大谷吉継「関ヶ原では小早川が裏切るから対策したぞ」

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大谷吉継「関ヶ原では小早川が裏切るから対策したぞ」

1:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:01:12 qha
ぐう天才
こんな天才がいた三成の西軍は圧勝やろな


引用元
大谷吉継「関ヶ原では小早川が裏切るから対策したぞ」
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1497412872
2:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:02:24 3FH
なお
3:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:03:00 Ll5
赤座脇坂朽木小川「すまんな」
4:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:03:14 uBO
赤座とかいう関ヶ原以外何したかわからない武将
5:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:03:52 UWJ
三成がもう少し融通効けばな・・・
10:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:39:34 2kU
>>5
いや、毛利輝元、秀頼コンビがやる気なさ過ぎたのが問題
13:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:42:01 5UU
>>10
岐阜ー大垣ラインで防御長期戦に持ち込むはずが、片方失陥してどう戦え言うねん
14:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:43:54 2kU
>>13
それでも毛利輝元か秀頼が関ヶ原にいたらまだ可能性あったわ
2人ともおらんから采配振るうのが三成になって誰も指示に従わないねん
17:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:45:18 5UU
>>14
そもそも輝元は伊予・阿波・豊後に手を出してるからな。やる気はあっても、それは自領拡大の為のやる気や
20:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:47:22 2kU
>>17
結局輝元が長引くと判断して関ヶ原に本気出さなかったから
短期間で東軍が勝利して、領土没収とかされちゃったのがね
29:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:50:10 5UU
>>20
あの時はほぼ全員が長期戦前提で戦略立ててるぞ
33:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:51:56 2kU
>>29
基本的には全員長期戦で立てているけど、
それで毛利が本気出さないから短期で終わった面もあるし
32:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:51:48 Wqv
>>29
睨み合う気やのに福島が…
37:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:54:16 5UU
>>32
抜け駆けした井伊と忠吉が悪いよー

まぁ、威力偵察をガチ抜け駆けと勘違い可能性が……
6:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:03:54 xeM
津軽の男気すこ
石田三成の子孫家老にするとか煽り過ぎィ!
7:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:33:19 5UU
安濃津攻め拒否
転進先が佐和山の近辺
西軍の武将が入ってた松尾山を強引に占拠

これで裏切り対策してなかったら頭お花畑やろ
8:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:34:56 cES
>>1
でもあっけなく負けたんですよね
9:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:38:52 Wqv
「吉川小早川が裏切らんかったら西軍勝てた」とか言う奴おるけど裏切りの確約なかったら家康があんなアホな布陣するわけないよな
11:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:40:52 TOR
東軍とかいう霧の中でも突っ込んでくるガイジ集団
12:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:41:42 2kU
毛利輝元、秀頼
このどっちかを西軍総大将で関ヶ原で担ぎ出せれば西軍が勝った
15:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:44:12 D1b
テッルはなんであんなやる気ないのに担ぎ出されてるんや?
19:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:46:47 5UU
>>15
大坂城で書状バラまいてたのがバレたからね。仕方ないね
18:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:46:09 B8v
大谷吉継に三成の兵も指揮させたら多少ようなっとったんかな?
21:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:47:55 2kU
>>18
あんまり意味がないと思う
結局兵数少ないし
23:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:48:24 5UU
>>18
三成旗下は揃いも揃って武闘派やぞ
24:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:48:35 Wqv
結局九州の黒田父の目論見はなんだったのか
31:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:51:37 B8v
>>24
死ぬ前に天下取りしたかったんやなかろうか
例え無理やったとしても
36:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:52:56 5UU
>>31
最初から東軍所属の線もあるからなぁ
39:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:55:10 Wqv
>>36
それやと九州荒らして清正を張り付けとくって線は?
41:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:57:24 5UU
>>39
なきにしもあらずやけど、クロカンは西軍しか攻撃しとらんし、清正も一回細川の支援(石垣原)に動いてから小西領に転進しとるからなぁ
40:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:57:13 2kU
対家康用に大阪までの主要な街道に秀吉子飼いの武将配置したのに
軒並み裏切ってて草
44:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)14:01:41 5UU
>>40
そこは正則以外は元々家康の旧領やし。

駿遠三で時間稼ぎつつ、近畿濃尾伊勢を兵力を正則に指揮させて疲弊してる徳川討つ作戦なんやろなぁ
42:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)13:59:16 B8v
>>40
山内一豊が悪いよ
46:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)14:04:27 5UU
>>42
堀尾「真に受けるとは思わなかった」
47:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)14:07:20 B8v
>>46
先に言えば土佐の領主はあんたやったのかもね
49:名無しさん@おーぷん:2017/06/14(水)14:24:09 5Vk
お前横柄だから大将無理だわ
他のやつ立てるで
とか面と向かって言える大谷は真のトッモやと思うンゴ
カテゴリ:合戦 ラベル:関ヶ原の戦い 小早川秀秋 大谷吉継 Comment (77)

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この記事へのコメント

  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 12:31

    大谷さんが西軍についた理由が謎
    石田三成が大谷の軍は頼りにならんとか手紙で愚痴ってて友情じゃないらしいし
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 12:38

    ヨシ「おまえの嫡男、元服させたぞ。諱もらって重家や。上杉征伐つれてくから、これで家康と仲直りせーや」
    ミツ「やだ」
    ヨシ「おまえめっちゃ嫌われてるし、挙兵なんてやめとけ」
    ミツ「やだ、勝てるもん」

    ここから吉継が三成に付く算段が、友情とか義とかってのが少年マンガなみに出来すぎな感
    ていうか、少年マンガなら勝ってた
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 13:20

    ツッグのあの位置はわかってて対小早川警戒じゃなかったのか?
    というか実史の配陣からどう変えろと?
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 13:34

    ※3
    >赤座脇坂朽木小川
    こいつらの裏切りも予想して自陣の南側に二重の土塁作った
    結果先鋒になったこいつらは小早川の勢い減衰させて何度も撃退されてる
    一体大谷はどうやって勝つつもりだったのか
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 15:16

    大谷吉継も創作逸話で語られすぎてて、本来の人物がどうだったのかわからない人物ですよなぁ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 15:16

    豊臣は西軍に肩入れしてたわけじゃない定期
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 16:16

    赤座さんといえば
    大雨の時に越中大門川の氾濫調べに行って溺死という死亡フラグ達成
    なお赤座が死んだ場所のすぐ隣町を舞台に赤座という影の薄い主人公の漫画があったり
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 16:52

    予想も何もあくまでお互いに全員が裏切るかもしれないという話だろ。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 17:05

    輝元主導説では吉川はどんな扱いなの?
    従来は吉川は事前に内通し毛利の参戦を止めたから
    家康は吉川に加増、毛利に大減俸だか改易って事だったけど
    輝元主導して輝元の意思で和議を結ぼうとしたのなら
    吉川は特に何もしていないように思える
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 17:39

    というか、関ケ原布陣図自体が明治期だかに陸軍がテケトーに作ったもので、本来は松尾山に布陣した小早川相手に西軍が攻城戦しているところを大垣城を無視して突っ込んできた東軍に側面取られて壊滅したって話を聞きますけれど、そうだとしたら布陣図自体の信ぴょう性も薄いんじゃないですかね?
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 17:41

    関ケ原戦線異状アリが面白い
    有名無名問わず関わった武将一人一人描いてるし、朝鮮出兵やら秀次事件やら豊臣政権の土台が崩れる展開が分かりやすい
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 17:49

    小早川の裏切り以前に東軍と西軍じゃあ意欲が違ったとかどうとかを聞いたことある
    東軍サイドは家康に進言するor指示される前に行動起こしてたのに対し、西軍は進言するばっかだった的な話
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 19:18

    最近じゃ、宇喜多騒動で面目潰されたから吉継は東軍についたんじゃないか説が有力じゃなかったっけ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 19:45

    ※13
    今学者さんの議論の中で有力かはわからんけど当時から言われてた説みたいやね
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 20:03

    >>47
    出雲富田藩24万石
    土佐藩20万石(実質9万石)

    先に言わなくてよかったね(ニッコリ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 20:16

    ※1

     そんな手紙あったけ?多分、白川旬氏が偽文書説を唱えている、慶長五年九月十二日付の石田三成の増田長盛宛書状のことを言っているんだと思うけど。

     それ、長束正家・安国寺恵瓊が、大谷吉継らを南宮山に引き寄せようとしているよ、というだけの内容だよ。

     三成と吉継は、真田家・石川家を通して二重の縁戚関係になっているから、親しい関係なのは公然の話。だから、江戸時代でも親友関係を当然視されている。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 20:19

    ※16

    白川旬氏×→白峰旬氏〇
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 20:40

    刑部と三成のお茶エピソードも捏造くさいんだっけか
    ロマンねえなあ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 20:51

    風雲児たちの大谷吉継が抜群にかっこいい
    タコみたいなのにね
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 21:52

    ※9

    不明なんじゃないかな。

    1.毛利輝元、毛利秀元、吉川広家 全員通謀
    2.毛利輝元 吉川広家 通謀
    3.毛利秀元 吉川広家 通謀
    4.吉川広家 のみ通謀

    と理論上4説あるが、よく分からん。

    吉川広家のみが、他を騙して単独で内通したか、他の輝元か秀元かあるいは両方かが広家を通じて通謀してたけど、広家ひとりに責を押し付けたのか。(ただ勝ったから、むしろ責を押し付けられた広家の地位はむしろ上がるはずなんだが)

     結局、西軍の他の諸将見殺しで生き残ったのが、どうしようもなく不名誉なので、その不名誉を広家が一身に受けたのか、実際見殺しにしたのは広家ひとりの判断か、輝元・秀元の判断も入っていたのか?という話。真相は闇の中。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 22:20

    九月十二日付三成書状偽書説を取り上げたのは中井俊一郎氏・白峰旬氏だけど。両氏ともに明確に偽書とまでいえないとし、その書状を論説の補強に使用しているので言葉通りに受けるのは危うい
    白峰氏はあくまで書式に疑問がある程度で書状内容がおかしいとの指摘はない、最近の高橋陽介氏への論文でも可能性の一つとして考えるべきとの主張
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 22:21

    ちょっと前に何かで、通説だと三成が関ケ原に吉継を誘った、だが本当は逆で吉継が三成を関ケ原に誘ったって見たなぁ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 23:09

    子飼いが家康に裏切ってるって言うのも
    家康の方が秀吉の義理の弟の親族扱いで豊臣の筆頭家老扱いだからそうなるよね
    その後の結果知ってるから徳川家、豊臣家で語られてたりそれが当たり前に教えられてるけど
    実際の当時は家康は豊臣親族だよね
    秀頼が極力中立だったわけで、そうなると秀吉の弟の家康の方が正当性あるってのも分かる気がするわ
    秀吉にあれだけ優遇されてた家康が豊臣家滅ぼすとかほんとクズだなとは思うけどね
    当時の人たちも家康がそこまでクズだとは思ってなかっただろう
    信長と同盟時代から上司には忠節キャラだった訳だしなあ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 23:22

    むしろ徳川が秀頼の正規軍なんじゃないの?
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月25日 23:32

    秀頼は家康を上杉征伐の許可出して軍資金、兵糧米まで与えてるし名目上は文句のつけようなく家康=豊臣正規軍
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 00:18

    ※20
    重臣の安国寺恵瓊をスケープゴートにしてあっさり殺させたのなら
    一門だろうが吉川広家がそんな扱いにされても不思議じゃないわな
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 00:51

    最近ではハンセン病の件が無かったことにされつつあるニキ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 02:26

    ※23
    優遇されてたから滅ぼすなって豊臣理論のわがままじゃね?クズという単語を使うあたりお里が
    元々戦争で負けた結果の服従だし
    優遇といいながら旧領召し上げ田舎へ追いやった(秀吉の時代に限るが、存命中は家康は逆らえない)
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 02:50

    8/10  石田三成、小西行長が大垣城に入城(大垣城の兵力15,000)
    8月中旬 福島正則、黒田長政、藤堂高虎、細川忠興らが清須城に入城
    8/17  小早川秀秋が伊勢方面軍から突如離脱。近江石部に10日間謎の着陣
    8/21  東軍諸将が清洲城を出陣
    8/22  竹ヶ鼻城の戦い
    8/23  岐阜城の戦い(同日陥落)
    8/24  安濃津城の戦い・島津義弘が大垣城に入城。
    8/27  宇喜多秀家が大垣城に入城
    8/27  小早川秀秋が石部を出陣。伊勢鈴鹿へ向かうも再び反転し中山道へ進む。
    9/7   小早川秀秋が近江国高宮(佐和山城から4kmの地点)に着陣
    9/14  小早川秀秋が高宮を出陣。伊藤盛正を小競り合いで追い払った上で松尾山に布陣。
    9/14  西軍主力が関ヶ原へ転進
         「此時備前中納言殿・小西摂津守・石田治部少輔、大柿を出て関原へまいられ候由。
          子細は筑前中納言殿むほんと風聞候。仕置いたすべきとて出られ候由」
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 03:02

    ここら辺最近ぐるぐる変わってるでしょ、この間は吉継が乗り気じゃない三成を誘ったって言うの見たし。
    たしかに吉継の前半生わかんないな、まあ出した手紙を見るからに普通に良い人だったとは思うけど……
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 03:07

    9/14に「仕置いたすべき」って判断が遅すぎるんだよな。
    それ以前の行動が真っ黒なのに。
    9/7~9/14までの高宮滞在中に、家康にお手紙出しつつ、川狩りして遊んでるんだぜこいつ。
    西軍武将らしく岐阜陥落で緊迫するふりすらしていない。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 11:50

    西軍の連中って結局全員何したかったのか分からんことになってしまった…。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 13:27

    ※32
    応仁の乱のように長引く可能性があるから、様子見しとこうと思ってみんな一歩引いてたんだけど、東軍側はもう乱世を終わらせる方向で来てましたってのに気づけなかったんやろ。気づいたときにはもう遅かった。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 14:42

    岐阜城落ちた時点で東からの大軍を食い止められる要所を失った西軍に勝ちの目がほぼ消えましたからなぁ
    賤ヶ岳の戦のごとく主家の幼少の当主を抱き込んで正統性を証明するという計画も、淀殿による阻止で失敗してますし
    名実ともに計画失敗した結果、足並みが揃わなくて場当たり的にことに当たったまま負けたから西軍が何したかったのか一見でわからないようになったのではないでしょうか
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 15:40

    ※32
    西軍の足並みと家康の動き見ると織田信長vs朝倉での浅井を思い出すんだよな。
    妹を嫁に出したけど、場所的に裏切られたら危ないから、朝倉を征伐しに行くそぶりを見せて後ろを晒す。
    裏切ったところで兼ねてから準備してた場所(朽木領)を通って脱出
    その後、浅井朝倉を両方征伐、かくまった比叡山延暦寺を兼ねてから計画してた叡山の利権を奪取する為の口実にする。

    朝倉が上杉、浅井が西軍、延暦寺が豊臣家だとして、家康は信長の使った戦略を秀吉の築いた天下を崩す為に用いたわけだ。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 16:18

    「誰其が内府様を騙して私を陥れた。無実の罪を負わされたことにたえられず、秀頼様と内府様の誤解を解くために止むに止まれず兵を挙げたのだ」だったかもしれないね。

    七将を責める訳にはいかんから、長束増田あたりを槍玉に挙げるか…。じゃあさっさと成敗しろよって話だけど。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 17:13

    個人的には豊臣政権の頂点に立った家康が地位を盤石にするために行った政敵排除に危機感を覚えた大名たちが決起を起こしたんだと思う
    家康の権力志向と豊臣政権の危ういバランスが未曾有の大反乱を引き起こした

    ※9、※20
    光成準治氏の本では広家は関ヶ原前から冷遇されていて、輝元から信用されてた福原広俊と一緒に講和作業を行っただけって書かれてた

    内通については毛利全体でやってたと考え、関ヶ原の毛利軍を率いてたであろう安国寺恵瓊も内通してたってさ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 17:55

    ※20※37
    これ要するに毛利から没収した領土を吉川に与えて加増ってのも
    そういう工作ってことで良いのかな?
    というのもそれだと吉川が加増される理由が見当たらない
    でも毛利改易から吉川加増で吉川が固辞して毛利に譲るってやり取りは手紙に残ってるんじゃなかったっけ?
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 18:08

    吉川は方針の件、形見分けの件等、奉行衆から露骨に嫌がらせ受けていたからなあ
    積もっていた事もあるのだろうな
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 18:09

    工作ってか毛利を改易して吉川になんて計画は史実ではなかったんじゃない?
    関ヶ原当時の吉川広家って毛利家中ではそんな重要な武将じゃないっぽいし、手紙が吉川家と手紙の宛先である黒田家に伝わってないことから偽文書の可能性があるし
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 18:24

    なるほどその話の証拠扱いされてる手紙自体が偽物だと疑われてるんだね
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 21:52

    ※7
    ニコニコ大百科でその件をネタにされてたなw
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 23:07

    ここら辺、七将襲撃事件以降、上杉征伐ぎりぎりまで、奉行衆(増田・前田・長束)、石田一族(三成自身の内心は決起まで不明)、大谷、皆、実はしばらく親徳川派なんだよな。(大谷は秀吉死後から家康派。)

     三成も、縁戚・親友の真田信幸が家康養女婿だし、三成長女は、家康側室茶阿局の甥と結婚しているし(茶阿局の子が松平忠輝(伊達政宗の娘婿)、実は、親家康派だったのではないかといわれてる。

     結局、五大老の一人上杉景勝は昔から奉行衆・三成と親しく、、同じ五大老の一人家康が、奉行衆からは理不尽な理由で景勝を奉行衆の諌止もはねのけて征伐を強行しようとしている→やっぱり家康は天下取りの野心があるのでは?

     と奉行衆・三成に思われ、彼らは決起して家康に刃向かった。これに賛同したのが他の西軍派。

    上記を見ると、やはり、しばらく親家康派だった石田・大谷・奉行衆を反家康に転換させる程の大事件が、家康の上杉征伐強行だったのだろう。

     一方、東軍派は上杉征伐について、

    ①「家康は天下取りの野心があるのでは?」とはまったく思わなかった(本当に上杉に叛意があると思っていた)、だから西軍こそは上杉に与する反乱軍、
    ②「家康は天下取りの野心があるのでは?」とは、ちらとは思ったけど、思いたくなくなかった、
    ③上杉に叛意あるかどうか、家康に野心があるか、自分の判断ではよく分からんけど、何はともあれ現在の日本一の実力者家康の言うことに従おう、
    ④家康は天下への野心を持っているだろうし、上杉征伐を足掛かりにしてるんだろうけど、むしろ家康が天下を取ってくれた方が嬉しい

    の4つの見解があり、この4者がともに家康に集った。この①~④の内訳が知りたいところだ。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月26日 23:15

    ※39

     形見分けしたのは前田家屋敷で、秀吉生前の七月十五日。で、秀吉死後に奉行衆が形見を広家に実際にくれたと。

     多分、秀吉自身が吉川広家が嫌い(秀吉が広家を嫌っていたであろうことは、広家自身の書状でわかる)ので、形見の品を遺言で遺さず(これは秀吉の嫌がらせだなあ)、秀吉死後にこっそり奉行衆が渡したというのが真相かと。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 00:30

    小早川を優遇して吉川に辛く当たることによって毛利家中を分断して弱体化させるのは、それこそ中国大返しからの秀吉の計画だったんだろう。

    その作戦は見事に成功した…その後遺症として豊臣家の完全な滅亡というおまけがつくことになるが。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 02:19

    ※43
    ⑤家康の野心以前に自家の死活問題として東軍に味方
    ってのもあるんじゃない?

    例えば細川。
    清正書状他から西軍決起後早々に秀頼の名前で細川の改易処分が下されていることが分かっている。
    (田辺城の戦いは城の受け取りに来た丹後衆に対して幽斎が断固拒否した結果)
    ガラシャのことを置いても、徳川に味方して全てをひっくり返す以外、細川に選択肢は無い。

    あとは徳川領に隣接する浅野、山内、
    東海道筋で旧徳川領に位置する堀尾、池田あたりは西軍に味方しても
    西軍主力と合流できずに徳川に踏みつぶされるのは目に見えてるから、
    大義とか以前に東軍参加以外に選択肢はなさそう。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 02:50

    ※46
    同意だね
    皆、豊臣なんかよりもまず自身がどう生き残るかを考えている
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 04:17

    小早川とかの上杉征伐参加の為に上洛してた組も
    自己防衛のために西軍参加が本音だろうしな、
    西軍の大義に心から賛同したわけではなく。
    東軍諸将もそれは一緒だろうさ。


    結局、家康の野心とか大義正当性とか豊臣の天下云々を気にしてたのは
    大老奉行+αの政権重役だけだろうな。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 11:51

    結局豊臣家は支持を失ったから滅んだという当たり前の結論にしかならんのよな
    家康も血まで絶やすつもりはそんなに無かったし
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 14:04

    ほんとぉ?
    なら国家安康にイチャモンつけないで下さいよ~
    200万石から60万石になったんだし許して!
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 15:32

    あれいちゃもんでもないけどな。
    「意図的に家康様の名前を使いました。現担ぎのつもりでした。」
    「五山の公式見解は全会一致で『名前を分けるなんてとんでもないこと』らしいですか、
    私は現担ぎのつもりでした」
    「名前を使いましたが事前相談はしていませんし、使用許可も貰ってません」
    これで問題にならない方がどうかしてる。
    呪詛って言われても仕方ないレベル
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 16:00

    このやり取り何回やるんだよ。
    前回の大河で払拭できなかったのか、まだ言ってる奴がマヌケなのか?
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 17:30

    国家安康は徳川と豊臣の対立状態で起きた問題のひとつに過ぎないからな
    あろうがなかろうが豊臣が徳川に屈しなかったら滅ぼされたことに変わりはない
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 18:03

    ※18
    まあ自分が大谷吉継の立場だったら膿の入った茶碗はまわさないよな
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 19:23

    ※50
    米の集積都市と化した大阪だけで50万石近い経済的価値あるから・・・(震え声)
    前田みたく鼻毛バカ殿演じてる間に親藩にならなきゃ
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 20:39

    ※51

    あれ、方広寺の総奉行片桐且元なんだよな。且元が責任者。どこまで、秀頼に意思があったのか不明だし(もしかして、文言の内容自体知らなかったりして)、おそらく呪詛の意思なんか、秀頼・且元にはない。

     しかし、言いがかりをつけられても仕方ない失礼な話ではある。これは豊臣方のミス。

     これ、本当の意味で且元の失態なんだから、腹切って家康と秀頼に詫びるべきだよな。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 20:48

    結局方広寺の鐘が問題だったんじゃなく、勝手に且元追放したのが徳川の出兵理由だったっていう話だったのでは?
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 20:50

    ※46

    細川忠興は、七将襲撃事件の首謀者と奉行衆から見られていた。(七将襲撃事件は三成だけでなく、増田長盛も標的)

    家康が、その後に特に何の功もないのに忠興を加増したのが、そう奉行衆が思った理由とされる。
    (更にこのせいで、奉行衆は家康が七将襲撃事件の黒幕だとみなしたと思われる。)

    三成・吉継決起の知らせを聞いた時に、忠興は「こんなことが起こるだろうと思っていた」みたいなこと言っているし、三成・長盛らが自分を、七将襲撃事件の首謀者とみなして敵視していることは分かっていただろうから、従軍していた家康方につくのはある意味当然の話。

    (あと、ガラシャの自害の時に、三成は大坂にはいない。)
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月27日 20:53

    ※57

    豊臣家が、且元を(家康のスパイとみなして)追放するに至った原因が、方広寺の鐘事件なのだから、やはり方広寺の鐘事件が理由といえる。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 00:15

    素直に大和郡山25万石に移って、松平大和守名乗ってればいいじゃん…。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 00:44

    吉川広家と毛利秀元は色々と人物としての重要性が盛られていると思う
    吉川氏は戦前、元春が死ぬ前くらいから輝元に疎んじられてた
    毛利秀元は小早川隆景の遺領問題で輝元と揉めた間柄で家康と手を組んでいるという疑惑もあった
    両者共に輝元にとって信用できない存在、だから輝元は東軍との講和を主導した福原広俊と吉川広家について、福原広俊に感謝の手紙を送っても吉川広家に送ることはなかったし、南宮山の毛利勢の指揮を広家、秀元にではなく安国寺恵瓊に任せた(輝元は秀元に万事を宍戸元次と益田元祥に協議することを命じ、宍戸、益田の両名には安国寺恵瓊と万事協議するように命じた)
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 00:59

    家康は方広寺の件で厳しい命令でも家臣として秀頼は従うか否かを試したのじゃないかな
    結果は完全に逆らったから生かすのは無理だってことになってしまった
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 01:08

    その後も夏の陣直前まで軟着陸を目指してるんだよなぁ家康は。
    秀忠はとっくに見限ってたみたいだけど
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 19:39

    ※63

     武家が一戦もせずに、臣従するのは無理。(二条城会見は臣従ではないと笠谷和比古氏は述べている。)

     冬の陣で適度に負けて、臣従・転封というのがまあ落としどころだったのだが、予想外に牢人衆が善戦してしまったので、放逐するに放逐できず、結局それが命取り。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 19:44

    真田幸村も十万石の話を受けて、牢人引き連れて、大坂城退去すれば良かったんだけどね。

     まあ、本当に十万石も出すとは思えなかった(どこから削るんだ?)だろうけど。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 20:20

    ※64
    丸島和洋
    (夏の陣前の家康の)「国替えをさせるための出陣」「軍装で来るな」「大坂と手切になったら出陣せよ」
    という命令を並べて見ると、まだ家康が秀頼国替えによる決着を望んでいたことがうかがえます。
    あくまで、「家康は」ですが。
    この間家康は、牢人退去か、大和か伊勢への国替えを改めて要求し続けていました。
    武装で進軍させなかったり、兵糧は腰兵糧でといったのは、どうも大坂方を必要以上に刺激させないための配慮であったようです。
    しかし結局、秀頼および淀殿の回答は、「どちらも受け入れられ無い」というものでした。
    4/22、家康は二条城で秀忠と合流しますが、ここでもまだ一縷の望みを捨ててはいませんでした。
    常高院らに書状をたくし、大蔵卿局とともに大坂に入らせたのです。
    要求は、
    1)秀頼が主張している摂津の冬の陣での荒廃は事実と認めるが、河内は同様とは認定できない。
    2)約束通り牢人を召し放て。
    3)大和郡山城に移り住むがよい。7年かけて、摂津や大坂城を復興させる。その後、大坂への帰城を認める。
    といったものであったようです。
    秀頼は国替えはなんとしても撤回して欲しいとし、牢人召し放ちにも応じることはできませんでした。
    前者はともかく後者は、もう統制力を完全に失った結果でしょう。
    ここに交渉は完全に決裂し、大坂方の先制攻撃という形で、夏の陣が始まることになります。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 21:27

    ※64
    牢人衆が善戦したから召し放ちが出来なくなったのではなく、牢人の統制が出来ず和睦を納得させるために嘘の勝利を喧伝したことでさらに手が付けられなくなっただけ
    戦後に大坂方は牢人衆の召し放ちを実行するも、牢人衆が大坂城に居座り事実上の占拠をしたことで夏の陣へ向かうことになる。開戦きっかけの片桐追放から滅亡まで豊臣家は自らの統制不足により窮地に追いやられている
    ※66
    淀殿は条件を認める動きもあったみたいだね、秀頼が拒否したらしいけど
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 21:32

    まあ、結局豊臣のために奮戦してくれた牢人衆を捨てるに捨てられなかったということなのかな、秀頼さんは。

    (もはや牢人衆を制御できなかったともいえるが。)

    部下思いじゃないか、秀頼さん。結局一緒に心中しちゃったからアホだと思うけれど、嫌いにはなれないな。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 21:33

    真田等が善戦しただけで負けに負けている
    一つ二つの勝利を大袈裟に宣伝したに過ぎない
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 21:46

    ※67

     嘘の勝利なのかなあ、いやどっちでもいいけど、敵方(徳川軍)も善戦は認めてるよ。

     まあ実際、豊臣家の牢人衆統制不足で召し放ち失敗はそのせいなんだろうけど、善戦すれば報酬を求めるのが、武士な訳で。

     朝鮮出兵も、全然土地取れなかったけど、善戦したはずだから恩賞くれ、と諸将は言ったけど、奉行衆は恩賞もくれなかった(恩賞を与えるという事は、豊臣家の領地を削るという事だから、それだけ豊臣家が弱体化する)恨みが、諸将が豊臣家から離反した原因だ。

     結局、領地は得られなかったけど、善戦したら恩賞くれ、と主張する武将たちという事態に対処できないと、詰む、ということ。

     少し時間はかかっているけど、元寇のちの北条家滅亡も似たケースだよな。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月28日 22:11

    大谷の膿入り抹茶飲んだの三成じゃなくて秀吉説あったよな。秀吉ならありそうだし、違和感ないわ。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月29日 00:43

    人質取られて無理やり戦わされてた人達を裏切り者扱いする風潮嫌い
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月29日 03:48

    ※70
    牢人衆の居座りは報酬が貰えなかったからじゃないでしょ。
    夏の陣直前にも金銀を牢人衆に配布しているし、
    落城後に幕府方が金2.8万枚、銀2.4万枚(計50万両以上)を接収できてる。
    豊臣に報酬を払える能力は有ったし、その上で敢えて未払いだったって話は聞いたことが無い。

    もっと単純に、雇用による長期安定収入を望んでの行動だんたんじゃない?
    戦功報酬なんて所詮は一時金だからな。
    城内にいれば衣食住完備だし。
    豊臣が徳川と和睦(=牢人衆の召し放ち)すればその一切がおじゃんになる。
    大野治長襲撃もそれを潰したくてのことだろう。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月29日 04:23

    ※58
    色んな意味で日頃の行いの大切さを感じるエピソードだな…
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月29日 06:56

    ※73

    ああ、別にあなたの意見に反対してる訳ではない。

    おっしゃるとおり、長期安定収入がほしかったんでしょ、牢人衆は。

    一時金だけもらって解雇されても、身の振りようがないよな。敵方(徳川その他)も解雇牢人雇う義理ないし。

    しかし、(豊臣家に限らず)牢人問題って、かなり江戸時代でも深刻な話だったし、「深刻だった」という話は聞くけど、

    江戸幕府はどうやって解決したんだろね・・・・・。島原の乱と由井正雪の乱で壊滅した訳じゃないだろうし。
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年07月29日 11:40

    ※70
    嘘の勝利は的確じゃなかったね、真田丸など局地的な勝利によって冬の陣自体に勝利したって風潮が大坂城内にあった状況を言いたかった。豊臣側の宣教師も大坂方の勝利で徳川は敗れたと記述している

    牢人衆が伝えられた和睦の内容と実際の和睦に違いがあったとする指摘もあるし、牢人や一部豊臣家臣の状況認識に間違いがあったのは事実っぽい
  • 鳥無き里の名無しさん 2017年09月07日 12:59

    大坂城を戦場にするべき