大体朝鮮なんか、日本と比べれば土地も貧しく
気候も厳しいし
得ても大して価値がない
気候も温暖で豊かな江南、とくに水路を抑えれば
穀倉をここに頼る明朝は干上がるし
兵士達も飢える心配は無かったと思うんだ
明をやっつけようと思ったんだよ
朝鮮なんかそのための道路だよ道路
おいチョンちょっと明やっつけるから道案内しろって言ったら
生意気にも刃向ってきやがってよふざけるなと
明vs戦国武将オールスター
朝鮮は何もしてない
明治大正の日本人が成し遂げたワケで
小早川 加藤 小西が世にあらば
今宵の月を如何に見るらむ
補給線を確保できずボロ負け。
水軍が弱すぎ。
ボロ負けとは言えないだろう
最後まで戦場は朝鮮だったし、ということは
制海権も日本側にあったってことだよね
だから日本軍全軍が無事本国に帰還を果たしてるんだ
朝鮮は無風に近かったし、
明が「戦いでは勝てなかったけど日本が引いたから結果ラッキー」みたいに書き残しているよ
昔は朝鮮征伐と言ってただろ
朝鮮征伐が歴史的呼称だし、実態にあっているんだから
秀吉の朝鮮征伐でいいんだよ
国内に残したところだな。
織田信長は、ヨーロッパ宣教師から送られた「地球儀」を目の前にして、
「この世界を我が物にする」と語ったと言われているが、
実は、この信長の野望は、当時の織田軍の銃を中心とした圧倒的戦力により可能であったのだ。
すでにこの時、ヨーロッパ全土の銃の数より、日本1国が所有する銃の数の方が多かったと言われてるが、
それに加え、信長はその銃による戦術も、当時のヨーロッパ諸国より数世紀以上、先を奔ハシっていた。
この男が編み出したと言われる銃の連続斉射(三段撃ち)と散開戦法(銃兵が身を隠しながら展開して戦う)は、ほぼ無敵であった。
※なお、この時代より数百年後のアメリカ独立戦争においても、まだ、その銃による戦い方は、
銃を構えた歩兵が横一列に並んで、身を敵にさらしてゆっくりと前進して行くというものであった。
おそらく、秀吉は、時に応じて信長から「世界はもう日本の敵ではない」ということをシッカリと頭に植え込まれていたに違いない。
ふーん、そうですかあ。おもしろい。ありがとうございます。
3段撃ちなど実在しないよ。
江戸時代中頃に、講談師が面白おかしく創作しただけ。
また、信長は野戦築城のようなことを大々的に行ったが(設楽原)、移動狙撃兵のような戦術を大規模にやった形跡は無い。
しかも、信長よりも雜賀など本願寺側についた勢力の方が操銃術に長けていた。
なお、鉄砲の大量運用をしたのも本願寺側についた勢力が信長よりも遥かに早い。
信長は、本願寺攻めの際に鉄砲で散々打ち負かされ続けた側だよ。
>3段撃ちなど実在しないよ。
江戸時代中頃に、講談師が面白おかしく創作しただけ。
ハハ、それが創作だよw
3段撃ちは実際に行われただろう。
ナゼなら、逆にそのような奇妙な撃ち方を、ワザワザ信長が採用したと捏造する方が、よほど難しいからだ。
そんな捏造をしなくても、「信長は銃を大量に使用して勝利した」で済む。
また、その当時、そういう撃ち方は誰も思いつきもしなかったことで分かるように(信長以外は)、
それが事実でなければ、誰も、そういう特殊な銃の使い方などコジツケはしなかっただろう。
オマエのような、中途半端なアホが得意げに何でも否定したがるよな。
>>50みたいにそんな凄い世界標準以上の事をやってのけていた信長が天下統一できてないのが不自然でしょ
オマエ、日本人じゃねえようだな。
信長は実質天下統一へ最終行程を進んでる時に、腹心(光秀)に裏切られて殺されたのは、日本人なら小学生でも知ってるぜ。
ちょうど、ローマ帝国の覇者シーザーが信頼していたブルータスに暗殺されたようにな。
もともと、朝鮮なんかねらっていない。中国を攻める目的で、道案内を朝鮮に依頼した。
朝鮮のことは対馬の宗氏に任せていたので、宗氏に命令した。宗氏はそれまで、秀吉に
自分の地位をよく思われたいので「朝鮮は日本に友好的で私の命令は何でも聞きます」など
と吹聴していた。だが実際は朝鮮王にも服属していてそのような立場ではなかったので、「
中国に使節としていきたいので案内してくれないか」程度で依頼していた。
ところが、軍備を持って朝鮮に上陸して中国と戦争するから道案内を頼むなどといったから、
中国の家来であった朝鮮はそんなことはできないと断った。それで戦争になった。
一体どこに秀吉と中国が戦争したという記録があるのだwww
実際に朝鮮を救援した明軍と戦争しているし、講和にも明代表も出席した。
当時の記録には全部出ている。明が滅びるのは、この戦争が原因という話もある。
近いからだろ
「中国」などという、当時ありもしない国と戦争したという記述がおかしいといっているわけ
中国人が中国というのは勝手だけど、日本人にとって中国という表現は中国地方のこと。
日本人ならその当時あった国名でよぶのが正しい表現だと思うぞ。
秀吉軍は次の城まで誰が早く到着するか遊んでた
朝鮮とは戦争をしていない
明軍には優勢だったが秀吉の死で退却を強いられた
守ったと言う意味では明の勝ちだが
戦いでは勝ってた
おしまい。
秀吉の目的は茶器及び陶工を手に入れるため、その裏に利休との確執があったわけだなw
残虐で非道で卑劣で下劣。昨今のテロリストが天使に思えるほど
日本人はみな馬鹿大河ドラマに騙され過ぎ
道の確保だろ
朝鮮での戦闘はほとんどなく朝鮮の土地なんか価値もないのだからいつまで朝鮮出兵としてるのか
目的地は明だよ。当時は「唐入り(からいり)」つまり「明制圧計画」と呼ばれていて、朝鮮は通過地点の扱い。
事実、朝鮮に中立と道の提供を要求したが、朝鮮側が撥ね付けてきている。
さて、日本征服を諦めたスペインと、北方騎馬民族(かつての金、後の清)が明をうかがいはじめた当時の国際情勢を秀吉ら日本の首脳陣も知っていた。
そうはさせじと、弱体化し始めた明に先んじて入ろうとしたのが「唐入り」の大きな流れだ。
秀吉政権は軍事で国を統一した英雄タイプのトップ。
チンギスハンやナポレオンやアレキサンダー大王などと同じで、国内を維持するために新しい外征先が必要だという世界史の法則に従っている。
古今東西、世界史の常識で見れば特に疑問も起きない行動だよ、大枠はね。
信長が生きていたら、明ではなく、恐らく東南アジアに展開したのではないか?
(信長死後、九州の大名らが東南アジアのスペイン占領地を攻めとる計画を立て実行直前までいった時代だ)
ちなみに、スペインが中国を狙って以降、イギリスのアヘン戦争はもちろんのこと、
アメリカが自分にだけ都合の良い三原則押し付けながらしゃしゃり出てくる→第2次世界大戦まで、
世界史は各国の「唐入り」をめぐるうねりが大きな潮流となり、日本人もその荒波からは自由ではありえず、悲劇を迎えるわけだ。
秀吉の唐入りから現代にいたる世界史は、わかりやすすぎるほど繋がっているのだが、なぜか日教組がわかりにくくしているね。
ボケてみた。
明を懲らしめるため朝鮮に対して協力せよ、と呼びかけたものの
非礼この上ない対応をしてきたため、まず朝鮮を征伐しようとした
元寇の際、元の使い走りとして日本で乱暴狼藉を働いた、
そのことへの報復の意味もある
①痴呆症説
②秀吉って実はシナからの帰化人で日本に逃げてくる際、朝鮮半島でひどい目に会わされた その仕返し
戦国を統一したばかりなので
みんな疲れてた
少し経ってからだったら
歴史は変わってた
左手らしいね
高麗が先導を務めていたから懲罰の意味が強い
だから昔は秀吉の「朝鮮征伐」と言っていた
