天才「近江は石高もあり商業も栄えていたから朽木元網は弱小じゃない」

640fde73

天才「近江は石高もあり商業も栄えていたから朽木元網は弱小じゃない」

1:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:00:34 J2W
その通りや


引用元
天才「近江は石高もあり商業も栄えていたから朽木元網は弱小じゃない」
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1527692434
3:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:02:58 J2W
朽木氏は関ヶ原で裏切った弱小大名ってイメージあるけど
金ヶ崎の撤退戦では信長に味方して、信長の窮地を救ってるし
足利幕府とは数十年のつきあいという名家なんや
12:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:09:24 VgY
>>3
浅井に人質送って戦いを避けたと思ったら信長についたり信長が死んだ後も豊臣徳川と転々としたり関ヶ原で寝返ったりで政治的には正しいんやけどどうしても小物っぽく見えてしまうのがね?
14:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:10:27 J2W
>>12
小物なんは間違いないで
金ヶ崎の裏切りはほぼ信長本隊の軍が迫っていて、ビビって道を通したって形にしたいし
風の谷のナウシカ並に事なかれ主義の大名やわ
21:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:13:44 VgY
>>14
群雄割拠で我こそが最強の益荒男やでって時代背景も相まって余計小物に見えてしまうンゴ
後世でこそお家存続のための上手い立ち回りって評価できるけど当時の評判とかはどうやったんやろか?
25:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:17:37 J2W
>>21
信長に名前を忘れ去られるほどの存在で本能寺が起きるちょっと前に代官をクビになっている
統治能力は・・・ダメみたいですね
4:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:04:26 J2W
これが当時の商人の道や
朽木氏の領地である朽木谷を若狭でとれた魚を運ぶために商人が往来するから結構商業がさかんやったんや

7:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:06:18 J2W
関ヶ原以降朽木氏は家康に減封されたって言う人がおるけどこれは朽木氏元々の領地であって、奪われた土地は豊臣家の蔵入地のみや
要するに、朽木家は豊臣家と縁を切れって言われたんやな
結局数年後朽木家は数千石加増してもらえるし息子の代に4万石の譜代大名に昇格する
8:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:07:09 rXv
はぇーわかりやすい
10:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:08:53 Voj
関ヶ原で便乗して裏切った大名Dって印象
17:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:11:55 J2W
>>10
関ヶ原で便乗して裏切ったんは小川祐忠ぐらいかな
ただ関ヶ原以外やと、伊東・相良・秋月・亀井・鍋島・赤松・六郷といっぱいおるで
11:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:09:22 J2W
ちなみに主君の流れは

足利義晴→浅井長政→浅井・朝倉→織田信長→羽柴秀吉→京極高次(義兄弟)→徳川家康

関ヶ原の裏切りは大津城の京極高次の裏切りに呼応した説をワイは推すで
むしろ金ヶ崎撤退戦の時は近年の研究で朝倉氏に味方していたから、金ヶ崎・姉川の方が裏切り感は大きいと思う
15:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:11:33 Voj
ここまで詳しいとイッチの地元大名かな?
18:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:12:20 J2W
>>15
ワイの地元大名は湯川直光や・・・悲しい
16:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:11:40 qiP
朽木とかに目をつけるのはいいね
鎌倉時代以来の家系だし、文書史料もしっかり残ってる
池大納言平頼盛の一族とも関係あったはず



でも家康か誰かに「朽木元綱は天下一の粗忽」と言われてかわいそう
23:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:15:27 J2W
>>16
朽木息子(24歳)「父上!次男が生まれましたぞ!これで御家も安泰ですな!」
元網(57歳)「嬉しいことだ!あ、もう一つ嬉しい知らせがあるぞ、お前に弟ができた」
息子「」



粗忽者なのは当たり前だよなぁ?
朽木 宣綱(くつき のぶつな、天正10年(1582年) - 寛文2年5月1日(1662年6月16日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。朽木元綱の長男。友綱、稙綱の兄。官位は従五位下兵部少輔。号は立斎。妻は京極高吉の娘のマグダレナ(洗礼名)。子に智綱、京極高通、良綱、元綱(父と同名)、大島義唯室、岡宣綱の嫡男・智綱が朽木本家を相続し、明治まで朽木の地を保った。妻の名字である京極を称した智綱の弟・高通は母の兄弟に当たる京極高知の婿養子となり、丹後峰山藩1万3000石の大名となっている。三弟の稙綱は幕臣として若年寄に就任し、加増されて1万石の大名となって本家を凌ぎ大名となった。その後、下野国鹿沼藩・常陸土浦藩を経て、子孫は丹波福知山藩主として、明治維新まで存続した。

朽木 友綱(くつき ともつな、慶長4年(1599年) - 寛文2年8月8日(1662年9月20日))は、江戸時代初期の旗本寄合。朽木元綱の次男。通称、与五郎。兄に宣綱、弟に稙綱。子に由良貞房室ほか。細川忠興に仕え、大坂夏の陣の功で銀子20枚を拝領した。元綱の死後、その遺領は宣綱6300余石、友綱2015余石、稙綱1100余石と兄弟3名で分割相続し、友綱は旗本となった。歩行頭となり、寛永10年(1633年)に将軍家御用の新茶を運ぶ宇治採茶使を神尾守勝、近藤用行、安藤正珍と務める。子孫は3010余石の旗本として存続した。

29:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:22:13 qiP
>>23
自分から息子たちに分割相続して大名の資格を投げ出してるからなぁ
わざと1万石以下にして交代寄合になって身軽になろうとしたのかしら?



三男が自力で大名に上り詰めてたけど
朽木 稙綱(くつき たねつな)は、江戸時代前期の大名。近江国朽木藩主、下野国鹿沼藩主、常陸国土浦藩初代藩主。福知山藩朽木氏初代。朽木元綱の三男。元和4年(1618年)9月11日、3代将軍徳川家光に仕え始める。元和9年(1623年)に民部少輔に叙任された。寛永8年(1631年)5月21日には小姓組番頭に任命され、同10年(1633年)7月24日には書院番頭となった。寛永12年(1635年)11月20日、再び小姓組番頭となり、若年寄を兼任した。元綱の死後、領地の一部を分知されていたが、寛永13年(1636年)に加増を受けて1万石の大名となり、近江朽木藩(兄の宗家とは別)を創設した。

32:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:24:40 J2W
>>29
徳川家臣の菅沼氏や井伊谷近藤氏も領地を分割して自分で旗本に降格してるし
1万石の大名だったら参勤交代の負担喰らうより旗本で自由に統治するほうが楽やったんやろ

優良中小企業が頑なに上場しないのと同じ感じ
27:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:19:08 J2W
小大名でそこら中に喧嘩売りまくってた大名なんて

津軽為信と真田昌幸と筑紫惟門の3人ぐらいやろなぁ
31:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:23:20 op5
近江商人って歴史に影響力与えるほどの存在だったんやな
33:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:26:26 J2W
>>31
トヨタも東レも伊藤忠も武田薬品も近江商人の精神を受け継いでいるからね
34:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:27:15 Voj
地元の大名が大河ドラマ化すれば地元の活性化に繋がりそう
37:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:29:31 J2W
ちなみに関ヶ原以降の豊臣家の陣営を見てみると

淀=浅井長政の娘
片桐且元=浅井旧臣
石田三成=近江の土豪
大谷吉継=近江の土豪
大野治長=浅井旧臣
宮部長房(継潤の息子)=浅井旧臣
木村重成=親父が近江出身
大蔵卿局=近江出身

実質浅井家なんやで
だから尾張出身の毛利勝永が大坂の陣で幸村以上に外様扱いされるのは必然やったんや
40:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:30:47 Voj
>>37
みんな秀吉縁故の大名だと思っとったンゴ
42:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:31:40 6YV
>>37
その理屈から言えば、みんな佐々木の家臣やろが
都合よく浅井だけにしてるあたり、まさに浅いわな
52:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:34:47 J2W
>>42
先祖をどこまで遡るかってのもよるで
佐々木系列の場合「綱」を名前に入れてくる家が多い
浅井家の場合は独立したがってるから先祖は亮政公!ってなるんや

そんなこと言ったら武士どころか日本国民全員天皇の子孫やぞ
45:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:32:33 eYq
>>37
淀殿はじめ実質織田家の縁者が牛耳ってるんよな
有楽は一抜けしたみたいになったが
59:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:39:04 J2W
>>45
有楽もそうなんだけど信雄とか信包の子供とかも直前に豊臣家脱出してるな
後、七手組のうちの青木一重とかも脱出してるし「豊臣家はヤバい」って脱出する連中と「豊臣家はヤバい」って死ににくる奴らしかいなかった模様
46:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:32:41 0r5
足利義晴と義輝親子が逃げてきた時どこで暮らしてたんやろ?義昭が越前に逃げた時は朝倉が御所作ってたけど
60:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:39:46 pGl
総大将織田信雄構想
68:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:41:49 eYq
>>60
家康と秀吉の戦力を見切っていち早く和睦した戦略家やな!!
61:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:39:57 0r5
ワイの地元の名産品も朽木谷を通って京に運ばれてたんやろなぁ やっぱ近畿って交通の要所だわ
70:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:42:59 Voj
近江は六角氏の印象強い
72:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:43:36 0kq
ワイ地元春日部、イマイチ誰が戦国時代の領主かも分からない
子供の頃住んでた長野の真田の方が愛着ある模様
78:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:47:05 J2W
>>72
春日部は春日部氏らしい
でも太田資正か成田の印象があるなぁ
74:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:45:12 Voj
ワイの地元の知名度大久保長安>>>北条氏照って感じ
84:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:53:32 J2W
>>74
氏照さんは可哀想だから知らなくてもええやろ・・・
まぁ猿と戦争したがってた張本人やけど
76:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:45:55 0fM
六角定頼が30年遅く生まれてたら信長は天下取れんかったやろうなぁ
77:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:46:21 0r5
>>76
その場合三好の天下やろ
89:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:56:39 v3V
ワイの地元の領主なら敗走中に井戸に落ちてた
他おらんような
93:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)00:58:03 J2W
>>89
難波田憲重くん!
99:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)01:01:55 J2W
めっちゃ寝返る人ランキング

1位 真田昌幸(大河ドラマで週刊謀反を起こす天災)
2位 筑紫惟門(嫡男が戦死して土下座して出家して3日で挙兵するゾンビ)
3位 佐野昌綱(上杉謙信にピンポンダッシュをかけまくったヤベー奴)
123:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)01:14:45 0kq
山田長政みたいに海外で活躍した日本人や、
逆にロレンソ了斎みたいに日本人なのにキリスト教徒として名を残した人とか好き
126:名無しさん@おーぷん:2018/05/31(木)01:16:14 YpT
???「俺は関羽になりたかったんや」
???「だから髭を生やすぞ」

関連記事
織田信長「裏切った浅井を滅ぼしてやった」←分かる
信長は尾張の弱小大名だった ←これ
カテゴリ:雑談 ラベル:徳川氏 豊臣氏 織田氏 朽木元網 関西地方 Comment (24)

関連する記事

リツイートランキング

コメントランキング

この記事へのコメント

  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 12:12

    昌幸パッパ:「今日は武田、明日は上杉、明後日は織田じゃ、裏切ってなんぼじゃ!」

    信之ムスッコ:「父上ーーーーー(白目)」
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 12:59

    なろう小説で朽木のやつあるよな
    面白い?
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 13:43

    2歳児が敦盛を舞って士気を鼓舞し、戦の采を振るい、政事を執り行い、商家と交渉して一歩も引かず、椎茸栽培や澄酒造りなどの知識を持ちで大活躍だぞ
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 14:04

    典型的な周りの知能を下げて主人公を上げるタイプのなろう小説だぞ
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 14:23

    脇坂は減封される事なく有力外様として存続した勝ち組で、最終的には龍野神社の神様になる
    朽木は京を追われた足利将軍を匿うほどの家柄で、本家は旗本、分家は大名として存続した勝ち組
    小川は没落後に子孫が商人や医者になって大成。実は信長や秀吉に茶を振る舞った何気にすごい奴
    赤座は溺死した
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 14:52

    立地は恵まれているように見えるが平地はほとんどなく、山は山賊だらけ
    山賊だけで5000人程いたが金ケ崎で秀吉が丸ごと雇った
    通行許可自体はギリギリまで迷っていたみたいだな。詳しい交渉知らないが
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 15:38

    本人が優秀とはまったく思わんが
    何気に歴史の流れの要所にいた人物ではある
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 16:12

    足利とは仲いいが 他に頼れる選択肢がないともいえる
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 17:28

    京に近くて交通の要所でヘタに目立ったり力つけたり大きくなったら潰されそう
    個人としても家としてもいい感じにやり抜いたんじゃないかなって思う
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 17:46

    信長秀吉家康の3人に乗っかり最後まで他に流されず
    致命的なやらかしもせずしっかり生き残った人物って意外と少ないかもしれん
    寿命が短いとまず無理だよな
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 19:07

    ※1
    武藤喜兵衛さん、そこは武田ではなく徳川じゃね。
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 20:47

    ※11
    まあ当時の徳川は織田の家臣みたいなもんだから、間違いじゃないと思う
    家康は勝家や秀吉に信濃の管理権をお願いしてる立場だし
    滝川が俺の領地勝手に分け与えるな、与えるなら代替え地よこせと揉めてたし
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月22日 21:43

    歴代将軍が京を追い出されたときに逃げ込むのが朽木谷
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月23日 11:35

    材秀・稙綱・晴綱・藤綱・輝孝と代々将軍から偏諱を賜る厚遇を受けてるしそのくらいはね
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月23日 12:10

    前に行ったことがあるけど、なかなかの田舎だった
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月23日 17:41

    近江は石高大きいが、その中での朽木2万石では弱小のような。
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月23日 18:39

    ※16
    石高は2万やけど、交通の要所、商業や関銭など考えれば数倍の収入があったんじゃねーかな?
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月24日 10:03

    額面よりは大きいと思うけど、それでも弱小には変わりないかな
    浅井はともかく、六角と比叡山に挟まれてるのは中々居心地悪かったと思う
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月24日 19:46

    >>5
    赤座って台風の時に用水路見に行ったおっさんだっけ?
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年01月29日 13:07

    ※2
    「淡海乃海 水面が揺れる時」だな。
    原作は説明が長い、が面白い。
    最近、ニコニコ静画で漫画化し始めた、原作も面白いし、絵も上手いから遅筆だがこれも面白い。
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年02月05日 13:01

    ええ処におったのに大名化するわけでもなく小さくまとまっとったから
    そういう評価なんとちゃうか
    経済力だけやのうて本人の魅せ方ゆうんがなかったんやろなあ
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年02月05日 13:32

    朽木とかいう、畿内や重要な戦全てに関わってる大物
    参戦例
    三好VS六角戦、六角VS浅井戦、信長の観音寺城攻め、三好三人衆から京都防衛戦、信長の朽木谷超え、信長の志賀の陣、姉川の戦い、浅井朝倉攻め、明智や信澄の与力として丹波攻め、本願寺包囲網、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦い、四国攻め、小田原攻め、関ヶ原

    こんだけ戦ってるのに、知名度あるのが信長救った朽木谷超えと大谷殺した関ヶ原だけとかいうのも凄いわ
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年02月16日 10:40

    >>2
    架空戦記で序盤から歴史変わってるから史実の朽木元綱というキャラの話としては読めない
  • 鳥無き里の名無しさん 2019年09月25日 17:10

    近江自体は豊かだったけど、朽木谷は比叡山の北にある貧しい間道の領地だろ
    細川・三好内紛で何度も落ち武者になった足利将軍をかくまっただけ