
経過してもなお売れ続け、27万部を突破する驚異的な売れ行きを見せている。
著者は明智憲三郎氏。もともとは三菱電機のシステムエンジニアで、いわゆるプロの学者ではないが、
先祖の名誉回復を願う子孫が感情論で書いた本ではなく、国内のみならず海外も含めた膨大な数の文献に当たり、
導き出した結論は、これまでの定説を根底から覆すものとなっている。
約50年間に及ぶ研究の成果を『本能寺の変四二七年目の真実』(プレジデント社)にしたため、2009年に発刊。
この本も当時かなり話題になったが、その後さらに研究を重ねて加筆・修正したものが本書である。
紙面の関係上、定説と異なる点をすべて網羅することはできないが、大雑把にいえば
「光秀の出自も違えば、謀叛の動機も怨恨ではないし、徳川家康も謀叛と無関係どころか実は共犯で、
秀吉も事前に謀叛の計画を知っていたから中国大返しも実は神業でもなんでもなかった」というものだ。
定説は時の権力者・秀吉が、自分に都合の良いストーリーを組み立て、それに合わせてさまざまな文献の
書き換えも行われ、利害が一致した家康もそのストーリーに乗り、後の時代に尾ひれがついて出来上がったものと考えられる。
そして後世の学者も、なぜかそこへ乗ってしまったというのである。
続き Yahoo!/Business Journal 5月14日(木)6時1分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150514-00010004-bjournal-soci
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150514-00010004-bjournal-soci&p=2
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150514-00010004-bjournal-soci&p=3
◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 19◆◆◆
http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1431562748/110
へうげものの本能寺が結局一番面白かったな~。
山風の妖説太閤記も良いぞ
信長の逃げ道ふさいだりというのは、よくある流れになってますねぇ。
秀吉も家康も裏切ってたんだーと道連れにしようとしているだけで
光秀に謀反をそそのかした人間
光秀の謀反を毛利より早く秀吉に知らせた人間は同一
後に秀吉に贔屓にされた人物
それは…
続きはWebで!
秀長さんか
この時代、徳川家康は別の国の人間
つまりどう言い繕っても裏切り者なんだよね。
裏切り者は真っ先に死ぬのが定石
秀吉・家康・光秀の共犯説じゃなかった?
それに光秀は朝廷の御意向で動いたとする説もあるから
珍説ブチ上げて売名したいとしか思えん
光秀と家康の共犯説に関しては、裏付ける間接証拠ならある
例えば本能寺に向かう軍勢を起こす際、光秀は徳川を攻めると言って動いてる
当然その話は徳川に伝わるから、徳川は光秀に備えようとする
ところが徳川が備えた形跡というのが、確かないんだよ
それで光秀が兵を挙げたのに、何故徳川は備えなかったのかという疑問点がある
そこから光秀と家康との間には話がつけてあったのではないかという説が出た
ほう、そうなると穴山梅雪は口封じで消されたって解釈になるんか
家康が必死こいて逃げたいうのも台本みたいな感じ?
少数の付き人しかいないんだからそりゃ逃げる以外できないさ
そんな話あったんだ。
俺も詳しいわけじゃないが、光秀は兵を起こした時、そんなような事を言ってたらしい
それで兵達も徳川の首を取るつもりで動いていたんだと
初めから信長の首を取ると触れると、情報漏れと離脱する兵士が続出しただろうからな
明智は信長に命令されて中国に行く筈だったというのが一般的な認識だけど。
その辺がどうも違うみたいだね
朝廷とも深い繋がりがある人物
ヒント:堺
今井宗薫くらいしか思いつかんなあ。
方面軍を任されるほどの武将が
そんな黒幕とやらに踊らされるほどナイーブとは思えないw
信長の軍団で一番のきれものの光秀がそんな読み違いをする訳がないと…
つまり光秀には勝算となる後ろ盾になるはずの何かがあったのかなと
だが歴史が示すように光秀は惨敗する
その場合は、単純に読み間違えましたでいいと私は思うな。
人に踊らされて無茶しちゃいましたー!じゃ、明智光秀の名が泣くw
天海坊にもなれぬわ!
調略でしくじって戦う前から負けが決まってるような下手を打ってるからな
後ろ盾がいた上で切り捨てられたか、共謀者にハメられたという可能性はある
そう考えると秀吉や家康との共謀説もわからなくはない
家康最強伝説だな
てな勢いだな w
信長は寝てて逃げ遅れた
弥助は何しとったんや
信忠の死はどうなるんだw
寝タバコか
>明智軍に従軍した武士による『本城惣右衛門覚書』によれば、家臣たちは御公儀様(信長)の命令で徳川家康を討ち取ると思っていたとされ、
ルイス・フロイスの『日本史』にも、下級武士たちの間には京都・堺を遊覧中の徳川家康を(信長が)討つつもりだとの情報が流されていたことが記されている。
翌2日未明、桂川を渡ったところで「敵は本能寺にあり」と宣言したという[注釈 3]話が有名であるが、これは『明智軍記』によるもので俗説とされる。
江戸時代の頼山陽の『日本外史』には、亀山城出陣の際に「信長の閲兵を受けるのだ」として桂川渡河後に信長襲撃の意図を全軍に明らかにしたとある。
他の各史料に登場する話でも、5名の重臣(明智秀満、明智光忠、藤田行政、斎藤利三、溝尾茂朝)だけしか直前まで知らなかったとの説明が多く、『信長公記』では密事が漏れて信長に注進する者が現れないように安田国継(天野源右衛門)を先行させて疑わしい者を20~30人は斬ったとされ、
桂川でも「今日よりして天下様に御成りなされ候」とだけ告げている。
(都合上改行)
たしか、豊臣といういみでは北の政所の兄弟の孫が養子に入って
豊臣姓木下氏として豊臣氏は存続はしてますよ・・・・秀吉の子孫とは言えないですがね。
そう言えば大阪城落城は炊飯中の火事で、驚いた家康が千姫を助けろー!って慌てまくったって説もあったなあ
それを感情論というんだよ
反乱起こして破滅した事実は変わらないでしょ
それはともかく、この本読んだが非常に面白かった。数学の証明を
見ているようだった。
そういえば片岡愛之助の歴史捜査番組で関が原の戦いには嘘が多いって科学捜査のメス入ってたな
実際に戦ったのは中山っていう場所だったとか小山評定も嘘だらけとか
家康は飛んだたぬき親父だわ
好きになった。しかし、成長するにつれて歴史の真実を知り、秀吉
が大嫌いになった。ついでに信長も嫌いになった。この二人は
決して上司として仰ぎたくはない。家康は退屈な男でこれも嫌い。
なんだかんだで今は信玄フェチになってしまった。
例え共謀であっても、信長暗殺の実行犯で、中央の残存勢力を倒せる光秀が権力握って秀吉が下になってまうわ
光秀をいち早く倒した秀吉が天下を取ったようにな
そのことから秀吉が乗る理由がないね
山崎の合戦が実際には数日猶予があっただけで、神速で引き返したのが誇張とみるべきだろうな
動機を見い出すとすれば、当時の織田家中の事情かな
信長は世代交代を控えて血縁者による統治体制の確立に動き出していて
家臣から大名になった者達の立場というのが微妙になってきていた
秀吉とてその例外ではなかったという点が動機になり得る
なんで能を舞ったとか誰かが見たような伝説になってんの?
能を舞ったは創作だろうけど、近所にフロイスが滞在してて様子を記録してるよ!!
秀吉:信長を安土から連れ出す手引き
家康:光秀の身柄引き受け
朝廷:黒幕
こんな感じ?
「本城惣右衛門覚書」を初めて読んだ時もショックだった。
それまで聞かされてきた本能寺の変とは全く違っていたからだ。
新しい資料でも出てきて事件がより明確になってほしいものだ。
信長の首塚と言われているものもちゃんと調査してほしいな。
まだまだ歴史家には頑張って解いてもらわなきゃいけない謎がいっぱいあるんだよな
光秀とか興味ねえwww
イエスズ会から依頼されていたという話もあるよな。
信長が家康を暗殺しようとして、その実行役を光秀にやらせようとしたら
光秀と家康が逆に信長を暗殺することに成功
みたいな話だった
なんで今さらのように急に話題になったのでおじゃるか。
こんな荒唐無稽な話だったら、まだ山岡荘八のフィクション話の方が説得力あるわw
ステマもいい加減にしろよwwwww
暗殺(毒殺)されたんじゃないかという説の人がいるよね。
明智光秀がやったのも実は謀反じゃなくて
暗殺だった可能性があるんじゃないかと。
朝廷を蔑ろにする信長を、光秀を使って倒させ、
汚名をかぶった光秀がそのまま天下とりを継ぐのは難しいから、
さらに秀吉に打ち取らせる形でフェードアウトさせる。
秀吉は朝廷から官位を得て後継者としての実力を内外に知らしめる
フェードアウトした光秀は家康に匿われ天海と名を変えてブレーンに加わる
こうですか?
という説は説得力がある。
引用元: ・【話題】信長、家康、光秀の「歴史」は、すべて秀吉の捏造だった!嘘だらけの「本能寺の変」 [H27/5/15]
