけ久我家に融通してもらっただけと考えた方が正しい
その後、江戸幕府になると将軍と源氏長者は兼任するようになるが、それも貴族を抑えるためというより、対外的に日本国王(日本国大君)を名乗るための措置。実際、日本国大君になれなかった秀忠は徳川将軍で唯一源氏長者になれてない。あと、歴史上の最後の源氏長者は久我家ね
僧籍に入れればいい
足利将軍家の2割くらいの将軍は跡つげないから京都周辺の有力寺院である延暦寺系の三院の門主経験したあと、後継者いなくなって還俗した口や。帝や藤原氏もおんなじようなもん
一休宗純やって後小松帝の落胤で、中級寺院の坊主から、臨済宗のトップクラスにまで登りつめている
豊臣が摂関家の一員として成立するためには、男子の一人や二人は僧籍にいれて仏教界のトップにするのが妥当じゃないか?
何を言いたいのかイマイチわからんけど、
家康はその権威がバリバリある源氏長者になって将軍になってる。
対して豊臣の関白は武家に対する権威が皆無なので徳川に勝てない。
…と、考えると秀吉としては関白の権威を高めないといけなかったのに、関白秀次をよくわからん理由で切腹させたので関白の地位は低下してしまった。
秀次事件の一番痛い点はここかもしれんねぇ
秀吉も最初は秀次をそうするつもりだったのかなぁ…
秀次、関白辞めたら太閤になるやん?
太閤状態で仏門入ったら、推しに推されて臨済宗か天台宗のトップになるやん?
基本的に太閤や将軍経験者で、仏門すら支配するとか藤原道長や足利義満と同じやん?
俗世の支配でいっぱいいっぱいの秀吉と、聖俗両界のトップを経験した秀次という構図できるやん?どう考えても秀次のが偉そうやん?
あと太政大臣は秀吉が維持してるけど、秀次いなくなったら内大臣以上経験した五摂家出身の人が自動的に関白なるやん?その人が秀次の方に肩入れしたら?
秀吉死んだら30代前半で元気いっぱい仏教界トップにたって、子どももたくさんいる秀次が大人しく指くわえてると?
関白の権威は低下していない
むしろ秀吉は朝廷官位にさらにすがるようになって、官位による大名序列と統制と、天皇から下賜された豊臣姓を利用することで時勢を乗り切ろうとしている
秀吉が卑屈なまでに家康や秀忠に下手になったのも、関白の権威を恐れたからだしね
あのままだと、五摂家の誰かが関白になって、豊臣家による関白位の独占と、朝廷支配が難しくなってた。
だから家康をドンと内大臣に置いて、五摂家が誰も大臣職につけなくした。関白になるには内大臣、右大臣、左大臣、太政大臣いずれかの経験必須だからさ。秀次殺害から関ヶ原の家康政権成立の5年間は、日本に右大臣、左大臣が存在しない異質の時代なんよ。そんだけ秀吉は関白位に執着していた
やっぱ秀頼って悪魔の子だわ。
産まれただけで豊臣家を破壊するとはね…
秀頼はね
鶴松が成長してたなら何の問題もなかった
秀吉の「命令」で作られた鶴松が成長したなら、秀次は中納言のままかよくて大納言として豊臣の一貴公子として生きられた。それなら多少はオイタしても秀吉は許したろうし、元大納言として僧籍に入れた
問題はすでに秀次を後継者と決めたのに、淀殿が「命令を無視」して秀頼を産んでしまったこと。これによって秀吉は計画を潰されて、秀頼派と秀次派の抗争を起さないためにはどちらかを潰さなくてはいけなくなったし、秀頼の成長までは家康を天下人と認めざるを得なくなった
知ってるけどそれが何か?
主だったものと書いてるでしょ?
※43
その源氏長者の足利さんはどうなったでしょうか?
家康君は源氏長者の義昭さんにもちろん従ったんですよね?
まさか自分が従わなかった人に他人も従うとか思ってたんですかね?
足利義昭には従ってたんじゃないの?
家康の兄貴分の織田信長が奉じてたんだから。
更に言うと、足利義昭は後に反織田連合を作って明らかに信長に反抗したけど殺されなかったな。
秀次は噂で切腹なのになんでなんだろうな?
天下人になるためには実力・権威が両方備わってないといけないわけだけど、
徳川家康は秀吉亡き後ナンバーワンの実力を持ってた。
後は天下に号令する権威のみが必要…
と、なると征夷大将軍は最も望ましいポジションだったのさ。
関白みたいな実権がほとんど無いものよりずっと都合良かったんだろうネ。
「噂だけで処刑」と聞いて
実際はそうでもないらしいが
まあ今川なのに織田五徳に頭を下げず
反感くう時点でなんかバックにいると思われても仕方ないわな
築山殿は信康を守る為のスケープゴートで殺されたって説が有力らしいぞ(時代劇だとその説を採用していた)
信長公記だと信長が家康に信康謀反について詰問し、家康は事態の収拾に奔走していたわけだけど、
この時築山殿が自害したのは武田と内通していた事が明らかになったからだとされる。
つまり噂以上のものが出たから、ってのが通説らしいけど…
尤も、築山殿にそこまでの外交力があったとも思えないので、築山殿は「信康を立てて家康に反抗しようとした」つまり「だから信康は謀反はしていない」っていう家康の苦肉の策で殺害された可能性が高い、とか。
まぁ築山殿は単なる一大名の妻にすぎんので、関白とは比べる事ができん。
関白クラスとなると国内への影響が大きいから、かなり慎重な捜査、あるいは策略が当たり前で
噂程度で殺してたらそりゃ間が抜けたお話になってしまうもの。
つーか戦国時代でも自分の妻をぶっ殺したのは家康くらいだよな、ちょっと聞いたことないわ
信康切腹の一件はかなり信長の意向が働いていて家康はなんとか信康を守ろうとして守りきれなかったという痕跡がある。
戦国時代の厳しさな訳だけど、これと秀次事件は比べることができん。
秀次は関白なんだから。
おっと細川忠興さんの悪口はそこまでだ
妻といっても松平が織田についてからは冷え切ったぞ
それにそんなケース聞いたことないか?
※62
細川「追い詰めた三成が悪い」
自説の為に都合の悪いこと無視しすぎだと言いたいんだよ
いい加減わかれよ
細川忠興さんは「妻の名誉に傷が付きそうなら殺してお前らも全員死ね」ってガラシャの事愛してるんだか嫌ってるんだかわからん命令出してたらしいしなぁ。
戦国時代という冷徹な時代の習いかもしらんけどね。
ただ問題は秀次がどうして死んだかよ。
関白が噂で切腹なんて明らかにおかしな話だもんねぇ。
なに言ってるんだ?お前が曲解してるだけだろうが。
>最上が改易になった時は主家に反したとかいう理由で、主だった一族の人間もみな切腹となった
最初から俺はきちんとこう書いている、それなのにお前が
>死んだのは上野山義直と大山光隆くらいでどっちも自害。処刑じゃないぞ自害だ処刑ではないと、
俺は最初から主だったものを「切腹」と書いているのに、書いてもいない「処刑」という言葉を使ったり、助かった人間をあげて切腹した人間を誤魔化しているのはお前だろうが、つかなんで書いていない事をねつ造して都合の悪い事を無視?
印象操作でもしたいのか?
ねつ造してすいませんと先に謝るべきだろうが
義昭に従うなら信長よりも義昭に従わないと
信長の主人であり、源氏長者であり、征夷大将軍なのは誰?その権威を否定したのに
将軍に権威があるとかどの口がほざいているの?
そして義昭が反抗したのではなくて、信長が義昭に反抗したんでしょ?誰が将軍なの?
信長公記のどこにそんな事が書かれてるんですかねえ、
信長公記に書かれているのは、家康から信康処分についての使者が着た事と、信長は家康の好きにせよと許可を与えた事だけ
信長は何もしていないよ、家康が娘婿殺したいのでよろしいでしょうかと聞いてきたので勝手にしろと認めただけ
そもそも武田と内通?当時武田の外交方針知ってる?武田は御館の乱で北条と対立して戦争中
佐竹と同盟を組み、佐竹を通じて織田と和睦しようと試みている時、
あと国内への影響が大きいのだから素早く処理しないといけないでしょうが、実際に反乱起こされてからじゃ遅いんだから
信長公記にはそんなこと書かれてません、書かれているのは三河物語だけ
当代記など徳川家臣の当時の日記にも書かれていない
家康は守ろうとなんてしてませんよ、息子がいう事聞かなくなったので殺そうとしただけ
武田と内通?当然そんなことしてません。ただの親子での家督争い、
戦国時代ではよくあった話
そこでは信長は信康が「謀反」したと聞き及んでいたらしい。
ただ、信長がこの事を何処から聞いたのかは完全に不明。
家康も取次も、火の元不明でかなり困ったらしい。
松平記によれば、信康の事を妬んだ佞臣が彼方此方に讒訴を行った結果信康は死ぬ羽目になった…とのことだけど、実際には理由はわからないままとのこと。
よー知らんけど、義昭って家康になんか命令したん?それに家康がなんか逆らったのかな?
天下人たるためには①権威、②実力の二つが揃わないといけないわけだけど、
家康には1600年の段階で②実力は充分にあった。だから残るは①権威のみ。
その権威が征夷大将軍だったのよ。
お前さんは将軍に権威が無い、っていうけど信長を苦しめた織田包囲網の指揮者は義昭なんだからこれは将軍の権威が為さしめた事って言っていいんじゃないの?
室町幕府の実力はかなり低下してたけど、それでもあれだけの包囲網を構築できるだけの権威は残ってた。
まぁ、あとは実力の問題だね。
将軍の権威ってのは中々のものよ。それに実力が伴えば260年くらい泰平の世が作れるのさ。
君は※を使いなさい
だから太田の信長公記に信長が殺害を命じた記述はない
あくまで信長は家康の頼みを聞いて許可をだしただけ
そもそも信康が謀反?誰に対してだ?家康に対しての謀反ならただのお家騒動にすぎんではないか
どっちにしろただの噂で家康が殺害したことになんら変わりはない
だからーそのバリバリ権威があって源氏長者の将軍様に従わなかった家康君が、
なんで将軍なんてものに権威があるとか言っているんですかねと
家康すら従わず、信長の謀反に加担している、それだけ将軍の権威とは低下していたんでしょ?
権威があるなら、家康は信長じゃなくて将軍様についたよな?
違うかね?
まあ俺が見たわけじゃないけどな
秀次は関白職であり全国の大名が忠誠を誓っていた
立場が全然違うぞ
それに信康事件は分からないことだらけだが
秀次の謀反についてはろくな証拠がないのははっきりしてる
権威がある事とそれに刃向かう奴がいる事は何の矛盾もないからなぁ。
例えば日本史では天皇は何度も刃向かわれ、剰え敗北することすらあった。
お前さんの理論だと天皇には何の権威も無いことになるけどそれで良いのかな?
征夷大将軍は鎌倉以来、武家の頭領としての権威そして朝廷においては源氏長者を兼ねることによって権威を有していた。
だからこそ皆その支配を受ける訳だが、じゃあ将軍に死ねと言われて大人しく死ぬか?って言うのは別問題。
実力があるなら刃向かっても言い訳さ(鎌倉幕府のように)
ただ、大抵の場合権威ある方が実力もあるので豊臣みたいに無惨な結果になる…だけさね。
よくその「信長は家康の意向に任せた」説を聞くけど、そういう人って大抵「家康と信長は対等な同盟関係だった」って言ってる人なのよね。
貴方もそういう立場なんだろうけど、どうかなぁ。
当時、信長の勢力は増していて家康と果たして対等だったかは不明だと思うのよね。
天下人になりつつあった信長の方が立場が上だったと思うのよ。
それが何の意味があるか、っていうと
家康に信康武田内通を詰問してる上司(信長)の
「そいつの処遇はお前に任せる」
このセリフには信康を生かしていいよ、なんてニュアンスゼロってこと。許すつもりがあるならはっきり指示するに決まってる。
家康→信長の手紙の履歴を見るに、信長の発言は築山殿殺害の報告の場でなされたもの。
この前に家康は「三郎不覚悟により」信康を勘当・追放にしてる。
興味深いのは、信長は一言も築山殿については触れていないのに家康は詰問された信康ではなく築山殿の死を報告しているところ。
ふーむ…
横だけど何を聞きたいのかわからんぞ
織田に限らず戦国の世じゃありふれたお話だったろうによりにもよって天下人がやらかすんだからまったくねぇ…
実際戦国時代に天皇や将軍に権威などなかった
だから誰も天皇や将軍の命令など聞かなかった
いやだからこそ戦国時代になったんだよ、権威が地に落ちてたからな
だから秀吉は関白として力をふるった、天皇に権威がないといかんからね
対等な同盟関係ではなくて家康はただの家臣ですよ、秀吉や勝家と家康の地位は変わらない、いやむしろ軍団長よりも地位は下だろう、甲州征伐では滝川の指揮下だからな
だがね、これはそもそも信長は詰問などしていないんですよ、家康が息子と対立したので息子を処分してもいいですか?
と聞いてきて、お前の好きにすればいいと答えただけの事例なので。
信長は何も関係ありません、家康が家中の処分の問題で信長の意向を聞いただけにすぎないので
一門衆が何か役に立った事あるのかね?
むしろ織田家なんて一門である信孝と信雄の対立で没落した
徳川家にしても一門である尾張越前紀州などみな裏切って先陣やってる、もっといえば南紀派との対立が没落の原因であるし
※80
最初から読めばわかるよ、当時の将軍に権威があったかどうかって話
※81
弟殺したり追放した将軍なんて珍しくもないが?頼朝尊氏秀忠家光・・・
信康事件が父子関係の問題からだとするとおかしな話になるのよ。
織田と徳川は当初は対等同盟の関係だったけど、
長篠合戦辺りからパワーバランスは織田に傾いている。
信康はそんな信長の義理の息子な訳で、家康が「処分していいか」と言って処分出来る存在ではない。何故ならこれは裏を返すと織田との同盟を抹消することを意味する。この様な話を信長にすること自体、かなり危険なことは間違いない。そんな度胸が家康にあったとは思えない(暗殺ならまだしもだが)
また、この事件は明らかに信長の詰問から始まっている。
信長公記他の記録だと徳川の使者が信長に会ったのは武田との戦勝祝いによるもので、
この場で信長に詰問された使者は狼狽し、答えることが出来なかった、という。
織田側の記録によれば信康は武田と内通したと言われているらしいが、長篠合戦で敗北した武田は戦法を変え、徳川に対して離間の計を用いている。実際、岡崎城では家康・信康暗殺計画が図られるなどかなり危険な状態だった。
状況とすると、家康=親織田の浜松城派と親武田の岡崎城派に分かれていて、信康が何らかの謀略に引っかかった可能性は高い。
さらに問題なのは、家康と信康の関係が悪かったという証拠が無い。
一応ある話としては、武田軍の追撃を受ける中、家康と信康がどちらが殿に相応しいかで大喧嘩した、という話でこれは寧ろ父子関係が良好だったことを示す。
そんなわけで、信康事件が家康主体とは考え難い。少なくとも更なる証拠が無いとどうしようもない。
一門衆が居ないから豊臣は滅んだし、
逆に徳川は一門が山ほど居たから天下を治めたんだから普通に関係ある。
更に秀次は関白で公家・武家の親豊臣派とも親しく(当たり前)そんな秀次を処刑し、更に連座したことは豊臣派の力が削がれる結果になった。
クッソ問題なのは、豊臣家が権力を握れたのは朝廷で恒常的に権力を握っていた五摂家に反対する中級公家の力添えがあったからなんだが、
秀次事件で五摂家は復活。
その結果秀頼は関白になれなかった。
秀次が関白だったら、少なくとも豊臣家によって関白が独占できたところ、
その死によって豊臣の命運が尽きるとは皮肉なことに…
秀吉は最悪の選択をしたわけだが、おそらく最善手は秀頼を出家させることだったと思う。
それで後に還俗させて関白にさせるよう遺言するとかね…
関白には権威があったの?
権威がなければ滅ぶ
逆なんだよなぁ存続させるなら一門役立たせて権威を維持するしかない
なんで※74はイヤミったらしいんだ?
そこがわからん
織田家や徳川家は残った
豊臣家は絶えた
それが答えだろ
だからさ、俺何度もいってるけど、どこにそんな事書かれているわけ?
おまえのいう信長公記の記述はどこにあるんだ?
今手元に中川が翻訳した信長公記があるが、信長から信康謀反での詰問うんぬんの記述がない、
あるなら示してみろ、
三河物語のようなフィクションを根拠に語ってるのか?
話を逸らすな、一門衆が何の役にたったのかと問うている
鎌倉幕府も室町幕府も一族で相争っている。江戸幕府でも粛清された弟は多い
つか徳川家の事例でもいいぞ、一門衆が家康の天下とりになんか功績があったのか?幕府がつぶれる時に一門衆が踏ん張ってくれたのかね?
つか五摂家復活させたのは家康なんだが、秀頼を関白にしない為にね、こういう恩知らずの外道がいたのが問題だろう
なかったから権威をつける為に関白として秀吉が天下をとり、関白として諸侯に号令をかけた
※89
質問の意味がわからない
※90
秀吉があと10年いきて家康と同じく70代までいきていればなんら問題なく継承されてる
逆に家康が秀吉利家と同時期に死亡していれば天下など当然とれない
じゃあ家康も将軍に権威をつける為に将軍になったってこと?
五摂家は家康関係なく復活してるやん。
そもそも将軍にすらなってない段階の家康が朝廷の人事権を掌握していたとは考えられんし。
朝廷の秀頼外しは朝廷の意思が働いての事で、家康はその恩恵に預かっただけじゃないの。
信康謀反は信長公記の最初記には記述あるらしいけどね。
ついでにいうと、1626年に、当時のことを良く知る人間が書いた三河物語がフィクションってのはかなり面倒なことになるんじゃないの?
それ言い出したらなんだってフィクションにできるでしょ?
そりゃ、たとえば1800年代に書かれた〜とかならまだわかるけど…
徳川サイドの人間だからある程度バイアスがかかってるとしても、一概にフィクションとは言い切れんと思うけどね。
江戸時代になって将軍は凄いと宣伝しただけだな、源氏しかなれないとか。信長も秀吉もなれなかったとかウソ言ってね
※95
当時関白になる資格者が秀頼しかいなかった、なので家康は前関白を関白にまたやらせるという禁じてをして秀頼の関白就任を邪魔しただけ
朝廷の意向なんてものはないよ、朝廷は豊臣家の庇護がなくなると困る、
実際豊臣家が滅んだら禁中並び公家諸法度なんてものを飲まされた
だからさっさとそれを示せ、そもそもその謀反は誰に対する謀反だ?
信長か?違うだろ家康の命に信康が従わなかっただけだ
信康と家康が対立して、家康が信長えもんー息子がいうこときかないんです、殺させてーと泣きついただけだ
いや、秀吉と家康に差は無いよね?
どっちとも権威ある職についただけでしょ?
後秀頼しか関白になれないってそんなわけないじゃん。
関白になれるのは五摂家のみ、逆に言えば五摂家全員が候補者なんだぜ。
先の関白がまた復帰することが禁じ手っていう理屈がよくわからないんだけど、
先の右大臣が復帰することとかよくあるし関白だって別に問題ないでしょ。
ついでに言えば、家康にそんなことが出来る理屈もわからんし。
朝廷内で効果のある源氏長者になってるなら兎も角、その時の家康は単なる内大臣じゃろ?
そんな力があるとは思えない。普通に考えれば朝廷の選択じゃろ。
信康謀反の噂は信長公記にもあるらしいのでまぁ探してね、としか。
家康が信康を殺そうとしたとは正直考えられん。家康が人格者だからじゃないぞ。
信康は信長の姫を正妻にした、謂わば徳川と織田の同盟の証みたいなもの。
それを家康の一存で処刑する、なんて言えば信長からすれば「徳川は織田と敵対するつもりなんだな」って意思表示になる。政略結婚ってのはそれだけの意味があるんだから。
そうなりゃ信長は家康を切るよ。
家康だってそれが分かってる。
それなりの理由が必要。
必要なんだが、わたしには家康がそれほど度胸があったとは思えない。
武田と内通していた、と信長に告げ口してもそれがどう転ぶか家康には分からなかったハズ。
下手すりゃ「家中もまとめられないお前は用無し」って方に転びかねない。
ましてや「息子が言うことを聞かない」なんて最悪さ。
更に言えば、父子不和説だと築山殿の死が説明出来んことになる。
割と歴史のミステリーだから証拠が出ない限り永遠の謎だけどね。
まぁ家康と秀吉の差は、結局秀吉は豊臣家を滅ぼしたってところになるわけだけど…
秀次は果たしてどう思った事だろうねぇ…
関白になるには摂関家に生まれて、官位をあげていかなければならない
そして上のものからなる
当時もっとも関白に近かったのは秀頼なわけ、だけど秀頼が関白になると家康は困る
だから元関白を関白に戻したわけ、
家康は確かに単なる内大臣だけど、当時内大臣以上の人間がいないので関白になれる有資格者がいなかったんだよ
俺は現代語訳版信長公記をもってる、どこにもそんな記述はない
だから該当の部分があるなら示せと言っている、あるなら示せ。あるだろ?ないなら素直に証拠はない、
間違いでした、三河物語のフィクションでしたと認めろ
んで信康を殺そうとしたとは考えられない?何言っているんだ?殺そうとしたけど娘婿なので一存では殺せないから、
信長に殺していいか頼みにいったんだろうが、そのことなら信長公記にもあるよ、信長はそれを認めている。
つか息子がいうこときかないなら家康と信康の不和だろ?
家康は最上家でも最近長男がいうこと聞かないと聞いたら、そんな嫡男殺せと命じている、いうこと聞かない人間は容赦なく殺す、それが家康という人間
秀頼が一番って理由がわからないな。
だって五摂家には山ほど関白候補者がいるんだぜ。
ざっとあげると
①近衛信尹
②鷹司信房
③九条忠栄
④鷹司信尚
⑤近衛信尋
と5人もいる。多分詳しく調べればもっと出てくるだろう。
この中で①近衛信尹は秀吉の被害者筆頭格で、二条家と関白職を争った結果、秀吉に関白を独占されていた訳で彼が関白候補者リストでは最上位。
次の②鷹司信房は秀吉の被害者ナンバーツーで、摂関家にも関わらず大臣以上になれず24年も権大納言だった。
基本的に朝廷は年功序列、つまり秀頼は彼等が関白になってそれを辞めるまで待たないといけない。
ところが問題は③九条忠栄以降でこいつらは秀頼並みに若い。彼等と秀頼が出世レースをする訳だがこれに打ち勝つ為には朝廷での実績若しくはコネが必要。
だが秀頼にはそのどちらも無い。これはかなり関白レースでは不利だと考えられるけど…
んー、悪いけどその現代語訳とやらは信長公記の何版を翻訳したものなんだい?ちょっとそこから知りたいな。
後三河物語をフィクションっていうけど、1600年代に編纂された書物をフィクションって言うと信長公記は勿論、ありとあらゆる書物がフィクションってなるけどそれで良いのかな?
で、ここは秀次の板で徳川スレじゃ無いわけだがよーく前のスレを読んで欲しいな。
家康が信康を殺せる筈が無いよ。
だって信康は徳川-織田の友好の証として信長の娘を頂いてる。
そんな信康を殺そうとすれば信長との関係が悪化する。
確かに織田と徳川の同盟が対等なら君の言う可能性はある。ただ、当時の織田は徳川より上位だった。
と、なると信康を殺そうってしただけで織田と戦争になる危険性すらあるわけ。信長の義理の息子を殺すわけだからね。
そんな度胸が家康にあったとは思えないな、って話さ。
五摂家だからすぐに関白になれるわけじゃない、官位をあげていかないと無理
最低でも内大臣以上になっていないとなれない、秀頼が右大臣になった時に秀頼より上の官位だった奴が何人いる?
質問を質問で返すな、誤魔化さずにさっさと根拠を示せ、お前は信長公記に書かれていると言っている、なら答えられるはずだろ?俺も信長公記は持っているので、確認可能だ、少なくとも俺には見つけられなかったがな。
ほら信長公記のどこに書かれているのかね?
三河物語はフィクションだろう、信康事件においては信長公記どころか家忠日記とも矛盾している
信長公記と三河物語どっちを信じるかと言われたら、みな信長公記を信じるだろうよ
信康を無断で殺せばそりゃ関係は悪化するだろうが、家康は信長に使者を送って許可をきちんととってから信康とその一派を粛清している、信長が殺すのにあくまで反対を貫いた場合は何もできなかっただろうが、信長がお前の家の事なので好きにすればいいと許してくれたのだから信康とその一派を粛清しても信長が怒って戦争になるわけがない
家康もそのくらいの根回しはできる
慶長期に作成された初期の牛一『信長公記』には逆心したとあるんだよ。100コメの人がいってるのは正確には牛一信長記のひとつの安土日記と呼ばれるもの、現存する牛一の信長記の中では最も古い
たぶんあなたが持ってる現代語訳バージョンは広く普及している池田系の写本をもとにしたものだから、削られているバージョンの可能性があると思うよ
信康事件は時代が下るにしたがい信長記の中から姿をけしていく傾向があるらしい。だから初期に作成されたバージョンを読まないと出てこなかったりする。大坂の陣頃につくられたバージョンには信康を気が狂った扱いにする系統のも存在する
安土日記にもそんな信康が信長に反したなどという記述はない、ねつ造するな。
信康が対立した人物は家康であって、信長ではない
もし信長と対立したと書かれた部分があるならさっさと該当部分を引用してみろ
何度も聞いているがあるんだろ?なら引用できるよな?
つか池田本だからダメ?池田本って太田の直筆だぞ、
関白になるために必要なのは
五摂家かつ大臣以上
なので実は秀頼より(年齢官位両方で)上か下かはあんまり関係なかったりする。
つまり五摂家の人間なら誰でも関白になれる。
五摂家からすると豊臣の関白独占は何としても阻止せねばならないので、
まずは関白、そして内大臣をキープ。
関白→五摂家
左大臣→五摂家
右大臣→秀頼
内大臣→五摂家
この形を作ってしまえば、関白が辞める→同時に後任に五摂家内大臣指名→空いた内大臣に五摂家指名→関白が(ry
この無限のループで秀頼の関白就任を邪魔し続ける事が可能。
秀頼が関白になるためにはコネが必要だけど、新入りの豊臣には後ろ盾がいない。後ろ盾になりそうな公家は粗方秀吉が潰してしまったからね。
敢えて言うなら徳川家康だったんだけど、朝廷は家康が喉から手が出るほど望んでいた将軍職を与えて家康を取り込んでしまった。
朝廷はこの包囲網のために太政大臣を適任者なしで廃位にしてたりする。
秀頼の関白就任の可能性はかなり低かったと言わざるを得ないよ。
実は慶長以降、ちょうど徳川家の力が増してきた辺りから信康謀反は削除されたって話がある。
徳川は三河物語や松平記等で一貫して「信康は嵌められた」「謀反はでっち上げ」としているから徳川からクレームがいったか、太田自身が謂わば忖度した可能性があるそうな。
で、信長公記と三河物語が矛盾することはそこまでおかしな話じゃない。単に織田と徳川で事件の経緯が違うってだけ。
家康と信康の仲が悪い、っていう資料は今のところ当代記にしかなく具体的な話がない。
信康は何らかのトラブルを抱えていたのは確かで、家康はこれを仲裁に行っている。
つまり、信康の問題は父子関係ではない。
「家康の命令に逆らい、信長にも逆らった」という記述は、この時期信長が岡崎まで来てる事から考えると「家康の仲裁を聞かず、信長の仲裁も受けなかった」という事だろうけど詳細は不明。
かなりの確率で徳姫関係らしいが…
神君に愚かにも逆らった男、として扱うだけだろうし実際そういう話は戦国時代結構あったろう。
徳川が一貫して信康事件を織田の圧力として扱っているのにはそれなりのわけがあると思う。
特に、時期が凄い微妙なあたりだしね。
で、当時大臣だった五摂家の人がどこかいましたか?
秀吉が死亡したときは大臣職に五摂家の人は誰もいません、
だから本来なら五摂家から大臣が出てくる事はないんですよ、そのように秀吉が配置しているので
このままだと秀頼が再び関白になるので、元関白に再登板させるという荒業したんですよ
大臣に一人も五摂家の人間がいないのにどこに朝廷と五摂家の間にコネがあると?
大臣職でもないと関白に推戴できんぞ、
朝廷が主導ではなくて、家康が主導なんですよ
それお前の想像だろ?
信長公記には信康の謀反の記述などない、前田家のほうにあるのも信康が家康に背いたというものであって、
信康が信長に背いたわけではない、当代記にしても家康と信康が対立をしており、家康が信康ではなく自分に忠義を尽くすように誓紙を集めた事が書かれており、両者の対立は深刻な事になっているのは明らかであり、これは信長公記の記述とも一致する
家康と信康が対立し家康が信康を粛清する為に信長の許可を得た、というのでなんら矛盾点はない
三河物語のファンタジーだと信長に呼びつけられたとなっているが、実際は家康のほうから説明に向ったのは家康の手紙からも明らか、主導的に動いたのは家康であって信長ではない
また信康が信長に対して謀反を起こしたのであれば、信長が家康に処分を任せるなどいった甘い処置をするわけがない、
同時期の荒木への処置をみればわかるが、よくて市中引き回しでさらし首程度、下手すると族滅にされる、家康にも手が回る
朝廷の事考えたら、家康のとった関白左大臣の推薦は当然の措置
だから当代記など徳川家臣の日記には両者の対立が書かれているだろ、
徳川実記などのちの徳川家の公式歴史書には信康が乱暴者でどうしようもなかったという記述が書かれており、
徳川家からすと信康は抹殺対象であったこともこれを後押ししている
当時朝廷は行政権をもっていたわけではないのでなんら問題はない
何もしない摂関家が大臣やっていたほうが問題
信長が信康謀反の話を聞いていない筈がないよ。
家康が信康を殺そうと思っていた、というお前さんの説こそそれを支持するはずなんだが…
信康は信長の娘を正妻にして、諱も信長と家康から受けてる。つまり彼は徳川と織田の友好、同盟の証に他ならない。
時代を見ると、長篠で打撃を被った武田は徳川と織田の離間工作、特に徳川の調略をしていた時代。
じゃあここで家康が「信康が言うこと聞かないんで、殺してもいいですか?」って信長に聞けると思う?
信長からすれば「信康が何の言うこと聞かないの?」って思うじゃろ?
ここで常識的に考えれば、織田と徳川の同盟の証たる信康を殺す、ってことは要は
「家康は織田と戦うつもりで、そのために信康が邪魔なんだな」
ってことになる。ちょうど武田も似たようなお家騒動起きたしね。
そう勘繰られれば家康は、ってか徳川はお終いだよ。そんなギャンブルを家康が取れるとは思えない。
信康が織田と徳川の同盟の象徴なんだから、それを家康の方から切ろうとするならば信康謀反と言う以外あるはずが無い。
ところがそれでも、信長が事情を調査してこれが無実と知られれば結末は悲惨なことになる。
家康がそんな度胸があったとは思えないな。
それが秀吉のおろかなところだと思わないか?
朝廷ってのは日本の歴史の中枢で、当然その権力は大きい。
それを秀吉は我が子の為に利用し、道理を曲げた。
これが実は後々秀頼を苦しめる。
まず五摂家は大臣以上になれなかった、ことで
秀頼と同時期に大臣の座に就くことになった。
これで秀頼の関白就任を拒む弾が用意された。
次に、秀吉の独裁によって公家社会がめちゃくちゃにされたことで豊臣は公家の怒りを買った。
五摂家クラスが権大納言以下に滞留することで下級公家はそこにすらつけなくなるという事態が発生。
その結果朝廷全てが反豊臣になってしまった。
また、朝廷の持つ力は寺社仏閣等文化的なところに影響を与える。
これも豊臣滅亡の一端になったのだ。
で、その結果秀吉のことを良く思わん連中が得をしたんだから世の中数奇なものじゃのう。
秀次さえ生きていたら少なくとも関白職は豊臣が独占できたろうに、結局五摂家が独占することになって元の木阿弥。
挙句秀頼は武家にも公家にもなれず…
うーん、親の因果に子が報い…
信康と家康が対立していたのであって信長と信康は対立していない
だから家康は信康殺す時に信長の許可をもらう必要があった
君がいっているように信康は信長の娘婿にあたるので家康の一存では殺せない
だから信長の許可をもらってから殺した、武田は何も関係ない信長公記などにも武田は一切絡んでいない
勝頼が長篠で負けた後調略していたというのも間違いで、長篠で負けた後の勝頼はむしろ織田との関係改善に動いており、勝頼が織田徳川方面に軍を向けた事はない、織田徳川が攻めてきても後詰すら送っていない、刺激しないようにしてる
困るのは五摂家だけ、家柄だけで関白になれるほうがおかしいですよ
能力のある下級公家などは当時の体制のほうがよい
ちなみに朝廷は関ケ原以後も豊臣家よりの行動をずっと続けており、徳川と豊臣が対立したときも豊臣家の主張に同意している、豊臣家が滅んだら禁中並び公家諸法度を飲まされており、朝廷が豊臣家と親密であった事がよくわかる
上でも書いたけど、五摂家が困るということは朝廷全体が困るんだぞ。
五摂家が大臣以上になれない→権大納言以下に五摂家が集中→本来権大納言狙いだった連中がそこにつけない→そいつらは更に下に滞留→本来そこにいた下級公家が追い出される…
しかも秀吉は武家関白制の確立のために武家に官位をばら撒いて更にこの傾向が強くなった。
だから公家はかなりの打撃を被って、反豊臣感情が朝廷内に蔓延した。
秀吉によって恩恵に預かった公家もいたんだが、そいつらは秀次事件で連座して居なくなった。
そこで秀吉が死んだんだからもう朝廷はしゃかりきよ。ここで豊臣家を抹殺しないと公家は滅びかねないからね。
逆にこの朝廷の願いを察知したのが家康で、家康は朝廷と己の政権を切り離さないと危険だと察知した。
何しろあの秀吉の子供をあっさり切り捨てる連中なんだから下手に付き合うと徳川も危ないからね。
そこで朝廷と交渉して出来たのが禁中並公家諸法度。
ここで朝廷が何としても手に入れたかった公家社会の独立が明文化され、武家の官位が公家社会に影響しないとされた。
割と禁中並公家諸法度はこの一文を得たいが為の条約だったりする。
そもそも信康は織田と徳川の同盟の証という事は再三重ねて言ったけど、それ故に信康を家康から殺すことは出来んよ。それは信長からすれば織田への反逆と取られるからね。
で、時代的に見ると長篠以降、武田は織田と何とか和睦しようとしているが上手くいっていない。
更に徳川は執拗に武田を攻撃している。
で、勝頼は徳川に対する調略を行なってる。これは徳川実記や三河物語でも有名だけどこれを否定する材料はない。
武田からすれば織田・徳川連合軍を崩したいと思うのは道理で大賀弥四郎みたいな連中に声を掛けていても変な話ではない。
更にクソ厄介なのは、元々徳川内には親武田派が居たらしいんだな。
家康は信長と親しくやってたわけだけど、信長は実は信玄とも仲が良かった。
で、「頼りにならん信長を頼ってていいのか?」って連中が居たらしい。
こうした微妙な問題が信康事件を産んだとしても変な話じゃないね。
武田に通じ謀反をした岡崎町奉行の大岡弥四郎・松平新右衛門は信康側近で信康付近で企画されているとかは、新行先生・柴先生・本多先生などが指摘している
信康の処分は信長の娘婿ってだけではなく、織田徳川同盟を脅かす謀反でもあるので信長が関与した可能性はある
戦国時代を生き抜いてきた信長がこう思わない筈がないし、また家康も信長がそう考えることには気づいているはず。
信長は信康を一言も「助けろ」とも言わずその切腹にも文句をつけていないから信長は信康の死を望んでいたことは確か。
つまり信康が親織田ではないことを信長は知っていたはず。
…と、なると信康が何らかの陰謀に巻き込まれていたとしてもそんなに突飛な話じゃない。
ただ信康自身は何度も武田と戦い、家康から誉められるほどの働きをしていたので信康が謀反の中心とは考え難い。
何者かの讒言があったのかもしれない。真相は闇の中さね。
五摂家以外は困りませんよ、公家社会も実力社会になったというだけ、五摂家だからといって全員が権大納言まであがれると思うなよ、上がれない奴は上がれないんだよ、というか五摂家が上にいるから清華家が上に上がれないとかどこでそんな勘違いをしたのやら、清華家である三条家や西園寺家が五摂家よりも上の大臣職に就いていることなんてざらにあるぞ
五摂家以外が関白になれないだけで、大臣までなら清華家でも十分なれる
彼らが五摂家よりも上の地位についていることはよくあること
おまえ根本的に知識が足りないな、だからそんな勘違いするんだよ
何言っているんだお前は、公家社会の独立化?この結果公家社会の中に武家が組み込まれ、大名ですら官位が下なら公家に頭下げさせられるのがなくなったんだぞ、徳川家の一存であげられるから、公家が取り次ぐ事ができなくなり、金銭的にも困窮する事となった、だって朝廷を介在せずに徳川が官位やれるようになってるからな。
完全に朝廷が蔑ろにされた事を意味する
紫衣事件を始めこうやって朝廷の権威をずっと傷つけていたのが家康と幕府
だから家康は信長に信康を殺害する許可をもらっている。勝手にころすことはできないが、許可をもらえばその限りではない
家康はきちんと事前に許可をもらっている
勝頼が調略?どこでしたのかね?当時織田や徳川裏切って勝頼についた人間を一人でもあげてみな。
ちなみに大賀にしても信康派を事前に粛清しただけで、武田との内通は否定的に言われつつある、徳川実記くらいにしか書かれてないからね。
そもそも大賀が「裏切った」のは長篠の前の話
武田の調略やら信康が武田と繋がったとかいうのは三河物語のようなファンタジーにしか出てこない話なんだよ
うーん。
秀吉の武家関白制のおかげで公家社会が滅亡の危機に瀕した、ってのは研究者が唱えていることだし、
史実的に見ても秀吉のおかげで大いに公家は困窮しているからね?
貴族ってのは親と同じポジションに着くのが当たり前で、そこから落とされるのは生死に関わるのよ。
五摂家が大臣以上になれない、ということは公家社会全体が酷いダメージを負うことになるのは、当然の理屈だと思わないか?
ねーよw
信康事件と大賀事件の時系列理解してるのかお前は、大賀事件は長篠の戦いの時、
この時に武田に内通するものがいても別におかしくはない
だが信康事件の時にはとっくに長篠終わってて、武田はすでに落ち目でそれどころじゃない
織田と和睦したくてたまらない勝頼がそんなことするわけもないし実際していない。
またおかしな所としては大賀は信康側近まではいいが、信康が企画?
大賀が武田と内通したと書いてるファンタジー三河物語になんて書いてあるのか知ってる?
大賀は信康を暗殺して岡崎城乗っ取ろうと計画したのが露見したとあるんだぞ?
信康が自分を殺す計画たてたのかね?
三河物語を根拠に武田と内通していたと主張するのに、三河物語で書かれている大賀による信康抹殺計画は否定するのかね?
史料のつまみ食いにもほどがあろう
秀吉が、公家社会の官位を武家に与えたから公家社会は官位が足りなくなり(そもそも官位が足りてないのだが)
それが反動として秀頼の徹底排除に向かっている。秀頼を関白にさせようとはせず、五摂家のメンバーを優先して関白にして、最後は秀頼を右大臣から引きずり落とし、その上で徳川秀忠を秀頼と同じ位を与えている。
家康からすれば公家社会と己の政権を結びつけたくない。でも官位で家柄を計るのは魅力的だ。
だから朝廷と条約をかわして、武家の官位と公家の官位を切り離した。
朝廷からすると願ったり叶ったり、といったところなのさ。
※129に書いてあるとおり家康は許可をもらっている
家臣の家中の事まで信長は口出しせんよ
だから、そもそも許可を貰うことがおかしいのさ。しつこく言ってるけど、信長からすれば信康を殺す、ってことは家康が内心織田に刃向かう野心を持つことを察するに余りある事だからね。
家康がそんなことを言う道理はまずないので三河物語のように、信長が何らかの指示を送ったのが妥当だと思うよ。
大賀は武田勝頼と内通していた手紙を押さえられているのでおそらく言い逃れ不可能。
また、岡崎城には浜松城、つまり家康に反対する勢力がいて、その勢力は粛清にあってる。
ここら辺の流れは義信事件と殆ど同じなので、似たような事情があったとしてもおかしくない。
それに、信康事件は殆ど証拠が無い。
お前さん、家康が何故信康を殺そうとしたのか、具体的な理由を知ってるかい?
信康が具体的にどう家康に反抗したのか。
何もわからない。わからない以上、お話はここでおしまいなのさ。
秀吉によって公家は救済されたの、公家にとって秀吉は恩人以外の何物でもない
その時点で君は間違っている
秀吉がいなければ公家社会が滅亡していたが正しい
戦国時代なんて金に困って官位を売っていたのが朝廷
貴族が親と同じポジにつくのが当たり前?はあ?親と同じ官位につけない事例なんて珍しくもないぞ
五摂家で同世代で関白につけるのは一人だけ、関白の子供が必ずしも関白になれるわけじゃないし、
そもそも大臣にまで到達しなかったものもいる。
それ以下の公家になると数代に一度大臣をだせればいいほうなくらい
つまり親と同じ地位に就くことはそんなに簡単ではない。
だからそれお前の妄想だろ、実際には関ケ原以後も公家は秀頼もうでをしており、秀頼排除などしていない
秀頼を関白にさせないようにしていたのは家康であって公家ではない、
公家からすると秀頼を関白にして関白を頂点とした秩序が作られるほうが地位が上がる、
将軍なんてものを頂点とした権力構造ができる方が公家は困るんだよ
自分達がいらない子になるからね
幕府ができる方が公家は困るんだよ
戦国時代において親子での家督争いなんて珍しくありません。
戦国時代を生きる信長からしても弟と家督を争って、一族の叔父などとも争っています
義父の斉藤家では親子で争い、子供によって父親が殺されてます
だから信康殺害の許可をもらう事は信長にとって別に反乱でもなんでもなく、戦国時代のありふれた日常に過ぎない事くらいわかります
そして理由なんてなくても粛清はされる、謀反の噂だけで秀次とその主だった家臣は粛清された、
信康も証拠はなかっただろう、だが疑心暗鬼に襲われた家康によって殺害された
ただそれだけの話
戦国時代は親子の争いも多いがそれよか隣国との争いの方が多いからね。
信康は信長と義理の親子で、普通に考えれば親織田の代表よ。
じゃあ家康が言う「信康が邪魔」ってどういうことだと思う?
普通に考えれば「将来織田を攻撃したいけど、そうしたら信長の娘を貰ってる信康は嫌がるだろうな〜。下手したら俺に歯向かってきて徳川家が分かれるかもな〜」ってことじゃん。
だから家康から信長に信康殺したいとから口が裂けても言えんのよ。
下手すれば徳川版御館の乱ってことになりかねないからね。
仮に家康が信康を殺したかったにしても、だとしたら徳川が一貫して信康を援護している理由がわからない。
親子の争いが珍しくないにしても、信康が家康に刃向かった具体的な話が見えないのがおかしい。
普通なら信康が如何に暴虐だったか、そしてどれほど神君に逆らい、思い上がっていたかを描きまくるはず。徳川の力があればそれくらいの事はするだろ?
なのに徳川が悪役に選んだのは築山殿で、「あの悪女が信康を死に追いやった」って言わんばかり。
だからこそ、父子対立説はどっかおかしいのよね。
公家が秀頼を参る事と、秀頼が朝廷から頼みにされていた事はそんなに関係ないぞ。
家康にだって参っているし、単なる習慣でしかない。要は豊臣が滅びるその火の粉がこっちにかからんようにしているだけよ。
朝廷の秀頼殺しは徹底して行われてる。
朝廷が秀頼を関白にするつもりなら、内大臣家康の時から状況は変えないだろう。
それに家康が朝廷で影響力を持つのは将軍就任の1600年くらいからだろうけど、それまでは朝廷で大臣を云々は出来ない。
五摂家が自分たちの権限で好き勝手やってたってのが自然だと思うけどね。
勿論、五摂家・朝廷・家康の利害は完全に一致してる。
要は「豊臣を天下人から落としたい」なんだけど
実は五摂家・朝廷と家康だと殺意に差がある。
家康は別に秀頼に死んで欲しい訳じゃ無い。頭を下げて徳川に降るならそれでいい。もっというと千姫との間に男児が生まれてくれればいい。
だが五摂家はそうはいかない。豊臣が生きている限りまたいつ関白独占されるかわかったもんじゃない。
だから秀頼には死んで欲しい。しかもなるべく早くね。
その努力が実って大坂の陣が起きたのさ。
隣国の武田は織田のおかげで凋落して問題にならない、勝頼は織田との敵対を避けている
なので徳川家の問題は家中のお家騒動のみ、信康は徳姫とはあまり仲がよろしくなく、側室との間に子供をつくっていた
普通に考えた場合の家康にとっての信康が邪魔だというのは信康との対立以外ありえない、
家康は信長に対して信康殺害の許可を事前にもらっており、信長はそれに対して好きにせよと認めている、
これは信長公記、家忠日記で双方の記述が一致しており疑う余地はない、
信康が信長に対して謀反を考えているのなら、信長は好きにせよなどという甘い処置はしない、関係者皆殺しにせよと命じるだろう、同時期の荒木への処置を知ってるのかな?一族と主だった家臣の妻子数百人を磔や生きたまま焼き殺している
そうせずに家康の好きに任せたということは、あくまで徳川家の内紛であり信長には関係のない話だったから
また徳川実記においては信康は暴虐な人物として描かれており、狩の途中で坊主をみたので撃ち殺したなど書かれている
信康を悪く書いていないのは三河物語、基本的な事くらい抑えておけよ
公家が秀頼に参り秀頼に頼っているなら、公家が秀頼を排斥しようなどとは一切考えていない事がわかる
秀頼を潰そうとしたのは家康くらいのもの、朝廷としては豊臣家が潰されたら唯一の守護者がいなくなることを意味しており、
朝廷の権威が失墜する、実際豊臣家滅亡とともに禁中並び公家諸法度を結ばされた
朝廷は徳川と豊臣が対立したときも一貫して豊臣を擁護している、家康は方広寺の問題で天台宗から真言宗の寺に変えろ、
担当する坊主(旧皇族)を替えろ、日時も替えろと要求したが、秀頼は朝廷とともにそれを拒絶している。
朝廷は全面的に秀頼の主張を認め家康の主張は却下している
家康が攻めてきた時も家康に対して戦をするなと調停を打診したが、家康はそれを拒絶して攻め込んでいる
以上のことから家康は何が何でも豊臣を滅ぼそうとし、朝廷は豊臣家を守ろうとしたことがわかる