1: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:50:59.06 ID:bHtumMm40
これは伊東義祐
伊東 義祐(いとう よしすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向国の戦国大名。日向伊東氏第11代当主(伊東氏第16代家督)。
日向国内の国人勢力を次々と平定して「日向四十八城」の体制を築き上げ、伊東氏の最大版図を実現、全盛期を創出した。官位は従三位・修理大夫にまで昇り、その権勢から「三位入道」と称された。本拠地・佐土原に京の文化を積極的に取り入れ、日向の地に華やかな貴族文化を根付かせたことでも知られる。
しかし、元亀3年(1572年)の木崎原の戦いにおいて島津義弘に大敗を喫したことを境に、家臣団の離反が相次ぎ勢力が急速に衰退。天正5年(1577年)には島津氏の侵攻を支えきれず、豊後の大友宗麟のもとへ亡命した(伊東崩れ)。これにより戦国大名としての伊東氏は一時滅亡した。
その後は黒木を撒いて独りで旅をしていたが、病に侵され祐兵の屋敷のある堺へ向かった。しかし便船の中で病衰し、面倒を嫌った船頭に砂浜に捨て置かれた。偶然にもそれを知った祐兵の従者(祐兵夫人らとの説も)に発見され、堺の屋敷で7日余り看病を受けたものの、甲斐無く死去した。享年73。
5: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:52:19.17 ID:ZGbhS/D50
小早川秀秋
6: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:52:22.10 ID:CjqKaQYc0
松永久秀
10: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:53:12.88 ID:ejbCAXX00
内ヶ島氏理定期
12: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:53:34.76 ID:n3pwRfBy0
のこぎり引きにされた人
杉谷 善住坊(すぎたに ぜんじゅうぼう、生年不詳 - 天正元年9月10日(1573年10月5日))は、安土桃山時代の人物。織田信長を火縄銃で狙撃したことで知られる。
暗殺されかけた事に激怒した信長の厳命で、徹底した犯人探しが行われた。その結果、近江国高島郡堀川村の阿弥陀寺に隠れていたところを、領主・磯野員昌に捕縛される。織田家へ引き渡された後は、菅屋長頼・祝重正によって尋問された後に、生きたまま首から下を土中に埋められ、竹製のノコギリで時間をかけて首を切断する鋸挽きの刑に処された。
13: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:54:34.50 ID:YvEfnMhG0
ある意味、信長だろ
あんなにブイブイ言わせてたのに、結局仲間に裏切られるって
18: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:57:30.26 ID:CjqKaQYc0
>>13
ハゲ煽り
14: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:54:36.54 ID:m/1tlQOH0
通算戦績28勝5分1敗とかいう龍蔵寺隆信
マジで化物やろ
15: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:55:07.66 ID:+iSz6sIt0
惨い死に方関係ないけど戦国乙女ならケンシンが一番好き
エッチ絵少ないの悲しい
17: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:57:25.84 ID:vT95mFiA0
地震で一族郎党死んでしまった人
21: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:58:12.96 ID:q4VgMbky0
なんか人違いでぶっ殺された人いなかったっけ?
27: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:00:35.92 ID:pmSSIw+A0
>>21
江戸時代だと細川家当主が人違いで殺されてるな
たまたま背中の家紋が似てたせいで
細川宗孝暗殺事件(1747年)
【事件の概要】 延享4年8月15日(1747年)、江戸城内において、板倉勝該(いたくら かつかね)が熊本藩主・細川宗孝を背後から斬りつけ、殺害した事件。加害者の勝該は、本来は別の人物を狙っていたが、「家紋」の見間違いによって無関係な宗孝を襲撃した。
【原因:家紋の酷似】 犯人の板倉勝該は、自身の本家筋にあたる板倉勝清に私怨を抱き、彼を殺害しようと企てていた。
標的(板倉勝清)の家紋: 「九曜巴(くようともえ)」
被害者(細川宗孝)の家紋: 「九曜(くよう)」
両者の紋は非常によく似ており(中心の円の周りに8つの小さな円があるデザイン)、勝該は城内の廊下(または洗面所付近)で見かけた宗孝の背紋を板倉のものと誤認し、一太刀浴びせた。宗孝は翌日に死亡した。
36: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:04:26.56 ID:q4VgMbky0
>>27
これかも
細川さんだから戦国時代と勘違いしてたかな
24: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 19:59:05.30 ID:pmSSIw+A0
自業自得だがある意味で酷い佐野宗綱
佐野 宗綱(さの むねつな)は、戦国時代の武将。佐野氏の第16代当主。佐野昌綱の嫡男。
天正13年(1585年)元旦、北条氏に与する長尾顕長と彦間で戦った際、敵将の挑発に乗り単騎で突出したところを鉄砲で撃たれ、落馬したところを討ち取られた[6]。それまで長尾勢との戦いにおいて宗綱は敵に遅れをとった事が無かったため、自身の武勇を過信し、敵を侮ったとされる。
25: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:00:25.39 ID:J8OwhCVj0
家康の長男
30: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:02:11.92 ID:RWedIxIf0
>>25
じゃあ武田の長男もそうやん
28: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:01:47.37 ID:AIdAXlfq0
竜造寺隆信
29: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:02:07.82 ID:CjqKaQYc0
謙信が悲惨なら家康も悲惨やん
食中毒やろ?
大名縛りやとあんまりおらんね
34: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:04:05.47 ID:m3i3eedO0
歴史疎いからよく分からんけどこういうのって大概は豊臣秀次が挙がるもんなんちゃうの?
実子生まれたからお前もういらんわってことで一族郎党まとめてやろ?
38: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:06:12.95 ID:s6WpzkEH0
別所長治さん
40: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:09:37.50 ID:YM9l7vq50
大名縛りだとそんなに無い
縛り無いなら竹のノコギリでゆっくり首切られた杉谷善住坊とか油で茹でられた石川五右衛門とか
43: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:14:11.60 ID:RWedIxIf0
化け猫騒動ある鍋島は?
46: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:15:02.89 ID:0Y2edP8I0
直前に嫁入りが決まってたってだけで
秀次と連座した最上の娘いたよな
47: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:15:46.37 ID:SWMTABft0
親父の家康に母親共々殺されちゃった松平信康
49: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:16:59.93 ID:pmSSIw+A0
そういやどっかの大河ドラマで結婚式の日に襲撃されて滅亡した家を見たな
赤松政秀の祝言襲撃(1564年)
【背景】 播磨国の有力者であった浦上政宗(清宗の父)は、勢力回復のために御着城主・小寺政職の家老であった黒田職隆(官兵衛の父)と結託し、政宗の嫡男・清宗と職隆の娘の縁談を成立させた。これにより浦上・黒田の強固な同盟が結ばれるはずであった。
【事件の経過】 永禄7年1月11日(1564年2月23日)、播磨国の室津城において、浦上清宗と黒田家の娘との祝言が華やかに行われた。
しかし、この同盟を極めて危険視していた人物がいた。龍野城主の赤松政秀である。政秀は祝言の夜、酒宴に酔いしれ警戒が緩みきった室津城を突如として急襲した。
凄惨な結末: 城内は突如として戦場と化し、新郎の浦上清宗および父の政宗は、戦う術もなく討ち取られた。
花嫁の行方: せっかくの晴れ舞台を血に染められた花嫁(黒田の娘)については、混乱の中で自害したとも、実家の黒田家へ逃げ延びたとも伝えられている。
50: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:18:30.69 ID:ZGbhS/D50
伊達政宗
母親に毒を盛られ無事死亡
53: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:19:56.48 ID:EyK8QrUK0
>>50
言うほど死んだか。わ
55: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:22:20.40 ID:39irXkX6a
>>50
好物の山鳥も出る心尽くしの膳
51: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:19:22.32 ID:5sWyjHsn0
伊東義祐って書こうとしたらイッチだった
52: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:19:44.51 ID:b2kBsoPP0
宴してたら大地震の崖崩れで一族滅んだ人やろ
56: それでも動く名無し 2025/12/17(水) 20:23:41.18 ID:XZBaq21K0
信長の野望の人物紹介で貧乏過ぎて餅食えんかったとか書かれてた奴はあんまええ死に方してなさそう
公文 重忠(くもん しげただ)は、戦国時代の武将。天竺氏、長宗我部氏の家臣。
大坂の陣で長宗我部氏が没落すると、公文氏は帰農して土着したとされる。公文式の創始者の数学者の公文公や、社会学者の公文俊平は後裔にあたる。貧乏で正月の餅つきが出来なかったため、城下ではそれが恒例となったという伝承がある。
引用元: ・
https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1765968659/