日本史 関東地方

新田義貞と足利尊氏は新田氏の方が本家筋だが当時の新田義貞は無職だったからなぁ。

1: アリエル(秋田県) [US] 2026/05/22(金) 20:04:55.55 ID:44krVmIR0● BE:194767121-PLT(13001)

そりゃ足利氏と別れを選ぶしかないわ…足利一門として鎌倉倒幕の功をあげた新田義貞に迫られた"究極の選択"
https://news.yahoo.co.jp/articles/c65f5e2e3ac3430bb14bb4973535393711196b98

4: 黒体放射(庭) [ニダ] 2026/05/22(金) 20:06:50.78 ID:hhZhbok40

堅物vsメンヘラ

 

5: ネレイド(東京都) [US] 2026/05/22(金) 20:07:09.52 ID:xFgK0AGt0

新田義貞にせめて人並みの知能があれば若き天才・北畠顕家も
楠木正成もあんな負け方しなくても済んだのに

尊氏なんかに天下も取らせなかった

 

11: オベロン(兵庫県) [RU] 2026/05/22(金) 20:17:41.86 ID:z9C5ltoG0

>>5
足利尊氏は妾の子
その妾の父親は在三河
尊氏の父親たる貞氏は、高義に家督を譲ると、出家し頻繁に三河に来ていた可能性大

つまり、上杉清子は父親が住んでいた三河の実家で尊氏を生み、育てていたわけだな

足利尊氏の生誕地と徳川家康は生誕地は直線距離で約1.5キロしか離れていない

おそらく足利尊氏直義は、足利氏の大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた

 

6: 青色超巨星(京都府) [JP] 2026/05/22(金) 20:07:31.60 ID:CAYJgHBu0

悪ってbadって意味のほかに抜きん出ているって意味があると最近知った。悪党ってのもsupreme的な意味なのかね。

 

9: アリエル(秋田県) [US] 2026/05/22(金) 20:09:47.69 ID:44krVmIR0 BE:194767121-PLT(12001)

>>6
悪源太義平も、強いって意味。

 

12: セドナ(茸) [ニダ] 2026/05/22(金) 20:17:47.59 ID:ETQtdQf50

田んぼの泥に馬が足取られた所へ、矢の雨放たれて討ち死に
馬は怪しい気配感じてたのか、どれだけ鞭打っても田んぼ通るの嫌がってたと太平記に書かれてる

 

16: オベロン(兵庫県) [RU] 2026/05/22(金) 20:21:24.64 ID:z9C5ltoG0

>>12
難太平記には、尊氏は謀反を起こすのは祖父たる家時、父たる貞氏の念願だと記録している
尊氏の母親の兄弟たる上杉憲房だけには、関東にいる時から謀反の考えを伝えていた
尊氏が最終的に謀反を決断したのは三河国八橋(知立市)である
尊氏は一族の宿老たる吉良貞義の支持を得る為に、上杉憲房を西尾市に向かわせた
吉良貞義は遅すぎたと尊氏を支持した

吉良貞義の兄貴は霜月騒動で殺されている

 

今川貞世(了俊)の『難太平記』(応永9年(1402年))によれば、足利氏の先祖である源義家は、置文(一種の遺書)に、自分は七代の孫に生まれ変わり、天下を取るだろうと予言したという。ところが、その七代目にあたる足利家時(尊氏と同じく足利頼氏側室の上杉氏の子)は、自分の世には天下を取ることが出来ないことを悟り、自分の寿命を縮めることと引き替えに、子孫3代のうちに足利家が天下を取ることを祈願して自刃し、その孫がまさに尊氏であるとされる。貞世自身の証言によれば、貞世は尊氏と直義の前でこの置文を拝見した経験があり、尊氏兄弟は「今天下を取る事ただこの発願(ほつがん)なりけり」と言ったという。

 

家時の自害した時期は諸説あるが、弘安7(1284)年6月25日が有力。有力御家人の対立で、安達氏らが討たれた霜月騒動の最中だった。家時にも反得宗家勢力との連座を疑われ、討伐の対象となる危険性があった。わが身を犠牲にしなければ足利の家そのものを守れない。無念の中、自身の怨念が子孫3代のうちに北条氏打倒の原動力となると信じて果てた。https://www.sankei.com/article/20180209-BGOENFXOMRIOLGCCZ5D2P25TF4/2/

 

17: デネボラ(千葉県) [JP] 2026/05/22(金) 20:23:15.07 ID:YH2qv6wD0

新田はその通りだが
それ以上に謎なのが顕家だろう?
足利尊氏の軍勢と戦ってたのが18歳~21歳だぞ?
おまけに後醍醐天皇に対して的確な諫奏文まで送っている・・
これ全部本当なら凄ぇ超人だぞ?

 

22: 土星(やわらか銀行) [ニダ] 2026/05/22(金) 20:28:03.21 ID:3/HXdmn+0

頼朝に非協力だったのが全てやろ

源 義重(みなもと の よししげ / 新田 義重 にった よししげ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての武将。新田氏の祖。武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎義家の孫。新田氏本宗家(上野源氏)の初代であり、上野国新田荘を本拠としたため新田義重と称する。新田義貞は仍孫にあたる。治承4年(1180年)の源頼朝挙兵の際には、甥足利義兼・子山名義範・孫里見義成らが早期にその麾下に帰参したのに対し、義重は一時日和見的態度を取る。この背景には、北関東での主導的地位にあり頼朝を格下に見ていたことや、新田荘が平家方の荘園であったこと、また木曾義仲とは親子2代に渡る宿敵関係でありこれを牽制する必要があった、といった要因が挙げられる。

やがて頼朝の威勢興隆を目の当たりにし慌てて鎌倉に駆けつけるが容易に頼朝の不信感を拭うことはできず、安達盛長の取り成しでようやく帰参が叶ったという。さらに、未亡人となっていた娘(祥寿姫)を頼朝の側室にと乞われるもこれを拒否し、より一層頼朝の不興を買ったと伝えられている。

 

25: ヒアデス星団(茸) [ニダ] 2026/05/22(金) 20:49:04.53 ID:88QYMSoq0

新田義貞なんてザコだろ 挙兵した時はたった140騎
その後他の武将たちが集まったのは尊氏の息子千寿王がいたから
公家一統の世をめざす後醍醐帝としては尊氏を重用するわけには行かない 源氏の棟梁である尊氏の立場が強くなればやがて将軍になる可能性があるからだ
そこで自分の言う事を素直に聞く義貞と土豪あがりの楠木正成を尊氏と同列の扱いにした
無位無官から突然の出世で義貞は舞い上がり 余裕ぶっこいてるうち尊氏に逆転されてしまった

 

27: ウォルフ・ライエ星(みかか) [ニダ] 2026/05/22(金) 20:57:04.30 ID:M080SIRf0

分倍河原の駅前に銅像がある新田さんじゃないですか
新田さんって言えばよく誘導を早期追い抜きしてますよね

 

引用元: ・
https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/news/1779447895/

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