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戦国史の名場面として知られる「金ヶ崎退き口」。織田信長が浅井長政の裏切りによって絶体絶命の危機に陥ったこの撤退戦は、後に「秀吉の大手柄」として語られることが多い。しかし、本当に信長を救ったのは羽柴秀吉ただ一人だったのだろうか。
当時の史料を丹念に読み解くと、明智光秀の存在を無視できない事実が浮かび上がってくる。さらに、同時代の記録には、秀吉単独説とは異なる内容も確認できる。今回は、「金ヶ崎退き口」の実像について、複数の史料をもとに検証してみたい。
浅井長政の裏切り――信長、最大級の危機へ
元亀元年(1570)4月、織田勢は若狭方面から越前へ侵攻し、朝倉氏の領国へ攻め込んだ。その際、秀吉も命を受けて出陣した。織田軍は敦賀郡に進出し、手筒山城(福井県敦賀市)を落とし、さらに金ヶ崎城・疋田城の攻略にも成功した。軍勢は順調に進撃し、朝倉氏の本拠・一乗谷(福井市)へ迫ろうとしていた。
ところが、その矢先である。同盟者であった浅井長政の裏切りが判明した。信長は妹・お市を長政に嫁がせていたのだから、この報せが与えた衝撃は計り知れないものがあった。越前の奥深くまで進軍していた織田軍は、瞬く間に敵中へ孤立する危険にさらされたのである。
「金ヶ崎退き口」――命がけの大撤退
同年4月30日、信長は明智光秀と秀吉を金ヶ崎城に残し、自身は朽木越を経て琵琶湖西岸ルートから、命からがら京都へ撤退した。この危機的状況における撤退戦が、いわゆる「金ヶ崎退き口」である。織田信長の伝記『信長公記』によると、信長は当初、長政の裏切りを信じることができなかったという。
しかし、各地から謀反の報告が相次いだため、金ヶ崎城(福井県敦賀市)に羽柴秀吉を残し、土地勘のある近江の朽木氏の支援を受けつつ、朽木越を通って京都へ帰還したと記されている。この記述が、後に「秀吉が殿(しんがり)を務めた」という説の有力な根拠となった。
「私を残してください」――秀吉の申し出
別の史料である『当代記』によれば、長政の離反を知った信長は、まず長政を討つべきかどうかを検討し、誰を金ヶ崎城に残すかが議論となったという。その際、秀吉は自ら「私を残してください」と申し出たとされる。信長はその申し出を喜び、秀吉を殿として残したと伝えられている。
この逸話は、秀吉の忠義と勇気を象徴するものとして広く知られている。また、『寛永諸家系図伝』では、蜂須賀正勝、木村常陸介、生駒親正、前野長泰、加藤光泰の5人を殿とする記述がみえる。ただし、これらの武将は殿そのものというより、殿の部隊に加わっていたと解するのが妥当であろう。
実は光秀もいた――一次史料が示す「3人の殿」
ところが、ここで注目すべき史料がある。元亀元年(1570)5月4日付の一色藤長書状(『武家雲箋』)である。この書状によれば、金ヶ崎城に残ったのは、秀吉・明智光秀・池田勝正の3人であったという。この書状は、出来事から間もない時期に作成された史料であり、その史料的価値は高い。
したがって、「秀吉単独説」ではなく、複数の武将が殿を担ったと理解する方が、史料の性質から見て妥当であろう。すなわち、「金ヶ崎退き口」は、秀吉一人の活躍によって成し遂げられたものではなかった可能性が高いのである。
約2000人の犠牲――想像以上に過酷だった撤退戦
『多聞院日記』によると、この撤退は決して容易なものではなかった。信長軍は、約2000もの兵を失ったと伝えられている。当初、織田軍は圧倒的な勢いで越前へ侵攻していた。それにもかかわらず、これほどの損害を出したという事実は、朝倉軍の反撃がいかに激しかったかを物語っている。
もし、このとき信長が討たれていれば、日本の歴史は大きく変わっていた可能性が高い。
信長を救ったのは誰だったのか
「金ヶ崎退き口」は、戦国史上でも屈指の危機として知られている。その功績は、しばしば秀吉一人の手柄として語られてきた。しかし、一次史料を丁寧に検討すると、そこには明智光秀や池田勝正といった武将の存在が確かに確認できる。
つまり、この撤退戦は一人の英雄によってではなく、複数の家臣の働きによって成功したと考えるべきだろう。秀吉や光秀ら有能な家臣の働きがあったからこそ、信長は九死に一生を得ることができたのである。
主要参考文献
拙著『明智光秀と本能寺の変』(ちくま新書、2019年)など。
渡邊大門
1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
PKありきの不完全版商法にウンザリしてるあたり
やっぱり秀吉が最後尾でそれを光秀が助けるような描写だったと思う
それでボロボロで帰ってきた秀吉が馬鹿にされてるのを見て秀吉がどれだけ頑張ったか説明しながら一喝する
大河ドラマやると毎回主役が金ケ崎の退き口で大活躍してるな
新選組の階段落ちみたいなもんか
松永久秀の活躍(金ヶ崎の撤退戦)
浅井長政の裏切りをいち早く察知・通報
近江・若狭方面の外交・諜報を担当していた松永久秀が、浅井方の不審な動きに気づき、織田信長に通報したと『朝倉記』に記載されている。
朽木元綱の説得と信長の京都帰還への貢献
信長が朽木越えで京都へ逃れる際、朽木元綱は当初、信長を殺害する意図を持っていた。しかし、松永久秀が元綱を説得して翻意させたため、信長は無事に京へ帰還できたとされる(『朝倉記』より)。
これ
実際は秀吉が家康をこき使って成功させた
信長だけ変装して逃げたらダメなの?
いくらでもなんとでもなりそうだけどな
昨日の大河はその辺逆に描いてて酷かったよなぁ
金ヶ崎でどうする!家康では残ってたね
というか秀吉に脅迫されてなんだよな
秀吉、家康、光秀、池田勝正らが殿として記録されてるよね
このメンツはこの後なかなか数奇な運命を辿るよなぁ
この激戦に参加するほどの猛将の池田勝正なんて荒木村重の反乱に会うし
家康が重用されたのは武田や北条への抑えが期待できたからで入れ替えは無理
信長が伸びるのにあの位置に有能で裏切らない家康がいたのはデカいよな
背後を気にせず西に集中出来た
あの時代に約束守り続けるとか有り得んから律儀者の評価に繋がるってのはまあ分かる
一国の主でありながらパシリのように使われ
理不尽な要求にも従い裏切らず
そこを乗っ取った出自の卑しい家臣に臣従もするし
凄い人だよ
こいつ主人公の転生もののなろう小説が売れているぞ
朽木と松永も絡めて
この時点での格から言って池田勝正が大将格だよな
朽木と交渉して信長の逃走ルート確保した松永久秀が一番の功労者だと思うけど
あと家康が加わったっていうのはのちの創作らしい
家康については朝倉記や当代記にも書かれてるので史実として見て良いのでは
荒木村重らが弟担いで反乱
撤退戦の立役者は
確実に殺せると思ってたからだよな当然w
志賀の陣という第3幕があるんですよ
ここ大河で描かれないから知らない人多い
それなのに重臣扱いなのは何故なんだぜ
信長が若い頃から側にいたから
前田利家は信長の稚児。あと性格良いw 従って主君にも上司の勝家にも天下人の秀吉にも好かれたから
柴田は普通に戦も強いし北陸方面司令官だから活躍してるし甕も割ってるw
>>147
もともと高い地位にある譜代は冒険をしないで
主君の身辺に侍して主君を守るという一見カッコいいけど
地味で確実な仕事をする
要は公務員
秀吉のように成り上がりたい才気走った連中が織田家の勢力を拡大した
大河秀吉では家康も残ってたよ
松永久秀だろ
浅井の裏切りに気づいたのも、朽木ルートの提案も、朽木との交渉も
さすが裏切りのプロだけあって、裏切り対応力がパない
秀吉一人の功績なんて一度も言われたことねーだろ。絶対に明智とセットで語られるのに
信長公記って意図して光秀の功績削除してるフシが結構あるんだよね
センゴクの長篠の戦いでも指摘されてたけど
文脈と前後の歴史上記録されてないとおかしいはずなのにサッパリ消えてたり
いつも不思議に思うんだけど、金ヶ崎退き口では、
織田軍約3万人に対して、浅井浅倉軍約1.5万人だろ。
戦ったとしても、そう簡単に負けないと思う。
撤退戦なの多少被害が出たかもしれないが、
相手も恐れて、深追いは出来なかったと思う。
軍隊ってのは今も昔も包囲に弱いのよ
>>215
挟み撃ちというカタチだから大軍でも不利
特に背後の浅井が寝返ったことで補給ルートが事実上閉ざされたというのは絶望的だった
信長軍の補給ルートは浅井領経由が主流だったはず、鯖街道は道が険しいし朽木谷ルートも同じ堅田から船で物資を北部に運んでもそこは浅井領になる
浅井長政が寝返った時点でのあの戦は負け
軍事行動は兵站を確保した上で最悪の事態が起きる可能性を潰しながら展開される
圧倒的優位な状況だったはずなのに予期しない寝返りの発生によって
総大将信長が逃げ場を失って敵に捕獲される恐れが出てきたという状況で
戦い続けることはできないよ
浅井長政が裏切ったのは何でなん?
誰かも言ってるけど、裏切らなきゃ秀吉か家康の位置に居たろ
・朝倉家への忠義
・領土の不満
・上から目線の信長嫌い
全部あるんだろうけど決定打じゃない、
近江の領土問題で揉めてて信長が、
浅井と敵対する京極?に阿ったから、
という分析もあるが、ハッキリしない
家中問題が一番大きいかもね
朝倉との同盟を重視するやつがあまりに多く織田との同盟に固執すれば完全に家中が分裂してた。親父である久政の威光もまだ強かったし
短い間に京極を裏切って六角を裏切ってる信用のない一族だからそこまで取り立てられないと思われ
いつものように博打をうって裏切った結果、失敗しただけでしょ?
>>256
信長視点では「妹(お市の方)やったし、裏切らんやろ・・」て、
途中まで、浅井長政の裏切りを信じてなかった
京極だけじゃなく、六角も裏切ってたっけ?
朝倉攻めには事前に相談すべしとの約束を破ったのは信長だからね
若狭の武藤を討つとの名目なのに朝倉攻めを始められたからだけど宿老会議で強硬派を抑えられなかったのは長政的には痛恨事やね
>>280
そういや遠山一族っていう、
武田領と織田領の緩衝地帯を、
勝手に織田領にしてしまったのが、
武田信玄に依る、信長討伐の理由らしい
信長ってヅランプみたいで、そういうとこあるよな
ただ、妹のお市の方を嫁がせたので、
勝手に近しい仲と錯覚してたのかも
お艶の方の話悲惨すぎて
明智光秀(山崎の戦)後は、柴田勝家のお嫁さんだっけ
お艶の方は遠山氏に嫁いだ信長の叔母にあたる一族の人
秋山虎繁の侵攻の際武田側に寝返ったため長篠の戦い後に攻められて秋山ともども磔にされた
引用元: ・
https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1776026399/