
【視聴率】「真田丸」第35回は視聴率15.0% “犬伏の別れ”で真田家が敵味方に
俳優の堺雅人さんが主演のNHK大河ドラマ「真田丸」の第35回「犬伏」が4日、
放送され、平均視聴率は15.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。
「真田丸」の平均視聴率は、初回が19.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ・以下同)で、
第2回が「八重の桜」以来、3年ぶり大台乗せの20.1%を記録。その後も
高視聴率を記録している。
「真田丸」は、堺さんが真田幸村の名でも知られている戦国時代の人気武将・
真田信繁を演じ、戦国時代に信州の小さな領主のもとに生まれた信繁が、家族とともに
知恵と勇気と努力で乱世を生き抜く姿を描いている。三谷幸喜さんが2004年放送の
「新選組!」以来、12年ぶりに大河ドラマの脚本を手がけ、長澤まさみさんや
大泉洋さん、草刈正雄さんらが出演している。
第35回「犬伏」では、真田家が敵味方に分かれることを決める“犬伏の別れ”が
描かれた。「真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160905-00000001-mantan-ent
引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1473037550
BSは視聴者の絶対数が少ないんじゃね?
見せ場でこの視聴率ではこの先ヤバいかもな。
「真田丸」BS視聴率4・2% “早丸”でも「犬伏の別れ」に熱視線
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160905-00000089-spnannex-ent
たせば20に近いか。
まあ及第点じゃね?
なんで足すの?
長谷川京子ガラシャの最後とは全然手間隙かけかた違ったな。
なんか適当な一発撮りだよな。学芸会風味だよ。
ガラシャの出たシーンはみんなそうだろ。
橋本マナミきれいだったから、ちゃんと演出つけてやれと思った。
面白いのになー
ガラシャの影が見えてたから障子でしょ?
ていうかガラシャの最後を大河で2、3回見たけど毎回こんなシチュ
だんなの変態大名細川忠興の命令で家臣はガラシャを生で見るの禁止令出されてたからだよ
うわー束縛すごいw
間違ってたら大変だねw
植木の手入れしてた職人がガラシャ見ただけで
首はねられた話とかあるしな
父幽斎からして変態そうだもんな
三好三人衆とか松永久秀とか光秀とか
関ヶ原当時のガラシャは子持ちのアラフォーだったのに生で見るの禁止令
人生50年の当時はアラフォーなんて今以上に老婆なのに
信之が水筒を投げてた
あれは正確には信幸が投げた。投げたもんは下駄から変更されてたが。
> 視聴者は西軍が負けるの知ってるからな
ええええ!
西軍負けるの?マジで?!
もっとマイルドに願いたい
きりも居やがるし
刀に付いた血をガラシャの着物の袖で拭き取る。
ガラシャは忠興への嫌がらせとして
血で汚れた着物を数日間着替えない。
その結果、忠興はガラシャにゴメンした。
颯爽とした貴公子の筈の備前中納言がオッサンで萎える…
主計頭はあんな感じで良いんじゃね?多少の知恵や義侠心はあるが行き当たりばったりの大局観ない人だし。
もうすぐ刑部、石田のみっちゃん死んじゃうね。そして上杉もごめんなさいして徳川の天下。
石田は勇み足すぎたな
西軍はガラシャを死なせたのが計算外で、早く動かざるを得なくなった
時代考証の丸島和洋さんのツイート「犬伏の別れ」の回でした。この日は何とか時間を作って(この頃は修羅場だったのです)、撮影現場にお邪魔させていただきました。上杉景勝・直江兼続の会話。慶長5年6月10日付の上杉景勝書状(「毛利安田家文書」)をお示しし、参考にしていただいています。「譜代旧功牢人、不依上下、右之趣、無拠分別仕候者ハ、供之用意可申付候」が兼続の発言のベースとなっています。それを受けての景勝の返事は、この直後の「自然無分別を以、理不尽之滅亡被述懐を存候者ハ、何者成共、無相違可出暇候」がベースです。この文書自体は、宿老クラスに宛てた檄文のようなものですが、「滅亡するのではと脅えるものがいれば、何者であろうと暇を出す」と述べているわけです。「表返る」。古文書に出てくる言葉ではないのですが、むかしの時代劇で使われた言葉とのことです。ようするに、時代劇用語としてのチョイスです。さすが三谷さん、よく御覧になられています。大谷吉継。家康襲撃未遂事件の回と、今回の春との会話で分かるように、眼がよく見えなくなっています。ですので、黒印を捺して書状を出しています(これは失礼なので、一言断りをいれます)。「花押じゃだめ、黒印で!」といったらまさか本当に作ってくれるとは思いませんでした。三成が「もう少しゆっくりと!」と述べたのは仕方のない話で、吉継の台詞は通常より時代劇寄りに修正したのですが、「言文不一致」ですので、三成が書いている文面とは異なります(実際の文面を台詞にしたら、視聴者が理解不能になる)。三成は和様漢文に直しながら書いていたわけです。また、文面は大名毎に違う内容を書かせています。映りませんでしたが(苦笑)。まあ、吉継の黒印が捺せたので、満足。さて家康ですが、三成挙兵は想定外であったというシナリオです。私も想定外であったと思っています。加藤清正が事前に「三成が謀叛しそうだ」と家康に諫言したら機嫌を損ねたと黒田如水に書き送っており、また細川忠興なども警戒はしています。家康も、島津義弘に伏見入城を要請しているのですが、義弘の手勢は200程度。気休めにもなりません。その上、義弘は出方をうかがうような対応をしていますし、家康も伏見城留守居役鳥居元忠に言い残さずに下向してしまいます。結果、義弘入城が拒絶され、義弘は「西軍」につくわけです。で、家康が本気で警戒していなかった証拠が、阿茶の局たちを大坂城に残していたことです。特にお亀の方は尾張義直を妊娠中で、特に気を遣わなければいけない相手です。伏見に移すなどの処置をとっていないことから、三成の動きは予想していなかったと思われます。ただ「西軍」も間が抜けた話で、大谷吉継書状によれば、徳川勢を説得して大坂城から退去させたとありますから、みすみす見逃した形です。もっともこれは、三成挙兵段階では、まだ情勢が流動的であったことも関係しているかと思います。どうも「二大老」「三奉行」は、当初から三成に味方したわけではなく、毛利輝元入城も三成を抑えるため、という要素があったという指摘があります。このあたりの政治史は、まだまだ未解明のことばかりです。さて真田家と違いホワイト企業大谷吉継ですが、実はこの時の三成の使者の動きは佐助より早いです。内府違いの条々が7/17付で、この日に三成の書状も昌幸の元に送られたと思います。昌幸の返書はなんと7/21付。4日で下野に着いています。この返事は、7/27に佐和山に届いています。さて、「犬伏の別れ」といえば、河原綱家が昌幸に下駄を投げつけられて歯が欠けたという話が知られています。これは、真田家の歴史書を真田幸貫(松平定信の子で養子入り)の命で編纂した河原綱徳の手になる『綱徳家記』に出てきます。・・・が、実は河原綱家は、この時大坂留守居役でした。ただ、有名な話なので外せません(大河ドラマは、近世成立の軍記物の内容は取り入れて作劇します)。その際、三谷さんから頂戴した質問が、「下駄はどこにあったのか」というものでした。そうです。「行軍中」の昌幸が下駄を履いているわけないんですよ。それで私の手許にある台本上では、信幸が投げつけたのは「硯」ということになっています。ただ映像みると竹の水筒を投げつけたようにもみえたので、最後の最後で直したのかもしれません。なお、上田帰国後の昌幸―三成(佐和山)は3日で書状が往来しています。だからまあ、佐助なら多少短くても大丈夫。この場面のポイントは、「昌幸がどこにいるかわからない」ということです。東山道を会津に下ればどこかで会えるだろうという程度なので、正確な日数はいえないのです。なお、当時の諸大名の未来予測は、昌幸のそれに近いと思います。戦後、黒田如水が吉川広家にぶちまけているのが勇名ですね。それと、三成はこの時から福島正則に味方に付くよう打診をしていまして、正則も清須に帰ってきてもまだやりとりをしていました。みな、暗中模索だったのです。きりと切支丹について。これはほぼ偶然なんですが、沼田藩には切支丹が多いことがわかっています。真田はわりと切支丹と関係がある家なのです。あ、ご本人がインタビューでお話しになられていますね。ならいいか。//特集 さなイチ 別冊!|大河ドラマ『真田丸』 第35回「犬伏(いぬぶし)」で歯が欠けてしまった真田家重臣・河原綱家を演じる大野泰広さんに、お話をうかがいました。
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/special/subject/subject41.html
役者さんというのは本当に凄いなと思ったのですが、河原綱家役の大野さん、今回のお芝居をするために、本当に前歯を抜いて差し歯にしようと歯医者さんに相談されたそうです。慌てたNHKスタッフがとめて事なきを得たとのこと。お話しを聞いてびっくりしました。(さなイチ参照)―そういえば今回、石田三成は人質であるガラシャが死んだことでショックを受け胃をキリキリさせていましたが、実際の三成は「いうこと聞かない奴も人質2,3人殺せばおとなしくなるんだよ!」とか書状で言っているので、史実的には、三成は特にショックを受けなかった模様治部の書状を読んでいると「人質をとったから大丈夫」「江戸に人質を取られたからあいつは(こっちに味方したいのに)身動きがとれない」とか出てくるので、本気で人質の効果を信じていたっぽいですね。以前にもいいましたが、信幸は公私ともに石田三成と親しい間柄でした。三成が本多忠勝と遣り取りする際に、仲介をしているほどです。治部も仮面ライダーは怖かったようで「返事ちゃんと出したから。もし『届いてない』って本多殿がいったら『出したって言ってました』って伝えて」なんて書いてます。こういうところをみると、信幸が「公」と「私」をきちんと峻別できる人間であったことがわかります。大坂の陣後、信繁に加勢した人々を家族もろとも召し集め(たぶん処刑して)いる点からも明瞭。