264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:06 ID:/Ynn8Ghp
戦国の常陸といえば、大抵真っ先に鬼佐竹が出る人が多いと思うんだが
今回はそんな佐竹を背後からつついては殴られ続ける生涯をおくったとある名族の話
常陸の小田氏は、関東八屋形にも名を連ねる鎌倉時代から続く名門中の名門だった
ただ名門というだけではなく、室町時代末期までは、
370年の長きに渡り、常陸国筑波郡とその周辺を支配した大豪族であったのだ
ところが例によって関東の名族にありがちな没落フラグが、
小田氏最後の名君、小田政治の晩年に立ってしまう
河越夜戦で古河公方に加勢してしまうのだ
河越で討ち死にこそしなかったが、政治はその後程なくして死去した
そして嫡男の氏治が14歳で家督を継ぐことになったわけなのだが
これで氏治が佐竹義重のような名将だったら歴史が変わっていただろう
氏治は一言で言うと「天才的な戦下手」であった
どんなに動員数が勝っていようが、どんなに外交の状況が有利だろうが
氏治が指揮を取っている、というそれだけで大潰走を引き起こす
上杉謙信とは別方向の意味で天才であった
結城氏に攻められて敗北し、主城を落とされ落ち延びる
多賀谷氏を攻めるも敗北し、逆に主城を落とされる
佐竹配下の太田資正と戦い敗北し、主城を落とされる
氏治にはカッとすると冷静に行動せずに最悪の場所に突っ込む癖や
一つの目的があるとそれだけに固執し果たすまで諦めないきらいがあり
そんな性格を利用されては策にはめられてしまうという一軍の大将としては致命的な欠点があった
ところが奇妙なもので、こんな氏治には命を懸けて忠誠を誓う優秀な家臣達が少なくなく
400年近くに渡って小田氏に支配されてきた領民は、小田氏をよく慕っていた
譜代の家臣であった菅谷一族は、菅谷政貞・範治親子を始めとして
敵からも賞賛されるほどに優秀な武将達であったが、
氏治が何度敗北しようと、主城を落とされようと、敵に降伏しようと、
嫡男が討ち死にしようと、変わらぬ忠誠で氏治を支え続けた
領民達も、自分たちの屋形は小田のお屋形様を除いてはいない!と
氏治を退けてやってくる他国の武将にはなかなか頭を垂れなかった
彼らは新しい領主に年貢を納めるのを拒否し、氏治の元にだけ年貢を納め続けた
265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:55 ID:/Ynn8Ghp
1558年、越後の上杉景虎が関東の戦国世界に介入を開始する
佐竹・多賀谷といった小田氏の敵対勢力は早速その助力を仰いでいた
氏治は数回小田城を落とされ、それを取り返し、また奪われと
彼にしては十分すぎるほど善戦したが、軍神と負け戦の天才の戦いである
結局最後には大敗北し、小田氏は上杉に降伏、後の鬼佐竹義重の父、義昭と講和した
その後はしばらく軍神率いる上杉軍の下で佐竹氏や宇都宮氏と共に
結城氏を攻めたり、小田原を囲んだりしていた氏治だったが
暴れ疲れた軍神が越後に帰るとすぐに、佐竹氏からじわじわと圧力をかけられ始める
1563年、佐竹の圧力に耐えられなくなった氏治は謙信を裏切り北条に鞍替えをした
この行動は当然上杉を怒らせ、早速小田は佐竹・宇都宮・上杉から攻められる
氏治はまた負けて主城を追われ、土浦城に逃げ込んだ
この時奪われた土地は大半が佐竹のものとなった
がしかし、しばらくして領地奪還のチャンスがやってきた
佐竹義昭が死に、息子の義重が家督を継いだのだ
「当主の代替わりがあった時に攻め込むのは関東じゃご祝儀みたいなもんだよね」
とばかりに氏治は佐竹に取られた旧領に攻め込み、小田城を取り返した
ところが、これが再び軍神をブチ切れさせることになる
「喪も明けてない内から、代替わりがあったばかりの家に攻め込む不義、捨ておけぬ!」
義人謙信に関東の常識など通用しない
小田城は怒りの総攻撃を受けまた落城、氏治はまた土浦城に逃れた
捕らえられた小田の人間は人身売買にかけられたという
謙信はそれほど怒っていたのだ
氏治は結局また、城を二度と修復しないことを条件に上杉に降伏した
しかし上杉に降伏しても佐竹が攻めてこないわけではない
佐竹は徐々に小田の領土を浸食し、たびたび焼き討ちにも現れた
こんな状況では他に方法も無いと謙信に頼み込んで佐竹討伐を願ったが
上杉にとって関東では大事な同盟国である佐竹を謙信は攻めてはくれなかった
小田はこの後、太田資正・梶原景国・真壁氏幹といった佐竹配下の猛将に、
何度もフルボッコにされながら、なんとか小田城を死守していたが
戦に勝てない大将が指揮しているわけだからそれも続かない
266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:01:55 ID:/Ynn8Ghp
1573年、佐竹の猛攻の前に小田城が最後の落城をする。
以降氏治は小田城を奪還できなかった
ここにきても氏治のどうしようもない運の悪さと戦下手は治らなかった
氏治は小田城の奪還にこだわって、それを知る太田資正の采配に踊らされ続けた
負け戦に続く負け戦で、いよいよ残る拠点は藤沢城と土浦城のみになってしまう
小田氏の家臣達は小勢ながらここが死にどころであると奮起し、最期の戦いに討って出た
まず、藤沢城が落ちる
主将・由良憲綱、戸崎長俊等多くの家臣がここに討ち死にした
更に最後の城、土浦城が佐竹軍に完全包囲される
そんな中でも裏切りは少なく、家臣達は沼尻播摩守を屋形の身代わりとし
氏治とその子守治を城から脱出させると城に火を放ち、
16騎の侍大将が佐竹軍に切りかかり討ち死にした
身代わりとなった沼尻播摩守は城内で切腹した
脱出した氏治にもう他に手はない
一路小田原を目指し、北条氏に息子を人質として差し出すと必死に懇願し助けを乞うた
氏治の懇願を北条は聞き届け、北条氏房が土浦城を攻めた
ところがこの土浦城には、佐竹に捕縛され降伏していた旧小田家臣、菅谷範政が入っていた
範政は喜んで再び小田に降り、城をそのまま明け渡した
彼はいまだに小田への忠義に生きていたのだ
なんとか滅亡を免れたものの、隣の佐竹は相変わらず強大だった
ある程度旧領を回復した氏治は、佐竹と相変わらず小さな衝突を繰り返しながら、
協調してみたり、逆らってみたりと、喉元の小骨のような小さな嫌がらせをしていく
この頃になると、佐竹は伊達氏の南下の動きの前に北部へ兵を集中させねばならなくなった
こういうチャンスを狙って、また氏治は旧領奪還を狙う
彼は未だに小田城を取り返すことにこだわっていた
そして今度こそは奪還できるかと思われた
が、しかしここで関東の戦国が突如終了する
267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:03:49 ID:/Ynn8Ghp
秀吉がやってきたのである
親豊臣の佐竹と敵対していた上に北条の勢力下にいて、
しかも秀吉の元に参じなかった小田氏はあっさりと改易された
小田氏治の生涯をかけた戦いはそれですっぱり終わってしまった
全てを失った氏治は娘が結城秀康の側室であったことから秀康の元で客分として迎えられ、
宿敵であった佐竹が関ヶ原で負けた西軍について大騒ぎになっているのを知ってか知らずか
1601年、越前で死んだ
戦国時代の最後の最後まで、弱小ながら戦国大名であり続けたとある主君のお話