雑談

戦国武将の肖像画・木像など

1: 人間七七四年 2015/12/09(水) 22:43:27.48 ID:Jwz6WmjG.net

同じ人物を描いてるはずなのに、豊臣秀次のように
瑞泉寺と地蔵院に残る二つの肖像画では印象がだいぶ違かったり
信長や家康のように肖像画が多数あったりして
どれが実物に近いのかなど
あるいは本徳寺に残る光秀の肖像画、若く見えるけど、
いつ頃描かれたのかなど
戦国武将の容姿を現代に伝える画、像についての
疑問、興味、好みなどなんでも語りましょう

2: 人間七七四年 2015/12/09(水) 23:16:39.83 ID:Jwz6WmjG.net

地蔵院の方の秀次は穏やかな顔をしてるのに、
瑞泉寺の方はやけに狡猾そうな顔をしていて
その差が気になるんですよね
光秀の肖像画にしても結構中年になるくらい
牢人暮らしをしてた筈なのに三十代くらいに見えるし
信長の肖像画にしても一般的なイメージの物と西洋人が描いたと言われるものでは
差があるし、色々肖像画などに疑問を持ったので立ててみました
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3: 人間七七四年 2015/12/10(木) 09:51:42.49 ID:+HIrVYMp.net

前田利家の肖像画とか若い頃、信長の寵愛を受けてた美形には
とても見えないんだよなぁ
5: 人間七七四年 2015/12/11(金) 01:15:59.07 ID:ki4LQoG0.net

家康は年代がバラけてはいるけど
比較的容貌に統一性はある方だと思われ
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6: 人間七七四年 2015/12/11(金) 08:55:46.69 ID:XSe2YETs.net

>>5
しかみ像が異様なくらいか
7: 人間七七四年 2015/12/11(金) 10:52:57.43 ID:Ex31Ilfu.net

しかみ像も「伝」家康像で、顔も仏教の怒りの表情だという話が出てきたからなー

久能山所蔵の町人姿の奴が生前に描かれた肖像画だとか

8: 人間七七四年 2015/12/11(金) 22:21:14.99 ID:345WL7wn.net

信長の場合だったら宣教師が残したものと言われるものと
狩野永徳が描いたと言われるものでは差があるな
錦絵しか無い武将だって数多くいるし一点でも肖像画が残ってる武将は
まだ良い方だろう。まして複数、木像まで残ってるなら尚更だな
まあ秀秋や茶々みたいに残念な肖像画が残ってるのもなんだが
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9: 人間七七四年 2015/12/12(土) 00:33:24.07 ID:lcVLE0sC.net

>>8
なぜか足利義晴の肖像画が
すごく信長っぽかったりするw

町人姿の家康って、関ヶ原展にも出てたキム兄みたいなやつか…

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10: 人間七七四年 2015/12/12(土) 06:01:12.05 ID:AiLW47Ck.net

>>8
茶々といえば、息子の秀頼のいかにもお坊っちゃま顔をした肖像画、身長はともかく
そんな太っている様には見えないんだよなぁ
13: 人間七七四年 2015/12/12(土) 22:47:43.41 ID:lcVLE0sC.net

イケメンすぎる秀家ちゃまの肖像画って、あれ
後世の人が顕彰のために描いた一種の想像図みたいなものと聞いたんだが…
個人的には宣教師の信長像も、当時の絵ではなく
そういう感じで作られたものじゃないかと思っているのだが
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16: 人間七七四年 2015/12/13(日) 22:58:39.67 ID:igTcobql.net

>>13
戦国のイケメンと言えば井伊直政か
色々な資料でも容姿褒められてるし
肖像画見ても整った顔してるしな
息子の肖像画の方は結構残念な顔してるけど
15: 人間七七四年 2015/12/13(日) 20:46:56.13 ID:Ubnqc91l.net

立花宗茂の肖像画は
1643年に十時三弥が柳川の福厳寺に寄贈したもの
1654年の宗茂の13回忌に書かれた御花に展示されてるもの
1688年に土佐光起が書いた京都の大徳寺が所蔵してるもの
他にもあったと思うけど代表的なのはこの3枚かな
3枚ともだいぶ違う感じに書かれてるけど
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20: 人間七七四年 2015/12/14(月) 20:20:27.58 ID:V8ixQIHq.net

>>15
たしかにそれぞれ雰囲気違ってるよな
モミアゲの長くて、ゴツい感じはなんとなく共通してるがw

海坊主みたいな道雪の肖像画は、死後だいぶ経ってからのものだが
宗茂の依頼で描かれたってことで、まあ宗茂フィルターを通してではあるが
道雪本人の面影にそれなりに忠実だったのでは、と思う

17: 人間七七四年 2015/12/14(月) 02:46:29.97 ID:WEO8F6q1.net

若い頃の肖像画は殆どないからイケメンだったかどうかがわかりにくいね
戦国時代じゃないが源頼朝、義経兄弟
兄の方はなかなかの美形で弟がアレな感じがなんかリアリティ感じる
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19: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2015/12/14(月) 09:04:35.69 ID:5WJPGRRI.net

>>17
頼朝って昔言われていた肖像画って
本当は足利直義描いたものじゃないかって話なかったっけ?
21: 人間七七四年 2015/12/14(月) 21:01:59.35 ID:unlwDMlP.net

>>17
元服前の肖像画がある戦国武将って信長くらいか
尤も描かれたのは江戸時代みたいだけど
肖像画といっても佐竹義宣みたいな完全武装で残っててもなんだが
18: 人間七七四年 2015/12/14(月) 02:56:15.31 ID:9nsh/fY0.net

信長については残ってるものは、万人が認めるイケメンではないけど
どれもイケメンの部類には入ると思う
25: 人間七七四年 2015/12/15(火) 20:59:09.90 ID:KE+fbiC6.net

ヨーロッパの王侯なんかは子供時代からかなり肖像画残してるのに、日本はそう言う文化が根付いてなかったのは残念だね
28: 人間七七四年 2015/12/17(木) 09:44:24.21 ID:za2wQOas.net

>>25
秀吉とか鶴松とかに愛着深そうだったから、
遺影とか描かせてもよさそうなものだけど
そういう類の肖像画は日本では見かけないな
31: 人間七七四年 2015/12/20(日) 14:39:42.92 ID:cHdggH6Q.net

>>28
鶴松は遺影と遺像(おもちゃ付き)がそれぞれ存在するよ。
33: 人間七七四年 2015/12/22(火) 21:01:06.34 ID:IvvIrePA.net

>>31
あの鶴松の遺影、病弱なはずに加え、数えで3歳、満年齢なら2歳のわりに
大きい上ふくよかなんだよなぁ
秀頼の事を考えるとやっぱり母親の血か
30: 人間七七四年 2015/12/19(土) 23:11:07.46 ID:3hXd9aGH.net

武将の木像といえば、秀吉が葬儀のとき遺体の代わりにした信長の木像って
どんな感じに作らせたんだろうなぁ
34: 人間七七四年 2015/12/27(日) 09:21:10.07 ID:2gOHP/5c.net

夭逝したから遺影では健康そうに描かせたとか
35: 人間七七四年 2015/12/29(火) 22:50:39.62 ID:uNq0Tqt4.net

鶴松の顔はわりと端正に描かれてるし秀頼もいかにも育ちの良さそうな温和な顔に描かれてるのに
母親の茶々の肖像画の顔はひどいな
36: 人間七七四年 2016/01/01(金) 13:19:43.67 ID:rhnc83IE.net

光福寺にある秀吉の肖像画は他の肖像画と比べて、イメージが大分違うね
37: 人間七七四年 2016/01/02(土) 09:02:22.45 ID:AD8Z5/5v.net

武田信玄は
武田信玄がやっこさんみたいなやつ
武田晴信が最近NHKがよく採用する普通っぽい肖像画
信玄と晴信が別人格になりつつある
38: 人間七七四年 2016/01/02(土) 12:36:43.80 ID:nj5neM9h.net

信玄像だって言われてたのが実は畠山氏だったり、
戦国じゃないけど頼朝像だって言われてたのが足利直義像だったり
尊氏像と言われてたのは高一族の誰かと言われてるように
実は別人として伝わってる像がもっとありそうな気がするな
39: 人間七七四年 2016/01/03(日) 01:57:22.64 ID:GT9UTi7b.net

最近自閉症の人の、鉄道と背景の風景を一瞬見ただけで
そっくりに描いたって絵が公表されて話題になったけど
そういう人を絵師として採用しようとか思わなかったんだろうか?
46: 人間七七四年 2016/01/19(火) 13:49:45.58 ID:wVgpBTkV.net

>>39
葛飾北斎は作品からその節があったそうだ
似たとこでモーツァルトがサヴァン症候群と研究されてる

余談だが海外の宮廷画家は誇張して美しく描くのが当たり前なので
ありのままを描く人材は使われなかった
日本でも同じようなもんだと思われる

41: 人間七七四年 2016/01/07(木) 20:55:14.62 ID:42qVkKc0.net

九州のように大陸に近いところでは明国の皇帝と同じ様式の肖像画になってるのが面白い
絵の技法などどういう風に伝播してきたのか気になる
42: 人間七七四年 2016/01/08(金) 12:18:28.76 ID:vnWHvEqx.net

興味深い
43: 人間七七四年 2016/01/11(月) 14:08:38.78 ID:howIB+HS.net

石田三成の肖像って
同じ肖像画なのに取り上げられる文脈によって謀略を巡らす陰険な男に見えたり
ときに柔和で穏やかな人のいいおっさんに見えたりするから不思議
44: 人間七七四年 2016/01/13(水) 03:07:10.11 ID:3/ltyIsU.net

大阪の工場でバイトしてた時
秀吉の肖像画にそっくりなおっさんがいた
誰もツッコまないのかなあと思ってたけど
不思議と誰一人そのことに言及する人はいなかったね
45: 人間七七四年 2016/01/19(火) 12:15:53.67 ID:NClk4hEh.net

画なんてその時の気分次第で印象変わるからな
47: 人間七七四年 2016/01/23(土) 02:50:16.95 ID:eeBPTPHA.net

信長のリアル肖像画、あれ嘘だと思うわ。
肖像画とあまりに似てない。
(たとえ写実的でない絵だとしても似顔絵じゃないが特徴捉え
あの人だ、ってなんとなくわかるはず。肖像画には
「リアル信長」と思わせる要素が何一つない)
それともし本当ならあの技法を信長自身が気に入って広めるだろうからね。
50: 人間七七四年 2016/01/30(土) 07:27:41.15 ID:zJPBaFY6.net

秀吉の頬ヒゲ生やした肖像も伝秀長の頬ヒゲ生やした肖像もあるけど、他の肖像と比べて
これ、面長過ぎ。
本来の秀吉兄弟は頬ヒゲ生えやすかったのかもしれないが、何なんだろうこの彫りの深いのって。
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52: 人間七七四年 2016/02/14(日) 22:59:10.94 ID:pgeCVM0O.net

武将の肖像画はどういう絵師がどういう経緯で描いたのでしょうか。
信玄や利休の絵を長谷川等伯が描いたという説があるけれど、
たぶん無名時代ではないか、と思われるのですが?
貧乏絵師にとっては、いい収入源だったのでしょうね。
武将が絵師のことを詳しくは知らないだろうから、
そういう斡旋業を行う商人とかがいたとも思われます。
そのへんの事情について、何か文献とかないですかね。
53: 人間七七四年 2016/02/15(月) 01:52:45.33 ID:2IrJApji.net

簡単に言えば遺影です。坊さんの斡旋で書いてもらいます。お金があれば有名画家にお願いします
54: 人間七七四年 2016/02/15(月) 02:05:54.34 ID:JN0f5/ho.net

遺影というか、あの世の御利益の為に作ってもらうものだから、
生前描かれた肖像画があんなに少ないんだよな
坊さんの肖像画は、けっこう生前描かれたものも多いみたいだが
58: 人間七七四年 2016/02/23(火) 23:17:44.74 ID:660jz9PK.net

>>54
坊さんの場合は、弟子に教えを伝え後継者として認めた証に自分の袈裟や法具
そして誰から伝法されたか証明するために生前から画いた肖像を授けていた。
またその師匠が生きていても、弟子が遠方に居る時には肖像を掛けて拝礼し師匠を尊敬するよすがとしていた。
勿論没後は遺影になった。
55: 人間七七四年 2016/02/15(月) 22:16:23.76 ID:rrtRuwgv.net

ただ生前から顔の特徴を遺しておき、戦国時代辺りには一周忌法要の時までには肖像の軸を掛けられるようにする習慣はあった。
この顔や身体の特徴を描いたテンプレみたいなのを粉本という。
平安中期に仏画を描くための手本のようなものとして始まり、天皇や公家の肖像なども粉本としてテンプレ化する事でその肖像を複数作成する事が出来るようになった。
平安期の頃は没後身内や家臣の記憶を基に作られたが、室町頃には生前から本人の容貌を写して後から描けるようになっていた。
勿論、総ての人々が生前から残した訳でなく没後に身内や絵師の記憶頼りの肖像も描かれ続けてる。
概ね粉本はほぼ本人の実物の特徴そのままを描がいているが、本式の肖像では粉本にはある痘痕や刀槍などで付いた傷は描かないのが普通だったみたい。
56: 人間七七四年 2016/02/21(日) 23:42:59.71 ID:Dc1u/FQa.net

じゃあ木像とかはどういう経緯や目的で造られたりするの?
57: 人間七七四年 2016/02/23(火) 22:59:16.55 ID:660jz9PK.net

殆ど遺影代わり。
大概は寺に置いて法事の時に厨子を開いたり、須弥壇の近くに移動させていた。
ただそんな木像が造られる時は、初期はその寺が木像の人物の菩提を弔う為に造られた寺という特別な場合で
その個人は本願施主という寺に取って特別な人として永代供養する事になっていた。
のちに大名家や有力者が菩提寺指定するようになると、寺を開いた本願施主以外にも代々の大名などの木像を造って祀るように変化していく。江戸に入ると寺を商人が建立して、建立した商人の遺影としてその木像を造り祀る例も出てきた。
それ以外ではその人物が没後神格化されて神社や寺で祀るようになった場合、そのご神体として造っていた。

基本的に木像は「祀る」為に造るものだった。

60: 人間七七四年 2016/03/17(木) 23:34:44.98 ID:fI/Jb+5a.net

小早川秀秋の肖像画ってヒドイよな
実際あのような漫画みたいじゃなかったろ
徳川によって悪意に描かれたと思う
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61: 人間七七四年 2016/03/21(月) 22:00:01.10 ID:EXFRueba.net

>>60
とはいえ、あれは秀秋の身内が追善法要の為に画かせた(生前の寿像でない証拠に、彼の座所の上部に几帳の幕がある。人物画の上部に幕を画くのは、天皇か神像か貴人の死者に対してのみ)のだから
身内自身が秀秋はあんな顔だ、と思ってたという事。

多分、身内や家臣の思い出した印象を基に画かれたんだろう。

62: 人間七七四年 2016/03/25(金) 21:12:56.20 ID:RTyKEFYO.net

そもそも今と昔じゃ美醜の判断基準が違うしなぁ
家光が自分の夢に見た家康を元に描かせた画なんて
首が細すぎて何だこれと思ったことがあるが

引用元: ・
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1449668607/

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