【ルーツ】「大阪」の地名記述、最古の文献か 室町後期、本願寺中興の祖・蓮如自筆和歌に「大さか」
「難波」などと呼ばれたそれまでの地名から、現在につながる「大坂(大阪)」の地名が定着していく経緯を探る史料の一つとして、注目を集めそうだ。
草稿は平成23年に財団が古美術商から購入。和歌5首のうち、信心の大切さを詠んだ「みな人の弥陀(みだ)をたのめといふ浪のはやをとたてゝみゆる大さか」など、2首に「大さか」の文字がある。筆者名はないが、専門家の鑑定で、筆跡などから蓮如自筆と判定された。
草稿の日付は、明応7年11月8日。大阪という地名は文献上、蓮如が明応6年11月に信徒らに向けて発した、「御文(おふみ)」「御文章(ごぶんしょう)」などと呼ばれる手紙の文中にある「大坂」が初出とされるが、自筆の原本は未確認で、写本のみが残る。
財団によると、確認されている写本は、息子の実如(じつにょ)の時代に編纂(へんさん)されたとみられる本が最古。大阪という地名を記した文献の成立年代としては、草稿が写本よりも古いと判断した。
蓮如は明応8年3月に死去。和歌には推敲(すいこう)の跡があり、財団の藤田香奈子学芸員は「最晩年に書かれた草稿だが、創意工夫を怠らない、蓮如上人(しょうにん)の性格が表れている」と話す。
草稿は、同財団の吉崎御坊蓮如上人記念館(福井県あわら市)で今月21日~7月28日に行われる、特別展で展示される。
◇
「大阪」の由来 古くは「難波」「浪速」といった表記で、「なにわ」「なみはや」などと呼ばれていた。いつから「おおさか」になったかははっきりしないが、14世紀の文献には「小坂(おさか)」の記述がある。蓮如が「大坂」に坊舎(石山本願寺)を建立した後に広がったともいわれ、江戸時代には浸透。「大阪」の表記は江戸時代には現れ、明治以降に定着した。
産経WEST 2018.4.20 11:45
http://www.sankei.com/west/news/180420/wst1804200032-n1.html
引用元http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1524230670
自身の築いた栄華(=難波=大阪)も所詮夢のような幻よ、って解釈かと思ってるんだけど
貧しい身分から一代で天下を取った秀吉の辞世と思えぬ儚さを感じた
>14世紀の文献には「小坂(おさか)」の記述がある。
へー小坂(こさか)と違うんだ。
東京みたいな音読みならインパクトあるのに。
まぁ大阪は秀吉時代を語られがちだからそれよりずっと以前から栄えてたからな
「大坂」という字を定着させたのが秀吉だろう。当時は
「をさか」とか「大さか」とかいろいろな字を使って
呼ばれていたそうだから。
いわれてる。お前ら大阪には来ない方がいいぞ。
地震って知ってる?w
よく勉強し直してきた方が笑い者にならなくて済むよ
伊勢湾は大阪湾のコピー。
伊勢湾は、弥生時代末期の倭国大乱で犠牲になった神々を鎮魂する場所。
あんなところだから巨大墳墓だったのかもなあ。
石山本願寺は実際は大坂本願寺なんだが
大阪には歴史がない事にしたい関東人が捏造した名前
その境内には古墳があったと言われている。
大体、物流を牛耳っていた源氏の本拠地も大坂なんだけどな。
難波の宮とか天智天皇の頃にあったじゃない。あっという間に
遷都されたけどさ。
石山本願寺以前も栄えてないわけない
そこから見たとき北は上町台地がそびえたってて、
まさに御坂だったわけだよ。
関連記事【悲報】徳川家康、関ヶ原の戦い後に真田幸村を生かす痛恨のミス1615年の豊臣打線wwwww大坂の役って正直豊臣側が勝てた戦いだよな

