写真=一見「粗食」だが、コメとみそ汁は理想的な「完全食」だという(写真:kaka / Imasia)
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。戦国大名を代表するこの3人は、いずれも現在の愛知県の生まれである。信長、秀吉は尾張、
家康は三河の生まれだ。
そして、この地域は、赤みそ文化圏なのである。それだけでない。江戸時代の大名の7割は愛知県、つまり赤みそ文化圏にゆかりが
あるのだ。
実は、戦国武将たちの強さの秘密はみそにあるという。どういうことなのか、新刊『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』を上梓した
稲垣栄洋氏に解説していただいた。
名古屋の名物料理といえば、みそカツにみそ煮込みうどんである。これらに使われているのは、独特の赤い豆みそだ。赤みそは
尾張名古屋の名産となっている。
だが、元はと言えば、赤みそは尾張名古屋ではなく、三河で誕生した。三河は徳川家康のふるさとであり、勇猛果敢な三河武士たち
を育てた地である。赤みそは、この三河武士のソウルフードなのだ。
みそはもともと、飛鳥時代に中国から伝えられた。当時のみそは、大豆と塩と水だけで作る豆みそであった。
時代が経つと、大豆の発酵を早めるために、米こうじや麦こうじが加えられるようになる。あるいは、大豆を蒸して作る赤みそに対し、
大豆をゆでて作るまろやかな白みそが考案された。
しかし、三河では一貫して赤みそが作り続けられた。
大豆はやせた土地でもよく育つ。それにはワケがある。大豆の根には、大気から窒素を取り込む根粒菌が共生している。だから、
窒素分の少ないやせた土地でも成長することができるのだ。
そして、三河の土地はやせていた。また、水の便が悪い台形状の土地が多く、水田を開くことができなかった。
だから、大豆が盛んに栽培されたのである。大豆しかないので、豆みそしか作れなかったというわけだ。
だが、こうした環境の厳しい土地だったからこそ、強靭な三河武士が育ったのである。
■強豪たちを育てた赤みそ文化圏
三河出身の徳川家康をはじめ、尾張出身の織田信長と豊臣秀吉。天下統一にかかわった3人の武将は、いずれも赤みそ文化圏で
育った。
この3人は、親族や家臣を全国に配置したので、江戸大名の7割は愛知県にゆかりがある。前田利家、本多忠勝、加藤清正、福島正則、
山内一豊などの名将は、皆、赤みそ文化圏の出身だ。
赤みそ文化圏は、なぜ、このように優秀な人材を生み出したのだろうか。
大豆だけで作る赤みそは、米こうじや麦こうじを加えて作るみそよりも栄養価が高い。大豆には、ストレス軽減効果のある神経伝達物質、
セロトニンのもとになるトリプトファンが豊富に含まれている。セロトニンは「しあわせ物質」と言われるほどで、気分が落ち着き、前向きに
なって士気が高まるのである。
それだけではない。赤みそには、脳の機能を高めるレシチンや、疲労回復や免疫機能を強化する効果のあるアルギニンまでもが
含まれている。
三河武士が赤みそに育てられたというのは、決して大げさな話ではないのだ。
(>>2以降に続く)
■みそ作りを奨励した武田信玄
みそは日本各地で作られているが、信州みそも有名だ。信濃のような山国では、コメは栽培しにくい。そこで大豆を使ったみそが
作られたのである。
戦国時代、信濃を支配していたのは武田信玄である。信玄はみそ作りを奨励し、「陣立(じんだて)みそ」という戦場食を考え出した。
陣立みそとは、豆を煮てすりつぶし、こうじを加えて団子にしたものである。こうしておくと、進軍している間に発酵してみそとなる。
信玄は、織田信長でさえ恐れさせ、徳川家康も三方ヶ原の戦いで大敗させたほどの強豪である。その強さの秘密のひとつは、
陣立みそだったのだ。
信州のように海のない地域では、塩はつねに備蓄していなければならない。みそは塩分を蓄えるのに格好の食糧であった。
武田家には、川中島の周辺地域でみそを作るよう奨励した文書も残されている。川中島は信玄の最大のライバル、上杉謙信との戦い
が繰り広げられた地である。信玄は戦いに備えてみそを準備したのだ。
これが現在の信州みそのルーツである。
■コメとみその食事は完全食
腹が減っては戦さができぬ。戦国時代の武士たちは、日常、コメを1日当たり5合食べていたそうだ。おかず代わりに食べていたのが、
野菜を入れたみそ汁だ。
戦闘中ともなれば、コメを1日1升(10合)食べた。エネルギー換算すると5200キロカロリーだ。
コメは豊富な炭水化物を含む、栄養価の高い食物だ。一方、みその原料である大豆はタンパク質や脂質を多く含んでいる。コメと大豆
を合わせれば、3大栄養素である、炭水化物、タンパク質、脂質がバランスよく摂取できるのだ。
また、コメはアミノ酸の中でリジンだけが少ないが、大豆はこのリジンを豊富に含んでいる。反対に大豆はアミノ酸のメチオニンが不足
しているが、コメにはこのメチオニンが含まれているのだ。
しかも、当時、武士たちが食べていたのは、白米ではなく玄米だった。精米技術が発達していなかったからだ。玄米は、白米に比べて、
ビタミン、ミネラル、タンパク質が豊富に含まれている。
つまり、コメと大豆の組み合わせは、理想的な完全食なのである。
ただし、玄米は白米に比べて消化が遅い。この欠点を補うのがみそなのだ。みそには酵母菌、乳酸菌、酵素などが含まれていて、
玄米の消化を助ける。
コメとみそと野菜しか食べなかった「草食系」の戦国武士たちが強かったのは、このコメとみそを中心とした完全食があったから
なのである。
(終わり)
秀吉は権力に憧れていたから京の薄味好き
みんなが同じもの食べていたなら、みんな同じような強さじゃなかったのか?
現代人と比べて強かったって言うのならばわかるけど
それは比べようがないから、戦国武将が強かったってどうして言えるんだ?
のり弁の揚物の油が下の米に染み込んだ味になるから結構飽きない味
囲炉裏の上に刺してカリカリになったのフリカケのように使ってた。
動物性タンパク質が不足すると気力体力がなくなって戦どころじゃないわ
軍神様は塩で酒飲んでたせいって聞いたんだが……
一番長生き!
一食で1合なんて無理、育ち盛りのころでも一日3合も食ってなかった。
すごい話だよな
おかずがあまりないにせよ、一日5合…
腹パンパンになるわw
昔の人は、結構はらいっぱいご飯食べてたのかもね
しかもこのころはまだ、1日2食だったよな
うーむ
幕末旗本?参勤交代の食日記だと一日3食みたい
鷹狩り用の餌さ(ハト)を潰して、ハト団子鍋で盛り上がってたり
カツオに当たってウンコビチビチになったり
一度でも山城跡に上ってみれば理解できると思うが
あんなアップダウンのきつい人工地形を足軽甲冑とは言え
鉄で出来た重い陣笠、胴丸装備+鑓や鉄砲などの武器を持って駆け回るんだから
摂取カロリーが多くないと体力が持たないと思う
戦争を知らんのだな。現代戦でもそうだが、要塞を構築して
銃眼を作ったり、あらかじめ投石する石を集めたりと出来る用意は
終わっているんだよ。後は籠城するだけで、攻める側が10倍の兵力が
必要に成るのが定石。守る側がそれ程動き回ることは無い。
後方支援する人員がそんな重い甲冑なんか着ているわけが無いだろう
名将なら3倍で落とす、城攻め名人の秀吉がそう。
物見遊山のような感じで城を取り囲み長期戦おおいに結構と
余裕をみせつける、領民を城に追い込み兵糧の穀つぶしさせれば
なおよし。
謙信が落とせなかった小田原城も秀吉にかかれば…
その話が本当かどうかは知らないけど、
天然の石油は臭水(くそうず)って言って薬だと思われていたからな。
傷に塗ったりしていたらしい。
ちなみに臭水は越後で良く湧いていた。
飯食えなかったもんだが
最近はたきたてのごはんを漬物だけで一合ペロリ
薪で 一献
雑兵の食生活語ってからにしてくれよ
つか武将レベルなら普段からそこそこ食ってるだろ
川で鰻を捕らえ「ひつまぶし」にして食ってた
今は緑道の小川でザリガニ採って食っている連中がいるかも知れない
8パック100円前後の味噌汁、これだけで、最低限の食料を確保可能?
(1食180円前後)
水車か何か使ったにしろ大量の米を精米するのは大変だったと思う。
結局米です
風袋の人間が少なくないが、なに食って生息しているのか?
炭水化物は取りすぎだっただけ。
野菜類が圧倒的に少なかった。
というか、当時は菜っ葉くらいしかなかった。
大根、ニンジン、かぼちゃ、ほうれん草、イモ類、
その他、豆類など、全部もっと後世に出てきたもの。
領民は他国に比べれは暮らしやすかった。
こういう土地柄の兵士は弱い、織田兵は越後の上杉や
甲斐の武田や薩摩の島津より弱い。
粗食にしかありつけぬ土地柄の兵士は強い。
信長は桶狭間こそ少数の奇襲攻撃で勝ったが、その方法
は2度ととらず敵より戦力が優位になるまで仕掛けず、戦法も
革新的だ、敗勢になった場合は真っ先に戦場から離れた。
信長は軍師や参謀を必要とせず尾張兵の弱さを自らの能力で克服した。
島津義弘は信長とほぼ同世代なのに鉄砲伝来の地に近接していながら
革新的な戦術も発明できず、隣国の伊東氏に長年苦戦し大怪我を負い
死にかかったりしてる、鎌倉以来長年かけて未開の蛮族の隼人を郎党化
したから生き残れただけ、同じく僻地にありながら子ども世代の伊達政宗
の方がスピーディに領土を拡げ信長同様20代で領土を倍増させている。
粗食に耐える強い兵士もっていても優秀な大将がいなければ…
肉食が少なかったからと言われている
信長が背が高かったのは、子供時代に牛乳を飲んでいたと伝えられる
事と関係がありそうだ
だが三河武士が赤みそを食べていたのは強くなるために好んで食べていたというは違う
彼らは単に赤みそしか食べるものがなかっただけだ
ほかに美味いものが安く簡単に入手できていたならそっちを食べていた
赤みそを食べていたから強かったというのは強引過ぎる結び付けだ
武将と武士は違うだろ
だいたい信長・秀吉・家康全員、三河を捨てちゃったじゃんwww
そう関西人は実は味音痴、だからたこ焼きおかずに飯を食うw
薄口しょうゆと塩分と味音痴は関係ないだろ、使用量を加減すればいいだけ。
たこ焼きおかずに飯は、若い貧乏な層が食ってるだけで嗜好や地域性は関係ないわな。
そこで豆味噌が臭みを消すのに役立つ
白みそじゃ臭みが増すだけw
まともに取り合わないのがミソじゃね?
確かに味噌は旨い。
ラーメンでは、8割が味噌だ。
> 三河武士が赤みそに育てられたというのは、決して大げさな話ではないのだ。
実に大げさな話ですなw
牛乳嫌いだがその人より大きいのが私だ
そんだけ動いてたんだな
現代で言えば皆キチ外。
つまり現代社会に適応したいなら味噌は食うなって事か。
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」で、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」ってあるけど、
これで、粗食を意味していたので、実際はもっと大量に食っていた。
大体、囚人で1日3合(雑穀入りだろうけど)ぐらいの水準だったそうな。
引用元: ・【たべもの】戦国武将が「粗食」で戦い続けられたワケ…信長・秀吉・家康の強さの秘密は“みそ”にある[04/11]