
あらすじ
勘助は、リツとの縁組みを晴信が望んでいると知り、戸惑う。一方、景虎が都へ上った機に乗じ、勘助は武田・今川・北条の三国同盟を画策する。
晴信(市川亀治郎)は久々に諏訪の由布姫(柴本幸)を訪れた。勘助(内野聖陽)とリツ(前田亜季)との縁組み話が進んでいると聞き、由布は複雑な思いを抱く。景虎(Gackt)は官位叙任の御礼のため上洛(らく)し、帝(市川段四郎)に拝謁。勘助はこの機に武田・今川・北条の同盟に向け動く…。そして雪斎(伊武雅刀)の仲立ちで、駿河・善得寺にて晴信、義元(谷原章介)、氏康(松井誠)が一堂に会し、三国同盟が成立する。
Twitter由布姫に勘助について相談とな。晴信、由布姫を勘助担当と思ってないか。 市瀬さんの秋山信友、そういや初登場はこの回からだったか今日のラスボスはJK尼かおお、氏真ぼったま出る!リツの顔を見た瞬間の固まりようw勘助の縁組みは由布姫を通すこと前提なのか 相木殿スルメの他に鮭とばもどう?鬼美濃の逆ギレする気持ちはわかる。かわいい末娘を何でコワモテのおっさんに嫁がせないとあかんねんて(笑重役会議。秋山虎繁(信友)初登場。 斬新なビジュアルで川中島に現れた景虎だが、朝廷へは公家装束で参内する。 いつも貧乏じみたコスプレでうろつく勘助とは、ここが違う。おお、そろそろ信長が出張ってきた!桶狭間の戦いも近い氏真が割とまともに見える…氏真に政が務まるわけないだろ(直球)直虎のおかげで好感度MAXな氏真ぼったま いい時に出てきたなw 劣勢になったら即座に建て直しの策を講じる。これこそ有能な軍師。氏真話聞いてなかったんかい!そら婆ちゃんに阿呆言われるわ氏真「父上、某にも関わりのある話にござりますか?」 寿桂尼「あ↓ほ↑う↑」 トンビ先輩「(鳴き声)」 伝説の今川ババ孫コントキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!何か話が進むにつれて、徐々に直情的になって来てる感があるなぁ義元殿は……ここも雪斎殿がおらんかったら、「したたか」な選択を選んでなかったらどうなってた事やら( ´Д`) 利害で結ばれた者は、苦難に立てばやすやすと相手を見捨てる。 「天を以て属する者は、窮禍患害に迫られて相収む」 天命により信頼し合う者は、苦難に合っても助け合う。 連判状に署名して、それを燃やして灰にしたのを酒かなんかにまぜて盃を交わす。このドラマだけの演出なのか正式な作法なのかはわからないけど、過程を細かく見せてくれるのはいいね。こういうのて盃を交わすだけのイメージやったから。 史実はともかく、それぞれが署名した起請文を灰にして三人が飲むという三国同盟の場面をやってくれるこのドラマが好き
雪斎「天下泰平のため」 勘助「おやかたさまの為、四郎さまの為」
「飯富兵部、三条夫人に伝えた今川家とのご縁が強固になったことで、貴様の命運も尽きたことに気づかず。」 氏政と黄梅院は夫婦仲よかったし、三条様の願いどおり大切にしてくれたけど、晴信のせいでなぁ…。 母が最後まで惜しんでくれたという暖かな記憶大事に 惜しむは娘が別れが辛くなる 三条の方と晴信、それぞれに考え方の違い… この三条夫人の台詞を書ける大森さんは本気で凄いと思う この三条夫人の台詞、すっげぇよな。大森脚本は本当にゾクゾクする。梅ちゃん、大丈夫 むこうのお婿さんは優しい人だよ
大河ドラマ「風林火山」Part165
アンダーも濃いダロナ
その後、病で亡くなられたのは、この人?
そです。また同盟を結んだとき、氏政は梅の骨を分骨してもらったそうな。
隙あらば北条は駿府をうばおうとたくらんでいたわけか ふつうなら北条にとって今川や武田と同盟を組むなんてなんの旨味もないはずなのだが、
上杉謙信という共通の敵がでてきたおかげで三国同盟ができあがったわけなのね このドラマを見終わった後にまた『真田丸』とかみたらまた違ったものに感じるのかもしれない
今川と北条が不倶戴天の敵というのが最初よく分からなかった。
あれ?早雲は今川の援助で伊豆と小田原ゲットしたんじゃなかったの?
仲良かったんじゃないの?え、いつ仲悪くなったの?
て感じで。
北条氏康の妻は寿桂尼の娘だし、今川氏輝の頃までは仲良くやっていた
しかし義元が方針転換して武田と同盟したので、武田と敵対している北条が激怒して河東に攻め込んだ
そこからこじれた
河東(富士川以東)の地については、早雲が興国寺城の城主だった時代には、実質的に
早雲に与えられた領地であったことも大きい。
一応ここは、早雲が独立の大名となる永正末年には今川氏に返されたことになっているが、
実はその後、この地域の大半は北川殿(早雲の姉で今川氏親の母)の所領とされたようで、
北川殿の死後から今川・北条間の懸案事項になっていた。
花倉の乱~河東の乱にかけての今川の外交方針の転換には、当時の京都の政局が
影響しているという説もある。
当時の京都(畿内)では、将軍家が足利義晴派と足利義維派に分かれて抗争しているが、
今川氏輝の時代には、今川・北条は義維派、武田は義晴派というのが基本構図だった。
ところが今川の家督を相続した義元が、義晴から偏諱と守護職の安堵を受けて義晴派に
鞍替えしたため、今川は武田と友好関係になる一方、北条とは険悪となった。
しかしその後、京都における義維派の劣勢が明らかになり、将軍家が義晴─義輝の系統に
一本化されていくなかで、北条としても義維派に肩入れして今川・武田と対立を続ける
意味が失われ、やがて互いの利害の一致から三国同盟にいたった、とか。
今川と勘助の助けを借りてなんとか撃退、これで形勢が逆転した
その関東管領・上杉が越後の長尾の元に逃げ込み、何度も攻め込んでくる
戦って生き抜いてこそって感じだな
自分は正しい相手が悪の図式は存在しない
どの人物も必死で生きてるからこそ愛おしく感じられる
だから、川中島で激しい戦いをやってまでそれを実現させようとした
今川義元が桶狭間で死んじゃって方針転換
盟約を破って駿河に侵略することにして、息子の義信とケンカになった
本来は将軍が引き受けなきゃならないんだけど将軍はもう名誉職に近いそんざいなんだろうね ウィキで後奈良天皇を調べると人間のできた天皇だったようで清貧にてっした人だったみたいね もしかしたら景虎と通じるものがあったのかもしれないね
この時期だと、そもそも将軍義輝は京都にいないので、会いたくても会えなかったはず。
だから本来なら将軍に承認を求めるべきことを天皇にお願いしたのでは?
足利将軍の権威を軽んじる意図で天皇のところに行ったわけではないだろうし、そもそも
上杉謙信は将軍家に対しても過剰なほど礼を尽くす人。