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権臣達に擁立された傀儡から脱皮できた大名

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1:人間七七四年:2011/08/05(金) 14:20:48.15 ID:FeblkH5k.net

失敗した者と言えば秀信や信雄や秀頼か。

2:人間七七四年:2011/08/05(金) 14:21:54.16 ID:ZpPFu/ZL.net

成功例として誰を出したいのかだいたいわかったから終了
24:人間七七四年:2011/08/09(火) 20:12:01.86 ID:HqPsJ+PW.net

>>2って誰のことが言いたかったの?
5:人間七七四年:2011/08/05(金) 14:55:57.26 ID:FeblkH5k.net

>>2
私は道三を殺した斉藤義龍を出すつもりでした。
8:人間七七四年:2011/08/06(土) 01:22:36.42 ID:O4Co4OEx.net

>>5
そういや斉藤義龍も家臣団による合議制に後退しちゃったよな。
10:人間七七四年:2011/08/06(土) 14:21:39.78 ID:mW5r8/lQ.net

>>8
合議制=傀儡というのは違うんでないの。
15:人間七七四年:2011/08/07(日) 02:41:29.04 ID:6qDIYWP7.net

>>10
三好や浅井に敗れ権威失墜したため家臣団によって六角義賢と義治が観音寺城を追放された時に
蒲生氏の斡旋で帰城した際に六角式目に署名させられて当主権限が縮小され
より国人たちによる合議制が強化され六角氏が弱体化したのがマニュアルと言うか前例として参考にされたのが
斎藤龍興時代の竹中による居城乗っ取りなんだろう。
そもそも重臣らが義龍を擁立し、強権をかざす道三を殺して合議制に移行し義龍を傀儡化していたが
義龍がたびたび信長を破ったために傀儡を脱して美濃衆を統帥し指導力を発揮したが死去。
その流れで幼君龍興の時はうまく引き継がれたが、
信長を撃破するうちに次第に若さと驕りが生まれて放蕩するようになったために重臣の安藤や竹中による居城乗っ取りクーデターが発生したんだろうな。
これらの動きは将軍の傀儡化と共に幼君三好義継を傀儡にした三好三人衆や松永らの動きの影響もあっただろう。
こうした動きは山城→近江→美濃や若狭武田へと畿内の外へ外へと伝播してきていたが
斯波家が守護だった越前や尾張ではすでに守護を排除した守護代朝倉や守護代織田氏すらも排除した織田三奉行家と言う下克上勢力による統治がなされている地方地域では影響されなかった。
4:人間七七四年:2011/08/05(金) 14:51:20.54 ID:eYlI9vJL.net

父が殺された大友宗麟と
父が追放された武田信玄
いずれも重臣たちによる合議の衆議によって政策決定される傀儡にされてる。
守護大名家が下克上された際の典型的なモデルに成り下がっている。
6:人間七七四年:2011/08/05(金) 18:33:29.71 ID:YTe+jzfM.net

今川義元
雪斎がいなければ、重臣とか信玄の言いなりだったろう
7:人間七七四年:2011/08/05(金) 19:54:54.17 ID:hEoylKUp.net

雪斎がいないとそもそも家督継承時の正当性と勢力を確立できないから
義元は当主の座にあがれないのではないか
12:人間七七四年:2011/08/06(土) 15:13:58.04 ID:SXY53EsR.net

>>7
今川重臣は福島一族に反感抱いてたようだから、どうあっても義元派に回ったろう
まあ、武田か北条の介入受けるかなあ
14:人間七七四年:2011/08/07(日) 01:16:41.17 ID:6j+Ig3dC.net

>>12
還俗して跡を継ぐタイプは傀儡にされかかるけど脱するケースも多いね。
謙信もそうだったし。
還俗直後は周囲の家臣も「坊主が」と舐めてかかるからね。
13:人間七七四年:2011/08/06(土) 19:15:38.26 ID:/0SdCgpm.net

武田晴信はうるさい家臣らをうまいこと始末していって自分の体制を取り戻せたね
18:人間七七四年:2011/08/07(日) 09:37:44.73 ID:5bOHQTY1.net

赤松義村は家中を牛耳る浦上村宗を排斥してキレて居城に篭った村宗の討伐令出すまではシナリオ通りだったのに…

まさかあんな惨めな死に方するとは思いもしなかっただろう。

赤松 義村(あかまつ よしむら)は戦国時代前期(室町時代後期)の播磨の守護大名・戦国大名。赤松家の第10代当主(当主在職:明応4年(1496年)4月 - 永正17年(1520年))。播磨・備前・美作の3国を支配した戦国大名で、赤松家中興の第9代当主・赤松政則の婿養子に当たる。義村の家系は第5代当主・範資から始まる七条家の家系で、義村は範資の6代孫に当たる。父は七条政資(まさすけ)で、以後の赤松宗家は江戸時代直前に滅亡するまで義村の家系が家督を相続した。義村は政則の代から行われていた赤松家の戦国大名化をさらに推し進めるべく大名権力の強化を図ったが、守護代の浦上村宗がそれに反発して対立。播磨など赤松領で内紛となる。義村は村宗に敗れ、家督を嫡子の才松丸(のちの晴政)に譲って隠居したが、復権を図って再度村宗と対立したため、村宗により暗殺されて赤松家は没落した。


19:人間七七四年:2011/08/07(日) 11:39:51.05 ID:4CIKaGq7.net

意外にまともなスレ
20:人間七七四年:2011/08/07(日) 17:38:32.75 ID:ZQbG9UIz.net

浅井長政も国人達に擁立され
父を竹生島に幽閉してるし
けっこう畿内近郊ではブームになってるよね。
だけど父と和解して六角とも歩み寄りしたりと不安定だったね。
父の勢力を牽制する意味で、反三好・六角義賢親子の江州殿率いる六角一族・甲賀衆や義昭らの斡旋で市を嫁に迎えて独自行動したんだろうが、
結局、江州殿の力で上洛を成功させるまではうまくいっていたが、
もともと体調がよくなかった江州殿の死去を聞いて信長が言語に絶したと共に
長政に義賢が戻ってくることに用心しろと伝えているが
江州殿が織田と浅井の婚姻を取り持ってたから
その死とともに織田と浅井の同盟は崩壊し、長政は父と同じ道を歩むことになるんだよな。
21:人間七七四年:2011/08/07(日) 18:01:09.53 ID:MLR7INB2.net

那須資胤は苦しみながらも一応は傀儡からは脱却できてるかな
22:人間七七四年:2011/08/07(日) 21:03:17.87 ID:LoOlPXMw.net

武田信玄もこれかな
32:人間七七四年:2011/09/07(水) 15:20:56.07 ID:gj9EbwlS.net

足利義教
33:人間七七四年:2011/11/18(金) 00:48:51.98 ID:dqFx7jul.net

秀信は脱皮しようとした形跡がないし、秀頼は擁立って言うのか?
67:人間七七四年:2012/06/29(金) 14:58:12.52 ID:b/+HKYH8.net

足利義輝じゃないかな
結局殺されるけど
69:人間七七四年:2013/06/21(金) 10:47:31.44 ID:UbI1pXNB.net

父が殺された大友宗麟
父が追放された武田信玄
父が強制隠居に追込まれた上杉謙信
父を打倒せざるを得なかった斉藤義龍
父を竹生島に幽閉したがのち融和した浅井長政←失敗例
70:人間七七四年:2013/06/22(土) 23:43:08.68 ID:4kI26HX7.net

宇都宮成綱
苦闘の末に芳賀一族を粛清して中央集権化を半分成功させた
72:人間七七四年:2013/06/27(木) 08:46:56.33 ID:ZHVepmf8.net

基本的には守護大名は傀儡化されてたり、
守護代の専横が酷い状況だった。
信濃守護だった小笠原長秀は大塔合戦によって国人たちに追放され、
その後はそれぞれの国人が小笠原の血筋を好き勝手に傀儡にし守護家乱立し割拠。
跡部氏や逸見氏らが専横していた甲斐では、
甲斐守護武田信重が甲斐への入国を将軍から言われても拒否するほどだった。
17年後に無理やり入国させたが穴山氏に暗殺される始末。

鎌倉公方と将軍が勢力圏を争った信濃と甲斐はそれぞれが対抗勢力を支援して抗争させた為に、
守護権力は無力化されていった。

73:人間七七四年:2014/03/15(土) 11:37:23.88 ID:u7kM3jOb.net

信濃・甲斐・越後といった山谷国は群雄割拠しやすく、
国主の命に比較的早期からまったく従わずに利益追求が行われた。
それは国主在京とそれを支える在京費用負担によるところが大きい。
75:人間七七四年:2014/04/10(木) 18:38:32.41 ID:Xfj0TQYT.net

うーむ… 六角義賢…

在地有力領主や権臣を粛清して集権化を進めようとしたが、
領国という組織がガタガタになる副作用もあった

76:人間七七四年:2014/09/24(水) 15:16:03.92 ID:BAnClos+.net

諫言する家臣による傀儡から脱皮なら

一条兼定とか斎藤龍興とか。
手討ちや見限られてw。


引用元
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1312521648

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