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【視聴率】「真田丸」第38話視聴率は15・7% 信繁に策残し…昌幸帰らぬ人に
俳優の堺雅人(42)が主演を務めるNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)の
第38話が25日に放送され、平均視聴率は15・7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)
だったことが26日、分かった。
大坂編がスタートした第14話から15%超をマークするなど高水準で推移。
“新章”に突入した第32話からも15・8%、第33話18・0%と好調をキープしていた。
8月28日に放送された第34話は日本テレビの24時間テレビと重なり
13・2%で自己最低を記録したが、第35話では15・0%と回復。さらに
第36話16・5%、第37話17・3%とポイントを上げていた。
大河ドラマ55作目。戦国時代最後の名将・真田幸村=本名・真田信繁(のぶしげ)の
生涯を描く。ヒットメーカー・三谷幸喜氏(55)が「新選組!」(2004年)以来、
2度目の大河脚本。タイトルの「真田丸」は大坂冬の陣で信繁が築いた最強の砦。
同時に、家族の物語として一艘の船に例えた。演出は木村隆文氏ほか。全50話。
第37話は「昌幸」。昌幸(草刈正雄)、信繁(堺)ら一行は、紀伊国・
九度山村に流罪となった。昌幸は、信之(大泉洋)を通じて何度も釈放を願い出るが、
家康(内野聖陽)はそれを無視して着々と天下取りを進めていく。一方、
きり(長澤まさみ)と春(松岡茉優)は、一つ屋根の下で暮らすことになった。
信繁ときりの信濃での思い出話を聞いた春は、思い悩む。徳川に許されず、
落ち込む昌幸の元に、九度山の村人たちが「戦い方を教えてくれ」と訪ねて来る…という
展開だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000094-spnannex-ent
引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1474852562
ネタバレしてたからな
それを言ったら歴史ものは全部結末分かってるじゃん
お前は何を言ってるんだ
勝てなくても自分の信念に基づいて命をかけて戦うのが見どころなのに
注意
この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、
実在のものとは関係ありません。
落ちていく様すら面白く書けるのが才能
逆に強い武将が落ちていく様が日本人好みで面白い
義経とか西郷はんとか
今年は秀頼が有能そうだし、勝てそうよ
昌幸「まだまだ分からんぞ!」
「もうおやめください!」
最大の見せ場だ
ワロタw
地味すぎw
無知ですみません。
真田紐って何ですか?
サナダムシの語源となった紐
当時の武家社会で大ブームとなった。
信繁がありとあらゆる女に取り入って、蟄居先での借金を返すために奔走する。
予告でも女出てきてただろ。
今日の「ヒモ」の語源
>>297
ありがとうございます。勉強になります。来週も楽しみになりました。
お、幸村名乗るんかー
と思ってからのソレだから笑ったわ
ドラマでは一切無かったのに
「親方様~!!」
とか言って絶命していくのは
視聴者おいてけぼりでしょ
歴史知らないときついなあの場面は
昌幸の武将としての師匠は信玄だし
近習としてそばにつかえてた
最初から見てる人ならわかるだろ
昌幸が信玄の亡霊見るの二回目だし
最初から観てりゃ解る話
横で見てた歴史を知らない嫁は「親方様って秀吉?」なんて言ってたからな
それなりに知ってる奴でも
勝頼?信玄?どっち?
って聞いてきたからなぁ
ぬっ、ヌートリアやっ!
最初から見てれば解るだろw
それより信玄は死神かよって思ったが
暴れん坊将軍が登場しそうな効果音に笑ってしまった
なんか変わったな
百戦錬磨の男が、あんなしょうもない小細工にやられるもんかね?
へうげものでは、トイレで暗殺されてたな。
影武者徳川家康の暗殺方法が近かったな
加藤清正の「下がれ」って言われて家康の方に下がるのはよかったね。頭いいわ
あれそういう意味だったのか!家康側が下座ってことね
アホで気付かなかった。ありがとう腑に落ちたわ
息子の代で改易食らうんだから悲惨だな
筋肉馬鹿の末路なんてあんなもんだよ
三国志の張飛だって
部下に寝首かかれたし
筋肉馬鹿が自分の領地であれほどの土木工事をやるかよ
加藤清正は確かな史実だけ見ると
土木や建築に優れた能力を発揮した官僚
筋肉馬鹿の要素は一切なく
肖像画も髭面ではない
江戸時代は清正を張飛と混同してたとしか思えない
虎退治のせいじゃない?
虎退治も鉄砲で殺しただろうから
筋肉バカである必要ないんだよな
ぷすっぷすっぷすっ
話を始めたほうが良かったね。それがないと、昨日の「親方さま」もわかんないだけじゃなくて
昌幸がなんであそこまで信濃や甲州にこだわるのかが、わかんないしね
ドラマとしてもそのほうが新しかった
スピンオフで見たいかも
昌幸の成り上がるとこ
昔の真田太平記もスタートは武田の崩壊からだったね
合わせたのかな
昌幸、よく信長との戦で生き残ったなあ。後方だったのかな
時代考証の丸島和洋さんのTweet特集 さなイチ 別冊!インタビュー 回顧録 真田昌幸よ、永遠に|大河ドラマ『真田丸』 記憶に残る強烈な名ゼリフの数々を、写真とともに振り返ります。http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/special/subject/subject43.html九度山蟄居生活第一回は、昌幸死去という大きな回でした。慶長6年にはじまり、同16年4月まで、ということになります。九度山の蟄居生活。ドラマでは、設定上「九度山村からは出られない」としていますが(もっとも九度山村の村域が周辺の山を含んでいる形)、実際は高野山領であれば自由に行くことができました。浅野領の境までは行ってもOK。監視役の浅野家臣。三谷さんから「浅野家臣の誰だかわかりますか」というご質問がNHKを通じて頂戴しました。ただ、実際には九度山村は高野山領でして、文殊院という僧侶が責任者でした。浅野も監視していましたが、それが具体的に誰だかはわかりません。そこで、浅野家臣のうち、高野山との交渉役をわかる範囲でリスト化し、御送りしました。その結果、竹本義太夫という人物に落ち着きました。私は無教養なもので、浄瑠璃語りの著名人と同名とは気がつきませんでした(後から周りに指摘されました)。なので、浄瑠璃の義太夫との関係はわかりません。信之が書状をしたためているシーン。考証冥利に尽きる場面でした。書状を収める封紙の裏側に「真田伊豆守」のように苗字+通称(「裏書き」といいます)を書き記すというのは、今までの大河ではやった記憶がないそうです。今回の小道具は、差出と宛先の関係を考慮して、必要な裏書きを書いてもらっているのですが、筆で書いている場面そのものの映像化は、本大河でも初です。事前に、どの順番で書くのか問い合わせがあったのはこのためだったのか、と思いました。昌幸は国許と頻繁に家臣を往来させており、信之や三男の昌親からは年100両にものぼる支援を受けています。また、浅野家から年50石、さらに蓮華定院からも支援があったそうですが、昌幸はあっという間に使い果たしてしまい、追加の支援や借金の無心を繰り返しています。信之の昌幸赦免嘆願。本多正信が軸となります。これは、正信が徳川と真田を結ぶ取次役で、真田家に助言をする立場にあったためです。慶長10年2月には、昌幸の台詞通り、赦免の可能性が出ており、正信からはどうも前向きな回答があったようです。ただ、家康が頷くことはありませんでした。最終的に、昌幸死去の報に接した本多正信は、「公儀御憚りの仁」であるため、昌幸葬儀を沼田で執り行ってよいか、幕府に伺いをたてるよう助言をするにいたります。高野山奥之院にある北条氏直の供養塔です。命日が刻まれているため、没後に家督を嗣いだ従兄弟氏盛の建立でしょう。形状は、中世末期のものでよさそうです。奥之院にある北条家墓所の左奥隅にあります。探してみて下さい。![CtM2PF5UsAAeJco[1]](http://livedoor.blogimg.jp/niccorin/imgs/6/2/62470468.jpg)
板部岡江雪斎と信繁の邂逅。秀吉が橋本町を整備して以後、九度山村の隣の学文路村(現橋本市)→河根峠(現九度山町)が高野山への参詣路となっていました。ドラマ上で九度山村と争っていたのが、この学文路(かむろ)村になります。九度山村はこの地域一帯の交易拠点、学文路村は参詣路として栄えます。架空の村というわけにもいかないので、学文路村をご提案しました。同村が隣接諸村のなかで九度山村と並ぶ規模で山が近い村で、九度山村(高野山領)と違って、高野山・和歌山藩の相給であったためです。「浅野の殿様に訴えよ」という台詞を、考証上裏付けたかった次第です。二条城会見。実際には加藤清正は、娘と婚約した家康の子・頼宣(紀伊徳川家の祖)の後見として、秀頼を出迎える立場にいました。ですので、家康が清正および彼が支える秀頼を恐れる必要は無く、毒殺というのも事実ではありません。ただ、浅野幸長とともに急逝したため、あらぬ噂が立ったのです。あ、阿梅の生母の件がありました。幕末に編纂された真田氏の正史のうち信繁伝である『左衛門佐君伝記稿』には、高梨内記の娘(きり)の子とありますが、真田六文会(真田氏子孫の会)の調査では高梨内記の娘じたいが登場しません。阿梅は最終的に片倉重長(白石城代)に嫁ぎますが、菩提寺当信寺の過去帳には、竹林院殿(春)の記載はあるものの、高梨内記娘(きり)に該当しそうな人物はいないようです。わざわざ京都に在住していた竹林院殿の供養をしていることからすると、竹林院殿の娘の可能性が否定できません。追加。本多忠勝死後、信之はただちに桑名に弔問に訪れています。それまでの間、忠勝は頻繁に草津温泉湯治を計画。なんども沼田にやってきては「娘をよろしゅう」と信之の家臣に頼んでまわっていたようです。北条氏直。小田原合戦後、高野山追放となりますが、翌年、舅である徳川家康の嘆願により約1万石の大名に復帰。しかしその過程で、疱瘡で死去してしまいました。家督は、叔父氏規(家康幼馴染み・対秀吉外交担当)の子氏盛が嗣ぐことになります。河内狭山藩北条氏のはじまりです。―【展丸】「大阪展」開催中!借金に追われる九度山の生活 国元への送金の催促上田市指定文化財「真田昌幸書状」(年不詳)正月5日付上田市教育委員会※10月5日からの限定展示11月6日(日)まで大阪歴史博物館で開催中!
丸島和洋さんがリツイートいまRTした昌幸の書状でみていただきたい点は、花押です。昌幸は小田原合戦を契機にそれまでの武田様花押(信玄を模倣した花押)からまったく独自の花押に変更するのですが、九度山配流後に、かつての武田様花押に戻しています。栄光の時代を懐かしむ、心境の程が窺えます。板部岡江雪斎役の山西惇さんのTweet「真田丸」ご覧いただいた皆さんホントにありがとうございました!!史実ではこれで板部岡江雪斎退場でございます。最後の信繁さんとのシーン、三谷さんの愛を感じました。胸を張って代表作といえる作品、役柄に出会えたこと、スタッフ、共演者の皆さんに感謝します。勿論応援して下さった皆さ
んにも!![CtNPPMpVUAEIq9n[1]](http://livedoor.blogimg.jp/niccorin/imgs/a/b/abe77596-s.jpg)
