【歴史】「元寇」はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか=中国
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
引用元http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1578270435
1:首都圏の虎 ★:2020/01/06(月) 09:27:15.75 ID:teG/00wC9.net
日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
6:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:29:29.59 ID:EobPaNfx0.net
遠征の難しさよ
7:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:29:53
鎌倉武士がバーサーカーだったからだろ
8:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:30:04
日本軍の抵抗なんて当たり前だろ
順調に進軍し日本側はつぎつぎに撃破されたが、唯一つ、神風によって逃げていったなんて説はねぇぞ
順調に進軍し日本側はつぎつぎに撃破されたが、唯一つ、神風によって逃げていったなんて説はねぇぞ
40:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:37:34.93 ID:+w5X5bNR0.net
>>8
そらそうだ
陸に上がって拠点を確保してしまえば、台風に遭おうが大した被害にはならない
そうならなかったのは拠点を確保できなかったから
そらそうだ
陸に上がって拠点を確保してしまえば、台風に遭おうが大した被害にはならない
そうならなかったのは拠点を確保できなかったから
11:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:30:34.70 ID:TNlyT4on0.net
たったの三万じゃあな
糧秣は現地調達するつもりだったんだろうか
糧秣は現地調達するつもりだったんだろうか
12:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:30:49.09 ID:Zn/S2hYV0.net
元軍に一番長く抵抗した南宋軍が弱かったら世界中どこの軍隊が強いねん
13:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:31:20.08 ID:haVB4Hul0.net
モンゴルや中国アフリカの奥地にいるような筋肉馬鹿が水泳で活躍してるの見たことあるか?
15:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:32:24.04 ID:FUilBpbQ0.net
モンゴル人はほとんどいなくて捕虜みたいな奴が主力だったんだろ
サッカーで言えば3軍のブラジル相手に勝ってイキってるようなもん
サッカーで言えば3軍のブラジル相手に勝ってイキってるようなもん
20:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:33:23.56 ID:Zn/S2hYV0.net
>>15
モンゴル騎兵の先鋒が少数の武士団にボロ負けしてるぞ
モンゴル騎兵の先鋒が少数の武士団にボロ負けしてるぞ
521:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 10:25:49.66 ID:2hUhARG10.net
>>15
モンゴル主力の蒙漢軍は2度とも来寇しているぞ
モンゴル主力の蒙漢軍は2度とも来寇しているぞ
18:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:32:53.10 ID:wlnsqWW30.net
20万って関ヶ原の東西両軍に匹敵する人数じゃん
それに一月抵抗出来たって本当なの?w
それに一月抵抗出来たって本当なの?w
24:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:34:16.72 ID:yb5ay1QR0.net
>>18
蒙漢軍と高麗軍と遅れた江南軍合わせても14、5万
20万は多いな
蒙漢軍と高麗軍と遅れた江南軍合わせても14、5万
20万は多いな
25:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:34:17.79 ID:haVB4Hul0.net
>>18
船酔いでヘロヘロの馬鹿と赤子の手をなら赤子の手を捻る方が難しい
船酔いでヘロヘロの馬鹿と赤子の手をなら赤子の手を捻る方が難しい
21:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:33:32.57 ID:ccqEkqYn0.net
武器の差やろ
日本刀対青銅の刀
日本刀対青銅の刀
23:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:34:10.26 ID:YHeAMV+O0.net
醍醐天皇が心を込めて「敵國降伏」と筆で書いた御蔭
26:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:34:24.94 ID:TfLgLsS40.net
なんでわざわざ苦手な船で離れた島国までいったのか
27:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:34:37.95 ID:VCq9HO9s0.net
もとから士気低かったろw
30:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:36:09
元ってモンゴルでしょw
532:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 10:26:35.60 ID:ZUZnSg9h0.net
>>30
中国共産党は(征服王朝を含む)歴代中華王朝の
後継国家であることを自認している
そうでなければ、チベットやウイグル、満州の領有を主張できないから
(ついでにベトナムや沖縄も)
中国共産党は(征服王朝を含む)歴代中華王朝の
後継国家であることを自認している
そうでなければ、チベットやウイグル、満州の領有を主張できないから
(ついでにベトナムや沖縄も)
32:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:36:40.89 ID:ccqEkqYn0.net
>>30
中国人にそれを言ったら、顔真っ赤にして否定されたわ
中国人にそれを言ったら、顔真っ赤にして否定されたわ
31:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:36:24.81 ID:mHiH61990.net
造船、操船技術のノウハウがなかったからだよ。
遊牧民族で馬上戦闘のプロとして大陸は席巻したけど。
日本遠征の船は朝鮮人に作らせて操船もさせてたものだからね。
専門外の技術に頼らざるを得なかった島国かつ荒れる日本海という
日本の地の利が生きただけ。勇猛果敢なモンゴル人も馬に乗ってなきゃただの人だ。
遊牧民族で馬上戦闘のプロとして大陸は席巻したけど。
日本遠征の船は朝鮮人に作らせて操船もさせてたものだからね。
専門外の技術に頼らざるを得なかった島国かつ荒れる日本海という
日本の地の利が生きただけ。勇猛果敢なモンゴル人も馬に乗ってなきゃただの人だ。
34:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:36:46.41 ID:h0qqfEvy0.net
人は記憶型と思考型に大別できる
モンゴルの主力が来ていないからね
満州と朝鮮、そして宋の敗残兵
モンゴルの主力が来ていないからね
満州と朝鮮、そして宋の敗残兵
43:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:37:49.99 ID:PqFmX1KF0.net
高麗は度重なる元軍の侵攻に取った取られたを長年繰り返していて
決して練度が低いわけがないはずなんだけどな
地の利は完全に日本側にあったし、元軍が本気で日本を武力で制圧する気があったのか疑問
少なすぎる、交渉で従属させる気だったか?
決して練度が低いわけがないはずなんだけどな
地の利は完全に日本側にあったし、元軍が本気で日本を武力で制圧する気があったのか疑問
少なすぎる、交渉で従属させる気だったか?
49:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:38:38.76 ID:RHAmtruO0.net
武士が強かった 日本刀もこの時代が最高
50:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:38:40.70 ID:AsvhWfrx0.net
元寇の9割は朝鮮人
85:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:42:58
>>50
そこまで多くない
総合すると最も多いのは江南軍十万だろうしし
ただ南宋征服は一回目の文永の役後だから弘安の役からの参加で、
しかも合流が遅れて先に蒙・漢・高麗軍が武士団との戦闘に入って
やっと江南軍もきた合流したと思ったら台風にやられて
さらに将軍が残った船に乗って兵士は見捨てられたという悲惨っぷり
そこまで多くない
総合すると最も多いのは江南軍十万だろうしし
ただ南宋征服は一回目の文永の役後だから弘安の役からの参加で、
しかも合流が遅れて先に蒙・漢・高麗軍が武士団との戦闘に入って
やっと江南軍もきた合流したと思ったら台風にやられて
さらに将軍が残った船に乗って兵士は見捨てられたという悲惨っぷり
54:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:39:21.22 ID:mHiH61990.net
仮に台風で沈没しなかったとしても日本じゃ勝てないよ。
地形が複雑な日本では大陸のような戦法じゃ優位に立てないから。
逆もまた然りという実例を作ったのが600年後の帝国陸軍だけどw。
地形が複雑な日本では大陸のような戦法じゃ優位に立てないから。
逆もまた然りという実例を作ったのが600年後の帝国陸軍だけどw。
62:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:39:54.50 ID:VCq9HO9s0.net
当時のムシャクシャしたら首ギコギコやってた脳筋DQN鎌倉武士を相手にしようとかいうのが無謀
江戸時代末期とか腑抜けた時代なら、四隻の船見せるだけで降伏してた
江戸時代末期とか腑抜けた時代なら、四隻の船見せるだけで降伏してた
64:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:40:20.47 ID:fbRqXmZd0.net
なんと言っても北条時宗だな。
65:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:40:20.46 ID:RHAmtruO0.net
武士は死を恐れない
この時代から 特攻あるからなw
この時代から 特攻あるからなw
66:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:40:25.42 ID:dtZpbj6p0.net
いかに大軍でも揚陸戦というのは難しい
しかも海の中道のような狭いところでは展開できない
博多湾を封鎖して入れんようにしたのも効いている
しかも海の中道のような狭いところでは展開できない
博多湾を封鎖して入れんようにしたのも効いている
110:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:46:11.28 ID:x0P582js0.net
>>66
近代的な軍隊でも完全防衛された場所への揚陸戦はしんどいからな
要するに自ら退路がない状態で完全防衛のところに突っ込むというかなり無謀な作戦だもの(例:ノルマンディー上陸作戦)
まぁアメリカさんは沖縄戦では艦砲射撃&空爆で拠点ごと更地にして対応したがね…
近代的な軍隊でも完全防衛された場所への揚陸戦はしんどいからな
要するに自ら退路がない状態で完全防衛のところに突っ込むというかなり無謀な作戦だもの(例:ノルマンディー上陸作戦)
まぁアメリカさんは沖縄戦では艦砲射撃&空爆で拠点ごと更地にして対応したがね…
69:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:40:35.80 ID:CUlL//VH0.net
まあベトナム、インドネシアも征服できなかった雑魚集団やからな
99:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:44:44
>>69
山岳が多くて 騎馬隊が全く使い物にならなくて配送するしかなかった。
元の強みは 騎馬隊。
山岳が多くて 騎馬隊が全く使い物にならなくて配送するしかなかった。
元の強みは 騎馬隊。
77:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:41:31.64 ID:cqtgNqb40.net
文永の役は晴天
神道の影響で話が盛られただけ
神道の影響で話が盛られただけ
86:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:43:01
むしろ大遠征で成功した例のほうが少ない
103:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 09:45:30.75 ID:mHiH61990.net
>>86
こういう本質的なものの見方が大事なんだよ。
頭の悪い人ほど細かい点にこだわる。
「ボク、こんなことまで知ってるよ」っていう知識自慢の
小学生みたいなもので。
「なぜ大遠征はほとんど失敗するのか」という原理を考えないと。
それを考えないとえらい代償を支払うことになる。
こういう本質的なものの見方が大事なんだよ。
頭の悪い人ほど細かい点にこだわる。
「ボク、こんなことまで知ってるよ」っていう知識自慢の
小学生みたいなもので。
「なぜ大遠征はほとんど失敗するのか」という原理を考えないと。
それを考えないとえらい代償を支払うことになる。
コメント一覧
たったの14万で攻めて行ったって何ともならんわ
単純に兵力不足だ
まして文禄の4万とか舐めとんのかと
モンゴル人はいなかったからー正規軍はーとかは問題にならないくらいどうにもならい。
南米を征服したスペインと現地部族ほどの戦力差があれば可能だろうけど、あの程度の戦力差ではどうしたって無理だと思う。
現代でも厳しい作戦になるのに航空戦力もなく空対地の支援もない世界で成功させることができるとはとても思えない。
古来、中国に貢物をもってくる小さな島で、高麗を兄と崇める国。国土は高麗の4分の1にすぎない。動員しても兵力は1万あれば良いほう。
遠征に14万もいらない、4万で十分。高麗単独でも簡単に征服できるはずという、フビライの判断は、当時としては妥当だと思う。なめていたというより、合理的判断。
そしたら全く別物だった
ウィリアム1世も下準備を入念にした上で偽装揚陸などを駆使して揚陸させてるもんな。
準備万端の防衛軍相手にあのガバガバ揚陸作戦は「どうぞ撃退して下さい」言うてるのと同義やからな。
③実行されてないが第三次遠征では遊牧民の精鋭部隊まで参戦が明記④蒙古襲来絵詞にモンゴルの髪型の兵士が多数描写
この辺りを考慮すると纏まった数のモンゴル人が来てないって考える方が難しいと思うんだけど高麗人ばかりでモンゴル人は来てない的な説が未だに根強いよな(弘安の南宋人が一番多かったのは間違いないだろうけど)
高麗軍が多い=高麗が全部悪かったことにしたい愛国者気取りとモンゴル人がいないので元にとってはどうでもいい遠征だった(=武士の勝利は大したことない)みたいな自虐史観の両方に都合が良いからか?
「負けそうだったけど神風のおかげ」があそこまで定着したのも近代以降流行った皇国史観と自虐史観の両方に都合が良かったからだろうし。
つーか夜にはご丁寧に船に引き揚げてるしやる気あるんかと
そもそも一回目は防塁すら無かったんじゃ無かったか?
夜には丁寧に引き上げたのでなく、朝方に上陸してそこから3キロ移動して高台に陣地を構築、そこを襲撃されて敗戦し、逃亡、高台に集結するも更に敗戦、夕方には上陸拠点まで押し込まれて船に逃げ戻っている。
高麗史だとそこで、高麗は背水の陣で再戦を主張したが、モンゴルが孫子の兵法で少数の軍が力量を顧みずに頑強に戦っても、大軍の前に敗れると主張して撤退となったある。
また元史だと、対馬壱岐の上陸制圧は書いてあっても、博多上陸以降は書いてなかったり、10万と戦って勝ったと書いてあるのみ。
対馬、壱岐だと数の多い元が圧勝したが、九州に上陸したら、同じクラスもしくは、それを上回る大軍の前に敗れたみたい。揚陸作戦が難しいというより、その後に数の多い軍が相手を圧倒しただけのような。
日本史話題でも世界史の話題でもほとんど言及されることが無いけど、元寇ってモンゴル帝国の遠征の中では普通に史上最悪の失敗だよな。
1回目でもそれなり、2回目に至っては帝国史上トップクラスの規模の軍を動員しといて成果は短期間離島を占領しただけで2回とも地方軍すら抜けず壊滅ってヤバいだろ
まあ弘安のときは江南軍が予定通り動けてたり台風が無ければ幕府本隊と戦うくらいは出来たかもしれないけど
日本側もあっさり手放してるし
秀吉のときは苦労はしててもまぁまぁ維持できてる印象だけど。
互いに制海権を維持するには、コストの割にメリットがない。常に多くの船が行き来しているわけでない。
広大な砂漠でオアシスもないのに、砂漠の制圧するのに維持しようとした方が財政破綻するのと一緒。敵が渡って攻めてきたら、撃退するのに一番。
秀吉の時も日本海というより沿岸での戦闘がメインになっている。互いに離れた海の上で戦闘するには、リスクが大きすぎる。
モンゴルが江華島を落とすのに数十年というが、高麗の遠征の間に金、南宋を滅ぼしているので、高麗相手に時間も労力もかけたくなかったというべきでは?
従属しておきながら、西夏遠征最中の裏切りからの一連の流れは、本土での戦争はモンゴルに勝てないので、王族や特権階級は安全な江華島に逃げ込む。モンゴルも被害の出る島への攻撃は避けて、本土の町を破壊しまくる。江華島の食料が不足すると降伏。モンゴルは本命である中国戦線に向かう。特権階級は本土の食料を略奪補充したら、また裏切る。そのため、再度のモンゴル侵攻。島に逃げ込めない一般住民は虐殺される。高麗の一般住民はたまらない。
江華島だと上陸戦はほぼ起こっていない。浜がないので上陸作戦が行えない。小島なのでがけの上には防御施設が完備されていて、接近すると島からの攻撃にさらされる。
対馬、壱岐だと大軍を長期に駐留できない上に、広さがあるので防御側は上陸拠点で叩けられないので、攻められたほうが敗北する。だから、鎌倉幕府は防衛部隊おかずに放置したし、対馬、壱岐を占領した元や高麗も対馬占領に固執しなかった。
追加で、江華島が放置された理由に、金や南宋以外にホラムズから東欧までの大遠征が数回あったからだよ。攻めて得られるモノが高麗とは違いすぎる。